プルタルコス 『食卓歓談集』 柳沼重剛 編訳 (岩波文庫)
プルタルコス 『食卓歓談集』 柳沼重剛 編訳 (岩波文庫)
「プルタルコス(1世紀後半-2世紀初頭)と友人たちが酒杯を手にテーブルを囲んで交わす楽しいおしゃべり。「宴会の幹事に適任の人間とは」「鶏と卵はどちらが先か」「ユダヤ人はなぜ豚を食べないか」「アルファはなぜアルファベットの始めにあるか」等々、よもやまの論題をめぐって話ははずむ。古代ギリシア・ローマの饗宴の席にあなたを招待する1冊。」
プルタルコス『食卓歓談集』
【目次】
凡例
序
一 酒席で哲学論議をしてもよいか
二 宴会の幹事はどういう人物であるべきか
三 「恋は人を詩人にする」とはどういうことか
四 アレクサンドロス大王の飲酒について
五 なぜ老人は水で割らない酒を好むか
六 宴会で人からそのことを聞かれたりひやかされたりするとうれしくなるとクセノポンが言っているのはどういうことか
七 なぜ秋には空腹を感じやすいか
八 鶏と卵ではどちらが先か
九 宴会の料理はめいめいに盛り分けるのと大皿からめいめいが取り分けるのとどちらがよいか
一〇 なぜ女は酒に酔いにくく老人は酔いやすいか
一一 女の体質は男より冷たいか熱いか
一二 性交に適した時
一三 なぜ新酒は酔いにくいか
一四 なぜほろ酔いの人の方が酩酊している人よりいっそう狂おしいか
一五 酒の割り方
一六 なぜ肉は日の光よりは月の光にあてると腐りやすいか
一七 松露(しょうろ)というきのこは雷が鳴ると生える、また、眠っている人には雷は落ちない、と言われるのはなぜか
一八 結婚披露宴にはなぜほかの宴より多くの客を招くのか
一九 山より海の方が珍味が多いか
二〇 ユダヤ人は豚を崇めているから食べないのか、嫌いだから食べないのか
二一 役者が怒りや悲しみを演じるのは楽しめるが、人がほんとうに怒ったり悲しんだりしているのを楽しむことはできないのはなぜか
二二 宴会に大勢の客を招く人について
二三 いわゆる凶眼について
二四 なぜ塩は神聖だと考えられるのか
二五 酒は漉(こ)して飲むべきか
二六 甕(かめ)に貯蔵された酒はまん中あたり、オリーヴ油は表面近く、蜜は底の方が最上とされるのはなぜか
二七 なぜローマ人は、食卓を片づける時必ず何かを卓上に残しておき、またランプを消さずにおくか
二八 いわゆる「影法師」、および他人が受けた招待に同行してよいかということ
二九 プラトンが神はつねに幾何学をやっていると言っているのはどういう意味か
三〇 競技の優勝者に与えられる冠のことなど
三一 「燕(つばめ)を家に迎え入れない」、また「起きたらすぐ夜具を払う」というピュタゴラス派の訓戒
三二 詩の引用の上手下手
三三 アルファはなぜアルファベットの始めにあるのか
訳注
解説
岩波書店 1987年10月16日 第1刷発行
283p
文庫判 並装 定価460円(本体447円)
目次だけ見ても古代ローマでは、娯楽として飲酒をしていた輩が多くいたとわかる。
【本書内容】
「「恋は人を詩人にする」とはどういうことか」より
「しかしソシウスは、以上のような議論をした人々を称えつつも、しかしここでテオプラストス(訳注:「テオプラストスはアリストテレスの後継者となった人。彼の著作中抜群に有名で影響も大きかったのは『人さまざま』という小篇だが、ほかにも多くの著作がある。しかしここに言う音楽論は、プルタルコスのこの発言以外には何も知られていない。」)の音楽論を手がかりにして回答をこころみるのも悪くないだろうと言った。
「というのも、実は最近その本を読んだのだ。テオプラストスの考えでは、音楽の起源には三種類あるそうだ。悲しみと喜びと法悦境(エントゥシアスモス)だ。
で、この三つはいずれも、人の声を通常の域からそらせ、はみださせる。例えば悲しみは嘆き泣くことを伴うが、これはおのずと歌に転ずる。だから演説家は熱弁をふるった結末で、あるいは役者は詠嘆のせりふを語りつつ、次第に声を張りあげて、歌うようになっていくのだ。次は喜びだが、心に強い喜びを感じると、影響を受けやすい性格の人は体も一緒に動き出し、結局はリズムのととのった動きを呼び起こす。
もし踊ることができなければ、跳びはねたり手拍子を打ったりする。
ピンダロスの「興奮して踊る群衆の、頭を振りたて振りたて、狂おしくあげる鬨(とき)の声」という、あれだね(断片二〇八、ディテュランボス二、一三S)。
だが、こういう感情を起こした人にもし優雅の心得があると、踊ったり跳ねたりはせずにただ声をあげ、韻律にのせ、メロディをつけて歌い出すことになる。しかし人の体をも心をもすっかり変えて、いつもの様子とは違うものにしてしまうのは、とくに法悦、つまり宗教的陶酔だ。だからバッコスの祭の狂乱にもリズムが利用され、神にのりうつられた人は韻文で神のお告げを人々に伝えるのだが、狂人の口走るたわごとでも、韻律がないことなどめったにない。そこで、こういう次第だから、もし愛を白日のもとでよくよく調べたならば、人間のもろもろの感情の中で、これほど痛みの鋭い悲しみや、これほど激しい喜びや、これほど大きな法悦や狂気をもたらすものは他にはないことが分かるだろう。恋する人間の心は、ソポクレスのオイディプス王のテバイ市のように、(香煙がたちこめ、同時に、厳かな祈りの歌と、悲しみの嘆き歌に満ち」るようになる。だから恋が、悲しみも喜びも法悦も、すべてをひっくるめて、つまり音楽のもとになるものを挙げて自分の中に持っていて、多弁でおしゃべりで、他のどんな感情よりも歌や詩になる傾きが強くても、別に異とするにも足らなければ驚くにもあたらないのだ。」」
「なぜ肉は日の光よりは月の光にあてると腐りやすいか」より
「スニオンのエウテュデモスが夕食をもてなしてくれた時、大きな猪を出した。一同の者が驚くと、エウテュデモスの言うことに、実はそれよりずっと大きな猪をもってこさせておいたのだが、月の光にあたって傷んでしまった、原因が分からなくて途方にくれているところで、第一、太陽の方が月より熱いのだから、月より太陽の方が肉を傷めないなどとは考えられない、というのだった。するとサテュロスが言った、「いや、そんなことは別に驚くほどのことじゃない。それよりは、狩人たちがやっていることの方がもっと驚くに値するね。それはこういうことだ。彼らが猪や鹿を仕止める、そしてそれを町へ持って帰る時には、青銅の釘を獲物に打ちこむ、そうすると肉の腐敗が防げるというのだ。」」
柳沼重剛「解説」から
「ここに訳出したプルタルコスの『食卓歓談集』、原題は Symposiaka(Problemata)といって、「宴会で論議されたいろいろなことども」というほどの意味である。全体は九巻からなり、各巻に一〇個のテーマが問いのかたちでわりふられているが、このうち第四巻の第六の後半から第一〇までと、第九巻の第六のはじめ近くから第一二の終わり近くまでは今では失われている。したがって、現在完全なかたちで残っているのは、第一—三および五—八巻の計七〇問と、第四巻の五問と、第九巻の八問、合計八三問である。本訳ではその中から三三問をとりあげた。
解説より
「タイトル数では全体の約四割を訳したことになるが、頁数でいうとこれでだいたい六割になる。」
「その内容であるが、具体的には、プルタルコス自身が「序」の中で言っているように、いろいろな場所で友人どうしが会して、食卓を囲み盃を傾けながら、驚くほどさまざまな事柄について、「……とは何か」とか「……なのはなぜか」とか談じあった次第を記録したものということになっている。」柳沼重剛
編者の嗜好が表れてる抄訳となって、古代ギリシア人たちが喜んで食べたり語ったりしている記録を重んじている。
岩波文庫でも限りなくエンタメの面白さに近づけてみたい、そんなサービス精神から抄訳されたようだ。
そんなことで若い人たちにも、本書は読まれて広まっている。
そしてアニメーションの設定制作や、創作の参考資料としても楽しい内容である。
ことになっているというのは、そうではないと信じている人々が昔からいて、その人たちは、プルタルコスはこう言っているが、これは実際に開かれた宴会の記録ではなく、宴会の記録というかたちをかりて、プルタルコスがこういう雑多な問題のそれぞれについて自説を示したもの、つまり宴会そのものはフィクションだ、と信じているからである。」
「何はともあれまずはじめに、ギリシア人の symposion 宴会はどのように行なわれていたのかを見ておくことにする。本書のあちこちでプルタルコスが言っていることや壺などの陶器類に描かれている絵が頼りになる。
参会者たちは寝椅子に横になる。寝椅子というのは背もたれのない幅の広いソファのようなもので、これに左を下にして横向きに寝て、ひじで頭を支える。あるいは左腕でからだを支えて半身を起こした姿勢になる。そして空いている右手で食卓から盃をとり料理をとる。ところが一つの寝椅子はたいてい二人で使うので、寝る時は寝椅子に対して斜めに寝る。
頰杖をついて寝ていたのでは、飲むにも食べるにも、あるいは議論をするにも、不便きわまりないだろうとわれわれは思うが、ギリシアでは一貫してこうだった。食卓は大きいのを一つ真ん中に据えて、そのまわりに寝椅子を並べるというようにしたこともあるようだが(その場合はたいてい、料理は大皿に盛って、客はめいめいそこから取り分けたらしい)、各寝椅子ごとに一つの小卓を配して、そこにめいめいの料理を盛り分けるのが、古典期以後、したがってプルタルコスの時代でも普通だったらしく、「宴会の料理はめいめいに盛り分けるのと大皿からめいめいが取り分けるのとどちらがよいか」で、プルタルコス自身、宴会の気分を盛り上げる点でどちらのほうがよいかを友人らと議論している。また本訳の二番で詳しく議論されているように、宴会では幹事——ギリシア語で symposiarchos 「宴会の支配者」という意味——を選ぶ。これは宴会が始まってから参会者一同が選ぶので、この幹事は乾杯を発議したり、議論のテーマを提案したり、余興を指示したりする。余興は主として歌、竪琴あるいは笛、つまり音楽であるが、時には骰子で賭けをしたり、ちょっとした芝居を演じたり、もっと羽目をはずしてばか騒ぎをしたりすることもあったらしい。女性や子供は宴会には加わらなかった。」
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