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2022年12月 4日 (日)

後鳥羽上皇と承久の乱勃発について

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、後鳥羽上皇を歌舞伎役者の尾上松也さんが演じているが、ドラマにおいては最終局面に待ち受けているボスキャラ的な位置付けとなってる。

上皇が主人公・北条義時を打倒するため挙兵し、承久の乱が勃発する史実があり、そこへ最終回は向かっている。


そんな上皇は治承47月に、高倉天皇の第4皇子として生まれた。母は坊門信隆の娘・殖子。安徳天皇と後鳥羽天皇は、異母兄弟の関係にあった。平家政権の末期、治承48月に、源頼朝を中心に勢力が、反平家の旗を掲げて挙兵。寿永27月には、木曽(源)義仲の軍勢が都に迫り、対抗できぬとみた平家一門は、幼い安徳天皇を連れて西国に落ちてゆく。


都に天皇がいなくなる異常事態を解消するために、後白河法皇を中心に、新帝の即位が進められる。新帝の候補は第3皇子の惟明親王の遺児・北陸宮と、第4皇子の尊成親王。後白河法皇の後押で尊成親王が受ける。

皇位の象徴、三種の神器(八咫鏡 ・草薙剣 ・八坂瓊曲玉)は平家によって持ち去られて、後鳥羽は神器なき践祚をした。


平家は壇ノ浦で滅亡するが、神器の1つである宝剣は、海上に没して二度と見つからない。神器なき践祚をして、後年まで後鳥羽のコンプレックスとなり、強力な王権の存在を内外に示す。それが承久の乱の遠因となったともいわれる。


建久3年に後白河法皇が崩御。朝廷は九条兼実が主導、兼実は政変により失脚。建久9年、後鳥羽は土御門天皇に譲位。承久の乱が起こる1221年まで、土御門・順徳・仲恭天皇の3代、23年にわたり続く。


後鳥羽院は最初から鎌倉幕府を打倒しようとしたのではなく、幕府3代将軍・源実朝との関係は密で、生母の弟である坊門信清の娘を実朝の妻として鎌倉に下向させている。

実朝と正室の間には子どもがなく、幕府では後継者問題があり、幕府は後鳥羽院の皇子をいずれは4代将軍として鎌倉に迎えたいと考えてい。それは朝廷と幕府融和につながり、朝廷が幕府を動かすのも容易になる。

だが建保7年に実朝は甥の公暁(幕府2代将軍・源頼家の遺児)によって、鎌倉は鶴岡八幡宮において殺害されてしまう。実朝暗殺から後鳥羽院の考えは急転、親王の派遣を拒絶する。


『愚管抄』(僧侶・慈円の史論書)には、後鳥羽院の気持ちを「どうしてこの先、この日本国を2つに分けるようなことができようか」と記している。友好的な実朝亡き今、自らの皇子を鎌倉に下すのは、国分裂のもとになると院は踏んでいた。実朝暗殺は朝廷と幕府の関係を悪化させて承久の乱の遠因となる。


承久の乱は後鳥羽院方の敗北に終わる。後世まで徳なき上皇と、批判の対象となってしまう。しかし後鳥羽院は蹴鞠・琵琶・秦箏・笛などの芸能や、相撲・水練・射芸などの武技を嗜む多才多芸な人物だった。中世屈指の歌人としても再評価される。

承久の乱の敗北後、後鳥羽院は隠岐島へ配流され、都の土を踏むことはなく延応元年に隠岐島で崩御した。

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