《平河天満宮》
江戸平河城城主の太田道灌公が、ある日に菅原道真公の夢を見た。
そして翌朝、菅原道真公自筆の画像を贈られた夢を霊夢だと思い、文明十年(一四七八年)に城内の北へ施主となり天満宮を建立した。(「梅花無尽蔵」から)
その後も周囲に多くの梅の木を植えて、「梅林坂」と呼ぶようになり、今も皇居の平川門内に名が残っている。
徳川家康公の江戸平河城入城後、間もなく築城のため本社を平川門外に奉遷したが、慶長十二年(一六○七年)二代将軍秀忠公に依り、貝塚に奉遷されて、地名を平河町と名付けられた。徳川幕府を始め紀州、尾張両徳川家、井伊家等の祈願所となり、新年の賀礼には、宮司は将軍に単独で拝謁できる格式の待遇を受けていた。
また学問に心を寄せる人々は、古来より深く信仰して、名高い盲目の学者塙保己一や蘭学者高野長英等の逸話は、今日にも伝えられている。
現在も学問特に医学や芸能、商売繁盛等の祈願者が多くある。

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