源実朝の和歌
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も終わりに近づいて、実朝の代表的な歌たちを旅する。
「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」
歌の盟友たる後鳥羽上皇への恭順の意を表した歌とされる。
「大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけて散るかも」
「古寺のくち木の梅も春雨にそぼちて花もほころびにけり」
源頼朝が父の菩提を弔うために建立した勝長寿院の梅を詠んだもの。
[ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色はかはらし」
「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ」
箱根や伊豆を訪れた時に歌われた首たち。
「時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ」
建暦元年の洪水の被害に「恵みの雨も過ぎると民は嘆くことになる」から、雨を司る八大龍王に祈念して詠まれた。
「ものいはぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子をおもふ」
「世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも」『小倉百人一首』より
「風さわぐをちの外山に雲晴れて桜にくもる春の夜の月」
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場に植えられている実朝桜の碑にある首。
「こむとしもたのめぬうはの にたに秋かせふけば 雁はきにけり」
「いま来むとたのめし人は見えなくに秋かせ寒み雁はきにけり」
帰国して戻らない近臣の東重胤へ帰参するよう催促するのにに詠んだという。
「君が代も我が代も尽きじ石川や瀬見の小川の絶えじとおもへば」
鴨長明の「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れも尋ねてぞすむ」を元にした首。
「瀬見の小川は、京都の下鴨神社が鎮座する糺の森を流れる川」
「夕されは秋風涼したなばたの天の羽衣たちや更ふらん」
「彦星の行合をまつ久方の天の河原に秋風ぞ吹く」
「桜花ちりかひかすむ春の夜のおぼろ月夜のかもの川風」
京都鴨川には『新古今和歌集』を編纂させた後鳥羽上皇、『金塊和歌集』を編んだ源実朝の歌碑がある。
https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/kamogawa-kahi.html
通称「鴨川四季の歌碑」と呼ばれている。
源実朝は「実権を北条政子や北条義時に握られ、和歌にふけるようなった」ともいわれる。和歌は曲節をつけて詠み上げられる(披講)。神仏と交感して、天下泰平・国土安穏を願われた。
後鳥羽上皇は蹴鞠や和歌を極めた。実朝にとって和歌は、後鳥羽上皇と良好な関係を築くのに不可欠なことたったようだ。
「出でて去なばぬしなき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」
実朝が暗殺された日に詠まれたと伝えられる。承久元年1月27日、実朝は甥の公暁によって暗殺される。実朝が暗殺されたのは、鶴岡八幡宮で行われた右大臣拝賀の式後だった。拝賀式に出掛けるとき、実朝はこの歌を詠んで、髪を結ってくれた者に髪の毛を与えて出て行ったという。
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