童謡『赤い靴』と『青い眼の人形』について
童謡『赤い靴』
作詞 / 野口雨情 作曲 / 本居長世
赤い靴 履いてた 女の子
異人さんに 連れられて 行っちゃった
横浜の 埠頭(はとば)から 汽船に乗って
異人さんに 連れられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢うたび 考える
「赤い靴」の女の子のモデルが明らかになったのは、昭和48年11月の新聞の夕刊に掲載された、『野口雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会った事も無い私の姉です。』という「岡その」さんの投稿記事がきっかけでした。この記事を当時北海道テレビ記者だった菊池寛さんが知り、5年余りの歳月をかけて女の子が実在していたことをつきとめました。
童謡『青い眼の人形』
作詞 / 野口雨情 作曲 / 本居長世
青い眼をした お人形は
アメリカ生れのセルロイド
日本の港へ ついたとき
一杯涙をうかべてた
「わたしは言葉が わからない
迷ひ子になつたら なんとせう」
やさしい日本の嬢ちやんよ
仲よく遊んでやつとくれ
『赤い靴』と同様に異国情緒をかもし出す童謡である。大正10年12月『金の船』(キンノツノ社)に発表された。雑誌掲載時のタイトルは『靑い目の人形』。
1923年の関東大震災が起こった時は海外からも多くの募金が寄せられたが、アメリカでも義援金を募る際にこの『青い眼の人形』が歌われた。第二次世界大戦中では、童謡『赤い靴』と同じように、敵国の歌とみなされて歌う事が禁じられた。『青い眼の人形』はキューピー人形から発想を得て作られた歌で、昭和初期にアメリカから日本に贈られた友情人形が「青い目の人形」といわれたのはこの歌に因んでいる。
どうやら童謡『赤い靴』と『青い眼の人形』は、対になった創作であるようだ。
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