一般的なミステリーとは異なり、犯人を特定するのではなく、一つの事象を様々な角度から描いたり、登場人物の心情を深く掘り下げたりする作品が特徴である。
■目次
驟雨/井上靖春
の夜の出来事/大岡昇平
断崖/小沼丹
博士の目/山川方夫
生きていた死者/遠藤周作
剃刀/野呂邦暢
彼岸窯/吉田知子
上手な使い方/野坂昭如冬
の林/大庭みな子
ドラム缶の死体/田中小実昌
解説それこそどうってことはない言葉をめぐって/堀江敏幸

ミッシェル・ビュトールが敢えて、作者が逃げ場がないミステリー小説技法で、長編小説を書いていたことを思い出す。それが今までにない、先鋭化されたフランス文学となって話題となるのであった。
「文芸作家なのに、探偵小説?」
ミステリ専門ではない10人の作家による短篇小説はエンタメにはない奇妙な世界でもある。短篇というエッセンスだけに、ぐっとアイデアが詰まっているゴージャスな内容。
●井上靖「驟雨」
語り手が少年時代の一時期を振り返る。
叔母夫婦のいる伊豆の海辺での夏休みに知り合いになった。
あまり評判のよくない夫婦で、夫人は精神の均衡を取るのに苦労している。夫には愛人がいるのに妻は知らぬふりをしている。
ある時、夫婦と少年の三人でトランプをするが、妻は負けた場合は秘密を告白しようと提案する。そしてゲームがひとつひとつ終わったら、それぞれの㊙︎が語られるが、夫人は少年にとって生涯忘れられない発言をして、二人は押し黙ってしまうのだった。
話自体は簡素ながら、独特のムードで読者部思考させる達人技で圧力をかけてくる。
●大岡翔平「春の夜の出来事」
オイディプス王の物語を重ねる作品である。登場人物達に直接語らせて、敢えて語り手の影を消す手法が展開させる。
●小沼丹「断崖」
海辺の小さな町へ、旅をするセールスマンが行きずりで暫く腰をおろし休むことにした。
理容店に入ると髪を切るのは、ミステリアスな雰囲気の女だった。男は目を閉じてハサミの鳴る音を聞いている。
そのうち男はふと去年この近くまで来たときに人殺しがあったことを思い出す。不安を感じつつも、女に髭を剃られて男はだんだんいい気持ちになって、先客のひとりもいない店に大きく響くハサミの音と、鏡が曇っていて女の姿が見えないのも恐ろしい。
バスの終点、山深い温泉、赤い屋根の別荘、瀟洒なホテル、蝉の死骸が際立ち拓跋な小沼丹の世界へ引き込まれて行く。
●山川方夫「博士の目」
〈博士は、頬に微笑をうかべたまま、目はむしろこわいような静けさをたたえていて、あいかわらず、まるで遠くをみつめているみたいな深くぼんやりとした眼眸をしているのだ。〉
登場人物との関係で、語り手の孤独を感じさせる作品である。
●遠藤周作「生きていた死者」
死ぬ時は死ぬがよし、だれもがこんな境地で死を迎えたい。でも死はひたすら恐いこそ、死に稽古が必要になる。作者の体験した失敗談を交えて、贈る人生セミナーだろうか。
「それから第四回の「久米賞は芙蓉美和子さんの「老残記」に決定いたしました」
毎年発表される文芸賞久米賞を受賞したのは、東京都出身の快活な女子大生であった。しかし彼女の受賞作は、戦後5年に亡くなったある男性作家の筆致と酷似していることに気づいた週刊誌記者達。
私(週刊誌記者)「小説家もこうなるとスターだね」
中山(週刊誌記者)「同じ今年の受賞者でも鴎外賞のほうはパッとしない。もう作品の世の中じゃないんだな、小説家も雰囲気なんだよ」
でも最近は、そういった流れに逆らうかのように作品をしっかり選定している気がする。この前の芥川賞とか、僕はてっきりくどうれいんが受賞するものかと思っていた。違った。受賞作は、石沢麻依「に続く場所にて」李琴峰「彼岸花が咲く島」、2作品が受賞したが僕はこの2作者のこと両方とも恥ずかしながら、名前すら知らなかった。過去には、セカオワの沙織ちゃんがノミネートされた時もあった。同じく受賞には至らずだった。
遠野遥や宇佐美りん更に遡れば村田紗耶香のように、作品からスターを作ろうという気概が文芸界隈から感じられる。この作品が受賞したから彼等はスター作家なのである。彼等がスター作家だから作品を受賞したわけではない。
文学賞のあり方に、風刺をきかせた作品となっている。風貌と従来の作家像と違う新人作家は亡くなった作家の作品とはね。
●野呂邦暢「剃刀」
時間つぶしに入った床屋の世間話から、喉を切られた男の話が出てぞくぞくさせられる。
『野呂邦暢ミステリ集成』に収録されている、奇妙な味というかリドル・ストーリー的な展開になって、理容室や美容院で一度は感じたことがあるだろう恐れが、日常的な空間に描かれている、
●吉田知子、彼岸窯
幻想から現実の物語である。
『無明長夜』で芥川龍之介賞した作家によるミステリー。
やきものの歴史は非常に古く、歴史と対応する様に陶芸窯にも多種多様な窯があり、そんな中から、最適な窯を見つけるのは大変な作業である。そんな窯を手に入れた男の半生談。最後の一行のために全部があるような。
最後で暫定になる。
「生きて死ぬ。それしかない。それだけだな。」人も黒い犬もみな同じだ。
●野坂昭如「上手な使い方」
苦労をかけられ、行方不明だった息子に新聞広告を出す母だった。死期がせまった母は、長年貯めた貯金を拾ったことにして、死んだら息子が受け取ることができるとほのめかした。息子は皮算用して、母の言いつけを守るが、母は息子に一文も入らないようにする。
母は息子の狼狽える様子を観察するのだった。気持ちが弾んだ。ほほほほ。
●大庭みな子「冬の林」
突然に妻が亡くなった。老女と一緒に海辺の崖から落ちたのだ。
息子と娘が駆け付けたのは、まだ引っ越して間もない新居で新生活を始めていた。死を悼むより謎に包まれている。
息子は仕事で頭がいっぱいで、娘と二人で推察するうちに、知らなかった妻の顔と娘の顔が浮かび上がることに。また過去に関わった女と、妻の様子を思い出す。彼女らの得体の知れなさに比べれば、母親の急死よりも、今日執刀した患者の様態を気に掛けている息子。
だがどう話を擦り合わせても本当のところはわからない。死んでしまった妻の真実が、遺された者にもて遊ばされる。真相が知りたく、知るのが怖くもある。死者は納得がいくまで、何度も生き返りまた崖から落ちる。
死だけは己のものと思っていたが、ここでは死さえも自分の手を離れている。暴くのも暴かれるのも怖い。できれば秘密は秘密のままいなくなりたい。大した秘密でもないのであるが、妻は崖から転落死して近くに老女が
その老女は娘と関係があったのだ。
●田中小実昌「ドラム缶の死体」
昭和33年に米陸軍医学研究所の生化学部で働いていた作者自身の体験である。
米軍デュカン曹長が岸壁で腐乱死体になって発見された事件。朝日新聞の記事が出てくるので、本当にあった事件なんだろう。
その死体が「ぼく」が働いていた医学研究所の解剖に回されてくる。ドラム缶の死体を検査するとともに戦後の米軍施設に関する事情、厳格でもない様子があった。
■ 音階のテンポからヒントを得たというビュトール『時間割』と、文学として書かれた短篇小説が納められている本書を同時に読むと新たにメディアの可能性が広がっていくだろう。
こんだけユニークな作家たちが、ミステリー作風について独自のアイデアを掘り下げている。
長編推理小説になりそうな佳作が、ぎっしりと並んでおります。
豪華本をやすく買えたような気分になりました。文庫本なのにね。