現代思潮社主宰・美學校にて、松山俊太郎さんから聞いたインドの話
印度の巨大魚は億劫なそうねん。ティミtimiという巨大魚がいたという。鯨やティミンギラ(鯨をくらうという海魔)はすさまじい速度をもって、ここかしこと遊泳していた。ティミという鯨よりも巨大魚が海の向こうにいるという神話。
さらに大きい海の向こうにはティミ呑みこむほどのティミ・ギラという大きい魚がいて、さらに大きい海の向こうではティミンギラはさらにでかいティミンギラギラに食われてしまうのだ。
そうしてティミンギラギラギラギラギラギラ…と果てしなく続いて、世界が成り立つという印度らしい逸話。
多分これは宇宙の仕組みを、億カルパ単位あたりで霊視すると浮かび上がってくる魂のパターンなのかも知れない。億劫おっくうなことでんがなぁ。ところで億劫(kalpa)と言う。
ティミンギラギラギラギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギララギラギラギラギラギラギラは大きすぎて形として認識されないだけのことで、存在を想念することは勝手な億劫そうねん。人智外の想念はインドでは栄えたそうねん。
億劫の語源はそんな果てしない世界のなごりというお話であった。松山さんも何度か同じような話しをするのは、現実世界がマーヤー(幻影)であり、真実の世界を覆い隠しているせいだという。
māyāは神の不思議な霊力または欺きを意味するサンスクリット語。のちには非真実,幻,迷妄,魔術使いの幻力などの意にもなり,インドのある種の哲学者たちは宇宙のあり方を説いて好んでこれを用いた。ベーダーンタ哲学,特にシャンカラの学系によれば,人が真実と思っている現実の世界は無明に基づくもの、つまりマーヤーのようなものであり、われわれの生きている世界は虚妄であるという。マーヤは摩訶不思議なことが繰り返して押し寄せる。
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