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2019年5月18日 (土)

『レモンの花の咲く丘へ』国枝史郎

『レモンの花の咲く丘へ』国枝史郎

 

この Exotic の一巻を

三郎兄上に献ず、

兄上は小弟を愛し小弟

を是認し小弟を保護し

たまう一人の人なり。

 

序に代うるの詩二編

 

孤独の楽調

三味線の音が秋の都会を流れて行く。

霧と瓦斯ガスとの青白き光が

Mitily の邦くにの悲哀を思わせる

宵。……………………

唄うを聞けや。

艶つやもなき中年の女の歌、

節ふしは秋の夜の時雨よりも

凋落の情調ぞ。

私の思い出は涙ぐみ

ただ何とはなしに人の情なさけの怨まるる。

その三味線と女の歌の聞こゆる間。

木の葉が瓦斯の光に散っている。

君代さん

さし櫛に月の光が落ちている

君代さん。

冴えた霜夜の

秋の白さ。

涙ぐみつつ露は窓のガラスに伝い

老いたる木の葉は散っている。

君代さん

十八の君代さん

鼈甲べっこうのさし櫛は

若いあなたには老ふけすぎた。

(別れし夕の私の印象。)

 

死に行く人魚

 

時代 騎士の盛さかんなりし頃

場所 レモンの花の咲く南の国

人物 序を語る人

   公子

   女子

   領主

   従者

   Fなる魔法使い

   騎士、音楽家、使女、童、(多数)

 

 

序を語る人

 旧教僧侶の着る如き長き黒衣を肩より垂れ、胸に紅き薔薇花をさす。青白き少年の仮面を冠る。

独白――

 レモンの花の咲く南方の暖国はここであります。黄昏は薔薇色の光を長く西の空に保ち、海には濃き藍の面を鴎が群れ飛び、鴎を驚かして滑り行く帆船は遙かの沖をめがけます。日は音なく昇り、音なく沈み、星と露とは常に白く冷やかにちょうど蛋白石のように輝きます。湖水の岸には橄欖かんらんの林あり、瑠璃鳥はその枝に囀さえずる。林の奥に森あり、香り強き樟脳は群れて繁り、繁みの陰には国の人々珍しき祭を執り行う。ああその祭たるや筆にも言葉には尽くせません。螺鈿らでんの箱に入れた土耳古トルコ石を捧げて歩む少女の一群、緑玉髄を冠に着けたる年若き騎士の一団。司祭の頭には黄金の冠あり。……御厨の前の幕をかかぐる時、神体は見えざれども数千人の人々は声を揃えてサンタマリヤを唱う。その唱命は海の彼方の異国の涯はてにまで響きます。――この美しい南国の人々の心はどのように華やかでござりましょう、その人々の語り合う恋は、どのように秘密の烈しさを有していることでしょう。この脚本は、その秘密の烈しい恋を基として、演じられるのでござります。私はこれからこの脚本の諸々の色と匂い、光と陰、無音と音楽とをお話し致しましょう。

 この脚本は夕暮より始まり、次の日の夜半に終ります。夜はこの脚本の舞台であります。この脚本には短ホ調の音楽と、短嬰ヘ調の音楽とが入ります。尚その他いろいろの楽器、例えば死せる人を弔う鐘、遂げられざる恋の憂いを洩らす憐のバイオリン、悪魔の誘惑を意味する銀の竪琴、騎士の吹く角の笛、楯につけたる鉄と真鍮しんちゅうの喇叭らっぱ、そして波も松風も嘶いななく駒も、白き柩と共に歌う小供等も、楽器と云えば云えましょう。――これらの楽器がはいります。この脚本には「死に行く人魚」の歌が歌われます。嫉妬よりの契約が交わされます。海と自由と、幻のような舟と、舟の中の音楽と、音楽を奏した未知の若者とを恋うる少女が現われます。この少女は恋の贈物として深山鈴蘭の純潔の花を愛さずに、暗の手に培つちかわれた、紅の薔薇を愛します。(と自分の胸より紅薔薇を抜き取り観客に見せ)このような罪の贈物を愛します。(花を床上に投げ棄て)かくて少女は恋の獲物を失います。

 過去の恋をなつかしむあまり、恋の記念に造った音楽堂は、対岸の絶壁の上に立てられ、悲劇はその堂内で演じられます。譬たとえその悲劇が諸君の御眼には見えずとも、諸君は必ず憐れと覚しめすでしょう。悲劇の主人公は、美しい少年であります。少年の美しさは何と云って形容したらいいでしょう。猶太ユダヤの王女が恋したと云う、ヨハネの幼顔よりも美しく、ラハエルよりも美しい。ギリシヤの彫刻の裸体美でも、少年の美には及びません。この少年が「死に行く人魚の歌」を歌います。けれども恋の競技の音楽堂で歌ったのではありません。たれこめた自分の室で、つれない女子おなごに物を思わせようと、又血汐のような罌粟けし畑で、銀の呪詛をのがれんと、競技の前の夜の半ばに、歌ったのでござります。噫! その「死に行く人魚」の歌は、世にも悲しい弔いの歌となりました。

 婚儀の式場とも成るべき音楽堂からは葬式の柩が出で、つがいの鴛鴦おしどりの浮くべき海の上には、柩をのせた小舟が浮かび、嘆きの歌を唄わんとして集った小供等は、曇った声で弔いの歌を唄います。祝して鳴らさるる筈の鐘は凶事を伝え、諸国より集りし騎士音楽家は、驚きと怒りと悲しみとを、不思議を見たる瞳に充たせ、ものも云わずに柩を送ります。そして月桂樹の冠はFなる魔法使いの頭に落ち、Fなる魔法使いは、その名誉ある冠を以て、空想の少女を眩まどわさんとし、猩々緋しょうじょうひの舌を動かします。――しかも凶よこしまは正ただしきに敗け、最後の勝利は公子に帰して、月桂樹は幼い天才に渡ります。――神よ、正しき者に幸あれ!

 領主は、凍れる棒の如くに気死して壁により、忠僕は天を睨み、やがて声を上げて泣き仆たおれます。噫! 幸福たらんとして不幸となり、楽しからんとして憂いを呼び、平和たらんとして、凶事動乱、潮のように湧き起ります。(と片手を高く差し上げ)、この諸々の喜怒哀楽が、霧に包まれた宝玉のように、水の中の王冠のように、煙の中の城のように、おぼろげに諸君の眼に映る時、諸君は無理の解釈をなされずに、有るがまま、見ゆるがまま、聞こえるがままにくみ取って戴きたい。(片手を下し、後方に静かに退場しつつ)如何にFなる魔法使いが、銀の竪琴に魔を呼ぶか、如何にレモンの花の咲く南方の国の人々が、燃え狂う恋路を辿り行くか、諸君はこの幕が開くと共に、残る方なく知ることが出来ましょう。(と一礼して退場)

 

[つづく]

青空文庫『レモンの花の咲く丘へ』国枝史郎

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