「君とぬやろか 五千石とるかなんの五千石君と寝よう」
江戸時代に実際にあった心中事件。藤枝教行という五千石の旗本の侍が遊女と身分違いの恋をして心中した事件が人々の話題となった。
「君とぬやろか(寝ようか)五千石とるかなんの五千石君と寝よう」という端唄が広まった。
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9E%9D%E6%95%99%E8%A1%8C
青空文庫、岡本綺堂「箕輪心中」
https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/477_33088.html
江戸の人々は、ふたりの破滅を悲恋と解して喝采された。
「君と寝ようか五千石取ろか、何の五千石、君と寝よ」
後年、大田南畝はこの端唄を、つぎのような狂詩に訳した。
「寧与君同寝 寧ろ君と寝を同じくせんや
将守五千石 将た五千石を守らんや
徒見五千石 徒だ見る五千石
不如一歓夕 一歓の夕に如かず」
大田南畝著『一話一言』より
この事件は『天明紀聞寛政紀聞』『きゝのまにまに』『後見草』など多数の史料に記載されているが、女郎の名を琴浦と記したものや、藤枝家を四千五百石としたものもある。端唄の五千石は、語呂がよいからであろうか。
狂詩は大田南畝著『俗耳鼓吹』に載っている。
なお藤枝外記が綾絹をどうやって吉原から連れ出したのかが疑問である。吉原は高い塀と、歯黒ドブという堀で囲まれて、唯一の出入り口である大門では遊女の脱出を厳重に監視していた。簡単には外に連れ出せない。当時の吉原は仮宅中であり、そのために容易に連れ出せたという説もある。
天明四年四月の火事で吉原は全焼して仮宅になったのは事実だが、同年の末までには普請が成って、妓楼はすべて吉原に戻っている。ふたりの心中は天明五年八月だから、仮宅中だったというのは符合しない。綾絹を男に変装させるなどして、大門から連れ出した可能性もある。
« 『棟居刑事の砂漠の喫茶店』森村誠一(光文社文庫) | トップページ | 『人間の海』森村誠一(光文社文庫) »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント