赤瀬川原平『少年とグルメ』講談社文庫 食糧難の時代、空腹を抱えた少年時代の記憶を描いた、ノスタルジックで特異な感覚の連作エッセイ集。
遠足のガムや濡れた煎餅など、当時の日常食を虚実交えて語る、おかしくも切ない名作(book.dmm.com、www.kinokuniya.co.jp)。
【目次】1 人肉はまだ食べていないけど(チョコボール;チューインゴム;ハナクソ;みそなど;食パン;天丼;ニラモモ;蟹;お醤油;晩餐整理巻;ビフテキ;ごはん)
2 少年とグルメ(濡れたセンベイ;追加のコロッケ;2人の叔父さん;花に鯖;松茸はおいしいらしい;納豆への道;そばの都、東京;貧乏なタイムマシン;りゅうきゅうとコンニャク;赤い酒;インド人もびっくり;お風呂と焼芋)
おかしく、切なく、どこか懐かしい、飽食の時代にこそ読むべき逆説的なグルメ本。
雑誌「ビックリハウス」に連載された、子供時代に体現した食べることに対するエッセイ。
飽食が蔓延したバルブ期に、文庫版が刊行。
衣食住の底辺にについて、極貧原体験を鮮明に思い出してアーチストならではの表現された画期的な内容。
《私の青少年時代は物凄く貧しかった。だけどそのお陰でご馳走の力というものを百パーセント感じることが出来て、美味しさを一滴残らず体内に染み込ませることができたのは、やはりしあわせであったと思う。》「あとがき」より
🔘画学生として田舎から都会の美術教室で、デッサンに食パンを使うことを初体験するエピソード。
柔らかい感触を性的なことと同期しているのが、貧しいなかでのイマジネーションを揺り動かしてる。
《白く柔らかいところをゆっくりとむしり取り、ゆっくり握り潰した。そのはじめての手の感触が、何かとんでもない違法行為をしているようで、思わず止まりかけた。
握り潰すたびに、いたいけな少女の首を絞めつけているようだった。
私はそういう恥ずかしい体験をしたのだった。それは犯罪にはならなかったけど、私はそのとき食パンを強姦したのだ。私は恐ろしい人間である。》「食パン」より
《あのころ、ぼくはもう塩だった。味噌のかわりに塩を溶かしていたのだった。でも塩にはイロ気というものがない。まるで婆さんの胸を触れるみたいだ。だけど味噌は違う。味噌には弾力がある。ただ辛いだけではなく、イロ気というものが漂っている。だから君の味噌に触れたとき、つい、たまらずに、こらえきれずに、体が、、、。》
「みそなど」より
🔘極貧の底辺で喘いでいる。
『少年とグルメ』ではなくて、『少年と貧乏』というが内容にふさわしいと、作者はあとがきよりで語っている。《これはスパゲッティだけど芸術です。だからおいしいけど、芸術です。ここのところの理屈が非常に苦しい。とにかくニュルニュルと噛むのですが、噛んでいるところをみんなに観賞されています。まるで本番マナイタショウです。みんなに観られながら、おいしさとその役目が分離している。視線のヒヤ水を浴びながら、でもやっぱり口の中はおいしい。そこのところでおいしさとその役目とが融合している。とにかく凄く複雑な複雑さです。》
「晩餐整理券」より
🔘大分にはかつて納豆はなくて、小説や東京出身の両親から旨い味わいに、憧れていたという。
しかし名古屋に引越してから、どうやら納豆はクセがあるので、食べる人を選ぶと知りがっかりする。しかし食べてみたら、、、。
《きざんだネギを山盛りになるほど入れて食べます。あれと同じくらいたっぷり入れて、鰹節もそのくらい奮発していれて、ドンブリの中で箸でぐるぐるかき混ぜます。もたっとした豆の味にさくっとしたネギの味が交叉して、そこに兄貴のような鰹節の味が後押しをして、最後にお醤油の味がその全体を目覚めさせながら、それが一団となって白いご飯に突撃していく。それを頰張るのだから、これはもうたまりませんね。》
「納豆を食べる」より
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