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2017年12月 9日 (土)

小冊子『熱風』2017年12月号の特集は夏目漱石『草枕』をめぐって

特集/新宿区立 漱石山房記念館 開館記念 
「夏目漱石『草枕』をめぐって」
【対談】半藤一利×宮崎 駿

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『草枕』をアニメーションにするという"宿題" 

連載

【不定期連載】
第8回  丘の上に小屋を作る(川内有緒)
――小屋の模型と古いソファ
第3回  ワトスン・ノート~語られざる事件簿~(いしいひさいち)
第14回  グァバよ!(しまおまほ)
――おーばーけーだーじょー
第7回   海を渡った日本のアニメ
 私のアニメ40年奮闘記(コルピ・フェデリコ) ――――ビットリオ・バリーニのビジネスセンス』
第3回  シネマの風(江口由美)
――[今月の映画]『52Hzのラヴソング』
第21回  日本人と戦後70年(青木 理) ――[ゲスト]鈴木邦男さん

執筆者紹介
ジブリだより / おしらせ / 編集後記
•小冊子『熱風』定期購読のご案内
http://www.ghibli.jp/shuppan/np/

「おい」と声を掛けたが返事がない。  軒下のきしたから奥を覗のぞくと煤すすけた障子しょうじが立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋わらじが淋さびしそうに庇ひさしから吊つるされて、屈托気くったくげにふらりふらりと揺れる。下に駄菓子だがしの箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭ぶんきゅうせんが散らばっている。 「おい」とまた声をかける。土間の隅すみに片寄せてある臼うすの上に、ふくれていた鶏にわとりが、驚ろいて眼をさます。ククク、クククと騒ぎ出す。敷居の外に土竈どべっついが、今しがたの雨に濡れて、半分ほど色が変ってる上に、真黒な茶釜ちゃがまがかけてあるが、土の茶釜か、銀の茶釜かわからない。幸い下は焚たきつけてある。  返事がないから、無断でずっと這入はいって、床几しょうぎの上へ腰を卸おろした。鶏にわとりは羽摶はばたきをして臼うすから飛び下りる。今度は畳の上へあがった。障子しょうじがしめてなければ奥まで馳かけぬける気かも知れない。雄が太い声でこけっこっこと云うと、雌が細い声でけけっこっこと云う。まるで余を狐か狗いぬのように考えているらしい。床几の上には一升枡いっしょうますほどな煙草盆たばこぼんが閑静に控えて、中にはとぐろを捲まいた線香が、日の移るのを知らぬ顔で、すこぶる悠長ゆうちょうに燻いぶっている。雨はしだいに収まる。  しばらくすると、奥の方から足音がして、煤すすけた障子がさらりと開あく。なかから一人の婆さんが出る。  どうせ誰か出るだろうとは思っていた。竈へついに火は燃えている。菓子箱の上に銭が散らばっている。線香は呑気のんきに燻っている。どうせ出るにはきまっている。しかし自分の見世みせを明あけ放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。  二三年前宝生ほうしょうの舞台で高砂たかさごを見た事がある。その時これはうつくしい活人画かつじんがだと思った。箒ほうきを担かついだ爺さんが橋懸はしがかりを五六歩来て、そろりと後向うしろむきになって、婆さんと向い合う。その向い合うた姿勢が今でも眼につく。余の席からは婆さんの顔がほとんど真まむきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情はぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。茶店の婆さんの顔はこの写真に血を通わしたほど似ている。 「御婆さん、ここをちょっと借りたよ」 「はい、これは、いっこう存じませんで」 「だいぶ降ったね」 「あいにくな御天気で、さぞ御困りで御座んしょ。おおおおだいぶお濡ぬれなさった。今火を焚たいて乾かわかして上げましょ」 「そこをもう少し燃もしつけてくれれば、あたりながら乾かすよ。どうも少し休んだら寒くなった」 「へえ、ただいま焚いて上げます。まあ御茶を一つ」 と立ち上がりながら、しっしっと二声ふたこえで鶏にわとりを追い下さげる。ここここと馳かけ出した夫婦は、焦茶色こげちゃいろの畳から、駄菓子箱の中を踏みつけて、往来へ飛び出す。雄の方が逃げるとき駄菓子の上へ糞ふんを垂たれた。 「まあ一つ」と婆さんはいつの間まにか刳くり抜き盆の上に茶碗をのせて出す。茶の色の黒く焦こげている底に、一筆ひとふでがきの梅の花が三輪無雑作むぞうさに焼き付けられている。 「御菓子を」と今度は鶏の踏みつけた胡麻ごまねじと微塵棒みじんぼうを持ってくる。糞ふんはどこぞに着いておらぬかと眺ながめて見たが、それは箱のなかに取り残されていた。  婆さんは袖無そでなしの上から、襷たすきをかけて、竈へっついの前へうずくまる。余は懐ふところから写生帖を取り出して、婆さんの横顔を写しながら、話しをしかける。 「閑静でいいね」 「へえ、御覧の通りの山里やまざとで」 「鶯うぐいすは鳴くかね」 「ええ毎日のように鳴きます。此辺ここらは夏も鳴きます」 「聞きたいな。ちっとも聞えないとなお聞きたい」 「あいにく今日きょうは――先刻さっきの雨でどこぞへ逃げました」  折りから、竈のうちが、ぱちぱちと鳴って、赤い火が颯さっと風を起して一尺あまり吹き出す。 「さあ、御おあたり。さぞ御寒かろ」と云う。軒端のきばを見ると青い煙りが、突き当って崩くずれながらに、微かすかな痕あとをまだ板庇いたびさしにからんでいる。 「ああ、好いい心持ちだ、御蔭おかげで生き返った」 「いい具合に雨も晴れました。そら天狗巌てんぐいわが見え出しました」  逡巡しゅんじゅんとして曇り勝ちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山ぜんざんの一角いっかくは、未練もなく晴れ尽して、老嫗ろううの指さす方かたにさんがんと、あら削けずりの柱のごとく聳そびえるのが天狗岩だそうだ。 夏目漱石『草枕』冒頭場面より

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