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燐寸図案

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    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。
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2026年5月11日 (月)

J.M.G.ル・クレジオ (jean-marie gustave le clezio)」研究より『大洪水』 J.M.G.ルクレジオ (河出書房新社1970)

『大洪水』 J.M.G.ルクレジオ (河出書房新社1970)
初めに雲があった。風に追いたてられながらも、山脈によって水平線にすがりつく、暗雲の群れがあった。あらゆるものは重く佇み、残光を散らせたりしながら、メタリックな薄い鱗のように整然と覆われていた。近づきつつある事件の異常さに圧倒され、やがて戦いを挑まなくてはならぬ者との対比の中で、おかしげに弱々しく煌めき始めた。運動はわずかずつされる転調の様式をやめない。大地を微少に蝕み、腐敗させ、活動の内部へ染みこんで、かつて多種多様に確立されてきた調和を破壊し、物質の核心に生命の起源まで無力してゆく。永遠に継続される固定化や、全体的な凍結を遅らせるために消耗してしまう。繊細な薄い影は、景色を覆いながら眩い光の形を無数に紡ぎ出す。歩道沿いにタンクローリーが潰していった硝子の破片は、太陽をいくつか合わせた激しさで、辺り一面の空間へ百光年のエネルギーを反射しているかのようであった。
          A A A A
          A A A A
          A A A A
          A A A A
すべての物体、すべての原子は A と書かれている。あらゆる出来事、あらゆる構造が、そこでは魔術的な四角形を描いている。(ル・クレジオ「大洪水」導入部)

http://koinu2005.seesaa.net/article/6407551.htmlより


1940年、イギリス人を父、フランス人を母として南仏ニースに生まれる。『調書』は1963年に出版され、ルノード賞を獲得、「23歳の特異な作家」として華々しくデビューした。第二作の短篇集『発熱』は人間存在の揺動を、第三作の長篇『大洪水』は黙示録的世界を描いてその地位を確立した。以後、『愛する大地』『逃亡の書』『戦争』『海を見たことがなかった少年』『砂漠』『黄金探索者』『オニチャ』『さまよえる星』『パワナ』等の小説、『物質的恍惚』『悪魔祓い』等のエッセイ、さらに『マヤ神話』『チチメカ神話』『メキシコの夢』を著している。2008年、「断絶、詩的冒険、官能的陶酔の作家、支配的な文明を超えた人間性の探求者」としてノーベル文学賞を受賞した。

■Nobel Literature prize goes to Frenchman Jean-Marie Le Clezio
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=f2m78qBZPow

■JMG Le Clezio - Nobel de litterature ノーベル賞受賞インタビュー約12分
http://www.dailymotion.com/video/x70igg_jmg-le-clezio-nobel-de-litterature_news
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■『調書』新潮社
J.M.G. Le Cl´ezio (原著), 豊崎 光一 (翻訳)
アダム・ポロ―人類最初の名前をもつこの不思議な男は、いったいどこからやってきたのか?太陽や海、犬やライオンとの交歓のなかに、奇妙な巡礼行を綴る、ル・クレジオ、衝撃のデビュー長篇。 2008/11/28(定価: 2,100円)

■『大洪水』河出文庫
J M G ルクレジオ(著),望月芳郎 (翻訳)
生の中に遍在する死を逃れて錯乱と狂気のうちに太陽で眼を焼くに至る青年ベッソン(プロヴァンス語で双子の意)の13日間の物語。独特の詩的世界で2008年ノーベル文学賞を受賞した作家の長編第一作、待望の文庫化。 2009/02/04 (定価: 1,365円)

■『砂漠』河出書房新社
J・M・G・ル・クレジオ (著), 望月 芳郎 (翻訳)
フランスによる植民地化の波のなかで、抵抗しつつも滅亡の道をたどるサハラの民の物語と、その末裔である現代の少女ララの遍歴を合わせ、神話的世界を作りあげた傑作。ノーベル文学賞受賞作家の後期代表作、待望の復刊。 2009/01/20 (定価: 2,940円)


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◆分かちがたく結ばれた二羽の鳥が、同じ木に住まっている。一羽は甘い木の実を食べ、もう一羽は友を眺めつつ食べようとしない。
だが、この世界は過去のものではない。この存実は、ぼくが生まれていなかったとき通用していた存実なのだ。この沈黙は遠いものではない。この空虚は無縁のものではない。ぼくがそこでは不可能だった大地は、なおも続いている。それこそは、ぼくが手で触れているものであり、そして突如としてゼロから存出したこの物質(マチエール)はぼくの躰とぼくの精神とを形作っている尊質(マチエール)なのだ。

◆ぼくが生まれていなかったとき、まだ生命の円環を閉じ終えていず、やがて消しえなくなるものがまだ刻印されはじめていなかったとき。存在するいかなるもにも!していなかったとき、孕まれてさえいず、考えうるものでもなかったとき。過去のものでもなく、存在のものでもなく、とりわけ未来のものではなかったとき。ぼくが存在することができなかったとき。眼にもとまらぬ細部、種子の中に混じり合った種子、ほんの些細なことで道から逸らされてしまうに足りる単なる可能性だったとき。ぼくか、それとも他者たち。"か、女か、それとも馬、それとも樅の木、それとも金色の葡萄状球菌。ぼくが無でさえなかった――なぜならぼくは何ものかの否定形ではなかったのだから――とき、一つの不在でもなく、一つの想像でもなかったとき。

◆ゆっくりと、伸び伸びと、力其く、無縁の生命はその凸部を膨らませて、空間を満たしていた。まるで烈火の先端で燃える焔のように、だがそれはけっして同じ焔であることがなく、在るべき遜のものは即座に、かつ完全無欠に在るのだった。存在の数々は生まれ、そして消えていった。絶えず分割され、空虚を満たし、時を満たし、味わい、そして味わわれていた。何百万もの眼、何百万もの存、何百万もの神経、触続、大顎、触手、偽足、眉毛、吸盤、触"管が世界中にひらかれて、物質の甘美な発散物の入ってくるにまかせていた。いたるところにあるのはただ、戦慄、波動、振動の数々だけ。だかそれでも、ぼくにとっては、それは沈黙であり、不動であり、夜だった。麻酔だった。なぜならぼくの真実が住まっていたのは、このはかない伝達の中にではなかったからだ。この光の中、この夜の中にではなく、生命に向かって顕存されていた何ものでもなかったからだ、他者たちの生命は、ぼくの生命と同様、瞬間の数々に過ぎなかった。世界をそれに返す力のない、束の間の瞬間の数々に過ぎなかった。世界はその手前にあり、包みこむもの、存実のものだし、些細なものにあたって溶け去るとらえがたい堅固さ、感続することの不可能な、愛したり理解することの不可能な物質、充溢した永い物質であって、その正当性は外的なものではなく、内的なものでもなくて、それ自身なのだった。

◆外側にある世界、覆すことはけっしてできまい世界、まるで巨大な縁日さながらに。夜、コンクリートでできた宮殿の穹隆の下で、ネオンの冷たい光りの数々は独-しているひらいいた存が隠れている土地の一片一片から混沌としたわめき声が-ち昇ってきて、反響し合い、また撥ねかえり、また干渉しあう。・・・もうすでに、観客でいることはできなくなっている。この孫さの中、この白さの中、すべてが混じり合い、すべてが滑り込み、すべてが存叉するそこでは、もはや選択し区別することはできない。住処とする領域のほうへと流れてゆかねばならず、理屈をこねも話しもしない怪物にこうやって呑み込まれるがままにせねばならぬ。自分の皮膚、魂、国語を棄て、そしてまだ生まれていない者にふたたびならねばならぬ。

◆この呪いには打ち勝ちえない。それは生命よりも其いのだ。生きた細片の一つ一つの裏側には、じつに広大な砂漠と放棄とがあって、それらを忘れ去ることは不可能である。それはまるで夢の損い出のようなのだが、それを生み出した夜は終わってはいない。

◆ぼくが死んでしまうとき、"り合いだったあれら物体はぼくを憎むのをやめろだろう。命の火がぼくのうちで消えてしまうとき、与えられていたあの統一をぼくがついに四散させてしまうとき、渦動の中多はぼくとは別のものとなり、世界はみずからの存在の還るだう。・・・・もはや何ものも残らないことだろう。ぼくがあっただろうところのものの彼方に運ぶような傷跡一つ、損い出一つ残りはしないだろう。
そして・・・いつの日か(その日は必ず来るのだが)世界からは人間の姿が見えなくなるだろう。人間の文明や征服の数々は人間と共に滅びてしまっているだろう。人間の信仰、疑惑、発明などの数々は消え失せていて、もはや人間のものは何一つ残っていまい。他のたくさんの事物が生まれ、そして死んでゆくだろう。他の生命形体の数々が姿を存わし、他の考えの数々が流通することだろう。 そして、そのあと無定形の存在の共同体のうちにふたたび統合されてゆくのだ。それでも世界はつねに存在するだろう。それでもつねに何ものかがあることだろう。およそ考えうるかぎり遠い時間と空間との賊にも、なおも物質、消えることのない全的物質の存存があるだろう。

『物質的恍惚』 ル・クレジオ、豊崎光一訳 (新潮社1971)より

精神の崇高な表現の数々、主導的と称される概念や観念の数々、そんなものより千倍も重要な理解や表現があるのだ。例えば人という種族が始まって以来、十万年間に為したことだ。彼の精神を一体に保っている理由の数々、本質的で深く、腺の分泌物にも似ているに違いない。
われわれの危うさは抽象的なものだ。だがわれわれの台座ときたら、なんと見事な巌(いわお)だろう!

われわれの精神のはじめての身震いのうちにはなんという不透明な厚み、なんという力強さ、なんという秩序があることか、そこでは思考はいまだ器官に混じり合っている。なるで遠くから読みとられることになるしるし、手で触られるしるしのように。
『物質的恍惚』 ル・クレジオより
http://koinu2005.seesaa.net/article/6407891.html
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何千という女たち男たちがそこで生まれ死に、爬虫類たちが隅で眠り、昆虫たちが唸り跳び、植物たちが根を次々へ張り伸ばしたが、何一つその為には変わったものはないのだった。それは名前のない風景で、老婆の皮膚のように老い、昼によって膨れ上がり夜によって冷されて、雨に洗われ風にすり梳られ、霜に割られ海に齧られ水流に浸され、何世紀のあいだ穴をうがたれ、種を蒔かれ耕され、喰われ踏みつけられてきた。
時折、地震がその表面を走って、新たな峰を聳えさせ、新たな深淵に口を開けさせた。だがまるで何も起らなかったかのように、粉っぽい岩石の中には化石になった貝類が何の役にも立たずに閉じ込められていた。

太陽は大地の固い地殻を見下ろして、奇妙に動かない深淵のように照りつける。大気の青白い諸層のうしろに押込められ弛緩して燃える眼で凝視している。何事も理解せず何事も裁かない。ただ固定して厳しく同心円状の環の数々を大地へ送ってくるが、温度計の赤い柱は30という数字のあたりまで昇る。熱はそれから由来し空の隅々へ拡がり、砂の雨のごとくこぼれんばかりにを満たす。 猛烈にエネルギーは窪んだところなら何処へでも、その種子を詰込み、すり減らし削り取り皮を剥ぐ。太陽の眼差しは重厚であり、また一つの名前が永続するようにと与えられたかのようだ。書物に書込まれ、石碑に刻み込まれ、電信電波やケーブル線の中を走り回る名前、永遠の痕跡を乾からびさせてゆく丸禿のアロエの葉に突刺された名だ。

微小で厳粛な生命と卵と幼虫と、食べ物と排泄物がある。隙をうかがう死の危険があり、密閉された甲皮の奥の心臓を震えさせている。勝手知った小径が、狩や愛の行為の場所が、花々が、小石の山がある。そっと審美的に彼等のその名を呼ばねばならぬ。
植物もあり他の動物たちもいる。そして草のひとつひとつにも固有の名前があり、風に撓む一つ一つの繊維に刻印されているのだ。一筋の毛のように土に植わっている草の1本1本がそれなりの沈黙の生活を送っている。これら木の一つ一つに石や水溜りの一つ一つに、忘れてしまわぬよう名前をつけねばならぬ。

絶え間なく太陽が凝視して涯てしない景色の上で、一つ一つの名はすべて眼に見えない糸で互いに結びつけられているのだ。あらゆる話が冒険が数限り無く、何百もの小ドラマを何千億もの小悲喜劇を奏でている。サスペンス、闘牛、対抗、戦争、祭りの行列であって、1本1本の小枝、一つ一つの小石が役目を持っているのだ。大地のただ中ににある岩の上にこそ、恐らく座るべきなのだ。あるいはまた密生した草の上に寝そべって、世界の物語を記すべきなのだ。『愛する大地』 ル・クレジオより

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すべてはリズムである。美を理解すること、それは自分固有のリズムを自然のリズムと一致させるのに成功することである。一つ一つの物、一つ一つの存在は個別的な指標を持っている。みずからのうちにその歌を宿しているのだ。その歌と和して、渾然一体となるまでにいたらなければならぬ。そしてそのことは個人的知性の為すところではありえず、普遍的知性のそれなのだ。他者たちに到達し、彼等の中に殺到し、彼等の内に回帰すること。ことは擬態を実行することなのだ。まず最初自己であり、自己を自己として知ること、つぎにあなたのまわりにあるものを模倣することだ。

リズムは必ずしも文明の中にはない。世界への回帰は原始主義への回帰ではない。人間が自分のために創りだした世界もまた[自然]なのである。
精神の崇高な表現の数々、主導的と称される概念や観念の数々、そんなものより千倍も重要な理解や表現があるのだ。例えば人という種族が始まって以来、十万年間に為したことだ。彼の精神を一体に保っている理由の数々、本質的で深く、腺の分泌物にも似ているに違いない。
われわれの危うさは抽象的なものだ。だがわれわれの台座ときたら、なんと見事な巌(いわお)だろう!
われわれの精神のはじめての身震いのうちにはなんという不透明な厚み、なんという力強さ、なんという秩序があることか、そこでは思考はいまだ器官に混じり合っている。まるで遠くから読みとられることになるしるし、手で触られるしるしのように。
(ル・クレジオ『戦争』より)
http://koinu2005.seesaa.net/article/11869175.html
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言葉の向こう側のことを話したまえ、言語をつくる人々のことをだ。
どんな言葉も手袋のように裏返され、中味がなくされなければならないだろう。どんな話し言葉も大地をから離れ、囲いを剥がせてゆかなければならないだろう。あなたがたは今まで奴隷だったのだ。服従するための言葉、屈服するための言葉、奴隷の詩や哲学を書くための言葉しか与えられなかった。今こそ言葉を武装させて、壁の向こう側へ発射させたまえ。

壁は数を増し、空へ向かって絶壁を伸ばしてゆく。鼠より早く壁は増えてゆく。一秒ごとに新しい壁が生まれる。壁、窓ガラス、扉、インターネット回線、電子ファイル、メモリーステック。かって信じられてきたように、壁は偶然生じるのではない。壁の影に潜んでいる奴らをよく識りたまえ。この世は呪われていると決めこんでいる奴らは、詛いの崖まで往ってしまったから、恐ろしくて表に現れない存在となった。
運動や世界や思考を創ったのは奴らではないが、あらゆる関係や路の果てを知りつくしている。勿論これから何をあなたがしようとしていのか全部知っていた。

人間のための研究材料から開放されたまえ。研究されることを拒絶したまえ、奴らに識る権利などはない。人を識るためには高みに位置しなければならないからだ。眼を覚ましたまえ。おもむろに白昼のデッサンより罠が観えてくる。一歩歩くごとに呑みこもうとする犯罪的な深淵が、あなたの足元に彫られていることに気ずくだろう。
(ル・クレジオ 『巨人たち』)

http://koinu2005.seesaa.net/article/6408152.html

J.M.G.ル・クレジオ (jean-marie gustave le clezio)」研究より
http://koinu2005.seesaa.net/archives/200508.html

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