【ネルヴァルやマラルメは、何故アニメーションにされなかったのか?】
【ネルヴァルやマラルメは、何故アニメーションにされなかったのか?】
フランス文学や詩作図書に詳しい、思潮社や現代思潮社の刊行物に十代の頃から馴染んできた自分にとって、大いなる疑問点であった。
たぶん商業アニメ分野はエンタメ作業されて、本来の文芸や演劇とは遠ざけられてているのが断線を感じた。
しかしアニメーションとフランス文献の相性の良さを、ずっと考えてきた。
漫画とアニメの安易な癒着については、根底から覆すことも必要だと半世紀に渡って考えてます。
まず何故にしてアニメ界に漫画より可能性を感じたのは、虫プロのアニメ番組が他の作品より、スタッフが遊んでいたと感じたからです。そしてアニメラマ映画には、音響を含めて大いに感銘させられたからです。
特に『哀しみのベラドンナ』は、現代思潮社の古典文庫シリーズとして刊行された、ミシェル『魔女』を原作にする、大胆な演出と作画が忘れられません。
公開当時に現代思潮社でアルバイトしてたので、アニメ界にもフランス文学について脚色する人たちがいるのだと感動しました。
まぁ多くのアニメスタッフは、現代思潮社の刊行図書なんか読んでもないのは、画面から分かってしまいました。監督と主要な作品スタッフから、完成したのだと。
虫プロ商事から倒産する気配は、月刊COMの編集方針のゆらつきから分かりました。
アナーキーな編集方針からあった月刊ガロとは、根底から違いという印象をを受けました。
どのようになっても、倒産は絶対に人を不幸にする現実を、低年齢から身近にあったんで、クリエイターにありがちな経営に関する不足なことには過敏でした。
予算を超えずに、スケジュールをオーバーせずに、完成度は高い作品を目指してアニメ作品には付き合いました。
そんなことでヒット作にも恵まれて、やはり商業についつは、蜂のひと差しくらいはしたい。
これら疑問点を含めて、スッキリさせていただきまましたのは、美術系の大学でアニメーション教室をさせていただきまして、
本来なら経済とも政治からも解放されて、アニメーションの本当の表現が露わになると思います。
資本主義の配下にある状態から、もっと本来の翼を広げられたらと考えてます。
アニメーションは手探りで、生命力ある動作を試行してきたメディアです。
それが絵を描くことによって、パントマイムのようなことを、もっと深めるやれることでは異様な世界でもありした。
だからこそ色んな掘り下げは可能なメディアであることを、エンタメばかりにするのは、おかしいと不自然なことに感じました。
リミテッデッドアニメーションの恩恵は充分に知って知っております。
絵画を描くように純粋にアニメーションと向き合って、美術的な世界へ踏み込んでしまうのは原点がありました。
【商業アニメ】から見れば、偏見なことかもしれないけど、アニミズムからすれば、本来ならのことは、やってない世界なんです。
残念なのであります。そんくらいアニメーションには、アニメはには限定されない無限な可能性があります。
専門学校のようにアニメを教えるのは、お馬鹿なことです。アニミズムから違反される行為です。
一旦はお金儲けの世界観から、分別してアニメーションについて考えることです。
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