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燐寸図案

  • 実用燐寸
    実用燐寸レッテルには様々な図案があります。 ここにはコレクション300種類以上の中から、抜粋して100種類ほど公開する予定。 主に明治、大正、昭和初期時代の燐寸レッテルの図案。

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。
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2026年5月16日 (土)

初代・引田 天功(ひきた てんこう、1934年〈昭和9年〉7月3日 - 1979年〈昭和54年〉12月31日)

初代・引田 天功(ひきた てんこう、1934年〈昭和9年〉7月3日 - 1979年〈昭和54年〉12月31日) は、日本のマジシャン(イリュージョニスト)、催眠術師。本名は引田 功(ひきた いさお)。師匠は松旭斎天洋で、天功の天の字は師匠からもらっている[1]。

水中や爆発などの極限状態からの脱出マジック[2]を得意とし、「日本の脱出王」の異名を取った。

人物
神奈川県横浜市生まれ。日本大学高等学校、日本大学旧工学部卒業。声優の小桜有美(先妻・小桜京子との間の子)、80年代のアイドルグループ少女隊の“トモ”として活動した引田智子(後妻との間の子)は娘。

1968年から1975年まで7回にわたり、日本テレビの特番(主に木曜スペシャルの枠内)として放送された脱出イリュージョンで(「死のジェットコースター大脱出」、「死の火煙塔大脱出」「死の水道管大脱出」「油地獄水面炎上大脱出」など)は、それまでの奇術と一線を介したスケールの大きさで毎回高視聴率を記録した。アイデアは自身が尊敬する“脱出王”ハリー・フーディーニの脱出劇にヒントを得たものである。

テレビメディアと組んだ大規模な脱出イリュージョンの日本におけるパイオニアとして、日本のマジック界をリードする存在だったが、脱出の際の大掛かりなパフォーマンスで使用する大量の火薬の威力は凄まじく、練習中に瀕死となるアクシデントや、音と熱と煙に相当悩まされるなど諸刃の剣であったと自身の著書に記している。『紅白なんでも合戦』での海中脱出マジックには5000万円の生命保険がかけられた[3]。

本業以外では1969年、フジテレビ系のテレビドラマ「フラワーアクション009ノ1」にレギュラー出演。また、レギュラー冠番組『天功どっきり60分!』(東京12チャンネル(現・テレビ東京))も持っていた。

心筋梗塞などの心臓疾患に苦しんだ中年期以降は催眠術パフォーマンスにも取り組み、身体に負担をかけず、かつ視覚的にインパクトのある芸も取り入れる。一方では「ナイアガラ瀑布脱出」などの新たな脱出イリュージョンを構想していたともいわれていたが、病状の進行等の事情から果たせなかった。

1979年12月31日、心臓病にて死去。45歳没[4]。翌日朝のフジテレビの特別番組『初詣爆笑ヒットパレード』[5][6]で、司会の三波伸介により訃報が伝えられた。

遺骨は横浜市緑区長津田の大林寺に葬られた[7]。

来歴
1953年、松旭斎天洋の門下生となる
1960年、松旭斎天洋門下から独立し「東京魔術団」を結成
1964年、喜劇女優の小桜京子(柳家金語楼の姪)と結婚[8]するも、1970年離婚
1970年、大阪で行われた日本万国博覧会EXPO'70電力館水上劇場で会期中イリュージョンショーを行う
1971年5月14日、昭和天皇の古希を祝う会にて天覧奇術出演
1979年、心筋梗塞の発作を起こし闘病を続けるも死去。45歳没
出演
バラエティ番組
魔法の小箱 (1960年、NHK、レギュラー出演[9][10])
天功どっきり60分!(1976年4月2日 - 12月17日、東京12チャンネル)
火曜ワイドスペシャル「大騒動!ザ・ドリフターズ、引田天功に挑戦!!」(1974年3月19日、フジテレビ系[11])
テレビドラマ
フラワーアクション009ノ1(1969年10月7日 - 同年12月30日、フジテレビ) - ジョーカー 役[12]
江戸特捜指令(第15話・大魔術! 火事で火が消えた、毎日放送) - 天明 役
弟子の朝風まり(現:2代目引田天功/プリンセス・テンコー。天明の助手 役)とも共演
書籍
『インスタント・マジック』(大泉書店) 1968
『手品・奇術入門』(監修、小学館、小学館入門百科シリーズ12) 1971
『ゲーム奇術大学』(監修、集英社、まんが版入門百科) 1974
弟子
朝風まり[13](二代目・引田天功[14]、プリンセス・テンコー)
引田天洋
ナポレオンズ
中島誠之助[要出典]
脚注
平岩白風「二二、 お客さんたちを、いいカモにして 53.カードを当て出す引田天功のテレビジョンカード」『舞台奇術ハイライト』力書房、1961年、96頁。doi:10.11501/2495520。
引田が活動していた当時、日本の奇術(マジック)界では「イリュージョン」、「ステージマジック」、「サロンマジック」、「クロースアップ・マジック(テーブルマジック)」といった分類、名称がまだ一般的ではなく、引田のパフォーマンスは「脱出マジック」と呼ばれていた。
『放送できないテレビの内幕』自由国民社、1968年10月30日、44頁。
「引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした」「煙を吸い込んで、肺を痛めたのが早世につながった」との噂もたったが、公式の死因発表は心臓病死である。[要出典]
“なつかし番組表 毎日新聞(東京版)昭和55年1月1日火曜日朝刊”. 想い出の東京12チャンネル. 2008年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月23日閲覧。
この番組内で引田の脱出イリュージョンが生放送されることになっていた
相沢雅雄『ハマ線地名あれこれ「横浜編」』株式会社230クラブ新聞社、1996年、188頁。
「愛の道は遠かった!」『婦人生活』 17巻、6号、婦人生活社、1963年6月、192頁。doi:10.11501/2324684。
“魔法の小箱”. NHKアーカイブス 放送史. 2025年5月21日閲覧。
「男性タレント(50音順) は-ひ」『タレント名鑑 第2(1964年版)』芸能春秋社、1963年、79頁。doi:10.11501/2503151。
中日新聞1974年3月19日20面
“フラワーアクション009ノ1”. 東映チャンネル. 東映衛星放送. 2025年1月17日閲覧。
1976年から師事し、1977年には代役で「空中ケーブルからの大脱出」をこなした。
1980年12月15日に後援会の要請で、引田天功を襲名した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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