『柿の種』寺田寅彦(青空文庫)
『柿の種』寺田寅彦(青空文庫)
棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の土のよしあし
*
日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。
このガラスは、初めから曇っていることもある。
生活の世界のちりによごれて曇っていることもある。
二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。
しかし、始終ふたつの世界に出入していると、この穴はだんだん大きくなる。
しかしまた、この穴は、しばらく出入しないでいると、自然にだんだん狭くなって来る。
ある人は、初めからこの穴の存在を知らないか、また知っていても別にそれを捜そうともしない。
それは、ガラスが曇っていて、反対の側が見えないためか、あるいは……あまりに忙しいために。
穴を見つけても通れない人もある。
それは、あまりからだが肥ふとり過ぎているために……。
しかし、そんな人でも、病気をしたり、貧乏したりしてやせたために、通り抜けられるようになることはある。
まれに、きわめてまれに、天の焔ほのおを取って来てこの境界のガラス板をすっかり熔とかしてしまう人がある。
(大正九年五月、渋柿)
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宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつのまにか自分の手は一塊の土くれをつかんでいた。そうして、ふたつの眼がじいっとそれを見つめていた。
すると、土くれの分子の中から星雲が生まれ、その中から星と太陽とが生まれ、アミーバと三葉虫さんようちゅうとアダムとイヴとが生まれ、それからこの自分が生まれて来るのをまざまざと見た。
……そうして自分は科学者になった。
しばらくすると、今度は、なんだか急に唄いたくなって来た。
と思うと、知らぬ間に自分の咽喉のどから、ひとりでに大きな声が出て来た。
その声が自分の耳にはいったと思うと、すぐに、自然に次の声が出て来た。
声が声を呼び、句が句を誘うた。
そうして、行く雲は軒ばに止まり、山と水とは音をひそめた。
……そうして自分は詩人になった。
(大正九年八月、渋柿)
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根津権現ねづごんげんの境内のある旗亭きていで大学生が数人会していた。
夜がふけて、あたりが静かになったころに、どこかでふくろうの鳴くのが聞こえた。
「ふくろうが鳴くね」
と一人が言った。
するともう一人が
「なに、ありゃあふくろうじゃない、すっぽんだろう」
と言った。
彼の顔のどこにも戯れの影は見えなかった。
しばらく顔を見合わせていた仲間の一人が
「だって、君、すっぽんが鳴くのかい」
と聞くと
「でもなんだか鳴きそうな顔をしているじゃないか」
と答えた。
皆が声を放って笑ったが、その男だけは笑わなかった。
彼はそう信じているのであった。
その席に居合わせた学生の一人から、この話を聞かされた時には、自分も大いに笑ったのではあったが、あとでまたよくよく考えてみると、どうもその時にはやはりすっぽんが鳴いたのだろうと思われる。
……過去と未来を通じて、すっぽんがふくろうのように鳴くことはないという事が科学的に立証されたとしても、少なくも、その日のその晩の根津権現境内では、たしかにすっぽんが鳴いたのである。
(大正九年九月、渋柿)
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霊山の岩の中に閉じ込められて、無数の宝石が光り輝いていた。
試みにその中のただ一つを掘り出してこの世の空気にさらすと、たちまちに色も光も消え褪あせた一片の土塊つちくれに変わってしまった。
同時に、霊山の岩の中に秘められたすべての宝石も、そのことごとくが皆ただの土塊に変わってしまった。
私の頭の中には、数限りもない美しい絵が秘蔵されていた。
私は試みに絵筆を取って、その中の一つを画布の上に写してみた。
……気のついた時はもう間に合わなかった。
……同時に頭の中のすべての美しい絵もみんな無残に塗り汚されてしまった。
そうして私はただのつまらない一画工になってしまった。
(大正九年十月、渋柿)
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ロンドンの動物園へインドから一匹の傘蛇コブラが届いた。
蛇には壁蝨だにが一面に取りついていた。
健全な蛇にはこの虫があまりつかないものである。
こんなことが先ごろの週刊タイムスに出ていた。
「この事実にはいろいろのモラールがある」
とAが言った。
「さらに多くの詩がある」
とBが答えた。
(大正九年十月、渋柿)
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夜ふけの汽車で、一人の紳士が夕刊を見ていた。
その夕刊の紙面に、犬のあくびをしている写真が、懸賞写真の第一等として掲げてあった。
その紳士は微笑しながらその写真をながめていたが、やがて、一つ大きなあくびをした。
ちょうど向かい合わせに乗っていた男もやはり同じ新聞を見ていたが、犬の写真のあるページへ来ると、口のまわりに微笑が浮かんで、そうして、……一つ大きなあくびをした。
やがて、二人は顔を見合わせて、互いに思わぬ微笑を交換した。
そうして、ほとんど同時に二人が大きく長くのびやかなあくびをした。
あらゆる「同情」の中の至純なものである。
(大正九年十一月、渋柿)
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脚あしを切断してしまった人が、時々、なくなっている足の先のかゆみや痛みを感じることがあるそうである。
総入れ歯をした人が、どうかすると、その歯がずきずきうずくように感じることもあるそうである。
こういう話を聞きながら、私はふと、出家遁世とんせいの人の心を想いみた。
生命のある限り、世を捨てるということは、とてもできそうに思われない。
(大正九年十一月、渋柿)
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「庭の植え込みの中などで、しゃがんで草をむしっていると、不思議な性的の衝動を感じることがある」
と一人が言う。
「そう言えば、私はひとりで荒磯の岩陰などにいて、潮の香をかいでいる時に、やはりそういう気のすることがあるようだ」
ともう一人が言った。
この対話を聞いた時に、私はなんだか非常に恐ろしい事実に逢著ほうちゃくしたような気がした。
自然界と人間との間の関係には、まだわれわれの夢にも知らないようなものが、いくらでもあるのではないか。
(大正九年十二月、渋柿)
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気象学者が cirrus と名づける雲がある。
白い羽毛のようなのや、刷毛はけで引いたようなのがある。
通例巻雲けんうんと訳されている。
私の子供はそんなことは無視してしまって、勝手にスウスウ雲と命名してしまった。
(大正九年十二月、渋柿)
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親類のTが八つになる男の子を連れて年始に来た。
古い昔の教導団出身の彼は、中学校の体操教師で、男の子ばかり九人養っている。
宅うちへ行って見ると、畳も建具も、実に手のつけ所のないほどに破れ損じているのである。
挨拶がすんで、屠蘇とそが出て、しばらく話しているうちに、その子はつかつかと縁側へ立って行った、と思うといきなりそこの柱へ抱きついて、見る間に頂上までよじ上ってしまった。
Tがあわててしかると、するするとすべり落ちて、Tの横の座蒲団ざぶとんの上にきちんとすわって、袴はかまのひざを合わせた上へ、だいぶひびの切れた両手を正しくついて、そうして知らん顔をしているのであった。
しきりに言い訳をするTを気の毒とは思いながらも、私は愉快な、心からの笑い声が咽喉からせり上げて来るのを防ぎかねた。
貧しくてもにぎやかな家庭で、八人の兄弟の間に自由にほがらかに活溌に育って来たこの子の身の上を、これとは反対に実に静かでさびしかった自分の幼時の生活に思い比べて、少しうらやましいような気もするのであった。
(大正十年一月、渋柿)
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人殺しをした人々の魂が、毎年きまったある月のある日の夜中に墓の中から呼び出される。
そうして、めいめいの昔の犯罪の現場を見舞わせられる。
行きがけには、だれも彼も
「正当だ。おれのしたことは正当だ」
とつぶやきながら出かけて行く。
……しかし、帰りには、みんな
「悪かった。悪かった」
とつぶやきながら、めいめいの墓場へ帰って行くそうである。
私は、……人殺しだけはしないことにきめようと思う。
(大正十年二月、渋柿)
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彼はある日歯医者へ行って、奥歯を一本抜いてもらった。
舌の先でさわってみると、そこにできた空虚な空間が、自分の口腔こうこう全体に対して異常に大きく、不合理にだだっ広いもののように思われた。
……それが、ひどく彼に人間の肉体のはかなさ、たよりなさを感じさせた。
またある時、かたちんばの下駄げたをはいてわずかに三町ばかり歩いた。すると、自分の腰から下が、どうも自分のものでないような、なんとも言われない情けない心持ちになってしまった。
それから、……
そんな事から彼は、おしまいには、とうとう坊主になってしまった。
(大正十年二月、渋柿)
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生来の盲人は眼の用を知らない。
始めから眼がないのだから。
眼明きは眼の用を知らない。
生まれた時から眼をもっているのだから。
(大正十年三月、渋柿)
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アルバート・ケンプという男が、百十時間ぶっ通しにピアノを弾き続けて、それで世界のレコードを取ったという記事が新聞に出ていた。
驚くべき非音楽的な耳もあるものだと思う。
(大正十年三月、渋柿)
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眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。
しかし、耳のほうは、自分では自分を閉じることができないようにできている。
なぜだろう。
(大正十年三月、渋柿)
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虱しらみをはわせると北へ向く、ということが言い伝えられている。
まだ実験したことはない。
もし、多くの場合にこれが事実であるとすれば、それはこの動物の背光性 negative phototropism によって説明されるであろう。
多くの人間の住所すまいでは一般に南側が明るく、北側が暗いからである。
この説明が仮に正しいとしても、この事実の不思議さは少しも減りはしない。
不思議さが少しばかり根元へ喰い込むだけである。
すべての科学的説明というものについても同じことが言われるとすれば、……
未来の宗教や芸術はやはり科学の神殿の中に安置されなければならないような気がする。
(大正十年四月、渋柿)
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鳥や魚のように、自分の眼が頭の両側についていて、右の眼で見る景色と、左の眼で見る景色と別々にまるでちがっていたら、この世界がどんなに見えるか、そうしてわれわれの世界観人生観がどうなるか。……
いくら骨を折って考えてみても、こればかりは想像がつかない。
鳥や魚になってしまわなければこれはわからない。
(大正十年四月、渋柿)
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大正九年の七月に、カイゼル・ウィルヘルムの第六王子ヨアヒムが自殺をした。
ピストルの弾たまが右肺を貫き、心臓をかすっていた。
一度自覚を回復したが、とうとう助からなかった。
妃きさきとの離婚問題もあったが、その前から精神に異状があったそうである。
王子の採った自殺の方法が科学的にはなはだ幼稚なものだと思われた。
なんだかドイツらしくないという気がした。
しかし、……心臓をねらうかわりに、脳を撃つか、あるいは適切な薬品を選んだ場合を想像してみると、王子に対するわれわれの感情にはだいぶんの違いがある。
やっぱり心臓を選ばなければならなかったであろう。
(大正十年五月、渋柿)
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「ダンテはいつまでも大詩人として尊敬されるだろう。……だれも読む人がないから」
と、意地の悪いヴォルテーアが言った。
ゴーホやゴーガンもいつまでも崇拝されるだろう。……
だれにも彼らの絵がわかるはずはないからである。
(大正十年五月、渋柿)
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「あらゆる結婚の儀式の中で、最も神聖で、最もサブライムなものは、未開民族の間に今日でもまだ行なわれている掠奪りゃくだつ結婚のそれである。……
近年まで、この風習が日本の片すみに残っていたが、惜しいことに、もうどこにも影をとどめなくなったらしい。
そうして、近ごろ都会で行なわれるような、最も不純で、最も堕落したいろいろの様式ができあがった。」
こう言ってP君が野蛮主義を謳歌おうかするのである。
(大正十年六月、渋柿)
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足尾あしおの坑夫のおかみさんたちが、古河ふるかわ男爵夫人に面会を求めるために上京した。
「男爵の奥様でも私たちでもやっぱり同じ女だ」といったような意味のことを揚言したそうである。
僕はこの新聞を読んだ時に、そのおかみさんたちの顔がありあり見えるような気がした。
そうして腹が立った。……
いくらデモクラシーが世界に瀰漫びまんしても、ルビーと煉瓦れんがの欠けらとが一つになるか、と、どなりたくなった。……
ヴィナスのアリストクラシーは永遠のものである。
こう言ってQ君が一人で腹を立てている。
(大正十年六月、渋柿)
*
油画をかいてみる。
正直に実物のとおりの各部分の色を、それらの各部分に相当する「各部分」に塗ったのでは、できあがった結果の「全体」はさっぱり実物らしくない。
全体が実物らしく見えるように描くには、「部分」を実物とはちがうように描かなければいけないということになる。
印象派の起こったわけが、やっと少しわかって来たような気がする。
思ったことを如実に言い現わすためには、思ったとおりを言わないことが必要だという場合もあるかもしれない。
(大正十年七月、渋柿)
*
寝入りぎわの夢現ゆめうつつの境に、眼の前に長い梯子はしごのようなものが現われる。
梯子の下に自分がいて、これから登ろうとして見上げているのか、それとも、梯子の上にいて、これから降りようとしているのか、どう考えてもわからない。
(大正十年七月、渋柿)
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