『幻術』田中貢太郎
幻術
田中貢太郎
寛文十年と云えば切支丹で世間が騒いでいる時である。その年の夏、某城下へ二人の怪しい男が来て、不思議な術を行って見せたので、藩では早速それを捕え、死刑にすることにして刑場へ引出したが、切支丹ではどんな魔法があって逃げだすかも判らないと云うので、警護の士が厳しく前後を取り囲んでいた。また刑場の四方には竹矢来を結って、すこしの隙もないようにしてあった。見物人はその周囲に人山を築いていた。
刑場の真中には磔の柱が二本鬼魅悪く立っていた。二人の罪人はその下に引き据えられた。と、罪人の一人が云った。
「こんなに厳しくせられては、とても私達は逃げることはできません、もう覚悟をきめておりますが、ただ一つしのこしている術がありますから、すこし縄をゆるめてください、それを人に見せたうえで、心残りのないようにして死にとうございます」
臨場の役人はこれを聞いて相談した。その結果こんなに厳重に警固しているうえは、いくら切支丹でも逃げることは思いもよらないから、願いを聞いてやっても好いと云うことになって二人の縄を少しゆるめてやった。
と、見るまに一人は鼠となって、磔の柱に飛びつくが早いか、つるつると上に登って往った。警固の士は驚いて一方の男を捕えようとすると、その男の体は鳶になってばたばたと縄を解いて空にあがり、ひろ、ひろ、ひろと鳴きながらその上を舞っていたが、機を見て降りて来て彼の鼠を掴んで何処ともなく逃げて往った。警固の士は呆気にとられてそれを見送った。
底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
- 田中貢太郎
長岡郡三里村仁井田生まれ。作家。山内容堂、後藤象二郎、中江兆民らを描いた『旋風時代』の成功で大衆小説家として一時代を画した。文壇の大御所菊池寛に抗し、「博浪沙」を結成、井伏鱒二・尾崎士郎・田岡典夫・浜本浩など多くの後進を育てた。
| 1880(明治13) 長岡郡三里村仁井田(現・高知市仁井田)に出生。 |
| 1899(明治32) 母校・三里尋常小学校の代用教員となる。 |
| 1902(明治35) 9月、高知実業新聞社に入社。桃葉と号し執筆するも、翌年退職、上京。 |
| 1907(明治40) 再上京、大町桂月宅に寄宿。田岡嶺雲を知る。翌年、奥宮健之を知り、幸徳秋水を訪ねる。 |
| 1909(明治42) 『明治叛臣伝』を田岡嶺雲と共著で刊行。 |
| 1914(大正3) 「田岡嶺雲・幸徳秋水・奥宮健之追懐録」を発表。翌年『桂月先生従遊記』刊。 |
| 1929(昭和4) 「旋風時代」を東京日日新聞・大阪毎日新聞に連載開始。 |
| 1935(昭和10) 博浪沙の井伏鱒二・尾崎士郎らを土佐に案内。 |
| 1941(昭和16) 前年、帰郷中に安芸の小松屋旅館で吐血、療養していたが、2月1日、郷里で死去。62歳(数え)。没後、第3回菊池寛賞受賞。 |
<おもな著作>
『旋風時代』
『怪奇物語』
随筆『貢太郎見聞録』
『酒・散策・俳句』
翻訳『聊斎志異』
実録『明治叛臣伝』(田岡嶺雲と共著)
俳句集『貢太郎俳句集』
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