『エピクロスの園 』 アナトール・ フランス(岩波文庫)
『エピクロスの園 』 アナトール・ フランス(岩波文庫)
試煉は万人にとってひとしくはない。
生まれたかと思うとすぐ死ぬ子供や、白痴や、狂人にとって、人生の試煉とは何であるか?
これらの反対意見にはすぐ答えられてきた。
今も常に答がなされているが、あれほどたびたび答を繰り返さなければならないところを見ると、答は非常に立派なものではないと思わなければならない。
人生は試験場のようなものではない。
人生は、むしろ広大な陶器製作所に似ている。
ここでは何のためだかわからない用途のためにあらゆる種類の器が造られているが、それらの器のいくつかは、鋳型の中でこわれて、一度も使用されることなく、価値のない破片として投げ捨てられる。
そしてそれ以外の器は馬鹿げたことや嫌悪を催させるようなことにしか用いられない。こうした壺が、われわれである。
『エピクロスの園 』 アナトール・ フランス(岩波文庫)
ある精が一人の子供に糸毬を与えて言う。
「この糸はお前の一生の日々の糸だ。これを取るがよい。
時間がお前のために流れてほしいと思う時には、糸を引っぱるのだ。
糸毬を早く繰るか永くかかって繰るかによって、お前の一生の日々は急速にも緩慢にも過ぎてゆくだろう。
糸に手を触れない限りは、お前は生涯の同じ時刻にとどまっているだろう。」
子供はその糸毬を取った。そしてまず、大人になるために、それから愛する婚約者と結婚するために、それから子供たちが大きくなるのを見たり、職や利得や名誉を手に入れたり、心配事から早く解放されたり、悲しみや、年齢とともにやって来た病気を避けたりするために、そして最後に、かなしいかな、厄介な老年に止めを刺すために、糸を引っぱった。
その結果は、子供は精の訪れを受けて以来、四カ月と六日しか生きていなかったという。
どんな単純な思想も、どんな本能的な行為も、予測できない結果をもたらすものなのだ。
君は知性や、科学や、工業だけがその手でもろもろの運命の糸を織り成すと思っているが、それは、知性や、科学や、工業に敬意を表するも甚だしいことだよ。
われわれの意識しないもろもろの力も一つならぬ運命の糸を蔵しているのだ。
山から落ちてくる一つの小石も、それがどんな結果を産むかを誰が予見できよう?
その結果は人類の運命にとって、フランシスベーコンの「自然の解釈の為の新方法」の公刊や、電気の発見よりもずっと重要なものであるかもしれないのだ。
『エピクロスの園 』 アナトール・ フランス(岩波文庫)
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