岸部 一徳ベーシスト人生
(1947年1月9日生)俳優・ベーシスト・作詞家・実業家。
ベーシストの後藤次利に、初めてベースの手ほどきをした。
レッド・ツェッペリンのベーシストのジョン・ポール・ジョーンズが、来日公演の際にテレビで観た岸部のプレイに感動して会いたがっていた逸話がある。
「初めて日本に行ったとき、「PYG」という日本のバンドをテレビで見た。そして、俺達の「Babe I Gonna Leave You」をやっていたんだ。ベースの奴はとんでもないスゴ腕でね。俺よりもいいんじゃないかと思ったぐらいだ。会いたかったんだが、結局会えずじまいだった。後に山内テツに会った時に「あれはお前か」と聞いたんだがテツではなかったらしい。
1971年2月1日に元タイガースの沢田研二、元テンプターズの萩原健一、大口広司、元スパイダースの大野克夫・井上堯之らとバンド「PYG」を結成して、シングル『花・太陽・雨/やすらぎを求めて』でレコードデビューした。この凝った曲では、岸部が作詞を担当している。
志向していた音楽はディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ブラック・サバスといったハードロックで、ライブではレパートリーも数多く演奏していたが、所属事務所の渡辺プロの商業ベースを貫く姿勢に、思うような音楽が出来なかった。
1972年中盤から俳優としての活動が多くなっていた萩原の主演するテレビドラマ『太陽にほえろ!』が人気番組となり、音楽活動への参加が難しくなったから、PYGは事実上解散した。
1975年に久世光彦プロデューサーの薦めで『悪魔のようなあいつ』に出演して、本格的に俳優に転身する。久世の紹介を受けて悠木千帆と安田道代が興していた芸能事務所に面接を経て所属する。
1976年に樹木の考案で「岸部おさみ」から実父である岸部徳之輔の徳、そして一から再出発という意味合い、樹木と仲のよかった市川森一から名前をもらって「岸部一徳」へと改名した。
1990年、小栗康平監督の『死の棘』での演技で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。カンヌ国際映画祭ではグランプリを受賞して高評価を得た。主演俳優として頂点に立つ。大林宣彦、市川崑、北野武からも作品の常連として出演するなど、その後も様々な役をこなすして活躍する。
2014年には俳優として出演するテレビドラマ『医龍4〜Team Medical Dragon〜』の劇中でシタールの演奏を披露した。2015年に第23回橋田賞を受賞。
主役を演じる役者を引き立てるような、ベーシスト演奏ごどく強烈な脇役となる。
再放送中の『Doctor-X 外科医・大門未知子』では、メロンと莫大な請求書を持ってくるキャラクターがスキップしている。
そのリズミカルな動作は、軽やかであり言葉では伝えられない。
一徳さんがニワトリの真似を朝から晩までしてた映画があり、えらく痺れてしまった。
【参考文献】
Wikipedia、岸部一徳
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