山下洋輔「ラプソディ・イン・ブルー」解説=筒井康隆
山下洋輔の本質は、陽気な、乾いたサディムであるように思われる。
このアルバムでの圧巻はまず「ラプソディ・イン・ブルー」。クラリネット・ソロの部分をピアノだけで駈けあがったかと思うと、突如オーケストラが鳴り響くのである。オーケストラが出す音を全部ピアノで出しているからという以上に、それはジャズ・ピアノのソロでなければ出せない「オーケストラの音」なのである。おれも驚いたが、これはたいていの人が吃驚するのではないか。
これは名盤中の名盤になるだろう。おれの書くことは嘘ばかりだがこれだけは本当だ。というのも「ラプソディ・イン・ブルー」に限って、おれの耳だけは信用してもらっていいと思うからなのだ。愛する曲であり、聞いた回数は軽く千を越えるし、口だけで全曲、ほぼリアル・タイムで歌えるからである。
何度聴いても飽きぬ演奏だが、それだけに、前半の終りごろに出てくるあのジャズつぽいテーマは、もっと長くやって貰いたかった気がしてしかたがない。表題的に書いた山下洋輔の本質がよりよくあらわれる部分であると思うし、わずか十六小節では欲求不満が残ります。ま、そのかわりにファースト・テーマを何回かご機嫌なジャズに崩してくれるのだが。
(中略)
さて、「ラプソディ・イン・ブルー」なら多くのジャズマンが演奏していて、それぞれ持ち味を出し、「この人だからこれでよいのだ」という形で認やられているのだが、他の曲となるとそうはいかぬ。あのう、これはですね、誰でもが知っているポピュラーなクラシック曲に対していかに現代的解釈を施すか、その腕がやっぱり問われるわけなんですよ。
(中略)
クラシックを作曲、指揮できる基礎がある上に、前衛的な芸術全般にわだっての深い関心があったればこその成果である。山下洋輔は「アカデミズムは自分と無縁のところでちゃんとやっててほしい」と言っているが、これは聞きようによってはまったく大変なことばであり、山下洋輔にしかこんなことは言えず、彼の自信の大きさがわかろうというものだ。おれがこれに似たことを言ったら、おそらく袋叩きになるだろうが、どうせ今だって袋叩きだし、言いたいので、やっぱり言ってしまおう。
「純文学は自分と無縁のところでちゃんとやっててほしい」
やったあ。

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