シュタイナー、高橋巖翻訳 「条件」より
「誰かと出会い、その人の弱点を非難するとき、私は自分で自分の中の高次の認識能力を奪っている。愛をもってその人の長所に心を向けようと努めるとき、私はこの能力を貯える。神秘学徒は常にこの点に留意し、この指針に従うことを忘れてはならない。繰り返し、繰り返し、あらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断をひかえること、このような態度がどれ程大きな力を与えてくれるか、このことを熟達した神秘学者はすべてよくわきまえている。しかしそれが外的な生活規則に留まっているのでは、何の意味もない。それはわれわれの魂のもっとも内なる部分で有効に働いていなければならない。人間の自己変革は内なる思想生活の深みの中で遂行されなければならない。
まず第一に畏敬の念を思想生活の中に受け容れること、それが神秘学徒の出発点である。」
「世界と人生とについて判断する際に、軽蔑したり裁いたり批判したりしようとする自分の態度の中に何がひそんでいるのか。それに注目しようとする瞬間は常にわれわれを高次の認識へ近づけてくれる。」高橋巖翻訳
「畏敬によって惹起された能力に或る別の種類の感情が結びつくと、この能力はさらに一層活発になる。このことは人間が外界の印象に没頭する代りに、内面生活のいとなみをますます充実させていくことによって得られる。
神秘学徒は外界に対して鈍感になるべきだ、というのではない。常に豊かな内面生活(引用者注: 「豊かな内面生活」に傍点)が、外から印象を受け取る際に、主導権を持ち続けるべきだというのである。
外界との関係を豊かな内容あるものにしようと思うなら、自分の感情や表象を大切に育てなければならない。外界における万象のことごとくが壮麗な神性の輝きに充たされている。しかしこの輝きを体験するには、まず自分の魂の中に神性を見出さねばならない。――だから神秘学徒はひっそりと孤独に自己沈潜する時間を生活の中に確保する必要がある。
このような瞬間には、自己の体験した事柄、外界が開示してくれた事柄の余韻をまったくの孤独の静けさの中で思い出としてひびかせるべきなのである。どの花も、どの動物も、どの行為もこのような沈黙の瞬間には、予期せざる秘密を打ち明ける。神秘学徒は以前とはまったく違った眼で外界の新しい印象を見るようになる。」
高橋巖翻訳
「霊界参入の三段階」より
「宇宙の力は破壊的であり建設的である。外界のすべての事物は生成し死滅する。事物のこの運命、宇宙のこの作用を認識しなければならない。通常の生活のために視界を遮っていたヴェールは取り払われねばならない。一方人間自身もまたこのような力や運命の中に織り込まれている。彼自身の本性の中に破壊と建設の力が共存している。霊視力を得た人間の前に、外なる事物があらわな本性を開示する一方で、彼自身の魂もその本性を隠さずに露呈する。このような自己認識に際して神秘学徒が勇気を失わぬためには、あらかじめ勇気を、いわば過剰に、貯えておく必要がある。そのためにこそ、困難な生活状況の中で不動の内的平静を保持し続ける努力が必要なのである。そして善なる力を信頼すること、それを人生の中で学び取らねばならない。これまでの彼に指針を与えてきたさまざまの動機が彼を導いてくれることはもはやない、と覚悟をきめる必要がある。
さまざまの根拠が一挙に失われる。彼が行ってきた多くのことは虚栄心から発していた。しかし虚栄がどんなに無価値なものか、今彼はあらためて悟らされる。彼は多くのことを貪欲から行ってきた。貪欲がどんなに有害なものか、今彼は理解する。今後の思考と行為のために彼はまったく新しい動機を自分で作り出さねばならない。そのためにこそ勇気と大胆さが必要なのである。
特に、思想生活のもっとも深い部分にこの勇気と大胆さがなければならない。そして失敗をおそれてはならない。「また失敗してしまった。しかしそれを忘れてしまおう。そして何事もなかったように、新しい試みを始めよう」。――神秘学徒はそう考えることが常にできなければならない。そのようにして、世界の中から汲み取ることのできる力の源泉が枯渇することは決してないという確信に到達するようになる。彼の地上的な部分がどれ程力を失い、弱さを示すようなことになっても、彼は何度でも自分を支え、そして高めてくれる霊的な部分を求めて闘う。」高橋巖翻訳
「訳者の解説とあとがき」より
「表題の遂語訳は「いかにしてより高次の諸世界の諸認識を獲得するか」であるが、「より高次の」というのは「感覚的世界よりも高次」の意味であって、社会道徳的な意味で「より高次」なのではない。本書はいかなる意味でも、社会道徳的により高次の世界を求めてはいない。むしろ社会道徳的には「高い」方向へ上昇するのではなく、「深い」方向へ下降していかなければならない。(中略)オカルティズムにおける上昇衝動と、社会道徳における下降衝動との統一が本書の性格を決定しているのである。先に引用した神秘学の黄金律――「真理へ向って汝の認識を一歩進めようとするなら、同時に善へ向けて汝の性格を三歩進めなければならない」という言葉も、自分だけがより高い、善良な性格によって救われるというのではなく、進んで時代の世界苦の中へ入っていくこと、誤解を恐れずに、シュタイナーと共に語れば、「悪しき同胞と共に悪しき人にさえなりうる能力」(一九一九年二月二一日の講演)を求めて述べられている。」
高橋巖翻訳



