『紙の月』角田光代(ハルキ文庫)
ただ好きで、ただ会いたいだけだった―――わかば銀行の支店から一億円が横領された。容疑者は、梅澤梨花四十一歳。二十五歳で結婚し専業主婦になったが、子どもには恵まれず、銀行でパート勤めを始めた。真面目な働きぶりで契約社員になった梨花。そんなある日、顧客の孫である大学生の光太に出会うのだった・・・・・・。
あまりにもスリリングで、狂おしいまでに切実な、傑作長篇小説。各紙誌でも大絶賛された、第二十五回柴田錬三郎賞受賞作。
『かつて非日常だったものが、すっかり日常になってしまう』
梅澤梨花、41歳。パート社員としてわかば銀行の渉外係をして、誠実な仕事ぶりで徐々に顧客の信頼を得ていく。
担当する資産家の老人平林孝三には、殊の外気に入られていた。その孝三の孫光太と知り合って、不正の芽は息吹きはじめる。
客から預かった現金を銀行へ入金せず、偽造した定期預金証書を返却する。
銀行の金を着服する感覚よりも、一時的に借りるつもりで始めた証書の偽造が、次の偽造へと続いて破綻するまで、梨花は偽造証書を作り続ける。
着服した現金の大半は光太との逢瀬に費やされ、その額は日増しに膨らんでいく。41歳女が現役大学生の男からの愉悦と恍惚へのささやかな代償だろうか。
裕福な大人の女性を演じるために、惜しげもなく散財して、高価なプレゼントを繰り返す。
証書さえ作り続ければ永遠に続く、決して発覚などしない、預金者は証書を渡すときに疑って確かめないだろう。
しかし偽造を平気で繰り返すようになった、そんな自分がもう二度と以前のようには戻れない。と梨花は気付いてもいる。
不正の期間は2年に及び、総額は1億円に上っていた。
偽造した証書の詳細を忘れぬように整理していたノートも、いつからか開けることもせず穴埋め用の証書を作る日々。
しかし永遠に続くと思われた逢瀬も、光太の拒絶で終焉を迎える。銀行では不正防止の内部監査が告知されて、梨花が当事者として指名された。
銀行不正に着服する大胆なことが、最初から梨花にあったわけではない。そして光太との情交など夢想だにしなかった。すべては事の成り行きであった。
それは予期せぬ偶然や夫婦関係に生じていた澱や歪み、それらが光太と出会って沸き立つ漠とした高揚した。
今ならまだ別の何者かになれるかも知れない。それらが重なり合い反応した結果起こった事実は、梅澤梨花にとっては抜き差しならぬ情動だった。
彼女はタイへ逃亡して、いまチェンマイの街をひとり歩いているのだった。
「ようやく自分の身に起きた全てのことがら、つまり進学や結婚は言うに及ばず日常のささいなできごとの積み重ねが今の自分を作り上げている」
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宮沢えり主演映画「紙の月』がテレビ東京で放送されていた。話題になった映画なので、原作も読んでみたくなった。
http://koinu2005.seesaa.net/article/500396293.html
角田光代
1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞、『キッドナップ・ツアー』で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、2000年路傍の石文学賞、03年『空間庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年「ロック母」で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞を受賞。著者に『三月の招待状』『森に眠る魚』『くまちゃん』など多数。2010年7月には、毎日新聞の連載『ひそやかな花園』も単行本化された。
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