【トマソン芸術について】
トマソンの概念が生まれるたのは、四谷で原稿締め切りで缶詰めだった赤瀬川さんが気分転換に歩いていたら、階段は上っても扉もなく、下る階段が二等辺三角形に続いてきた。
「こういう用途のないものを階段といえるでしょうか。いえませんね。これはもう階段の形をした芸術というほかはない」
櫻画報社のスタッフだった南伸坊さんと松田哲夫さんに、不思議そうに語ったのがトマソン原点でした。
この他にも使われてなく駅に残っている「無用窓口」、通り抜けできない「無用門」など観測されました。
隣家が取り壊されて、壁に残ってしまった隣家の屋根の輪郭「被爆型」、改築などの理由で、役に立たなくなった建物の一部が孤立して残っている奇妙なアートのような痕跡である。
「いや芸術というより、芸術をも超えているような⋯⋯」と考えて「超芸術」って記録されるのです。
「超芸術というのは言葉として広すぎて、芸術を超えるものはすべてこの言葉の中に含まれてしまう」ということから、「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」と定義しされて、名称をあれこれと絵文字教場の学生たちと考える。
1982年当時ジャイアンツ選手であったゲーリー・トマソン選手は、空振りばかりで役立ってないと、赤瀬川さんは笑って「そうだトマソン芸術!って、いい名前だね」
四番バッターながらチームに貢献することなく終わった存在を、街中の無用物に重ね合わせて、皆んなで爆笑。
そして雑誌『写真時代』にトマソン芸術の連載を始めたて、トマソンの概念は多くの人に知られる。連載では撮影されたトマソンの分析を、教え子や雑誌読者からトマソン写真と「報告文」と共各地のトマソンを募集して、ますます話題となった。
能動的に造形制作せすに、物件を見つけて受動的に観測するのが特徴である。街の中に潜むトマソンを見逃せなくなって、皆んな面白がって探して観測撮影して、空振りが豪快なほど笑った。
今ではCD ROMやインターネットで、トマソン物件はみれるほど広まってます。
赤瀬川さんは群れのリーダーにはならないで、集団のなかにいたい願望は「ロイヤル天文同好会」「路上観測会」そして「老人力」などにも通底する。
« トマソン芸術は櫻画報社の仕事作業してた1972年に、赤瀬川、南伸坊、松田哲夫さんが四谷を散策してると、昇り降りすること以外の機能を持たない「四谷の純粋階段」が「発見」されて、これは一体何かとなったのが起源です。 | トップページ | 当時のアートの状況(トマソン?)※アニメ・ファンにも当時の現代美術の面白さを伝えられれば »
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