ドラマ『相棒』は劇団出身だらけで配役?
杉下右京の相棒の亀山薫(寺脇康文)のライバル的存在の捜査一課刑事として伊丹憲一は登場した。強面で口は悪いが正義感の強い男だったが、シーズンを重ねるごとに人間味も増していき、亀山と共にシリーズ屈指の人気キャラに成長している。
伊丹刑事を主人公にしたスピンオフ映画「相棒シリーズ X DAY」が2013年には制作された。川原和久は「相棒」シリーズに出るまでは知る人ぞ知る役者だった。
中学までは野球部のキャプテンで、高校でも野球を続けようか躊躇していた。その頃、友人から頼まれ演劇部の手伝いに行った、初めて与えられた役は「死神」だった。
みんなで暗幕を張って、照明を工夫して「舞台を作ること」に惹かれるようになった。その演劇部を指導する先生が東京で実際に芝居をやっていた人で、脚本が優れていたこともあり、川原の在学中は毎回、高校演劇の県大会まで進んでいた。
もうその頃には舞台の魅力にどっぷり浸かっていた。大学は迷わず日本大学芸術学部・演劇学科を選んだが、父は大反対だった。高卒で就職し苦労したから、息子には銀行員や公務員などの安定した職に就いてほしかった。
「大学4年までしか面倒をみてやらない」と言われ福岡から上京した。すぐに「劇団ショーマ」に立ち上げメンバー一員として参加する。新入生歓迎の一環でセミナーハウスに宿泊した。座長となる高橋いさをと加藤忠可が意気投合して、2人に誘われ1982年に劇団を立ち上げた。
同学科で三谷幸喜が東京サンシャインボーイズを立ち上げる。ライバルとしてしのぎを削り、1980年代小劇場ブームの代表格となっていった。
早稲田大学の横内謙介が旗揚げした劇団「善人会議」(現・「扉座」)。高校時代、演劇の全国大会で優秀賞と創作脚本賞を受賞した高校演劇界の寵児。その頃の演劇部員たちを中心に劇団を立ち上げた。
その中にいたのが、「相棒」での名物キャラ・鑑識の米沢守を演じる六角精児だった。スピンオフ映画「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」(2009年)が制作される。
劇団時代から2人の“ライバル”関係が続いていた。伊丹とともに「トリオ・ザ・捜一」といわれる後輩刑事・芹沢役の山中崇史も同劇団に所属していた。そして「トリオ」のもうひとりだった三浦役の大谷亮介も小劇場出身。1977年にオンシアター自由劇場に入団後、1986年に「役者集団東京壱組」を旗揚げした。
他にも「暇か?」でお馴染みの角田役の山西惇も劇団そとばこまち所属、そもそも寺脇康文も劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」出身であった。
「相棒」は舞台出身の役者を主要な役どころで重用している。四半世紀近く続くドラマになった底辺の積み重ねを知る役者たち。
川原和久は思いつきの芝居はなるべくやらないで、キャラクターを肉づけしていきたいという。
「もしその場で思いついたことをやってしまったら、伊丹の個性として継続していこうと思うんです。それに、そうやって肉づけしたところを作家さんが気づいてくれて、次のシリーズでちゃんと台本のなかに活かしてくれることもありますから。それは、長く続いてるドラマならではの面白さだなと、楽しい思いをさせてもらってますね」(「バイプレーヤー読本」より)
【川原和久プロフィール】
1961年12月26日生まれ。福岡出身。
福岡出身。日本大学芸術学部に在学中の82年、「劇団ショーマ」を旗揚げする。
以降劇団の看板俳優として活躍するほか、「演劇集団キャラメルボックス」や「劇団☆新感線」などの作品にも参加する。
演劇界で活躍する一方で、90年代からTVドラマの出演が増える。00年に放送が始まった「相棒」全シリーズ出演して、伊丹巡査部長役は当たり役となった。同シリーズの劇場版「絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン」(08)と「警視庁占拠!特命係の一番長い夜」(10)スピンオフ映画「鑑識・米沢守の事件簿」(09)にも出演する。その他の映画に「犬のおまわりさん てのひらワンコ3D」(11)がある。
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