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2025年7月31日 (木)

名探偵ポワロ「アクロイド殺人事件 THE MURDER OF ROGER ACKROYD」(後編)

BS11(8月4日 月曜日19時放送)

アクロイドの遺言が読み上げられ遺産の大半は行方不明になってる養子のラルフが相続することに。執事のパーカーは自分には1ポンドも遺産がなかったことに腹を立てバーで泥酔し「家族の秘密を握っている」と口走る。その帰り道、パーカーは何者かに轢き逃げされる。

原作アガサクリスティ「アクロイド殺し」

名士アクロイドが刺殺されているのが発見された。シェパード医師は警察の調査を克明に記録しようとしたが、事件は迷宮入りの様相を呈しはじめた。しかし、村に住む風変わりな男が名探偵ポアロであることが判明し、局面は新たな展開を見せる。ミステリ界に大きな波紋を投じた名作。


『アクロイド殺し』Wikipedia

この作品は、ポアロの隣人により書かれた手記という形をとるが、実はその隣人自身が犯人であったため、「語り手が犯人である」という叙述トリックが読者に対してフェアかどうかの論争を引き起こすことになった。

現在でも推理小説史上に残る名著として、クリスティの代表作の一つに挙げられている。

【あらすじ】

事件の発端

キングズ・アボット村のフェラーズ夫人が亡くなった。夫人は未亡人だが大変裕福で、村のもう一人の富豪ロジャー・アクロイドとの再婚も噂されていた。

検死をおこなった「わたし」(ジェイムズ・シェパード医師)は睡眠薬の過剰摂取と判断したが、噂好きな姉キャロラインは早速あれこれと聞き出した上、夫人の死は自殺だと主張する。外出した「わたし」は、行き会ったロジャーから、相談したいことがあると言って夕食に誘われた。

夕方、屋敷を訪ねた「わたし」はロジャーから悩みを打ち明けられた。再婚を考えていたフェラーズ夫人から、「一年前に夫を毒殺した」ことを告白されたというのである。しかも、夫人はそのことで何者かから恐喝を受け続けていたという。そこにフェラーズ夫人からの手紙が届き、ロジャーが読み始めたところ、それは恐喝者の名前を告げようとする手紙だった。ロジャーは後で一人で読むと言って「わたし」に帰宅を促す。その夜ロジャーは刺殺され、フェラーズ夫人の手紙は消えた。

事件の捜査とその後の経緯

ロジャーの遺産を受け継ぐラルフが行方不明となっており、警察は彼を有力な容疑者とする。ロジャーの姪フローラは、探偵を引退して村に引っ越してきていたエルキュール・ポアロに助けを求めた。「わたし」は隣家の奇妙な外国人が探偵であることを知る。ポアロは依頼を引き受け、「わたし」を助手役に捜査を開始した。

ラルフの他に、事件当日、村で目撃された不審な男がいることが分かり、容疑者となる。「わたし」の家に来たポアロに、この事件についての書きかけの手記を読ませたところ、ポアロはその手記に感心する。執事のジョン・パーカーは以前の主人を恐喝した前科のある男だったが、殺人については否定する。事件当日に目撃された不審な男は、家政婦のエリザベス・ラッセルの息子だった。その息子が屋敷を訪れた時間は、ロジャーの死亡推定時刻とは食い違っている。フローラは、事件当日おじのロジャーの部屋から現金を盗み、それを隠すためにうそをついていたと告白する。そのため、ロジャーの死亡推定時刻が当初思われていたよりも早まる。

事件の真相

ポアロは関係者を一堂に集める。ポアロは「わたし」がラルフを精神病院に匿っていたことを皆に告げ、「シェパード医師の記録には書いていないこともある」と指摘する。ラルフは小間使いのアーシュラと密かに結婚していた。それを知って激怒したロジャーが殺されたため、疑われることを恐れたラルフは、「わたし」の勧めで身を隠していたのだ。ポアロは「明日になれば真相を警察に話します」と宣言する。

その後、ポアロは「わたし」と二人きりになり、真相を話す。ロジャーは、亡くなった日に録音機に声を録音していた。犯人がその声を再生したため、その声を聞いてロジャーが生きて話していると思ったパーカーの証言から死亡推定時刻が遅れることになったのだ。「ロジャーの死亡推定時刻にそばにいて、録音機を持ち運びできるかばんを持っていた人物が犯人で、それはシェパード医師である」とポアロは話す。

結末

ポアロは、フェラーズ夫人への恐喝の露見を恐れてロジャーを殺した「わたし」の動機を説明し、「あなたのお姉さんのためにも真相を隠しておきたいが、逃げ道が一つだけある」と言う。家に帰った「わたし」は、「これから睡眠薬を飲むことにする」と書いて手記を終える。

〈本作のトリック〉

トリックの発想の起源と画期性

本作で使われた「語り手=犯人」のトリックは、クリスティが初めて用いたものではない。ただしクリスティ自身は、義兄ジェームズ・ワッツ(wikidata)の「ちかごろの探偵小説は、だれでも犯人にしてしまうんだな。探偵本人が犯人というのもある。……もしワトソン医師みたいな人物が犯人という小説があったらどうか。」という、このごろの探偵小説を評した彼の言葉を独創的なものと評価した[1][2]。さらに、インド総督ルイス・マウントバッテン卿からそれを発展させたアイディアを手紙で提示されたことを元にしてプロットを考案した。

この作品が発表された後、クリスティ自身は「このアイディアは、一度きりしか使えない独創的なもので(あとからこれを模倣した作品が多く出たが)、おそらくたいていの読者を驚かせるものである」と自賛している[4]。クリスティは、おそらく他の先行作品に気づかなかった。ただし、自身には2人の語り手のうちの1人が犯人である『茶色の服の男』という先行作品がある。

この「記述者=犯人」トリックの先例は、1885年に出版されたロシアの作家アントン・チェーホフの『狩場の悲劇』、1917年に出版されたスウェーデンの作家S.A.ドゥーセ(スウェーデン語版)の4番目の作品である『スミルノ博士の日記』である。さらにノルウェーのStein Riverton(スヴェン・エルヴェスタ(英語版)のペンネーム)による同じアイディアの作品 "Jernvognen---Kriminalroman" がある。

1921年に谷崎潤一郎が発表した『私』もこのトリックを使っており、その際に芥川龍之介から、イタリアにああいうものがあると言われたとのちに書いているが、どの作品かは特定されていない。 

〈トリックの位置付け〉

当時の推理小説は、エドガー・アラン・ポーのデュパン作品やコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズに代表されるように、「主人公である探偵役の活躍を別の登場人物が書いたもの」という形式が主流であった。過去のポアロ物も、ヘイスティングズ大尉が記述者という形を取っていた。

『アクロイド殺し』はヘイスティングズ大尉に代わってシェパード医師の手記という形式の小説であったが、そのシェパード医師自らが犯人であること、またそのことをポアロだけに対してではなく読者に対しても隠して騙すという、設定を逆手に取ったプロット、トリックを用いた。語り手のシェパード医師は「嘘は書かなかった」と作中で弁明しているとおり、嘘は書かなかったものの、自らが犯した殺人の決定的な描写をわざと曖昧に書いている。

これが今日に言う「叙述トリック」もしくは「信頼できない語り手」であったために、フェア・アンフェア論争を引き起こすこととなった。さらに同年にはクリスティの失踪事件も起き、話題が大きくなった。しかし、この作品によってクリスティはベストセラー作家の仲間入りを果たし、彼女の知名度を大きく高める結果となった。先述のように現在でも代表作の一つに挙げられる。

〈フェア・アンフェア論争〉

このトリックがフェア・プレイでないとする側の代表は、ヴァン・ダインである。彼は「読者に対し仕掛けられている(この)トリックは、推理小説の作者の合法的な手法とは言いがたい。それゆえ、作中のポアロ探偵の捜査ぶりにはときおり秀でたところがあるのだが、その効果も結末によってすべて帳消しにされている。」と述べ、本作品を全然推奨しがたいものとして葬っている。そして、ヴァン・ダインはこの後、1928年に「ヴァン・ダインの二十則」を発表し、その第2項にて叙述トリックを否定している。

フェア・プレイであるとする論者の代表は、ドロシー・L・セイヤーズである。セイヤーズは、「このような(ヴァン・ダインの)見解は、作者のためうまくトリックにかけられたことを残念がって漏らすごくあたりまえの意見にすぎず、必要なデータはすべて提供されているのだから、読者たるもの鋭くさえあれば犯人を推定し得るはずであって、これ以上のことを作者に要求することはできない。つまり絶えず機知を働かせて、完全なる探偵のように、あらゆる人物を疑ってかかるのが読者の仕事だろう。」とクリスティを全面的に支持している。

エラリー・クイーンも支持者の一人である[要出典]。「探偵作家論」を著したトムソンも「作中ポワロ探偵は『各人各様の解釈があるだけのことで、私はなにひとつ事実をかくしてはいない』と述べており、記述者シェパード医師も『ポワロ自身の発見したものをことごとく私に見せてくれただけ』と記しているし、ともにヴァン・ダインの所説と矛盾している」と肯定している。

レイモンド・チャンドラー、ジュリアン・シモンズなど、本格推理小説に対しシビアな意見を持つ論者でも、評価している者がいる。

日本ではアンフェアだという声はかなり高かったらしい。雑誌『宝石』誌上の江戸川乱歩と小林秀雄との1957年の対談において、小林は次のように批判している。

「いや、トリックとはいえないね。読者にサギをはたらいているよ。自分で殺しているんだからね。勿論嘘は書かんというだろうが、秘密は書かんわけだ。これは一番たちの悪いウソつきだ。それよりも、手記を書くと言う理由が全然わからない。でたらめも極まっているな。あそこまで行っては探偵小説の堕落だな。」「あの文章は当然第三者が書いていると思って読むからね。あれで怒らなかったらよほど常識がない人だね(笑)。」

ただ、対談の相手である江戸川乱歩はフェア・プレイ派である。横溝正史もまた小林信彦との対談で、対談のある流れのなかで「アンフェアーという気がしますしね」とは口にしているものの、エッセイ「クリスチー礼讃」で、「フェアーであろうがアンフェアーであろうが面白いのだから仕方がない」と賛辞を贈っており、自作の『蝶々殺人事件』などでこのトリックを借用している。

フェア・アンフェア論争の総括をしている瀬戸川猛資は、ミステリ界では「トリックそのものには先例があるものの、仕掛けの大きさにおいて比類のない作品である。犯人は嘘を書いているわけではないのだから決してアンフェアではない。こういう意表をついた大トリックに欺されることにこそ本格ミステリの醍醐味があるのであって、それに文句をつけるのはミステリの本当のおもしろさが理解できない人ではないか――というような意見が大勢をしめ、アンフェア説は完全に駆逐されてしまった。」と述べた上で、この作品には「客観性」がまったくないとして、アンフェア説に立っている。

〈作品の評価〉

作者ベストテンでは、1971年の日本全国のクリスティ・ファン80余名の投票、および1982年に行われた日本クリスティ・ファンクラブ員の投票のいずれにおいても、本作は2位に挙げられている(いずれも1位は『そして誰もいなくなった』)

《Wikipedia》より

刑事コロンボや古畑任三郎がドラマとして、一般的な人気を得てる現代では、ミステリーの叙述展開は認知されている。

もはや「アクロイド殺人事件」が、受け入れられない人のほうが珍しい存在となっている。推理小説への価値観は、めまぐるしく新陳代謝しているようだ。

《「アクロイド殺し」はアリバイをつくるために蓄音機を使い、それを取りもどす危険を冒す必要があった。そしてその仕掛けに要したちょッとの時間、五分ほどの差によって、トリックを見破られてしまうのである。トリックには常にかかる危険がある。それを承知で敢てせざるを得ぬ必然性がなければナンセンスで、謎ときゲームの合理性に失格しているのである。坂口安吾》

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