渡辺温の全作品 青空文庫で公開されている渡辺温の全作品を人気順で表示
渡辺温の全作品
青空文庫で公開されている渡辺温の全作品を人気順で表示
作品名 著者 読了時間 文字数 人気 書き出し
☀ああ華族様だよ と私は嘘を吐くのであった
渡辺温
10分以内 3,160
居留地女の間では その晩、私は隣室のアレキサンダー君に案内されて、始めて横浜へ遊びに出かけた。
☀可哀相な姉
渡辺温
30分以内 7,938
1 すたれた場末の、たった一間しかない狭い家に、私と姉とは住んでいた。
☀アンドロギュノスの裔
渡辺温
30分以内 5,823
――曾て、哲人アビュレの故郷なるマドーラの町に、一人の魔法をよく使う女が住んでいた。
兵隊の死
渡辺温
5分以内 727
たのしい春の日であった。
四月馬鹿
渡辺温
30分以内 9,050
何が 南京鼠だい 『エミやあ! エー坊! エンミイ― おい、エミ公! ちょっと来てくれよオ、大変々々!』出勤際に、鏡台へ向って、紳士の身躾をほどこしていた文太郎君が、突然叫びたてました。
薔薇の女
渡辺温
5分以内 1,746
馬車はヴェラクルスへ[#「ヴェラクルスへ」は底本では「ヴエラクルスへへ」]向けて疾っていた。
或る母の話
渡辺温
30分以内 7,066
母一人娘一人の暮しであった。
父を失う話
渡辺温
10分以内 3,163
こないだの朝、私が眼をさますと、枕もとの鏡付の洗面台で、父は久しい間に蓄えた髭を剃り落としていた。
花嫁の訂正
渡辺温
30分以内 8,781
二組の新婚夫婦があった。
イワンとイワンの兄
渡辺温
30分以内 4,387
父親は病気になりました。
恋
渡辺温
10分以内 3,920
* そこの海岸のホテルでの話です。
勝敗
渡辺温
30分以内 10,930
兄を晃一、弟を旻と云う。
少女
渡辺温
30分以内 5,683
井深君という青年が赤坂の溜池通りを散歩している。
シルクハット
渡辺温
10分以内 2,129
私も中村も給料が十円ずつ上がった。
☀嘘
渡辺温
30分以内 9,729
雪降りで退屈で古風な晩であった。
象牙の牌
渡辺温
60分以内 16,347
『…………』 西村敬吉はひどくドギマギとして、彼の前に立った様子のいい陽気な客の顔を眺め返した。
絵姿
渡辺温30分以内 11,967
倫敦の社交界に隠れもない伊達者ヘンリイ・ウォットン卿はたまたま、数年前にかの興奮から突然姿をくらまして色々と噂の高かった画家ベエシル・ハルワアドを訪れた。
遺書に就て
渡辺温
30分以内 10,460
その朝、洋画家葛飾龍造の画室の中で、同居人の洋画家小野潤平が死んでいた。
赤い煙突
渡辺温
30分以内 6,932
……………… ……………… (――あたしの赤い煙突。なぜ煙を吐かないのかしら? お父さまとお母さまの煙突からは、あんなに沢山煙が出ているのに……) 彼女は七つの秋、扁桃腺炎を患って二階の窓の傍に寝かされた時、はじめてその不思議を発見した。
☀風船美人
渡辺温
30分以内 6,617
上野の博覧会で軽気球が上げられた。
十年後の映画界
渡辺温
10分以内 3,394
一千九百三十九年一月×日 街裏の酒場「騒音と煙」の一隅に於て、酔っぱらいの私がやはり酔っぱらいのオング君を、十年振りに見出したと思いたまえ。
浪漫趣味者として
渡辺温
30分以内 4,628
H――氏と云って、青年の間に評判の高いロマンティストと懇意を得たことがあった。
兵士と女優
渡辺温
10分以内 3,153
オング君は戦争から帰って、久し振りで街を歩きました。
氷れる花嫁
渡辺温
5分以内 1,591
1 (溶明)晴れたる空。
牛込館
渡辺温
5分以内 1,360
夕方の神楽坂通りは散歩の学生や帰りがけの勤め人なぞでいつもいっぱいである。
編集者であり若き小説家でもあった渡辺温は、ここの踏切事故で亡くなり、谷崎潤一郎は昭和五年四月号『新青年』に「春寒」と題して寄稿し、詳しく述べています。
渡辺温は知人の楢原とともに昭和五年ニ月九日原稿の催促に谷崎の岡本梅ノ谷の家を訪れ、翌十日の夜原稿を受け取る約束をなんとか取り付けます。その後彼らは神戸に廻り深夜まで飲んで、宿泊先の夙川にタクシーで帰るときに事故は起こりました。
<本誌の記者渡辺温君が阪神沿線の夙川において不慮の事故を遂げたことは当時の新聞に出ていたから、すでに読者はご存知であろう。渡辺君は、僕に原稿を書かせるためにわざわざ独断で関西へやって来て、あの災難に遭ったのであるから、僕としては一層哀惜の念に堪えない。>
<今朝の午前一時ごろ、そこの車が客を拾いに神戸の町へ出ていると、二人が栄町一丁目からそれに乗った。そして阪神国道を東へ走って、恰も神戸と大阪の真ん中辺西宮市の手前から左へ折れ、阪急線の夙川へ出ようとして汽車の踏切を越える途端に貨物列車と衝突した。列車は上りであったから、北へ向って進む自動車の左側―しかもちょうど客席の横腹を打ち、そのまま1丁半ばかり引き摺って停車した。>
この説明から、現場はJRさくら夙川駅の西にある「大師踏切」に間違いありません。
上り列車ですから上の写真の方向(神戸方面)から貨物列車は来ました。
<夙川の踏み切りは間違いの多いところで、今まで何人殺されているか知れないのである。北から南へ越すときはそうでもないが、南から北へ越すときは、両側に大きな松の枝があり、踏み切り番の小屋があって、見通しが利かない。>
踏切の南両側には、岩本邸と福井邸があったのですから、松の枝が視界を遮っていた様子も想像できます。
谷崎潤一郎「春寒」JR大師踏切のこと
子供の頃、阪急神戸線にも踏切り番の小屋があったのを思い出しましたが、深夜も貨物列車が走る国鉄で踏切り番はいなくなるというのは、確かに危険です。
事故の後できたのでしょうか、踏切の傍らに地蔵尊が祀られていました。
<僕も夙川や西宮にはついでがあり、しばしばあの辺の鉄道線路を横切ることがあるけれども、少し廻り道をして堤防の東のガードを越すか、そうでなければ踏み切りの前でエンジンのうなりを止め、助手を線路へだしてみてから渡るようにしていた。>
谷崎潤一郎「春寒」JR大師踏切のこと
堤防の東のガードとは、夙川沿いの道のガードです。谷崎は夙川橋を渡った交差点を左に曲がりガードを潜り、北側に上がっていったようです。少し廻り道をしてと書いているのは、もう一度夙川の羽衣橋を西に渡り、相生町の甲南荘か雲井町の根津別邸に行ったのではないでしょうか。
谷崎潤一郎「春寒」JR大師踏切のこと
武庫郡大社村北蓮毛八四七(現・西宮市相生町十一番地)の三階建て洋館アパート「甲南荘」があった交差点です。谷崎潤一郎は、ここを「猫と庄造と二人のおんな」などの執筆に利用しました。
渡辺温の死因は、1930年2月9日に神戸へ向かう途中、cしたタクシーに轢かれたことが原因です。この事故により、彼は西宮回生病院で脳挫傷のため亡くなりました。享年27歳でした。この事故は、彼の短い生涯において大きな損失となり、文学界にとっても大きな損失となりました。
渡辺 温:わたなべ おん
生年: 1902-08-26
没年: 1930-02-10
人物について:1902(明治35)年8月26日、北海道生れ。1924(大正13)年、慶応義塾大在学中に、プラトン社の映画筋書懸賞募集に「影」で一等入選。1927(昭和2)年、博文館に入社し、横溝正史編集長のもとで雑誌「新青年」のモダニズム化を推進する。作品はほとんどが掌篇で、主に「新青年」に発表された。1930(昭和5)年、谷崎潤一郎への原稿依頼の帰途、交通事故で死亡。なお、探偵作家の渡辺啓助は一歳年上の実兄、作品集『アンドロギュノスの裔』の挿絵を担当した渡辺東は姪にあたる。(森下祐行)
« 渡辺温『嘘』 初出:「新青年」1927年3月 | トップページ | 福島県立美術館 入館者500万人達成 ゴッホ展後押し、記念品贈呈 »
« 渡辺温『嘘』 初出:「新青年」1927年3月 | トップページ | 福島県立美術館 入館者500万人達成 ゴッホ展後押し、記念品贈呈 »


コメント