シェイクスピア「ソネット十八番」
ポール・ヴァレリー「失われし酒」
或る日我、波立つ海に
(されどそはいづくの空の下にか知らず)、
貴重なる酒の幾滴かを
虚無への供物として投じたり。・・・
誰かこの貴重なる酒の消失を望みたる。
或は我、占ひの言に従へるか。
或は我が内心の迷ひに従ひて、
血を思いつつ、酒を注げば、
海はそのとはに清き透明を、
薔薇色せる煙の後に
立ち所に取り戻しぬ。・・・・・
酒は失はれ、波は酔ひたり。・・・
この時、苦き水中に我は
げに深甚の諸象の躍るを見ぬ。・・・・
〔吉田健一・訳詩〕
翻訳は一種の批評である。
しかし自称詩人たちは自我意識の吐露のみ。陽のエネルギーを与えたりはしない。負は負の連鎖を生み出して、負のカルマから遠ざかることはない。
「失われし裂目」となるだろう。
シェイクスピア「ソネット十八番」
第十八番
君を夏の一日に喩へようか。
君は更に美しくて、更に優しい。
心ない風は五月の蕾を散らし、
又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。
太陽の熱気は時には堪へ難くて、
その黄金の面を遮る雲もある。
そしてどんなに美しいものもいつも美しくはなくて、
偶然の出来事や自然の変化に傷けられる。
併し君の夏が過ぎることはなくて、
君の美しさが褪せることもない。
この数行によって君は永遠に生きて、
死はその暗い世界を君がさ迷ってゐると得意げに言ふことは出来ない。
人間が地上にあって盲にならない間、
この数行は読まれて、君に生命を与へる。
〔吉田健一・訳詩〕
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