「末の松山」とは何処にあるのか?
みちのくの古地名。岩手県二戸にのへ郡一戸いちのへ町にある浪打峠とも、宮城県多賀城市八幡の末の松山八幡宮付近ともいわれる。【歌枕】
「きみをおきてあだし心をわがもたば―浪もこえなむ」〈古今・東歌〉
学説によれば「末の松山」は4つあった。
多賀城市、石巻市須江、二戸市浪打峠、そして第4の末の松山が福島県いわき市勿来の関だった。第四の末の松山、勿来の関なら「波が末の松山」を超えるという。
歌枕の地位は江戸時代になってから、磐城平藩が観光名所として確立した。仙台藩が歌枕として「末の松山」と「沖の石」を整備したのも想起される。
いわき市の勿来駅前には源義家の像が鎮座して、義家が勿来の関の歌を詠んだので、歌枕としての地位を確立。古代に設置された奥羽三大関の一つといわれる。
想像をふくらませて様々な和歌が詠まれたのは歴史的な事実で、みちのく情緒が想像される歌枕としての「勿来の関」の価値が下がるとは思えない。歴史や風雅に想像を羽ばたかせる「歌枕=ファンタジー地」として愉しむべき場所でしょう。
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〈歌枕殺人事件 ロケ地情報〉
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