●棗黍之丞シリーズ●『妖術七変化 隠れ里の決闘』
●棗黍之丞(なつめ きびのじょう)シリーズ
ひなたが特に好きな時代劇シリーズ。
初代桃山剣之介主演映画。1939年公開の第2弾『棗黍之丞 仁義剣』が作中で初登場。安子にとって稔と観た思い出の作品となっている。るいが18歳時の1962年には第20弾作品『棗黍之丞 女狐乱れ桜』が公開された。第21弾の『妖術七変化 隠れ里の決闘』は磯村吟によって「映画史上まれに見る駄作」と酷評された(詳細は後述)。
初代桃山剣之介亡き後、二代目桃山剣之介主演でテレビドラマシリーズ化される。当初、登場人物である茶屋の娘「おゆみ」を美咲すみれが演じ、彼女がブレイクするきっかけとなる。また、放送当時流行していたカンフーを殺陣に取り入れたり、唐突におゆみの綿入れから座布団が出てきたりと、時代劇にも関わらず特殊な演出が施された「黍之丞危機一髪、おゆみ命がけ」の回は、ひなたと五十嵐等にとって名場面として記憶に残っている(美咲自身は忘れていた)。2006年には『妖術七変化 隠れ里の決闘』再映画化で左近役を務めた武藤蘭丸が主演を務める『棗黍之丞2006』がテレビドラマとして放送された。
【Wikipedia】より
●『妖術七変化 隠れ里の決闘』
1963年公開の棗黍之丞シリーズ第21弾作品映画。主演は初代桃山剣之介。敵役の小野寺左近役は伴虚無蔵。初代桃山の遺作となった。
仕事への価値観の相違から仲違いする父・初代桃山剣之介と息子・桃山団五郎(後の二代目桃山剣之介)を和解させようと条映が企画し、当初、小野寺左近役は桃山団五郎が演じる親子共演の予定であった。
親子共演が実現しなかった内幕について、すみれはひなたに「業界内の噂」として「団五郎が出演を断り、それに憤った剣之介が当てつけに、当時大部屋俳優の一人であった伴を左近役に起用した」と話している。しかし、当事者の伴はひなたと五十嵐に「団五郎は出演を承諾したが剣之介が彼を不承知、当時息子のように目をかけていた自分を起用した」旨を明かす。
さらに二代目桃山剣之介の回想によれば、不承知の理由を詰め寄った団五郎に対し、剣之介が答えた伴の起用は、団五郎よりも余程良い役者だからとしている。これを聞いた団五郎は当初は当てつけと判断するが、サンタ、ひなた、大月の回転焼きとの出会いを経て、初代の真意は「息子に対して、斬られ役に甘んじず主役として映画界に帰ってくることを望んでいた」「斬られ役俳優として一目置いていた伴を抜擢した」と見解する。
伴は映画が世間で駄作と評価された原因として、自分の台詞回しが下手でNGを連発した末、ほとんどの場面がカットされたことと分析している。しかし、この映画をラジオで解説した磯村吟は物語について酷評する一方、伴が活躍するラストの殺陣を好評しており、リバイバル上映を鑑賞したひなたと五十嵐も同様の評価をしている。また、るいと鑑賞した若かりし頃の錠一郎は、決め台詞が心に刻まれ、時代劇好きになるきっかけとなる。
1984年、二代目桃山剣之介主演・轟強監督で再映画化。左近役はオーディションで選ばれた武藤蘭丸。他には1983年ミス条映コンテスト優勝者の高山理恵がおふね役で出演し、五十嵐はおふねを庇い左近に斬られる伊織役で出演した。
リメイク版はヒットしたものの、本作を最後としてテレビ、映画問わず時代劇は衰退の一途を辿ることになる。
●条映太秦映画村(じょうえいうずまさえいがむら)
1975年に映画会社条映がオープンさせたテーマパーク。施設内の街並みは時代劇撮影のオープンセットも兼ねており、敷地内には撮影スタジオや道場 が存在する。屋外シーンは東映太秦映画村で撮影された。
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