2016年12月29日 (木)

年間ランキングです

第1位:「もう失敗できない」都知事の間違えない選び方

第2位:女性初・小池百合子都知事は任期を全うできるか

第3位:参院選、損したのは誰か

第4位:民進党に“勝機”あり? 期待不足の新党、夏の選挙の皮算用

第5位:議会改革が不可避…小池都知事と「20時退庁」

第6位:70年後に見えてきた白洲次郎の意外な事実

第7位:安保法制の狙いは中国だと明言を――法施行に向け論客が注文

第8位:広島でオバマが見せたすごさ~参院選演説はここに注目

第9位:韓国総選挙、「若者の反乱」が始まった?-参院選18歳選挙権へのヒント

第10位:マイルドヤンキー「18歳選挙世代」が投票する理由

2016年9月 4日 (日)

「むかし語りへのいざない~宇治拾遺物語」

NHKラジオ第二放送(1年間・2016年4月~2017年3月)

解説:伊東玉美(白百合女子大学教授)
朗読:加賀美幸子(元NHKアナウンサー)

http://www4.nhk.or.jp/kotenkoudoku/

<ねらい>
平安時代後期から鎌倉時代中期にかけて、説話集の編纂が流行し宇治拾遺物語は鎌倉時代前期に成立したと考えられる、代表的な作品の一つです。 197の説話から成る宇治拾遺物語は、「こぶとりじいさん」「腰折れ雀」「わらしべ長者」といった私たちにも馴染みのある話しも多く、今日に至るまで、多くの読者を獲得し続けてきました。 今回は、宇治拾遺物語全197話を、作品に配列されている順に毎回数話ずつ、なるべく簡潔なコメントをつけながら全て読んでいきます。編者は、隣り合った説話をつなげていったり、その連鎖を切り替えたり、はたまた以前読んだ説話を思い出させたりと、配列に様々な工夫をしています。その呼吸をも楽しみながら、読み進めてみたいと思います。 時におかしく、時におそろしく、時には真面目で、時にはゆるい宇治拾遺物語の世界を、こなれた文章に導かれながら味わっていきます。

第1回  4月9日  序文と冒頭話~第1話「道命阿闍梨和泉式部の許に於て読経し五条の道祖神聴聞の事」まで
第2回  4月16日  思わぬ住人~第2話「丹波国篠村に平茸生ふる事」から第3話「鬼に瘤取らるる事」まで
第3回  4月23日  思わぬ失敗~第4話「伴大納言の事」から第7話「竜門の聖、鹿に替らんと欲する事」まで
第4回  4月30日  霊妙な力(1)~第8話「易の占して金取り出す事」から第12話「児のかい餅するに空寝したる事」まで
第5回  5月7日  たまげる出来事~第13話「田舎の児、桜の散るを見て泣く事」から第17話「修行者、百鬼夜行に逢ふ事」まで
第6回  5月14日  不思議な世界~第18話から第21話まで
第7回  5月21日  蔵王権現の怒り~第22話から第24話まで
第8回  5月28日  災難のいろいろ~第25話から第27話まで
第9回  6月4日  さまざまな伏兵~第28話から第31話まで
第10回  6月11日  本物とまがいもの(1)~第32話から第35話まで
第11回  6月18日  法体の人々~第36話から第40話まで
第12回  6月25日  和歌の力・祈りの力~第41話から第45話まで

第13回  7月2日  大小の執念~第46話から第48話まで
第14回  7月9日  有名なペア~第49話から第53話まで
第15回  7月16日  思わぬ運命~第54話から第57話まで
第16回  7月23日  思う心~第58話から第63話まで
第17回  7月30日  信じる気持ち~第64話から第68話まで
第18回  8月6日  一途な訴え~第69話から第73話まで
第19回  8月13日  笑い話四種~第74話から第77話まで
第20回  8月20日  型破りな僧侶たち~第78話から第80話まで
第21回  8月27日  思いの行方~第81話から第83話まで
第22回  9月3日  異界からの訪問者~第84話から第86話まで
第23回  9月10日  賜り物の意味~第87話から第89話まで
第24回  9月17日  中国・インドにて~第90話から第92話まで

第25回  9月24日  人並みはずれる(1)~第93話から第96話まで
第26回  10月1日  人並みはずれる(2)~第97話から第101話まで
第27回  10月8日  信仰と智恵~第102話から第104話まで
第28回  10月15日  仙人・幻術・生き仏~第105話から第107話まで
第29回  10月22日  仏供養のいろいろ~第108話から第110話まで
第30回  10月29日  さまざまなうそ~第111話から第114話まで
第31回  11月5日  ありあまる力~第115話から第119話まで
第32回  11月12日  見通す・操る・導かれる~第120話から第123話まで
第33回  11月19日  言葉を失う~第124話から第128話まで
第34回  11月26日  思わぬ展開~第129話から第132話まで
第35回  12月3日  本物とまがいもの(2)~第133話から第137話まで
第36回  12月10日  高僧たちの群像~第138話から第142話まで

第37回  12月17日  風狂の先達~第143話から第150話まで
第38回  12月24日  幽境・唐土・新羅~第151話から第156話まで
第39回  1月7日  化け物たち~第157話から第160話まで
第40回  1月14日  引きつける力~第161話から第163話まで
第41回  1月21日  買い物の話~第164話から第165話まで
第42回  1月28日  思わぬ正体~第166話から第169話まで
第43回  2月4日  異国での注意~第170話から第172話まで
第44回  2月11日  骨身にしみる教え~第173話から第175話まで
第45回  2月18日  怪力と霊力~第176話から第179話まで
第46回  2月25日  無上の宝~第180話から第182話まで
第47回  3月4日  霊妙な力(2)~第183話から第185話まで
第48回  3月11日  武人の生態~第186話から第189話まで
第49回  3月18日  思い入れの結末~第190話から第192話まで
第50回  3月25日  僧の験力~第193話から第195話まで
第51回  4月1日  最後のメッセージ~第196話から第197話まで

2016年6月28日 (火)

東大教室への訪問

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2016年6月27日 (月)

東大

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東京大学の赤門をくぐる

 

2015年11月16日 (月)

「ロボットは東大に入れるか」

人工知能(AI)プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」が、大学入試センター試験模試で、 5教科8科目の合計で得点511点(全国平均416.4点)、偏差値57.8を記録したことを公表した。  「ロボットは東大に入れるか」は、2011年度からスタートしたプロジェクト。 文字どおり、ロボット(人工知能)により、東大の受験に成功することを目指す。 2016年までに大学入試センター試験で高得点を、2021年には東京大学の入試合格を目標に掲げている。  

ベネッセコーポレーションの「2015年度進研模試 総合学力マーク模試・6月」を受験し、この好成績を達成した。 科目別では、数学IA(偏差値64.0)、数学IIB(65.8)、世界史B(66.5)の3科目で、偏差値60を突破した。 合否判定でみると、私立大学の441大学(1055学部)、国公立大学の33大学(39学部)で80%以上の合格率になるとのこと。

2014年8月30日 (土)

『生命はどこから来たか』

彗星や火球の衝突の話は、プラトンの時代には全く普通の話であった。しかし過去の大災害の記憶は忘れられ、哲学者アリストテレスからは地球が彗星には関係なく安全だと考えられるようになった。

アリストテレスは彗星や隕石を天体とはせず、大気現象だとした。
西洋思想では地球は宇宙から切り離されてしまったのである。

この変化はソクラテス後二〇〇年で起きたのだが、それは隕石の落下や空の " 流れ " の明るさが急に減少したためである。

フレッド ホイル, Fred Hoyle, 「生命(DNA)は宇宙を流れる」より

ホイルは生命の起源を自然主義的に説明する、化学進化の理論を批判した。生命は宇宙で進化して、胚種 (panspermia) によって宇宙全体に広がった仮説をとなえた。地球上では生命進化は彗星によって、ウイルスが流入することによって起こることを主張した。

①生命は宇宙の中を広く流通している。

②生命は、宇宙空間を含めた、幅広い環境の中で存在できる。

③進化においては、個体や種の壁を超えた遺伝子のやり取りが、重要な役割をはたしている。


フレッド・ホイル氏
(Sir Fred Hoyle,1915-2001)は英国出身の天文学者、SF小説作家。元素合成の理論の発展に大きな貢献をした。
http://alma.mtk.nao.ac.jp/j/aboutalma/outline/06.html

2014年7月14日 (月)

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス

(Gaius Plinius Secundus、22 / 23年 – 79年8月24日)

古代ローマの博物学者、政治家、軍人。ローマ帝国の海外領土総督を歴任する傍ら、自然界を網羅する百科全書『博物誌』を著した。一般には大プリニウスと呼ばれる。

甥に、文人で政治家のガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス(小プリニウス)がおり、養子としている。

概要
北イタリアのコムム(現在のコモ)生まれ。プリニウスは思想的にはストア派で、論理と自然哲学と倫理学を信奉していた。ストア派の第一の目的は、自然法則にしたがって徳の高い生き方をすることであり、自然界の理解が必要であった。甥の小プリニウスによると、プリニウスは夜明け前から仕事をはじめ、勉強している時間以外はすべて無駄な時間と考え、読書をやめるのは浴槽に入っている時間だけだったという。

23歳のころ軍隊にはいり、ゲルマニア遠征に従軍した。50年代にローマにもどり法学を学んだが、弁論家としては成功せず、学問研究と著作に専念した。70年ごろから72年にかけて、ヒスパニア・タラコネンシス(スペイン北部)に皇帝代官として赴任した。このときに現在では世界遺産にもなっているラス・メドゥラスの採鉱作業にも接している。最後はイタリアに戻って、直接ウェスパシアヌス帝に仕える要職に就いた。この仕事は一日の大半を自由に使えたため、プリニウスは精力的に筆をふるい、ローマ史31巻をまとめ、ネロ帝の時代から材料をまとめ続けていた『博物誌』37巻の大半を書き上げた。

79年にウェスウィウス山(ヴェスヴィオ山)の大噴火でヘルクラネウムとポンペイの町が壊滅したとき、プリニウスはナポリの近くのミセヌムでローマ西部艦隊の司令長官の任についていた。火山現象をくわしく調査したいとの熱意と友人らを救出しなければという思いから、彼はナポリ湾をわたってスタビアエ(英語版)に上陸し死亡した。

小プリニウスの伝えるところによれば、プリニウスはスタビアエの町で休息していたが、火山性地震が激しくなったため、建物の倒壊を恐れて海岸へ避難した。避難者たちが海岸にいると、濃い煙と硫黄の臭いが立ち込めたため、人々は算を乱して逃げ出したが、プリニウスは動けずその場で倒れた。噴火が収まった三日後に収容された彼の遺体は眠るがごとくであったという。プリニウスの死因について小プリニウスは、喘息持ちであったため、煙で気管支がふさがれ窒息死したのだと記述する。しかし、硫黄臭や気管支の損傷についての記述は、硫化水素や二酸化硫黄などの火山ガスによる中毒死を強く示唆しており、現代の伝記ではプリニウスが有毒ガスで死んだと記述されることも極めて多いが、実際には史料からの憶測の域を出ない。

プリニウスは、歴史や科学に関する多数の著作をあらわした。騎兵による投げ槍の使用についての論著、甥である小プリニウスのために書いたと思われる、弁論家養成の3巻本、語形変化と活用について論じた8巻本、ゲルマニアでの戦争を記述した20巻の歴史書、そして41~71年のローマ史31巻などがあるが、いずれも現在では失われている。

プリニウスの著作で唯一現存しているのが、自然と芸術についての百科全書的な37巻の大著『博物誌』である。自然界の歴史を網羅する史上初の刊行物であった。ローマ皇帝ティトゥスへの献辞の中で彼自身がのべているように、この書物には、100人の著者によるおよそ2000巻の本(その大半は現在に伝わっていない)を参照し、そこからピックアップした2万の重要な事項が収録されている。メモや調査の記録は160冊にもなろうかという分量だった。最初の10巻は77年に発表され、残りは彼の死後おそらく小プリニウスによって公刊された。この百科全書は、膨大な参考文献表から始まり、天文学、地理学、民族学、人類学、人体生理学、動物学、植物学、園芸、医学と医薬、鉱物学と冶金、美術にまでおよび、余談にも美術史上、貴重な話がふくまれている。直接見聞きしたものはほとんどなく、受け売りの論評と迷信がないまぜになった風変わりな書物である。約200枚の手書き原稿が現存している。プリニウスの名前は8~9世紀の文献にも登場し、中世には『博物誌』が重視された。怪しげな情報を採用したり、科学の素養がないため間違いを犯している点もあるが、よく整理された知識が記載されており、古代研究の分野ではルネサンスまで『博物誌』が唯一の情報源であった。

ja.wikipedia.org/wiki/プリニウス より

2013年3月26日 (火)

「7」だらけな問題

「7+7÷7+7×7-7=?」 
92%が間違えてしまうという問題が海外で話題に

問題は「7+7÷7+7×7-7=?」で、
答えを「00」「08」「50」「56」の4つから選ぶ。

「7」だらけな問題ですが、小学校で習う計算の順序が分かっていれば解けるはず。ネット上では「冷静に計算すれば間違えない」「あまりにも簡単で拍子抜け」と多くの人が正解している様子。
正解:http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1302/19/news077_2.html

法則分かればスッキリ「宿+飯=2」「寒+温=7」
Facebookで話題のクイズ。
「宿+飯=2」「寒+温=7」――。
これらは「ある法則に基づいた計算式」なのだ、
「転+倒」は?
画像1枚でクイズを発信するFacebookページ「1枚クイズ」からの出題。4つの式に共通する「ある法則」が分かりましたか?
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1206/12/news117.html

2013年3月 8日 (金)

ネズミとりの猫の妙術

家屋に一匹の大鼠が住みついた。家は猫を飼っていたが、大鼠にやられてしまった。怒って自分で捕えようとするが、すばしっこいのでとても捕えられない。相手が鼠ではやはり猫でなければだめかと近所の飼い猫を次々と借りてきて鼠と対決させた。どの猫も捕えることが出来ない。技が優れた猫も、気合いが充実した猫も、間合い取りが優れた猫も、全く手に負えない。
5、6町先に、鼠とりの名猫がいることを知らせてくれた者が、その猫を借りて来た。
見た目には格好がよいわけでもなく利口でもなさそうで、技を秘めているとも思われない古猫だった。ところが、その猫が部屋の中にノソノソと入った途端、それまで我が物顔に振る舞っていた大鼠が隅の壁の前にたたずんで動かなくなった。
古猫は声も出さず、近寄ると無造作に捕えてしまった。
驚いたのは一部始終を見ていた3匹の猫達。

「自分は、いままでに鼠どころか、イタチでもカワウソでも簡単に捕えたのに、きようの大鼠にはかなわなかった。どんな妙術でもって捕えたのか教えていただきたい」
「私の妙術より先にあなた達の妙術を聞かせて下さい。」と返された。
「私は技については極地を究め、いままでに天井の梁の上だろうが、どこでも捕り損なったことがなかった。しかし、きようのネズミには私のわざが利かなかったのです」
「あなたが修行したのは、技だけだったのです。技には相手の隙を狙うところがある、だから、きようのネズミは捕れなかった。技では、ただ早わざだけを研究して相手を打とう、打とうとしてもだめ、最後には打ちがごまかしてでもかまわないと思うようになる。すると、道から脱線してしまうものです」要は、敵の兆を打つことにある、相手の心の動き、気を打つのだ。これが本当の技。相手の兆を観る目は文法や旋律だけでは見えない。

次に虎毛の猫が進み出た。
「自分は、わざではなく気合を練った、だから気合には自信があった。先ず、打つ前に既に勝ち、然る後に打つようにしてこれまでに負けたことが一度もない、それなのにきようのネズミにはこれが通用しなかった」
「あなたの気合は勢いだったのです。丁度、洪水のときの水の勢いと同じで、ある程度流れ出してしまえば後が続かず止まってしまう、尽きてしまうのです。これを「客気」といいます。
孟子が「洪然の気」と言っておりましたが、この気は、尽きることのない気なのです。気には、勢いだけの「客気」と孟子が言った「正気」がある。きようのネズミのように死を決意している相手には「客気」では通じないものです。若いうちは、「客気」を本物と思いがちですから注意しなければいけません」

3番目の猫が進み出た。
「私は心で間合いで勝負をしてきました。私は相手と争わない、相手が出れば退き、退けば前に出て自分の間合いを維持してきたから、誰にも負けたことがなかった。しかし、きようのネズミにはだめでした。」
「成程、あなたがいう心というのは、相手に和合しようとする一念から出ている、だから、途中でだれてしまうのです。」
3匹の猫は、古猫からそれぞれの妙術を指摘されて納得した様子だった。
「あなたは、どのようにしたのか教えてください」
「それでは話しましょう。自分は、無心にして自然に和しただけ、これが全てです」

人間は、元来持って生まれた自然のこころ、無心にして自然に順応することができる。技をどうしたらよいか?早技を出すとか、隙を狙うとか、こういったことは自分がやっていることですから、これさえ無くしてしまえば、”無心”になれる。ここからは、へぼな詩や歌や絵はうまれない。同人誌やライブハウスでは「剣道の試合」レベルで、昔は「死合」といい文字が異なってた。真剣でやったから負ければ絶命した。「我」といういう小さいものにこだわってはいなかった。つねに死と相対していた。これが技と心を一瞬も 分離させられない身体の理由だ。

「振りかざす太刀の下こそ地獄なり 一歩進め 先は極楽」
上手に飛び跳ねて勝とうとする、技だけでは死に合ったネズミには効かない。一念不生こそ絶対であると古猫は「切り落とし」の精神を体得していた。「無心」という内容はやさしいようだが、死に合う試合をやって平常心を養う。平常心、平常心というけれど、試合前なら誰だって皆平常でいる。それが試合の場に臨み、こちらの生命を断とうとする相手と対決するから、一歩もさがらないというのは容易ではない。という話。

2013年2月 3日 (日)

歳棚に祭る神 柳田國男

歳棚に祭る神

 いわゆる三が日の本当の正月に対して、十五日を小正月と呼ぶ地方は多い。或は一方の年越を大年といい、小正月を特に若年という場処もある。そうして若木若餅の如くワカの名のつく行事が却って多くはこの方に伴なうのである。また小正月にも三が日五が日を算える例がある。十四日から二十日の骨正月までを、注連の内とした痕跡もある。十六日などは殊に大切な日であった。だから現在の松の内を、後に定まったもので無いかと思うのである。
 盆と正月と、一年を二季に分けながら、片方は六か月半、他は五か月半で節季の来るのも変ではあるまいか。その癖盆と正月には今でも一対の儀式が色々ある。盆礼と称して袴をはいて廻礼するのは、必ずしも仏様を拝みに来るので無かった。踊とか綱引とかは現在は遊戯だが、それでもまだ方式が守られている。それが盆に行う土地と正月の十五日にするものとが入交っているのである。春と秋との最初の満月ということが、恐らくはこの共通を見る理由だろうと思う。そういう中にも殊によく似ているのは盆の精霊棚と正月の年神棚との飾り方で、家の者がこれに仕える手続きから、特定の植物を採って来て結び付ける点まで一致している。もちろん現在は一方を福の神の御座の如く、他を御先祖の陰気な霊を迎えるものに解しては居るが、これは秋の祭だけを僧侶に指導させた結果であって、盆という語が採用せられてから変ったのである。盆は仏教に説く所では寺に供物を送ることだ。ゆえにもし盆の儀式がこの名前と共に始まったとすれば、手本があるわけだが実は日本の自己流である。
 何か必ず隠れたる理由があることと思うのは、盆でも正月でもその臨時の棚の一隅に、ミタマサマヘの供物として別に三角に結んだ十二の飯を上げることである。
 ミタマは精霊のことでなければならぬのだが盆の方では既に主賓を家の仏様としているから、これを餓鬼だの三界万霊だのと名づけて、招かざる御相伴の食客の如くいう地方が多い。それでは年神棚のミタマの方が一段と説明が付かなくなる。そこで全体一年に二度ずつ、昔から家々を訪ねて来た神様は、たれかという間題が起って来る。福の神かと思うと夷大黒の祭は別にする。歳徳神と名づけて弁天様の如き、美しい女神を想像する者もあるが、古風な東北の田舎などで、正月様と称して迎えたのは、高砂の能に出るような老男と老女で、左義長の煙に乗って還って行く姿が見えるなどともいった。暮の寒い風がぼうぼうと吹くころに、

正月様どこまで
何とか山の下まで

などと待ち兼ねて子供たちが歌っていたのは、やはり家々の元祖の神霊であって、それが無数のミタマサマを引率して、著しい季節のかわり目には我々の家庭に新たなる精力を運び込むものと、昔の人たちは考えていたらしいのである。

年男

 だから春を迎えるという家々の準備には、一通りならぬ謹慎があった。衣服も食物も共に皆晴れのものを用い、言語挙動までも清浄を専らとしたのは、決して縁喜という類の幼稚なる論理からでない。祭主は当然に家長の役であったが、家にも一国と同じく祭政分離の必要があって、優良なる若者の中から年男が選定せられることになった。年男の権限は土地によって広狭がある。それを比較して見ると新年の事務の何であったかがわかる。東京などでは豆をまくのが年男のように思っており、堅い家風の家でも、新しい手桶に若水を汲むまでを年男の役にしているだけだが、信州越後その他の村では、中々容易でない骨折である。注連の内を通じて、または少なくとも改まった食事だけは、女に調理させぬところがある。七草や十五日の小豆粥だけは、男がこしらえるに定まっている家もある。それを神々と松飾りに供えるのは、いうまでも無く年男の任務で、そのために度々水を使ってこの寒いのに身を潔めなければならぬ。それから十五日を中心とした色々の儀式、例えば胡桃焼の年占でも、蛭の口焼、蚊の口焼、鳥追ムグラ打、なるかならぬかなろうと申しますに至るまで、何人が行うも随意というものは一つもなかつた。ただその方式が如何にもまじめ過ぎる故、新しい青年は次第にこれをいやがりいつとなく年少の者に役目を譲るようになって、そうすると遊びの気持が多くなり、最初の趣意が隠れたのである。豆まきの如きも追々に変化はしたが、二人づれで行う風がまだ方々に残っている。その一人は是非とも女であって、杓子を持って御もっとも御もっともと、はやしながらあとから付いて行く処もある。十五日の粥食わせなども一人が果樹の後の方に立っていて、なろうと申しますという例もあれば、なりますなりますと木に代って答えるのもある。これらは何れも曾て年男の助手として、万歳でいうならば才蔵、あるいはまた年女とも名づくべきものの、必要な時代があったことを思わしめるものであるまいか。

御松迎え

 年男の任務の特に重要なるものの一つは、山に入って松の木を伐って来ることである。その松は我々のいう門松にも立てるのだが、これを選定するのに方角その他の条件があるのみならず普通にはこれをお松様といって、立てぬ前に約一昼夜、清い場所に安置して神酒などを供える。門松を一種門前の装飾の如く考えるに至ったのは変化である。地方の家々では独り門前に限らず、納屋、馬屋の入口と台所、殊に年神の棚に結び付けるのを大切とし、時としては年棚を造らずして木を立ててそれを祭壇とする地方もある。略式で無いものは必ず心木の三階松で、これにも節の食物は必ず供えるのを見ると御松様を迎えるといったのには意味があった。即ち本来は正月の神様が木によって代表せられ、これを目に見えぬ霊の宿りと考えたものらしいのである。そうすると盆の魂棚に必ずキキョウ、女郎花等を立てること、これを盆花と称して定まった日に野に出て採って来る習わしがあるのも、同じくまたこの日の神を迎え申す方式であったと見られる。
 門松を門神柱と呼んでいる土地もある。また門松といいつつ松で無い木を立てる例も多い。それから必ずしもその数は二木で無く、また偶数とも限っていない。だから妹背の門松といい、緑の常磐にあやかるなどというのも、有りようは都近くの詩か空想かであって、残るところは春の神を歓迎する祭が、必ず恭謹して山の木を伐って来ることであったというのみである。小正月の三日ほど前には、若木迎えと称して今一度、山から特に伐って来る地方もある。この場合には通例は松ではない。というわけは、この木には餅を付けて、飾り立てねばならなかったからである。ヤナギとかエノキとか色々の闊葉樹がこのためには用いられた。その様式にも段々の異同があって、詳しく比較をすると新たに色々の事が考えられるのだが、只今はまだ材料が揃わぬ。要するに金のなる木などの空想のもとで、米雑穀は無論のこと、繭でも綿でもこれ位取れるようにと、春の始めに神様と相談して、一通りの計画を立てて置くのだから、その木もまた尋常のものとして、取扱われていなかったのは当然である。

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「定本柳田國男全集 第十三巻(新装版)」筑摩書房 1969(昭和44)年6月

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
フォト

22カードの意味

  • _0 愚者
    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

オンライン状態

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。