渡辺和博くん、なべぞについて知っていること
なべぞの面白さは、非言語ながなも独自の言い切りかたなんですね。あれは単なる広島人ではなくて、独特の奇妙な面白さがありました。
東北育ちのぼくからすると異国な風情があり、都内にはさまざまなな人種がいるもんだと。
写真専門学校に通っていた、渡辺和博くんにとっても、画像を手描きでどんどんする、ぼくのような視覚表現する存在は新鮮だったのでしょう。
それで物凄く吸収し合っておりました。
あの異種さはとても言葉にははみ出すように別格で、いろんなこが出来るマンガを描くしかない運命でありましたね。
そんなチャンスを与えてくださいました伸坊さんは、素晴らしい先見がありました。
大学以外でも育成機関に深く関わって、人の才能を伸ばすことの大切さを知りました。
「どこの世界から、きたんじゃ」
と思う断言するなへぞ言葉と、人工的な世界が大好きな体質。やはりモダン志向な稲垣足穂大全を読んでいて、企画編集者の川仁宏さんとはあうんですね。
あれはまるで皇族な佇まいのようないきかたは、ただならない生涯でありました。あの決定する言い方は平民ではありません。独特の優しさも普通の身分ではなくて。
「モーゼルのカッちゃん」みたいなヘタウマなマンガを、なべぞについて描いてみたくなりましたね。「カメラを持った和博くん」
あんなに親しく寄り添ってくれたのに、わけわかんない人だと呆れてしまう。けれども今なら分かります。いろんな人にあって仕事してますから。作画能力ない人は、見下してたんで、まぁいいかあと。
アニメは上手な人たちの世界なんで、ぼくは飽きてしまうことがあります。わくわくする不器用さに飢えてたりします。
阪神に十年くらい住んでいると、京都、奈良、神戸の気質は激しく分かります。
そして広島から来てる学生は、独特の乱暴な言動ことで、渡辺和博くんを思い出すんです。女子が堂々と非行動の男子を叱咤するのは、東日本にはありえない風習で驚きました。あの紋切りの言い方と、判断は広島気質のうえに家系もあったんだろうなと。
美学校の頃は、なべぞに深く感情移入することはなくて、申し訳ありませんでした。
都会にもやさしい人がいるんだと、改めてキャラクターの意外な点に想いますね。
『ヘタウマな和博くん』ちとおもしろいので、マンガにしたいです。
《なべぞ七訓》
1.絵がヘタでも、面白いことは伝えられる
2.モノを写すというカメラと現像は、現実感触としていた
3.異性に関しての好奇心は、父母の交尾に興奮する体質
4.広島という西日本でも乱暴な風習を、都内で面白ろがってた
5.美学校で講義で学んだマニエリズムについて、口癖のように言っていた。
「何にも作らないことも、(創作として)あるんだ」と。
6.なべぞの名前つけたくらい親友だったのに、知られていないことが。
7.晩年は全く合うこともなく、過ごした日々について語りたい。
当時は18才と22才の都内での年差は、プロとアマチュアのようであったのです。
たぶん美学校では、講師以上に、学習させていただきました。
ぼくは分裂気質なんで、躁鬱気質のなべぞからは、冷たい人間だと思われれてしまうのが残念だった。
これほど人間について、いろんなことと、感覚を教えてくれる人は生涯おりません。
長井さんの人間だからって、凄い教訓です。
なべぞの教訓も思い出したら、記録しておきます。浜津守
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