古代エジプトの人々の死生観について
古代エジプトでは、「死者は永遠の命をもつ」とされて、「ミイラ」が作られた。世界で初めて、死後の世界を体系化したのもエジプト人であると言われている。
『死者の書』とよばれる文書によれば、死者はまず、冥界の王であるオシリスが裁判長を務める42の神々が臨席する裁判にかけられます。死者は神々の質問に答え、生前、罪がないことを宣言し、審理を受けます。死者の心臓と、真実を表す羽根を秤にかけ、釣り合えば大丈夫、釣り合わなければその心臓は怪物アメミトに食べられてしまい、死者は永遠の命を得ることができません。無事にこの裁判を通過すると「オシリス」の名前が与えられ、その後幾多の試練を乗り越えて、最後に楽園に辿り着き、現世と同じような生活が送れるとされていました。そのため、肉体のミイラとともに、復活に欠かせない内蔵もカプノス壺という壺に納められ(肝臓・肺・胃・腸だったかな)、最も大切な臓器である心臓も、丁寧に防腐処理を行なわれてミイラの胸に戻されました。ちなみに脳はあまり重要視されておらず、ミイラを作る際、鼻から脳髄を掻き出されてしまっていました。尚、ツタンカーメンのミイラからは復活に最も必要である臓器の「心臓」が見つかっておらず、ツタンカーメンが何者かによる陰謀に巻き込まれたのではないかとされています。有力とされている説はツタンカーメンの後にファラオになった神官のアイの計略です。アイはツタンカーメンの母であるネフェルティティの父であるという説が有力で、ツタンカーメンが20歳になるかどうかの頃に突然亡くなってしまったことで、急遽「ネフェルティティのために作った墓にツタンカーメンを埋葬した」という説があり、そのことが神官アイの怒りを買ったと言われています。まぁ娘のために用意されていた墓を急に孫に取られたら、お爺さんとしては怒るものなのかもしれませんね。ちなみにアイは、ツタンカーメンの死後、アンケセナーメンと結婚をしています。古代エジプトはとんでもない近親相姦だ。
「オシリス神話」
太陽神ラーが老いて、大地の神ゲブと天空の女神ヌトとの間に、オシリス・イシスなど4柱の神が生まれて世代交代するのですが、エジプトを善政で治めていたオシリスを弟のセトが殺してしまい、オシリスの妻であるイシスがオシリスの遺体を見つけだしてホルスを産みます。オシリスの弟であるセトが今度はその遺体をバラバラにして捨ててしまい、イシスが再びバラバラになったオシリスの遺体を集めます。オシリスはいったん死んでしまったため、王としての地位を失ってしまい、冥界の王になります。オシリスが冥界の王になった後、王位継承をめぐってはセトとホルスが対立し、最終的にホルスが王座につきます。
エミルnote「古代エジプト文明に触れてみて「文明」について考えた話」
古代エジプトの王であるファラオは、このホルスの化身であるとされていました。みずからを太陽神ラーの化身であるとしたファラオもいたし、アクエンアテン(ツタンカーメンの父)は、これまでの多神教から太陽神アテン以外の神を信ずることを禁止する一神教の改革を行ない、捧げ物は神官にではなく国民に与えました。通常、ファラオは死後、冥界の神オシリスとして復活するとされていたので、生前も死後も、神として君臨し続けました。
ちなみにアクエンアテンがこれまでの多神教から一神教への改革を行なったのは、神官たちが権力を持ちすぎてみずからの立場を危ういと思ったからです。もともとアクエンアテンの名前はアメンホテプ(アモン神は喜ぶ、の意)という名前ですが、これをアクエンアテン(アテン神に有用な者、の意)に変えました。そして首都テーベ(現在のルクソール)より、「アテンの地平線」の意味を持つアケトアテン(現在のテル=エル=アマルナ)へと遷都を行ないました。「一神教を用いる」というのは人類史上初の試みでした。他の神々を追放し、神官たちを追放したアクエンアテンでしたが、ちょうど改革の最中に皆既日食がおこり、人々は「神を奪われた」「太陽神に見捨てられた」として戸惑い、怒り、アクエンアテンの治世は揺らいでいきます。彼の死後、その遺体はあまりきちんとした防腐処理が行なわれずに白骨化した遺体として見つかっており、棺も金箔をかなり剥がされた状態で見つかっています。
アクエンアテンが死亡した頃、彼の息子であるツタンカーメンは若干6歳でした。アクエンアテンの妻であったネフェルティティがツタンカーメンの代わりとしてエジプトを統治し(宰相と伝えられていますが)、幼いツタンカーメンとともに一神教を元の多神教に戻し、都を一時メンフィスに移し、その後ツタンカーメンはテーベに戻って治世を行なっています。
ツタンカーメンと結婚したアンケセナーメンを、ツタンカーメンはとても愛していて、通常、王妃がファラオよりも小さく描かれることが多かったエジプト文明において、ツタンカーメンとアンケセナーメンはほぼ同じ大きさで描かれています。有名なツタンカーメンの玉座なども、ツタンカーメンもアンケセナーメンは同じ大きさで描かれています。ちなみにこの玉座はアマルナ様式というアクエンアテンの頃の美術様式で作られており、ツタンカーメン・アンケセナーメンの頭上に描かれているのは、ツタンカーメンの父であるアクエンアテンが信仰した「唯一神アテン」です。
このように、古代エジプトのファラオは神と切っても切れない関係にあり、ミイラが作られたのも、死後にまた神として復活するからです。復活に欠かせない「肉体」を保存しておく必要がありました。ツタンカーメンの王墓からは、死後、復活してからの生活に困らないよう、パンなどの食料や、生活必需品(パンツなど)や、シャブディと呼ばれる、ツタンカーメンに仕える家臣たちの人形などが大量に出土しています。ちなみに、ツタンカーメンの墓が荒らされない状態で見つかったのは、宗教改革を行なった父のアクエンアテンの影響でツタンカーメンも異端視されており、歴代のファラオの名を記した王名表からその名前が消されており、長い間その名を忘れ去られ、墓の盗掘からも免れたのだと言われています。
考古学者ハワード・カーターによって1922年にツタンカーメンの墓が発見され、「人類史上最大の発見」とまで言われた「黄金のマスク」によって、ツタンカーメンは、大ピラミッドと並ぶエジプト文明のアイコンとして、その名を世界に知られるようになりました。
ちなみに上に載せた「オシリス神話」ですが、ホルスを産んだ後にまたセトに殺され、バラバラにされたオシリスの遺体をイシスが集めた時、切断された男根だけがどうしても見つからず、この「男根切断」というエピソードが、「子孫を絶やす↔︎新しい神の出現」という相反するテーマとして論じられることがあるそうです。
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