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2022年12月 5日 (月)

〈後鳥羽上皇の十首〉

源実朝は『金槐和歌集』を作成したほど和歌の才に恵まれた人物で、後鳥羽上皇も和歌を得意としていた。それもあってか二人の相性はよかったらしく、後鳥羽上皇は自分の娘を妻として差し出し右大臣に任命するなど、源実朝に対して過分な官位も授けていた。


後鳥羽上皇の下命によって編纂された八番目の勅撰和歌集『新古今和歌集』は、上皇の精撰への情熱に応じて、長期にわたって改訂の手が加えられた。



〈後鳥羽上皇の十首〉

(一)「みわたせば 山もとかすむ 水無瀬川 夕べは秋と なにおもひけむ」

水無瀬川に別荘を作り、遊女や白拍子を招き、羽目を外した遊び三昧の日々を過ごしたという。


(二)「桜さく 遠山鳥の しだり尾の ながながし日も あかぬいろかな」

山鳥から遠い場所となる都に院はいる。閑寂な雰囲気はなく、飽きないという帝王。


(三)「山里の 峰の雨雲 途絶えして ゆふべ涼しき 真木の下露」

定家の名歌「春の夜の 夢の浮橋 途絶えして 峰にわかるる 横雲の空」を意識しているのか。


(四)「寂しさは 深山の秋の 朝くもり 霧にしをるる 真木の下露」

寂連の「寂しさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ」をなぞっているようだ。


(五)「このころは 花も紅葉も 枝になし しばしなきえそ まつの白雪」

定家の「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」を拝借している。


(六)「奥山の おどろがしたも 踏みわけて 道あるよぞと 人にしらせむ」

承久の乱前夜、鎌倉方への宣戦布告ともとれる、帝王の一首となる。


(七)「我こそは 新島守りよ 隠岐の海の 荒き波風 こころしてふけ」

乱に敗れて隠岐へ流される。「後鳥羽院遠島百首」から、遠島百首が続く。


(八)「古里を 別れ路におふ 葛のはの 風はふけども かへるよもなし」

古里に帰る術もなく、後鳥羽院も古里が恋しいのだろうか。


(九)「眺むれば 月やはありし 月ならぬ 我が身ぞもとの 春にかはれる」

あの時みた月はもはや同じ月ではない。時は変わってしまったが、自分だけは変わらずにいる。これ沈鬱な歌は「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」(在原業平)からパクっている。


(十)「同じ世に またすみのえの 月や見む けふこそよその 隠岐つ島守り」

晩年は寂しく過ごしたのか、でも住むならやっぱり、よその隠岐ではなく住の江がいい。さすがの帝王も意気消沈している。


「このうち、みづからの歌を載せたること、古きたぐひはあれど、十首にはすぎざるべし。しかるを、今かれこれえらべるところ、三十首にあまれり」新古今和歌集(仮名序)


「人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は」(後鳥羽院)


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