映画『地底の歌』(1956年)
製作=日活/東京地区封切 1956.12.12/10巻 2,447m 89分/モノクロ/スタンダード。
任侠世界の虚しさを鋭く衝いて、泥沼の社会に挑戦する異色活劇。
原作は「かういふ女」で第一回女流文学者賞を受賞した平林たい子が、朝日新聞に連載した「地底の歌」である。この新聞小説はヤクザ社会を舞台に、古いタイプの侠客と戦後派のチンピラの相克を描いて、センセーショナルな話題となった。戦時中に博徒と出会って、任侠の世界に材をとって「黒札」「地底の歌」「殴られるあいつ」と任侠小説を執筆した。
女学生の眼を通して、縄張り争いに身体を張るやくざと、昔ながらの博徒の世界を描いた。
監督の野口博志はミステリーや活劇などプログラムピクチャー作家で、ヤクザ映画というジャンルが確立する以前の作品。
主人公・鶴田光雄は、江東一帯を牛耳る伊豆組の幹部で、昔ながらの侠道に生きる侠客である。日活で活躍していた名和宏が主役を演じた。相対する18歳の若きチンピラ“ダイヤモンドの冬”に石原裕次郎は、首にスカーフを巻いた颯爽とした戦後派らしい出立ち。
松竹映画で活躍後、昭和30年代の日活アクションを支えていく二本柳寛が、組長の伊豆荘太を憎々しげに演じている。昔気質の鶴田に対して、伊豆は政界の黒幕・大山からの仕事の権利を貰うためなら何でもする狡猾な男。その伊豆の娘・トキ子(美多川光子)は、大人の鶴田に恋をしている。
映画は当時の東京風景が映される。隅田川にかかる両国橋、丸い屋根の国技館を望む光景、国鉄錦糸町駅が登場する。駅前には江東楽天地の一大歓楽街があり、映画館、劇場、飲食店が軒を連ねて、浅草と並ぶ繁華街が繁栄していた。総武線の錦糸町駅の北口から、江東楽天地を写して、映画街を歩く三人の女学生を捉える。
伊豆トキ子、山田花子(香月美奈子)、市川松江(東谷暎子)の三人は、どこにでもいるような女学生。家庭的な問題を抱えている花子には、やくざの娘トキ子は屈託がある。
興味本位から刺青師・腕文(瀬川路三郎)のところへ、社会見学のつもりでやってくる。そこにダイヤモンドの冬が来て出会い、お互いを意識する。
ダイヤモンドの冬の姉・岩田辰子(山根寿子)への鶴田の想いもドラマの主軸となっている。旅先で助けたことがあるイカサマ賭博師の辰子と鶴田の燃え上がる恋。辰子の夫は、おかる八(菅井一郎)というイカサマ博徒で、鶴田との一騎打ちをする。
またダイヤモンドの冬は、伊豆組と相対する吉田一家の若い衆で、対立の構図がはっきりとしている。
鶴田の子分のびっくり鉄(高品格)が、小遣い銭欲しさに、京成成田駅まで花子を連れ出して、美人局を試んで花子を女衒に売り飛ばしてしまう。伊豆荘太と吉田大龍(深見泰三)の利権をめぐる“仁義なき戦い”も含めて、『地底の歌』のやくざたちの行動は、任侠道を逸脱して、鶴田と辰子、そしてダイヤモンドの冬の運命が狂い始める。
八木保太郎の脚本は複雑な人間関係を見事にさばいて、適度な刺激とウエットさで最後まで飽きさせない。映画が始まって画面に大写しにされる掛け軸。「しきしまの 大和男の行く道は 赤き着物か 白き着物か」という句は、本作テーマで、やくざの行く末を暗示している。転落していった筈の花子が、ラストに意外な形で登場する。そのアイロニーこそ、平林たい子の原作の真骨頂。
裕次郎はまだ本格的に唄わないが、劇中、ダイヤモンドの冬が「籠の鳥」(作詞:千野かほる 作曲:鳥取春陽)を口ずさむシーンがある。
『地底の歌』から7年後、任侠映画元年となる1963年、鈴木清順監督によるリメイク『関東無宿』が作られる。鶴田(カクタ)を小林旭、ダイヤモンドの冬を平田大三郎、花子を中原早苗が演じている。今ではキッチュな任侠映画として認知されているが、実は八木保太郎脚本はオリジナルのまま、清順監督は師匠野口博志に敬意を表して使った。
『関東無宿』1963年・日活
監督 鈴木清順
助監督 葛生雅美
脚本 八木保太郎
原作 平林たい子 「地底の歌」
撮影 峰重義
音楽 池田正義
主題歌 「関東無宿(仁義無宿)」 小林旭
美術 木村威夫
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