『北は山、南は湖、西は道、東は川』クラスナホルカイ・ラースロー
『北は山、南は湖、西は道、東は川』クラスナホルカイ・ラースロー
2000年に日本に半年滞在した経験から生まれた『北は山、南は湖、西は道、東は川』である。驚異的な観察眼と想像力、几帳面さと真摯さをもって書かれた話。
「列車は線の上ではなく一本の鋭い刃の上を超えていた。」 と読者は現代の京都の町に誘導される。
福稲というから東福寺界隈と思しきあたりで京阪電車をおりた。死んだように静まり返った京都の町が映っているらしい。
一章自体は短いが、寺の境内の詳しい情景描写が終わると、新しい章が現れて初めて主人公の名が明かされて、源氏の孫君である。
『名庭百選』という本に紹介されていた庭を探しに、供も連れず京阪に電車に乗ってやってきたのだが、町は祭か災でもあったのか人っ子ひとりいず、案内人がないままに寺に入っこんで終わった。
情景を描いた章が挿入されるあたりは、やりカットバック処理された映画を見ているような気分にさせられる。
宮大工の長年の経験によって山門のどの位置に使われる蘊蓄が偏執狂的に記述される。
場所にまでできることができたのかを例の蛞蝓が這い回ったやがて燐光を張った航跡のような文体で延々と描写される。
釘付けで打ち付けられた十三匹の金魚、悲惨なオブジェを介して、持病の発作を癒すため一杯の水を探し求める主人公の探索行を物語る。
どこか謎にひかれるように読み進めていくと読むという作業自体は、やがて快楽の度合いを行って、上質の読書体験が読者には約束されている。
シーンはもとの京電車阪の駅舎に戻る、視感に満たされた光景が描写、物語は円環を閉じるように見えるのが、列車の方向は始まるとは反対の北を向く、京都の町でいましも起きようとする災厄を予言する禍々しい言葉が終わりの始まりを告げる。
「つまるところ伝統とは、経験に基づく習慣を厳格に、しかも柔軟性をもって実直に守ることにほかならず、可能な限り最も当たり前の方法と技術、さらには伝統というものが存在し、その伝統は観察と反復と、自然の内的秩序と事物の本質にたいする尊敬の上に成り立っていること、そしてその意味での伝統とその自明性は疑うべくもないこと、そうしたことを素直に信じることなのだった」(p.74)。
「その意味と目的をよく考えてみることもせず、いわれるがままに」(p.124)。
(訳者あとがきより)
85年に長篇小説『サタンタンゴ』でデビュー。7時間超えの長大な映画があるらしいということは知っていたが、その原作がこれであるとあとから知った次第。2000年代にはいってから作品が本格的に英訳されるようになっていき、評価の高まりとともに2015年には国際ブッカー賞を受賞している。この国際ブッカー賞は英訳された文芸作品が対象となるものだが、2005年の第1回の受賞者がイスマイル・カダレだったこともあり、自分のなかではなぜか東欧文学をたたえるための賞という印象がつよい(受賞者の顔ぶれをみるとぜんぜんそんなことはないのだが)。クラスナホルカイはまたあちこち旅してまわるのが好きな作家らしく、アメリカ、モンゴル、中国などのほか、日本へは97年に初訪問。日本文化との出合いはまさに衝撃的で、彼のものの見方を一変させてしまったらしい。正直、「おるよな、そういう外人」という感想をいだいてしまうのだが、彼は本物であった。それはのちに、2000年と2005年にそれぞれ半年ずつ、国際交流基金招聘フェローとして観世流能楽師のもとに通いながら、京都で寺社建築や日本庭園といった日本伝統文化の研究に打ち込んだというところからも見てとれる。
〈早稲田みか〉
●クラスナホルカイ・ラースロー2025年ノーベル文学賞
スウェーデン・アカデミーは9日、2025年のノーベル文学賞をハンガリーの作家、クラスナホルカイ・ラースロー氏(71)に授与すると発表した。授賞理由は「終末的な恐怖の真っただ中にあって、芸術の力を再確認させる説得力と先見性のある作品群に対して」としている。賞金は1100万スウェーデンクローナ(約1億7000万円)。授賞式は12月10日、ストックホルムで行われる。
ハンガリー南東部のジュラ生まれ。大学で法律や文学などを学んだ。出版社勤務を経て1985年、小説「サタンタンゴ」でデビュー。救世主とも悪魔ともつかない正体不明の一人の男によって操られる小さな村を描き、一躍注目を浴びた。同作は後にタル・ベーラ監督によって映画化された。抑圧や貧困による絶望的状況から逃れられない人々をモチーフとし、「抵抗の憂鬱」(89年)も同監督の映画「ヴェルクマイスター・ハーモニー」の原作となっている。
語句の反復や、一文が数ページにもわたる独特の文体が特徴。詳細な描写とも相まって、ドイツをはじめ国際的な評価が高い。15年にはブッカー国際賞を受賞している。
日本とも縁が深く、97年に初来日。00年には半年間にわたり京都で暮らし、能や寺社など日本の伝統文化について見聞を広めた。「北は山、南は湖、西は道、東は川」(03年)は京都を舞台とし、日本滞在の経験が生かされている。06年に松籟社から邦訳が刊行された。
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