「象の話」秋山清
象のいない上野動物園にタイ国からこどもの象がきた。まだ鼻もよくのびていない可愛いやつ。インドからも大きな象が来きた。小さい象はハナコさん。大きな象ぞうはインディラさんと名をつけて 朝早く子供がわいわい押しかける。大人も毎日見物にくる。
総理大臣もやってきて 一本百円もするバナナをたくさんたべさせた。象たちは うまいうまいとながい鼻の下にのみこんだ。
なぜ象たちはこんなに歓迎されたか。動物園に象がいなかったからだ。動物園に象がいなかったのは 戦争で殺ころされたからだ。戦争は檻の中のおとなしい象もころしてしまう。目のやさしいアジアの象よ。象の好な子供たちよ。それはそんなに古いはなしではない。
おとなしい象はどうして殺されたか。
厚くて強い象の皮は 鉄砲の弾もはじきかえす。注射の針もとおらない。
たべものに毒をまぜると 感のいい鼻でかぎわけてしまう。だから水ものませず ひぼしにされた。もう三週間も、もっと象たちはなんにもたべない。腹ペコペコでたおれてしまいそう。
子供たちもだあれも来ない。園丁のおじさん達はこっちを見ないふりしている。あの親切なおじさんたちが。なぜだろう。
象の目めから涙が流れた。芋がほしい。芋がほしい。何かください。三十日近かくたって 生のこっているのは やせてしわだらけのトンキーさん一匹。ああ、遠くにおじさんが見える。
逆立の芸当をして もう一度ねだってみよう。やっとの思いで後足を蹴げたはずみに 前足からくたくたとくずれた。そのまま立ちあがれず 象は死んでいた。
人間の食料も不足のときに 象のたべものなどありはしない。
空襲で力のつよい象があばれだしたらどうするか。こうして、戦争はむりやりに象をころした。動物園の象の話だのに戦争のことなどはなしてしまった。そんなこと、象たちや子供はしらぬがいい。大きな象が腹ぺちゃんこにやせしわだらけになって死ぬようなことはもういやだ。
〔詩集『象のはなし』より〕
令和の「終戦記念日」に捧げる戦後「戦争詩」でした。

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