夢野久作『犬神博士』『超人鬚野博士』のキテレツな面白さ
1931年9月23日~1932年1月26日まで「福岡日日新聞」に連載された『犬神博士』は、夢野久作の「大衆小説の傑作」で、姉妹作『超人鬚野博士』がある。
おカッパ頭の少女のなりをした踊りの名手、大道芸人の美少年チイは、風俗壊乱踊りを踊ってワイセツ罪でつかまるが、超能力ぶりを発揮して当局者をケムにまく。つづいていかさま賭博を見破ったり、右翼玄洋社の壮士と炭坑労働者とのケンカを押さえるなど八面六臂の大活躍。大衆芸能を抑圧しようとする体制の支配に抵抗する民衆のエネルギーを、北九州を舞台に、緻密で躍動的な文体で描き出す夢野文学傑作。
日清戦争前の筑豊・直方地方で起こった撰定坑区の借区競争を、非民同然の大道芸人の子供の視点から描いた。
連載紙「福岡日日新聞」は作者の父・杉山茂丸が不即不離の関係にあった玄洋社の発刊した新聞「九州日報」とは競合関係にあった新聞、かつて「九州日報」の記者をしていた久作が、競合紙に連載した。
主人公は大神二瓶で「犬神博士」という渾名の由来は、古い犬神の風習から来ている。
或る村で天変地異が引き続いて起る。神隠し、駈落ち、泥棒、人殺しの類が頻々として、在来の神様に伺いを立てた位では間に合わなくなっている。村中の寄り合いで評議して、犬神様を祭る動議が成立する。そこで村役、世話役、肝煎役が立ち上って山の中の荒地を地均して、犬神様の御宮を建てる。牡犬を探し出して毛色は何でも構わないが、牝犬では神様になる前にヒステリーになってしまう。
その牡犬を地均した御宮の前に生き埋めにして、首から上だけを出したまま一週間放ったらかして置くと、腹が減ってキチガイのようになる。汐時を見計らって、その犬の眼の前に、肉だの、魚だの、冷水だのとタマラナイものばかりをベタ一面に並べて見せると犬は、モウキチガイ以上になって、眼も舌も釣り上った神々しい姿をあらわす。その最高潮に達した一刹那を狙って、背後から不意討ちにズバリと首をチョン斬って、かねて用意の素焼きの壺に入れて黒焼きにする。その壺を御神体にして大変な祭り騒ぎをする。
その犬神様に何でもいいから、お犬様のお好きになりそうなものを捧げて、お神籤を上げると、ほかの神様にわからなかった事が何でも解る。
天気予報から作の収穫みいり、漁獲りょうはむろんの事、神隠しが出て来る。駈落ちが捕まる。間男、泥棒、人殺しが皆わかるのだが、成る程考えたね。人間だってそんな眼に会わせたら大抵神様になるだろうが。
この犬神のような神通力を持っているので、主人公は犬神博士と呼ばれている。
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【本文】
何故かと言うとこの「アネサンマチマチ」は巡査が絶対に来ない村でしか遣らない一曲であった。つまりこのアネサンマチマチの一曲までは頗る平凡な振り付けに過ぎないので、普通の女の身ぶりで文句の通りのアテ振りをして、おしまいに蚊を追いながら、お尻をピシャリとたたく処で成る程とうなずかせるというシンキ臭い段取りになっていたのであるが、しかし是はその次に来る「アナタを待ち待ち蚊帳の外」の一曲のエロ気分を最高潮に引っ立てる前提としてのシンキ臭さに外ならなかったのだ。だから、お次の「アナタ待ち待ち」の文句に入ったら最後、ドウニモこうにも胡麻化しの絶対に利かない言語道断のアテ振りを次から次に遣らねばならない。そうしてそのドン詰めの「サチャエエ。コチャエエ」の処でドット笑わせて興業を終る趣向になっているので大方男親の手製の名振付だろうと思うが、タッタこの一句だけの要心のために吾輩が、いつも俥屋の穿くような小さな猿股を穿かされているのを見てもその内容を推して知るべしであろう。恐らく吾輩が好かない踊りの中でも、これ位不愉快を感ずる一曲はなかったのである。
しかし吾輩が如何に芸術的良心を高潮させてみた処が、一円銀貨の権威ばかりはドウする事も出来なかった。今更に最初の約束が違うと言っても追付く沙汰ではなくなっていたので、泣く泣く男親の歌に合わせて「アネサンマチマチ」を踊ってしまって、ビクビクもので茣蓙の上にペッタリと横坐りしながら「アナタを待ち待ち」に取りかかっていると、まだ蚊に喰われないうちに、果せる哉、群集のうしろで、
「コラッ」
という厳めしい声が聞こえた。同時にガチャガチャと言うサアベルの音が聞こえたので、吾輩はすぐに踊りを止めて立ち上った。群集と一緒に声のする方向を振り返った。
(夢野久作『犬神博士』より)
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