巖谷國士『澁澤龍彦考』河出書房新社
「ひたすら、のんびりとすごした。いつ仕事をするのだろうか、と訝られた。」
(巖谷國士「澁澤さん」より)
目次 (初出)
Ⅰ
澁澤さん――回想記 (「ユリイカ」 臨時増刊号 「想特集 澁澤龍彦」 1988年6月)
Ⅱ
「旅」のはじまり (「海燕」 1988年5月号 原題: 澁澤龍彦の『出発』/澁澤龍彦 『エピクロスの肋骨』 福武書店 1988年5月)
『サド復活』のころ (澁澤龍彦 『サド復活』 日本文芸社 1989年4月)
ある「偏愛的」作家について (澁澤龍彦 『偏愛的作家論』 福武文庫 1986年11月)
既知との遭遇――美術エッセー (澁澤龍彦 『幻想の彼方へ』 河出文庫 1988年10月)
ユートピアの変貌 (「みずゑ」 特集号 「追悼 澁澤龍彦」 1987年冬)
Ⅲ
望遠鏡をもった作家たち (「ちくま」 1978年7月号/巌谷國士 『宇宙模型としての書物』 青土社 1979年2月)
『神聖受胎』再読 (澁澤龍彦 『神聖受胎』 河出文庫 1987年11月)
ノスタルジア――一九七〇年代
黄金時代 (「日本読書新聞」 1971年9月6日号/巌谷國士 『宇宙模型としての書物』)
幻をつむぐもの (「流動」 1973年7月号/巌谷國士 『宇宙模型としての書物』)
城と牢獄 (『新編ビブリオテカ澁澤龍彦 城と牢獄』 白水社 1988年3月)
晩年の小説をめぐって
『うつろ舟』 (「朝日新聞」 1986年8月11日号)
『高丘親王航海記』 (「文學界」 1987年12月号)
「庭」から「旅」へ (「朝日新聞」 1987年11月2日号)
Ⅳ
澁澤龍彦と「反時代」 (「國文學」 特集号 「澁澤龍彦 幻想のミソロジー」 1987年7月)
澁澤龍彦とシュルレアリスム (「幻想文学」 別冊 「澁澤龍彦スペシャル II」 1989年2月)
あとがき
初出一覧
澁澤龍彦著作目録・索引
1990年2月20日初版発行
「あとがき」より
「澁澤龍彦という作家・人物は、いまから二年ほど前、一九八七年の八月五日に亡くなった。
そのとき遠い旅先にあった私にとって、この年長の友の訃報はつらかった。しばらく風景ばかり眺めてすごした。それから旅にまた旅をかさねて、地中海ぞいの町々をさまよいあるいた。
一か月後、身近な世界にもどってきた。すぐに北鎌倉の彼の家をたずねた。部屋の空気はほとんど変っていないように思えた。いまは黒い額のなかにいる彼と向いあいながら、長いあいだ、龍子未亡人と話をした。
彼女は、澁澤龍彦について、いろんなことを書いてほしいといった。生前の彼自身からも、書け書け、といわれていたことを思い出した。」
「とくに計画的に書いていたわけではない。むしろそのときそのときの気分で、さまざまな角度から、澁澤龍彦の書物と人物についての記憶をよみがえらせるという試みを、断続的にくりかえしていたにすぎない。
そしてその結果、こんなふうに、一冊の書物の世界をかたちづくりうる文章の集積が、自然にできあがってしまったのである。」
「澁澤さん」より
「私がひそかにフーリエの翻訳をこころみていることを洩らすと、澁澤さんは、石井恭二さんに電話して、現代思潮社で彼らが企画しつつあった「古典文庫」のなかに、私の訳で、『四運動の理論』を入れることを、その場で決めてしまった。これは三年後の一九六九年に本になった。
しかし、まあ、そんなことはどうでもいい。澁澤さんはそのとき、じつにたくさんの書物のことを語った。バシュラール、エリアーデ、バルトルシャイティス、ゲノン、ユング、ドーマル、グラック、ホルベルク、ルネ・アロー、ジャン・フェリー、マシュー・グレゴリー・ルイス、アルトー、などなど、いろんな著者の本を出してきて見せた。色鉛筆で下線をひいたり、細かな字で書きこみをしてあるものが多かった。メタモルフォーズ(変身)叢書やファール(燈台)叢書のピンクの表紙が好きだといった。フランスから送られてきた新刊書のカタログまで出してきたが、それらにも赤青の鉛筆で、ていねいに下線や丸印がつけてあった。洋書店の注文請書は、まとめて紙バサミにとめてあった。
澁澤さんは、意外にマメで、几帳面な人だったとも思う。のちに北鎌倉の新居に移ってからも、そこの客間兼居間と書斎はつながっているので、よく書棚や仕事机を見ることがあったが、いつもきちんと整頓されていて、ふしぎなほどだった。もっとも、掃除ということはきらいだったらしい。龍子夫人の話では、とくに電気掃除機なるものを敵視していて、それの作業がぶんぶんはじまると、怒りくるってとんできて、コードを引きちぎったりすることもあったという。整理され、しかも埃のつもっているような状態が、つまり彼の理想だったのだろう。」
帯裏:
「はじめての澁澤龍彦論!!
高丘親王はいつも先をいそぐ。一箇所にとどまらない。案外、この人ほどひとつひとつの事物にこだわりをもたず、空間の安息からも遠かった主人公もめずらしいのではないか、という気がする。どんなに珍奇なものに出遭っても、驚くべき出来事がおこっても、それらはなにか砂時計の砂のように、水時計の水のように、この人の前で、さらさらと流れ去ってゆくものでしかない。高丘親王は、そして澁澤龍彦は、もっと大きな時間の夢のなかで、来たるべき新しい文学の夢でもみているのではないか――とさえ思われてくる。(本文より)」
種村季弘「もう一人の澁澤龍彦によって書かれた『龍彦親王航海記』といってもいい。肉体はかぎりある生をまっとうするが精神は物理として継受される。私たちが生命を終えても天体の運動はやむことがなく、宇宙はそれ以前にも今もそれ以後も、回転し続けている。その壮麗な精神の天体運動の現場に、私たちは精神の正統の継受者の案内を通じて立ち会う。」
『澁澤龍彦考』(河出書房新社) - 著者:巌谷 国士 - 種村 季弘による書評 | 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
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