『トミノの地獄』「この詩を声に出して朗読すると呪いに罹って死ぬ」
西條八十の処女詩集『砂金』より。
姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。
鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩けやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯に。
皮の嚢(ふくろ)にゃいくらほど入れよ、無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、くらい地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にゃ羊、可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、針の御山の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、可愛いトミノのめじるしに。
抒情性に富んだ清新な詩風が好評を得て象徴詩人の確立。童謡『かなりあ』や、淡谷のり子の『東京ブルース』等の作詞を担当。
「八十」は筆名でなく、両親は苦しいことがないようにと、「苦」に通じる「九」を抜いた「八」と「十」を用いて命名した。
1919年自費出版した『砂金』で象徴詩人としての地位を確立。
フランスへ留学して、ソルボンヌ大学でポール・ヴァレリーらと交遊。帰国後、早稲田大学文学部文学科教授となる。
歌謡曲の作詞家としても活躍。佐藤千夜子が歌ったモダン東京の戯画的な象徴ともいえる「東京行進曲」、戦後の民主化の息吹を伝える藤山一郎の歌声で大ヒットした「青い山脈」など。古賀政男の故郷風景「誰か故郷を想わざる」「ゲイシャ・ワルツ」など担当。
大阪を拠点に活躍した将棋棋士、坂田三吉をモデルとした歌詞で、村田英雄が歌い演歌の傑作「王将」など。淡谷のり子の「東京ブルース」や、美空ひばりや船木一夫の曲なども作詞。
児童文芸誌『赤い鳥』などに多くの童謡を発表して、北原白秋と並ぶ大正期を代表する童謡詩人といわれる。
童謡『かなりあ』、金子みすゞを最初に見出した。
1970年、急性心不全のため世田谷区成城の自宅で死去。78歳でした。没後、森村誠一の小説『人間の証明』の中で、詩『ぼくの帽子』が引用される。1977年に映画化時にキャッチコピーとして使われる。テーマソング「人間の証明のテーマ」では、西條八十の原詩を角川春樹が英訳して、ジョー山中が歌詞に仕立てて歌う重要な部分をしめる。
詩集『砂金』に収録されている作品『トミノの地獄』は、「この詩を声に出して朗読すると呪いに罹って死ぬ」という都市伝説がある。
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