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[ロイター] ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ東・南部4州を正式にロシアに編入する文書の調印式典を30日にクレムリン(大統領府)で開く。ウクライナのゼレンスキー大統領は最悪の結果を回避するためにプーチン氏を止めなければならないと訴えた。
グテレス国連事務総長は29日、ロシアがウクライナ4地域を編入すれば平和の展望が危うくなり、「危険なエスカレーション」になると警告した。
プーチン氏が2月に命令したウクライナ侵攻は今月になってロシア軍の劣勢が目立つようになり、プーチン氏が打開を図るために出した「部分動員令」には国内で不満の声が広がった。
ゼレンスキー氏はプーチン氏ただ一人が戦争の継続を求めることで、ロシア国民は正常な経済や豊かな生活を失うという代償を払うことになると強調し、「まだ止めることができる。しかし、止めるには、命よりも戦争を望むあの人物(プーチン氏)を止める必要がある」と強調した。
ロシアは東部ドネツク州とルガンスク州、南部へルソン州とザポロジエ州の占領地域でロシアへの編入を問う「住民投票」を強行。ウクライナ領土の約15%を占め、ハンガリーやポルトガルの国土に相当する。西側諸国は偽りの投票だと批判している。
プーチン氏は29日、ヘルソンとザポロジエのロシアへの正式編入に必要な法令に署名した。
ゼレンスキー大統領は強硬に対抗すると表明しており、30日に国家安全保障・国防会議の緊急会合を開く。
30日の式典はクレムリン宮殿の「ゲオルギーの間」で行われ、プーチン氏が演説する。モスクワ中心部の赤の広場でコンサートも予定されている。
式典を前にプーチン氏は29日、ロシアの安全保障会議で、軍の部分動員令で生じた全ての誤りを正すべきだと述べた。
(共同通信) 8月30日に死去した旧ソ連指導者ミハイル・ゴルバチョフ氏が主導したペレストロイカ(改革)で東西冷戦が終わろうとしていた1980年代後半、ロシアの未来や文化に魅力を感じた多くの若者たちがロシア語を学んだ。だが、ロシア語熱はいつしか冷めて、ロシア語を教える大学も減少。NHKのロシア語講座も打ち切られ、ロシアによるウクライナ侵攻はこうした傾向に拍車をかけている。“ゴルビー世代”の研究者は「ロシア語離れ」の現状に懸念を深めている。
【毎日新聞】
「もともと地盤が緩んでいるところに大雨が降った状態。このままでは甚大な災いにつながる危険性があります」
記録のために。世論調査で国葬に反対する率。
産経新聞62.3%
読売新聞56.0%
朝日新聞56.0%
毎日新聞62.0%
NHK 56.7%
エレファントカシマシ 野音2022 9/25 東京 セットリスト▼
<第1部>
1. 過ぎゆく日々
2. 地元のダンナ
3. デーデ
4. 星の砂
5. ふわふわ
6. 偶成
7. 月の夜
8. 珍奇男
9. 昔の侍
10. I don't know たゆまずに
11. 未来の生命体
12. なぜだか、俺は祷ってゐた
13. この世は最高!
14. 悲しみの果て
15. RAINBOW
<第2部>
16. 東京の空
17. 武蔵野
18. 風に吹かれた
19. 赤い薔薇
20. ズレてる方がいい
21. 俺たちの明日
22. so many peaple
~アンコール~
23. 星の降るような夜に
24. 友達がいるのさ
25. ファイティングマン
その木戸を通って
山本周五郎
一
平松正四郎が事務をとっていると、老職部屋の若い付番つきばんが来て、平松さん田原さまがお呼びですと云った。正四郎は知らぬ顔で帳簿をしらべてい、若侍は側へ寄って同じことを繰り返した。
「おれのことか、なんだ」と正四郎が振向いた、「平松なんて云うから、――ああそうか」と彼は気がついて苦笑した、「平松はおれだったか、わかった、すぐまいりますと云ってくれ」
正四郎は一と区切ついたところで筆を置き、田原権右衛門ごんえもんの部屋へいった。田原は中老の筆頭で、松山という書役になにか口述していたが、はいって来た正四郎を見ると口述を中止し、書役を去らせて、正四郎に坐れという手まねをした。正四郎は坐った。
「おまえはいつか、江戸のほうにあとくされはないと云ったな」と田原が訊きいた。
「はい、そう申しました」
「加島家と縁談の始まったときだ、覚えているか」
「はい、覚えています」
「私はおまえの行状を知っているから念を押して慥たしかめた、もしや江戸のほうに縁の切れてない女などがいはしないか、いるなら正直にいると云うがいいと、そうだろう」
正四郎は頷うなずいた。彼の顔にはほんのかすかではあるが、不安そうな、おちつかない色があらわれたけれども、それはすぐに消えて、こんどは力づよく頷き、そして確信ありげに云った、「仰おっしゃるとおりです、それに相違ございません」
田原権右衛門は口を片方へねじ下げたので、皺しわの多いその顔が、そちらへ歪ゆがみ、まるでべっかんこでもするようにみえた。
「では訊くが、いまおまえの家にいる娘は、どういう関係の者だ」
「私の家にですか」正四郎は唾をのんだ、「私の家には娘などおりませんが」
「いるから訊くんだ」
「それはなにかの間違いです」彼の語調はそこでちょっとよろめいた、「御承知のように、御勘定仕切の監査のため、私は三日まえからこの城中に詰め切っています、ですから、留守になにがあったかは知りませんが、三日まえに家を出るまでは」
「おまえの家に娘がいるのだ」田原はひそめた声できめつけた、「しかもそれを、加島どのの御息女が見て来られたのだ」
正四郎は口をあいた、「――ともえどのがですか」
「ともえどのは昨日、おまえが非番だと思って訪ねてゆかれた」そこで田原はまた口を片方へねじ下げた、「手作りの牡丹ぼたんを持参され、おまえが城中へ詰めていると聞かれたので、家扶かふの吉塚よしづかに壺を出させ、おまえの居間へ活けて帰られた、そのとき見知らぬ娘がいるので、どういう者かと問い糺ただしたところ、吉塚助十郎はたいそう当惑し、すぐには返辞ができなかった、やがてしどろもどろに、主人を訪ねてまいったのだが、どこから来たとも云わず名もなのらない、もちろん自分も見たことのない顔である、と申したそうだ」
正四郎の喉のどでこくっという音がし、眼には狼狽ろうばいの色があらわれた。
「それはなにかの間違いです」と彼は心もとなげに云った、「そんな女は私にも心当りはありませんし、下城したら早速」
田原権右衛門は遮って云った、「加島家から厳重な抗議が来ている、もしそれがおまえとくされ縁のある女なら、縁談はとりやめになるからそう思え」
「そんなことはありません、間違いにきまっていますから、お役があきしだい下城して、なに者がどうしてそんなことをしたか、よくしらべたうえすぐお知らせにあがります」
「用はそれだけだ」と田原が云った。
勘定仕切の監査は明くる日までかかった。そのあいだまる一日半という時間の経過が、正四郎にとってはもどかしいほど長く、またあまりに短く感じられた。早く事実を慥かめたい気持と、事実に当面するときを延ばしたい気持とが、表と裏から彼を責めたてたのである。
――たしかにおれは模範的人間じゃあない。
謙遜けんそんして云うことがゆるされるなら、道楽者と呼ばれる類に属するかもしれない、と正四郎は思った。しかしおれは芯しんからの道楽者ではない。あやまちを犯したあとでは、もう二度とこんなことはやるまいと、自分に誓うくらいの良心は持っていた。他人は信じないかもしれないが、女と切れるときも、無情だったり卑怯ひきょうだったりしたことはなかった。別れるときにはするだけのことをして、きれいさっぱり別れたものだ。
――本当にそうか、そうでなかった例は一度もないか、本当にか。
正四郎は考えこみ、それから、確信があるとは思えないような眼つきで、「ない」と心の中で呟つぶやいた。とすれば、訪ねて来て家にいるという女はなんだ。あの女はなに者だ、どういうわけのある女だ、おまえのなんだ。そう問い詰める田原権右衛門の声が、耳の中でがんがん響きわたるように思えた。
「平松さん」と勘定方の若侍が来て云った、「こちらの帳簿はもう済んだのでしょうか」
「ひら、――ああそうか、うん」と云って、正四郎は眼がさめたように首を振った、「それはまだ済まない、もう少し待ってくれ」
野上というその勘定方の若侍は、声をひそめて云った、「なにか御心配なことでもあるのですか」
正四郎は笑ってみせた。
「それならいいですが」と野上は云った、「下城したら石垣いしがき町の梅ノ井でお待ち申していると、村田どのからの伝言でございます」
勘定仕切が終ると、慰労の宴をするのが毎年のしきたりであった。正四郎が監査役になってからあしかけ三年、去年も石垣町の梅ノ井で酒宴があり、彼は江戸仕込みの蘊蓄うんちくのほどをみせて喝采かっさいを博した。今年は勘定奉行が交代して、村田六兵衛という老人になった。偏屈で有名な人物だと聞いていたし、今日はそれどころではないので、正四郎はきっぱりと断わった。
「だめですって」と野上は訊き返した、「どうしてですか」
「どうしてとはなんだ」正四郎は思わず高い声になった、「理由を云わなければいけないのか」
野上平馬は口をあき、なにやら云い訳めいたことを呟きながら、いそいで去った。
監査役の元締もとじまりは次席家老沢田孝之進で、監査に当るのは十人、平松正四郎はその支配であった。すっかり終ったのが午後五時、沢田老職に報告を済ませると、正四郎はまっすぐに堰端せきばたの家へ帰った。
二
田原権右衛門の云ったとおり、家にはその娘がいた。正四郎は娘に会うまえに、まず家扶の吉塚助十郎から仔細しさいを聞いた。
「一昨々日の午ひるまえでございました」と吉塚は話しだした、「玄関の内村がまいりまして、旦那さまに会いたいと、若い婦人が訪ねてみえたと申しますので、私はどきりと致しました」
三人の家士や小者、召使たちはこの城下の者だが、吉塚助十郎とその妻のむらは江戸から伴つれて来た。正四郎の父は岩井勘解由かげゆといって、信濃守景之しなののかみかげゆきの側用人そばようにんであるが、吉塚は先代から岩井家に仕えてい、正四郎が国許くにもとへ来るに当り、父が選んで付けてよこした。したがって、江戸における正四郎の行状をよく知っているから、女が訪ねて来たと聞いて驚いたのも、むりではなかったかもしれない。
「挨拶に出てみますとまったく見覚えのない方で、主人はお役目のため両三日城中から戻らぬ、と私は申しました」と吉塚は続けた、「ことづけがあったら申伝えましょう、いずれのどなたさまですかと訊きましたが、黙って立っているだけで返辞をなさいません」
娘の髪かたちやみなりは武家ふうであるが、見ると着物は泥だらけで、ところどころかぎ裂きができているし、髪の毛も乱れ、顔や手足にもかわいた泥が付いてい、履物は藁草履わらぞうりであった。
「なにかわけがあって来たのか、住居はどこかと繰り返し訊きましたが、ただ平松正四郎さまにお会いしたいと云うばかりで、そのうちにふらふらとそこへ倒れてしまいました」
「玄関でか」
「玄関でございます」と吉塚が云った。
やむを得ないので座敷へ抱きあげ、妻のむらに介抱をさせた。飢と疲労で倒れたらしい、気がつくのを待って、風呂へ入れてやり、むらの着物を着せ、それから食事はと訊くと、黙って頷いたようすが、いじらしいほどひもじさを示していた。食事をさせたあとで少し横にならせよう、疲れが直ったら仔細がわかるだろうから。むらがそう云うので、吉塚はその娘を妻女に任せた。
「娘はむらの云うことをすなおに聞き、食事のあとで横になると、二刻あまりもよく眠りました」と吉塚が続けて云った、「――眼がさめたので洗面をさせ、鏡台の前へ坐らせたが、自分ではなにもしようともしません、そこで妻が髪を直してやりながらいろいろ訊いたそうです」
だが娘は「正四郎に会う」ということ以外、なにも記憶していなかった。自分の家がどこにあるかも、自分の名さえもわからない。もちろん正四郎に会う目的もわかっていない、ということであった。
「おかしな話だ、くさいぞこれは」と正四郎は云った、「どこかにくさいところがある、なにかこれには裏があるぞ」
吉塚助十郎はなにも云わなかった。
「その、――」と正四郎が訊いた、「加島のともえどのが来たとき、その娘を見たということだが、どこにいたんだ」
「お庭を歩いていたようです」と吉塚が答えた、「申上げたようなわけで、追い出すということもできません、貴方あなたがお帰りになればなにかわかるかと存じましたので」
正四郎は手をあげて遮った、「それはいい、そんなことは構わないが、――こいつはうっかりするととんだことになるぞ」
「とにかく」と吉塚が云った、「お会いになってみてはいかがですか」
「よし会おう」ちょっと考えてから正四郎は頷いた、「客間へとおしておいてくれ」
家扶が娘を案内したと云いに来てから、約四半刻ときして正四郎は客間へいった。そのまえに彼は次の間から、襖ふすまを少しあけて覗のぞいて見、まったく見覚えのない顔だということを慥かめた。
――誰かのいたずらか、罠わなだ。
彼はそう思い、そんな手に乗るおれかと、些いささかきおいこんで客間へはいっていった。娘は十七か八くらいにみえた。ふっくりとした顔だちで、顎あごが二重にくびれ、眼も口も、小さく、鼻がほんの少ししゃくれている。躯からだも小柄のようであるし、肩もまるく小さかった。むらの物を借りたのであろう、地味な鼠色小紋の着物に、黒っぽい帯をしめ、頭には蒔絵まきえの櫛くしと、平打ちの銀の釵かんざしをさしていた。正四郎がこれだけのことを観察するあいだ、娘は眼を伏せたままじっと坐っていた。
「私が平松正四郎です」彼は切り口上で云った、「どういうご用ですか」
娘は眼をあげて彼を見た。彼はその眼を強く見返した。娘の小さな眼がぼうとなり、小さな唇がわなないたとみると、膝ひざの上で両手を握りしめながら、やわらかにうなだれた。
「私は貴女あなたを知らない」と正四郎は云った、「貴女はこの私を知っていますか」
娘はうなだれたまま、ゆっくりと、かすかにかぶりを振った。
「私が貴女を知らず、貴女も私を知らないのに」彼は容赦なく云った、「どうしてここへ訪ねて来られたのですか」
三
娘はうなだれたまま、それが自分でもわからないのだ、と囁ささやくような声で答えた。正四郎は娘をみつめていた。芝居をしてもだめだ、こんな子供騙だましにひっかかるような正さまじゃあねえ、お門ちがいだと、心の中であざ笑いながら。たぶん泣きだすだろうと思ったが、娘は泣かなかった。
「どういうことなのでしょうか」と娘はゆったりとした口ぶりで云った、「平松正四郎さまというお名のほか、わたくしなにも覚えておりませんの、自分がどこから来たかも、なんという名であるかも、どうしてここへまいったかも、まるでものに憑つかれたか、夢でもみているような気持でございます」
「では私にもどうしようもないですね」正四郎は冷淡に云った、「――人を訪ねる約束がありますから、これで失礼します」
そして彼は立ちあがった。
家扶の吉塚は、どうだったか、と訊いた。正四郎はわからないと答えた。なにか曰いわくがあるに違いないが、どんなからくりなのか見当がつかない。いずれにしてもかかわらないほうがいいから、すぐこの家を出ていってもらえ、おれは田原へいって来る、と正四郎は云った。そして、そのまま家をでかけ、竹坂の田原家を訪ねて権右衛門に会った。
「申上げたとおりです」正四郎は昂然こうぜんと云った、「私の知らない娘ですし、娘のほうでも私を知りません、まったく関係のない人間でございます」
「それならいいが」と云いかけて、田原は訝いぶかしそうに彼を見た、「――娘のほうでもおまえを知らないって」
「はい、当人がそう申しました」
「おかしいじゃないか、知らない娘が知らないおまえになんの用があって来たんだ」
「それもわからないというわけです」
正四郎は事情を語った。話の筋がとおらないので、田原権右衛門はなかなか納得しなかった。そこで正四郎は、誰かのいたずらか罠ではないかと思うと云った。――彼は岩井勘解由の三男に生れ、二十五歳まで部屋住であった。それが廃家になっていた平松を再興することになり、彼がその当主に選ばれた。平松は藩の名門で、旧禄きゅうろくは九百石あまり、家格は老職に属していた。再興された家禄はその半分の四百五十石、家格は参座さんざといって老職に次ぎ、老職に空席ができればそこへ直る位置にあった。
「そのうえ御城代の御息女と縁組ができたのですから、私に好意を持つ者ばかりはないでしょう」と彼は云った、「ことによると私が江戸にいたころの噂うわさを知っていて、いたずら半分に縁組だけでも破談にさせようと」
「ばかなことを」と田原は遮った、「仮にも侍たる者が、そんな卑しいまねをする筈はない、そんなことを想像するおまえ自身を恥じなければならん」
国許は国許同志であいみ互いか、と正四郎は心の中で思った。
「はい、では私自身を恥じます」と彼は云った、「それと、娘はすぐに出てゆかせるように命じましたから、どうぞお含みおき下さい」
「覚えておこう」と田原は頷いた。
田原権右衛門は昔から、父の勘解由と親しくつきあっている。そのため彼が江戸から来ると、父の依頼で監督者のような立場になった。城代家老の加島大学が、娘を遣やろうと云いだしたのも、権右衛門の奔走らしいし、ともえという加島の娘も、彼はたいそう気にいっており、たとえば彼女が足軽の娘であっても、ぜひ妻に貰いたいと思うくらいで、正四郎は大いに田原老職に恩義を感じていたのであるが、こんどの出来事でその熱が少しさめた。城中で呼びつけたときの態度も冷たかったし、今日はまた面と向って、「自分を恥じろ」とまで云った。彼としては、あいそ笑いをしているところへ水でもぶちかけられたようなぐあいで、少なからずむっとせざるを得なかったのである。
「国許の人間は聖人君子ばかり、とでも云いたげな口ぶりじゃないか」外へ出ると正四郎はいまいましげに呟いた、「誰かのいやがらせでなくってどうしてこんなことが起こるんだ、江戸ならもうちっと気のきいた手を打つぜ、へっ、田舎者はすることまで間拍子が合やあしねえや」
正四郎は唾を吐き、すると、空腹なことに気がついた。よし、梅ノ井へいってやろう、と彼は思った。慰労の宴はちょうど活気づいたじぶんだろう、でかけていって暴あばれ飲みをしてやるか、そう思って彼は石垣町のほうへいそいだ。――正四郎はよく飲み、よくうたい、よく踊った。一座の中に敵でもいるような挑戦的な気分で、騒ぐだけ騒いだうえ酔い潰つぶれてしまい、勘定方の者二人に、家まで担がれるようにして帰ったそうであるが、自分では殆んど覚えがなかった。
翌朝、眼がさめてみると、雨が降っていた。三日間は慰労のため非番なので、誰も起こしに来ないのをいいことに、もう一と眠りと思ったが、酔いざめの水を飲んでいるうちに、ひょいと顔をあげ、そのまま、なにを見るともなく眸子ひとみを凝らしていた。そうか、とやがて彼は呟いた。そうだ、そうすればよかった、そうすればからくりがわかったんだ。そして彼は勢いよく起きあがり、寝衣ねまきのまま家扶の部屋へいった。
吉塚助十郎は茶を飲んでいた。
「あの娘はどうした」と正四郎はいきなり訊いた、「追い出してしまったか」
吉塚は湯呑を置いて、「それが、その」と口ごもって云った、「着物のかぎ裂きなどを繕っておりましたので、まだその」
「よし、それでよし」と彼は云った、「そのほうがよかったんだ、ちょっと考えたことがあるから、追い出すのは夕方にしてくれ、どいつの仕業かおれがつきとめてやる」
不審そうな顔をする吉塚助十郎に、彼はなにごとか囁き、寝間へ戻って横になった。正四郎は午ちょっとまえに起き、食事をしてまた寝間へはいった。五日間の疲れもあったし、これから自分のすることについて、充分に検討しておきたかったからである。――問題は簡単なのでいつか眠ってしまい、吉塚に起こされたのは三時過ぎであった。雨はさかんに降っており、助十郎は浮かない顔をしていた。娘は本当にゆく先がないらしい、どうも追い出すのは気が咎とがめる、と云う。もし許してくれるなら、自分たち夫婦で暫く面倒をみてやりたい、などとも云った。
「だめだ、そこが向うの覘ねらいなんだ」と彼は首を振った、「そんなことをすれば田原に疑われて、加島さんとの縁組がこわれてしまう、いいからおれの云うとおりにしろ」
吉塚は、「たのもしからぬお人だ」とでも云いたげに正四郎を見、それから、蓑みのも笠かさも揃そろえてあると云った。
それからまもなく、正四郎は蓑を着、筍笠たけのこがさをかぶり、尻端折しりっぱしょりのから脛ずねに草鞋わらじばきで、家から一丁ほどはなれた、道の辻つじに立っていた。三月下旬だから寒くはない。脇差だけ一本、蓑から出ないように鐺下こじりさがりに差し、横眼で自分の家のほうを見張っていると、やがて門の外へ娘が出て来た。
「いい雨だ」と彼は呟いた、「この降りのなかでは芝居もそう長くは続かないだろう、さあ始めてくれ」
吉塚夫妻の世話だろう、娘は雨合羽あまがっぱを着、脚絆きゃはんに草鞋ばきで、背中へ斜めに小さな包を結びつけ、唐傘からかさをさしていた。門から出たところで、ちょっと左右を眺め、すぐにこっちへ歩いて来た。正四郎は辻へはいってやりすごし、そうして、十間ばかりあいだをおいてあとを跟つけた。
娘は大手筋を左へ曲り、そのまま城下町をぬけて、畦道あぜみちを本街道のほうへ歩いていった。いそぐようすもなく、立停りもしなかった。左右を見るとか、振返るということもない。同じ足どりで、なにか眼に見えないものにでも導かれるように、まっすぐに歩いて行くのである。井倉川の橋を渡り、島田新田も過ぎ、あたりは黄昏たそがれ始めた。
「おい、どうするつもりだ」正四郎は口の中で云った、「まだ芝居を続ける気か、それともなかまがそっちにいるのか」
朝からの強い雨で、往来の人も殆んどない。ときたま馬を曳ひいた農夫などと会うが、娘はそれも眼に入らぬというふうで、ますます昏くらくなる雨の道を歩き続けるのであった。正四郎は首をかしげた。おれが跟けていることを勘づいたのかな、いや、そうは思えない。それなら少なくともそぶりでわかる、とすると、なにもわからないと云うのが本当なのか。彼は高頬たかほおの、笠の紐ひもの当っているところへ、指を入れて掻かいた。
「まあ待て」と彼は自分に云った、「もう少しようすをみよう」
四
城下町から約一里半、まもなく本街道へ出ようとするところで、娘は道の脇にある観音堂へはいっていった。痩やせた松が五六本と、石碑のようなものが三つ建っているだけで、堂守りもいないという小さなものであるが、それでも縁側へあがれば雨をよけることはできた。――正四郎は通りすぎながら、娘が屋根の下へはいり、傘をすぼめるのを見、二丁ばかりいってから引返して来ると、娘に気づかれないように、その堂の横から裏へまわって、これも屋根の下へ身をひそめた。
「よく降りゃあがるな」彼は身ぶるいをしながら呟いた、「いつになったらあがるんだ、こいつはひでえことになりやがったぞ」
さっきは有難い雨だと思ったが、事が少しも進展せず、日昏ひぐれとともに気温もさがり始め、しかもこう降りどおしに降られてみると、芯まで水浸しになったようで、いきごんでいた気持もどうやら挫くじけかかって来た。娘はなにをしているのか、――彼は足音をぬすみながら、ごくゆっくりと前のほうへまわっていった。そしてかぶっている笠をぬぎ、堂の角からそっと覗いて見た。娘は縁側に腰をかけ、両肱ひじを膝ひざに突き、顔を手で掩おおっていた。よく見ると、躯が小刻みにふるえてる、かすかに「おかあさま」と云うのが聞えた。泣いているのだろう、その声は鼻に詰って、いかにも弱よわしく、そして絶望的なひびきを持っていた。
――これも芝居なのか。
ここまで芝居を続けるということが考えられるか。自分にこう問いかけながら、正四郎は胃のあたりにするどい痛みがはしるのを感じた。
「おかあさま」と咽むせびあげる娘の声が聞えた、「――おかあさま」
正四郎は笠をかぶり、紐をしめた。そのとき道のほうで男の声がし、濃くなった黄昏の雨の中で、二人の男がこっちを見て立停った。正四郎はすばやくうしろへさがり、二人の男は道からこっちへ近よって来た。
――なかまか。
娘のなかまかと思い、ようすをうかがっていると、男たちの娘に話しかける声が聞えた。どちらも酔っているらしい、言葉つきから察すると、馬子まごか駕籠舁かごかきのように思えた。
「ねえちゃんどうしたね」と一人が云った、「こんなところにいまじぶんなにをしているんだ、旅装束でこんなところにぼんやりしていて、伴れでも待ってるのかい」
「え、――なんだって」ともう一人が云った、「もっと大きな声で云わなくちゃわかりゃしねえ、どうしたってんだ」
それからまをおいて、「おめえ家出をして来たのか」とか、「娘一人じゃあ危ねえ」とか、「おれたちがいい宿へ案内してやろう」などと云うのが聞えた。娘の言葉はなにも聞えなかったが、どうやら二人に説き伏せられたもようなので、正四郎はそっちへ出ていった。男たちは頭から雨合羽をかぶってい、一人が娘の手を取り、他の一人が傘をひろげていた。
「おい待て、それはおれの伴れだぞ」と彼は呼びかけた、「きさまたちなに者だ」
男たちはとびあがりそうになった。
「吃驚びっくりするじゃねえか、おどかすな」と傘を持った男が吃どもりながら云った、「そう云うてめえこそ誰だ」
「その娘の伴れだ」
「ふざけるな」と娘の手を取っている男がどなり返した、「伴れならどうして放っぽりだしにしておくんだ、いまごろのこのこ出て来やあがって、てめえこの娘をかどわかそうとでもいうつもりだろう」
「そうだ、そんなこんたんにちげえねえ」と傘を持った男が云った、「娘さん、おめえこの男を知っていなさるのか」
娘は脇のほうを向いたままで、そっとかぶりを振った。
「私だぞ」と正四郎が呼びかけた、「平松正四郎だ、忘れたのか」
「いいかげんにしろ、娘さんは知らねえって云ってるじゃねえか」と傘を持った男が遮った、「おれたちは本宿の駕籠徳の者で、おれは源次こっちは六三、街道筋ではちっとばかり名を知られた人間だ、へんなまねをしやあがるとただあおかねえぞ」
「そうか、駕籠徳の者か」と云って正四郎は笠をぬいだ、「それならこの顔を覚えているだろう、おれは城下の堰端にいる平松正四郎だ」
二人の男は沈黙した。夕闇のほの明りではあるが、正四郎の顔ぐらいは判別がつく。六三という男がまず、握っていた娘の手を放しながら「旦那だ」と呟いた。
「おい源次、いけねえ」と六三が慌てた声で、手を振りながら云った、「堰端の平松さまだ、こりゃあとんでもねえまちげえだぜ」
「おめえ知ってるのか」
「うちのごひいきの旦那だ」六三はまた手を振り、正四郎に向っておじぎをした、「まことにどうも申し訳ありません、おみなりが変っているんで気がつきませんでした、わかればあんなきざなことは申上げなかったんで、へえ、やい源次、てめえも早くあやまらねえか」
「いや、わかればいいんだ」と正四郎は頷いた、「街道筋で名を知られたあにいたちにあやまらせる事は罪だからな」
「ひらに、どうかひらに」六三は頭へ手をやりながらおじぎをした、「このとおりですからどうか勘弁してやっておくんなさい」
「しかし、どうして」と源次がまだ不審そうに云った、「どうしてこの、旦那のお伴れは旦那を知らねえと云ったんですかね」
「それはおれにもわからない」と正四郎が云った、「この娘にはちょっとこみいった仔細があって、一と口で話すことはできないが、おれがかどわかしでないことだけは証明できると思う」
そして彼は娘のほうへ近よった。
「どうして私を知らないと云うんだ」と彼は娘に云った、「私が平松正四郎だということを忘れたのか」
娘はうなだれたまま答えなかった。
「本当に私を知らないのか――」
「わたくしは」と娘は低い声で云った、「――わたくしがいては、平松さまの御迷惑になると、うかがいましたので」
とぎれとぎれの、低く細い声であった。吉塚が話したのであろう、彼女がいては加島家との縁組に故障ができる、そう云って因果をふくめたに違いない。正四郎は顔を仰向けて深い呼吸をした。
「その話はあとのことだ」と彼は感情を抑えた口ぶりで云った、「いっしょに家へ帰ってくれ、私が頼む、帰っておくれ」
娘は答えなかった。
「旦那の仰しゃるようにしたらいいでしょう」と六三が娘に云った、「こんな雨でもあるし、うろうろしているととんでもねえことになりますぜ」
五
それから七日経って、正四郎は田原権右衛門の自宅へ呼びつけられた。田原家のある竹坂というのは町名で、実際には坂というほどの勾配こうばいはないのだが、そのゆるやかな坂道は赭土あかつちなので、ちょっと雨が降ってもひどいぬかるみになる。そのときもまえの雨ですっかりこね返されてい、田原家へ着くまでには汗まみれになっていたし、背中まで泥がはねていた。
田原権右衛門の話は、予期したとおりあの娘のことであった。正四郎は事情をよく語り、家扶夫妻も望むので、二人に預けて世話をさせていると答えた。黙って、ふきげんに聞いていた田原は、廊下越しに庭のほうを眺めながら、無表情に云った。
「それがおまえの申し訳か」
「私は」と彼は云った、「事実を申上げているのです」
「噂はすっかり弘ひろまっている、本宿のほうでも評判になっているそうだが、加島家へはどう挨拶するつもりだ」
「これはわたくしごとで、加島家とはなんの関係もありません、したがって、べつに挨拶をするとか弁明をする、などという筋合はないと思うのです」と彼は云った、「あの娘は自分の家も知らず、ゆく先も、自分の名さえも覚えていません」
「それはもう聞いた」
「雨に降りこめられた夕闇の辻堂の中で」と彼は口早に続けた、「その夜の泊りもわからず、途方にくれて泣きながら、おかあさまと呼んでいる姿をごらんになったら、貴方にも見ぬふりはできないことでしょう」
「加島家から苦情が来ている」田原はまた庭のほうを見た、「その娘がまったく縁もゆかりもないのなら、そんな者のために大切な縁談をこわすことはない、もういちど私が口をきくから、娘はすぐ家から出てゆかせるがいい」
正四郎は額をあげて云った、「私には、あの娘を追い出すことはできません」
「そんなことを云い切っていいのか」
「私にはできません、理由はわかりませんが、とにかく私一人を頼みにして来た、ほかに頼る者がいないのですから」
田原権右衛門は暫くして云った、「――では、加島家のほうは破談にしよう」
「やむを得ません」と彼は云った、「これだけの事情をわかって頂けないとすれば、私としてもお心のままにと申上げるほかはありません」
「わかった、用事はこれだけだ」
正四郎は田原家を辞した。
彼は自分が正当だと信じているわけではない。世間一般からみれば、婚約者のある者が身許の知れない娘を、家に置くというのは非難されることかもしれないと思う。しかしこの場合は事情が違うのである。その事情の特殊な点を理解しようとせず、ただ世評や面目だけにこだわるとすれば、かれらのほうこそ非難されるべきではないか、と正四郎は思った。
「城代の娘を貰ったってなんだ」と彼はいきごんで呟いた、「女房の縁で出世をする、などと云われるくらいがおちじゃないか、こっちでまっぴらだ」
鮮やかな印象に残っているともえの、美しく賢さかしげな姿を掻き消そうとでもするように、正四郎は顔をしかめながら強く首を振るのであった。
吉塚の妻女のむらは、娘にふさという仮の名を付けた。江戸で嫁にやった自分の娘の名であるが、たいそう気性もよく、嫁にいったさきでもずっと仕合せになっているから、娘にあやかるようにと思って付けた、ということであった。――吉塚夫妻には喜兵衛という子があり、結婚して孫も一人できたが、これは江戸小姓役を勤めており、こちらでは夫婦だけのくらしなので、娘の世話をすることはたのしみのようであった。ことに妻女のむらは娘を哀れがり、身のまわりの面倒をみてやりながら、どうかして彼女の記憶をよびさまそうと、辛抱づよくいろいろとこころみたらしい。幾人かの医者にも診察させてみたり、篠山しのやまというところの、権現滝にも打たせたりしたそうであるが、なにをやってみても効果はあらわれなかった。
「俗に神隠しとか、天狗てんぐに掠さらわれる、などということを申します」と或るとき吉塚が云った、「つい数年まえの話ですが、江戸の者が一夜で加賀の金沢へいった、自分ではなにも知らず、気がついてみると金沢城下で、日を慥かめたところ昨夜の今朝だった、ということです」
「うん」と彼は頷いた、「真偽はわからないが、その話は聞いたことがある」
「ほかにも大阪の者が知らぬまに長崎へいっているとか、いま座敷にいたと思った者が、そのまま行方知れずになって、何十年も戻らなかった、などという話がずいぶんございます、あの娘もそういう災難にあったのではないかと思いますが」
「そんなことが現実にあろうとは思えないけれども、――言葉の訛なまりなどで見当はつかないだろうか」
「言葉は江戸のようですが」と吉塚は首をかしげた、「しかし武家では、多少なりともその領地の訛りがうつりますし、それが江戸言葉と混り合いますから、どこの訛りという判断はむずかしかろうと存じます」
「では時期の来るのを待つだけだな」
「あるいは」と吉塚は主人の気持をさぐるように云った、「このままなにも思いださずに終るかもしれません」
正四郎はなにも云わなかった。
秋になるまで、正四郎はともえと三度、道の上で出会った。彼は思い切ったつもりでいながら、心の底には充分みれんがあったので、目礼をするときには、自分で顔の赤くなるのがわかった。ともえは三度とも盛装で、ひときわ美しく、小者と侍女を伴れていたが、彼の目礼をまったく無視し、路傍の人を見るほどの眼つきもせずに歩み去った。彼は恥ずかしさと屈辱のために、もっと赤くなり、汗をかいた。
「これでいいだろう」三度めのときに、彼は自分で頷いた、「うん、もうこれでいい、これできれいさっぱりだ」
そのころから、彼の身のまわりのことはふさが受持つようになった。正四郎にとっても、母親のようなむらより、若いふさのほうがよかったし、ふさはまた極めて早く、彼の気ごころや好みを理解していった。あとで考えると、吉塚夫妻がそのように躾けたらしいが、彼に仕えるふさの態度は、殆んど献身的といってもいいもので、彼はまたそんなにもおれが頼りなのかと思い、いじらしいという感情が、しだいに強くなるばかりであった。
「ふさどのはよほどお育ちがよいようでございますな」と吉塚が云った、「気性もしっかりしておられるし、挙措きょそ動作も優雅で、手蹟しゅせきのみごとなことはちょっと類のないくらいです」
六
吉塚夫妻だけでなく家の者たちみんなが、いつからかふさに敬称を付けるようになった、ということに、そのとき初めて正四郎は気がついた。
「あれで身許さえはっきりしていれば」と吉塚はさらに続けた、「どんな大身たいしんへ輿入こしいれをされても、決して恥ずかしくないでしょう、まことに惜しいようなお人柄です」
家扶かふがなにを云いたがっているか、正四郎にはもう察しがついていた。
「つまり」と彼は云った、「おれにふさを貰えということか」
「それはいかがでございますかな」吉塚は考えぶかそうに云った、「御当家は名門ですし、ふさどのは身許のわからない方ですから、貴方がそのおつもりでも、おそらく老臣がたがお許しにはなるまいと思います」
「老臣がた――」彼の眼が光った、それは紛れもなく敵意と反抗をあらわしていた、「ふん」と彼は冷笑した、「名門といったところで、平松は廃家になっていたものだし、おれはその養子にすぎないじゃないか、嫁選びに干渉されるほどの家柄でもないだろう」
こうして正四郎の気持は、田原権右衛門やともえに対する反抗から、動きだしたようであった。もちろんふさが好きでなかったら、そうむきにはならなかったであろう。彼女がいつ過去のことを思いだすかわからないし、そのとき事情がどう変るかも予測はつかない。そんな不安定な立場の者を娶めとるというのは冒険である。だが正四郎はいさましく、しかも田原権右衛門にぶつかっていった。
――吃驚びっくりして腰でもぬかすな。
こう思って正面から斬り込んだ。娘にふさという名を付けたこと、自分はふさを妻に直すつもりであること、ついてはふさを田原家の養女にしてもらいたいこと、などを挑戦的な口ぶりで申述べた。あたまからどなりつけられ、拒絶されるものと覚悟をしていたのであるが、田原はどなりもせず、腰をぬかすほど驚きもしなかった。話し終るまで黙って聞いていたし、話が終ってからも暫く黙っていた。その顔には困惑の色がみえたけれども、怒ったようすは少しもなかった。
「ちょっとむずかしいな」やがて田原は静かに云った、「加島家のほうが破談になってまだまがないし、この十二月には殿の御帰国で勘解由どのも供をして来られるから、そのとき相談のうえということにしてはどうか」
正四郎はちょっとわくわくした。
「それでも結構ですが」と彼は云った、「――貴方の御意見はどうでしょうか」
「おれの意見」と云って田原は屹きっと彼をにらんだ、「おれの意見によっては思案を変えるとでもいうのか」
正四郎は言葉に詰った。田原権右衛門の態度が予想を裏切って、殆んど好意を示すようにみえたため、うれしくなってつい失言してしまった。だらしのないやつだ、まるで追従ついしょうじゃないか、と彼は自分に舌打ちをした。
「口がすべりました」彼はいさぎよく低頭して云った、「仰しゃるとおり父が来るまで待ちます、いま申上げたことはお忘れ下さい」
彼は明るい気分で田原家を出た。
十二月十日に藩主が帰国し、側用人である父の勘解由もその供をして来た。そうして田原と父と話しあった結果、ふさを娶るということは正式に認められ、年が明けて二月八日に祝言がおこなわれた。ふさは田原家の養女となり、仲人は中老の沢橋八郎兵衛であった。――祝言から二日めのことであるが、勘解由は正四郎を呼んで、おてまえほど親にさからうやつはない、と怒った。よく聞いてみると、加島家との縁談は父の奔走によるもので、田原は取次をしたにすぎない、ということであった。
「加島家と親族になることは、おまえの将来にどれほど役立つかわからない」と父は云った、「おまえはたぶん、妻の縁故で出世するなどとは恥辱だとでも思ったのだろうが、そんな青くさい考えでは、平松という名門の家を再興させることはむずかしいぞ」
正四郎は黙っていた。問題がこうなったのは自分の責任ではない、自分はともえを貰いたかったのだ、そう云おうとしたが、いまさら弁解したところでどうなるものでもなし、いまではふさを愛してい、現に結婚したという事実があるので、黙って小言を聞くよりしようがないと思った。
「ふさとの結婚も、田原が熱心にすすめたから承知したのだ」と勘解由は云った、「そこをよく考えて、これからのち家中かちゅうのもの笑いにならぬよう、しっかりやらなければいけないぞ」
正四郎は黙って辞儀をした。
ふさとの生活は順調にいった。勘解由は城中に寝泊りしていたが、十日に一度くらいの割で訪ねて来、ごく稀まれに泊ってゆくというふうであったが、十日に一度が七日に一度となり、夏のころには五日め三日めと、だんだん訪ねて来る度数が多くなったし、泊ってゆく例も多くなるばかりだった。――口には出さないが、よほどふさが気にいったようすで、来るとふさを側からはなさず、夕餉ゆうげのあとで酒を飲みだしたりすると、酌をさせながらいい機嫌に話し興じて、寝るのも忘れるというようなことさえしばしばあった。
「父上、もう四つ半(十一時)を過ぎましたよ」とがまんを切らして正四郎が云う、「朝が早いんですからこのくらいにしておいて下さい」
「おれに遠慮するな」と勘解由は手を振る、「おまえは構わず寝てしまえ、おれはもう少し飲むからふさは借りて置くぞ」
ふさは特にもてなしがうまいというわけではない。背丈のやや高い躯つきも、剃そりあとの霞かすんでいるような眉や、ふっくりとくびれた顎のめだつ顔つきも、おっとりとしめやかで、立ち居や口のききかたは、むしろ間伸びがしているといってもよかった。吉塚助十郎が「優雅だ」と云ったのはそういうところをさしたのであろう。見馴れるにつれて、その間伸びのした動作や口ぶりが、こちらの気持までゆったりとおちつかせ、なごやかにさせるようであった。初めに吉塚夫妻、次に家士や小者たち、そして勘解由までが彼女に惹ひかれたのも、そういう点に魅力を感じたからに相違ない。父がふさを相手に、飲みながら話し飽かないようすは、みるからにたのしそうで、正四郎は思いがけない孝行をしているような、誇りかな気分を味わうのであった。
十月下旬、信濃守景之は参覲さんきんで出府し、勘解由もその供をして去ったが、出立のまえの日に訪ねて来て、ふさに「世話になった」とかなり多額な餞別せんべつを与え、また正四郎を呼んで、ふさを大事にしろと云った。
「おまえなどには勿体もったいないような嫁だぞ」と勘解由は云った、「――こんど来るときには孫の顔を見せてくれ」
七
勘解由にはもう孫が一人あった。江戸にいる長男、幸二郎の子で鶴之助つるのすけといい、もう三歳になったのである。したがって、「こんど来たときは孫の顔を見せてくれ」という言葉はふさに対する愛情の深さを示すものだ、と正四郎は思った。
十一月に加島家のともえが結婚した。相手は納戸奉行なんどぶぎょうの長男で、渡辺幾久馬きくまといった。彼は結婚するとまもなく、江戸詰の中小姓にあげられ、夫妻そろって城下を去った。それから初めて、田原権右衛門が正四郎とふさを自宅へ招き、自分も平松家へ訪ねて来るようになった。
「破談にした責任があるからな」と田原は苦笑しながら云った、「ともえどのが嫁とつぐまでは、往来を遠慮するほうがいいと思ったのだ」
それは田原へ二人が招かれたときのことであるが、さも肩の荷をおろしたというような権右衛門のようすを見て、正四郎はいつか父の云ったことを思いだし、腑ふにおちないので訊いてみた。
「父は貴方がふさをすすめて下すったように云っていましたが、本当ですか」
「それがどうかしたか」
「私は――」と彼はちょっとまごついた、「私は貴方が怒っていらっしゃるとばかり思っていました」
権右衛門はあいまいに笑った、「ふさのような娘をもし追い出していたら、そのときこそおれは本当に怒っただろう」
「しかし貴方はまだ、ふさを御存じなかった筈ですがね」
「まあいい、飲め」と田原は云った。
どうも納得のいかないところがあるので、帰宅してから吉塚助十郎に訊いてみた。そしてわかったことは、正四郎が登城している留守に、田原が訪ねて来てふさに会い、初対面ですっかり気にいったのだという。そのときの口ぶりでは、ともえとの縁組には初めから反対で、城代家老の女婿むすめむこになるなどとはつまらぬやつだ、ともらしたそうであった。正四郎はそれを聞いて唸うなった。
「それでは、あのとき怒ったのは体裁をつくるためだったのか」と彼は云った、「――いやなじじいだな」
いやなじじいなどとは云ったが、ここでもふさが人に好かれるということを慥たしかめて、彼は少なからず気をよくし、田原が訪ねて来るとできる限り歓待した。
年があけるとすぐ、吉塚の妻がふさの懐妊したことを告げた。彼はしめたと思った。これでまた父によろこんでもらえるぞ、――そう思っていたとき、それまでの幸福な生活に、初めて不吉な影がさした。正月下旬の或る夜半、寝所の襖ふすまがあいたので眼をさますと、寝衣ねまき姿でふさがはいって来た。妻のほうからおとずれるという例はなかったので、「どうかしたか」と彼は呼びかけた。ふさはその声が聞えなかったらしく、黙って戸納とだなのところへゆき、その前で立停った。
「ふさ」と彼はまた云った、「どうかしたのか」
ふさはじっと立っていて、それから口の中でそっと呟いた。
「お寝間から、こちらへ出て、ここが廊下になっていて」ふさは片手をゆらりと振り、なにかを思いだそうとして首をかしげた、「――廊下のここに、杉戸があって、それから」
正四郎はぞっとした。冷たい手でふいに背筋を撫なでられでもしたように、肌が粟立あわだつのをはっきりと感じ、われ知らず立ちあがって妻のほうへいった。ふさは過去のことを思いだしたのだ、と彼は直感した。その「過去」はふさを彼から奪い取るかもしれない、それを思いださせてはならない。彼はそう思って妻の肩へ手を置き、そっと囁くように云った。
「ふさ、眼をさませ」と彼は云った、「おまえ夢をみているんだ」
ふさはゆっくりと振返った。その顔はいつものふさのようではなかった。壁の表面のように平たく、無表情で、その眼はまるで見知らぬ他人を見るような、よそよそしい色を帯びていた。正四郎はまたぞっと総毛立った。
「ふさ」彼は妻の肩を掴つかんでゆすった、「眼をさませ、ふさ、おれだぞ」
するとふさの顔がゆるみ、全身の緊張のゆるむのがわかった。彼女はしなやかに良人おっとの胸へ凭もたれかかり、いかにも安堵あんどしたように溜息ためいきをもらした。
「わたくしどうしたのでしょう」
「こんなに冷えてしまった」彼は妻の背を撫でながら云った、「風邪をひくといけない、ここでいっしょに寝ておいで」
「わたくしなにか致しまして」
「なんでもないよ」彼は自分の夜具の中へ妻と横になり、じっと抱き緊めながら云った、「なにもしやあしない、夢をみていただけだ」
ふさは良人の腕の中で頷うなずき、まもなく静かな寝息をたてて眠った。
――躯の変調のためだ。
妊娠したために、躯の調子が狂ったのであろう。正四郎はそう思ったが、その夜の出来事は忘れられなかった。ふさは紛れもなく過去のことを思いだしたのだ。寝間をこっちへ出て、廊下のここに杉戸があって、――そう呟つぶやきながら首をかしげていた姿は、まえに住んでいた家の間取を思いだしたのに相違ない。そして、あの面おも変りのした顔と、他人を見るような冷やかな眼、――あのとき妻は過去の中にいたのだ。そんなことはないと、いくら否定してみても、自分の直感した事実は動かしようがなかった。
「いつかまた同じようなことが起こる」と彼は呟く、「こんどはもっとはっきりと、過去のすべてを思いだすかもしれない」
家にいても、登城していても、当分はそのことが頭から去らず、夜半に眼をさまして、そっと妻の寝所を覗いたことも幾たびかあった。そんなことが三十日ほど続くと、やがて彼も肚はらをきめた。
「いいじゃないか」と彼は自分に云った、「思いだした過去がどうであろうと、こっちはもう結婚してしまったし、身ごもってさえいるんだ、条件がどんなに悪くとも、この生活を毀こわすことができるものか」
正四郎は力んだ気持で、どんな相手があらわれようと決してあとへはひかぬぞ、と思った。
その後はなにごともなかった。ふさの躯は順調で、ちょっと夏痩せはしたが、秋になるとすっかり健康を恢復かいふくし、十月中旬に女の児を産んだ。赤児も丈夫だし、母躰にも異状はなかった。ふさは恥ずかしそうに、女の子ではお父さまががっかりなさるでしょう、と云った。正四郎は首を振って、江戸には男の孫があるから、女の子のほうが却かえってよろこぶだろう、と云った。――父の来るまで出産のことは知らせずにおくつもりだったが、信濃守景之が寺社奉行に任ぜられたため、父の来られないことがわかったので、半月ほどおくれたが、手紙で出産のことを知らせた。
八
子供には正四郎の母の名をもらってゆかと付けた。
「いいお名だこと」ふさはうれしそうに、産褥さんじょくで赤児に頬ずりをした、「――ゆかさん、可愛いきれいなゆかさん、お丈夫に育ってちょうだいね」
正四郎は枕許に坐って、涙ぐんだような眼つきで、そのようすを眺めていた。
穏やかに日は経っていった。ふさの肥立ひだちは好調で、乳も余るほど出たし、その翌年の三月、ゆかは麻疹はしかにかかったが、それも無事に済んだ。江戸の父からは「ゆかのようすを知らせろ」とうるさいほど云って来、母はふさに宛てて、子の育てかたを繰り返し書いてよこした。田原権右衛門もよく訪ねて来、これはまだ孫に恵まれないためだろう、危なっかしい手つきで抱いて、庭の中を飽きずに歩きまわったりした。
八月十五日の夜、正四郎は妻とゆかとの三人で月見をした。庭の芝生へ毛氈もうせんを敷き、月見の飾り物を前に酒肴しゅこうの膳ぜんを置いた。雪洞ぼんぼりをその左右に、蚊遣かやりを焚たかせ、正四郎もふさも浴衣にくつろいで坐った。かた言を云い始めたゆかは、屋外の食事が珍しいので、母と父の膝を往き来しながら上機嫌にはしゃぎ飾り物の団子だんごをたべるのだと、だだをこねて泣いたりした。これは明日焼いてたべるものだ、と正四郎がなだめると、ゆかはつんとして、「たあたまはあたらとちりろだ」などと云った。
「あたらとちりろとはなんだ」と彼は妻に訊いた。
「さあ、なんでしょうか」ふさはやわらかに微笑した、「田原さまがなにかお教えになったのでしょう、わたくし存じませんわ」
年寄は面白がって子供にかた言を云わせたがる、困ったものだと思ったが、彼は口には出さなかった。
平松家の庭はかなり広い、正面が松林のある丘で、その上に登ると城がよく見える。百坪ばかりの芝生には、ところどころ刈込んだ玉檜ひのきの植込があり、そこから右は梅林で、梅林の先は板塀になっていた。――月は松林の左の端から出た。空には雲が多いので、昇るとまもなく雲に隠れたが、青白く染まった雲が、黒い松林を鮮やかに映しだすさまも、一つの眺めであった。月が昇るとまもなく、ゆかがうとうとし始めたので、ふさは寝かしに伴れていった。
正四郎は独りで飲んでいたが、やがて、芝生で鳴く虫の声が止ったので、振返ってみるとふさが戻って来た。右手に銚子ちょうしを持って、いつものゆったりとした足どりで近よって来たが、ついそこまで来ると、ふと足を停めた。そのとき雲から月がぬけだして、ふさの顔が明るく浮きあがって見え、正四郎は持っている盃さかずきをとり落しそうになった。
――あの晩の顔だ。
ふさの顔は面変りをして硬ばり、大きくみひらかれた眼はなにかを捜し求めるように、庭の一点を凝視していた。正四郎は黙って、妻のようすを見まもった。耳の中で血がどっどっと脈搏うち、口をあかなければ呼吸ができなかった。ふさは歩きだした。梅林のほうへ向って、一歩ずつ拾うように、――正四郎も立ちあがり、はだしのまま妻のうしろから跟いていった。二十歩ばかりゆくとふさはまた立停った。
「これが笹の道で」とふさは呟いた、「そしてこの向うに、木戸があって――」
正四郎がそっと囁ささやいた、「さあ、それからさきを思いだすんだ、さあ、その木戸の外はどうなっている」
ふさは身動きもせず、口をつぐんだままじっと立っていた。
「ふさ――」彼はそっと妻の肩に手をかけ、低い囁き声で云った、「よく考えてごらん、それは自分の家なのか、おまえの家の庭なのか、木戸を出るとどこへゆけるんだ」
ふさはゆらっとよろめき、持っていた銚子を落した。正四郎は両手で妻を支えた。するとふさは吃驚したように良人を見て、躯をまっすぐにした。
「わたくしどうかしたのでしょうか」
いつもの顔、いつもの眼に返っていた。
「いまおまえは昔のことを思いだそうとしていたんだ」と彼は云った、「私が云うから眼をつむってごらん」
「いいえ」ふさはかぶりを振った、「わたくしこのままで仕合せですの、昔のことなど思いだしたくはございません」
「しかし思いだすときが来るんだ」と彼はやさしく云った、「おまえは覚えていないだろうが、まえにもいちどこんなことがあった、きっとまたいつか同じようなことがあるだろう、それならいっそ早いほうがいいじゃないか、さあ、眼をつむってごらん」
ふさは眼をつむった。
「いまおまえは、――」と彼は声をひそめて、ごくゆっくりと囁いた、「笹の道を歩いて来た、庭を歩いて来たのだろう、ここが笹の道だ、そして向うに木戸がある」
ふさは眼をつむったまま、ひっそりと息をころしていた。
「笹の道をとおって、木戸へ来た」と彼は静かに続けた、「その木戸を出るんだ、さあ、木戸の外はどうなっているか」
正四郎は呼吸を詰めて待った。ふさは黙って立っていたが、やがてかぶりを振った。
「なにもわかりません」眼をあきながらふさは云った、「いま仰しゃったことは、わたくしが云ったのでしょうか」
「おまえが云ったのだ」
ふさはまたかぶりを振った、「わたくしにはなにも思いだせません、そんなことを云ったことさえ覚えがございません」
「気分が悪くはないか」
「いいえ」
「それならいい」と彼は妻の肩を撫でた、「もう少し二人で月を見よう、そこに銚子が落ちているよ」半ば失望し、半ばほっとしながら、正四郎は毛氈のほうへ戻った。
正四郎はまた暫くのあいだ、ひそかに妻を監視することで神経を疲らせたが、かくべつ変ったこともなく、その年は暮れた。
九
明くる年の三月、――例年の勘定仕切が始まり、正四郎は監査のため、終りの五日は城中に詰めきった。その三日めのことであるが、午うまの刻ちょっとまえに、家扶の吉塚が面会に来た。城中に詰めているときは、私用の出入りは禁じられていたが、「急用」ということで取次がれたらしい。ゆかが病気にでもなったのかと思いながらいってみると、吉塚助十郎は西ノ口の外に蒼あおい顔をして立っていた。
――ふさだな。
正四郎はそう思った。家扶の硬ばった蒼白い顔が、妻になにごとか起こったことを示しているように感じられたのである。吉塚は眼を伏せながら、そのとおりだと云った。
「どうしたのだ、病気か」
「お姿がみえないのです」と吉塚は云った、「昨日の夕方のことですが、ゆかさまと庭にいらしって、そのままどこかへ出てゆかれたらしく、お捜し申したのですがいまだに行方がわからないのです」
いよいよ来たな、と彼は思った。予期していたことが現実になった、という感じがまっ先に頭にうかんだ。
「待っていてくれ」と彼は云った。
正四郎は老職部屋へゆき、田原権右衛門に会った。田原も非常に驚いたのだろう。すぐにはものが云えないというようすだったが、やがて、「おれが手配をしよう」と云い、正四郎の下城はゆるさなかった。――彼は吉塚にその旨を告げて役部屋へ戻り、自分の事務に専念した。監査の事務は単調であるが、検察と帳簿の照合が主になっているため、他のことで頭を使うようなゆとりはなかったし、彼自身、妻のことを考えるのが恐ろしかったので、できる限り仕事に熱中するように努めた。
――妻がみつかれば知らせがある。
そう思っていたが、田原からなにも云って来ないまま、監査が終った。いつもの例で、石垣町の慰労の宴に招かれたが、正四郎は断わってまっすぐに家へ帰った。
ふさの行方はまだわからなかった。心配していたゆかは元気で、母がいなくなったこともさして気にせず、召使や吉塚のむらを相手に、よく遊び温和おとなしく寝たということであった。――話を聞いてみると、その夕方ふさは庭でゆかと遊んでいたが、ゆかの泣き声が聞えたので、吉塚のむらが出ていってみると、ゆかが一人で泣いていた。お母さまはと訊くと、梅林のほうを指さして、「あっち」と云う。それで梅林のほうを見てまわったがいない。家の中を捜し、屋敷まわりを捜しているうちに日が昏くれ、それでも姿がみえないので、吉塚は本街道、家士たちは山街道と、手分けをしてつぶさにしらべた。――山街道のほうは領境に番所があり、そこで訊いたが、ふさらしい女性の通ったのを見た者はなかった。本街道のほうは下宿しもじゅくと上宿、本宿まで、馬、駕籠かごの問屋はもちろん、旅館をぜんぶ当ってみた。しかしその道は人馬の往来がはげしいので、はっきりしたことはわからなかった。
吉塚は役人に頼み、街道の上下十里に手配をしてもらったが、ついにふさの姿はみつからなかったという。田原権右衛門はさらに遠くまで手を打ったらしいが、ふさは金を持っていないし、女の足でこれだけすばやい手配の先を越せる筈はないので、三日も経ったいまでは、まずみつかる望みはないだろう、と吉塚は語った。
「じつは一つだけ、申上げなかったことがございます」と語り終ったあとで吉塚が云った、「奥さまが初めてここへみえたときのことですが」
正四郎は家扶の顔を見た。
「あれは貴方を訪ねて来られたのではなかったのです」と吉塚は続けた、「事実は、私が外出して戻りますと、門前にぼんやり立っておられ、ここはどなたのお屋敷かと訊かれました、私は平松正四郎さまであると答え、どなたをたずねているのかと訊き返しました、すると奥さまは暫く考えておられましたが、いま聞いた名が頭に残ったのでしょう、平松正四郎さまをたずねている、と仰しゃったのでございます」
すべての記憶を失っているとき、初めて聞いた名が深く印象に残り、その名が自分のたずねる人のものだ、というふうに思いこんだのであろう。正四郎は顔をそむけた。
「もういい、わかった」と彼は云った。
では本当にたずねる人を思いだして、そちらへいったのであろうか。彼はそう思ったが、すぐに首を振った。――あしかけ四年も夫婦でい、三歳になる子まであるのに、なにを思いだしたからといって突然、書置も残さずに出奔するということはない。そんな無情なことがふさにできる筈はない、彼は心の中で云った。
「ゆかはどこにいる」
「私の住居におられると思います」
「さがってくれ」と彼は云った。
吉塚が去ると、正四郎は立ちあがった。立ちは立ったけれども、そのまま放心したように、腕組みをして眼をつむった。
「来たときのように、いってしまったのだな、ふさ」と彼は囁いた、「――いまどこにいるんだ、どこでなにをしているんだ」
雨の降りしきる昏れがた、観音堂の縁側に腰をかけて、途方にくれていたふさの姿が、おぼろげに眼の裏へうかんできた。彼の顔がするどく歪ゆがみ、喉へ嗚咽おえつがこみあげた。彼はむせび泣いた。縁側へ出て行き、庭下駄をはいて歩きだしながらも、むせび泣いていた。
正四郎は芝生の端のところで立停り、懐紙で顔を拭くと、梅林のほうを見まもった。
――笹の道の、そこに木戸があって、……
ゆかは母がそっちへいったという。ふさはその木戸を通っていったのだろう、彼は現実にはないその木戸と、そこに立っている妻の姿が見えるように思えた。しかしふさは帰って来る、と彼は思った。こんどは良人があり、ゆかという子供がある、それを思いださないということはあるまい。いつかは必ず思いだして帰るだろう、――この木戸を通って。正四郎は片手をそっとさしのべた。
「みんながおまえを待っている、帰ってくれ、ふさ」彼はそこにいない妻に向って囁いた、「帰るまで待っているよ」
うしろのほうで、わらべ唄をうたうゆかの明るい声が聞えた。
初出:「オール読物」文藝春秋新社1959(昭和34)年5月
底本:「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」新潮社1982(昭和57)年10月25日発行
9月23日は秋分の日。
2022年は「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」と「大安」と重なり、縁起が良いとされる日になっている。
「一粒万倍日」一粒の種を植えると、実を結んで万倍にもなるというおめでたい日のこと。金銭の貸し出し、商売始め、開店、投資などに吉。逆に借金をすると、たちまち膨れ上がる凶日。【旧暦読本・創元社】
東京・スペースFS汐留で行われた英国のドキュメンタリー映画「プリンセス・ダイアナ」(エド・パーキンズ監督、30日公開)スペシャルトークショーにデーブ・スペクターが21日登壇。
確執が取り沙汰されているウィリアム皇太子(40)と弟ヘンリー王子(38)について、母のダイアナ妃が、もし生きていたら、確執は起きなかったのではないか? との持論を展開した。
ダイアナ妃の早すぎる死を「もったいないっすよ、本当に」と心から惜しんだ。その上で「ウィリアム皇太子とヘンリー王子が、確執があって大変なことになっているんですけど…。さすがにダイアナ妃が、もし生きていたら、どうにかなったと思うんですよ」と続けた。
そして、ヘンリー王子の妻のメーガン妃(41)を、ダイアナ妃が「ビンタしたんじゃないですか?」と断言。「『あの女、やめな!』って、多分、言ったと思うんです」と続けた。その上で「お母さんに言われたら『そうかぁ』って、なっちゃうかも知れないね。でも『おかあさんだって、チャールズと(離婚に)なったじゃないか』と言い返したりしてね」と笑った。
「王室に、どなたがいっても圧倒されますよ。圧倒されないのは、メーガン妃くらいじゃないかな。だからダメだったんですよね」と、重ねてメーガン妃にダメ出しした。
【DOCOMOニュース】
おさん
山本周五郎
一の一
これ本当のことなの、本当にこうなっていいの、とおさんが云った。それは二人が初めてそうなったときのことだ。そして、これが本当ならあした死んでも本望だわ、とも云った。言葉にすればありきたりで、いまさらという感じのものだろうが、そのときおさんは全身で哀れなほどふるえてい、歯と歯の触れあう音がしていた。世間にはありふれていることではあっても、それは人間が一生にいちど初めて口にする、しんじつで混りけのない言葉であった。おれはごく平凡な人間だった。職人の中でも「床の間大工」といわれ、床柱とか欄間らんま、または看板とか飾り板などに細工彫りをするのが職で、大茂の参太といえば相当に知られた名だとうぬぼれていた。行状だってちっとも自慢することはない、素人しろうとの娘、ひとのかみさん、なか(新吉原)には馴染みもいたし品川も知っている、酔ったときにはけころと寝たこともあるくらいで、ただ、しんそこ惚れた相手がなかった、というのが取り得といえばいえたかもしれない。としは二十四、仕事が面白くなりだしたときだから、女のことなどはどっちでもよかった。おさんは大茂の帳場で中なかどんを勤めていた。吉原の若い衆の呼び名のようであるが、「中ばたらき」というくらいの意味だろう、いってみれば奥と職人とをかけもちで、茶をはこんだり、弁当の世話をするくらいで、それほど親しく知りあってはいなかった。あとで聞くと、おさんのほうではまえからおれのことが好きで、自分の気持を知ってもらいたいために、いろいろじつをつくしたということだ。そう云われてもおれにはなにも思いだせなかった。ちょっときれいな女だな、くらいなことは思ったろうが、自分が好かれているなどということはまったく気がつかなかった。それが十月十日の晩、ひょっとしたでき心でそうなってしまったのだ。その夜は親方の家で祝いがあった。親方とおかみさんが夫婦になってから、ちょうど十二年めに男の子が生れ、お七夜に親類や組合なかまや、町内の旦那たちや、大茂から出た棟梁たちが招かれた。派手なことの嫌いな親方だが、よっぽどうれしかったんだろう、おれたちはじめ追い廻しの者にまで、八百政の膳が配られ、酒が付けられた。おれはなかまでも酒に強いほうだから、いい気になって飲んでいるうちに酔いつぶれてしまい、眼がさめてみると側におさんがいた。おれが手を伸ばすと、おさんの躯はなんの抵抗もなくおれの上へ倒れかかってきた。そしてあれが起こったのだ、おれが抱き緊しめて、まだそれ以上になにをするつもりもなかったとき、おさんの躯の芯のほうで音がした。音とはいえないかもしれない、水を飲むときに喉がごくっという、音とも波動ともわかちがたい音、抱き緊めているおれの手に、それがはっきり感じられたのだ。おれはそれで夢中になった。おどろくほどしなやかで柔らかく、こっちの思うままに撓しなううぶな躯の芯で、そんなに強く反応するものがある、ということがおれを夢中にしてしまったらしい。そして、終ったとも思えないうちにおさんが云ったのだ。これ本当のことなの、本当にこうなってしまっていいの。全身でふるえ、力いっぱいしがみつきながら……。
二の一
行燈がまたたいた。油が少なくなったのだろう、行燈が生き物のように、明るく暗くまたたきをし、油皿で油の焦げる音がした。参太は紙の上に並べた小判や小粒をみまもっていたが、油の焦げる匂いに気づいて振返り、手を伸ばして行燈を引きよせた。燈芯のぐあいを直し、油を注つぎ足すと、行燈は眼をさましたように明るくなった。
「二十三両」彼は向き直って、そこにある金を見やった、「二十三両と三分二朱か」
階段を登る足音が聞えた。参太は紙の一方を折って、並べてある金を隠した。あがって来た足音は廊下をこっちへ近づいたが、そのまま通り過ぎていった。参太は胴巻と、革の財布と巾着を取り、二十両を胴巻へ入れてまるめ、三両二分を財布、残りを巾着へ入れた。そうして胴巻は枕の下、財布は両掛の中、巾着を枕許もとへと片づけてから、太息をついて火鉢の鉄瓶を取ろうとした。鉄瓶は冷たかった。彼は鉄瓶に触れてみてから、火箸を取って火をしらべた。火は立ち消えになって、白い灰をかぶった炭だけしかなかった。
「茶が欲しいな」と彼は火箸から手を放して呟つぶやいた、「――来るのか来ないのか、すっぽかしだとすると、いまのうちに茶を貰っておくほうがいいかな」
廊下を足音が戻って来て、停った。
「起きてて」と障子の外で女の囁ささやく声がした、「もうすぐだから待っててね」
「茶が欲しいな」
「あら」と云って障子をあけ、女が覗いた、「そこにあるでしょ」
「水になっちまった、火が消えちゃってるんだ」
「持って来るわ」女は媚た表情で頬笑みかけた、「寝ないでね」
参太は膝の上の手をちょっと動かした。女は障子を閉めて去った。
彼はちょっと迷ってから、ふところ紙を一枚取ってひろげ、巾着の中から小粒を一つ出して包んだ。それを敷蒲団の下へ入れ、掛け夜具を捲って横になった。火鉢の火が消えていると知ってから、夜気の寒いことに気がついたのだ。夜具を顎のところまで引きよせて、参太は天床を見まもった。雨漏りの跡のある煤すすけた天床で、行燈の光がその一部分をぼっと明るく染めていた。――二つ三つはなれた座敷で、笑い声が聞えた。夕方に来た四五人伴づれの客である。この土地の者で、なにかの寄合の崩れだとか云ったが、みんな酔っていて、ばかな声で代る代る唄をうたっていた。一刻ばかりまえから静かになり、帰ったのかと思うと、ときどき笑い声が聞えて来る。参太はすぐに「やっているな」と直感した。どうせ友達同志の一文博奕ばくちだろう、こっちは鉄火場にも出入りするからだであるが、他人のこととなると、たとえ一文博奕でも背筋へ風がはいるような、不安な、おちつかない気分におそわれるのであった。
参太は眼をつむった。向うの座敷がまたしんとなり、眼の裏におさんの姿がうかんできた。顔かたちはどうしても思いだせないが、ぜんたいの姿と、そのときどきの身振り、泣き声や叫び声、訴えかける言葉などは、つい昨日のもののように鮮やかに、はっきりと記憶からよみがえってきた。
彼はびくっとして眼をあいた。障子を忍びやかにあけて、女がはいって来たのだ。女は派手な色の寝衣に、しごきを前で結び、髪の毛を解いていた。
「おおさぶい」女は火のはいった十能を持って、素足で火鉢へ近よった、「このうちのおかみさんがやかましいの、ゆうべのこと勘づいたらしいのよ」
「むりなまねをするなよ」
「来ちゃあいけなかったかしら」
「むりをするなって云うんだ」
「むりは承知のうえよ」女は火鉢へ火を移し、炭を加えてから鉄瓶を掛けた、「あたしこんなうちにみれんなんかないんだから」
「おれは明日ここを立つんだぜ」
「思ったとおりね」
「なにが」と参太は女を見た。
「あんたが立つことよ」女はしごきを解いてから行燈を消し、こっちへ来て、参太の横へすべり込んだ、「――冷たくってごめんなさい、ねえ、あたしお願いがあるの」
「断わっておくがおれは女房にょうぼう持ちだぜ」
「おかみさんにしてくれなんてんじゃないの」と云って女は含み笑いをした、「――ちょっとのまこうさせてね、すぐにあったまるから、あたしの躯ってあったかいのよ」
一の二
あたしおかみさんにして貰おうなんて思わないのよ、とおさんは云った。夫婦になろうと云いだしたのはおれのほうだ、あとでわかったのだが、おさんには親許で約束した男があり、その年が明けると祝言をする筈になっていた。おれは知らなかったからおさんを説き伏せたうえ、親方の許しを得て世帯を持った。牛込さかな町の喜平店だなといい、路地の奥ではあったが一戸建ての家で、うしろが円法寺という小さな寺の土塀になっていた。まだとしも若いし、かよいの職人で一戸建ての家は贅沢だが、おれにはそのほうがいいという勘があったし、二十日と経たたないうちに、自分の勘の当っていたことがわかった。それはそもそもの初めから、つまり、初めておさんを抱いたときからわかっていた、と云うほうが本当だろう。おれを夢中にさせたおさんのからだは、いっしょになるとすぐに、この世のものとも思えないほど深く、そして激しくおれを酔わせた。誰でもこんなふうになるの、恥ずかしい、どうしてあんなになるのかしら、女っていやだわ、とおさんが云った。それは自分で気がついたからだ、誰でもというわけじゃない、おまえのからだがそう生れついたんだ、とおれは云ってやった。たいがいの者がそれほどには感じないんだ、そういうからだはごく稀にしかないし、そう生んでくれた親を有難いと思わなければいけないんだ。いやだわ、恥ずかしい、あたし自分がいやになったわ、とおさんは云った。夫婦ぐらしもいちおうおちつき、気持にゆとりもできてからだ。ふしぎなことに、恥ずかしいと口ぐせのように云いだしてからあと、却ってそれが激しくなった。おさんの躯には、ぜんたいに目のこまかな神経の網がひそんでいた。その網の目は極微にこまかく、異常に敏感であった。躯のどんな部分でも、たとえ手指の尖端にでも、そういう気持でちょっと触さわれば、すぐ全身に伝わって、こまかな神経の網目に波動と攣縮が起こり、それが眼の色や呼吸や、筋肉の収斂や、肢指や脊椎の屈伸に強くあらわれた。まったく意識しないものであり、いちど始まるとおさん自身にも止めることができなかった。正月になり二月になった。おれは一戸建ての家を借りてよかったと、つくづく思ったものだ。隣りが壁ひとえでもあったら、朝晩の挨拶にも困ったことだろう。幸いうしろは寺の土塀だし、長屋とは六七間もはなれていた。近所の者には気づかれずに済んだが、辰造は勘のいいやつで、そのうえ道楽者だから女には眼が肥えていたようだが、或るとき普請場でずけりと云やあがった。ひるの弁当のあとだ。まわりにはだいぶ職人がいて、辰造の云うことを聞いて笑った。意味をよくのみこめない笑いだが、おれはかっとなって辰造を殴りつけた。怒りではなかった。云われた言葉に怒ったのではない、自分だけしか知らないおさんのからだの秘密を、辰造に勘づかれていたということの嫉妬だった。冗談だよ、気に障さわったら勘弁してくれ、と辰造はすぐにあやまった。ひとの女房のことなんかに気をまわすな、とおれは云ってやったが、図星をさされた恥ずかしさは隠しきれなかった。辰造はまたあやまったが、その眼は笑っていた。
二の二
「お湯が沸いたわ」と女が云った、「お茶を淹れましょうね」
参太は黙ったままで手を放した。
「こら、この汗」衿を合わせながら起き直った女は、衿をひろげ、小さいけれどもこりっと緊まった、双の乳房のあいだを撫でた、「ごらんなさい、こんなよ」
「風邪をひくぜ」と参太が云った。
女は夜具の中からぬけ出し、しごきをしめて火鉢のほうへいった。行燈は消したままだが、すぐ近くにある廊下あかりで、茶を淹れるぐらいのことに不自由はなかった。あんた女房持ちだなんて嘘でしょ、と女が手を動かしながら云った。女房持ちだよ、と参太が答えた。嘘よ、独身とおかみさんのある人とはすぐにわかるわ、あたし昨日からちゃんと見ていたの、顔を洗うとき、ごはんを喰たべるとき、茶を飲むとき、それから寝るときもね、おかみさんのある人はやりっ放しだし、なんでも人にやらせようとするけれど、あんたは自分できちんとなんでもするし、手順もなめらかだわ、それは身のまわりのことを自分でする癖のついている証拠よ、と女が云った。参太は眠そうな声で、欠伸をしながら云い返した。自分のうちにいるときと旅とは誰だって違うだろう。女は茶道具を持ってこっちへ来、枕許へ置いて、自分は夜具の上へ坐って茶を淹れた。
「どうしてそんなにおかみさんのあるふりをするの」と女が云った、「――はい、お茶」
参太はだるそうに腹這になり、女の手から湯呑を受取って、ゆっくりと茶を啜すすった。
「なにか女で懲りたことでもあるの」
「おだてるな」と参太が云った、「そんなにもてる柄じゃねえや」
「昔のことだけれど、あたし金さんって人を知ってたわ」と云いかけて、女は急にかぶりを振った、「ばかねえ、どうしてこんなことを云いだしたのかしら、――ねえ、お願いがあるのよ」
「女房持ちだって断わっておいたぜ」
「そんなことじゃないの、いっしょに江戸まで伴れてってもらいたいのよ」
参太は振向いて女を見た。
「迷惑はかけないわ」と女は云った、「自分の入費は自分で払うし、江戸へ着いたらすぐに別れるつもりよ、ねえ、お願い、道中だけおかみさんってことにして伴れていってちょうだいな」
「昨日はじめて会ったばかりだぜ」
「晩にどうして」女は眼に媚をみせた、「いくらこんな旅籠宿の女中をしていたって、誰の云うことでもきくような女じゃあないわ、それともあんたにはそんな女にみえたの」
「どんな女ともみなかった、ただ、決して後悔はしないだろうと思ったな」
「させなかったつもりよ、そうでしょ」
「もう一杯もらおう」と参太は湯呑を女に渡した、「――どうして江戸へゆくんだ」
「田舎がいやになったの」
「帰る家はあるのか」
「友達が両国の近くにいるわ、料理茶屋に勤めているの」と女が云った、「まだ生きていればだけれど」
「生きていたって、女は身の上が変りやすいもんだぜ」
「その代り食いっぱぐれもないものよ」茶を淹れて参太に渡しながら、女は云った、「いいでしょ、伴れてってくれるわね」
「明日は早立ちだぜ」
「支度はできてるのよ」女が云った。
参太は興ざめたような眼で女を見た、「――よっぽどあまい男にみえたんだな」
「たのもしいと思ったの」と女が云った、「お茶と菓子を持ってはいって来て、初めてあんたの顔を見たとたんに、たのもしい人だなって思ったのよ」
「どこかで聞いたようなせりふだぜ」
「しょっちゅうでしょ、女ならみんなそう思うだろうとおもうわ」女はそっと彼へ倚よりかかった、「――よかった、これで安心したわ」
参太は湯呑を盆の上へ置いて横になった。女は掛け夜具のぐあいを直し、躯をすべらせて、参太に抱きつきながら喉で低く笑った。
そしていっときのち、――参太は女の顔を見まもっていた。女は眉をしかめ、力をこめて眼をつむっていた。力をこめているために、上瞼にも皺がよっていた。ひそめた眉と眉のあいだの皺は深く、刻まれたようなはっきりした線を描き、そこに汗が溜たまっていた。半ばあいている口の両端は、耳のほうへ吊あがり、そこにも急に力をこめたり、またゆるめたりするさまが認められた。いまだ、と参太は思った。
「おい」と彼は囁いた、「おまえなんていうんだ」
女の激しい呼吸が止り、力をこめてつむっていた眼から、すうと力のゆるむのがみえた。上瞼の皺が平らになり、眉と眉のあいだがひらき、女は眩まぶしそうに眼をあいた。
「なにか云って」
「いま云ったとおりさ」参太は声に意地の悪い調子を含めた、「聞えなかったのか」
「名を訊いたんじゃなかったの」
「聞えたんだな」
「おふさよ」と云って、女は身悶えをした、「いやだわ、こんなときに名を訊くなんて、どうしたのよ」
参太は「いい名だな」と云った。
一の三
初めてあんたにお茶を持っていったとき、あんたの顔を見るなり好きになったのよ、とおさんは云った。出仕事にいっていて、親方と打合せがあって帰り、店で話していたとき茶を持って来たのだという。こっちはまるで知らなかった。女に不自由しなかったというより、仕事で頭がいっぱいだったからだ。同じとしごろでも、友達なかまでは暇があるとそんな話ばかりする者があるし、いろごとなんぞにはまるっきり無頓着な者もいる。世の中に男と女がある以上、男が女をおもい女が男をおもうのは当然だろう。けれども、人間はそれだけで生きているものじゃあない、生きるためにはまず仕事というものがあるし、人並なことをしていたんでは満足に生きることはできない。いくらかましなくらしをしようと思えば、人にまねのできない仕事、誰も気づかないくふう、新しい手、といったものを作り出さなければならない。それはいつもたやすいことじゃあない、ほんの爪の先ほどのくふうでも、あぶら汗をながし、しんの萎えるほど苦しむことが少なくない。だからこそ、一とくふう仕上げたよろこびも大きいのだろう。男にとっては、惚れた女をくどきおとすより、そういうときのよろこびのほうが深く大きいものだ。女との情事はめしのようだと云っては悪いか。人間が腹がへるとめしが食いたくなるが、喰べてしまえばめしのことなどは考えない。おれはわりにおくてだったが、それでもおさんと夫婦になるまえにかなりな数の女を知っていた。いろ恋というのではない、ちょうど腹がへってめしを食うようにだ。あとはさっぱりして、大部分の相手が顔も名も覚えてはいなかった。なかにいた女とは二年越し馴染んだけれども、ただ口に馴れたという気やすさのためだったと思う。そんなふうだから、おさんのことなども眼にはいらなかったのだが、夫婦になってからは、それがびっくりするほど変った。夫婦の情事は空腹を満たすものではない、そういうものとはまるで違うのだ。単に男と女のまじわりではなく、一生の哀楽をともにする夫婦のお互いをむすびつけあうことなのだ。そのむすびつきのうちにお互いを慥しかめあうことなのだ。おれがそう気づいたとき、おれをあんなにのぼせあがらせたおさんの躯が、おさんをおれから引きはなすことに気がついた。おさん自身でも止めることのできない、あの激しい陶酔がはじまると、おさんはそこにいなくなってしまう。完全な譫妄状態で、生きているのはその感覚だけだ。呻吟も嗚咽もおさんのものではないし、ちぎれちぎれな呼びかけや訴えにもまったく意味がない。それはおれの知っているどんな女の場合にも似ていなかった。情事とはお互いがお互いの中に快楽を認めあうことだろう、与えることと受け止めることのよろこびではないか。おさんはそうではないのだ。初めはそうだったが、日が経つにしたがってそうではなくなった。よろこびが始まるとともに自分も相手もいなくなってしまい、ただその感覚だけしか存在しなくなる。男がもっとも男らしく、女がもっとも女らしくむすびあう瞬間に、むすびあう一点だけが眼をさました生き物のように躍動しはじめ、その他のものはすべて押しのけられるのだ。それは陶酔ではなく、むしろそのたびになにかを失ってゆくような感じだった。そうしてやがて、その譫妄状態の中で、おさんは男の名を呼ぶようになった。初めてそれを聞いたときの気持はひどいものだった。失神しているようなありさまの中で、一と言はっきりと人の名を呼んだのだ。おれはいきなり胸へ錐でも突込まれたように、ほかに男がいるなと思った。いまでもあのときの気持は忘れることができない、ほかの場合ならともかく、そういう状態のさなかなのだ。自制をなくしているから、ふだん心に隠していたことが口に出た、そう思うのがあたりまえだろう。おれはおさんに男ができたと思った。ほかのこまかい感情をとりあげるまでもない。おれはおさんの肩を掴んで揺り起こし、相手はどこの誰だと問い詰めた。おさんがはっきり意識をとり戻すまでにはいつも暇どる、おれはかっとなっていたから、引きずり起こして頬を打った。ごめんなさい、堪忍して、とおさんはまだはっきりしないままあやまった。おれはなお二つ三つ平手打ちをくれ、おさんは怯江國たようになって眼をさました。どうしたの、なにか気に障るようなことをしたの、とおさんが訊き返した。おれは殺気立っていた。本当に殺してやりたいとさえ思っていたのだ。おさんはあっけにとられ、おれの気が狂いでもしたのではないかというような眼つきで、じっとおれの顔をみつめていた。それからにっと微笑し、固くちぢめていた肩の力を抜くと、大きな息をつきながら云った。ああ驚いた。なにごとかと思ったわ、いやあねえあんたらしくもない、あたしが殺されたってそんなことのできる女じゃないってこと、あんたにはちゃんとわかってるじゃないの。いいえ知らなかったわ、あのときになるとあたしなんにもわからなくなるの、とおさんは云った。なんにも見えないし聞えもしないし、自分がどうなっているかもわからないのよ。そうね、そんな名前には覚えがないわ、ええ、死んだお父っつぁんの名がそうだったわ、でもまさかあんなときに、お父っつぁんの名を呼ぶなんていうことがあるかしら、そしておさんは肩をすくめながら喉で笑った。なにかを隠しているとか、ごまかそうとしている、といったような感じはまったくなかった。うれしいわ、あんたにやきもちをやいてもらえるなんて、こんなうれしいことはないわ、おさんはそう云っておれに抱きついた。
二の三
宿を出たのはまだ暗いうちだった。
九月にはいったばかりだが、山が近いので気温も低いし、濃い霧が巻いていて、すぐまぢかにある筈の山も見えなかった。早川の流れも眼の前にありながら、白く砕ける波がおぼろげに見えるだけで、瀬音も霧にこもって遠近の差が感じられなかった。魚や野菜の荷を背負って登るあきんどたちと、すれちがいながら、三枚橋まで来て参太は立停った。おふさという女が、そこで待っていてくれ、と云ったのだ。
参太はなにも事情は訊かなかった。江戸までいっしょにゆくということ、江戸へはいったらすぐに別れること。それだけの約束であった。おふさという女にはしっかりとしたところがあるし、世間のことにも馴れているようだ。旅に必要な手続きなどはもちろん、こっちの負担になることをするような心配もないらしい。参太のほうでも、旅の道伴れという以上の気持は少しもなかった。
振分の荷と、仕事道具の包を肩に、橋の袂たもとで立停ると、うしろで「おじちゃん」と呼びかける声がした。見ると、九つばかりになる子供がふところ手をして、半ば逃げ腰になったまま、きげんをとるように笑いかけた。
「よう」と参太が云った、「どうした、坊主、まだこんなところにいたのか」
「おじちゃん乃里屋に泊ってたね」
「おめえ藤沢へいったんじゃねえのか」
子供はさぐるような眼つきをし、低い声で答えた、「おれ、腹がへっちゃったんだよ」
「いまでもへってるのか」
子供はこっくりをし、すばやい眼つきであたりを見た。
「ここじゃどうしようもない、いっしょにゆこう」と参太が云った、「どこかに茶店でもあったらなにか食うさ」
子供はうわのそらで頷ずいた。銭が欲しいんだな、と参太は思った。その子供とは沼津で会った。道を歩いているとうしろから来て呼びかけ、「おじちゃん、おれ腹がへっちゃったんだよ」と云った。着てるのは腰っきりのぼろ、顔も手足もまっ黒に陽やけして、垢だらけで、髪の毛はぼうぼうと逆立さかだったままだし、もちろんはだしで、繩の帯をしめていた。そのときは銭を与えたが、箱根の宿でまた呼びとめられた。また腹がへっていると云うので、茶店で饅頭でも食わせようと思ったら、いそいで藤沢までゆかなければならないと答え、茶店へはいろうとはしなかった。そこでも銭を幾らかくれてやったのだが、三日経ったいま、この湯本の宿のはずれにいて、同じように「腹がへった」と呼びかけられた。しかも乃里屋に泊っていたことを知っているとすれば、自分のあとを跟つけて来たのかもしれない。哀れっぽくもちかければすぐに銭を呉れる、うまい鴨だとあまくみたか。たぶんうしろに親が付いているのだろう、と参太は推察した。
「お待ち遠さま」と云いながら、おふさが小走りにやって来た、「待たせちゃって済みません、忘れ物をして戻ったもんだから」
「おひろいでいいのか」
「歩くのは久しぶりよ、ああいい気持」と云っておふさは子供のほうを見た、「――おや、おまえはまたこんなところでうろうろしているのかい」
子供はあとじさりをした。
「その子を知ってるのか」
「ついて来ちゃだめ、あっちへおいで」おふさは子供にそう云って歩きだした、「三年くらいまえからああやって、この街道をうろついては人にねだってるのよ、初めは乞食の子かと思ったんだけれど、そうでもないらしいのね、家や親がないのか、自分でとびだしちゃったのかわからないけれど、ああやってうろうろしているのが好きらしいわ」
「まだ八つか九つくらいだろう」
「三年まえにそのくらいだったから、もう十一か二になるんでしょ、子守りか走り使いにでも雇ってやろうという者があっても決して寄りつかないの、あんな性分に生れついても困るわね」
参太は歩きながら振返ってみたが、子供の姿は霧に隠れて見えなかった。おふさは手甲をし脚絆を掛け、裾を端折った上に塵除けの被布をはおっていた。荷物は小さな風呂敷包が一つで、頭は手拭のあねさまかぶり、いかにも旅馴れたような軽い拵えであった。
「宿帳はどういうことになるんだ」と参太が訊いた、「兄妹とでもするか」
「霧が晴れるわ、今日はいいお天気になってよ」と云っておふさは参太を見あげた、「――きまってるじゃないの、あんたのおかみさんよ」
「切手はどうする」
「あたしのほうをそうしておいたから大丈夫、迷惑はかけないって云ったでしょ」
礼でも云おうか、と云いかけて、参太は口をつぐんだ。この女とは今日で三日めのつきあいでしかないのに、どういうものかついこっちの口が軽くなる。彼は江戸の大茂の帳場でも、ぶあいそと無口でとおっていたし、大阪で二年半くらしたが、そこでも同じように云われたし、友達のような者は一人もできずじまいだった。それが乃里屋で泊った初めの夜半、ごくしぜんにおふさとそうなり、そして自分でいやになるほど、つい軽口が出てしまうのであった。
「ねえ、ほんとのこと聞かしてよ」とおふさが云った、「あんた独り身なんでしょ」
「諄いな、会いたければかみさんに会わしてやるぜ」
「あたしが押しかけ女房になりたがってるとでも思うの」
「除よけろよ、馬が来るぜ」と参太は云った。
一の四
上方に仕事があるからいって来る、とおれが云だしたとき、おさんはどうぞと答えた。おまえは待っているんだがいいか、と訊いたら、ええ待っています、と頷いた。上方に仕事があるということが口実であり、このまま夫婦別れになるのではないか、と直感したようであった。いつ立つんですか。向うの都合でいそぐから、この二十五日に立つ予定だ。そう、では三日しかないのね、と云いながら眼をそむけた。そのままなにも変ったようすはみせなかった。あんまり変らなすぎるので、おれのほうが却っておちつかず、心が痛んだものだ。そして、明日いよいよ立つというまえの晩、おさんはがまんが切れたように、泣いてくどいた。あんたは別れるつもりでしょう、ごまかしてもだめ、あたしにはわかってるの、あんたは別れるつもりなのよ、とおさんは云った。おれは黙るよりしかたがなかった。どうしてなの、あたしのどこがいけないの、云ってちょうだい、なにが気にいらないの、まさか、あのひるがおのことじゃないでしょうね、と云っておさんは、涙の溜まった眼でおれをみつめた。ひるがお、雨降り朝顔ともいう、あのつまらない花のことだ。そう云われて思いだしたのだが、夏の終りごろだったろう、茶箪笥の上におれはその花をみつけたことがあった。朝顔に似ているがもっと小さな、薄桃のつまらない花を、古い白粉壺に活いけてあるのだ。その花を摘むと雨が降るって、子供のじぶんからいわれていた。迷信にきまってるが、誰でも知っていることだし職人は縁起をかつぐものだ。雨はおれたち職人にとって禁物だから、こういうことはよせと云った。ところがおさんはよさない、ひょいと気がつくとその花が活けてある。叱ってやると、おれの眼につかないところに活けておくというしまつだ。どういうつもりだ、とおれは問い詰めた。
――ごめんなさい、あたしこの花が可哀そうでしようがないの、とおさんは云った。ほかのたいていな花は大事にされるのに、この花は誰の眼もひかない、地面に咲いていれば、人は平気で踏んづけていってしまう、それが可哀そうだから、つい摘んで来て活けてやりたくなるのよ。
おれはそれっきり小言は云わなかった。おさんはそのことが原因ではないかと思ったらしい。おれはあいまいに口を濁した。そうだとも、そうではないとも云わなかった。本当のことが話せたらいいのだが、口に出して云うわけにはいかなかった。夜のあのとき、おさんといっしょになるたびに、二人がそこから押しのけられ、おれが自分の中からいつもなにかを失うように感じる、という事実をどう説明することができるか。また幾たびか失神状態になるとき、おさんの口からもれる人の名を、いちいち訊き糺ただすことの徒労(さめてから聞くと、それはたいてい幼いころの友達とか父の友人とか、少女時代に住んでいた長屋のこわい差配、などというたぐいだったし、おさんに隠した男などがないことはもうはっきりしていた)が、どんなにみじめであり、しかも、やはり平気には聞きのがせない、という気持を云いあらわす言葉をおれは知らなかった。仕事が終れば帰って来るよ、とおれは繰り返した。きっとね、待ってるわよ、とおさんは云い、すぐにまた泣きだした。あんたにいなくなられたら、あたしはすぐだめになってしまう、すぐめちゃめちゃになってしまうわ、とおさんは云った。一年か二年はなれてみよう、おれは心の中でおさんに云った。そのあいだに事情が変るかもしれない、おさんの癖が直るかもしれないし、おれ自身がもっとおとなになって、おさんの癖に付いていけるようになるかもしれない。口には出さず、心の中でそう云った。しんじつそう思っていたからである。おれは家主やぬしの喜平におさんのことを頼み、急な場合のために幾らか金も預けて、江戸を立った。すると、五十日と経たないうちに、喜平から来た手紙で、おさんが男をひき入れているということを知った。男は辰造であった。
二の四
「海が荒れてるのかしら」とおふさが云った、「あれ、波の音でしょ」
「酒がないんじゃないか」
「いまそう云ったところよ、あたしにもちょっと飲ませて」
「なんだ、すすめたときは首を振ったくせに」参太は燗徳利を振ってみてから、それをおふさに渡した、「自分でやってくれ」
「あら、薄情なのね」
「おれは酌がへたなんだ」
「そのお猪口でいただきたいわ」
「そっちにあるじゃないか」
「そのお猪口でいただきたいの」と云ってからおふさはいそいで指を一本立てた、「あ、大丈夫、あんたは女房持ち、わかってますよ」
参太は自分の盃をやった。そう海が近いとも思えないのに、波の音がかなり高く聞えて来た。まもなく、三十四五になるぶあいそな女中が、甘煮うまにと酒を持ってあらわれた。箱根と違って、この大磯の宿は気温も高く、湯あがりの肌には浴衣一枚で充分だった。女中が去るのを待って、おふさは新しい盃を参太に取ってやり、酌をした。
「それからどうした」
「やっぱり半年そこそこ」とおふさが答えた、「その男とも別れちゃったわ」
「浮気性なんだな」
「そうじゃないとは云えないわね、自分ではいつも本気だったし、一生苦労をともにしようと思うんだけれど、どの男もすぐに底がみえて退屈で、退屈でやりきれなくなっちまうのよ」
「みれんは残らずか」
「そんなのは一人もなかったわ」おふさはそっと酒を啜った、「――浮気性っていうより、男みたいな性分に生れたんじゃないかと思うの、自分でよく考えるんだけれど、あたしには女らしい情あいというものがないらしいのね、女のする仕事も好きじゃないし、男の人にじつをつくすとか、こまかしく面倒をみてあげる、なんていう気持になれないのよ」
「そうでもないようだぜ」
「どうして」と云ってから、おふさは片手で頬を押えながら参太を見て、急に眼のまわりをぼうと染めた、「いやだわ、あんたはべつよ、こんなこと初めてなの、よすわ」
「なにを」
「きざだもの」おふさは酒を啜ったが、眼のまわりはいっそう赤くなった、「それよりあんたのことを聞かせてよ、おかみさんてきれえな人、子供さんはなんにん」
「話すようなことはないが、子供はないし、かみさんだって、――」
「どうなの、ねえ」とおふさはからかうような眼をした、「きれいじゃないっていうの」
「病人のある家へいって寺の話をするなって云うぜ」
「なにが寺の話よ」
「なんでもないさ、めしにしよう」
「怒らしちゃったかしら、気に障ったらあやまるわ、ごめんなさい」おふさはちょっと頭をさげた、「あたしどうかしちゃったみたいよ、自分で諄いことが嫌いなのに、こんなに諄いことばかり云うなんてわけがわからないわ」
「酔ったせいだろう、めしにしないか」
おふさは右手を畳へ突いた。膝の上にあった手の右のほうだけ、すべるように畳へ突き、俯向いて口をつぐんだ。急に酔が出たのだろう、参太が呼びかけようとすると、おふさはすばやく立ってゆき、廊下へ出て障子を閉めると、小走りに去る足音が聞えた。――参太はおふさのいなくなった膳の向うを、気ぬけのしたような眼でぼんやりと見まもった。行燈の灯がまたたき、膳の上にある食器の影が動いた。波の音が際立って高く、一人っきりになった座敷の、しんとした空気をふるわせるように響いて来た。
「女があり男がある」参太は手酌で注ついだ酒を、ゆっくりと啜りながら、呟やいた、「――かなしいもんだな」
彼は両親のことを思った。父の弥兵衛やへえは大工の棟梁だったが、吝嗇なくせに人の好い性分で、いつも損ばかりしていた。普請を請負うたびに損をするか、たまに儲けたと思うとうまく騙されて金を貸し、相手に逃げられてしまう。酒は殆んど飲まないし女あそびもしなかった。参太が五つのときと、八つのときと二度、その父親が深川あたりの芸妓と逃げたことがあった。詳しい事情はわからないが、母親のぐち話から推察すると、二度とも妓に騙されたらしい。どっちの場合もかなり多額な金を使っているのに、三十日そこそこで父親は帰って来たようだ。華やいだ話はその二度だけで、あとはつきあい酒もろくに飲まず、下駄一足を買うのにさえ渋い顔をするといったような、およそ大工の棟梁という職とはかけはなれた、けちくさいくらしかたをしていた。母親は蔭でこそぐちを云うが、良人にさからったり、意見がましいことを云ったりするようなためしは一度もなかった。食事のおかず拵えをするのが好きで、銭を使わずにびっくりするほど美味うまい物を作ってくれた。人の好いところは良人に似ていて、頼まれるといやと云うことができない。頼まれなくとも、人が困っているなとみると金や物を運んでやる。それに気づいたときの、父親の渋い顔を参太はよく覚えていた。
――二人はどういう縁で夫婦になったのか。
二人はお互いに満足していたのだろうか。参太はじっと思い返してみた。母は彼が十七のとしに死に、父親は二年おくれて死んだ。父のかけおちということはあったが、平生の生活は変化のないおちついたものであった。参太はいまでも忘れずにいるが、死ぬまえの年に、母は出入りの左官屋の女房と話していて、――たしか亭主が道楽ばかりして困る、と左官屋の女房が訴えていたのだと思う。それに対して母親はこう云ったものだ、――うちの人のように堅いばかりでも張合がない、あたしだってたまにはやきもちの一つもやいてみたいわ。左官屋の女房を慰めるつもりもあったろうが、十六歳になっていた参太には、母親の口ぶりに本心が含まれていることを知ってすっかり驚かされた。
「ちょうどいい夫婦だったのかもしれないな」参太はそう呟いた、「世間のたいていの夫婦が似たようなもので、似たりよったりの一生を送るんだろう、おさんとおれのような場合はごく稀なことに違いない」
おふさが戻って来た。燗徳利を二本持っていて、これを貰って来たの、と云いながら元の席へ坐った。参太は女の顔を見ないようにしながら、おれはもうたくさんだと云った。そんなこと云わないで、機嫌を直して飲んでちょうだい、とおふさが云った。
「怒ってなんかいやしない、おかしなやつだな」と参太は苦笑した、「よし、それじゃあと一本だけ飲もう、おれはそんなに飲めるくちじゃないんだ」
「ありがと」とおふさは微笑した、「いまつけるわね」
一の五
家主から知らせがあったあと、殆んど半年ちかく経たって、おさんから手紙が来た。おさんは字が書けない、誰かに頼んだのだろう、女の手で、仮名文字だけ並べてあるが、判じ読みをしても意味のわからないところがたくさんあった。おさん自身が、自分の気持をどう云いあらわしていいかわからない、というところだろう、三尺以上もある手紙を要約すれば、「あなたのことを忘れるためにいろいろの人とつきあってみた、けれど、どうやってもあなたを忘れることができなくって苦しい、わたし自身は二度とあなたに会えない躯になってしまった、それでもわたしには後悔はない、あなたと三日でも夫婦になれたら、それで死んでもいいと思ったのだから」そして終りに、江戸へ帰っても自分のゆくえは捜さないでくれ、と書いてあった。おれはその手紙を引裂いて捨てた。おれのことを忘れるためにだって、いいかげんなことを云うな、おまえのからだが承知しなかったんだろう、そのことなしでは一と晩もすごせないから男をこしらえたんじゃないか、わかってるぞ、とおれは云ったっけ。これでけりはついた、江戸へ帰っても捜すようなことはないから心配するな。そしてまもなく、家主の喜平から二度めの手紙が来た。おさんが次に男を伴つれ込むので、長屋の女房たちがうるさいから家を明けてもらった、店賃の残りは預かってある、という文面だった。男は辰造だけではなかったんだ。おさんの手紙では要領を得なかったが、どうやら二人や三人ではないような感じだ。こいつは牛込へは帰れないな、とおれは思った。長屋の人たちにはもちろん、家主にだって合わせる顔はない。どうともなれ、当分は上方ぐらしだ、とおれは肚をきめた。おれはおさんを憎んだ。手を出したおれも悪いが、おさんが首を振ればなにごともなかったんだ。あとで聞くと、おさんには縁談のきまった相手がいたというし、おれはべつにむきになってたわけじゃない。酔いつぶれたあとの、ほんの出来ごころだった。眼がさめたら側にいたから、ひょいと手を出した。くどこうなんて気持はこれっぽっちもなかった。それがわからない筈はない、わかっていておさんは身を任せた。あいつはまえからおれが好きだと云った。これでもういつ死んでもいいとさえ云った。その気持に嘘がなければ、一年や二年、待っていられないということはないだろう。おれが博奕場へ出入りするようになったのは、そのあとのことだった。それまでは花札にも賽にも、手を触れたことさえなかった。おやじが嫌いだったし、博奕のために身をあやまった人間をいくたりも知っていたからである。おれはそれを忘れなかった。仕事があがって手間賃がはいると、それを三つに分ける、一つはくらしの分、一つは雑用、残った分だけ博奕をした。負ければそれっきり、他の二つの分には絶対に手を付けないし、勝ち目にまわったときでも倍になったらそこでやめる。どんな鉄火場でもそれでとおした。死んだ親たちの気性が伝わっているのか、それ以上の欲もかかなかったし、ぼろをだすようなこともなかった。仕事のほうも案外うまくいってた。床の間の仕事は上方のほうが本元で、いい職人も少なくないが、型にはまったことしかしないためだろう、おれの江戸ふうな仕上げはかなり評判になった。噂に聞いたとおり、女もよし酒も喰べ物もうまい。このまま上方に根をおろそうかと思ったくらいだが、二年めになったころからおちつかなくなった。魚も野菜も慥かにうまいし、料理のしかたもあっさりと凝っている。だがおれは、鯛の刺身より鰯や秋刀魚の塩焼のほうが恋しくなった。酒だって江戸のあっさりしたほうが口に合うし、初めはやさしいと思った女にしても、馴れてみればべたべたした感じで、江戸の女たちのさらっとした肌合はだあいにはかなわない。おまけに仕事の交渉の面倒なことだ。飾り板一枚でもとことんまで値切られる、勘定払いはいいけれども、注文がきまるまでのやりとりにはうんざりさせられた。それが番たびのことだからだんだんいや気がさして来た。そこへ宗七から手紙が来た。宗七はおれの弟分で、年は二十一、まだ大茂に住込んでいた。手紙は大茂の没落の知らせだった。年の暮になって店が火事で焼け、みんな着物一枚で逃げた。おかみさんと子供は危なく死ぬところだったが、親方はそのことでしんから怯えてしまったらしい。せっかく授かった子を二度とこんなめにあわせたくないと云って、八王子在の故郷へ引込んでしまった、ということであった。自分は浅草駒形の「大平」に住込んでいるが、とあって終りに、おさんのことが書いてあったのだ。京橋二丁目に普請場があり、かよい仕事にいっていたとき、おさんの姿を認めたので、跟つけていってみると炭屋河岸がしの裏長屋へはいった。近所でそれとなく訊いたところ、作次という男といっしょだとわかった。男はすぐ近くの大鋸町に妻子があり、どこかの料理茶屋の板前だそうだが、どうやらくらしは楽ではないようにみえた。よけいなことかもしれないが、辰あにいとのことは知っていると思う。辰あにいとはすぐ別れて、そのあと続けざまに幾人か男をつくったらしい。さかな町の家を出てからのことは知らないが、こんどの作次という男とも長いことはないだろう。参太あにいはいいときに別れたと思う、そういうように書いてあった。おれの気持はぐらつきだした。みれんは少しもないが、おさんが哀れに思えてきた。自分が上方へ来たのは、厄のがれをしたようなもので、その代りにおさんが独りで厄を背負った、というふうな感じがし始めたのだ。江戸が恋しいのと、おさんをどうかしてやりたいという気持が、結局こうしておれを帰すことになった。関東の人間には上方の水は合わないという、慥かにそのとおりだ。おれはもう上方へは戻らないだろう、おさんがどんな事情になっているかわからないが、もしできることなら引取って、もういちどやり直してみてもいい。憐れみや同情ではなく、傷つき病んでいる者に手を差出すように。やれるかどうか、やれるだろうか。幾人もの男から男へ渡った女を、また女房にすることができるか。いまは遠くはなれているから、哀れだという気持が先になる。現にその顔を見て、幾人もの男に触れた女だ、ということを思いだしたらどうだ。おさんが幾人もの男に抱かれたという事実は、生涯二人に付いてまわるぞ。それでも夫婦としてくらしてゆけるか。はやまるなよ、いちじの哀れさに負けるな。自分ではいいつもりでよりを戻しても、いつかがまんできなくなって、また別れるようなことにでもなったら、こんどこそ取返しがつかないぞ。まあおちつけ、そうがたがたするな、おれも二十六になったんだ。えらそうな口をきくようだが、二年まえのおれとは少しは違っていると思う。おさん、この勝負はおまえとおれでつけるんだ、わかったな。おれはきっとおまえを捜しだしてみせるよ。
二の五
「外は白んできたわ」と云いながら、おふさがはいって来た、「眠ってるの」
参太は枕の上で振向いた。おふさは掛け夜具を捲まくって、彼の横へ身をすべらせ、頬ずりをしてから顔をはなした。
「朝顔が咲くのを見たわ」おふさは夜具の中で参太の手を引きよせた、「手洗鉢の脇の袖垣に絡からまってるの、なにか動くようだからひょいと見たのよ、そうしたら朝顔の蕾が開くところだったの」
「九月に朝顔が咲くのか」
「小さいの、これくらい」おふさは片手を出し、拇指と食指で大きさを示した、「それがまるで生きてるみたいに、いやだ、生きてるんだわね」おふさはくすっと笑った、「くるくるっと、こういうふうにほぐれるの、巻いている蕾がくるくるっとほぐれて、先のところにほころびができるの、着物のやつくちみたいに、ひょっとほころびができたと思うと、それがぱらぱらっとほどけて、ぽあーっと咲くの、――なにが可笑おかしいのよ」
「初めがくるくる、中がぱらぱら、そしてぽあーか、まあいいよ」
「かなしかったわ」とおふさは溜息をついて云った、「――九月の朝顔、時候はずれだから見る人もないでしょ、花も小さいし、実もならないかもしれないのに、蕾であってみればやっぱり咲かなければならない、そう思ったら哀れで哀れでしようがなかったわ」
参太は二た呼吸ほど黙っていて、「人間のほうがよっぽど」と云いかけたまま、寝返りを打っておふさに背を向けた。
「ねえ」暫くしておふさが云った、「こっちへ向いて」
「一と眠りするんだ」
おふさは彼の背中へ抱きつき、全身をすりよせた。
「だってもう今日で別れるのよ」
「神奈川の宿で約束したろう、江戸にはかみさんがいる、今夜が最後だって」
「女房の待っている土地では浮気はできないって、そうよ、約束はしたわ」とおふさは囁ささやいた、「もし本当におかみさんが待っているなら、ね」
参太はじっとしていた。
「あんたあたしのこと嫌いじゃないでしょ」
「いまなんて云った」
「あたしのこと嫌いじゃないでしょって」
「そのまえにだ」と参太は遮映画ぎった、「――おまえなにか知ってるのか」
「だれ、あたし、――」おふさは彼の肩から顔をはなした、「知ってるってなにをよ」
「おれのかみさんのことだ、本当にかみさんが待っているならって、妙なことを云ったようだぜ」
「どこが妙なの、いやな人」おふさは含み笑いをした、「本当に待ってるかどうかって、そのくらいのこと訊いたっていいじゃないの、あたしあんたが好きなんだもの」
「あとを云うな」参太はまた強く遮って云った、「初めから女房持ちだと断わってある、いっしょに旅をするのも江戸まで、江戸へはいったらすぐに別れるって、自分の口から云った筈だぜ」
「あたしは覚えのいいほうよ」
「ここは芝の露月町だ」
「この宿は飯田屋、よく覚えてるでしょ」とおふさは云った、「あんたこそ思いだしてよ、あたしいま、今日でお別れだって云ったじゃありませんか」
参太は黙った。
「ほんとのことを云うと、あたし男嫌いだったの」おふさはそっと参太の躯からはなれながら云った、「何人もの男と世帯を持ったような話をしたけれど、あれはみんな嘘、――十六のとし嫁にいって半年でとびだしたっきり、男はあんたが初めてだったのよ」
参太はなにも云わなかった。
「あたしが口で云うより、あんたのほうでそれを勘づくと思ったわ」とおふさは続けた、「あんたはずいぶん女を知っているんでしょ、だからあたしがどんな話をしても、あんたにはからだで嘘がみぬけると思ったのよ」
参太はちょっとまをおいて訊いた、「どうしてそんなことを云いだすんだ」
「ほんとのことを聞いてもらいたかったの、これっきり別れるんですもの、ほんとのあたしを知っておいてもらいたかったのよ」
「親きょうだいのないのも嘘か」
「兄が一人いるわ、調布というところでお百姓をしているの」
「そこへ帰るんだな」
「あたし嫁にやられた家からとびだしたのよ、そんな土地へのこのこ帰れると思って、――まっぴらだわ、そんなこと死んでもごめん蒙こうむるわ」
参太は口をつぐんだ。宿の者が起きたのだろう、表をあける音がし、勝手と思われるあたりで、人の声が聞え始めた。
「大磯で泊ったときのこと、覚えてる」とおふさが囁いた、「あたしが、こんなこと初めてよ、って云ったこと、あんたを怒らせたのが悲しくなって、廊下へ泣きに出ていったこと、――恥ずかしい、ばかだわあたし、こんなこと決して云うまいときめていたのに、どうしたんでしょ、ああ恥ずかしい」そして参太の背中へ顔を押しつけながら云った、「お願いだから聞かなかったことにして、ね、いまのこと忘れちゃってちょうだい、お願いよ」
参太がやわらかに云った、「覚えていろの忘れちまえだの、おまえはむずかしいことばかり云うぜ」
「あんたのせえよ」夜具の中から云うため、おふさの声は鼻にこもったように聞えた、「あんたに会うまではこんなことはなかったわ、本当に、こんなだらしのないところを見せたことはなかったのよ」
「早くいい相手をみつけるんだな」背中を向けたまま参太が云った、「おまえはいいかみさんになるよ」
「あんたはだめなのね」
「もういちど云うが」
「女房持ち」とおふさが云った、「――あたしこうみえても芯の強いほうよ」
「大事にするんだな」と参太が云った、「おれはもう一と眠りするぜ」
二の六
炭屋河岸の小助店だなという長屋から出て来ると、子供が駆けよって「おじちゃん」と呼びかけた。振向くと子供はにっと笑い、逃げ腰になりながら「おれ腹がへっちゃったんだよ」と云った。
「よう、どうした」と参太が云った、「おめえこんなところにいたのか」
塔の沢からさがった、三枚橋のところで会った子供である。あのときと同じぼろを着、繩の帯にはだしで、乞食というよりも、山から迷い出て来た熊の仔こ、といった感じだった。
「あの女の人いっしょじゃないね」
「腹がへってるって云ったな」
子供は首を振った、「そんなでもない」
「箱根でもそう云ってたぜ」
「誰にでもってわけじゃないさ」と云って子供は参太を見あげた、「おじちゃん、捜す人がいなかったらしいね」
「いなかった、――おめえ、おれが人を捜しに来たってことを知ってるのか」
「おじちゃんが訊いてるのを聞いちゃったんだ、これからまた大鋸町へ戻るのかい」
「きみの悪いやつだな、大鋸町のときから跟けていたのか」
「ずっとだよ、沼津からずっとさ、おじちゃん気がつかなかったのかい」
参太は子供の顔をみつめた、「大磯でも、藤沢でもか」
「神奈川じゃ柏屋で泊ったね」
「おどろいたな、どうして声をかけなかったんだ」
女の人がいたもの。女は嫌いか、と参太が訊いた。嫌いさ、女はみんながみがみ小言ばかり云うし、ひとを子供扱いにしやがる、女には近よらねえことにしているんだ、と子供は云った。
作次は長屋をひきはらった。今年の三月だという、おさんに男ができて、作次は酒びたりになり、おさんがいなくなった。作次は狂ったようにおさんを捜しまわったが、みつけだしたのかどうか、彼もまた長屋をとびだしてしまった。日本橋の魚河岸で軽子でもしているらしい、そのあたりで酔いつぶれているのをよく見かける。長屋の者はそう云っていた。――初めに大鋸町を訪たずねたが、作次の女房はなにも云わなかった。そこも一と間きりの長屋で、これという家財道具はなく、がらんとした薄暗い部屋の中で、作次の女房は鼻緒作りをしていた。もとは縹緻よしだったろう、眼鼻や顔だちはととのっているが、哀れなほど窶つれて、頸や手などは乾いた焚木のように細かった。作次は炭屋河岸の小助店にいる、そう云うだけで、あとはなにを訊いても返辞をしなかった。七つと五つくらいの女の子に、よちよち歩きの男の子がいた。三人きょうだいなのだろう、三寸ばかりの竹切を使って遊んでいたが、誰かにないしょでやっているように、動作も静かだし、なにか云うのもひそひそ声であった。女房も三人の子供たちも、しまいまで参太を見ようとはしなかった。
「東は、――東だろうな水戸は」と子供は歩きながら話していた、「江戸から見ると北かな、おじちゃん東かい北かい」
「なにが」参太はわれに返ったように振返った。「うん水戸か、そうさ、東北かな」
「そっちは水戸までしかいかなかった、西は須磨ってところまでいったけどさ、こんどはおれ仙台までいってみようと思うんだ」
「うちや親たちはどこなんだ」
「いま話したじゃねえか、聞いていなかったのかい」子供は舌打ちをした、「丑年の大水でみんな死んじゃっただろう、おれは七つでさ、町預けになったけれどつまんねえから、きっぺと二人で逃げだしたんだ」
「それからずっとそうやってるのか」
「結構おもしろいぜ」と子供は続けた、「寝たくなれば好きなところで寝るし、行きたいところがあればどこへでもゆけるしさ、小言を云われる心配はねえし、使いや用をさせられることもねえんだから」
「腹はいつもへってるんだろう」
「あれはたんかだよ、これと見当をつけた人があるとあれをやるんだ、腹なんかへっちゃあいねえ、銭が欲しいときだけさ」そこで子供は仔細らしく太息といきをついた、「――きっぺのやつはしっこしがねえのよ、三年めになったらくたびれちまったって、畳と蒲団が恋しくなったなんて、駿河の府中ってとこでふけちまやがった、ふん、いまごろはどこかで樽拾いか子守りでもやらかされてるんだろうさ、こっちは一人になって却ってさばさばしたけどね」
「そんなことをしていて、役人に捉まりゃあしないか」
「悪いこともしねえのにかい」子供は小さな肩を揺りあげ、ふんと鼻をならした、「たいてえの役人とはもう顔馴染なんだぜ、箱根の関所なんぞ役人のほうから挨拶してくれるよ」
「たいした御威勢だな」
「大名なみとはいかねえさ」子供は舌を出したが、急に立停った、「おじちゃん、飯田屋へ帰るのか」
「荷物が預けてあるんだ」
「女の人が待ってるんだね」
「いやあしない、あれとは今朝いっしょに出て別れたよ」
ほんとかい。本当だ。またいっしょになるんだろう。どうして、と参太が訊いた。だってそんな気がするもの、あの女はくっ付いてはなれねえと思うな、と子供は云った。
「そんなことが気になるのか」
「おれは女が嫌いだって云ったじゃねえか」
「だからどうだっていうんだ」
子供は暫く黙って歩いた。そして、よく考えていたというような口ぶりで、恥ずかしそうに云った。
「おれもね、もしなんだったら、ねえ」
だが参太はもう聞いていなかった。
作次のところから出ていったとすると、おさんを捜す手掛りはないと思った。しかしそうではない、作次はきちがいのようになって二人を捜しまわったという。それから仕事もせずに酒びたり、ついには長屋へも帰って来ず、魚河岸で軽子のようなことをしているということだ。ことによると、作次はおさんのいどころを知っているかもしれない。そうだ、捜し当てたとみるほうが筋がとおる、二人のいどころを突止めたが、おさんを伴れ戻す望みはなかった。それですっかりぐれだした。おそらくそんなところだろう、とにかく作次に当ってみることだ、と参太は思った。
「おまえなんていう名だ」
「おれのか」子供はさもうんざりと云いたげに首を振った、「おじちゃんはなんにも聞いてねえんだな、さっきそ云ったばかりじゃねえか、伊三だよ、伊三郎ってんだってば」
「悪かった、そうか伊三だったけな」
「もう一つのほうも忘れたんじゃねえのか」
「なんのことだ」
「あれだ、どうもおかしいとは思ったよ、あんまりよしよし云うもんだから、――子供だと思ってばかにしてたんだな」
「怒るなよ、考えごとをしていたんだ」と云って参太は立停った。「おめえおれに頼まれてくんねえか」
「自分のことで頭がいっぱいなんだな」
「そっちの話も聞くよ、もういちど云ってみてくれ」
「おれのほうはあとだ」と伊三は小なまいきに片手を振った、「おじちゃんのほうを先にするから用を云ってくんな」
二の七
その夜の十時すぎ、――参太は魚河岸の外はずれにある「吉兵衛」という居酒屋で飲んでいた。まえの年に、飲食店の時間にきびしい制限が布令れ、もちろん裏はあるにはちがいないが、この魚河岸はまるで別格のようで、表もあけたまま、軒提灯も掛けたまま、客は遠慮のない高ごえで、笑ったりうたったり、囃たてたりしていた。
「どうするのさ」と脇に腰掛けている伊三が、囁き声で訊いた、「なにを待ってるんだい」
参太は左手でそっと、伊三の腕を押えた。伊三は黙った。
作次はまだしらふのようにみえた。伊三が半日がかりで訊きまわり、毎晩、必ずこの「吉兵衛」へあらわれて飲みつぶれる、ということをさぐり出したのだ。参太は八時ころにここへ来て酒を注文し、伊三はめしを喰べるととびだしていった。作次の来るのを見張るのだそうで、彼は自分の頼まれたことに、大きな責任と誇りを感じているようであった。参太はあまり飲めないほうだが、この賑やかな広い店の中では、舐なめるような彼の飲みかたもそれほど眼立たず、ようやく二本めに口をつけたとき、伊三が戻って来て作次のあらわれたことを告げた。
「おれ外へ出てるよ」と伊三が云った、「こういうところはおれにはまずいんだ、みんな見やあがるからね、いいだろう」
参太は頷ずき、伊三は出ていった。
作次は壁際に並べた飯台の端に、独りはなれて腰を掛け、突出しの小皿を二つ前にしたまま、ゆっくりした手つきで飲んでいた。年は三十六七、膏あぶらけのぬけた灰色の顔に、眼と頬が落ち窪んでいた。古びた印半纒に股引、緒のゆるんだ草鞋を素足にはいていた。――この店には女けはなかった。十二三から四五くらいまでの小僧たちが六人、いせいのいい声で注文をとおしたり、すばしこく酒肴を運んだりしている。作次はいい客ではないらしく、見ていると、幾たびも呼ばなければ、小僧たちは近よらなかったし、注文を聞いてもあとまわしにされるようであった。
作次が燗徳利をさかさまに振り、酒をしたむのを見て、参太は立ちあがった。近くにいた小僧を呼んで、向うへ移りたいと云うと、小僧は首を振った。店の定さだめで知らない客同志が盃のやりとりをすることは断わると答えた。いや、あの男は知り合いなんだ、久し振で飲むんだから頼む、これは駄賃だと云って、幾らかの銭を握らせた。そして酒と肴の追加を命じ、作次の脇へいって声をかけた。
「そうだ」と答えて作次は眼をあげた、「おらあ作次だが、なにか用か」
「ちょっと訊きたいことがあるんだ」と参太は穏やかに云った。「飲みながらにしよう。ここへ掛けてもいいか」
作次は顎をしゃくった。参太は腰を掛け、小僧が参太の酒肴を持って来た。作次は無表情に、ぼんやりと前を見やっていたが、新しい酒が来、参太が酌をしてやると、飢えたもののように、四つ五つたて続けに飲んだ。それから初めて、いま飲んだ酒に気づいたというようすで、参太の顔を見て云った。
「おらあからっけつだぜ」
「たいしたことはないさ」と参太は酌をしてやりながら云った、「まずくなかったらやってくれ、ちっとは持ってるんだ」
「この店は夜明しやるんだ」
「そうだってな、おれは強くはないが、おめえのいいだけつきあうぜ」
「おめえの酌はへただな」と作次が云った、「徳利を置いてくれ、手酌でやるから」
「じゃあめいめいにしよう」
駄賃が効きいたのか、小僧が肴を二品ずつに、酒を四本持って来た。それを見たとたん、作次の眼が活いき活きと光を帯び、落ち窪んだ頬にも赤みがさすように感じられた。いいのか、親方、と作次が云った。これはたけえほうの酒だぜ。大丈夫だ、心配はかけないから飲むだけ飲んでくれ、と参太は答えた。こんなことは久し振だ、いや肴はいらない、このうちで食えるのは塩辛だけだ、この店の鰹の塩辛はちょっとしたものだが、この酒には合わない、肴はこの新香だけで充分だ。作次はそんなことを云いながら、香の物にも箸はつけず、いかにもうまそうに酒だけを飲み続けた。――訊きたいことがある、と参太が話しかけたことは忘れていたらしい。二合の燗徳利を四本あけるまで、参太にはわけのわからないことを、休みなしに独りで饒舌り、独りで合槌を打っていた。そして、五本めに口をつけたとき、初めて思いだしたように、盃を持った手で参太を指さした。
「おめえ、さっきなにか訊くことがあるって云ったようだな」
「たいした話じゃあねえ、おさんのことだ」と参太は云い、云ったことを打ち消すように酒をすすめた、「まあ一ついこう、たまに一度ぐらいは酌をさせてくれ」
「親方とどこで会ったっけ、柳橋か」
「親方はよしてくれ」と参太が云った、「としからいったっておめえのほうがあにきだ、作あにいと呼んでもいいか」
「としのことを云ってくれるな」作次は左手で頬杖を突き、顔を歪めた、「おさんか」と作次は遠い俤を追うような眼つきで呟つぶやいた。
「あんな女はこの世に二人とはいねえな。可愛いいやつだった、頭のてっぺんから足の爪先まで、可愛さってものがぎっちり詰ってた、ほんとだぜ、この世でまたとあんな女に会えるもんじゃあねえ、一生に一度、おさんのような女に会ったら、それでもう死んでも思い残すことはねえと思う、ほんとだぜ」
作次の全感覚に、おさんの記憶がよみがえってくるのを、参太は認めた。一升ちかい酒の酔で感情も脆くなったのだろう、作次の落ち窪んだ眼から、突然、涙が頬を伝ってこぼれおちた。彼は初めておさんと会ったときのことを話した。雪の降る日、九段坂の途中で、おさんが足駄あしだの鼻緒を切って困っていた。作次は自分の手拭を裂いて鼻緒をすげてやり、それから淡路町の鳥屋で、いっしょにめしを喰べた。時間にすれば半刻くらいだが、鳥屋を出たときには、二人はもう互いにのぼせあがっていた。
「あたしをあんたのものにして、と初めての晩おさんは云った」作次は頬杖を突いていた手で、ぎゅっと顎を掴んだ。「身も心も、残らずあんたのものにして、決してあたしをはなさないでちょうだいって、こっちの骨がきしむほど、手足でしがみつきながら云った」
作次は眼をつむった。参太は黙っていた。作次は自分の回想に全身で浸ひたってい、そこに参太が聞いていることなどは、まったく意識にないようにみえた。まわりの客は絶えず変っていた。腰を据えて飲んでいるのは二た組か三組で、ほかの客はあっさり飲んですぐに引きあげる、「さあ、なかへとばそう」とか「そろそろ川を越そうか」などと云う声も聞えた。入れ替って来る客もたいてい同じようで、遊びにゆく下拵らえに飲む、というふうであった。
「おらあ女房子を捨てた、おさんもそれまでいっしょにくらしていた男を捨てた」と作次は続けていた、「おれがしんけんだったのは断わるまでもねえ、おさんもしんじつおれが好きなようだった、――だが、あのときになると、いざっという間際になると、おさんは夢中で男の名を呼びはじめる、おれの知らねえ男の名をだ、――それを聞くと、とたんにおれは、躯からだぜんたいが凍っちまうように思った」
新しい酒が来た。参太が作次の前へ置いてやると、彼は汁椀を取って、中の物はすっかり土間へあけ、酒をその汁椀へ注ついで呷った。
「男にとってこれほど痛えことがあるか、おらあかっとなって、叩き起こしておさんを責めた、悪党が」と作次は呻き声をあげ、左手で髪の毛を掴みしめた。「この悪党が、おさんを殴り、叩き倒し、足蹴にかけた、――可哀そうに、おさんはあやまるばかりだった、自分ではなにも知らない、そんな男の名は知らない、夢中でわけがわからなくなっただけだ、あんたのほかにみれんのある男などはいない、どうか堪忍してくれって」
やっぱりそうだったのか、と参太は心の中で呟いた。あのたまゆらぐ一瞬のありさまが、こまかい部分まで鮮やかに思いだされる。おさんのからだにあらわれる異常な陶酔や、激しい呼吸や叫び声などが、そこにあるもののようにはっきりと感じられる。それをこの作次も味わったのだ、作次のその手や肌が、おさんの肌を愛撫し抱き緊め、思うままにしたのである。そう考えながら、参太の気持には憎しみも嫉妬も起こらなかった。おさんも哀れであり作次も哀れだった。ことに作次は男同志だから、深く傷ついた心の耐えがたい苦痛、というものがよくわかり、できるなら手を握って慰めてやりたいという衝動さえ感じた。
「いつ、どうしてそんなことになったのか、おらあ知らなかった」作次は話し続けていた、「或る日おれが帰ってみると、おさんはいなかった、百日足らずのくらしで、着物も二三枚、帯も二本作ってあった、もちろんほかにもこまごました物があるのに、みんなそのままで、なに一つ持ち出してはいない、だがおれには、おさんが家出をしたなとすぐにわかった、仕事が板前だから、帰りのおそくなるのはふつうだが、その日は宵の八時まえだった、まっ暗な家の中へはいって、行燈に火を入れたとき、きちんと片づいた、人けのない部屋を見まわしたとたんに、ああ出ていったな、とおれは思った」
そこまで話して、急に作次は参太のほうを見た。いま眼がさめた、といったような眼つきで、自分の持っている汁椀を見、また参太の顔を見た。
「おめえ誰だっけ」と作次は訊いた。
「おさんの兄だ」と参太が答えた、「おさんのいどころを捜しているって、さっき云ったじゃあねえか」
「そうか、――」作次は頭を垂れ、垂れた頭を左右に振った、「おさんなら山谷の棗店にいるよ、男の名は岩吉、まむしという仇名あだなのある遊び人だ」
「どうして捜し当てた」
「忘れちまった」作次は汁椀の酒を飲んだが、酒は口の端からこぼれて、股引の膝を濡らした、「忘れちまったが、おさんのような女の肌を知った男なら、誰だってきっと捜し出さずにゃあおかねえだろう、現に、――そうよ、現に炭屋河岸の長屋へも男が捜しに来た、牛込のほうでおさんとくらしていた男がな、まるっきり白痴みてえになってたが、それでもどこをどう手繰ったものか捜し当てて来た、おさんはそういう女なんだ」
「それであにいは、伴つれて帰らなかったのか」
「ああ」と作次は眼をつむり、殆んど聞きとれないくらい低い声で云った、「おれを見たおさんの眼で諦めた、男が邪魔をしたら、叩っ殺してもおさんを伴れ戻すつもりだった、ふところに刃物を隠していったんだが、――おさんの眼は他人の眼だった、おれを忘れたんじゃあねえ、覚えてはいるが、まったく縁のねえものを見る眼つきだった、――いっしょになって三四十日経たってから、ときどきそういう眼つきをすることがあった、おれの顔をじいっとみつめている、どこの人だろう、といったような眼つきで、そこにおれという人間のいることが腑におちない、といったような眼つきだった、――山谷のうちでは、それよりもっとよそよそしい、あかの他人を見るような眼つきなんだ、薄情も情のうちと云うが、そんなものさえ感じられなかった、それでおれは帰って来ちまったんだ」
参太は彼に酌をしてやり、それから静かな声で云った。
「大鋸町のうちへ帰るほうがいいな」
作次はゆっくり参太を見た、「大鋸町がどうしたって」
「おかみさんや子供たちが待ってる、そっちのけりがついたんなら、いいかげんにうちへ帰るほうがいいと思うがな」
「死人しびとにうちがあるか」と作次は云った、「おれは死んじまった人間だ、ここにいるおれは」と彼は右手で自分の胸を掴んだ、「このおれは、死骸しがいも同然なんだ、それがおめえにわかるか」
「とにかく、大鋸町ではみんなが待っているぜ」
「おめえ、なんてえ名だ」ふっと作次の眼が光った、「さっき誰だとか云ったっけな」
「あいつの兄きだよ」
作次は突き刺すような眼で、参太の顔を凝視してい、それから歯を見せて冷笑した。
「云うことは同じだな」と作次は歯のあいだから云った、「――何番めの男だ」
参太は自分の盃に酒を注いだ。
「おめえはおさんの何番めの男だ」と作次がひそめた声で云った、「おい、聞えねえのか」
「聞いてるよ、酒がこぼれるぜ」
作次は汁椀を見、ふるえる手でそれを持つと、七分がたはいっている酒を一と息に飲みほした。参太はしおどきだと思い、小僧を呼んで勘定を命じた。作次は口の中でなにか呟きながら、ふと立ちあがって、土間の奥のほうへふらふらと歩いていった。参太は勘定を済ませたうえ、作次がもっと飲みたがったら飲ませてやるようにと云って、幾らかの銭を渡した。
「あの人はどうせ朝まで動きませんがね」と小僧は云った、「でもこんな時刻になって、親方はうちへ帰れるんですか」
「銭が口をきくからな」と参太は云った、「あの男を頼むよ」
参太は外へ出た。小網町までゆけば知っている船宿がある、そこで泊ってもよし、舟でまわって飯田屋へ帰ってもいいと思った。「吉兵衛」を出て、ほんの四五間歩いたとき、うしろから作次が追って来て呼びかけた。
「おいちょっと待ってくれ、話してえことがあるんだ」
参太は立停って振向いた。作次は喘ぎながら近よって来た。すると、すぐ右手のほうで「おじちゃん危ねえ」と伊三の叫ぶ声がし、作次が参太におそいかかった。参太の眼にはその動作が、枯木でも倒れるようにぎごちなく、ひどく緩慢なものに見えたが、実際には非常にすばしこく、無意識にひょいと身を捻ひねるとたん、作次の手が参太の半纒を引き裂き、その肩が激しくぶち当って来た。参太はその力に打たれてよろめき、よろめいたまま横へとんだ。そのとき、作次の顔へ小石がばらばらと投げつけられ、「おじちゃん逃げなよ」と伊三の叫ぶのが聞えた。作次は左手で小石をよけながら右手をあげた。その手に出刃庖丁があるのを見、投げるつもりだと直感した参太は、すばやく身を跼かがめながら走りだした。いまか、いまかと、背中へ庖丁の突き刺さるのを予期しながら、雨戸を閉めた家並の暗い軒下づたいに、彼は夢中で走った。うしろで二度ばかり、作次の喚わめき声がし、相当に距離ができたとわかったが、それでもなおけんめいに走り続けた。
「ばかなやつだ」と走りながら参太は呟いた、「なんて哀れなやつだろう」
二の八
小網町の河岸にあるその船宿「船正」を出たのは、明くる日の九時ころであった。参太の知っていた女主人はおととし死んだそうで、おとよという娘が婿をとり、まえより繁昌しているようすだった。
「大茂を継ぐ人はいないんですか」朝めしのあと、裂けた半纒を繕いながらおとよがそう云った、「ひいきにしていただいたみなさん、どなたもおみえにならないんですよ、どうぞ参ちゃんだけはまたいらしってね」そこで慌あわてて口へ片手を当て、肩をすくめながら羞はにかみ笑いをした、「ごめんなさい、いい親方になったのに参ちゃんだなんて、つい小さいときの癖が出ちゃったんですよ」
「参ちゃんか、なつかしいな」と参太は微笑した、「長いことそう呼ばれたことはなかった、それを聞いて初めて、江戸へ帰ったという気持になったよ」
「まさか怒ったんじゃないでしょうね」
「参ちゃんか」と彼はまた云った、「おちついたらやって来るよ、親方なんてえ柄がらじゃあねえ、これからもずっとそう呼んでもらいたいな」
山谷へゆくと云ったら、おとよは舟にしろとすすめた。しかし参太はそれを断わって「船正」の店を出た。時刻が九時過ぎなので、道にはあまり人どおりがなかった。参太は両国橋のほうへ歩いてゆきながら、ときどきうしろへ振返った。伊三が出て来るかと思ったのであるが、伊三もあらわれないし、作次の姿も見えず、浜町の手前で戻り駕籠かごをひろい、そのまま山谷へ向った。
棗店なつめだなは山谷町ではなく、ずっとはずれの、山谷浅草町にある長屋だった。そこから先は家がなく、茶色に実った稲田のあいだを、乾いた道が千住せんじゅのほうまで続いてい、仕置場や、火葬寺の林などが眺められた。長屋は八棟あり、岩吉のいた家はすぐにわかったが、そこにはべつの者が住んでいた。その女房はなにも知らず、差配を教えてくれたので通りへ戻り、小さな荒物屋をやっている太助の店を訪ねた。――差配の太助も留守で、五十六七になる女房が袋貼りをしていた。岩吉のことを訊くと、女房はぎょっとしたようすで、袋貼りの手を休め、疑わしげに参太の顔を見まもった。
「あなたはどなたです」と女房は咎めるように訊き返した、「親類の方ですか」
「まあそんなところだが、――おさんというかみさんがいたでしょう」
「いましたよ、いいおかみさんでした、岩吉なんていう男にはもったいないくらいいいおかみさんでしたよ」
「二人で引越したんですか」
「引越しですって」女房は吃驚びっくりしたような眼つきになった、「じゃあ、あんたはなにも知らないんですね」
女房の口ぶりに、参太は不吉なものを感じて、すぐには言葉が出なかった。
「おかみさんは殺されましたよ」と女房は云った、「ええ、岩吉のやつにね」
参太は唇を舐なめた。
「殺された」と彼はねむそうな声で、ゆっくりと反問した、「おさんが、殺されたっていうんですか」
「七月中旬でしたかね、おかみさんが男をつくったとかなんとか、やきもちのあげくってことでした、匕首あいくちで五ところも刺されて外へ逃げだしたところを、追って出た岩吉のやつにまた刺されて、井戸のところで倒れたまんま死んだんです」
参太はするどく顔を歪め、右手を拳こぶしにして太腿ふともものところへ押しつけた。
岩吉はすぐに自首して、いまは石川島の牢にいるらしい、やがて八丈へ送られるという噂である。おさんは身寄の者がわからないで、真慶寺しんけいじの無縁墓へ葬った。――女房がそう話すのを、黙って頷きながら聞き終り、まもなく、参太はその家から出た。まったく思いがけないことでもあり、また、そんな結果になるだろうと、心のどこかで予想していたようにも思えた。
「結局、おさんは独りで厄を背負ったんだな」歩きながら彼は呟いた、「おれはこうして生きている、おれはいつも逃げた、おさんからも逃げたし、ゆうべは作次からも逃げた、――みんなは逃げなかった、おさんは殺されるまで自分から逃げなかったし、作次はあんな姿になるのもいとわなかった、そして岩吉はいま牢にいるというし、牛込のほうの男は白痴こけのようになってしまったそうだ」
参太は立停った。駕籠がゆき、馬に荷を積んだ馬子がゆき、浪人ふうの三人伴づれが、彼を不審そうに見ながら通りすぎた。
「しんけい寺とかいったな」暫くしてそう呟き、その自分の声で参太はわれに返った、「――慥たしかしんけい寺と聞いたようだ」と彼は自分を慥かめるように、声を出して云った、「この近くだろうな、訊いてみよう」
真慶寺はそこから四五丁先にあった。そこは寺と寺にはさまれていて、あまりいい檀家だんかがないのか、小さな黒い山門も片方へかしいでいたし、境内けいだいには雑草が伸び、墓地には石塔の倒れたままになっているのが眼立った。庫裡くりへ寄るつもりだったが、死んでから供養するのもそらぞらしいし、そんなことでおさんがうかばれもしまいと思い、そのまま墓地へはいっていった。――無縁墓は隅のほうにあった。土饅頭どまんじゅうだけで墓標もなく、卒塔婆そとばがざっと五六本立っていた。参太は墓を一とまわりしたが、ふと足もとの地面に、なにか眼を惹ひくものがあるようなので、注意して見ると、小さな花が咲いているのに気がついた。そして、それがひるがおの花だとわかったとき、彼はどきんと胸を突かれたように感じ、かなり長いあいだ、口をあいたままでぼんやりとその小さな花を見おろしていた。
一の六
ありがとう、覚えていてくれたのね。おれは無縁墓の前にしゃがみ、摘み取ったひるがおの花を一輪、黒い土の上に置いた。あんたがその花で怒ったんじゃないってこと、いまのあたしにはわかるのよ、でもあんたはいっちまったわね。おれは合掌しようとしたが、できなかった。ただ頭をさげ、眼をつむって、勘弁してくれと心の中であやまった。あんたはいてくれなくっちゃいけなかったのよ、あたしそう云ったでしょ、あんたに捨てられたらめちゃくちゃになっちまうって、あたし泣いてあんたに頼んだ筈よ。覚えてるよ、しかしおれはおまえを捨てたんじゃあない、きっと帰って来ると約束したし、帰って来るつもりだったんだ。あんたはあたしを放しちゃあいけなかったのよ、あたしのからだの癖を知っていたでしょ、あんたはあたしがこういうからだに生れついたことを、仕合せなんだって云ったわね、こういうからだに生んでくれた親たちを、有難ありがたいと思わなければならないって、そうでしょう。そうだ、おれはそのとおりのことを云った。けれどもよく考えてみればそうではない、そういうからだ癖は却って不幸の元になった。おさん自身でもどうにもならないそのからだが、おさんをほろぼすほうへ押しやったのだ。あんたがいてくれれば、こんなことにはならなかったのよ。いや、それはわからない、しんじつおれはがまんができなかったんだ。あんたがよ、あんたはがまんができなかった、なぜがまんができなかったのか、あたしにはわからなかったわ、なぜわけを云ってくれなかったの、はっきり云ってくれれば、あの癖を直すことだってできたかもしれないじゃないの、どうして云ってくれなかったの、どうして。おれには答えようがない、ことがことだけに、どうにも口には出せなかった、一年か二年はなれていれば、どうにかおさまるんじゃないかと思ったんだ。あたし辛つらかったわ。うん、よくわかるよ。わかるもんですか、あんたはそのとおり丈夫で生きている、これから好きな人をおかみさんに持って、親方とか棟梁とか云われるようになるんでしょ、あたしがあんたを忘れようと思って、男から男をわたり歩き、それでもあんたのことが忘れられないで、また次の男にすがってみてもだめ、自分もめちゃめちゃになるし、相手の男たちもみんなだめにしてしまったのよ、この辛さ苦しさがあんたにわかってたまるものですか。そうだ、そのとおりかもしれない、勘弁してくれ。おれはようやくおさんと会っているような気持になれた。生きていたおさんよりも、もっとおさんらしいおさんと会っているように。するとおさんはやさしくなった。あたし、あんたを怨んではいないわ、あんたといっしょになったとき、これでもう死んでもいいと云ったでしょ、あたしあんたのおかみさんになって、一年たらずだったけれど夫婦ぐらしをしたんですもの、それで本望だったし、そのあとのあたしはもうこのあたしじゃあなかったのよ、死んだからもういいだろうけれど、生きていたらあんたには会えなかったわ、江戸へ帰って来ても捜さないでちょうだいって、いつか手紙をあげたわね、生きていたとすれば、たとえあんたがどう云おうと、あたしは決して会わなかったわ。おれはそうはさせないつもりだった、むりにでもおまえを引取って、もういちど二人でやり直す気でいたんだ。いいえだめ、このほうがいいの、あたしはこうなるように生れついていたのよ、二十三で死んだけれど、人の三倍も生きたような気がするの、たのしさも、苦しさも辛さもよ、おまいりに来てくれてありがとう、うれしかったわ。おれはもっと頭をさげ、堪忍してくれ、と声に出して云った。おさんはもうなにも云わないようであった。
二の九
参太が墓地を出ようとすると、傍の雑木林の中から伊三があらわれた。
「びっくりさせるな」参太は本当に驚かされた、「どうした、どこから跟つけて来たんだ」
「ずっとさ」伊三は鼻をこすった、「飯田屋までいってみて、いないんで今朝はやく引返して来たんだ」
「飯田屋へ泊ったのか」
「宿屋なんかに泊りゃあしねえさ、寝るところなんざどこにでもあるよ」
参太は歩きだしながら云った。ゆうべの男はどうした。酔いつぶれて道ばたへ寝ちまったよ。どうしておれをみつけだした。引返して来て小網町まで来ると、うしろ姿が見えたんだ。声をかければよかったのに、おれもおまえが来るかと待っていたんだぞ。迷ったんだよ。なにを迷った。黙っていっちゃおうか、それとも別れを云ってからにしようかってさ。おまえゆうべなにか云ったな、なにか頼みがあるっていうようなことを云やあしなかったか。もういいんだよ、忘れちゃってくれよ。話すだけ話してみろ、ゆうべは危ねえところをおまえのおかげで助かった、礼と云うときざだが、おれにできることなら力になるぜ、話してみろよ、と参太は云った。
「話してもむだなんだがな」と伊三は考えぶかそうに云った、「おれねえ、ほんとのこと云うともう十二になるし、いいかげんにおちつこうかと思ったんだ」
「そう気がつけばなによりだ」
「おじちゃんのこと好きだしさ」と伊三は続けた、「できるなら弟子でしにしてもらってさ、半人なみでもいいから職人になりてえって思ったんだよ」
「それが本気ならよろこんで」
「いけねえんだ」と伊三は首を振って遮さえぎった、「それがだめなんだ、おれが女は嫌いだって云ったのを覚えてるだろ」
「聞いたようだな」
「女がおじちゃんを待ってるんだ」
参太はぞっと総毛立った。おさんが待っている、というふうに聞えたからだ。参太は立停って伊三を見た。
「誰が、――待ってるって」
「箱根からいっしょに来た女さ」と伊三は逃げ腰になりながら答えた、「飯田屋へいって訊いてみたらさ、おじちゃんは帰らねえかって、番頭が云っているところへあの女の人が出て来たんだ」
「あれとはちゃんと別れたぜ」
「おれを見てあの女の人はどなりつけた、おまえまだあの人にくっついてるのかい、承知しないよってさ」伊三は黄色い歯をみせて、おとなびた含み笑いをした、「あたしたちに近よるんじゃない、わかったかいってさ、おっかねえ顔だったぜおじちゃん」
「あの女とは初めから話がついてるんだ、これから帰ってはっきりきまりをつける、あいつのことなんか心配するなよ」
「だめだな」伊三はまた首を振った、「おれはずっと街道ぐらしをしてきたから、人間の善し悪しはわかるんだ、なまいき云うようだけどさ、あの人はおじちゃんからはなれやあしねえよ、みててみな、どんなことをしたってはなれやあしねえから」
「ちょっと待て、まあ待てったら」
「おれ、やっぱり仙台へいってみるよ」伊三はうしろさがりに遠のきながら云った、「そのほうがまだ性に合ってるらしいからね、あばよ、おじちゃん」
参太は黙って見ていた。伊三はもういちどあばよと云い、くるっと向き直って、千住のほうへ駆けだした。彼の足もとから、白っぽい土埃が舞い立ち、小さなその躰はみるみるうちに遠ざかっていった。
「おふさが待っているか」と参太は口の中で呟いた、「――にんげん生きているうちは、終りということはないんだな」
初出:「オール読物」文藝春秋新社 1961(昭和36)年2月号
底本:「山本周五郎全集第二十九巻 おさん・あすなろう」新潮社1982(昭和57)年6月25日発行
※「頬笑」と「微笑」の混在は、底本通りです。
みずぐるま
山本周五郎
一
明和五年の春二月。――三河のくに岡崎城下の西のはずれにある光円寺の境内で、「岩本新之丞一座」というのが掛け小屋の興行をした。弘田和次郎は友人の谷口修理にさそわれて、或る日それを見物にいった。弘田家は六百五十石の老職で、家柄は国許の交代次席家老であるが、二年まえに姉の自殺したことが祟って、父の平右衛門は職を辞して隠居し、和次郎は十八歳で家督を継いだが、現在まだ無役のままであった。谷口修理は三百石の中老の子で、和次郎より二歳年長であり、和次郎にとっては母方の従兄に当っていた。
興行の掛け小屋は、丸太で組み蓆と幕で囲ったもので、楽屋と舞台は床があげてあり、客席の半分も桟敷になっているが、大半は立ったまま見物するようになっていた。番組は数種の舞踊と、唄、犬や猿の芸当、手品、曲芸などで、十二人いる座員は男より若い女のほうが多かった。ほぼ満員の客にまじって、座がしら岩本新之丞の槍踊りと、犬と猿の芸当、それに岩本操太夫という娘の手品まで見ると、和次郎は退屈になって「出よう」と云った。
「まあ待てよ、あそこに書いてある美若太夫というのを見せたいんだ」と修理はひきとめて云った、「もう二番くらいだから、もう少し辛抱してくれ」
和次郎は、やむなく承知した。
まもなくその美若太夫の「みずぐるま落花返し」という芸が始まった。太夫は十五六の少女であった、五尺二寸ばかりある躯からだはよくひき緊って、胸なども娘らしく発達しているが、しもぶくれの、どちらかというとまるっこい顔だちは、まだほんの少女のようにあどけなく、ものに驚いたような大きな眼や、うけくちのおちょぼ口などは、乳の匂いがするような感じであった。――派手な色柄の武者袴に水浅黄の小袖を着、襷たすき、鉢巻をして、赤樫の稽古薙刀を持っている。口上が済むと、舞台の一方に三人の男があらわれ、紅白の毬まりを取って美若太夫に投げる。太夫は薙刀を巧みに使って、それをみごとに打ち返すのであるが、三人が続けざまに投げるのを、一つも誤たず打ち返す技は、ちょっと水際立ったものであった。
「――外山のこずえ風立ちて、瀬に舞い狂うさくら花、打っては返すみずぐるま……」
口上がそんな囃言葉を入れると、小屋いっぱいに破れるような拍手と歓声があがった。
「どうだ、――」と修理が云った、「よく似ているだろう」
「うまいね」和次郎が頷ずいた、「旅芸人の芸じゃない、筋のとおった稽古をしている」
「なんだって」
「筋のとおった腕だ、旅芸人には惜しいよ」
「そうじゃない」修理が云った、「おれが云うのは、深江さんに似ているだろうというんだ」
和次郎は振返って修理を見た。痛む傷にでも触られたような、どきっとした表情であったが、修理は気がつかないようであった。和次郎はすぐに舞台へ眼を戻した、そうして、眉をひそめながら首を振った。
「いや、そうは思わないね」と和次郎は云った、「姉はもっと細かった、もっと沈んだ、憂い顔をしていたよ」
そして彼は、さらに強く眉をひそめた。
二
若尾が舞台からさがって来ると、葛籠番の久助爺さんが手招きをした。若尾は鉢巻と襷をとり、額の汗を拭きながら、刀架へ薙刀を架けてそっちへいった。
「若ぼうにお客さんだよ」と久助が楽屋のほうへ顎を振った、「ここの御家中のお武家らしい、さっきから親方と話してるが、どうやらおめえに好い運が向いて来たらしいよ」
「また、いやらしい話でしょ」若尾は鼻の頭へ皺をよせた、「この頃っていえば、どこの町へいってもいやらしい話ばかりよ、さすがの美若太夫も、うんざりだわ」
「好い運が向いて来たらしいよ」と久助は云った、「おらあ、ちょっと小耳にはさんだばかりだが、なんでも若ぼうを養女に貰いてえような口ぶりだった」
「そんなこと云って本当はお妾よ、定きまってるんだから」
「若ぼう、――」久助は眼をぱちぱちさせた、「おめえも、そんなことがわかるようになったのか」
「あたしだって、もうまる十四よ」
若尾は楽屋のほうへはゆかず、そこから一段下ったところの蓆をあげて、梯子づたいに外へおりていった。
「どこへゆくんだ」爺さんが云った、「もうすぐ親方に呼ばれるぜ」
「いないと云っといてよ、そんな話、まっぴらだわ」と若尾が答えた。
「あたし庄太夫を見にいってるけど、誰にも教えないでね」
梯子をおりたすぐ裏に、やはり蓆で囲った掛け小屋がある。幾台かの荷車や、馬や、道具類の置場であるが、若尾が蓆の垂をあげて中へ入ると、その薄暗い一隅に、小菊太夫という女が(跼かがんで)なにかしていた。
「どう、小菊さんのねえさん、産れた」
若尾はこう云いながら、そっと近よっていって覗のぞいた。
「まだなのよ」と小菊太夫が答えた、「初めてのお産だから骨が折れるらしいわ」
藁を敷いた箱の中に犬が横になっていた。二歳になる雌犬で「庄太夫」といい、小菊太夫の使う芸犬の一ぴきである。小菊太夫に腹を撫なでてもらいながら、「庄太夫」は苦しそうに舌を垂らし、激しく喘あえぎながら若尾を見あげて、くんくんと悲しげに啼ないた。
「しっかりするのよ庄ちゃん」と若尾は云った、「あんた赤ちゃんを産むんでしょ、そんなあまったれ声を出してるような場合じゃないじゃないの、うんと力みなさい、うんと」
小屋のほうからひときわ高く、調子の早い囃しの音が聞え、観客の喝采する声がどよみあがった。
「常盤さんの曲芸だわね」
「そうよ」と若尾が云った、「こんど、ねえさんの出番でしょ、あたしが庄ちゃんをみているわ」
「頼むわ、終ったらすぐ来るから」
小菊太夫は立ちあがって若尾と代った。若尾は跼んで、左手を犬の首の下へ入れ、右手で静かに腹を撫でた。小菊太夫は、暫くその手もとを見ていたが、やがて出てゆきながら云った。
「あまり強くしないでね、若ぼう、――袴の裾がひきずってるよ」
若尾は、さっと袴の裾をたくしあげ、ひどくいきごんだ顔つきで犬の介抱を続けた。
「お産のときは青竹をつかみ割るくらい力むんだってよ、庄ちゃん」若尾は休みなしに話しかけた、「まだまだそんなことじゃだめ、いざっていうときは障子の桟が見えなくなるんですってさ、此処には障子はないけれど、蓆の目だって同じことよ、蓆の目をしっかり見ているといいわ、さ、うんと力んで」
しかし、まもなく権之丞という若者が来た。二十歳になる背の低い男で、綱渡りを芸にしている。男ぶりもぱっとしないし、ひどい吃どもりで、身ぶり手まねなしには話ができなかった。
「だめよ来ちゃあ」若尾が振返って云った、「男なんかの見るもんじゃないわ」
「親方が呼んでるよ」吃りながら権之丞が云った、「客が来たんだ、楽屋で、若ぼうを呉くれってさ、お侍だぜ」
「たくさんだわ、いないって云ってよ」
「すぐに来いってさ」権之丞は顔を赤くし、唇を筒にして吃った、「お侍は帰った、三日も若ぼうの舞台を、続けて見に来たんだってよ、三日も続けてよ、それから養女に貰いてえって来たんだってよ、おめえゆくのかい」
「知るもんですか、そんなこと」
「ゆかねえでくれよ」権之丞は手を振り、唾をとばしながら云った、「若ぼうがいっちまうと、おれたちが淋しくなる、ほんとだぜ、おめえは、みんなの大事な若ぼうだからな、頼むからどこへもゆかねえでくれよ」
「ごしょうだから黙っててよ、庄ちゃんの気が散って産めやしないじゃないの」若尾は、もっと前へ跼んだ、「――さ、もうひと辛抱よ、おなかの中で赤ちゃんが動いてるでしょ、もうすぐだからがまんして」
「親方が呼んでるよ」と権之丞が云った、「いかねえと怒られるよ」
若尾は振返った。うるさいわね、そうどなろうとしたのだが、そこへ手品の操太夫が入って来た。舞台へ出る姿のままで、飴玉をしゃぶっていた。
「若ぼう、親方が呼んでるよ」と操太夫は近よりながら云った、「そんなもの、うっちゃっといて早くいきなさい、怒られるよ」
「だって、もうすぐ産れそうなのよ」
「いいからいきなさいってば、そんなことしなくったって犬は独りで産むわよ」
「あたし小菊さんのねえさんに」
そう云いかけたとき、また二人、丹前舞の仙之丞と、操太夫の後見をする縫之助とがとびこんで来た。
「ほんとか、若ぼう」と仙之丞がとびこんで来るなり云った、「おめえ、お侍の家へ貰われていくんだって、本当の話か」
「親方はそう返辞をしてたよ」と縫之助がまだるっこい調子で云った、「あとからすぐに伴つれてまいりますってさ、当人の出世のためですからって、ちゃんと約束していたよ」
若尾は立ちあがった。立ちあがって振返って、そこにいる四人の顔を順に見た。
「ほんとだよ」と縫之助が云った。
「でたらめよ、そんなこと」と若尾が屹きっとした声で云った、「みんなだって知ってるじゃないの、酒の相手に出せとか、お妾に欲しいとかって、いやらしいことばかり云って来るじゃないの、わかってるよ、もう」
「そんな話なら親方が断わる筈だぜ」と仙之丞が云った、「親方が承知したところをみると、そんなんじゃねえと思う」
「そうだとも」縫之助が大きく頷うなずいた、「本人の出世のためですからって、親方がちゃんと云ったんだから」
「ゆかねえでくれよ、若ぼう」権之丞が吃りながら云った、「親方だっておめえを手放すのは辛いんだ、本当の娘のように可愛がってるんだからな、おれたちみんなが、みんな自分の本当の妹のように大事に思ってるんだから」
「あたし、ゆきゃあしないわ」
若尾は胸を張って云った。
「大丈夫、どこへもゆきゃあしないから、あたし岩本一座の美若太夫よ、その話が、もしか本当だとしたってゆくもんですか、誰がくそだわ」
そのとき入口の垂をあげて、親方の孫右衛門が入って来た。白髪の六十ばかりの老人で、固肥りの逞しい躯に布子と胴着を重ね、片手をふところへ入れたまま、そこに立って、静かな細い眼で、じっと若尾を見まもった。――他の四人は固唾をのみながら脇へどいた、親方は少し、しゃがれた低い声で云った。
「おいで、若尾、でかけるんだ」
四人は若尾を見た。若尾は黙って、箱の中の庄太夫のほうへ眼をやった。犬は彼女を見あげ、悲しげに鼻でくんくんと啼いた。
三
若尾は弘田家に養女分として引取られた。
弘田の屋敷は黒門外といって、城の外濠に面していた。門の外の濠端道に立つと、左のほうに菅生曲輪、右に備前曲輪、そして菅生曲輪の向うに本丸の天守閣が眺められた。天守閣は屋敷の庭からも見えるし、若尾の部屋からも見ることができる。引取られて来て五日ばかりのあいだ、若尾は自分に与えられたその部屋で、天守閣を眺めては独りでよく泣いてばかりいた。
若尾を弘田家へ伴れて来た日、平右衛門夫妻のいる前で、親方が初めて彼女の身の上を語った。
――若尾は侍の子だ。と親方は云った。ちょうど十二年まえ、東海道の清水でなが雨にみまわれ、一座は木賃旅籠でとやについた。そのとき赤児を抱えた浪人者が同宿していたが、三月以上も病み続け、もう恢復の望みはなかった。浪人は河内伊十郎といい、どういうわけか孫右衛門をひどく信頼したようすで、この赤児を引取って育ててくれと云いだした。当時、孫右衛門はまだ妻が生きていたし、浪人の信頼するようすがしんけんなので、慥に引受けたと云って承知し、赤児といっしょに臍緒書や系図なども受取って、雨が晴れると同時に宿を立った。そのときは東へ下る途中だったが、小田原城下で興行しているところへ、頼んでおいた宿からの手紙で、河内伊十郎の死んだことを知らせて来た。
――その赤児が若尾なのだ。と親方は云った。これまで詳しい話をしなかったのは、もし旅芸人のまま終るとすれば、侍の子などということは知らせないほうがいいと思ったからであるが、幸い弘田家へ引取られることになったので話す。これからは生れ変ったつもりで、弘田家の名を辱しめないように、りっぱな娘にならなければいけない。
臍緒書や系図は弘田家へ預けた。岩本一座とは、これで絶縁したと思え、そう云って孫右衛門は帰っていった。
――せめていちど、みんなに別れを告げさせてくれ。
若尾はそういって頼んだ、庄太夫のお産を見てからにしたい、とも云ったが、孫右衛門はこわい眼で睨にらみつけ「侍のお子が、そんなみれんなことでどうしますか」と叱りつけたまま、振向きもしないで帰っていった。
それから殆んど部屋にこもりきりで、食事も満足にとらず、若尾は独りで泣いてばかりいたが、七日めの朝、妻女の豊が来て、自分といっしょに朝餉を喰たべようと云った。
「もう泣くのはたくさんでしょ」と豊は云った、「あちらにいるときは冗談がうまくって、みんなをよく笑わせたというではないの、さあ、機嫌を直していっしょにゆきましょう」
豊は四十一になる、痩せた小柄な躯つきで、顔色が悪く、眼にも力がなく、いかにも弱そうにみえた。
――お弱そうな方だわ。
若尾はいま初めて発見したような気持で、そう思いながら頬笑みかけた。
――お世話をやかせては悪いわ。
そして元気に頷いて立ちあがった。
「はい、御心配をかけて済みません、もう泣きませんから堪忍して下さい」
「それで結構よ、さあ、まいりましょう」
豊は眼を細めながら、やさしくなんども頷いた。若尾は少し尻下りの眼で笑いかけ、豊のそばへ寄りながら云った。
「奥さま、あたし負っていって差上げましょうか」
「え――」豊は眼をみはった。
「あたし力があるんですよ」と若尾は自慢そうに云った、「葛籠番の久助爺さんは足が悪いでしょ、ですからはばかりへゆくときはあたしが負ってあげるんです、奥さまは久助爺さんよりかも軽そうだから楽に負えますわ」
「まさかねえ」豊は笑いだした、「――でも有難う、わたしは大丈夫よ」そうして若尾をやさしく見て云った、「それから奥さまなんて云わないのよ、あなたは弘田の娘分になったんですからね、旦那さまのことは父上、わたしのことはお母さまと呼んでいいのよ」
「はい、お、お――」
若尾はそう云いかけたとたん、豊をみつめたまま急にべそをかき、ぽろぽろと手放しで涙をこぼした。豊は驚いて若尾の顔を覗いた。
「どうなすったの若さん」
「なんでもありません」涙をこぼしながら若尾は首を振った、「なんでもないんです、済みません、ただ――お母さまって呼ぶのは生れてから初めてだもんで、うまく口から出てこないんです」
「いいのよ」豊は眼をそらしながら云った、「もうすぐに馴れますよ、さあ、まいりましょう」
豊は、そっと若尾の手を握ってやった。
若尾は元気になり、家人と馴れていった。着物や帯が出来て来、髪も武家ふうに結うと、自分から努めて言葉を改め、行儀作法も習うようになった。もちろん長い習慣がそうすぐに直る筈はない、うっかりすると廊下を走ったり、乱暴な口をきいたり、庭で樹登りをしたりした。平右衛門も豊もあまり小言は云わなかった。和次郎もそんな若尾が好ましいようすで、いつも笑いながら見ているだけであった。
弘田家には家扶の渡辺五郎兵衛と、ほかに家士が七人と、下僕と下婢とで五人、馬を三頭飼っていた。若尾は侍長屋のほうへは近よるなと云われ、内庭の仕切からそっちへは決してゆかなかった。それは彼女が岩本一座にいたことを知られたくないためらしく、もし誰かに訊きかれたら、「江戸から来た親類の者だ」と答えるように云われていた。
二月下旬になった或る日。――和次郎が精明館の稽古から帰って来ると、若尾が眼を輝かせながら部屋まで追って来た。
「わたくしうかがいましたわ」若尾は昂奮した声で云った、「お母さまから、すっかりうかがいましたわ、若尾はみんな知っていますわ」
「ばかに力むね、なにを聞いたんだ」
「若尾をみつけて下すったのが誰かっていうことですわ、お兄さまですってね」若尾はきらきらするような眼で和次郎を見た、「――お兄さまがわたくしを見にいらしって、それからお父さまを伴れて来て、そうして若尾をぜひ貰うようにって、熱心におせがみなすったんですってね」
「つまり私を恨むっていうわけか」
「恨むですって、若尾がですか」
「だって、あんなに泣き続けるほどいやだったんだろう」
「あらいやだ」若尾は足踏みをし、すぐに気がついて云い直した、「あらいやですわ、わたくし泣いたりなんかしはしませんわ、もしか泣いたとすれば、いやだからじゃなく、ただ泣いただけですわ」
「へえ、ただ泣いただけですかね」
「ねえお兄さま、聞かせて、――」
若尾は、ちょっと声をひそめた。
四
「お母さまが仰っしゃるんだと、若尾は亡くなったお姉さまに似ているんですって」こう云って彼女は和次郎の眼を見た、「――お姉さまがいらしったってことも、二年まえにお亡くなりになったということも、初めて今日うかがったんですけれど、若尾がその方に似ているからお貰いになったんですって、本当でございますか」
和次郎は強く眉をひそめた。
「それは母が自分から話したのか」
「ええ、――」と若尾は頷いた、「なぜ若尾を貰って下すったのかと、うかがったら、そう仰しゃっていらっしゃいました」
「断わっておくが、これからは姉の話は決してしてはいけないよ」と和次郎が云った、「母はひどく弱ってみえるだろう、もとは、あんなではなかった、姉の死んだことが、あんなにひどくこたえたんだ、この家ではその話はしないことになっているんだからね」
「はい、――わかりました」
「それから」と和次郎は続けた、「若尾は姉には似ていないんだ、谷口修理という私の友達がひどく似ていると云うし、父もよく似ていると云った、それで、母にもよかろうというので貰うことになったんだが、私には、ほかに考えることがあったんだよ」
若尾は、じっと和次郎の口もとを見つめ、緊張した表情で、こくっと唾をのんだ。
「それはね」と和次郎が云った、「若尾の薙刀の腕にみこみをつけたんだ」
「まあ、いやですわ」
「本当なんだ、もちろん客に見せる芸だから、これまでのようではいけないが、生れつきの才分というか、若尾の薙刀には本筋のものがある、あとで武家の血をひいていると聞いて、みっちり稽古をすれば相当な腕になると思った」
「お兄さまも薙刀をなさいますの」
「私はやらないが姉が上手だった」和次郎の眉が、またしかめられた。が、こんどはそうきつくではなかった、「この家中には磯野萬という女史がいて、正木流の薙刀では江戸にも聞えた達者なんだ、姉も女史の教えを受けたのだが、若尾もそのうちに入門させよう、免許でも取るようになれば河内の家名が立つからね」
「わたくし云いませんわ」若尾が思いいったように唇をひき結んだ、「わたくし、できるでしょうかなんて申しませんわ、きっとやりとげますって云いますわ、きっとですわ」
「いまからそういきまくことはないよ、入門は、もっとさきのことだ、そのまえによく行儀作法を覚えなければね」
若尾は唇をひき結んだまま、黙って、こっくりと大きく頷いてみせた。
若尾は弘田家の生活に慣れていった。元気すぎるほど元気で、賑にぎやかな性分だから、母の心持もまぎれるらしい、その部屋からよく笑い声が聞えて来るし、顔色もよくなるようであった。これは平右衛門にとってかなり意外だったようで、あるとき彼は和次郎に云った。
「おまえの云うとおりだったな、私はまた深江に似ているので、却かえって悲しがりはしないかと思ったのだが」
「母親というものは娘を欲しがるそうですから」
「あの娘もいい気性だ」と平右衛門が云った、「ことによると儲けものかもしれないね」
和次郎はそのとき父に質問しようとして、口まで出かかったのだが、ついに云いだす勇気はなかった。
――姉さんは、どうして自殺したのですか。
彼はそう訊きたかったのである。
姉の自殺した理由は不明であった。ふだんからおとなしく、無口で、ひっそりとした人であった。そんな性質に似あわず、芸ごとは不得手で、学問と武芸が好きであった。ことに磯野門の薙刀では、三人の一人に数えられていた。それが二年まえの五月、十九歳で遺書も残さずに自殺したのである。――そのちょっとまえに縁談があった。相手は中老の伊原要之助という者で、老職の松平主膳を仲介に申込んで来た。深江はもう年も十九歳になっていたし、良縁なので父も母も乗り気だったが、いやなものを無理にというのではなかった。
――伊原さまにはお断わり下さい。
自殺する前の日に、深江は母にそう云ったという。とすれば縁談のためではないだろうが、ほかには思い当ることは(少なくとも和次郎には)なにもなかったのである。彼がひそかにみるところでは、母はなにか知っているようであった。それは、姉が死んだあとのまいりかたも尋常ではなかったし、死躰をみつけたときに殆んど狂乱して、
――なぜ母さんに相談してくれなかったのか。
と、かきくどいていた。
そんなことはそのとき限りで、あとは病気になるほどまいってしまい、深江という名を聞いても顔色が変るくらいであった。彼は慥かに母がなにか知っていると思い、母が知っているとすれば、父も知っているのではないかと想像した。それで、いちどは訊いてみたいと思っているのだが、いざとなると、つい気が挫くじけてしまう。理由がわかったところで、死んだものが生き返るわけでもなし、古傷に触ることもあるまい、と思い直してしまうのであった。
秋八月になって、若尾は磯野の道場へ入門した。
弘田一家でなにより案じたのは、若尾が岩本一座にいたということであった。世間には江戸の親族から養女に貰ったといい、藩へもそう届け出てある。本当のことを知っているのは弘田の家族三人と、交渉に当った家扶の渡辺五郎兵衛だけであった。もう一人、彼女を舞台でみつけて、和次郎を見物にさそった谷口修理も、若尾を見ればそれとわかるだろうが、運の好いことに彼は江戸詰になって岡崎から去った。若尾が、弘田家へ引取られてからまもなくのことで、弘田へも別れの挨拶に来たが、もちろん若尾には会わせなかった。任期は三年ということだから、そのうちには若尾のようすも変るであろうし、帰藩するじぶんにはもう美若太夫とはわからなくなるに違いない。よほど偶然なことが起こらない限り、彼女の前身は知れずに済むといってよかった。
若尾は元気に道場へかよった。
「わたくし今日は怒られてしまいました」かよい初めて半月ほどすると、若尾は和次郎の部屋へ来てそう云った、「お師匠さまってお婆さんのくせをして、ずいぶん大きな声が出るんですよ、わたくし耳が、があんとなってしまいましたわ」
「なにか悪戯でもしたんだろう」
「あらいやだ、――あらいやですわ、もうわたくし、まさか子供じゃあるまいし、悪戯なんか致しませんことよ」
「それじゃあ、なんで怒られたんだ」
「お稽古がまどろっこしかったんです」と若尾は云った、「もう半月も経つのに薙刀の持ちかたばかりやかましくって、あとは型しか教えてくれないんですの、わたくし、いいかげんうんざりしてしまったから、もうそろそろお稽古を始めて下さいって云ったんです」
「あのかみなり婆さんにか」と和次郎は笑いだした、「それは驚いた、それは大した度胸だよ」
五
「そうしたらいきなり、わんわんわんって、こんな眼をしてどなるんです、およそ武の道に基礎ほど大事なものはない、基礎は精神のかためである、おまえのような者は型ばかりで三年かかると思え、わんわんわんって、わたくし耳が裂けちゃったかと思いましたわ」
「基礎は大切だよ」和次郎は笑いやめて云った、「ことに若尾は癖のある技を覚えてるんだから、それをすっかり毀こわして、かからなければならない、本当に三年かけるつもりで、基礎をしっかりやるんだよ」
若尾は少し考えてから大きく頷いた。
「はいわかりました、悪い癖をすっかり毀すようにやります、大丈夫きっとやります」
そして、ぺこっとおじぎをした。
その年末のことであるが、和次郎が(束脩を持って)磯野へ挨拶にいったところ、萬女史はよろこんで座敷へあげ、案じていたのとは反対に、若尾のことをしきりに褒めた。――ほかの門人にひいきがあると思われては悪いから、これまでなにも云わなかったのであるが、じつは良い門人ができたので、弘田家へ礼にゆきたかったのだ、などと云った。
「あの人はものになります、これまでずいぶん門人も育てましたけれど、あんなに恵まれた素質を持った者はありません、もしできるなら、わたしが養女に貰いたいくらいです、しかし」と女史は意味ありげな眼をした、「――あれはこなたさまが嫁になさるのでしょう」
和次郎はどぎまぎした。思いもよらない不意打ちで、まごついたうえにちょっと赤くなった。
「私がですか、いや、とんでもない」
「よろしい、よろしい」女史は心得顔に手を振った、「あれは道場へ来ると、こなたさまのことばかり饒舌ります、誰彼なしにつかまえては、こなたさまの自慢ばなしです、わたくしにまでですよ、――あれは惚気のろけというものです」
こんどこそ和次郎は赤くなった。女史は男のようにからかい笑いをして云った。
「だがよく躾ないといけませんね、まだ若いからでしょうが、おそろしいくらい乱暴な悪戯者です、どんな家庭に育ったか見当がつかない、真実ですよ」と女史は眼を光らせた、「――秋のうちは専門に隣り屋敷の柿を取って同門人に配っていました、高塀の上を渡って柿の木へとび移って取るのです、この頃は柿がなくなったものだから、屋根へあがって雀を追いまわしています、まるであなた、猿か猫の生れ変りみたようなものです」
「それはなんとも申し訳がありません」和次郎は驚くと同時に恐縮した、「そんな悪戯をするとは、まったく気がつきませんでした、これからよく申しつけますから」
「そうして下さい、わたくしも折檻します」と女史は頷いて、そしてふと声をひそめた、「――なにしろ困るのはですね、あなた、隣り屋敷の柿は、また、ばかに美味いのですよ」
和次郎が黒門外の家へ帰ると、若尾は巧みに隠れて彼の近よるのを避けた。磯野でなにか聞いて来て、叱られるものと勘づいたらしい。和次郎は苦笑しながら知らん顔をしていた。すると案の定、夜になって若尾のほうから彼の部屋へやって来た。
「お師匠さまが、なにか仰しゃったでしょ」
さぐるように彼を見、囁やき声でこう訊いた。和次郎はむっとした顔で頷いた。
「ああ仰しゃった、すっかり聞いたよ」
「嘘なんです、大袈裟なんです」と若尾はせかせかと云った、「お師匠さまはとても大袈裟で、これっぽっちの事をこんなに凄すごいように仰しゃるんです、ほんとですのよお兄さま」
「すっかり聞いたよ」と和次郎は云った、「なにを聞いたかは云わないがね、私は恥ずかしくて顔が赤くなったよ」
若尾はじっと和次郎を見た。彼が本気かどうかを慥かめるように、――和次郎は硬い表情で黙っていた、彼は本気のようであった。すると若尾の(大きくみはった)眼から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ごめんなさい、お兄さま」と若尾は涙のこぼれる眼で、和次郎をまともに見つめながら云った、「わたくしが悪うございました、もうこれから悪戯は致しません、堪忍して下さい」
いっぱいにみひらいた眼から、ぽろぽろ涙をこぼしながら、真正面に和次郎を見つめたまま、少しも視線を動かさないのである。姿勢も正しく、手を膝に置いて、上躰をしゃんと立てたなりであった。いかにもはっきりとした悪びれない態度だし、そう真正面から見つめられるので、和次郎のほうが眼をそらさずにいられなくなった。
「それでいいよ」と彼は頷いた、「――悪戯をするのもいいが、度を越えないようにね」
「はい、お兄さま」
「それから、私のことなんぞ、あまり話すんじゃないよ」
若尾は不審そうに和次郎を見返したが、すぐにぼっと赤くなり、(こんどは)袂でいきなり顔を押えると、すばらしい早さで立ちあがって、障子や襖にぶっつかりながら、自分の部屋のほうへ逃げていった。
――あれは惚気というものです。
和次郎はそっといった。逃げてゆく若尾を見送りながら、磯野女史の言葉が鮮やかに耳の中で聞えた。あれは惚気というものです。そして、もう一つの言葉も思いだされた。
――こなたさまが嫁になさるのでしょう。
和次郎は、すばやくあたりを見まわした。その言葉が現実のように高く聞えたかに思われ、誰かに聞かれはしないかという気がしたからである。
「ばかなことを云う人だ」彼は苦笑しながら、こう呟やいた、「どういうつもりだろう」
そして和次郎は口をへの字なりにした。
年が明け、年が暮れて、明和七年になった。まる十六年の春を迎えた若尾は、磯野女史の秘蔵弟子として、門人中五席という上位にのぼり、新しい入門者に初歩を教える役についた。背丈はさして伸びず、稽古を続けているので脂肪も付かないが、ぜんたいに柔軟なまるみを帯びてきて、躯つきが娘らしくなった。――道場では相変らずで、活溌にはねまわったり、思いもつかないような悪戯をして、みんなを仰天させたり笑わせたりするらしい。しかも門人全部に好かれているし、先輩たちにまで頼りにされているようであった。ただ一人、中老の娘で緒方せいというのがおり、門中の首席で代師範も勤めていたのが、若尾のにんきのよいのに反感をもったとみえ、ひと頃ひどく意地の悪いことをした。若尾は辛抱づよく(まったく辛抱づよく)気づかないようすで、うけながしていた。そのため、ついには緒方せいのほうが居た堪らなくなり、やがて自分から磯野門を去ってしまった。
道場ではそんなふうであったが、弘田家における彼女はかなり変っていた。
明るい顔つきや、はきはきした挙措は元のとおりであるが、身だしなみに気を使うし、言葉少なになり、特に、和次郎に対してひどく臆病になった。まえにはよく彼の部屋へやって来たし、すすんで話しかけもしたものであるが、いつかしら、そんなこともなくなり、たまに和次郎が話しかけたりすると、顔を赤くし、身を縮めて、眼をあげることもできないといったようすをみせる。
――おかしなやつだ。こう思いながら、しかし和次郎のほうでも、なにやら眩まぶしいような気持になるのであった。
六
その年(明和七年)の五月、藩主の松平周防守康福は所替えになり、石見のくに浜田へ移封された。もともと石州は松平家にとっては本領の土地で、康福の曽祖父に当る周防守康映は浜田五万石余の領主であったし、その後も津和野の亀井氏と交代で、ながく同地を治めていたことがある。そしてこんどの移封も、周防守自身が、かねてから希望していたのを、かなえられたものであった。
移封の事が公表されるのと殆んど同時に、若尾が江戸邸へ召し出されることになった。これは磯野女史の推薦で、姫君の薙刀の手直し役に選ばれたのである。――初め若尾は頑としてきかなかった、病気だといって部屋にこもり、三日ばかり断食もしたが、和次郎がよくよく話して聞かせたうえ、ようやく承知させた。
「これは若尾のためばかりではない」と和次郎は云った、「――亡くなった若尾のお父さんや、河内という家名のためでもあるんだ、こんどのお役を無事にはたすことができれば、河内の家も再興できるかもしれないんだよ」それからまた云った、「これは私にとっても、また父や母にとっても、のがしたくない絶好の機会なんだ」
若尾は納得した。弘田の人たちを失望させたくないために承知した、ということが明らかにわかるような納得のしかたであった。
「浜田という処は遠いのでしょうか」
若尾は承知したあとで、和次郎の顔を見あげながら訊いた。
「ああ遠いね」と和次郎が頷いた、「この岡崎が江戸から七十七里、石州浜田は二百五十里ばかりある」
「二百五十里、……」若尾の大きくみひらいた眼から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。その涙のこぼれ落ちる眼で、くいいるように和次郎をみつめながら、若尾は云った、「――そんなに遠くでは、もし若尾が急病で死にそうになっても、お兄さまに来て頂くことはできませんわね」
「若尾が急病で、ああ」和次郎は首を振った、「ばかな、なにをつまらないことを云いだすんだ」
「お兄さまが急病になったときも若尾はお側へゆけませんわ、ねえ」若尾は指ですばやく両方の眼を拭いた、「ねえお兄さま、もしそんなことがあったら、どうしたらいいでしょうか」
和次郎は微笑した。若尾の心配がつまらないものだということを証明しようとするかのように。だが、――そのとき彼の胸にも二百五十里という距離の大きさが、まざまざと感じられた。そして、若尾の心配が決してつまらないものではなく、もしどちらかがそんなふうになるとすると、もう生きて逢う方法はないということが、まるで病気の発作のように激しく彼を緊めつけた。
「そうだ、若尾の云うとおりだ」と和次郎は、自分の感情を隠して云った、「しかしそんなことを考えたらきりがない、病気の性質によっては、同じ土地にいても死に目に逢えないことだってある、そうじゃないか、――急病になることなど考えるよりも、病気にならないように注意することが肝心だ」
若尾はおとなしく頷いたが、眼にはまだ、あとからあとから涙が溢あふれて来た。
「大丈夫、私たちは必ずまた逢えるよ」和次郎は穏やかに話を変えた、「――江戸へいったら気をつけて、仮にも岩本一座にいたなどということを悟られないようにするんだよ、今日までは幸い無事にやって来たし、ほかに知っている者はないんだから、若尾の性分だと、どんなとき自分から云いだすかもしれないからね、わかるだろう」
「若尾だって、もう子供じゃあございませんわ、そんなこと決して申したりしませんわ」
「それを忘れないように頼むよ」
和次郎は、なお何か云いたそうであった。云わなければならない大事なことがあって、それが口に出せないというふうであった。若尾にはそれがよくわかった。彼女にも云うべきことがあった、ひと言だけ訊たずねて、和次郎の気持を慥かめておきたいことが、――しかし、彼女にもそれを口に出すことはできなかった。
若尾は五月二十七日に江戸へ着いた。
初め大名小路の上邸へ入り、まもなく木挽町五丁目の中邸へ移った。そこは二の橋の袂にある角地で、一方に広い堀があり、庭の中へその堀から水を引いた池があった。邸内はさして広くはないが、すぐ裏が加納備中守の本邸で、どちらも庭境に樹が多く、市中とは思えないほど閑静であった。――若尾の住居は新しく建てたもので、小さいながら道場が付いていた。姫の手直しには御殿へあがるのであるが、その道場で家中の娘たちにも稽古をつけるのであった。そして、若尾のために弥兵衛という老僕夫妻と、滝乃という侍女が付けられた。
若尾は三日に一度ずつ上邸へあがる。手直しをするのは周防守の四女で、十五歳になる菊姫であった。
周防守には男子がなく、姫ばかり四人いた。長女には前田家から婿(左京亮康定)を迎え、二女は田沼大和守へ嫁し、三女は松平河内守乗保へ嫁していた。菊姫もすでに石川家と婚約ができていたが、婚約者の吟次郎総純(下野守総英の嫡男)が病弱なため、当分延期されるだろうということであった。
姫への教授は一回に半刻はんときと定っていた。磯野女史によく注意されたが、ほんの型を教えるだけで、それもごく控えめにやらなければならない。その場には、いつも奥家老や老女たちが七、八人、ものものしく眼を光らせていて、ちょっとでも教えかたが厳しいとみると、あとでやかましく文句をつけるのであった。
――姫君は御生来ひよわであらっしゃる。
――姫君は御気性がやさしくあらっしゃるから、荒あらしい御教授はあいならぬ。
――姫君は昨夜御不眠であらっしゃった。
――姫君は今日は御倦怠けんたいであらっしゃる。
そんなふうに文句だの故障だのが多い。したがって御殿へあがるのは面白くなかったが、中邸ではかなり気を吐くことができた。
中邸の道場には、十七人の弟子がかよって来た。年は十二歳から十八歳までが多く、なかに二十歳と二十二歳になるのが二人いた。彼女たちはみな中以上の家柄の娘で、みんな気位が高く、田舎者の若尾を軽蔑けいべつしていた。彼女たちはそれぞれ薙刀の使いかたぐらいは知っていたし、若尾が田舎育ちでありそんなにも若いので、軽蔑のしかたもかなり露骨であった。初めのうち若尾はその扱いかたに迷った。いつか緒方せいにやったように、徹底的にそ知らぬふうでうけながすか、それとも実力で降参させるか、どちらがいいか見当がつかなかった。そうしてやがて第二の手段をとることにきめ、それを遠慮なく実行した。本当のところはその手段よりも若尾の人柄のためのようだったが、弟子たちは、しだいに軽蔑的な態度をやめ、しだいにおとなしく服従するようになった。そして、その年の冬が来るまえに、若尾は自分の位地を慥かなものにした。
七
和次郎からは六月と八月と十月に手紙が来た。六月のは浜田への到着と、殿町という処に住居の定ったこと、八月のは父の平右衛門が病気になったこと、十月の手紙には松原という海辺に、父の養生所を賜わったが、その家は座敷から松原湾の美しい海が眺められる、などということが書いてあった。
若尾もむろん手紙を出した。彼女は仮名文字しか知らなかったし、思っていることをうまく表現する方法も知らなかったが、それでも、できるだけ正直にしっかりと、自分の暮しぶりや、周囲の出来事や、今なにを考えているかということなどを書いた。その幾通かのなかで「正直に」と思ったあまり若尾はつい筆が走り、自分ではまったく気づかずに大胆極まることを書いてしまったらしい。年が明けて、明和八年になった二月のことであるが、和次郎から来た四度めの手紙に、そのことがたしなめてあった。
――若尾のいうとおり、河内の家名は若尾に子供が生れたら継がせればよい、それはそのとおりであるが、いまからそんなことを考える必要もないし、また若尾の考えることでもない、「そのとき」が来たら私がいいようにやるから、若尾はただ自分のことに出精すべきである。
文面はそういう意味であったが、「若尾がこんなことをいって来ようとは予想もしなかった、私はすっかり驚かされてしまった」と書き添えてあり、若尾は恥ずかしさのあまり躯じゅうが火のように熱くなった。
「あたし、そんな手紙を書いたかしら」彼女は自分に云った、「――そうだわ、書いたような気がするわ、きっと書いてしまったんだわ、いつも書くときには夢中になってしまうから、心にあることが、つい筆に出たんだわ、どうしましょう」
書いたという意識はまったくなかった。むろんそのことは考えていた。弘田の人たちは河内の家名再興ということを心配している。そして和次郎は一人息子だから、自分が彼と結婚する場合には河内家の跡継ぎということが必ず問題になる。それが若尾の頭にいつもひっかかっていた。ふしぎなことには、和次郎と結婚できるかどうかという点は疑ぐってもみなかった。それは若尾のなかで、もう既定の事実になっているようであった。
「でも書いたのだとしたら、却ってそのほうが、よかったかもしれないわ」若尾は肚をきめたようにそう呟いた、「こういう事は早くはっきりさせるに越したことはないんだもの、そうよ、そうですとも」
若尾はすぐに筆を取って、――手紙の趣はよく了解した。仰しゃるとおりすべてをあなたにお任せし、自分は安心して勤めに出精する。そういう返事を書き、和次郎に送った。その返事を出したあとで、若尾は自分のやりかたを反省し、首を振りながら呟いた。
「あたしって、かなり狡いらしいわね」
だが、それからまもなく、若尾は思いもかけない人物と、好ましからぬかかわりができた。
三月にはいってすぐのことであるが、上邸へあがって姫の手直しを済ませ、昼食(それは初めからのことであるが)を頂だいして御殿をさがると、中の口のところで一人の侍に呼びとめられた。年は二十四、五歳、背が高く色が白く、いやにやさしい声を出すにやけた男であった。ちょうど昼食刻のことで、あたりには誰もいなかったが、それでも彼は神経質に眼をきょろきょろさせながら口早に云った。
「貴女が姫のお手直しにあがる河内若尾さんですね」
若尾は黙って頷いた。
「弘田の家から来たんでしょう」彼はこう云ってにやりとした、「私は貴女を知っていますよ」
若尾は不審そうに相手を見た。
「私は貴女を知っている」と彼はうちとけた口ぶりで云った、「弘田よりもまえからね、弘田を貴女のところへ伴れていったのは私なんだ、まさかと思ったが、弘田から来たというし、薙刀を教えるというのでそれとなく気をつけていたんですよ、たいした出世で、弘田もよろこんでいるでしょう」
若尾は警戒の眼で彼を見た。
「仰しゃることがよくわかりませんけれど」と若尾は云った、「いったいあなたはどなたですか」
「いや心配しなくともいい、私は誰にも云やあしない、こんなことを誰に云うもんですか」と彼は言葉を強めて云った、「もし心配なら弘田に手紙をやってごらんなさい、私は彼の古くからの友達で谷口修理という者です、弘田や貴女のためになら、よろこんでお役に立つ人間ですよ、本当に問合せてごらんなさい、そうすれば私という者がよくわかりますから」彼は別れるまえに、なにか困ることがあったら相談してくれ、と繰り返し云った。
若尾は数日のあいだ気が重かった。谷口修理は口に出しては云わなかったが、若尾が岩本一座にいたのを知っているらしい。自分が弘田を伴れていった、――というのは、若尾の舞台をみせにという意味であろう。和次郎はどうしてそのことを注意してくれなかったのか、谷口修理という人間が江戸にいること、その人間はかつて若尾の舞台を見ているということを、和次郎は忘れたのであろうか。
「手紙で訊いてみよう」若尾は自分に云った、「どういうふうに応対したらいいか、教えてもらうほうがいいかもしれないわ」
けれども手紙は出さなかった。二百五十里も離れているのに、なにも和次郎に心配させることはない、と思ったからである。谷口修理は和次郎の古い友人だといったし、見たところはへんににやけているが、そう悪い人間でもないらしい。とにかく気をつけて、なりゆきをみてからにしよう。若尾はそう思った。
十日ばかりすると修理から呼び出しの手紙がきた。若尾はでかけていった。中邸からはほんのひと跨またぎの、木挽町五丁目の河岸に森田座がある。修理はそこの茶屋で待っていた。若尾はその芝居茶屋の混雑する店先へ修理を呼んでもらった。
「よく来られましたね」修理は女性的なあいそ笑いをした、「使いをあげたが、どうかと思っていたんです、いちどゆっくり話したかったのでね、さあ、あがって下さい」
「なにか御用なんですか」若尾は云った、「わたくし稽古がありますから、御用をうかがったら帰らなければなりませんの」
「ああそうか、貴女は中邸で道場を預かっているんでしたね」修理は恐縮したように、自分の額を指で突いた、「そう聞いていたのに、つい忘れてしまいましたよ、しかしどうですか、ひと幕ぐらいつきあえるんじゃないんですか」
「いいえ、そんな時間はございませんの、どうぞ御用を仰しゃって下さい」
「では改めてお逢いすることにしましょう、べつに用があるんではないので、よければ市中も見物させてあげたいし、ときどき逢って貴女のようすを弘田に知らせてやりたいと思うのです」こう云って修理はまた微笑した、「――私は弘田の親友なんだから、そのくらいのことをする義務があると思うんですよ」
八
修理の口ぶりがあまり自信たっぷりなので、若尾はその申し出を拒むことができなかった。そうして、月のうち「七」の付く日が稽古休みであることを告げて、その芝居茶屋を出た。
すぐにも逢いたいように云いながら、約ひと月のあいだ、彼からなにも云って来なかった。そして、こちらが忘れかけていると、四月の二十七日に、また森田座の茶屋から使いが来た。若尾はでかけてゆき、いっしょに芝居をひと幕だけ見たあと、食事の馳走になって帰った。次には五月十七日と二十七日、六月は十七日に一度、――そんなふうに逢っているうちに、若尾は修理に対する警戒をすっかり解いてしまった。
「ただの己惚屋じゃないの、つまらない」
そうして二度ばかり続けて、修理の呼び出しを断わったりした。
たぶん修理が書いてやったのだろう、九月になって和次郎から手紙が来た。修理は友人ではあるし悪い男ではないが、いかに江戸が繁華だといっても、やはり人目というものがあるだろうし、修理もまだ独身のことだから、あまりしげしげ逢うことはよくない。ということが書いてあった。
若尾はすぐに承知したという返事を出し、それからは、なるべく修理と逢わないようにした。
すると明くる年(明和九年)の二月に大火があった。目黒の行人坂と本郷丸山との二カ所から出た火が、西南の烈風に煽あおられてひろがり、長さ六里、幅一里にわたって江戸の市街を焼いた。江戸城も虎ノ門はじめ、日比谷、馬場先、桜田、和田倉、常盤橋、神田橋、などの諸門が焼け、その各門内にある諸侯の藩邸は灰燼となった。
松平家でも木挽町の中邸は残ったが、それは風上に堀があったからで、邸内の者はひと晩じゅう堀から水を汲みあげては、ふりかかる火の粉を防ぎとおした。大名小路の本邸も焼け、浜町の下邸も焼けたので、藩侯の家族と側近の人々が中邸へ移って来た。若尾の道場もむろんその人たちの宿所に当てられ、稽古は中止されて、若尾自身も災害のあと始末のための、雑多な用事に駆け廻らなければならなかった。こうしているうちに、或る日、――谷口修理と侍長屋の脇で出会った。彼は顔と頭の半分を晒さらし木綿で巻き、右手もやはり晒木綿で巻いて、頸から吊っていた。
「逢いたかった、ずいぶん心配しましたよ」と修理は云った、「無事だということは、こっちへ来るとすぐ人に聞いたけれど、自分の眼で見るまでは安心できなかった、けがもなにもしなかったんですね」
「ええ、髪を少し火の粉で焦がしただけですわ」若尾はまともに修理を見た、「あなたはどうなさいましたの、火傷ですか」
「なに、たいしたことはないんですよ、それより」と彼はすばやく左右へ眼をやった、「ぜひ貴女に話したいことがあるんです。一刻も早いほうがいいんですが、あの築山の裏まで来てくれませんか」
「さあ、――夜にでもならないと暇がございませんけれど」
「結構です、あの築山のうしろの林の中で待ってますから」
「でも、――御用はなんでしょうか」
「そのとき話します」修理はもう歩きだしていた、「待っていますからね、今夜でなければあすの晩、八時ごろから待っていますよ」
そして彼は侍長屋のほうへ去っていった。
若尾はちょっと迷ったが、すべてものごとは、はっきりさせるに越したことはない、こう思ってその夜でかけていった。築山というのは、堀から水を引いた泉池の奥にあり、そのうしろは隣りの加納家へ続く林になっている。隣り屋敷も庭境には樹立があるので、そこは昼でも暗いほど樹が繁っていた。――少し時刻には早いと思ったが、修理はもう来て待っていた。築山をまわってゆくと、まっ暗な林の入口のところに、彼の巻き木綿が白くぼんやりと浮いて見え、それが、若尾が近づいてゆくと、林の中へと静かに入っていった。若尾はすぐに追いついた。すっかり曇った暖たかい晩で、林の中はつよく土の香が匂った。
「雨になりそうですね」修理はそう云って振返った、「降られると焼け出された連中は困りますね」そして急に荒い息をした、「簡単に云います、もう貴女もお察しのことだろうから単刀直入に云います、若尾さん、どうか私と結婚して下さい」
若尾は半歩うしろへさがった。
――やっぱりそんなことか。
彼女はそう思った。これまで逢うたびに、彼がなにも云わないのに拘らず、いつかそれが話に出そうだという予感があった。それも自分から云いだすのではなく、若尾のほうから云いだすのを待っているような、――なんと己惚れの強い人だろう。若尾はそう思って、おそれるよりはむしろ幾らか軽侮していた。
――この人は辛抱をきらしたのだ。
若尾の気持がいつまでも動かないので、彼はついにがまんできなくなったのだろう、しかもいま、彼は火傷をして晒木綿を巻いている。そういう申込みをするには、究竟の条件だと思っているようでもあった。
「突然こんなことを云いだして、貴女はぶしつけだと怒るかもしれませんが」
「いいえ」と若尾は首を振った、「そういうふうに、はっきり仰しゃって下さるほうが気持がようございますわ」
「有難う、では返事を聞かせてもらえますね」
「わたくしも飾らずに申上げますわ、せっかくですけれど、お受けできませんの」
「待って下さい、そう云わないで下さい」修理は自由なほうの手を振った、「いきなりそう云い切ってしまわないで下さい、私はながいあいだ貴女を想っていた、貴女はむろん気がつかなかったかもしれない、また本来なら、火傷をしてこんな醜い躯になったのだから、結婚のことなど云いだしてはいけなかったかもしれないが、私はどうしても黙っていることができなくなった、黙っていることが苦しくって耐えられなくなったんです」
「火傷なんかなんでもありませんわ」若尾は反抗するように云った。修理のそういう云いかたは女の情に脆いところを衝いている。それは卑怯だと若尾は思った、「――たとえ不具になったとしても、良人として恥ずかしくない方なら、女はよろこんで一生を捧ささげますわ、それで、はっきり申上げますけれど、わたくしには、もう約束をした方がございますの」
「貴女に、――」修理はどきっとしたような声で反問した、「約束した者があるんですって、貴女に」
「はい、それもずっとまえからですわ」
「ちょっと待って下さい」彼はせきこんで云ったが、その調子には、かなりわざとらしいところがあった、「遠慮なしに訊きますが、それはまさか、まさか、――弘田じゃあないでしょうね」
「どうしてですの」
「だって彼は、――いや、それはだめです」
修理は激しく首を振った。
九
「貴女も知っているだろうが」と修理は続けた、「弘田の家は交代家老で、彼もやがては家老職になる筈です、いや、やがてではない、噂によるとまもなくそうなるらしい、それなのに貴女が彼と結婚するというのは、またしても弘田を醜聞に巻きこむことになりますよ」
「それは、わたくしの素性のことを仰しゃるのですか」
「いまは誰も知らないかもしれない」修理は云った、「だが弘田の人たちが知っているし、貴女自身が知っている、私はべつですよ、私はどんなことがあったって口外するような人間ではないが、弘田の家人が知り貴女自身が知っている以上、完全に隠しきるということは不可能だと思う、ただそれだけならいい、貴女だけの問題ならまだいいが、弘田ではまえにも、いちど躓つまずきがあったのです」
若尾はかたく顔をひき緊めた。
「貴女も聞いているだろうと思うが、弘田の姉に深江という人がいて、いまから六、七年まえに自殺しました、聞いたことがあるでしょう」
若尾は暗がりの中で息を詰めた。
「これは貴女だから云うのだが、あの人は、こともあろうに懐妊して、懐妊三月の躯を恥じて自害したんです」
「懐妊ですって、――」
「三月だったんです」修理はいたましげに云った、「弘田さんはすぐに職を辞されたが、他の問題とは違って、これはそう簡単に忘れられてしまうものではない、現に弘田はまる二期ちかくも次席家老の職から除外されていたのですからね」
「それは本当のことですの」と若尾はふるえながら云った、「あの方のお姉さまが身ごもっていらしったというのは」
「云わないほうがよかったかもしれない、しかしなぜ云ったかという意味はわかるでしょう」
若尾は下唇をぎゅっと噛んだ。弘田家では深江という人の話は禁制のようになっていた。和次郎までが、その話に触れることを固く避けていた。
――そんな事実があったのか。
若尾は眼をつむった。もの思わしげな、沈んだ和次郎の顔が見えた。自分が引取られた頃の、陰気でひっそりとした家の中、平右衛門夫妻の侘びしげな、疲れたような姿などが、現実のようにありありとおもい返された。
「これでもし若尾さんのことがわかったらどうだろう」と修理は云った、「――まえにそんな事のあったあとで、またしても、妻の前身がじつは軽業一座の女太夫だった、などということがわかったとしたら」
若尾はぞっと身ぶるいをした。
「そこをよく考えて下さい」と修理は続けた、「これが私の場合なら問題ではない。私くらいの身分なら、人はそんなことにまで関心はもたない。だが次席家老となるとべつです、まして深江という人の事があるから、周囲の眼はいっそう厳しいでしょう、――若尾さん、私の云うことが間違っていると思いますか」
「わたくしにはわかりません、考えてみますわ」若尾はふるえながら云った、「あなたの仰しゃるとおりかもしれませんけれど、でもわたくし、よく考えてみますわ」
修理は喉のどの詰ったような声で、なにか云いかけながら、ふと若尾の肩へ手をまわそうとした。きわめて自然な、こだわりのない動作であったが、若尾は傷にでもふれられたようにびくりとし、すばやくその手を避けて脇へどいた。
「わたくし帰ります」と若尾は云った、「――失礼いたします」
修理は呼びとめた。けれども若尾はもう走りだし、闇の中で幾たびか躓きながら、自分の住居のほうへ駆け去った。
その夜半から降りだした雨が、明くる日いっぱい降り続けた。霧のようにこまかい静かな降りかたで、気温も高く、いかにも春雨という感じであった。若尾はその雨の中を歩いていた。朝早く、ふらふらと中邸から出て、そのままずっと歩いていたのである。――まえの夜は殆んど眠れなかった。修理には「よく考えてみる」と云ったが、考えてみる余地はなかった。考える余地などは少しもないように思えた。
――あの人はみんなに話すわ、あの人はみんなに触れまわるに違いないわ。
頭の中で絶えずそういう声がした。自分の声ではなく、誰かがそこにいて、そっと呼びかけているようであった。それは慥かなことであった。谷口修理は若尾の素性を話すに相違ない、「私はそんな人間ではない」という言葉がそれを証明している。修理は必ず饒舌るだろう、必ず。
――出てゆくんだ、あたしがいてはあの方が不幸になる、邸にいてはならない、出てゆくんだ、誰の眼にもつかないところへ。
雨がさっと顔にかかった。若尾は立停って傘を傾けた。風が出たかと思ったが、いますれちがった人に呼びとめられたのであった。それは若い男の二人伴れで、揃いの双子唐桟の袷わせに角帯をしめ、蛇の目傘をさしている二人は、すれちがった処で足を停め、若尾のほうへ振返っていた。
「ああ、――」若尾は眼をみはった、「あんたは、あんたは仙之丞のにいさんじゃないの」
「若ぼう、――やっぱりおめえだったか」
「あんたは権之丞のにいさんね」
若尾は殆んど叫んだ。それは岩本一座で綱渡りをする権之丞と、笠踊りの仙之丞であった。二人もなつかしそうに、微笑しながら若尾の姿を眺めたが、寄って来ようとはしなかった。
「無事にやってるらしいな」と権之丞が云った、「仕合せかい」
「ああよかった、江戸へ来て打ってたのね」若尾は二人のほうへ近よりながら云った、「どこなの、両国の広小路、それとも浅草の奥山、さあ、いっしょにゆきましょう、伴れてってちょうだい」
「いやいけねえ、それはだめだ」
「それはだめなんだ、若ぼう」と仙之丞も云った、「そんなことをしたら親方にどやされる。途中で見かけても声もかけちゃあならねえって云いわたされているんだ」
「あたしが薄情に出ていったからなの」
「若ぼうの身のためだからさ」と権之丞が云った、「おめえは薄情で出てったんじゃねえ、おめえが泣いていやがったことは、みんなが知ってるよ」
「そんなら伴れてって」若尾は云った、「あたしはお邸を出て来たの、ゆくところもないしお邸へ帰れもしないのよ」
「冗談じゃねえ、いきなり、なにを云うんだ」
「本当なのよ、蛙の子は蛙、あたしはやっぱり岩本一座の人間だわ、詳しいことは親方に会って話してよ、さあ伴れてって」若尾は涙のあふれている眼で笑った、「あたし宿無しになるところだったのよ」
十
岩本一座は両国広小路で興行していた。若尾は五日のあいだ一座にいて、弘田和次郎のために伴れ戻された。
一座には殆んど変化がなかった。雌犬の庄太夫が死んで、あのとき庄太夫の産んだ仔犬が母の名を継ぎ、やはり芸を仕込まれて小菊太夫に使われていた。手品の操太夫がいなくなり、代りに美千太夫という若い太夫が入っていた。――一座の人たちは若尾を迎えて歓声をあげた。みんな親身の妹が帰りでもしたようによろこんだが、親方はひどく怒り、若尾が事情をすっかり話すまではこっちを見ようともしなかった。そしてなにもかも(深江という人のことまで)うちあけ、和次郎のために邸にはいられないのだ、ということを知ると、ようやく「そんなら此処にいろ」と云った。若尾のほうは見ないで、火のついている煙管きせるをみつめたままそう云って、ながいことなにか考えているようであった。
「あたし、また舞台へ出るわ」若尾は元気に云った、「薙刀の腕が違ったから、新しい水車の手を編みだすの、あしかけ五年修業して来たんですもの、あっといわせるような手を考えてみせるわ」
だが五日めに和次郎が迎えに来た。
あとでわかったのだが、彼は若尾の出奔した日に江戸へ着いたのであった。災害の急報に続いて出府の命令が届き、馬を乗り継いで来た。命令はとつぜんのものではなく、一月中旬に非公式の予告があり、三月じゅうには出府の命があるだろうといわれていた。したがってその準備をするかたわら、谷口修理にその旨を知らせておいた。(その知らせのなかで、和次郎は近く自分が若尾と結婚する予定だということを書いた)それで修理は、和次郎の出府するまえに若尾をくどきおとそうと決心したのであろう。江戸邸へ着いた和次郎に、若尾が出奔したということを告げたのは修理であった。
――自分のような者が和次郎の妻になっては、和次郎の将来のためにならない。
そう云って出奔した、というふうに告げたそうである。和次郎は人を頼んで岩本一座を捜させた、そのほかに身を寄せるところはない筈である。どこかで一座が興行していはしまいか、こう思ったのであった。
若尾は彼が来たのを知らなかった。そのとき彼女は小屋の裏で、稽古薙刀を持って新しい手法のくふうをしていた。このあいだに和次郎は親方と会い、親方の口から詳しい事情を聞いたのであるが、話の済むまで若尾には知らせず、すっかり終ってから、親方と二人で小屋の裏へやって来た。
彼の姿を見ると、若尾は赤樫の薙刀を頭上にふりあげたまま、あっと口をあけて立竦んだ。躯が石にでもなったようで、表情も消え、すっと額から白くなった。
「迎えに来たよ」と和次郎は云った、「――おいで、いっしょに帰るんだ」
若尾の(薙刀をふりあげていた)手が、ゆっくりと下におり、その眼はなにかを訴えるように、親方のほうを見た。
「お帰り」と親方が云った、「弘田の旦那にすっかり話した、旦那の話もうかがった、若尾は河内伊十郎という武士の娘で、りっぱに家の系図も持っている、不幸なまわりあわせでこの一座にいたが、武士の娘という歴とした素性は消えはしない、誰に恥じることもないし、誰にだって若尾を辱しめることはできないんだ」
「私もひと言だけ云っておく」と和次郎が云った、「おまえは私のために自分を犠牲にするつもりだったそうだが、もしも逆に、私がおまえのためにそうしたとしたらどうだ、おまえはそれを嬉しいと思うか、私の犠牲をよろこんで受取ることができるかね」
若尾は頭を垂れた。和次郎は続けた。
「まして私は男だ、仮に妻の素性のことが問題になったとしても、その処理をするくらいの力は私にだってあるよ、そう思わないかね、若尾」
「悪うございました」と若尾がうなだれたまま云った、「わたしが悪うございました、堪忍して下さい」
そして薙刀をそこへ置き、端折っていた着物の裾をおろした。力のぬけたような動作で、鉢巻をとり襷たすきをとりながら、若尾はぽろぽろと涙をこぼした。
「では、ゆこう」和次郎が云った、「駕籠かごが待たせてあるから、泣くなら駕籠の中でお泣き」
若尾は涙を拭きながら親方を見た。
「そのままおいで」と親方はその眼に答えて云った、「みんなに会うことはない、みんな知っているよ」それから首を振ってこう云った、「もう二度と軽はずみなことをするんじゃあないよ」
若尾は泣きだしながら頷いた。和次郎は寄っていって、その肩へ手をまわし、抱えるようにして小屋の表のほうへと伴れだした。小屋の中では賑やかな鳴物の音と、喝采する客のどよめきが聞え、木戸口では呼び込みが景気のいい叫び声をあげていた。
若尾は駕籠の中で泣いていた。
「ひどいことを仰しゃるわ、あの方」と泣きながら口の中で呟いた、「――あたし犠牲になるなんて考えたことはないのに、犠牲になるなんて、そんなおもいあがったことはこれっぽっちも考えやしない。ただ、そうせずにいられないからしただけだわ。あたし、いつかそう云ってあげるからいい」
でもそんなこと云ってもむだかもしれない。と若尾は思った。こういう女の気持は男にはわからないかもしれない。男なんて女のこまかい感情なんか理解できやしないんだから。――若尾は自分が怒っているものと思おうとした。しかし実際にはそんなことはどっちでもよかった。彼女はよろこびと幸福に包まれていた。彼がこんなにも自分を大事に思ってくれること、また彼といっしょにいる以上、もはや、なにも怖れるものはない、という大きな安堵感のなかで。――若尾は涙を拭き、独りでべそをかきながら、またそっと口の中で呟いた。
「あんな谷口なんていう人のことを、どうして怖れたりしたのかしら、あんないやらしい己惚れ屋のことなんぞを」それからふと眉を寄せて、しかつめらしく自分に云った、「でも気をつけなければいけないわ、ああいう人ほど狡猾なんだから、自分が困ってくると、どんな悪企みをするかもしれないわ。そうよ、決して油断はできないわ」
十一
その夜十時少しまえ、――中邸の侍長屋にある谷口修理の住居で、修理と和次郎が対座していた。そこは焼け出された人たちの合宿で、ほかに同居者が二人いるのだが、話をするために、よそへいってもらったのであった。
修理は半面を晒し木綿で巻いた顔を伏せ、片手で膝を掴んでいた。肩から吊っている腕と、半面を巻いた木綿の白さが、行燈の光りを吸ってさもいたましげにみえた。和次郎は眉をしかめ、怒りよりもむしろ深い悲しみのために硬ばった表情で、俯向いた修理の(蒼白く乾いた)額を強くにらんでいた。
「むろん遠慮することはない、若尾の素性を饒舌りたければいくらでも饒舌るさ。だが、うかつに饒舌っては悪いこともあるんだぜ」と和次郎は云い続けた、「――谷口、おまえはまた若尾に、おれの姉のことも話したそうだな、姉が懐妊して、それを恥じて自害したということを」
「おれは」と修理は慌てて云った、「それは弘田の将来ということを案じたから」
「わかった、それはもうわかった、問題は姉のことだ」と和次郎は云った、「――姉が懐妊していたこと、懐妊して三月めだったということを、おまえ、どうして知っているんだ」
「それは、だって、――」修理は不安そうに眼をあげた、「それは、おれはそう聞いたように思ったもんだから」
「誰に、誰に聞いたんだ」
「誰にって、それは、人の名は云えないが」
「そうだろう、云えないだろう」と和次郎はゆっくり云った、「――姉がなぜ自害したか、その理由を知っている者は一人しかなかった、その一人というのは母だ、母は父にも云わなかった、こんど初めて、七年忌に当ってうちあけてくれたんだ、それまでは父もおれも、もちろん親族や姉の友達も知らなかった、こんどの七年忌で、初めて母から父とおれだけが聞いたんだ、しかも姉は、母にもなにも云わなかった。母のほうで姉のからだの変調に気づいて、どうするつもりかと案じているうちに、姉は黙って死んでしまったんだ、……谷口、おまえはこのことを知っていた、母のほかにおまえだけが知っていた、なぜだ、どうして知っていたんだ、谷口、おれから説明してやろうか」
修理は折れるほど低く首を垂れ、黙ったまま肩で息をしていた。居竦んだようなその姿勢と、はっはっという激しい呼吸とは、絶体絶命という感じをそのまま表わしているようにみえた。和次郎の呼吸も荒かった。膝の上にある彼の拳は震えていた。
「おれはきさまを斬ろうと思った」と和次郎は云った、「しかし、――おれは考えた、きさまは憎いやつだが、いちどは姉が愛した人間だ、どんな事情があったかおれは知らない、たぶん、その愛があやまちであったと気づいて姉は死んだのだろう、だが、ともかくも、いちどは愛したんだ、だからおれは斬ることを断念した、わかるか谷口」
語尾はするどく、刺すようであった。修理はぴくりと身を縮め、膝を掴んでいた片手を畳へすべらせた。その不自然に傾いた修理のみじめな姿から、和次郎は眼をそらしながら、刀を取って立ちあがった。
「自分の罪は自分でつぐなえ、おまえも武士なら、このつぐないくらいはする筈だ、谷口修理、――見ているぞ」
そして彼はそこを去った。
外へ出ると雨が降っていた。暖たかい静かな夜の闇をこめて、殆んど音もなく、霧のようにけぶる雨であった。昂奮した頬にその雨をこころよく打たれながら、侍長屋を通りぬけてゆくと、うしろから人が追って来た。和次郎が振返ると若尾であった。
「どうしたんだ、こんな処へ」
「心配だったんです」若尾はなにやらうしろへ隠しながら、追いついて来て云った、「――谷口さんてあんな人でしょ、なにをするかわからないと思って、それでようすをみに来たんです」
「薙刀まで持ち出してか」
和次郎は苦笑した。若尾は慌てて、うしろに隠していた薙刀をもっと隠そうとしながら赤くなった。
「いいえ、これは、これはいま、ちょっと稽古をしようと思って、それで」
「新しい手の稽古か」と和次郎は笑いながら云った、「おまえ新しい水車の手を編みだすと云って、たいそう張切っていたそうじゃないか」
「親方は、そんなことまで申上げましたの」
「編みださないまえでよかったと思うね」と和次郎は云った、「若尾はどうかすると、姫君にまでそれを教えかねないからな」
「まあそんな、いくらわたくしだって、そんな、――まさかと思いますわ」
若尾はつんとして薙刀を肩へかついだ。和次郎は振向いて見ながら静かに笑った。二人は並んで、雨の中を住居のほうへ去っていった。
初出:「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社
1954(昭和29)年5月号
底本:「山本周五郎全集第二十五巻 三十ふり袖・みずぐるま」新潮社1983(昭和58)年1月25日発行
「家霊」岡本かの子
山の手の高台で電車の交叉点になっている十字路がある。十字路の間からまた一筋細く岐わかれ出て下町への谷に向く坂道がある。坂道の途中に八幡宮の境内けいだいと向い合って名物のどじょう店がある。拭き磨いた千本格子の真中に入口を開けて古い暖簾が懸けてある。暖簾にはお家流の文字で白く「いのち」と染め出してある。
どじょう、鯰なまず、鼈すっぽん、河豚ふぐ、夏はさらし鯨くじら――この種の食品は身体の精分になるということから、昔この店の創始者が素晴らしい思い付きの積りで店名を「いのち」とつけた。その当時はそれも目新らしかったのだろうが、中程の数十年間は極めて凡庸な文字になって誰も興味をひくものはない。ただそれ等の食品に就ついてこの店は独特な料理方をするのと、値段が廉やすいのとで客はいつも絶えなかった。
今から四五年まえである。「いのち」という文字には何か不安に対する魅力や虚無から出立する冒険や、黎明に対しての執拗しつような追求性――こういったものと結び付けて考える浪曼的な時代があった。そこでこの店頭の洗い晒さらされた暖簾の文字も何十年来の煤すすを払って、界隈かいわいの現代青年に何か即興的にもしろ、一つのショックを与えるようになった。彼等は店の前へ来ると、暖簾の文字を眺めて青年風の沈鬱さで言う。
「疲れた。一ついのちでも喰うかな」
すると連れはやや捌さばけた風で
「逆に喰われるなよ」
互に肩を叩いたりして中へ犇ひしめき入った。
客席は広い一つの座敷である。冷たい籐とうの畳の上へ細長い板を桝形ますがたに敷渡し、これが食台になっている。
客は上へあがって坐ったり、土間の椅子に腰かけたりしたまま、食台で酒食している。客の向っている食品は鍋るいや椀が多い。
湯気や煙で煤けたまわりを雇人の手が届く背丈けだけ雑巾をかけると見え、板壁の下から半分ほど銅のように赭あかく光っている。それから上、天井へかけてはただ黒く竈かまどの中のようである。この室内に向けて昼も剥き出しのシャンデリアが煌々と照らしている。その漂白性の光はこの座敷を洞窟のように見せる許ばかりでなく、光は客が箸はしで口からしごく肴さかなの骨に当ると、それを白の枝珊瑚に見せたり、堆うずたかい皿の葱の白味に当ると玉質のものに燦きらめかしたりする。そのことがまた却かえって満座を餓鬼の饗宴染みて見せる。一つは客たちの食品に対する食べ方が亀屈かじかんで、何か秘密な食品に噛みつくといった様子があるせいかも知れない。
板壁の一方には中くらいの窓があって棚が出ている。客の誂あつらえた食品は料理場からここへ差出されるのを給仕の小女は客へ運ぶ。客からとった勘定もここへ載せる。それ等を見張ったり受取るために窓の内側に斜めに帳場格子を控えて永らく女主人の母親の白い顔が見えた。今は娘のくめ子の小麦色の顔が見える。くめ子は小女の給仕振りや客席の様子を監督するために、ときどき窓から覗く。すると学生たちは奇妙な声を立てる。くめ子は苦笑して小女に
「うるさいから薬味でも沢山持ってって宛てがっておやりよ」と命ずる。
葱を刻んだのを、薬味箱に誇大に盛ったのを可笑しさを堪こらえた顔の小女が学生たちの席へ運ぶと、学生たちは娘への影響があった証拠を、この揮発性の野菜の堆さに見て、勝利を感ずる歓呼を挙げる。
くめ子は七八ヶ月ほど前からこの店に帰り病気の母親に代ってこの帳場格子に坐りはじめた。くめ子は女学校へ通っているうちから、この洞窟のような家は嫌で嫌で仕方がなかった。人世の老耄ろうもう者、精力の消費者の食餌療法をするような家の職業には堪えられなかった。
何で人はああも衰えというものを極度に惧おそれるのだろうか。衰えたら衰えたままでいいではないか。人を押付けがましいにおいを立て、脂がぎろぎろ光って浮く精力なんというものほど下品なものはない。くめ子は初夏の椎しいの若葉の匂いを嗅いでも頭が痛くなるような娘であった。椎の若葉よりも葉越しの空の夕月を愛した。そういうことは彼女自身却って若さに飽満していたためかも知れない。
店の代々の慣わしは、男は買出しや料理場を受持ち、嫁か娘が帳場を守ることになっている。そして自分は一人娘である以上、いずれは平凡な婿むこを取って、一生この餓鬼窟の女番人にならなければなるまい。それを忠実に勤めて来た母親の、家職のためにあの無性格にまで晒されてしまった便たよりない様子、能の小面こおもてのように白さと鼠色の陰影だけの顔。やがて自分もそうなるのかと思うと、くめ子は身慄いが出た。
くめ子は、女学校を出たのを機会に、家出同様にして、職業婦人の道を辿たどった。彼女はその三年間、何をしたか、どういう生活をしたか一切語らなかった。自宅へは寄寓のアパートから葉書ぐらいで文通していた。くめ子が自分で想い浮べるのは、三年の間、蝶々のように華やかな職場の上を閃ひらめいて飛んだり、男の友だちと蟻の挨拶のように触覚を触れ合わしたりした、ただそれだけだった。それは夢のようでもあり、いつまで経っても同じ繰返しばかりで飽き飽きしても感じられた。
母親が病気で永い床に就き、親類に喚よび戻されて家に帰って来た彼女は、誰の目にもただ育っただけで別に変ったところは見えなかった。母親が
「今まで、何をしておいでだった」
と訊くと、彼女は
「えへへん」と苦も無げに笑った。
その返事振りにはもうその先、挑みかかれない微風のような調子があった。また、それを押して訊き進むような母親でもなかった。
「おまえさん、あしたから、お帳場を頼みますよ」
と言われて、彼女はまた
「えへへん」と笑った。もっとも昔から、肉親同志で心情を打ち明けたり、真面目まじめな相談は何となく双方がテレてしまうような家の中の空気があった。
くめ子は、多少諦めのようなものが出来て、今度はあまり嫌がらないで帳場を勤め出した。
押し迫った暮近い日である。風が坂道の砂を吹き払って凍て乾いた土へ下駄げたの歯が無慈悲に突き当てる。その音が髪の毛の根元に一本ずつ響くといったような寒い晩になった。坂の上の交叉点からの電車の軋きしる音が前の八幡宮の境内の木立のざわめく音と、風の工合ぐあいで混りながら耳元へ掴つかんで投げつけられるようにも、また、遠くで盲人が呟やいているようにも聞えたりした。もし坂道へ出て眺めたら、たぶん下町の灯は冬の海のいさり火のように明滅しているだろうとくめ子は思った。
客一人帰ったあとの座敷の中は、シャンデリアを包んで煮詰った物の匂いと煙草の煙りとが濛々としている。小女と出前持の男は、鍋火鉢の残り火を石の炉ろに集めて、焙あたっている。くめ子は何となく心に浸み込むものがあるような晩なのを嫌に思い、努めて気が軽くなるようにファッション雑誌や映画会社の宣伝雑誌の頁を繰っていた。店を看板にする十時までにはまだ一時間以上ある。もうたいして客も来まい。店を締めてしまおうかと思っているところへ、年少の出前持が寒そうに帰って来た。
「お嬢さん、裏の路地を通ると徳永が、また註文しましたぜ、御飯つきでどじょう汁一人前。どうしましょう」
退屈して事あれかしと待構えていた小女は顔を上げた。
「そうとう、図々しいわね。百円以上もカケを拵こしらえてさ。一文も払わずに、また――」
そして、これに対してお帳場はどういう態度を取るかと窓の中を覗いた。
「困っちまうねえ。でもおっかさんの時分から、言いなりに貸してやることにしているんだから、今日もまあ、持ってっておやりよ」
すると炉に焙っていた年長の出前持が今夜に限って頭を擡もたげて言った。
「そりゃいけませんよお嬢さん。暮れですからこの辺で一度かたをつけなくちゃ。また来年も、ずるずるべったりですぞ」
この年長の出前持は店の者の指導者格で、その意見は相当採上げてやらねばならなかった。で、くめ子も「じゃ、ま、そうしよう」ということになった。
茹ゆで出しうどんで狐南蛮を拵えたものが料理場から丼に盛られて、お夜食に店方の者に割り振られた。くめ子もその一つを受取って、熱い湯気を吹いている。このお夜食を食べ終る頃、火の番が廻って来て、拍子木が表の薄ガラスの障子に響けば看板、時間まえでも表戸を卸すことになっている。
そこへ、草履の音がぴたぴたと近づいて来て、表障子がしずかに開いた。
徳永老人の髯の顔が覗く。
「今晩は、どうも寒いな」
店の者たちは知らん振りをする。老人はちょっとみんなの気配けはいを窺うかがったが、心配そうな、狡るそうな小声で
「あの――註文の――御飯つきのどじょう汁はまだで――」
と首を屈かがめて訊いた。
註文を引受けてきた出前持は、多少間の悪い面持で
「お気の毒さまですが、もう看板だったので」
と言いかけるのを、年長の出前持はぐっと睨にらめて顎で指図さしずをする。
「正直なとこを言ってやれよ」
そこで年少の出前持は何分にも、一回、僅かずつの金高が、積り積って百円以上にもなったからは、この際、若干でも入金して貰わないと店でも年末の決算に困ると説明した。
「それに、お帳場も先と違って今はお嬢さんが取締っているんですから」
すると老人は両手を神経質に擦り合せて
「はあ、そういうことになりましてすかな」
と小首を傾けていたが
「とにかく、ひどく寒い。一つ入れて頂きましょうかな」
と言って、表障子をがたがたいわして入って来た。
小女は座布団を出してはやらないので、冷い籐畳の広いまん中にたった一人坐った老人は寂しげに、そして審さばきを待つ罪人のように見えた。着膨れてはいるが、大きな体格はあまり丈夫ではないらしく、左の手を癖にして内懐へ入れ、肋骨の辺を押えている。純白になりかけの髪を総髪に撫なでつけ、立派な目鼻立ちの、それがあまりに整い過ぎているので薄倖を想わせる顔付きの老人である。その儒者風な顔に引較べて、よれよれの角帯に前垂れを掛け、坐った着物の裾から浅黄あさぎ色の股引ももひきを覗かしている。コールテンの黒足袋を穿はいているのまで釣合わない。
老人は娘のいる窓や店の者に向って、始めのうちは頻しきりに世間の不況、自分の職業の彫金の需要されないことなどを鹿爪しかつめらしく述べ、従って勘定も払えなかった言訳を吃々きつきつと述べる。だが、その言訳を強調するために自分の仕事の性質の奇稀性に就ついて話を向けて来ると、老人は急に傲然ごうぜんとして熱を帯びて来る。
作者はこの老人が此夜このよに限らず時々得意とも慨嘆ともつかない気分の表象としてする仕方話のポーズを茲ここに紹介する。
「わしのやる彫金は、ほかの彫金と違って、片切彫というのでな。一たい彫金というものは、金かねで金かねを截る術で、なまやさしい芸ではないな。精神の要るもので、毎日どじょうでも食わにゃ全く続くことではない」
老人もよく老名工などに有り勝ちな、語る目的より語るそのことにわれを忘れて、どんな場合にでもエゴイスチックに一席の独演をする癖がある。老人が尚なおも自分のやる片切彫というものを説明するところを聞くと、元禄の名工、横谷宗民、中興の芸であって、剣道で言えば一本勝負であることを得意になって言い出した。
老人は、左の手に鏨を持ち右の手に槌つちを持つ形をした。体を定めて、鼻から深く息を吸い、下腹へ力を籠めた。それは単に仕方を示す真似事には過ぎないが、流石さすがにぴたりと形は決まった。柔軟性はあるが押せども引けども壊れない自然の原則のようなものが形から感ぜられる。出前持も小女も老人の気配いから引緊められるものがあって、炉から身体を引起した。
老人は厳かなその形を一度くずして、へへへんと笑った。
「普通の彫金なら、こんなにしても、また、こんなにしても、そりゃ小手先でも彫れるがな」
今度は、この老人は落語家でもあるように、ほんの二つの手首の捻ひねり方と背の屈め方で、鏨と槌を繰る恰好のいぎたなさと浅間しさを誇張して相手に受取らせることに巧みであった。出前持も小女もくすくすと笑った。
「しかし、片切彫になりますと――」
老人は、再び前の堂々たる姿勢に戻った。瞑目した眼を徐おもむろに開くと、青蓮華のような切れの鋭い眼から濃い瞳はしずかに、斜に注がれた。左の手をぴたりと一ところにとどめ、右の腕を肩の附根から一ぱいに伸して、伸びた腕をそのまま、肩の附根だけで動かして、右の上空より大きな弧を描いて、その槌の拳は、鏨の手の拳に打ち卸される。窓から覗いているくめ子は、嘗かつて学校で見た石膏模造のギリシア彫刻の円盤投げの青年像が、その円盤をさし挟んだ右腕を人間の肉体機構の最極限の度にまでさし伸ばした、その若く引緊った美しい腕をちらりと思い泛うかべた。老人の打ち卸す発矢はっしとした勢いには、破壊の憎みと創造の歓びとが一つになって絶叫しているようである。その速力には悪魔のものか善神のものか見判みわけ難い人間離れのした性質がある。見るものに無限を感じさせる天体の軌道のような弧線を描いて上下する老人の槌の手は、しかしながら、鏨の手にまで届こうとする一刹那せつなに、定まった距離でぴたりと止まる。そこに何か歯止機が在るようでもある。芸の躾しつけというものでもあろうか。老人はこれを五六遍繰返してから、体をほぐした。
「みなさん、お判りになりましたか」
と言う。「ですから、どじょうでも食わにゃ遣やりきれんのですよ」
実はこの一くさりの老人の仕方は毎度のことである。これが始まると店の中であることも、東京の山の手であることもしばらく忘れて店の者は、快い危機と常規のある奔放の感触に心を奪われる。あらためて老人の顔を見る。だが老人の真摯しんしな話が結局どじょうのことに落ちて来るのでどっと笑う。気まり悪くなったのを押し包んで老人は「また、この鏨の刃尖の使い方には陰と陽とあってな――」と工人らしい自負の態度を取戻す。牡丹ぼたんは牡丹の妖艶ないのち、唐獅子の豪宕ごうとうないのちをこの二つの刃触りの使い方で刻み出す技術の話にかかった。そして、この芸によって生きたものを硬い板金の上へ産み出して来る過程の如何に味のあるものか、老人は身振りを増して、滴したたるものの甘さを啜すするとろりとした眼付きをして語った。それは工人自身だけの娯しみに淫いんしたものであって、店の者はうんざりした。だがそういうことのあとで店の者はこの辺が切り上がらせどきと思って
「じゃまあ、今夜だけ届けます。帰って待っといでなさい」
と言って老人を送り出してから表戸を卸す。
ある夜も、風の吹く晩であった。夜番の拍子木が過ぎ、店の者は表戸を卸して湯に出かけた。そのあとを見済ましでもしたかのように、老人は、そっと潜くぐり戸を開けて入って来た。
老人は娘のいる窓に向って坐った。広い座敷で窓一つに向った老人の上にもしばらく、手持無沙汰な深夜の時が流れる。老人は今夜は決意に充ちた、しおしおとした表情になった。
「若いうちから、このどじょうというものはわしの虫が好くのだった。この身体のしんを使う仕事には始終、補いのつく食いものを摂らねば業が続かん。そのほかにも、うらぶれて、この裏長屋に住み付いてから二十年あまり、鰥夫やもめ暮しのどんな佗わびしいときでも、苦しいときでも、柳の葉に尾鰭おひれの生えたようなあの小魚は、妙にわしに食いもの以上の馴染なじみになってしまった」
老人は掻き口説くどくようにいろいろのことを前後なく喋り出した。
人に嫉ねたまれ、蔑まれて、心が魔王のように猛り立つときでも、あの小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと、頭から骨ごとに少しずつ噛み潰して行くと、恨みはそこへ移って、どこともなくやさしい涙が湧いて来ることも言った。
「食われる小魚も可哀そうになれば、食うわしも可哀そうだ。誰も彼もいじらしい。ただ、それだけだ。女房はたいして欲しくない。だが、いたいけなものは欲しい。いたいけなものが欲しいときもあの小魚の姿を見ると、どうやら切ない心も止まる」
老人は遂ついに懐からタオルのハンケチを取出して鼻を啜った。「娘のあなたを前にしてこんなことを言うのは宛てつけがましくはあるが」と前置きして「こちらのおかみさんは物の判った方でした。以前にもわしが勘定の滞とどこおりに気を詰らせ、おずおず夜、遅く、このようにして度び度び言い訳に来ました。すると、おかみさんは、ちょうどあなたのいられるその帳場に大儀そうに頬杖ついていられたが、少し窓の方へ顔を覗かせて言われました。徳永さん、どじょうが欲しかったら、いくらでもあげますよ。決して心配なさるな。その代り、おまえさんが、一心うち込んでこれぞと思った品が出来たら勘定の代りなり、またわたしから代金を取るなりしてわたしにお呉れ。それでいいのだよ。ほんとにそれでいいのだよと、繰返して言って下さった」老人はまた鼻を啜った。
「おかみさんはそのときまだ若かった。早く婿取りされて、ちょうど、あなたぐらいな年頃だった。気の毒に、その婿は放蕩者で家を外に四谷、赤坂と浮名を流して廻った。おかみさんは、それをじっと堪え、その帳場から一足も動きなさらんかった。たまには、人に縋すがりつきたい切ない限りの様子も窓越しに見えました。そりゃそうでしょう。人間は生身ですから、そうむざむざ冷たい石になることも難かしい」
徳永もその時分は若かった。若いおかみさんが、生埋めになって行くのを見兼ねた。正直のところ、窓の外へ強引に連れ出そうかと思ったことも一度ならずあった。それと反対に、こんな半木乃伊ミイラのような女に引っかかって、自分の身をどうするのだ。そう思って逃げ出しかけたことも度々あった。だが、おかみさんの顔をつくづく見るとどちらの力も失せた。おかみさんの顔は言っていた――自分がもし過あやまちでも仕出かしたら、報いても報いても取返しのつかない悔いがこの家から永遠に課されるだろう、もしまた、世の中に誰一人、自分に慰め手が無くなったら自分はすぐ灰のように崩れ倒れるであろう――
「せめて、いのちの息吹きを、回春の力を、わしはわしの芸によって、この窓から、だんだん化石して行くおかみさんに差入れたいと思った。わしはわしの身のしんを揺り動かして鏨と槌を打ち込んだ。それには片切彫にしくものはない」
おかみさんを慰めたさもあって骨折るうちに知らず知らず徳永は明治の名匠加納夏雄以来の伎倆を鍛えたと言った。
だが、いのちが刻み出たほどの作は、そう数多く出来るものではない。徳永は百に一つをおかみさんに献じて、これに次ぐ七八を売って生活の資にした。あとの残りは気に入らないといって彫りかけの材料をみな鋳直した。「おかみさんは、わしが差上げた簪かんざしを頭に挿したり、抜いて眺めたりされた。そのときは生々しく見えた」だが徳永は永遠に隠れた名工である。それは仕方がないとしても、歳月は酷むごいものである。
「はじめは高島田にも挿せるような大平打の銀簪にやなぎ桜と彫ったものが、丸髷用の玉かんざしのまわりに夏菊、ほととぎすを彫るようになり、細づくりの耳掻きかんざしに糸萩、女郎花おみなえしを毛彫りで彫るようになっては、もうたいして彫るせきもなく、一番しまいに彫って差上げたのは二三年まえの古風な一本足のかんざしの頸に友呼ぶ千鳥一羽のものだった。もう全く彫るせきは無い」
こう言って徳永は全くくたりとなった。そして「実を申すと、勘定をお払いする目当てはわしにもうありませんのです。身体も弱りました。仕事の張気も失せました。永いこともないおかみさんは簪はもう要らんでしょうし。ただただ永年夜食として食べ慣れたどぜう汁と飯一椀、わしはこれを摂らんと冬のひと夜を凌しのぎ兼ねます。朝までに身体が凍こごえ痺しびれる。わしら彫金師は、一たがね一期いちごです。明日のことは考えんです。あなたが、おかみさんの娘ですなら、今夜も、あの細い小魚を五六ぴき恵んで頂きたい。死ぬにしてもこんな霜枯れた夜は嫌です。今夜、一夜は、あの小魚のいのちをぽちりぽちりわしの骨の髄に噛み込んで生き伸びたい――」
徳永が嘆願する様子は、アラブ族が落日に対して拝するように心もち顔を天井に向け、狛犬こまいぬのように蹲うずくまり、哀訴の声を呪文のように唱えた。
くめ子は、われとしもなく帳場を立上った。妙なものに酔わされた気持でふらりふらり料理場に向った。料理人は引上げて誰もいなかった。生洲いけすに落ちる水の滴りだけが聴える。
くめ子は、一つだけ捻ひねってある電燈の下を見廻すと、大鉢に蓋ふたがしてある。蓋を取ると明日の仕込みにどじょうは生酒に漬けてある。まだ、よろりよろり液体の表面へ頭を突き上げているのもある。日頃は見るも嫌だと思ったこの小魚が今は親しみ易いものに見える。くめ子は、小麦色の腕を捲まくって、一ぴき二ひきと、柄鍋の中へ移す。握った指の中で小魚はたまさか蠢うごめく。すると、その顫動せんどうが電波のように心に伝わって刹那せつなに不思議な意味が仄ほのかに囁ささやかれる――いのちの呼応。
くめ子は柄鍋に出汁だしと味噌汁とを注いで、ささがし牛蒡ごぼうを抓つまみ入れる。瓦斯ガスこんろで掻き立てた。くめ子は小魚が白い腹を浮かして熱く出来上った汁を朱塗の大椀に盛った。山椒一つまみ蓋の把手とってに乗せて、飯櫃と一緒に窓から差し出した。
「御飯はいくらか冷たいかも知れないわよ」
老人は見栄も外聞もない悦び方で、コールテンの足袋の裏を弾ね上げて受取り、仕出しの岡持おかもちを借りて大事に中へ入れると、潜り戸を開けて盗人のように姿を消した。
不治の癌がんだと宣告されてから却かえって長い病床の母親は急に機嫌よくなった。やっと自儘じままに出来る身体になれたと言った。早春の日向ひなたに床をひかせて起上り、食べ度いと思うものをあれやこれや食べながら、くめ子に向って生涯に珍らしく親身な調子で言った。
「妙だね、この家は、おかみさんになるものは代々亭主に放蕩されるんだがね。あたしのお母さんも、それからお祖母さんもさ。恥かきっちゃないよ。だが、そこをじっと辛抱してお帳場に噛かじりついていると、どうにか暖簾もかけ続けて行けるし、それとまた妙なもので、誰か、いのちを籠めて慰めて呉れるものが出来るんだね。お母さんにもそれがあったし、お祖母さんにもそれがあった。だから、おまえにも言っとくよ。おまえにも若もしそんなことがあっても決して落胆おしでないよ。今から言っとくが――」
母親は、死ぬ間際に顔が汚ないと言って、お白粉しろいなどで薄く刷き、戸棚の中から琴柱の箱を持って来させて
「これだけがほんとに私が貰ったものだよ」
そして箱を頬に宛てがい、さも懐なつかしそうに二つ三つ揺る。中で徳永の命をこめて彫ったという沢山の金銀簪かんざしの音がする。その音を聞いて母親は「ほ ほ ほ ほ」と含み笑いの声を立てた。それは無垢むくに近い娘の声であった。
宿命に忍従しようとする不安で逞しい勇気と、救いを信ずる寂しく敬虔な気持とが、その後のくめ子の胸の中を朝夕に縺もつれ合う。それがあまりに息詰まるほど嵩たかまると彼女はその嵩かさを心から離して感情の技巧の手先で犬のように綾なしながら、うつらうつら若さをおもう。ときどきは誘われるまま、常連の学生たちと、日の丸行進曲を口笛で吹きつれて坂道の上まで歩き出てみる。谷を越した都の空には霞が低くかかっている。
くめ子はそこで学生が呉れるドロップを含みながら、もし、この青年たちの中で自分に関りのあるものが出るようだったら、誰が自分を悩ます放蕩者の良人になり、誰が懸命の救い手になるかなどと、ありのすさびの推量ごとをしてやや興を覚える。だが、しばらくすると
「店が忙しいから」
と言って袖で胸を抱いて一人で店へ帰る。窓の中に坐る。
徳永老人はだんだん瘠せ枯れながら、毎晩必死とどじょう汁をせがみに来る。
初出:「新潮」1939(昭和14)年1月号
底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房 1993年8月24日第1刷発行
オダギリジョー脚本・演出・ 編集のドラマ『オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ』シーズン2の追加出演者が発表された。
昨秋にNHK総合で放送された同作は、池松壮亮演じる鑑識課警察犬係のハンドラー青葉一平と、彼には着ぐるみのおじさんに見える、オダギリジョー演じる相棒の警察犬オリバーが事件を解決していく姿を描いた作品。シーズン1で描かれた大乱闘の10日後から始まるシーズン2は9月20日、9月27日、10月4日に放送される。
追加出演者は、松たか子、黒木華、浜辺美波、風吹ジュン、高良健吾、村上虹郎、寛一郎、千原せいじ(千原兄弟)、河本準一(次長課長)、濱田マリ、シシド・カフカ、河合優実、佐藤玲。
https://natalie.mu/eiga/news/493939
「なんだ、これは!」。NHK Eテレの5分番組『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』の一挙放送決定。全10話が9月18日(日)深夜に放送されます。
■『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』
岡本太郎が世に送った唯一無二の〈作品〉群、そして心を鼓舞する〈ことば〉たち。両者ががっぷりと組み合い、超感覚的に岡本太郎の世界へと誘います。
10話それぞれのタイトルは「芸術は、爆発だ!」「真剣に、命がけで遊べ」など太郎のことば。それをテーマに「なんだ、これは!」という特撮映像が展開します。
主役は〈TAROMAN〉。正義の味方ではなく、シュールででたらめなやりとりで奇獣と戦います。対峙する奇獣たちは、〈疾走する眼〉〈駄々っ子〉など太郎の作品を造形化。
番組後半は、山口一郎さん(サカナクション)が登場。各回の〈作品〉と〈ことば〉について、太郎への愛を込めて語ります。
<一挙放送スケジュール>
2022年09月19日(月)午前0:45〜午前1:35
■第1話 でたらめをやってごらん
■第2話 自分の歌を歌えばいいんだよ
■第3話 一度死んだ人間になれ
■第4話 同じことをくりかえすくらいなら、死んでしまえ
■第5話 真剣に、命がけで遊べ
■第6話 美ってものは、見方次第なんだよ
■第7話 好かれるヤツほどダメになる
■第8話 孤独こそ人間が強烈に生きるバネだ
■第9話 なま身の自分に賭ける
■第10話 芸術は爆発だ
【出演】山口一郎
番組ページ
https://www.nhk.jp/p/taroman/ts/M7359Q6PQY/
岡本太郎(二十一世紀の芸術)
今西錦司(目に見えない世界)
木村裕昭(病いは心のアンバランス)
島尾敏雄(夢体験)
加藤唐九郎(土と火の対話)
岩渕亮順(食物で運勢が変わる)
川島四郎(生きる秘訣)
山手国弘(カルマからの脱出)
手塚治虫(宇宙文明の夜明け)
文庫版解説・河合隼雄
この対談集は「瞑想(メディテーション)」がテーマとなっている。発行したときにタイトルが「宇宙瞑想」だった。文庫化に伴って「今、生きる秘訣」と改題される。
対談された方々は殆ど亡くなって、横尾さん本人しか現在はおりません。が、昭和時代にそのジャンルを極めた偉業を果たした人たちの貴重な発言を横尾さんが見事に引き出してる。
「人間が生きている命に筋というのがあると思う。その筋を生まれたときからずっと持ち続けている人間と、しょっちゅう変えちゃったり、状況に応じて変えてしまう、そういう人間というのがあると思うのね」岡本太郎
「昔から、無用の用ちゅうやろ。そやから本当に、学問でもおれは目的があって大学の教授になりたいとか文化勲章が欲しいとか、そんなことで学問はしとらへんな。これも若いときから考えてきたんやけど、十年間くらいぼくがカゲロウの研究をやってたときに、やっぱり自然と密着したけど、坊さんの心境てこんなもんやろかと思ったね。もう自然に入り込んでしもうて。そして無欲になったね」今西錦司
「病気というものは、どうも繰り返すもんだ。肉体はまあ物質ですからね。それに対して、物質力で薬を与えたり、悪いところを取れば、もうその部分はなくなりますね。しかし、また別の所に病気が起こってくる。そうなると病気が起こる原因というものが、その部分にあるんじゃなしに、どっか、もっと別の世界、別の次元にあって、それが肉体に投影してくるのが病気であると、こう考えておったんですね」木村裕昭
「陶芸に腹を決めるまで、いろんなことをやったが、やってもやっても道が開けないんですね。迷い迷っていろいろとやっとった。そのとき思ったんですが、世の中っていうのはいくら真面目にやっても誰も真面目を認めやしないと。いくら何をやっとっても、けっきょく自分のやりたいことをやっとったほうが勝ちなんだと思った。で、もう世間を相手にせずに、一人だけで作品を作っていったんです。そして、今度展覧会をやったらい、えらい人気で。二回とも日本一になっちゃったんです」加藤唐九郎
「いい作品を残しておこうと思ったら、欲や迷いがあったらできない。思いきってぱっぱっと感じの悪いやつは割って捨てるだけの欲のない考えでいかなくちゃだめだ。でも、なかなか割れないものですよ。自分の焼いたものを割るということはね。けれども、そこを思い切って割ることの気持ちがないと、いいものは残らないですね」加藤唐九郎
「私は四歳になる男の子と、それから、大型の猿を一緒に解剖したことがあるんですが、もうどっちが人間だか猿だかわかりません。かろうじて、こっちが毛が生えているから猿だと思うくらい、人間と猿の内蔵は変わってません。ですから、頭は進化してるんですけども、内蔵の構造なり配置、機構は変ってませんね。それを内蔵まで発達したと思って、今のように三度食うのがいいっていうのは、これは間違いなんです。あくまで自然に即して物を食う。それが、くどいようだけど、八十五歳の好青年をつくる原因なんです」川島四郎
「運動量については大いに意見があるんです。人間の最も適正な運動量というのは、一日分のエサをとるために、あちこちあさり回り歩く時間と体力ですね。それが最も適正な運動量です」横尾忠則
「文明はあるところまでくると繰り返してだんだん衰えてきて、自然にだめになっちゃうような気がする。まだ地球的な規模の国家問題とか国家意識みたいなものがある間はだめで、鳥瞰よりもっと上の視点から地球を眺めたときに初めて気がつく人が出てくるんじゃないかと思う」手塚治虫
これだけジャンルを超えた対談をできる人は、いないのではないかと思う。まして文庫で読めるとは凄い内容だと考えられる。これら叡智の言葉を今に活かして、活用できたら黄金の価値が湧き上がるだろう。
『しかもそれは起った : 超自然の謎』
フランク・エドワーズ 著 ; 斎藤守弘 訳
[目次]
まえがき / 3
ダビッド・ラングの神かくし / 13
いやらしい雪男 / 16
忘れられた天才 / 20
現代のヨナ / 23
いまわのきわに / 27
悪魔の足跡 / 30
消えたエスキモー部落 / 33
動く化石 / 36
シーバリー船長の大海蛇 / 39
ミステリの記念碑 / 43
夢は実現するか / 46
異常夢 / 49
世界を震駭させた夢 / 52
エドウィン・ドラッドの二重謎 / 56
無から来た男 / 59
フラットウッズの怪物 / 62
大空の罠 / 66
殺人考 / 69
阿呆の天才 / 73
人知をこえた火葬 / 76
世界で一番強い男 / 80
白昼の暗黒 / 83
見えない助言者 / 86
奇縁の難破 / 89
二度生まれた少女 / 92
地球は標的 / 96
夢に救われた話 / 98
人工生命の発明 / 101
土中の巨人 / 105
宇宙からの信号 / 108
この一寸法師たち / 111
中空に消ゆ / 114
報われざる水先案内 / 117
消えた死体 / 121
心理写真機 / 123
反意の天才 / 126
ワイオミングのなぞのミイラ / 129
呪われた自動車 / 132
地上最奇の地点 / 135
電気人間 / 138
自動車を襲うなぞの弾丸 / 141
ダイトン・ロックの岩文字 / 144
ナポレオンの奇怪な死 / 147
不思議なモーター / 150
井戸の中の秘宝 / 153
ケンジングトン石のなぞ / 157
見えない牙 / 160
そして、消えた / 163
リンドバーグ二世の死 / 167
変わった遺産 / 170
人間電子計算機 / 173
ひとりでに書いた歌 / 176
自分を殺した犯人を教える女 / 179
レーダー、怪物を追跡す / 182
億万長者になった乞食少年 / 186
人殺しを見た夢 / 188
リンカン暗殺の計画者はだれか / 191
稲妻の撮った写真 / 195
月世界の神秘 / 198
雨乞師の奇蹟 / 201
大空の落し物 / 204
シャルンホルスト号の呪い / 207
催眠術の殺人 / 210
死せる探検家 / 213
殺し屋彗星 / 216
生きている奇蹟 / 219
死者の声 / 222
宇宙のスパイ / 226
訳者あとがき / 231
早川書房1963.10刊行
新書版ページ数 233p
(ハヤカワ・ライブラリ)
【AFP=時事】13日に91歳で死去したフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)氏が、自殺ほう助により亡くなったことが分かった。同氏の法律顧問がAFPに明らかにした。
顧問は仏紙リベラシオン(Liberation)の報道を認め、ゴダール氏が日常生活に支障を来す複数の疾患を抱えていたことから、スイスで自殺ほう助により自らの命を絶つことを決めたと説明した。スイスでは、判断能力があり利己的な動機を持たない人に対する自殺ほう助が認められている。ゴダール氏は数十年にわたり、スイスの村ロール(Rolle)で隠居生活を送っていた。【AFPBB News】
ゴダールとトリュフォーふたりとも居なくなってしまった。商業映画を始める前に二人が製作した、短編映画が素晴らしいアイデアに満ちたものだった。制作予算がなくとも、面白い映画は作れると実績した作品の数々。
<ジャン=リュック・ゴダール監督短編作品>
●「男の子の名前はみんなパトリックっていうの(脚本:エリック・ロメール)」(22分)
●「水の話(共同監督フランソワ・トリュフォー)」水浸しの道をパリへ! 洪水の世界で展開する、若い男女の恋と脱線のドライブ。(12分)https://youtu.be/7I8Cvmq1NGY
●「シャルロットとジュール」別れた彼女が突然戻ってきた!戸惑う彼氏の傑作コント。若きジャン=ポール・ベルモンド出演(13分)
DVD📀再生するかな、ヌーベルヴァーグの原点となる短編映画。充分に現代へ甦る要素がある作品。
俳優のオダギリジョーさんが脚本・演出を手掛け、「犬」役に挑戦したオリジナル連続ドラマ「オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ」シーズン2が、9月20日から放送される。
「シーズン2って大体失敗するものですが(苦笑)。こんな時代だからこそ、少しでも現実を忘れられるようなくだらない作品を目指しました。ついにNHKから怒られてしまうのか……ご期待ください!」オダギリジョー
警察犬係の主人公と相棒の警察犬が事件に挑む姿とともに、謎めいた町で繰り広げられるさまざまな人間模様を描いた“おかしなサスペンス”。
シーズン2はシーズン1の10日後の設定で、これまでの物語の流れを引き継ぎ、前作の出演者もそのままにストーリーが展開される。
「さまざまなキャラクターによる混とんとした笑いと争いと協力。混とんとするこの世界に、あの変な犬と厄介でおかしな人たちが帰ってきます。たくさん笑って、ほんの少しだけ感動してもらえることを願っています!」池松壮亮
シーズン2は全3話で、9月20日から火曜午後10時に放送。これに先立ち、シーズン1の未公開映像を含めた特別版が9月17日深夜0時25分から放送される。
【脚本・演出】 オダギリジョー
【音楽】 森雅樹
【主題歌】「The Hunter」(EGO-WRAPPIN’)
【出演】
池松壮亮、オダギリジョー、永瀬正敏、麻生久美子、本田翼、岡山天音、玉城ティナ、くっきー!(野性爆弾)/永山瑛太/川島鈴遥、佐藤緋美、浅川梨奈、佐久本宝、髙橋里恩、森優作、緒形敦、別府由来、奈良原大泰、中本大賀、芳村宗治郎、山田浩、今泉力哉、前川正行、沖原一生、金井浩人、朝比奈知樹、岡本智礼、菅原健、宮本幸太、フィリップ(犬)、ナオト(犬)、パール(犬)、ペトラ(犬)、レックス(犬)/染谷将太、仲野太賀、佐久間由衣、坂井真紀、葛山信吾、火野正平/國村隼/細野晴臣、香椎由宇、渋川清彦、我修院達也、宇野祥平/草村礼子、箭内道彦、芹澤興人、竹内都子、柳ゆり菜、奈月セナ、天木じゅん、結城貴史、DOTAMA、大江健次(こりゃめでてーな)、中村無何有、千うらら、出口亜梨沙、浦郷絵梨佳、柴田紗帆、真下有紀、金剛地武志、福岡みなみ、木下瑠音、草地稜之、坂口雄斗、ヒラノショウダイ、関根洋一/村上淳、嶋田久作、甲本雅裕、鈴木慶一/松重豊、柄本明、橋爪功、佐藤浩市 ほか
【制作統括】
柴田直之、坂部康二、山本喜彦
※放送から1週間はNHKプラスで配信します。https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2021091731072
■ 番組ホームページ https://www.nhk.jp/p/ts/ZPZJP2WJ9R/
■ 公式Instagramアカウント https://www.instagram.com/nhk_oliver/
「オリバーな犬(Gosh!!)このヤロウ」続きが楽しみですね。
ドガ、モディリアーニからピカソ、ミロ、クレー、マグリットまで、いちばん面白い時代のこんな名画が日本にあった。「元祖ヘタウマ」のルソー、寂しい、でもなぜか懐かしいキリコ、シャガールは家庭で揚げる天麩羅だ―ユニークな視点で「近代絵画」の見方を伝授する。巻末に美術館ガイドを収録。
光文社(2006/10発売)
【目次】
モディリアーニ「おさげ髪の少女」―絵画が“自我”に目覚めはじめた(名古屋市美術館)
ピサロ「ポン・ヌフ」―パリの心地よさを美味しく味わう(ひろしま美術館)
ルソー「要塞の眺め」―素人に描けて、玄人に描けない絵(ひろしま美術館)
ドガ「浴後」―写真と浮世絵で掴んだ“現代”とは(ブリヂストン美術館)
ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」―身銭を切って買いたいかどうか(ブリヂストン美術館)
シャガール「ヴィテブスクの眺め」―家庭で揚げる天麩羅との付き合い(ひろしま美術館)
スーティン「セレの風景」―汚ないけど美味い餃子屋の魅力(名古屋市美術館)
マルケ「レ・サーブル・ドロンヌ(オロンヌの浜)」―野獣派マルケに何が起こったのか(国立西洋美術館)
キリコ「ヘクトールとアンドロマケーの別れ」―不安をかき立てる「影」のパワー(大原美術館)
マグリット「王様の美術館」―現代にフィットするCM感覚の妙(横浜美術館)
ボナール「ヴェルノン付近の風景」―印象派を乗り越えた色遊びの快楽(ブリヂストン美術館)
ミロ「パイプを吸う男」―絵は「立派」じゃないといけないか(富山県立近代美術館)
ダリ「ガラの測地学的肖像」―正常の極にあるスリリングな異常
クレー「セイレーンの卵」―絵のどこに“虫の動き”を感じるか(セゾン現代美術館)
レジェ「佇む女」―世の風潮が消えた後に残る絵とは(池田20世紀美術館)
【解説】南伸坊
「この本に出てくるのは、ちょうど絵のリニューアルと自我の膨張がぐいぐいとはじまったばかりの時代の、いちばん美味しい、いちばん面白い、いわば活劇の場面の美術史である」
赤瀬川原平[アカセガワゲンペイ]
1937年、横浜市生まれ。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)中退。’60年代「ネオ・ダダイズム」の前衛芸術家として活躍。その後、尾辻克彦のペンネームで小説を執筆。’81年『父が消えた』で芥川賞受賞。
芸術の本源はこの現象界にあるのではなく、もともとは天上界に存在するものである。それが芸術家の直感によって地上に降ろされて初めて芸術作品と呼ばれるのだ。その意味でも芸術家は神の媒介者である。神の意志を伝達する道具でなければならない。
「出会った絵について書くことは、でも勿論私について書くことでした」ドラクロワ、ゴッホ、マティス、荻須高徳、小倉遊亀、オキーフ…etc.。古今東西の27人の画家の作品をとりあげ、「嫉妬しつつ憧れつつ」自由に想いを巡らした、美しくユニークなエッセイ集。愛らしい小品から名作まで、画家たちの様々な作品を鑑賞しながら、江國香織その人に出会う―二重の楽しみが味わえる、宝物のような一冊。
オキーフの絵の透明感は「空気の澄み方におどろく。深呼吸をしたら、肺がつめたくなりそうだ」
ゴッホの絵は「じかに胸を打たれる感覚は音楽に近く」
ホッパーは「観るものをひきこんで疎外する」。
目次 : ゴーギャンのオレンジ―ゴーキャン「オレンジのある静物」/ 完璧に保存される物語―カリエール「想い」/ 体の奥がざわめくなつかしさ―ホッパー「海辺の部屋」/ 祖父の家―児島虎次郎「睡れる幼きモデル」/ ボナールのバスタブ―ボナール「浴槽」/ ポケットに入れて―ドラクロワ「花の習作」/ うつくしいかたち―東郷青児「巴里の女」/ あの怠さ―パスキン「昼寝」/ 意志的な幸福―カサット「劇場にて」/ ユトリロの色―ユトリロ「雪の積った村の通り」/ 宗教のような、音楽のような―ゴッホ「夜のカフェテラス」/ 同化するということ―荻須高徳「カフェ・タバ」/ セザンヌのすいか―セザンヌ「すいかのある静物」/ 過渡期の人・マネ―マネ「海にとび込むイザベル」/ あるべき場所のこと―グレコ「聖アンデレと聖フランシスコ」/ ひらがなのちょうちょ―ルドン「ちょうちょ」/ 豪胆さと繊細さ―小倉遊亀「家族達」/ プリミティブという力―ムンク「お伽の森の子供たち」/ かつて持っていたくまのぬいぐるみ―ワイエス「グラウンドホッグ・デイ」/ 豊かさ、幸福さ、まっとうさ―マティス「ヴァイオリンのある室内」/ インタレスティングということ―カラヴァッジョ「聖トマスの懐疑」/ 見知らぬ絵―カーシュテン「赤い台所」ほか/ オキーフの桃―オキーフ「桃とコップ」「この美術館にあるなかで、どれでも好きな絵を一枚もらえるとしたら、どれがほしい?」
ただし絶対飾らなきゃいけないんだ。売るとか、財産として所有するとか、そういうんじゃなくね。真っ白い壁の、広いきれいな家に住んだら、とかいうのも駄目で、いま住んでいる家に、必ず飾らなきゃいけない。(本書より)
70年の長い画歴で、風景、花、動物の骨だけをテーマとしてオキーフは描きつづけた。
画面いっぱいに拡大して花を描いた作品群や、牛の頭蓋骨をイコンのように威厳を込めて描いた作品群が有名である。
またアメリカで抽象画を描きはじめた最初期の画家の一人で、基本的には具象的モチーフにこだわりつつ、時おり抽象画も手がけ、精密派の画家として生涯にわたって抽象への関心を抱き続けた。
Georgia O'Keeffe 画集
https://youtu.be/OMJuclT7lnw
【代表作】
街の夜(1926年)(ミネアポリス美術研究所)
抽象 第6番(1928年)(愛知県美術館)
赤・白・青(1931年)(メトロポリタン美術館)
朝鮮朝顔、白い花NO.1(1932年)(クリスタル・ブリッジーズ・アメリカン・アート美術館)
雄羊の頭、白いタチアオイ、丘(1935年)(ブルックリン美術館)
骨盤とペダーナル山(1943年)(マンソン・ウィリアムズ・プロクター美術研究所)
https://youtu.be/QqNDdH_mUJw
『オキーフの恋人 オズワルドの追憶』辻仁成
design stories booksの記念すべき第一弾作品として、長編小説「オキーフの恋人 オズワルドの追憶」(上下巻)が電子書籍となりKindle版より発売。
人気ミステリー作家が謎の失踪を遂げた。
女流画家ジョージア・オキーフを敬愛する青年編集者は、禁断の恋にのめりこんでいく。作家の代理人をつとめる盲目の美女が鍵を握る。凄惨きわまる女子高生連続殺人事件。更なる悪夢が続く下北沢の街。糸口すらつかめない犯人。女房に逃げられた厄年の「にわか探偵」が鍵を握る。
書き下ろし「オキーフの恋人」と、『週刊ポスト』連載の「探偵」に大幅な加筆訂正を加えた「オズワルドの追憶」が一体になった小説。
★2003年初版から何度かは書き直してる長編で、Kindleでの作者入魂のリリースとなったから、電子化書籍で読みたいと思った。
絶世期の平井和正さんの『狼男だぜ』など彷彿させる、エンタメ小説に対する本気な向き合いがあって、ぐいぐいと引き込まれる探偵物語。
忽然と消えた作家の高坂譲が、失踪前に遺した小説「オズワルドの追憶」には連続殺人事件に巻き込まれる新米探偵・夢窓賢治の悪夢が描かれている。
担当編集者の小林慎一郎にしか見えない内なる妖精オキーフが現れて、彼を嘲笑うように本質を刺すのであった。
下巻半ばからカルト教団が物語の底辺に絡んできて、シラケてしまう読者も多いみたいのが残念である。連載での原稿枚数を稼ぐために書かれた冗漫な描写が下巻には目立っている。これだけミステリー小説をしぶとく探究してるなら、贅肉となる文章描写はもっと切り詰めて、読書の想像力へ訴える選択もあったと思う。絵画や夢についての描写が詳しく、赤瀬川原平『目利きのヒミツ』のようなアート視点があったら完璧に近づいたと思われる。そして下巻も上巻と同じく300頁位にまで余分な描写を推敲されたらと感じた。
女子高生を狙う連続猟奇殺人は無残にも成就し、なすすべもない私立探偵・夢窓賢治を窮地に追い込む。作者不在で進行する小説のプロットと同一の事件が現実に起こったとき、下北沢の町は恐怖と混乱の底に沈んだ。
オキーフとオズワルド、ふたつの物語を貫いて巨大な死の欲動が生起して、歴史が秘めた驚愕の事実が立ち現れる。
人間の記憶の悲しみを通して、現実社会の悪夢を極めた傑作巨篇。後半120頁分は渾身の展開となって息を呑む、犯人探し探偵小説と自分探し純文学とのコラボレーションがなされて、圧倒的な山場が用意されている。久しぶりに小説の世界へ没頭する、野心ある試みを堪能できた。
Kindle(design stories books )
2021年5月刊行
電子書籍化第二弾となる小説「ミラクル」改稿Kindle版も、引き続き読みたいと思います。
【関連記事】
赤瀬川原平『目利きのヒミツ』
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2022/09/post-e9e5da.html
原作者:辻仁成、江國香織
出演者:竹野内豊 、 ケリー・チャン 、 ユースケ・サンタマリア 、 篠原涼子 、 マイケル・ウォン 、椎名桔平
監督: 中江功
脚本: 水橋文美江
音楽: エンヤ
東京、ミラノ、フィレンツェ・・・ひとつの愛にさまよう二人の十年の物語。イタリア・フィレンツェで絵画の修復士を目指す阿形順正は、かつて心から愛していながらある出来事を境に、永遠の別れを選んでしまった恋人・あおいをどうしても忘れることができずにいた。聡明で冷静だが、いつも心に孤独を抱えるあおい。順正の心に宿るひとつの希望、それは10年前に交わしたあおいの30歳の誕生日にフィレンツェのドゥオモ(大聖堂)で待ちわせるという他愛もない約束だった・・・。
[東宝製作2001年]
あまりに大ヒットした原作と映画だけに、見逃していた作品。テレビではなかなか放送されない映画であった。
イタリア観光と恋愛物語が同時に楽しめて、女性ファンが喜びそうな映像となっている。映画での名場面は観光として聖地化しているようである。
コロナ禍で製作中断していた『中州の子供』が撮影再開となり、成功祈願にDVD購入して映画鑑賞した。
メイキング映像の他に音声特典として、本編についてコメンタリー付録がある。主演してる篠原涼子とユーウスケ・サンタマリアと監督とプロデューサーが、イタリアでの撮影について同窓会のように二時間以上語りあっている。これが本編鑑賞とは別に制作ドキュメントのように楽しめる。
映画制作ならではの集団で行われている奇跡とか、多くの関わりあいからの感動が伝わってくる。
「恋は砂時計に似ている。心が満たされるにつれて、頭はからっぽになる」
「言葉は、思考の小さな変化である」
「芸術家とは、才能があって、いつでも初心者のようにいる人間である」
「毎朝、目を覚ますたびに、──目が見える。耳が聞こえる。体が動く。気分も悪くない。有難い、人生は美しい!と言っていいだ」
「希望とは、輝く太陽の光を受けながら出かけて、雨に濡れながら帰るのである」
ジュール ルナール Jules Renard
1864.2.22 - 1910.5.22
フランスの小説家,劇作家。ノルマンディー生まれ。卒業後すぐに文筆生活に入る。処女作の長編小説「わらじむし」はついに日の目を見ることができず、1888年結婚と同時に自費出版した短編集「村の罪悪」が最初の著書となる。
1894年「ぶどう畑のぶどう作り」「にんじん」を、1896年に「博物誌」を発表して作家としての地位を確立した。
のち劇作にも才能を示し自作の「にんじん」を戯曲化しパリのアントワーヌ座で上演、大成功を収める。日本の新劇界にも大きな影響を与えた。
1904年シトリー村の村長に選出される。1907年、ユウスマンスの後を受けてアカデミー・ゴンクール会員。
「イメージの猟人」
朝早くとび起きて、頭はすがすがしく、気持ちは澄み、からだも夏の衣装のように軽やかな時にだけ、彼は出かける。別に食い物などは持って行かない。
道々、新鮮な空気を飲み、健康な香を鼻いっぱいに吸いこむ。猟具も家へ置いて行く。彼はただしっかり眼をあけていさえすればいいのだ。その眼が網の代わりになり、そいつにいろいろなものの影像がひとりでに引っかかって来る。
(『博物誌』より)
山下洋輔の本質は、陽気な、乾いたサディムであるように思われる。
このアルバムでの圧巻はまず「ラプソディ・イン・ブルー」。クラリネット・ソロの部分をピアノだけで駈けあがったかと思うと、突如オーケストラが鳴り響くのである。オーケストラが出す音を全部ピアノで出しているからという以上に、それはジャズ・ピアノのソロでなければ出せない「オーケストラの音」なのである。おれも驚いたが、これはたいていの人が吃驚するのではないか。
これは名盤中の名盤になるだろう。おれの書くことは嘘ばかりだがこれだけは本当だ。というのも「ラプソディ・イン・ブルー」に限って、おれの耳だけは信用してもらっていいと思うからなのだ。愛する曲であり、聞いた回数は軽く千を越えるし、口だけで全曲、ほぼリアル・タイムで歌えるからである。
何度聴いても飽きぬ演奏だが、それだけに、前半の終りごろに出てくるあのジャズつぽいテーマは、もっと長くやって貰いたかった気がしてしかたがない。表題的に書いた山下洋輔の本質がよりよくあらわれる部分であると思うし、わずか十六小節では欲求不満が残ります。ま、そのかわりにファースト・テーマを何回かご機嫌なジャズに崩してくれるのだが。
(中略)
さて、「ラプソディ・イン・ブルー」なら多くのジャズマンが演奏していて、それぞれ持ち味を出し、「この人だからこれでよいのだ」という形で認やられているのだが、他の曲となるとそうはいかぬ。あのう、これはですね、誰でもが知っているポピュラーなクラシック曲に対していかに現代的解釈を施すか、その腕がやっぱり問われるわけなんですよ。
(中略)
クラシックを作曲、指揮できる基礎がある上に、前衛的な芸術全般にわだっての深い関心があったればこその成果である。山下洋輔は「アカデミズムは自分と無縁のところでちゃんとやっててほしい」と言っているが、これは聞きようによってはまったく大変なことばであり、山下洋輔にしかこんなことは言えず、彼の自信の大きさがわかろうというものだ。おれがこれに似たことを言ったら、おそらく袋叩きになるだろうが、どうせ今だって袋叩きだし、言いたいので、やっぱり言ってしまおう。
「純文学は自分と無縁のところでちゃんとやっててほしい」
やったあ。
『RHAPSODY IN BLUE』YOSUKE YAMASHITA
1. Suite for solo Violoncello No.l in G major~Prelude~U.S. Bach)
2. Nocturne N0. 2 in E flat major Op. 9-2 (F. Chopin)
3. Rhapsody in Blue (G. Gershwin)
4. The Maiden's Prayer (B. Zewska)
5. Humoreske (A. Dvorak)
6. Piano Quintet No. 2~l st Mvt. (Y. Yamashita)
7. Piano Quintet No. 2~2nd Mvt. (Y. Yamashita)
8. Piano〔luintet No. 2~3「d Mvt. (Y. Yamashita)
RHAPSODY IN BLUE/YOSUKE YAMASHITA
ラプソディ・イン・ブルーノ 山下洋輔
I 無伴奏チェロ組曲第一番卜長調プレリュード(J.S.バッハ)……6:19
2 ノクターン第二番変ホ長調作品9-2 (F.ショパン) 6:37
3ラプソディ・イン・ブルー(G.ガーシュイン)………………………13:30
4乙女の祈り(B. ゼフスカ)5:08
5 ▼ユーモレスク(A.ドヴォルザーク)4:43
6 ▼ピアノ五重奏曲第二番第一楽章(山下洋輔)…………………12:31
7 ▼ピアノ五重奏曲第二番第二楽章(山下洋輔)…………………9:35
8 ▼ピアノ五重奏曲第二番第三楽章(山下洋輔)…………………8:32
トータル時間 66:55
▼印はコンサートでライブ・レコーディングしたテイクです。
ピアノ……山下洋輔
ピアノ五重奏曲第二番にはバレー・ストリング・カルテットが共演しています。
第一一ヴァイオリン……漆原原啓子
第二ヴァイオリン……松原勝也
ヴィオラ………………豊島泰嗣
チェロ………………山本祐ノ介
録音場所:大阪ザ・シンフォニー・ホール
録盲目:1986年7月20日(日)
録音形式:2チャンネル・デジタル録音
エンジュア:大野進
ライナーノート:筒井康隆
インナースリーブ・フォト:萩原均/ザ・シンフォニー・ホール
アート・ワーク:田島照久
アーティスト・マネージメント:ジャムライス
コンサート・マネージメント:NASA
プロデュース:磯田秀人
Special Thanks to: 関根有紀子/斉藤智/東京労音、/東京文化会館/小林禄幸/近藤祥昭/林仲光/白神克敏
【mju:】Kinv RECORDS, INC.
MANUFACTURED AND DISTRIBUTED BY POLYDOR K.K., JAPAN.1986 KA8612
「あなたの死後、見られたくないデータを内密に削除致します」山田孝之、菅田将暉(他)
▽依頼人の死後、デジタル遺品を“内密に”抹消する仕事を生業とする坂上圭司は…
◇番組内容 被告人として出廷した何でも屋・真柴祐太郎に興味を持った弁護士・坂上舞は、すぐさま保釈手続きを取り、彼に仕事を紹介する。それは舞の弟・坂上圭司が「dele. LIFE」という会社を立ち上げ、単独従事している秘密裏の仕事…。
クライアントの依頼を受け、その人の死後に不都合なデジタル遺品をすべて“内密に”抹消する仕事だった。そんな中、依頼人のゴシップ記者が死亡した。当初自殺と思われたが、他殺を疑う祐太郎は…
◇出演者
山田孝之、菅田将暉、麻生久美子 ほか
テレビ朝日 月曜~金曜13:54~14:52
【今後の放送スケジュール】
2022/09/05 13:54~14:52
dele/ディーリー #1
2022/09/06 13:54~14:52
dele/ディーリー #3
2022/09/07 13:54~14:52
dele/ディーリー #6
2022/09/09 13:54~14:52
dele/ディーリー #8
「ペン銀舎」通販サイトでは販売停止でしたが、パッケージをリニューアルして、当サイトにて限定販売いたします。
○ 「BLUE CROCODILE TAROT CARD」リニューアル版パッケージ
大アルカナ22枚・オフセット印刷・角丸断裁となっております。
パッケージ入り \3,800(税込)
パッケージ無し \3,500(税込)
◆ 申し込みとお問合せは、
下記のペン銀舎メールアドレスまで
ご連絡下さい。
◆ 今回限定販売は作画担当の銀くんに配当された50セットのカードのみで、締め切らさせていただきます。
【ペン銀舎】公式URL:https://penginsha.com/
開催中~2022年9月25日(日)まで
ヨックモックミュージアムhttps://yokumokumuseum.com/1000/
生涯を通じて「地中海人」であり続けたピカソ。ピカソが作陶のモチーフとしたのは、地中海世界に古代から伝わる神話世界の住人たちや身近な自然界の動物たち、愛する闘牛などでした。
1章 神話世界と動物たち
温暖な気候と豊かな海の幸に恵まれ、地中海沿岸には古代より文明が栄え豊穣な神話的世界が育まれていました。
ピカソが好んで描いた神話世界の住人たちを取り上げ、地中海文化の精神性がピカソに与えた影響を探ります。
2章 プロヴァンスの幸と鳥たち
ピカソが陶器制作をおこなっていたプロヴァンス地方は、豊かな自然環境の中、豊富な農作物や海産物に恵まれた地域でした。
日常の食卓を賑わせた食物、そして身近にいた鳩や梟を作品に残しました。
ピカソがモチーフとして取り上げた魚や鳥たちの作品を通して、ピカソが日常にむけた眼差しをたどります。
3章 闘牛:古代地中海世界からの儀式
スペイン人であるピカソの闘牛好きは有名でした。闘牛のシーンを、絵画作品だけではなく陶器作品にも数多く取り上げました。
4章 人間愛とヌード賛美
ピカソは人間を愛し人間を描いた画家でした。彼が陶器制作をおこなっていた時期、二人の女性がピカソのパートナーとなりモデルとなりました。この二人の女性、フランソワーズ・ジローとジャクリーヌ・ロックがどのようにピカソの作品に反映されたかを通し、人間の心理までも洞察するピカソの眼を見出します。
〒107−0062 東京都港区南青山6丁目15−1 ヨックモックミュージアム
03-3486-8000
「地中海人ピカソー神話的世界に遊ぶ」展の感想と完全ガイド
https://omochi-art.com/wp/yokumokumuseum2021/
女優の仁村紗和さん主演NHKの“夜ドラ”「あなたのブツが、ここに」(総合、月~木曜午後10時45分)放送
亜子は宅配の仕事にも慣れてきたが、昼の宅配の仕事だけでは給料も少しだけ。葛西社長からフルタイムで働かないかと誘われる。
キャバクラにも未練があり決めきれずにいた亜子。峯田は悩む亜子を元気づけようとバク宙を練習していた。
ある日、亜子は割れ物のシールが貼られた荷物を運ぶ。壊さないように慎重に配達した亜子だったが、次の宅配先へ向かおうとした矢先、スマホが鳴る。
ドラマはコロナ禍で激変する日本の飲食と、物流業界のリアルがドラマにされる。
どこか投げやりだったシングルマザーの主人公・山崎亜子が、キャバ嬢から宅配ドライバーに転身して、さまざまな困難に立ち向かう中で、自分の人生を肯定できるようになっていく姿がある。1話15分。
https://www.nhk.jp/p/ts/4VZRPGKL15/
【一挙再放送 】9/3(土)午前0:30~(金曜深夜)
「できるだけ安い物の中から良い物を探したい。つまり金で解決ではなくて、自分の眼力で勝負したい」
書画骨董だけでなく、たとえば笑顔にも本物とニセ物がある。「ワケあり」の男女を見抜くのも、一瞬の目利きだ。人に本来備わった直感力を磨き、眼力を養うためのフィールドワーク。
目利きの達人、白洲正子氏との対談「目玉論」を文庫収録。非常に面白い目利きの対談となっております。
赤瀬川原平1937年横浜生まれ。画家。作家(尾辻克彦)。60年代には「ハイレッド・センター」など前衛芸術家として活動、70年代には「櫻画報」など独自の批評を盛り込んだイラストレーターとして活躍、81年には『父が消えた』で芥川賞を受賞。
1986年、藤森照信、南伸坊らと「路上観察学会」を結成。他に高梨豊、秋山祐徳太子との「ライカ同盟」、山下裕二との「日本美術応援団」の活動がある。2014年没。
「体にとっていちばん警戒しなければいけないのは頭の観念世界で、体はそんな頭を上に乗せているから困るのである。頭だけで観念世界をいじるならいいが、そうはいかない。観念が膨張をはじめると、それを乗っけている体は動かなくなり、それがつづくと体は観念に吸い込まれて骨抜きになる。」
「ヨガとか座禅とか瞑想とかいうものには、体の教養主義を感じる。思い過ごしだといいんだけど」
「澄んだ目とかつぶらな瞳というのは自然なもの、天然のものと思っていたけど、養殖ものも出来るんだと知ったのがオウムの事件だった。
演技とか美容整形だけではなかなか澄んだ目はできない。オウムのあれはとりあえず本物だろう。多少の演技もあったかもしれないが、あれは簡単な構造の目ではなくちゃんと生きている目、いわば養殖された澄んだ目なのだ。」
「文化というのはたんに出来上がった絵画や文学というだけのものではない。それは結果の話であって、むしろそれ以前の生活の中でユトリの部分、ショックアブソーバー。頭ではムダだと思われながら体がどうしても欲しいもの。自分に合った物や事柄への愛着。(中略)つまりむずむずする体が文化の母胎としてあるわけで、頭はというともちろん科学である。」
イギリスで若者達が暴徒化、マクドナルドを襲撃して商品を略奪してしまう
https://www.sol-e.com/archives/11621
8月上旬、ロンドン東部トッテナムで発生した放火や略奪行為などの「暴動」は、その後の数日間でロンドン各地からイングランド中部バーミンガム、北部マンチェスターにまで飛び火した。小学生の児童から子を持つ親までが参加したこの暴動では、3000人近くが逮捕され、5人が命を落とすほどの事態に発展している。
〈自閉症アーティストの記念画集プロジェクト〉
20歳の自閉症アーティストGAKUは、クラウドファンディングで実施したプロジェクトを見事成立し、自身初となる画集「byGAKU-20(Twenty)」を発売。過去3年間で描き上げた600点もの作品の中から、人気の作品を厳選した、SDGsアートの最前線で活躍する20歳になったGAKUの記念画集です。自閉症であるGAKUが成し遂げたことは、障害の有無に関わらず、「すべての人の可能性」に新たな光を与えてくれた。
・GAKUの近況報告はこちらをご覧ください。「by GAKU」http://bygaku.com/
・記念画集プロジェクトのクラウドファンディング https://readyfor.jp/projects/bygaku20
父親の佐藤典雅さんによると、動いている車が止まると大泣きし、好きな作品のDVDを購入しては、シュレッダーにかけることを繰り返すといいます。
また多動症のため、じっとしていられず、家の中ではいつも小走りで動き回ります。今のこだわりは、1日に5回シャワーに入ることだといいます。
19才の自閉症画家GAKU登場!突然2年前に絵を掻きはじめてNYで個展
https://youtu.be/ey02TaknF34
アートディレクター ココさん
「高校1年生の時に川崎市にある岡本太郎美術館に一緒に行きました。すると、じっとしていられない彼が作品の前で5分以上も立って見続けていたのです」
岡本太郎さんの作品を見た翌日、突然GAKUさんは、「GAKU 絵を描く!」と発した言葉が、アーティストとしてのはじまりでした。