筒井康隆『ロートレック荘事件』(新潮文庫)
SF作家の筒井康隆さんが書いた『富豪刑事』と『フェミニズム殺人事件』に続く3作目の推理小説。森の中の別荘で起きた殺人事件という、古典的な題材を扱っている。
本文中にロートレックの絵がカラーで8枚挿入されている。(1990年刊行)
19世紀フランスの画家、トゥールーズ=ロートレックは、踊り子や娼婦など、下町の風俗を好んで描いて、有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」のポスターなども描いている。
10代の頃に足を骨折して、足の発育がそのまま止まってしまい、大人になってからも足だけは子供のままの長さだった。
そんなロートレックの絵のコレクションが飾られた別荘「ロートレック荘」に、持ち主である実業家の木内夫妻と招待客の美女と青年たちが楽しく過ごしていた。
だが2発の銃声が轟いて、木内夫妻の娘の友達が、何者かに撃ち殺されてしまった。
物語の語り部は、ロートレックと同じように、怪我によって下半身の成長が止まってしまった28歳の画家、浜口繁樹である。
8歳の時に繁樹の怪我の原因を作ってしまい、その後悔から20年間ずっとそばにいて献身的に支えてくれている同じ年の従兄弟と共に「ロートレック荘」を訪れた。
そこで起こってしまった連続殺人事件。一体誰が、何のために美女たちを次々と殺していったのか。
〈おれ〉は工藤忠明の運転する車で「ロートレック荘」に向かっていた。
工藤は「今ならなあ。君の絵の二、三枚の値段であの会社の破産、救えたのにさ」(8ページ)と悔しそうにいう。
〈おれ〉たちの父親は、かつて貿易会社を経営していたが、6年前に破産してしまった。そうして売りに出された別荘を買ったのが、木内文麿だった。
最近はロートレック荘と呼ばれるようになった建物が、行く手に現れる。流れるような曲線、新印象主義の美術品に見られるような装飾、アーツ・アンド・クラフツの影響下に生まれたドイツのアール・ヌーヴォー、正しくはユーゲントシュティールという洋式の華麗な建築物である。鉄柵の門は開かれていた。車は前庭の芝生の中に弧を描いている道を走ってポーチの階段下で停車した。(13ページ)
木内夫妻と娘の木内典子、その友達の牧野寛子と立原絵里が、〈おれ〉たちを出迎えてくれた。木内典子、牧野寛子、立原絵里の3人は24歳で、いずれ劣らぬ美人ぞろいだ。
みんなでロートレックのコレクションを眺めている所へ、「ああ。社長。どうも突然お邪魔をいたしまして。購入品目のご決裁に急を要したものですから」(34ページ)と木内文麿の会社の社員、錏和博がやって来る。
どうやら錏和博は、社長令嬢である木内典子に思いを寄せていて、大した用でもないのに来たようだ。
別荘の持ち主は変ったが、馬場金造はそのまま別荘番として残っていて、子供の頃から知っている〈おれ〉と再会出来きたとてもうれしそうである。
「昔、わたしが坊っちゃまをおんぶして、あの森の中をよく散歩したこと、まだ憶えてらっしゃいますか」
「そうだったなあ」
ちょっとためらってから、金造は言った。「今は森林浴なんてふうに申すそうですが、およろしければ、またあのようにして、森の中をご案内いたしましょうか」
そうなのだ。おれは二十八歳になった今でもあの頃と同じからだで、六十一歳の金造に背負われ、森の中を散歩することができるのだった。
(中略)
「だけど、ぼくはもう二十八だからね」無理に笑って見せ、おれは言った。「やっぱり、おんぶは照れくさいよ」
「いやあ、これはやはり、そうでございましょうなあ」金造も泣き笑いをしながら大声で言った。「そうでしょうとも」(46~47ページ)
今では自分の運命を受け入れている〈おれ〉だが、かつては悲観して自殺すら考え、憂鬱な時を過ごした。
そんな16歳の夏に、別荘の柱にひそかに隠された拳銃モーゼル・オートマチック三二口径を見つけた。6発の弾が装填されている。
前の別荘の持ち主ドイツ人貿易商が護衛用に柱に隠しておいた拳銃。誰にも言わないままそのままにしておいたことを思い出して確認すると、今でも柱の中にあった。
食事の席では、〈おれ〉が撮ろうとしている映画のことや、木内文麿の娘の結婚などが話題となる。
映画の資金繰りを考えれば、財政力のある木内典子と結婚するのがいいが、心優しく端正な牧野寛子が「わたしのおうちは貧乏で、映画のお金なんてとても出してあげられないんですもの」(79~80ページ)と気持ちを打ち明けてくれた。
そんな牧野寛子を愛おしく思った〈おれ〉はその夜、いっそ既成事実を作ってしまおうと結ばれた。
翌朝、食堂でコーヒーを飲んでいると、2発の銃声がした。一体何事だろうと、慌てて階段をかけ上がると、音を聞きつけて工藤忠明も部屋から出て来た。
そうして音のした部屋へ皆んなで向かうと、そこは牧野寛子の部屋で、バルコニーのガラスが割れて、ネグリジェ姿の牧野寛子は血だらけで倒れていた。
牧野寛子はすでに何んの表情もなく、眼は閉じていた。腹部にふたつの穴があいていた。血はまだ流れ続けていた。バルコニーからガラス越しに撃たれたのはあきらかだった。
「死んだ」と、おれは言った。
死者の顔を見つめたまま、おれはなかなか信じられなかった。数時間前に愛しあった肉体が、今は意志も感情もなく物体としてころがっていた。(87ページ)
木内典子は銃声がしたすぐ後に、森の中に逃げて行く犯人を見たと言う。
初めは外部の犯行だと思われていたが、警察の捜査によって、使われた拳銃がモーゼル・オートマチックであることが判明して、それを知った〈おれ〉はぎょっとする。
どうやら凶器として使われたのは、柱に隠されていた拳銃に間違いない。
「あそこにあの拳銃が隠されていることを知っていそうな者はおれ以外に誰と誰だろう」(114ページ)と、誰が何のために牧野寛子を殺したのかを考え始めた〈おれ〉。
しかしやがて、第2、第3の殺人が起こっていってしまうのであった。
はたして、「ロートレック荘」で起こった連続殺人事件の犯人は一体誰なのか!?
普通のミステリとは違う作品なだけに、本格的なミステリファンからは、馴染めないトリックとなっているようだ。しかし『文学部唯野教授』の実績作品として読めば、作者の創作意図に近ずくことができると思う。
「文学部唯野教授」が、前日未到の言語トリックで読者に挑戦するメタ・ミステリー。
この作品は二度楽しめます。(単行本の表紙)
一般読者に対するエンタメとして書かれているものの、内実はアンチロマンのような文学実験がされている。
〈おれ〉が何者なのか?
謎解きのヒントはプロローグから晒されていた。
「推理小説史上初のトリック」(文庫本裏表紙)
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