小沼丹のユーモア短編小説
『黒と白の猫』小沼丹
大寺さんの家には、近所の飼い猫が勝手に訪問している。猫の苦手な家内は、何故かその猫を嫌っていない。
やがてその猫の目的がわかった。家の中に生息するネズミを狩りにやって来てたらしい。
それを知ってから、猫の訪問を拒むことはなくなった。
「まるで、自分の家にいる気でいやがる」
母親に似て猫嫌いな娘たちも、あの猫、案外可愛い顔してるわねという。
黒と白の柄をした猫は、行儀がよかった。食卓に食べ物があっても、見向きもせず通りすぎた。
「猫と女は呼ばぬときに来る」
どうやら勘当されて来たらしい。取ったネズミを持ち帰ってひんしゅくを買ったと。
職場の米村さんに酒を飲みながら、この猫の話をすると大層喜んだ。そんな米村さんには病気の細君がいて、大寺さんの猫の来る話を聞いて楽しんでいるという。
「あの猫、図々し過ぎるわ」
雨戸ととんとん敲くようになった。入れてやると、当然のような顔をして、テーブルの下で眠り込んだりした。
大寺さん家に来客があると、膝に乗ったりする。猫には人をみる目がなくて、訳を知る客にぴしゃりんと頭を叩かれたりもした。
それから彼女が病床についてしまったが、相変わらず米村さんは、猫の話を聞いて笑っている。細君が他界されてから米村さんをもっと慰めてあげようと思い、酒を飲みながら将棋を指す約束をした。
ところが約束が果たされることはなかった。その二日後に大寺さんの妻が急死してしまったのだ。
「全く、妙なことになっちゃった」大寺さんは細君の死の前后の話を簡単にした。
もう何人もの人に話したから、云うことは殆ど決っているのである。
「兎も角、死ぬにしてもちゃんと順序を踏んで死んで呉れりゃいいんだけれど、突然で、事務引継も何もありゃしない。うちのなかのことが、さっぱり判らない」
それから大寺さんは、例の猫の姿を見かけることがなかった。
「あの猫、死んだんじゃないかしら?」
そんな話を娘たちとしていたとき、その猫がひょつこり現れる。その猫は死んだとばかり思っていたから、昔通り澄しているのを見て、呆れぬわけにはいかなかった。
この短編小説は小沼丹の初期のほんわかとした作風で、『懐中時計』(講談社学術文庫)に収録されている。
他にもユーモラスな短編小説もあり、年代ごとに作風変えていった作者の変貌が楽しめる。大寺さんちへ秋田犬がやってくる「タロウ」と言うほのぼのした佳作、「蝉の脱殻」「自転車旅行」「ギリシャの血」など、味わい深い文章で記されている。
「突然女房の死に出会って、気持の整理をつけるためにそれを小説に書こうと思った」
「いろんな感情が底に沈澱した後の上澄みのような所が書きたい。肉の失せた白骨の上を乾いた風がさらさら吹過ぎるようなものを書きたい」
作者の手帖には記されている。
ミステリー指向のある「エジプトの涙壺」「断崖」「砂丘」など、探偵小説の物語への意欲もかんじられる。
作者曰く「話を作る興味がまだ強かった」頃のミステリめいた要素のある作品。
« 宮藤官九郎の歌舞伎町を舞台にしたドラマ | トップページ | 『涙壺』リルケ »
コメント