『鹿鳴館』三島由紀夫
明治19年の天長節に鹿鳴館で催された大夜会。恋と政治の渦中に、交錯する愛憎、暗殺の企み、裏切り。
乱舞する四人の男女が巻き込まれていく運命は――。〈はじめて書いた俳優芸術のための作品〉と三島が言った戯曲。
『鹿鳴館』について
この作品はとにかく「お芝居」を書こうとしたものだ。史実や時代考証には無頓著で、杜撰を極めている。明治十九年十一月三日の鹿鳴館における天長節夜会には、ここに見られるような事件は絶対に起らなかった。但し、歴史の欠点は、起ったことは書いてあるが、起らなかったことは書いてないことである。そこにもろもろの小説家、劇作家、詩人など、インチキな手合のつけ込むスキがあるのだ。(文学座プログラム・昭和三十一年十一月 三島由紀夫)
「美しき鹿鳴館時代―再演『鹿鳴館』について
もちろん時代の隔たりがすべてを美化したことが原因だが、それだけではない。こんな風に、或る現実の時代を変改し、そのイメージを現実とちがつたものに作り変へて、それを固定してしまふ作業こそ、作家の仕事であつて、それをわれわれは、ピエール・ロチ(日本の秋)と芥川龍之介(舞踏会)に負うてゐる。そこに更にこの『鹿鳴館』一篇を加へることを、作者の法外な思ひ上りと蔑せらるるや否や。 — 三島由紀夫
【舞台四幕劇】
時は1886年(明治19年)11月3日の天長節。
第1幕 - 午前10時。影山伯爵邸・庭内にある茶室潺湲亭。
天長を祝う観兵式が行われている日比谷の練兵場を見渡せる影山伯爵邸・庭内の茶室潺湲亭に集まった華族夫人たちの前に、元・新橋の芸者だった影山伯爵夫人・朝子が現われた。朝子は輝くような美しさと人当りのよさで華族夫人たちの中心となっていた。公卿の出、大徳寺侯爵夫人・季子も朝子を崇拝するひとりで、娘・顕子の恋人の問題で助言を求めてきた。恋人の名は自由民権運動家・清原永之輔の息子・清原久雄だという。その名を聞いた時、朝子は心臓が止まる程ショックを受ける。話を聞くと、久雄は何か危険な行動へ出ようとしているらしい。そして今、その久雄を呼んできているという。
朝子は久雄の危険な計画を止めさせようと、自分が久雄の実の母であること、芸者時代の自分と永之輔との愛とを打ち明ける。だが久雄は、自分が今夜暗殺しようとしている相手は影山伯爵ではなく、父・清原永之輔であると意外なことを言った。
第2幕 - 午後1時。同所。
朝子は、かつての恋人で今も愛している清原永之輔を邸に呼びつけた。清原が今夜の鹿鳴館の舞踏会に、自由民権運動の一党を引き連れ乱入して来ることを止めさせようとするためだった。しかし清原は朝子の説得を容易に聞き入れない。そこで朝子は、これまで鹿鳴館の夜会には出ないことにしていた主義を翻し、今夜は自分が主宰者として出ると宣言する。朝子は、私の夜会をぶち壊しにしないで下さい、あなたの命をお救いしたい一心の贈物ですと清原を説得し、承諾させる。
影山伯爵が側近の飛田天骨と観兵式から帰ってきて茶室にやって来た。外務卿の影山伯爵は、内閣切っての実力者と自他共に認める存在だった。清原を急いで帰らせた朝子と女中・草乃は木蔭に隠れ、影山伯爵と飛田が話している内容を聞いてしまう。清原永之輔の暗殺計画の首謀者は実は、夫・影山伯爵だったのである。身を現わした朝子は、今夜は壮士の乱入はありません、と夫にきっぱり宣言する。
第3幕 - 午後4時。鹿鳴館の2階。
実の母・朝子に舞踏会に出るように命じられ、正装した久雄が恋人・顕子と鹿鳴館の2階にいる。やがて2人は朝子と季子に伴われ広間へ移動し、代わりにそこへ影山伯爵と草乃がやって来る。影山伯爵は草乃を強引に籠絡し一切を聞き出す。清原率いる壮志乱入がないことが確実だと知った影山伯爵は、偽の斬り込み隊を乱入させ、草乃を使い清原に知らせて、彼をおびき寄せる計画をする。そして朝子の計らいで今夜、父は乱入しないと思っている久雄に対し、そんなものを信じているのかとそそのかし、彼にピストルを渡す。
第4幕 - 午後9時すぎ。鹿鳴館の2階。舞踏場。
華やかな舞踏会が始まった。やがて給仕が朝子へ壮志の乱入を知らせた。朝子は階段の上で凛として立ちはだかり、これを阻止する。本物の壮志乱入と思い込んだ久雄は自分の母を裏切った父に激昂し、戸外へ出ていく。銃声が2発轟いた。朝子は、とうとう久雄はやってしまったと思ったが、露台に現われたのは清原永之輔であった。自分との約束を破り、久雄まで殺した清原を朝子はなじるが、実は久雄はわざと弾をはずし、自分が父に撃たれ死ぬことを選んでいたのであった。そして清原は、自分が朝子との約束を破ったのではないこと、偽の壮志を仕向けたのは影山伯爵であると告げて去っていく。
朝子と影山伯爵は激しく言い合う。そして今夜かぎりで別れ、清原の元へ行こうと決心した朝子と影山伯爵はいつわりのワルツを踊る。そこへ戸外で銃声が一発轟く音がする。
《Wikipedia》より
三島由紀夫(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。
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