モネ 睡蓮にひたる 初回放送日:2024年11月24日
日曜美術館E TV
印象派の巨匠、クロード・モネ(1840-1926)。光と色彩を追い求めたモネは、移りゆく一瞬の光景を「連作」として描き続けた。その集大成が晩年に自らが手掛けた「水の庭」を舞台にした「睡蓮」シリーズ。残した作品の数は300枚を超える。現在国立西洋美術館では、国内外から過去最大級の「睡蓮」シリーズを集めた展覧会が開催されている。贅沢な「睡蓮」の空間を回遊しながら、モネがたどり着いた境地に思いをはせる。

Claude Monet
1840年フランス・パリ生まれ。
5歳のとき、一家で大西洋に面したセーヌ河口近くのル・アーヴルに移り住む。51年、公立中学校に入学。勉強は不得手であった。画家フランソワ=シャルル・オシャールから素描を学んで、似顔絵を額縁屋で売り出す。風景画家ウジェーヌ・ブーダンに出会い、教えを受けて、油彩作品《ルエルの眺め》(1858)を制作。ル・アーヴル市の展覧会に出品。
59年にサロン出展を目的にパリ滞在。自由画塾のアカデミー・シュイスに入るが、61年兵役でアルジェリアに赴く。
オランダの画家ヨハン・ヨンキントに画業を勧められて兵役免除を受けてパリに戻る。
65年サロンに初入選。続けて出品するが、宗教画や神話画などアカデミックな画題が好まられ落選を繰り返す。自由な発表の場を求めてアトリエ仲間たちとグループ展を計画した。普仏戦争が終結する74年に第1回を開催。展示されたモネの《印象、日の出》(1873)が「印象派」由来となった。第2回ではモネが日本趣味を主題とした、数少ない作品のひとつ《ラ・ジャポネーズ》(1875)が展示される。
近代化が進むパリへの興味は《ヨーロッパ橋、サン・ラザール駅》(1877)などに現れている。77年パトロンのエルネスト・オシュデが破産。79年には妻のカミーユが亡くなる。
83年ジヴェルニーに転居。フランスの海辺の景勝地を巡る。90年代から天候の移ろいを伝える、連作の手法を確立。連作「積み藁」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」「セーヌ河の朝」を描く。
99年から制作する代表的な連作「睡蓮」は生涯を費やして数多く描き、晩年にはオランジュリー美術館を飾る「大装飾画」を完成させた。1926年没。
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