ル・クレジオ『パワナ――くじらの失楽園』(集英社)
「それが始まりだった、まったくの始まりだった、そのとき海には誰ひとりいなかったし、鳥たちは太陽の光と果てしない水平線のほかなにひとつなかった。幼いころから、わたしはそこへ、すべてが始まりすべてが終る場所へ、行きたいと夢みていた。」
「PAWANA」は「くじら」を意味して、作品の中に≪アウェイテ・パワナ!≫とあり、≪注意(注意しろ)・くじら≫はナティック語というインディアンの言葉である。
「私は彼のことを考えている、まるで私が時間の流れを止め、短艇の軸を止め、あの鯨の通り道の入り口をまた塞ぐことができるかのように。かつてあの通り道を開きたいと切望していたように、いま私はそれを切望している、その入口をまた塞ぐことを。そすれば地球の腹はまた生きはじめることができるであろうし、鯨たちの身体は世界のもっとも静かな水のなかへ、遂に名前をつけられることのないであろう潟湖のなかへ、ゆっくりと滑りこんでゆくことになるであろうに。」
水夫ジョンが回想するのは、少年だった頃の思い出で、特にアラセーリという少女奴隷について。そして楽園の破壊にあるならば、少女への恋心は密かな傍流で、少女は雇い主から逃げ出して殺されて連れ戻される。
「母鯨が子を産み、老鯨が死ぬために帰る」という伝説の楽園を発見した少年水夫。だがその日を境に、そこは鯨たちの殺戮の場となっていく。美しく壮大な海を背景に描く鯨と人間の哀しい物語。
「もしもあの1856年1月の運命の日、私の視線が、砂の島の蔭になかば隠れた、人跡のない海岸のあの入江に止められなかったとしたら、あの世界の腹はいまでも在っただろうか?」
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