当時のアートの状況(トマソン?)※アニメ・ファンにも当時の現代美術の面白さを伝えられれば
美學校での講義が終わって、僕も住んでた善福寺まで、赤瀬川さんと帰る道には色んなものがあります。
「現代美術はつまんないねぇ」というのが彼の口癖でもあり、それを超える面白い世界を探しているようでした。
ともかく良く観測するんです。これは変だってまで、トマソンは美學校の帰り道にも見つけられた。
だいたい午後1時から9時までの土曜日は、毎週大変な授業だった。初年度は36歳くらいだったけれど、芥川賞を受賞されるまで離婚やらで執筆は大変だったと想像します。
絵文字工房の受講生には渡辺和博くんがいて、カメラ技術を持って何か面白い感覚があって仲良くなった。
ガロでは赤瀬川教場からの卒業生たちが、優れた作品を描いてる。
『孤独のグルメ』は僕も好きな番組だけど、四畳半の生活してるウルトラマンをマンガにした作者は音楽も担当されてる。実はドラマ以上に、サントラが良かったりします。
郵便マークをデザインされた木村恒久さんの教場にも一年間学びました。ビジアルの切り取り方を、論理的に考えてする授業で後々に、映像制作にあたって大切な要素をマスターしました。
トマソン美術は路上を観察する行為から生まれました。散歩しても赤瀬川の視点は普通の人より深く掘り下げているんです。そこまで観測するんだって呆れてしまいます。
少年時代につまらない景色を眺めて、それを記憶するという実験をされたらしい。南伸坊さんがあのことを覚えてますかと、晩年に聞いたところ、鮮明に覚えているとのこと。
くだらないと言うことも認識する記憶があり、何が美術なんだろうと思います。
とにかく読売アンデパンダンの美術は、常識を覆すアートでありましたが、さっぱり現代芸術は冴えたものがないと感じた時代でした。
アニメファンに紹介したいアートと言えば、「トマソン芸術」と「路上観測」くらいですね。そういえば「トマソン」っていうアニメーション制作会社が、出来たのには驚きました。製作してる作品もかなりぼくの好み。
『日本の昔話』をグループタックから受け継いでいるスタジオらしい。
トマソン芸術は櫻画報社の仕事作業してた1972年に、赤瀬川、南伸坊、松田哲夫さんが四谷を散策してると、昇り降りすること以外の機能を持たない「四谷の純粋階段」が「発見」されて、これは一体何かとなったのが起源です。
もともと芸術としてつくられたものではない既存の物体であるので、美學校の生徒たちへ広めて、その後「江古田の無用窓」「お茶の水の無用門」などが発見されていくのでした。当初は「超芸術」と仮名で呼ばれてたんですが、今ひとつ落ち着かなくて、赤瀬川さんは適切な名称を想い廻らせていました。
毎週土曜日の授業の後は、神保町から歩いて十数分の水道橋駅にある養老の滝二階で、OBの南伸坊さんらと生徒でお疲れ様をやっておりました。そこで野球の好きな赤瀬川さんが、三振空振りしてる巨人の選手トマソンと「超芸術」の相似してることに気がついてしまいました。
それで「超芸術トマソン」って言ったら、大爆笑となり念願の名称が決まりました。連載されていた『写真時代』にトマソン図版を載せて、読書たちから公募してトマソン鑑賞は広まって行くのでした。『写真時代』の編集長である末井昭さんは、美學校のシルクスクリーン工房の学生でもあったので、トマソンの面白さの初期理解者でした。読者から数多くの「何の役にも立たないのに堂々と存在する物」に関する投稿写真が集まってブームとなりました。
マルセル・デュシャンのレディメイドに概念は等しいのは、作った本人達が気がつかないであること。60年代に制作してた「反芸術」的傾向のオブジェが、高度経済成長期にそこから脱落した廃材やゴミを使用していたのも「無用の長物」であるのも相似している。
トマソンの探索が都市の散策することでは、赤瀬川教場でも授業にもあった今和次郎の「考現学」にも路上観測とも、似てることだった。安易な創作するよりも、つぶさに観測すると、見逃していた事物から学んでいく視点は独特の美学がある。
しかし言葉や文章でトマソン芸術に伝えるのは、とても難しいことで、写真や図版がないと、その素晴らしいことは伝わりません。
トマソン芸術や路上観測の以前に、純粋に天体観測をするグループを赤瀬川は結成していた。「ロイヤル天文同好会」は美學校の卒業生たちを中心に集まって、軽井沢に合宿して土星の輪を観測したりハーレ彗星を観測に南半球にあるバリ島へ会員が集まってした。
ガリ版印刷の会誌「ゴムの惑星」を何冊か刊行して、国会図書館へも納品されて、誰でも閲覧できるようにしている。孔版印刷は主に僕が担当した。もう既に孔版印刷の用具が、販売させれない環境で、ロシアでは禁止されていたことを意識してのガリ版会誌だった。
「ゴムの惑星」は末井昭さんも面白いと言って、バリ島観測にも動向して「写真時代」のグラビア記事にもなった。
インドネシアの文化風習を受け継ぐバリ島は、踊りや造形や絵画も独特なものが印象に残って、後々アニメ作品の打ち上げ旅行にも行くことになりました。
浜津守
ここまでインタビューを受けて、なかなか文章では分からないことを熱心にしてきたんだ。って感じる次第です。
だからこそジャンルを超えて、面白い人たちと出会うことができたと思います。
トマソン物件の写真から、イラストにぼくが描く必要があると考えてます。
トマソン芸術については、発案者の赤瀬川さんが一番面白く詳しく書いてますから、かないません。最小限でも『トマソン芸術』筑摩書房から、引用とありかと。
今回のメールには敢えて推敲しないまま送付してます。原稿が半分くらい揃ったら、編集者時代を思い出して、アニメファンに向けた推敲をしたい。
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