『こころ朗らなれ、誰もみな』柴田元幸翻訳叢書(スイッチパブリッシング)
ヘミングウエイの創作姿勢に、〈氷山の理論〉=iceberg theoryという省略技法があり、翻訳するのに柴田さんは「余計なものは足さないよう」と亡き作者から脅されるように推敲されたらしい。
雑誌「coyote」に新訳連載した、どれも好きで選んだ独特のヘミングウェイ解釈となっている。マッチョでハードボイルドで知れている作家だけど、ここでは壊れたかけた人間たちが描かれている短編が収録されている。
なかでも「雨の中の猫」は異色作といえる翻訳タッチとなつて印象深い。
「雨の中の猫」
雨が止まずホテルの中で、夫婦は芳しくない状況に閉じこめられ狭い客室で檻となる。かつて結び合っていた、夫婦の気持ちの黄昏へさす暗い夕暮れにあった。
若い妻は窓の下に子猫を見つける。雨をさけてテーブルの下にうずくまってる。そんな子猫を部屋に「連れてこよう」と思うが、若い夫はベッドの上で本ばかり読んで、妻に耳を貸そうとしない。
しかし逆の立場から見れば、妻の過敏な言動も見え隠れしてる。あれが欲しいと色々とせがまれて「もういいかげん」うんざりする夫も、雨の中で苛立っているようでもある。
「どうしても、あの猫が欲しいの」
雨の中、たまらず妻は部屋を出て、テーブルの下にうずくまっていた子猫を探しに行く。だがもういない、どこかへ消えてしまったのだった。概ねはここで閉幕となるが、短いエピソードが付けられる。ホテルのメイドが三毛猫を抱いて、部屋へ連れてきた。ここで短編は終わり、真相は省かれている。
(これが最初に妻の見た猫だったのか、果たしてメイドはどのような指示で動いたのか。読み手が選択するような結末となってる。)
ヘミングウェイは相当に猫好きであると、この一編で分かる。若い夫人は手に入れたネコを飼い慣らすのは多分難しく、三毛猫でない他のネコを欲しがるだろう。無口な夫は厄介な猫の世話を片手間にもこなすだろう。
『こころ朗らなれ、誰もみな』柴田元幸翻訳叢書
○ 清潔な、明かりの心地よい場所
○ インディアン村
○ 殺し屋たち
○ 死者の博物誌
○ 君は絶対こうならない
○ よその国で
○ この世の首都
○ よいライオン
○ 闘う者
○ 兵士の地元
○ 雨のなかの猫
○ ギャンブラー、尼僧、ラジオ
○ 蝶と戦車
○ 世界の光
○ いまわれ身を横たえ
○ こころ朗らなれ、誰もみな
○ 心臓の二つある大きな川 第一部
○ 心臓の二つある大きな川 第二部
○ 最後の原野
訳者あとがき
https://book.asahi.com/article/11632408