ル・クレジオ『黄金黄金探索者』解脱
『黄金探索者』ルクレジオ
わが祖父レオンのために
ブーカンの谷、一八九二年
思い出すかぎり遠い昔から、ぽくは海の音を聞いてきた。モクマオウの針のような枝を吹きぬけるたえまない風に混じるあの音、浜辺から離れてサトウキビ畑を突きぬけて行くときにも聞こえるあの潮騒こそ、ぼくの幼い日々を揺すりあやしてくれたものだ。今ぼくは、自分の一番奥深くであの音を聞いている。どこに行くにもぼくはそれを運んで行く。倦むことを知らない緩慢な波の音、遠くの珊瑚礁の上で砕け、ノワール川の砂に寄せては消える波の音だ。ぼくが海に行かない日は一日もない。背中にびっしょり汗をかいて目覚め、簡易ベッドに身を起こし、自分にもわからない気持ちに駆られて不安げに蚊帳を開け、潮の動きを知ろうとしない夜は一夜もない。
ぼくは一人の人間を思うように海のことを思う。海がやって来るのをいっそうよく聞き取ろうと、海をよりよく迎え入れようと、五感は闇のなかで身構えている。巨大な波が岩礁を越えて跳ね上がり、礁湖に崩れ落ちている。その轟音は、ボイラーのように、陸と大気を震わせている。海がとどろいている。海は動き、息づいている。
満月になると、古びた床を軋ませないように用心しながら、そっとベッドを抜け出す。けれども、ロールが眠っていないのはわかっている。暗闇のなかで両目を開き、息を殺しているのはわかっている。窓枠に上り、木の鎧戸を押し開ける。外に出ると夜の闇だ。白い月光が庭を照らしている。木々がきらめき、梢が風にざわめいている。シャクナゲやハイビスカスの暗い茂みがかすかに見える。胸を躍らせながら小道伝いに、丘のほう、荒れ地との境目のあたりまで行く。崩れ落ちた壁のすぐ近くに、ロールが善悪の木と呼んでいるシャルクの大木がある。
太い枝を伝ってよじ登り、木立や一面に広がるサトウキビ畑の向こうに海を眺める。月は雲間を漂い、きらめきを投げかけている。そのときおそらく、葉むらの向こう、タマランの櫓の左側に、きらきらと光る斑が映えた、大きくて暗いプレートのような海が不意に見えてくる。
ぼくくはほんとうに海を目にしているのか、潮騒を聞いているのか。海はぽくの頭のなかにある。海の姿が一番はっきりと見え、潮騒が一番鮮明に聞こえるのは、目を閉じたときだ。そのとき、岩礁に裂かれ、ふたたび結ばれて浜辺に打ち寄せる波のとどろきの一つ一つが聞こえる。
ぼくは長いことシャルクの枝につかまったままでいる。しまいには腕がしびれてくる。海から吹く風が木々の上、サトウキビ畑の上を渡り、月光を浴びた葉をきらめかせている。ときには、耳を澄まして夢想にふけりながら、明け方までそのままでいることもある。庭の向こうの端では大きな家が暗く閉ざされ、漂着物のように見える。風が壊れた屋根を叩き、家の木組を軋ませている。それもまた、海が立てる音だ。それに、木の幹の軋む音、モクマオウの枝の唸るような音も。木の上に一人でいるのがこわい。しかし寝室に戻りたくはない。それで、冷たい風にも、自分の頭が疲れて重くなる感覚にも耐えている。
1892年カンの谷、プー
209「エレファントーアップル」とも呼ばれる、高さ十五メートルほどの常緑樹。果実はカレーなどに用いられる。
ロドリゲス島へ、一九一〇年
目を開けると海が見える。それは、昔、礁湖のなかに見たエメラルド色の海でも、タマラン川の河口の前に開けた黒い水でもない。今まで見たことのない海だ。自由で、荒々しい、目くるめくほど青い海、ひと波ごとにゆっくりと船体をもち上げ、泡の斑模様を付けてきらめき渡る海だ。
もうずいぶんな時間にちがいない。日が空高く昇っている。ぐっすり眠ったせいで、潮が満ちて船が蟻装し水道を越えるのも聞こえなかった。
昨夜おそく、油やサフランの臭い、それに市の立った場所に漂ラ腐った果物の臭いを嗅ぎながら波止場を歩いた。どの船でも、海の男たちの声が、ダイスの勝負をする者たちの喚声が聞こえた。「アラキ酒」や煙草の臭いもした。兪船したものの、息冷しい船介や埃っぽい米袋を避けて甲板に横になった。頭をトランクに載せ、マストの索具を透かして空を眺めた。星の見えない空を眺め、人声や、波止場に渡された板の軋む音や、遠くのギターの旋律を聞きながら、零時を回るまで眠気と闘った。だれのことも考えたくなかった。ロールだけはぼくの船出を知っていた。けれども口ヽ‐‐ルは、マムには何も話していない。ロールは涙一つ見せなかった。それどころか、その目は、ふだん見せないような光をたたえて輝いてい
た。すぐにまた会えるんだ、そうぼくは言った。あちら、ロドリゲス島で、ぼくたちは新しい生活を始めるんだ、大きな家を手に入れ、馬も飼うし木も植える。ロールにぼくの話が信じられただろうか?。
ロールは、ぼくが安心させようとするのがいやだった。
あなたは出発する、遠くへ行ってしまう、もしかすると永遠にね。あなたは、求めるものの果てまで、世界の果てまで行かなければならないのだわ。ぼくを見つめながらロールが言いたかったのは、そのことだ。けれども、ぼくにはわからなかった。今これを綴っているのはロールのためだ。その夜、ゼータ号の甲板の索具の間に横になって、海の男たちの声と、同じクレオールの歌をひっきりなしに灸でるギターの音を即いていたとき吟感じがどんなふうだったか、言って聞かせてやるためだ。歌声には一時高くなった。たぶん風が出てきたせいだ。さもなければ、歌を歌っていた者が、港の暗闇のなかでこちらを向いたのだ。
ねえねえ、鉄砲貸しとくれ
あの鳥、今にも飛び立つところ
もしも運好く撃ち落とせたら
路銀がたんまり手に入る
行きの分も、帰りの分もヨーー
歌の文句を聞きながら、寝入ってしまった。
そして潮が満ちると、ゼータ号は音もなく帆を上げて、一番速い水路を目指して黒い海を滑り出した。それにはまるで気づかなかった。甲板の上のブラドメール船長の横に、頭をトランクに載せて寝たのだった。
目が覚めて、まぶしい太陽にくらくらしながらあたりを見回すと、もう陸はない。船の最後尾に行って手すりにもたれる。ありったけの注意をこめて海を見つめる。船体の下を滑っていく長い波、きらめく道のような航跡
を見つめる。この瞬間を長いこと待ちわびていたのだ!
心臓が激しく高鳴る。涙で目がうるむ。
ゼータ号は、波が通過するとゆっくり傾いでは、また
まっすぐになる。見渡すかぎりの海原だ。波間にできる
深い谷と、波頭の泡ばかりだ。船体を締めつける水の音
に、舶先にぶつかる波の轟音に、とりわけ帆を膨らませ
操帆具を軋ませる風の音に聞き入る。それはよく知って
いる音だ。ブーカンの大木のなかを吹き抜ける風の音だ
から。湧き上がってはサトウキビ畑まで広がってくる海
のざわめきだ。けれども、こんなふうにI人っきりで、
何の障害物もなしに、まったく自由にこれをきくのはは
じめてだ。
風に膨らんだ帆は美しい。ゼータ号は風上に向かって
進んでいく。白い帆布はぱたぱたと音を立てながら、上
から下へ波打っている。前部には、海鳥の翼のように先
細の三枚のジブがあり、それらが船を水平線のほうへと
導いていくようだ。ときおり西風が急に向きを変えると、
帆布が大砲の砲撃のように鳴り響きながら激しくめくれ、
ふたたびぴんと張る。海の音はどれもぼくを酔わせる。
光は目をくらませる。とりわけ海の青、この深くて暗い、
力強くきらきら光る青がある。風は渦を巻いてぼくを酔
わせる。波が舶先を包むとき、しぶきの塩辛い昧がする。
294
黄金探索者
1910年ロドリゲス島へ、
295
473 1922年ナヴア、マナ
ぼくたちはマナナヴアで、世の中の動きとは関わりなしに、幸福の日々を夢見ながら過ごした。ただ樹木や漿果や草や、赤い断崖からはとばしり出る泉の水だけにかかずらって、野蛮人のような生活をした。ノワール川の入江でザリガニを獲り、河口近くの平たい石の下では小エビやカニを獲った。年老いたクックの大将がしてくれた話、小エビを尻尾で掬い取るという猿のザコの話を思い出す。
ここでは万事が単純だ。明け方、まだ夜露に震えている森に分け入り、赤いグァバやオウトウやマダガスカループラムや牛の心臓を摘み、ブレッドーソンジュや野生のハヤトウリやマルソーヌを拾う。偉大なサカラヴーの時代、またサンゴールの時代に山の民が暮らしたぼくたちは住んでいる。「ほら見て!畑の跡よ。豚や子ヤギや雌鳥を飼っていたんだわ。ソラマメやレンズマメ、ヤマノイモやトウモロコシを植えていたんだわ」ウーマは崩れ落ちた石塀を指さす。それは藪に覆われた瓦裸の山である。溶岩の崖のすぐ横に、茨の茂みに隠れた洞穴の入口がある。ウーマが芳香を発する花を摘んでくる。そしてそれを自分の豊かな髪の、耳のうしろのあたりに差す。「カシの花よ」
滑らかな顔を縁取る黒髪を垂らし、洗って色槌せ継ぎを当てたガニーを身にまとった今ほど、ウーマが美しく見えたことはない。
もう黄金のことなどほとんど頭に浮かばない。手に入れたいとも思わない。砂金を洗う鉢を水源近くの川のほとりに置いたまま、ウーマに付いて森を駆け回っている。手に入れたいとも思わない。砂金を洗う鉢を水源近くの川のほとりに置いたまま、ウーマに付いて森を駆け回っている。着ているものは枝に引っかかって裂け、髪も鴛もロビンソンのようにぽうぼうだ。ヴァコアの小枝でウーマが帽子を編んでくれた。この出で立ちではだれにもぼくだとわからないだろう。
何度かノワール川の河口に降りたが、ガニーの女たちが反乱を起こしたというので、ウーマは人々を恐れている。それでも、明け方にタマランの河口まで行き、黒い砂の上を歩いた。その時間にはまだすべてが霧に包まれており、吹く風は冷たい。ヴァコアの茂みになかば隠れるようにして、高波がしぶきを散らしている荒れた海を眺める。世界にこれほど美しいものはない。
ときおりウーマは、「櫓」の方角や製塩所のほうへ魚を獲りに行って、弟に会う。晩には魚をもって帰り、水源近くの隠れ家でぼくたちはそれを焼いて食べる。
毎夕、海に日が沈む時刻に、熱帯鳥の到来を岩場でじっと待つ。まだ光に満ちた空のとても高いところを、星のようにゆっくりと舞いながら鳥たちはやって来る。マカベ山のほうの断崖の頂きに巣を作ったのだ。鳥たちはとても美しく、とても白く、海の風に乗って長いこと空を舞うので、空腹も疲労も明日の不安も忘れてしまう。あの鳥たちは永遠の命をもっているのではないか。ウーマによれば、あれは神を讃える歌を歌う二羽の鳥ということだ。毎日、日暮れ時になると、ぽくたちは熱帯鳥を待ち受ける。その姿を見ると幸福な気分になるからだ。
しかし夜になると、どこか不安な感じになる。くすんだ赤銅色のウーマの美しい顔は、ぼくたちの周囲には何一つ現実的なものはないとでもいうように、空ろな表情を見せる。何度も小声で、「私はいつかよそへ行く……」と言う。「どこへ?」しかしウーマはそれ以上何も言わない。
季節がめぐった。夏が一つ、そして冬が一つ。ずいぶん長い自分たち人間以外の人間に会っていない。以前のフオレストーサイドやポートールイスがどんな様子であったのかも忘れてしまった。マナナヴアは広大だ。外の世界にぼくをつなぎ止めているのはロール一人である。ロールの話をするとウーマは、「親しくなりたいわ」と言う。しかしすぐ続けて、「無理な話ね」と言う。ぼくはロールのことを話す。貧しい女たちのため、サトウキビ畑に釘付けにされている女たちのために、ロールがキュルピープやフロレアルの金持ちの家に金を恵んでもらいに行ったときのことを。死に瀕したインド人の老女たちのために屍衣を作ってやるために、立派な屋敷にぼろ切れをもらいに行ったときのことを。ウーマは言う。「あなたはロールといっしょに戻らなければならないわ」その澄んだ声にぽくの心は乱れ、辛くなる。
寒くて澄み切った夜だ。ロドリゲス島のイギリス湾の砂に寝ころんで、いっしょに満天の星を眺めたときのような冬の夜だ。
何もかも静まり返り、止まってしまった。地上の時間は宇宙の時間だ。ヴァコアの絨毯のうえに横になり、ウーマといっしょに車隊の毛布にくるまって、ぼくは星を眺めているノ曲‥の今にはオリオン星座。そしてアルゴ船の帆にぴったりと寄り添うようにおおいぬ座、そのなかで夜の太陽、シリウスが光っている。ぽくは星の話をするのが好きで(しかも我慢したりしない)、星の小道を歩きながら父に向かって星の名を唱えていたときのように、大きな声でいろんな名前を言ってみる。
「アルクトゥルス、デネボラ、ペラトリックス、ベテルギウス、アコマール、アンタレス、シヤウラ、アルタイル、アンドロメダ、フォマルハウト……」
突然、頭上の天空を、流星が雨のように降る。いたるところで夜の闇のなかに光の筋が走る。やがて消える。
ごく一瞬しか光らないものもあれば、その輝きが網膜に焼き付くほど長く光るものもある。よく見えるように立ち上がり、仰向けになるほど頭をうしろに倒し、まばゆい思いで眺める。ウーマの体が自分にぴったりと寄り添って震えているのがわかる。暖めてやろうとするが、ぼくの体を突き放す。顔に触れると、涙を流している。と、森のほうへ駆けて行き、空一面の火の筋を見なくてすむように木陰に隠れる。そばに行くと、怒りと疲労のこもったしわがれ声で話す。またきっと不幸なことが、戦争が起こるに違いない、と言う。母親の死のこと、どこに行っても追い出される山の民、今またよそに移らなければならない山の民のことを話す。ぽくはなだめようとする。「たかが隕石じゃないか」と言ってやりたい。しかし口にできない。それに、ほんとうに隕石にすぎないのだろうか?
凍てついた空を音もなく尾を引きながら流れていく星たちを、葉むらごしに眺める。もしかしたらふたたび戦争が起こるかもしれない。空かまた爆弾と火事の炎で輝くことになるかもしれない。
ぼくたちは、運命の兆候を見ずにすむ木陰で、長い時間ぴったりと身を寄せ合っている。やがて空はふたたび静かになり、また星が輝きはじめる。ウーマは岩場に戻りたがらない。毛布を掛けてやり、ぼくは無用な夜警のように、そばに座ったまま寝入ってしまう。
ウーマは行ってしまった。夜露の垂れている木の枝の庇の下には茣蓙代わりのヴァコアしか残っておらず、ウーマが寝た跡もすでに消えている。戻ってくると思いたい。思案しなくてすむように、小川のほとりまで行って洗い鉢を使って砂を洗う。まわりを蚊が飛んでいる。ムクドリが空を舞い、皮肉まじりの嗚き声で互いを呼び合つている。ときどき、僻蒼とした森のなかに、茂みを飛び越える若い女の影が見えたような気がする。しかしそれは、ぼくが近づいたために逃げ出したただの猿だ。
泳いだI赤いグァバを取りに行ったりした水源の近くで、毎日ウーマを待つ。草笛を吹きながら待つ。そんなふうに合図し合うことにしていたからだ。昔ドゥニを待っていた午後のことを思い出す。高く茂った雑草のなかに、「ヴィニ、ヴィニ、ヴィニ……」と繰り返す奇妙な虫の音にも似た合図が聞こえたものだ。
しかしここではだれも答えない。夜が到来し、谷間を覆う。周囲の山々だけが闇の上に浮かんでいる。フリースープエール山、マカベ山、そして遠くには、金属のような光沢の海を前にしてルヌ山。上げ潮とともに風が吹いてくる。峡谷に風がヒユーヒユー鳴り響くときにクックが口にしていたことを思い出す。「しっ!サカラヴーがうめいているぞ! 白人たちに山の上から突き落とされたからだ。あれは偉大なるサカラヴーの声だ!」
消えていく光に目を凝らして、ぽくはうめき声をじっと聞いている。背後の断崖の赤い岩はいぜんとして燃えるように熱く、その下に広がる谷には煙がもくもくと湧いている。森のなかから今にもウーマの足音が聞こえてきそうな、その体臭が匂ってきそうな感じが、始終している。
イギリス軍兵士がノワール川の難民収容所を取り囲んだ。数日来、だれも出入りできないように、収容所の周囲は有刺鉄線で取り囲まれてしまった。なかにいるロドリゲス島出身者、コモロ人、ディエゴースアレスやアガレガの出身者、インドやパキスタンのクーリーといった人々は、審査を受けるのを待っている。正式な書類をもっていない者は自分の国へ、島へ、帰らなければならなくなるだろう。収容所に入ってウーマを探し出そうとしたとき、一人のイギリス軍兵士からそう教えられる。兵士の背後に建ち並ぶ仮小屋の間には、埃の舞う日溜まりで遊ぶ子供たちの姿が見える。サトウキビ畑を焼かせ、怒りを燃え立たせ、人々を熱狂させるのは、貧困である。
ウーマに会えるのではないかと、長いこと収容所の前で待つ。日が暮れてもマナナヅアに戻ろうとは思わない。その夜寝たのは、ブーカンの昔のわが家の廃墟のシャルクの木、あの善悪の木の陰である。寝入る前には雨谷で鳴くヒキガエルの声が聞こえた。月が現れるとともに海風が吹きはじめ、草原が波立つ。
明け方、一人の監督とともに男たちがやって来た。ぼくを捕まえにきたとしたらまずいので、木の下に身を隠した。だが男たちが探しているのはぼくではなかった。木の切り株や大きな石を掘り起こす「死体」と呼ばれる鉄製の重い挺子をもっている。つるはしゃ斧ももっている。彼らとともにガニー姿の女たちのグループが、頭に鍬を載せてやって来た。馬に乗った二人の男が彼らに付き添っている。白人たちは、その指揮ぶりからだれだかわかる。一人は従兄のフェルディナンで、もう一人は私の知らないイギリス人、たぶん農地監察官なのだろう。
木陰の隠れ家から男たちの言葉は聞こえないが、何をしに来たかは容易にわかる。かつてのわが家の屋敷のうち最後まで残っていたわずかばかりの土地を開墾して、サトウキビ畑にしようというのだ。ぼくは何の感慨もなくその様子を眺めている。ここを追い出され、家具や行李を積んだ馬車に乗ってまっすぐな街道の土煙のなかをゆっくりと進んで行ったときに、皆がひしひしと感じていた絶望が思い出される。リュドヴイク伯父のことを、「あんな人なんか死んでしまえばいいのよ!」と何度も言っていたロールの声のなかに震えていた怒りが思い出れる。それを聞くマムも、もう諌めたりしなかった。
今思えば、ああしたことのすべてが、別の人生のなかで起こったことのようだ。馬に乗った二人の男は立ち去った。地面に打ち込まれるつるはしの音や岩を動かす挺子の軋み、それにまた、黒人たちが働きながら歌うスローでもの悲しい歌が、木々の葉むらに遮られて弱まってではあるが、ぼくの隠れている場所にも聞こえてくる。
太陽が真上に昇るころい空腹を感じて森にグァバや奴隷のナッツを探しに行く。収容所の牢獄のなかにいるウーマのことを思うと、胸が締めつけられる。そこで弟と合流することをウーマは選んだのだ。ノワール川の収容所から立ちのぼる煙が丘の上から見える。
ポートールイスに向かうトラックの列が立てる土煙が街道に見えたのは、夕方だった。最後のトラックが通りすぎるときに街道に出たが、暑苦しさのために半開きになった幌の下に、陰影で疲れ切った、埃まみれの顔がいくつも見える。皆、連れられて行くのだ、ウーマも連れられて行くのだ、どこか知らないけれども、とにかくよそへ。もう水や米や仕事を欲しがることのないように、白人の畑に火を放ったりしないように、船倉に入れられ、自分たちの国へ連れ戻されるのだ。土煙で何も見えない街道をぼくはひとしきり駆けた。しかし息が切れ、脇腹が痛くなって、立ち止まる。周りでは、大人や子供がふしぎそうにこちらを見ている。
長いこと川岸をぶらつく。頭上には、海辺に立つ見張り台のような、切り立った岩の「櫓」がそびえている。藪を突っ切ってエトワールまで登って行く途中、三十年前にわが家を倒壊させた大きなサイクロンが迫ってくるのを眺めたまさにその場所を通りかかる。後方の水平線からは雲や煙が湧き出て、稲妻と雨をはらんだ雲がたなびいている。あの風の唸りを、迫りくるあの大災害の音を、まさに今聞いている気がする。
どんなふうにしてポートールイスに着いたのだろう?
日差しのなか、軍用トラックの通った跡をへとへとになるまで歩いた。荷車からこぼれ落ちたサトウキビ、インド人の女が住む小屋でもらったわずかばかりのライスやお碗一杯のキールなど、道端で見つかるものを食べた。集落を避けたのは、子供たちにからかわれるのが嫌だし、いぜん放火犯を追跡中の警察を恐れたからだ。池の水を飲んでは、辿端の藪のなかやサーブル岬の砂丘に隠れて寝た。夜になると、まだウーマといっしょにいるかのように、海で泳いで火照る体を冷やした。波に揺られながらとてもゆっくりと泳いだ。眠っているような感じだった。そのあと体に砂を振りかけて、それが風で乾いていくつもの筋になって落ちるのを待った。
港に着くと、すでにロドリゲスやコモロやアガレガの人々の乗り込んだ船が見えた。アブドールニフソール所有の真新しい大きな船で、ユニオンーラーディーグ号という名前だ。錨地のかなり遠くのほうに浮かんでいて、だれも近づくことはできない。イギリス人兵士が税関の建物と保税倉庫を警備している。経理局の木の下で浮浪者や酔っぱらった水夫に混じって、一晩中待った。朝の灰色の光で目が覚めた。波止場にはもうだれもいなかった。兵士たちはトラックでフォートージョージに戻ってしまっていた。日がゆっくりと昇っても、まるで休日のように波止場はがらんとしたままだった。ユニオンーラ・ティーク号は錨を上げ、煙を噴きながら静かな海を航行しはじめた。マストの周囲を海鳥が舞っている。まず西に方向を取り、小さな点になるまで遠ざかってから旋回して、水平線の向こう、北の方角に姿を消した。
またもぼくが戻って行くのはマナナヴア、この世で最も神秘的な場所だ。今も覚えているが、ぽくはかつて夜が生まれるのはここだと思っていた。そのあと夜は、川伝いに海まで流れて行くのだと思っていた。
濡れた森のなかを、せせらぎに沿ってゆっくりと歩く。
どこに行っても自分の周囲に、ウーマがいるように感じる。黒檀の木陰では、葉むらの匂いにウーマの体臭が混じっているような気がする。風のなかにウーマの足音が聞こえるように思える。
水源のそばにじっとしている。小石の上を流れる水の音が聞こえる。梢が風にそよいできらめく。雲の切れ目からまぶしい空か、澄んだ光が見える。ここで何を期待することができるだろう? マナナヴアは死の場所だ、だからこそ人々は足を踏み入れようとはしないのだ。ここは、今ではただの亡霊となったサカラヴーと黒人の脱走奴隷たちの領分だ。
ぼくは急いで、この世における自分の形跡に他ならない身の回り品、カーキ色の毛布や、兵隊用の背嚢や、鉢、濾過器、王水の瓶といった砂金採集者の小道具を掻き集める。ウーマが教えてくれたように、自分の体の跡や火の跡を細心に消して、ゴミは地中に埋める。
西の方角の風景が輝いている。遠くのほう、テールールージュ山の向こうに、ブーカンの谷が黒い斑点のように見える。土地が開墾されて焼かれている。猟場を突き抜けてトロワーマメル山まで上っていく道を思い出す。
サトウキビのなかを貫いてケーンズーカントンに通じる土の街道を思い出す。もしかしたらロールがぼくを待っているかもしれない。’あるいは待っていないかもしれない。ぼくが到着したら、別れたのがつい昨日のことのように、ロールには時間など存在しないように、またもや何か皮肉でおかしな文句を言ってみせるだろう。
日暮れになってノワール川の河口に着く。水は黒く滑らかで、風はまったくない。水平線近くを何般かのカヌーが、風向きを知るのに舵柄に三角帆を付けて滑っていく。海鳥が南からも北からもやって来て、不安そうな鳴き声を立てながら水面すれすれのところですれ違っている。まだ残っていた財宝関係の書類、地図だの、素描だの、ここモーリシャスやロドリゲス島で書いたメモ帳などを、背嚢から取り出して浜辺で焼く。砂に寄せる波が灰を運び去る。今、ぽくには、イギリス湾の雨谷の隠し場から財宝を取り出した「海賊」が、まさに今の自分と同じことをしたのだとわかる。つまり何もかも破壊して、海に投げ捨てたのだ。こうしてある日、殺戮と武勲を重ねたあと彼はかつての場所に戻ってきて、自分の創造したものを破壊した、ついに自由を得るために。
暗い浜辺を「櫓」に向かって歩く。もうぼくには何もない。
「櫓」の手前のエトワールの丘に、夜を過ごす場所を定めた。右手には、すでに闇に包まれたブーカンの谷が見える。その少し向こうには、煙を吐いているイエメンの「煙突」が見える。人夫たちはすでにわが家の屋敷があった土地を掃除し終えただろうか? たぶん大きなシャルクの木も斧で倒してしまっただろう、ぼくたちのあの善悪の木も。だとすると、地上にはもうぼくたちの痕跡は何も残っていないはずだ、ただ一つの目印も、もケ存在しないのだ。
マムのことを思う。今もマムがどこかに、雲のような蚊帳の下に置かれた銅製の大きなベッドに、ただ一人で眠っているような気がする。できればマムと、永遠に続くあれこれのものについて話したい コバルトーブルーの屋根をして、蜃気楼のように壊れやすく透明なわが家のこと、鳥がたくさんいる夕暮れの庭、雨谷、それにマナナヴアの人口に立っている善悪の木のことも。
またもぼくは、大きなサイクロンが迫ってくるのを眺めた場所に来ている。それは、ぽくたちがあの家から追い出され、新たに生まれ変わろうとするかのように世の中に放り出された、ぽくが八歳のころのことだった。エトワールの丘の上で、ぼくは自分のなかで海の音が高まるのを感じている。ぼくがせっかく財宝の代わりに見つけたのに、自分の島に帰ってしまった「百合の花ナダ」のことをロールに話してやりたい。人が自由でいられる広大な海をピラミッドのてっぺんから眺めていたときのように、ぽくの旅の話を聞いてロールが目を輝かせるところを見てみたい。
ぼくの船を選びに港に行こう。ぽくの船はこんな船だ!ほっそりと軽やかな船体をして、大きな翼をもつグンカンドリに似ている。その名はアルゴだ。夕暮れの黒い海を、鳥たちに囲まれてゆっくりと沖に向かっていく。まもなく夜になり、星の下を、空に描かれたみずからの運命に導かれて航行していく。ぼくは船尾の甲板のトよy風に吹かれながら、触左に当たる波や帆に吹きっけ
るすさまじい風の音に耳を澄ましている。舵手はだれに聞かせるわけでもない、あの単調で果てしのない歌を口ずさんでいる。船倉でダイスの勝負をしている水夫たちの声が聞こえる。海の上にいるのはぼくたちだけだ。命あるものはぼくたちしかいない。そのときウーマがふたたびぼくとともにいて、その体臭や息が感じられ、心臓の鼓動が聞こえる。ぽくたちはいっしょにどこまで行くのだろう!!アガレガか、アルダブラか、フアンーデーノヴアか? もしかすると、禁を破って、ブラドメール船長と彼の舵手が安らぎの場を見出したサンーブランドンまで行くのだろうか? 世界の向こう側にあって、空に現れる前兆も、人間たちの引き起こす戦争も、もう恐れたりせずにすむ場所まで?
今は夜だ。ぼくは押し寄せてくる海の激しいとどろきを、体の隅々まで沁み渡るように聞いている。
480黄金探索者
『黄金探索者』解説 中地義和
ル・クレジオ(名はシャンHマリーギュスターヴ、一九四〇年生まれ)は、一九五〇年代に隆盛を極めたいわゆる「ヌーヴォー・ロマン」がいぜんフランス小説の表舞台を占めていた六三年、「調書」をもって文壇に登場し、フランスの主要な文学賞のひとつ、ルノドー賞を受賞するとともに、ゴンクール賞を一票差で逃したことで話題を集めた。以来四十五年になる。その間、最新作『空腹のリトルネロ』(仮題、二〇〇八年)にいたるまで、長篇小説十七作、短篇集五冊、インディオ神話の翻訳・研究、エッセイ集、旅行記、対談集、そしてカンヌ映画祭第六十回を記念して刊行された映画論集『シネマ逍遥』(仮題、二〇〇七年)と、ほぼ毎年一冊のペースで、それぞれに充実した五十冊近い本を書いた。 ‘
二〇〇八年のノーベル文学賞をルークレジオに授与することを告知するスウェーデンーアカデミーーのコミュニケには、「断絶の作家」ecrivain dq。la rupture(英語版では「新たな出発の作家」auth orofnew departures)といういくぶん不分明な表現が含まれていた。これは、作家自身が従来の自分と断絶しながら一度ならず変貌を遂げることを意味するのか、それとも、一連の脱皮を遂げて成長していく人物たちを描く作家という意味なのか、あるいはその両義を掛けているのか……ゝ」の種のキャッチフレーズに付き物のあいまいさは払拭しがたいが、これらの表現は少なくとも表層的には、半世紀近く
にわたる作家の軌跡の一面を衝いている
○
断絶の作家?
デビュー後十年余、一九七〇年代半ばまでのルークレジオの小説の多くは、現代都市の周辺に逼塞して、物質文明が及ぼす暴力におののき、無力を承知でそれに呪誼を投げかける青年の日常を、プロットや劇的展開に背を向けた単調で執拗な叙述に託して描く反小説であった(「調書」「発熱」)。さもなければ、空想や幻覚を通して、広大な時間と空間を主人公に踏破させながら、そのようなものをわざわざ書く必要があるのかと自問する小説、小説そのものを考える小説であった(「逃亡の書」)。これらは初期のル・クレジオを、同時代のヌーヴォー・’ロマンの作家たちに近づける特質である。その反面、これらの作品は、作家の分身と思われる人物を規定する実存的不安や鮮明な文明批判により、また、作者自身が後年「悪ふざけ」と形容したいかにも若者らしい挑発により、ヌーヅオー・ロマンとは明確な一線を画してもいた。
作家ルークレジオの最初の大きな「断絶」ないし「新たな出発」は、インディオ世界の発見を挟んで、七〇年代後半に訪れる。それは、短篇小説集『海を見たことがなかった少年』と、ジャンルを越えた詩的散文集『地上の見知らぬ少年』が示すところだ。そこでは、物質文明への反抗や呪誼は影を潜め、世界そのものが無垢で手つかずの自然と化し、五感と想像力を全開してそうした世界と苦もなく融和する子供の感性に、作家は自らの憧憬を投影していた。
しかし、そのような葛藤のない、いわばルソー風の自然のなかにいつまでも安住することは叶わない。ルークレジオの全作品のなかでもひとつの頂点をなす『砂漠』(八〇年)が、第二の大きな「断絶」ないし「出発」を画する。二十世紀初頭、フランスによる植民地化に粘り強い抵抗を続けた末に滅亡するサハラ砂漠の民の物語である。これを着想させたのは、良くアフリカに暮らした父親の存在であり、幼時から親しんだシヤルルードーフーコーの旅行記やテオドールーモノ、ミシェルーレリスらの著作から受けた触発であり、また、フランス保護領の時期のモロッコに自ら赴いた五三年の旅の経験である。この堂々たる長篇小説をもって、ルークレジオのフィクションは歴史的次元を獲得する。
しかも、一方では歴史の枠組に溶かし込まれた宗教的夢想が、他方ではベルベル人の滅亡の歴史と彼らの末裔である現代の少女ララの遍歴をパラレルに進行させる物語構成が、従来の作品にはなかった時空の広がりと視線の深さをこれに付与する。そこには、七〇年代後半の透明な作品からは排除されていた荒々しい葛藤や突き刺すような痛みが回帰している。ただし、砂漠の民やララの眼を通して西欧文明に向けられる批判は、初期作品の主人公がそれにじかに投げつけていた呪誼よりもはるかに抑制されて、しかも揺るぎない。砂漠の民は物質文明に依拠せず、それゆえ西欧の武力にかかっては滅ぶしかないのだが、この小説はそのような彼らのあくまでも敬虔で高貴な精神を称える。
砂漠の民の物語はまた、作家の妻ジェミアの父祖の物語でもある。その意味で、『砂漠』は、後続の一連の自伝的作品の、いや以後のルークレジオの作品全般に共通する広義の自伝からの発想の、重要な契機となったと考えられる。
このように、四十五年にわたるルークレジオの創作の前期においてすでにふたつの大きな転換点を認めることができるのだが、これらの「新たな出発」は、はたして「断絶」なのか。むしろ表層の断絶の裏に一貫した太い流れが存在すると考えられないか。なぜなら、初期作品に繰り返し登場するマージナルな青年も、七〇年代後半の作品に頻鴇する「子供」も、『砂漠』の少女ララや抗戦する部族の少年ヌールも、ともに作家の実存感覚や願望を託された分身であるからだ。彼らは、合理主義とテクノロジーを奉じる西欧文明の周縁に位置して、これに異議申し立てを行ない、それが排除した価値を体現する存在である。ルークレジオにあって西欧中心主義を相対化する姿勢を最も顕著に示すのは、『悪魔祓い』から、『マヤ神話』や『チチメカ神話』の翻訳・研究を経て、『メキシコの夢』や『歌の祭り』にいたる、中米インディオ世界への一貫した関心である。しかしそれは、作家と一文明との間に特別な親和力が働いたというにとどまるものではない。八〇年代半ば以降の小説の多くが非西欧、それも旧植民地を舞台とし、フランスや西欧を外部から捉える視線に根ざしているのを見れば、西欧内部からの文明批判も、インディオへの関心も、旧植民地から西欧を捉える視線もそっくりそこに包含されるような、ある根源的な希求がこの作家を動かしているに違いない。ただしその内実は、作家自身にも最初から自明ではない。それは作風の変容を通じて、自分を裸形にしていくようなエクリチュールの追求を通じて、しだいに形をなすものだ。
小説の背景
『砂漠』の五年後に刊行された本書『黄金探索者』は、小説への歴史の取り込みという前作での試みの変奏といえる。ただし、ここで問題となるのは、二民族や一部族の歴史ではなく、作家自身と父祖の個人的記憶である。「黄金探索者の小説-私かかつて書きたい気持ちを抱いた唯一の自伝的物語」―小説執筆の時期の張りつめた意欲を、作者はそう表現している。それから四半世紀近くの時間が流れ、われわれは今日、『黄金探索者』がル・クレジオの唯一の自伝的物語ではなく、一連の自伝的物語の口火を切る作品であったことを知っている。幼時の記憶を掘り起こし、先祖の過去に分け入りながら、自分を超えるものに自分を結びなおす企ては、『黄金探索者』。の続篇である二作-『隔離』(九五年、未訳)と「回帰」(○三年)-のみならず、これ以後のル・クレジオの作品の多くに共通するテーマとなる。そのような作品群の起点に位置する『黄金探索者』はいかに構想されたのか。
ほぼ二十年にわたって書き継がれた『黄金探索者』『隔離』『回帰』の三作は、ともにインド洋上のマスカレーニユ諸島(レユニオン、モーリシャス、ロドリゲスの三島)を物語の舞台として、ル・クレジオにおける[モーリシャス小説群]あるいは「一族の叙事詩」を形成する。作家の先祖フランツワ=アレクシール・クレジオは、十八世紀末に当時「フランス島」と呼ばれていたモーリシャス島に移住し、作家ルークレジオはその六世代目にあたる。フランス島は一八一四年にイギリス領となり、住民はイギリス国籍を取得するか島を去るかの選択を余儀なくされる。作家の先祖は大英帝国民になることを選んだ。一家は島で繁栄し、十九世紀半ばに広大な屋敷「ウーレカ」を所有するが、二十世紀初頭に反目ないし破産による一族の分裂が起こり、作家の直接の先祖は、生まれてこのかた慣れ親しんできた家を去ることを余儀なくされる。モーリシャスで裁判官職にあった祖父の代のことである。
その息子でやがて作家の父になるラウルは、イギリスで熱帯医学を修め、英領ギアナで数年医師として働いたあと、大英帝国派遣の医師としてアフリカ大陸中西部のニジェール川流域に赴き、定年を迎えるまでそこで地域医療に従事する。作家のおじの一人はトリニダードートバゴに、別のおじはギアナに移り住み、おばの一人は南アフリカに移住するという具合に、一族は文字どおり世界中に四散した。島に残った者も貧窮に甘んじることを免れなかった。一族の屋敷からの追放の仔細については、相互に矛盾を呈する情報が錯綜して、作家自身にも真実の一割程度しかわからないという。作家の両親は従兄妹同士であるが、父親がイギリス国籍、母親はフランス国籍である。作家自身は英仏両国籍を有していたが、一九六八年にモーリシャスが英連邦王国の一員として独立したのちは(九二年にはモーリシャス共和国となった)、フランスとモーリシャスの両国籍をもつ。
南仏ニースに生まれたルークレジオは、父親が不在の家庭で、一歳半年上の兄とともに、母親と祖母の手で自由奔放に育てられる。しかし父親が五十歳の定年を迎えて帰国すると、環境は一変する。生活万般にわたってモーリシャス風が取り入れられ、茄でたかぼちゃの葉やハヤトウリやフダンソウをおかずにして摂る米が主食で、他の子供たちが日ごろ食べているフライトポテト付きのステーキが食卓に載ることなどない。家に冷蔵庫がないのでアイスクリームを□にすることもない。果ては、クリスマスは異教徒の祭りだから祝ってはならないとされる。幼いルークレジオを苛んだのは、オリジンの問題というよりは自身の「奇異さ」の問題、自分の場所にいながら「異分子」のように感じてし
まう自己意識であった。家庭内に遍在しながら自分がそこから切り離されている「モーリス(モーリジャズ)」は、彼のうちに深刻な分断を生んだ。また、父のアフリカ赴任中、その不在が寂しさを募らせることはなかったが、どこか定かではないけれどもたしかに存在する「ニジェール(ナイジェリア)」の名は、遠い場所への夢想を掻き立てた。
このような来歴と家庭環境が、自分のルーツや世界の輪郭をめぐる少年ル・クレジオの関心と想像力を養い、強く方向づけたことは容易に推測できる。それらは、作家自身がしばしば言及する生々しい戦争の記憶や読書体験(旅行記、冒険小説、『会話辞典』全十五巻の読破)にもまして、彼の形成に決定的な力を及ぼしているはずだ。地中海に面した都会ニースに生まれ育ったル・クレジオは、仰々しい記念建造物が少なく、なかば村のようにのどかな一面を残すこの町に、幼少時から抱いてきた愛着を表明することをためらわない。しかし彼の根底には、自分が元来いるべき場所から切り離されているという感覚が根を張り、その疎外感と向き合うことが小説家としての出発点となった。ただし、それは初期作品では、ニースの町のもうひとつの側面卜海岸沿いに植わる榔子の木や、芝居の書割めいたロココ風の建物や、薔薇色の正面をもつ薄っぺらな建物を誇示するリゾート都市の側面-―が掻き立てる閉塞感と、それへの激しい反発という形でしか表現されなかった。「私は自分を閉じ込めているサルトル的な地獄と向き合っていました。【……】奇妙な思いを抱いていました、この世界に根っから属しているわけではない、ここではよそ者として苦痛を味わうしかないという思いです」
『ロドリゲス島への旅』と『黄金探索者』-一体化幻想の二つの次元
四十代を迎えた作家は、内なる分断を修復する手立てとして、もはや周囲の世界に挑発的な呪誼を浴びせる道は採らず、はるかに地味な、しかし腰の据わった手段を選ぶ。それは、自分の誕生以前に生きて自分の存在を規定している父祖の記憶に分け入り、彼らを動かしていた想念、感情、いやその息遣いまでも蘇らせながら、自分を彼らに結び直す企てである。それには、小説的想像力とフィクションの構築が何よりも有効であるという確信をもっていた。
『黄金探索者』の主人公アレクシのモデルは、作家の父方の祖父レオンである(ただし人物名には、生前知る機会のあった母方の祖父の名が採用されている)。モーリシャス島の裁判官であったこの人物は、二十世紀初頭(一九〇二年)、五十歳を目前にして、未知の海賊が近隣の島に隠した財宝の探索という一風変わった冒険に乗り出す。探索は中断を挿んで三十年近く続くが、結局何も見つからず、レオンは「年齢による疲労のためというよりはむしろ気力を失って」探索の継続を断念する。小説刊行直後のインタヴューと、翌年に刊行された『ロドリゲス島への旅』で作家が語るように、このユニークな祖父は、作家が物心ついてこのかた、家族の伝説的存在になっていた。「本物の財宝が入った行李のような」祖父の遺品、財宝関連の書類が詰まった「鉛の古いアタッシェケース」を目にするたびに、孫は、祖父の途方もない夢が呼び起こす眩惑を味わった。
私の興味を引いたのは、祖父がその生涯を夢のなかで過ごしたということです。私も祖父といっしょに少しばかりその夢を見たかった。この小説はその夢の結果です。[……]私は自分のものではない過去とともに成長しました。しかしその過去は、強い喚起力によって、私のなかに深く根づいていました。[……]祖父がひとつの妄想のなかにすべてをなげうったのに対し、私は、夢見ることですべてを取り戻そうと試みています。
この数行は、作者が実存的次元でこの小説に賭けているものの諸相を、わずかな言葉で語り尽くしている。第一に、怪しげな文書を頼りに祖父が半生を費やした財宝探索が、一族の分裂で失った屋敷を取り戻す夢に根ざしていたこと。第二に、祖父を突き動かしていた情熱を生き直し同化する想像力が、小説『黄金探索者』を生む原動力となっていること。第三に、逆に『黄金探索者』を書くことは、作家にとって、祖父と一体化する、そして幼少時より抱えてきた異分子の意識や分断の感覚を克服する実存的契機であったこと。第四に、フィクション構築(小説執筆)を通じて祖父に一体化する試みが、広く父祖を虚無や忘却から救い出す意図に基づいていること。
『砂漠』刊行の翌年の一九八一年にルークレジオは、『黄金探索者』の構想を携えてモーリシャスとロドリゲスを訪れる。モーリシャスにはこれより二十年前に一度来ており、これが父祖の土地への最初の訪問ではない。しかしこの二度目の訪問が、文学的企図と実存的希求という二重のの厳粛な旅であったことは、この旅の問に書き綴られた日付のない日記の体裁を採る『ロドリゲス島への旅』の熱烈な筆致が示すところである。
ル・クレジオは、祖父が探索を行なったロドリゲス島のイギリス湾で、財宝関連文書をたえず参照しながら祖父の身ぶりを模倣する。祖父が探索の一瞬一瞬に味わった期待や失望を追体験しようとする。そうしながら、自身の心に去来する感情や想念を克明に記録する。原文で百三十ページほど、大きな活字を使った邦訳でも二百ページ余のこの小さな書物は、『黄金探索者』の最良の解説になっている。それはフィクションと作者の実存との関係(小説はいかにして構想されたか)を明かし、小説のかたわらで日記を書く必然性(なぜ作者は小説の人物を通して間接的に自己を表現することで満足せず、自らの声で語ることを望んだのか)を語る。そこにはたとえば次のような告白が読まれる。
この現実は、それを書いてみよう(よりよく理解するために)という考えが浮かぶ以前から、一個の夢であった。見たい、触れたい、肉体を通して一体化したいという願望であった。私は確信するのだが、私の望んだことは、最初から、祖父の肉体のなかで生き直すこと、自分がその生きたひとかけらである彼になることであった。
先はどのインタヅユーにもうかがえた、ほとんど身体的な一体化の願望が、パセティックの度を加えて表明されている。ロドリゲス島で味わう祖父との一体感は二度、三度と変奏されるが、なかでも驚くべきは、かつて祖父の探索を手伝ったころには十歳の少年であったフリッツーカステルという老人とのヴィーナス岬での対面の瞬間である。
いま思い出しているのは、ヴィーナス岬の頂でのフリッツーカステルとの最初の出会いである。不思議なことだが、彼がすぐ私か誰であるか見てとったことに、私は驚きさえしなかった。彼には、私がきっと戻ってくるはずだとわかっていたのではないだろうか。
自分が祖父の化身=亡霊であるとフリッツは即座に見てとったし、そのフリッツの反応はごく当然に思われた、と作家は語っている。もちろんフリッツは、かつての「黄金探索者」の孫がはるばる訪ねてくることを予め知らされていただろうし、この遭遇じたいがひとつの演出の産物であることは容易に推察できる。フリッツの平然とした反応はおそらくはそのせいだ。しかし作家は、フリッツは祖父の生き返りを自分に見た、と解釈したがっている。一体化の希求は幻想の部分を増幅しながら、パセティックの色を強める。そして昂揚の極ともいえる一瞬には、祖父を超えて、祖父が一体化を図った海賊と一体化する幻想が語られる。
この鉱物的な風景のなかに、この風、この太陽、この光とともにあって、束の間私は、自分の探している人間その人であったのだ!・ もはや私ではなく、私の祖父でもなく、見知らぬ〈私掠船船長〉であったのだ。
一方、小説『黄金探索者』において主人公が未知の海賊との一体感を味わう瞬間、「黄金」は明らかに変質している。財宝探しは、それを隠匿した海賊の気配を感じ、その男に近づく情熱にすり替わっている。
地面に横になり、目を見開いて空の中心と気持ちを通い合わせているうちに、かつて感じた夜の自由をとうとう取り戻した。[……]すいぶん昔におそらくこの浜辺で眠ったであろう、見知らぬ「海賊」のことを思う。[……]その男が平和と安らぎを味わったのはここなのだ。星空を眺めているうちに目くるめくような感覚に囚われて、ぼくは時を超えた。未知の「海賊」はまさにゝる。彼はぽくのなかで息づいている。ぼくは彼のまなざしを通して空を眺めている。
「黄金」が物質性を剥ぎ取られ、海賊との一体感へと、ひいては世界との融和の感情へと横滑りしていく点が、この小説のひとつの鍵をなすが、こうした変質は、実存のレベルで、祖父が探索を行なった峡谷にはじめて降りたときに作家が覚えた衝撃的な直感に根ざしている。「はじめて峡谷のなかに入ったとき、自分の探しているのは黄金ではなく、ひとつの亡霊、何かひとつの思い出のようなもの、欲望のようなものであることがわかった」
しかし、海賊の道しるべをひとつずつ解読しながら祖父が生きたのと同じ昂揚を生き直そうとする作家には同時に、自分を編している自覚もある。「だが私は、たえず自分が自分自身を馴していることにも気づいていた。この谷には何もないことに気づいていた。いまではそんなことは十分承知だ。
夢を共有することなどありえないのだから」こうして作家は、未知の海賊の秘密に肉薄しようとする祖父の企てと同じく、彼自身が試みる祖父との一体化も、失敗にしか行き着かないことを認める。しかし、たとえどちらも幻想にすぎないにせよ、祖父の「探索」の延長上に自分の「調査」が位置していると感じられるとき、祖父の妄想じみた夢をも、彼自身が幼少時から内に抱えてきた疎外感をもともに正当化してくれるような、ひとっの大きな流れを見出した実感を得る。
思うに、祖父の財宝探索譚はすべて、この家を失ったことに端を発る。[……]この放遂のせいで祖父の家族は自己をつなぎ止める絆を失い、土地をもたぬ流浪の民となる。【……】〈ウーレカ〉の喪失はまた、この私にも関わっている。私が遠くで生まれ、自身の根から切り離され、あの疎外感のなか、自分はどこにも属していないという感情のなかで成長したのは、それによるのだから。こうして、かたや、世界の果てで新しい家庭を築くため、ブルターニュを離れ、二本マストの小帆船エスペランス号に乗って船出した私の遠い先祖フランソワの挑戦に対して、もう一方では、痛恨のこもる反響さながらに、家を放棄し子孫とともにふたたび流浪の道をたどる祖父の、拒絶の身ぶりが応じるのだ。
叙事詩の変容-『黄金探索者』以後
作家の実存のレベルで「黄金探索者」に賭けられているのは、途方もない夢に半生を費やした祖父をフィクションの人物として蘇らす作業を通して、たとえ否定的な運動であれ、持続し回帰する流浪の大きな流れに、つまり一族が意志的に選び取る運命に、参入することである。それは祖父の狂気じみた夢を忘却の闇から救い出すと同時に、自身が幼少時から抱えてきた帰属の喪失感を修復することを意味した。主人公アレクシは作家の祖父の像をそのままなぞっているわけではない。最も見やすい差異を挙げれば、作家の祖父が財宝探索を始めるのは五十歳近くになってからであるのに対し、はじめてロドリゲス島に出かけるアレクシはわずか十八歳という若さである。この年齢はむしろ作家の父ラウルが一族の屋敷〈ウーレカ〉を去った年齢に近く、アレクシの造形にはおそらく、祖父の像をベースに、やはり意志的な流誦を貫いた父親の像が重ねられているのだろう。
そのアレクシの一人称語りには、作家のペンに乗り移った祖父の声と、祖父の□を借りて語る作家の声とが、憑依的ともいえるトーンのなかで溶け合っている。終始疼くような響きを伴うこの一人称語りは、数あるルークレジオの作品中で後にも先にも類のないものだ。ルークレジオは『黄金探索者』の続篇として、『隔離』(九五年)と『回帰』(○三年)を書く。ここではこれらの細部に立ち入った分析はできないので、『黄金探索者』との比較で際立つ語りの構造の変化に着目するにとどめよう。
『黄金探索者』が作家の父方の祖父レオンをモデルとするのに対し、『隔離』は、レオンとは双子の兄弟であった母方の祖父アレクシが、一八九一年、医師として身を立てているフランスからモーリシャスに一時帰国する船の上で遭遇した天然痘騒ぎと、それに伴う乗組一同の検疫隔離という実話に素材をとる。祖父アレクシをモデルとする人物ジャックには八歳年少の弟レオンかおり、小説の約七割を占める中心部は、隔離生活の模様をレオンの目から日記形式で描いている。これを両側から挟む形で、小説の冒頭と末尾のそれぞれ約五十ページは、ジャックを祖父に、レオンを大叔父にもち、自らもレオンと名乗る現代の話者(小説の一次的話者)の一人称語りになっている。この話者は、一九八〇年現在で作者ルークレジオと同じく四十歳であり、父祖の地モーリシャスに格別のこだわりをもち、名の共通性が暗示するように、謎を秘めた大叔父レオンに強く惹かれている。彼は作家の分身的存在で
あり、大叔父を一体化の対象として追い求める点で、『黄金探索者』における作者と祖父の関係を変奏しているのは間違いない。しかも『黄金探索者』のモデル(祖父)にも主人公にも謎の海賊という一体化の対象が存在したように、『隔離』の大叔父レオンにも(そしてジャックの妻シュザンヌら他の人物にも)、彼が生涯で二度だけ遭遇するランボーという憧憬の対象が存在する。
このように一体化の欲求を軸とした人物配置の類似にもかかわらず、『黄金探索者』に比して『隔離』で際立つ特徴のひとつは、作者の分身が登場人物として小説内に位置している点である。現代の話者レオンは、大叔父レオンに惹かれ、彼を追い求めるのみならず、その牽引を小説のなかでコメントする。つまり『隔離』には、『黄金探索者』にとっての『ロドリゲス島への旅』のような、作者が肉声でモデルへの一体化の願望を表明する付随的テクストが存在しないかわりに、作家は小説の出発点にあった父祖への肉薄という自身の実存的動機づけそのものを小説化しているのである。いきおい、小説は『黄金探索者』に見られたような単旋律の抒情的語りから、ふたりのレオンの声が、二種の一人称が、交代し併存する対位法的語りへと踏み出す。
この傾向は、『回帰』ではさらに推し進められる。『隔離』と同じく小説の冒頭と末尾には作者の分身と思しい人物が配されるが、もはや一人称で語ることを許されず、他の人物と同様に三人称で描かれる。これにより作者の抒情の直接的介入はさらに後退し、小説は、さまざまな時代の先祖や彼らを取り巻く人々の声が交差する多声的交響的な空間となる。一人称語りが許されるのは、フランス島に一族の新天地を拓いたフランソワ日アレクシをモデルとするシャン日ウードーマロが語る活喩法(死者や不在者、動植物や無生物に言葉を付与する修辞)に限られる。『回帰』にも、『ロドリゲス島への旅』に見られたような、先祖が子孫の肉体に宿ってもどってくるという考え方の表明があり、それが表題「回帰」のひとつの意味をなす。ただし。そうした観念はもはや小説を駆動させるパセティックな動機としては働かず、現代のレオンが子供のころに大叔母から教え込まれたモラルとして対象化されている(「忘れるんじゃない、お前はロジリスのマロだよ。私と同じさ。何もかも捨ててモーリシャスに住み着いたマロの子孫だ。お前も同じ血筋、お前はあのお方だ。[……]お前のなかにいるのはあのお方、お前のなかに、お前の人生に、お前の考えに宿ろうと戻ってきたのはあのお方だよ」)。
ル・クレジオの「モーリシャス小説」三部作が描く軌跡は、一体化を志向するパセティックな抒情の相対化、小説世界への作者の分身の統合、小説の規模の拡張と語りの多声化による壮大な叙事詩への志向、といった点に要約できる。この軌跡は、フィクションの構築を通じて自分の内なる分断を修復し、自分を超えるものに自分を結び直すという作家の当初の実存的希求が創作を通じて満たされたことを物語っている。この軌跡はまた、作家と父祖の土地との現実的関係に生じた変化に対応すると思われる。一九八一年の取材旅行以後、作家は毎年のようにモーリシャス島を訪れ、幼少時にあれほど悩んだ帰属すべき場所からの疎隔は癒され、遅ればせにもこの土地に親しみ、根を下ろすということが実現しているからである。しかしこの修復、この治癒はまた、父祖の土地との想像的距離の廃棄にもつながり、文学的にはある種の危険を含んでいる。事実『回帰』は、ひとつの達成であるとともに、それ以上の展開がありえない飽和を示してもい・るからである。
問いとしての文学
いかなる作家も自分がよく知っている世界しか描きえないし、彼の創造する人物たちは皆、ある意味で彼の分身である。だが、ルークレジオの人物たちが、そうした一般論を超えて紛れもなく作家の分身と言えるのは、彼の一作一作が自己をめぐる、そして世界をめぐる問いをはらんでいるからだ。
逆に、世界への問いは、自分が身をもって生きた体験や考察を通じてしか提起されない。大上段に構えた抽象論ではなく、むしろ極私的な感覚や思索から出発する問いである。それは、以上に素描した「モーリシャス小説」に限らない。たとえば、八歳のころ、一歳半年上の兄とともに母親に連れられ、大英帝国から派遣された軍医であった父に会いにナイジェリアまで行った船旅とヽアフリカ0 大地で過ごした約一年の鮮烈な記憶に基づく、紛れもない自伝小説『オニチャ』(九一年)や、定年後生まれ故郷のモーリシャスではなくニースに戻り、かたくなな沈黙のなかで余生を送った父親の肖像を通して、植民地主義や戦争、またポストコロニアリズムをめぐる深い思索を抑制された筆致で綴った書『アフリカのひと』(○四年)についても、それは言える。
ル・クレジオはノーベル賞授与式での記念講演を、スウェーデンの作家スティーグーダーゲルマンの表現を借用して「パラドックスの森」と題した。「人はなぜ書くか?」という問いから話を起こし、「ものを書くとは行動しないということだ。現実を前に困難を感じて、行動とは別の反応の仕方、別の意思疎通の方法を、距離を、思索の時間を選びとることだ」と言う。またこの講演中、「作家は腹
を空かしている人々のために書こうとするが、食べ物に満ち足りた人々だけがそんな作家の存在に気づく余裕をもつ」というダーゲルマンの語るパラドックスを一度ならず喚起する。
今日の作家は、半世紀前の、文学が政治と容易に結託できた時代、偉大な文学者がまた社会の強力な導き手でもありえた時代からかけ離れている。文学の実効性を素朴に信じるオプティミズムはもはや通用しない。それどころか、自分の書くものが、伝達手段の氾濫のなかで、誰にも届かずに拡散し消えていく危険を身に沁みて感じている。ルークレジオとて例外ではない。彼が自作の受容や読者の反応には人一倍敏感であるのは、そうした危機感の裏返しである。それでも彼は、どれほど屈折した形であれ、文学の行く手に「人生を変える」(ランボー)期待を標榜せずにいられない。いや、変えることは容易でなくとも、変える願望を表明し、またそうした願望をもつ人間たちを描き出すことにこそ文学の使命があると考えているように見える。それはいわば、フィクションを通じて想像界の共同体とでも呼ぶべきものに訴えることである。
ある時期からル・クレジオは、そのフィクションの構築は自分の記憶の最も切実な部分を辛抱強く掘り起こすことから始まると確信した。意志とは無関係に誕生前から自分に刻印されている分断を、先祖と自分を結ぶ紐帯に他ならぬ分断を、フィクションとして捉え直すことこそが、それを克服する道であり、同時に他者にも切実なものとして受け止めさせる条件だと考えるにいたった。「小説しか書かないのは、回想録が書けないからです」-ノーベル文学賞決定直後の会見でもらしたこの台詞は、なまの自分を語ることへの羞恥を隠しているが、それ以上に、虚構化されない告白というものへの嫌悪を表明している。初期作品から認められるこうしたフィクションへの根源的な志向は、西欧を非西欧の視線で相対化し、一篇の作品のうちに世界も歴史もすっぽり包みこんでしまうスケールの大きさを獲得するにいたった。『黄金探索者』はまさにその起点を画している。
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