「ら抜き言葉」について
いわゆる「ら抜き言葉」とは可能の意味の「見られる」「来られる」等を「見れる」「来れる」などのような言い方のことで、話し言葉の世界では昭和初期から現れて、戦後更に増加した言葉である。
【ら抜き言葉の氾濫で、言葉の意味が互いに通じなくなる?】
疑問:ら抜き言葉は、どうして使ってはいけないんですか?
理由:使い続けるとあなたの話の意図を、相手が適切に理解できないかもしれないからです
Q.ら抜き言葉とは、どんな言葉遣いのことを指すのでしょうか
「れる」「られる」は動詞の未然形につく助動詞です。「れる」「られる」が未然形につくときにその直前がア段の音になる五段活用動詞の場合は、「書かれる」「読まれる」「飛ばれる」というように、「れる」がつきます。そして、それ以外の活用の動詞には、ア段音である「ら」を入れた「られる」がつきます。
つまり、ら抜き言葉というのは、「見られる」「来られる」「食べられる」のように「られる」をつけるべきところを、「見れる」「来れる」「食べれる」というように、「れる」をつけてしまう言葉遣いのことを言います。
https://metro-noix.tmu.ac.jp/article/0008.html より
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