2017年5月20日 (土)

《きつねの窓》安房 直子

いつでしたか、山で道に迷った時の話です。ぼくは、自分の山小屋にもどるところでした。歩き慣れた山道を、鉄砲をかついで、ぼんやり歩いていました。そう、あの時は、全 くぼんやりしていたのです。むかし好きだった女の子のことなんか を、とりとめもなく考えながら。
道を一つ曲がった時、ふと、空がとてもまぶしいと思いました。まるで、みがきあげられた青いガラスのように……。すると、地面も、 なんだか、うっすらと青いのでした。
「あれ?。」

いっしゅん、ぼくは立ちすくみました。まばたきを、二つばかりしました。ああ、そこは、いつもの見習れたすぎ林ではなく、広 々とした野原なのでした。それも、一面、青いききょうの花畑なのでした。
ぼくは息をのみました。いったい、自分は、どこをどうまちがえて、いきなりこんな場所にでくわしたのでしょう。だいいち、こ んな花畑が、この山にはあったのでしょうか。
「すぐ引き返すんだ。」
ぼくは、自分に命令しました。その景色は、あんまり美しすぎました。なんだか、そらおそろしいほどに。
けれど、そこには、いい風がふいていて、ききょうの花畑は、 どこまでもどこまでも続いていました。このまま引き返すなんて、なんだかもったいなさすぎます。
「ほんのちょっとやすんでいこう。」
ぼくは、そこにこしを下ろして、あせをふきました。
 と、その時、ぼくの目の前を、ききょうの花がざざーと一列にゆれて、その白い生き物はボールが転げるように走って行きました。
 確かに、白ぎつねでした。まだ、ほんの子どもの。ぼくは、鉄ぽうをかかえると、その後を追いました。
 ところが、その速いことといったら、ぼくが必死で走っても、追いつけそうにありません。ダンと一発やってしまえば、それでいいのですが。できれば、ぼくはきつねのすを見つけたかったのです。そして、そこにいる親ぎつねをしとめたいと思ったのです。けれど、子ぎつねは、ちょっと小高くなった辺りへ来て、いきなり花の中にもぐったと思うと、それっきり姿を消しました。
 ぼくは、ぽかんと立ちすくみました。まるで、昼の月を見失ったような感じです。うまいぐあいに、はぐらかされたと思いました。

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 この時、後ろで、
 「いらしゃいまし。」
と変な声がしました。おどろいてふり向くと、そこには、小さな店があるのでした。入口に、「染め物 ききょう屋」と、青い字の看板が見えました。そして、その看板の下に、こんの前かけをした子どもの店員が一人、ちょこんと立っていました。ぼくには、すぐわかりました。
 「ははあ、さっきの子きつねが化けたんだ。」
 すると、胸のおくから、おかしさが、くつくつとこみ上げてきました。「ふうん、これはひとつ、だまされたふりをして、きつねをつかまえてやろう」と、ぼくは思いました。そこで、精いっぱい、あいそ笑いをして、
「少し休ませてくれないかね。」
と言いました。すると、店員に化けた子きつねは、にっこり笑って、
「どうぞ、どうぞ。」
と、ぼくを案内しました。
 店の中は、土間になっていて、しらかばでこしらえたいすが、五つもそろっているのです。りっぱなテーブルもありました。
「なかなかいい店じゃないか。」
ぼくは、いすにこしかけて、ぼうしをぬぎました。
「はい、おかげさまで。」
きつねは、お茶をうやうやしく運んできました。
「染め物屋だなんて、いったい、何を染めるんだい。」
ぼくは、半分からかうようにききました。すると、きつねは、いきなりテーブルの上の、ぼくのぼうしを取り上げて、
「はい、なんでもお染いたします。こんなぼうしも、すてきな青に染まります。」 と言うのです。
「とんでもない。」
ぼくは、あわててぼうしを取り返しました。
「ぼくは、青いぼうしなんか、かぶる気はないんだから。」
「そうですか、それでは。」
と、きつねは、ぼくの身なりをしげしげと見つめて、こう言いました。
「そのマフラーは、いかがでしょう。それとも、くつ下はどうでしょう。ズボンでも、上着でも、セーターでも、すてきな青に染まります。」
 ぼくは、いやな顔をしました。「こいつ、なんだって、やたらに人の物を染めたがるんだろう。」と、腹がたちました。
 けれど、それはたぶん、人間もきつねも同じことなのでしょう。きつねは、きっとお礼がほしいのでしょう。要するに、ぼくは、お客としてあつかいたいのでしょう。
 ぼくは、一人でうなづきました。それに、お茶まで入れてもらって、何も注文しないのも悪いと思いました。そこで、ハンカチでも染めさせようかと、ポケットに手をつっこんだ時、きつねは、とっぴょうしもなくかん高い声をあげました。
「そうそう、お指をお染いたしましょう。」
「お指?」
ぼくはむっとしました。
「指なんか染められてたまるかい。」
 ところが、きつねは、にっこり笑って、
「ねえ、お客様、指を染めるのは、とてもすてきなことなんですよ。」
と言うと、自分の両手を、ぼくの目の前に広げました。
 小さい白い両手の、親指と人差し指だけが、青く染まっています。きつねは、その両手を寄せると、青く染められた四本の指で、ひし形の窓を作ってみせました。それから、窓を、ぼくの目の上にかざして、
「ねえ、ちょっと、のぞいてごらんなさい。」
と、楽しそうに言うのです。
「うう?」
ぼくは、気ののらない声を出しました。
「まあ、ちょっとだけ、のぞいてごらんなさい。」
 そこで、ぼくは、しぶしぶ窓の中をのぞきました。そして、ぎょうてんしました。
 指でこしらえた、小さな窓の中には、白いきつねの姿が見えるのでした。それは、みごとな母ぎつねでした。しっぽをゆらりと立ちて、じっとすわっています。それは、ちょうど窓の中に、一枚のきつねの絵が、ぴたりとはめこまれたような感じなのです。
「こ、こりゃあいったい………。」
ぼくは、あんまりびっくりして、もう声が出ませんでした。きつねは、ぽつりと言いました。
「これ、ぼくの母さんです。」
「……」
「ずうっと前に、ダーンとやられたんです。」
「ダーンと?鉄ぽうで?」
「そう。鉄ぽうで。」
 きつねは、ぱらりと両手を下ろして、うつむきました。これで、自分の正体がばれてしまったことも気づかずに、話し続けました。
「それでもぼく、もう一度母さんに会いたいと思ったんです。死んだ母さんの姿を、一回でも見たいと思ったんです。これ、人情っていうものでしょ。」
 なんだか悲しい話になってきたと思いながら、ぼくは、うんうんとうなずきました。
「そしたらね、やっぱりこんな秋の日に、風がザザーッてふいて、ききょうの花が声をそろえて言ったんです。あなたの指をお染なさい。それで窓を作りなさいって。ぼくは、ききょうの花をどっさりつんで、その花のしるで、ぼくの指を染めたんです。そうしたら、ほうら、ねっ。」
きつねは、両手をのばして、また、窓を作ってみせました。
「ぼくはもう、さびしくなくなりました。この窓から、いつでも、母さんの姿を見ることができるんだから。」
ぼくは、すっかり感げきして、何度もうなずきました。実は、ぼくも独りぽっちだったのです。
「ぼくも、そんな窓がほしいなあ。」
ぼくは、子どものような声をあげました。すると、きつねは、もううれしくてたまらないという顔をしました。
「そんなら、すぐにお染いたします。そこに、手を広げてください。」
テーブルの上に、ぼくは両手を置きました。きつねは、花のしるの入ったおさらと筆を持ってきました。そして、筆にたっぷりと青い水をふくませると、ゆっくり、ていねいに、ぼくの指を染め始めました。やがて、ぼくの親指と人差し指は、ききょう色になりました。
「さあ、できあがり。さっそく、窓を作ってごらんください。」
ぼくは、胸をときめかせて、ひし形の窓を作りました。そして、それを、おそるおそる目の上にかざしました。
すると、ぼくの小さな窓の中には、独りの少女の姿が映りました。花がらのワンピースを着て、リボンのついたぼうしをかぶって。それは、見覚えのある顔でした。目の下に、ほくろがあります。
「やあ、あの子じゃないか!」
ぼくはおどり上がりました。むかし大好きだった、そして、今はもう、けっして会うことのできない少女なのでした。
「ね、指を染めるって、いいことでしょ。」
きつねは、とてもむじゃきに笑いました。
「ああ、すてきなことだね。」
ぼくは、お礼をはらおうと思って、ポッケとをまさぐりました。が、お金は一銭もありません。ぼくは、きつねにこう言いました。
「あいにく、お金が全然ないんだ。だけど、品物なら、なんでもやるよ。ぼうしでも、上着でも、セーターでも、マフラーでも。」
すると、きつねはこう言いました。
「そんなら、鉄ぽうをください。」
「鉄ぽう?そりゃちょっと……」
困るなと、ぼくは思いました。が、たった今手に入れた、すてきな窓のことを思ったとき、鉄ぽうは、すこしもおしくなくなりました。
「ようし、やろう。」
ぼくは、気まえよく、鉄ぽうをきつねにやりました。
「毎度、ありがとうございます。」
きつねは、ぺこっとおじぎをして、鉄ぽうを受け取ると、おみやげになめこなんかくれました。
「今夜のおつゆにしてください。」
なめこは、ちゃんと、ポリぶくろに入れてありました。
ぼくは、きつねに帰りの道をききました。すると、なんのことはない、この店の裏側はすぎ林だというのです。森のなか二百メートルを歩いたら、ぼくの小屋に出るのだと、きつねは言いました。ぼくは、かれにお礼を言うと、言われたとおり、店の裏手へ回りました。すると、そこには、見慣れたすぎ林がありました。秋の日がきらきらとこぼれて、林の中は暖かく静かでした。
「ふうん。」
ぼくは、とても感心しました。すっかり知りつくしているつもりだったこの山にも、こんな秘密な道があったのでした。そして、あんなすばらしい花畑と、親切なきつねの店と……、すっかりいい気分ににって、ぼくは、ふんふんと鼻歌を歌いました。そして、歩きながら、また両手で窓を作りました。
すると、今度は、窓の中に雨が降っています。細かいきりさめが音もなく。
そして、そのおくに、ぼんやりと、なつかしい庭が見えてきました。庭に面して、ふるいえん側があります。その下に、子どもの長ぐつがほうり出されて、雨にぬれています。
「あれは、ぼkのだ。」ぼくは、とっさにそう思いました。すると、胸がどきどきしてきました。ぼくの母が、今にも長ぐつを片づけに出てくるのじゃないかと思ったからです。かっぽう着を着て、白い手ぬぐいをかぶって。
「まあ、だめじゃないの、出しぱなしで。」
そんな声まで聞こえてきそうです。庭には、母の作っている小さな菜園があって、青じそがひとかたまり、やっぱり雨にぬれています。ああ、あの葉をつみに、母は庭に出てこないのでしょうか……。
家の中は、少し明るいのです。電気がついているのです。ラジオの音楽に混じって、二人の子どもの笑い声が、とぎれとぎれに聞こえます。あれはbっぼくの声、もう一つは死んだ妹の声……。
「フーッ。」と、大きなため息をついて、ぼくは両手を下ろしました。なんだか、とてもせつなくなりまして。子どものころの、ぼくの家は焼けたのです。あの庭は、今はもう、ないのです。
それにしても、ぼくは全くすてきな指を持ちました。この指はいつまでもたいせつにしたいと思いながら、ぼくは、林の道を歩いていきました。
ところが、小屋に帰って、ぼくがいちばん先にしたことは、なんだったでしょう。ああ、ぼくは、全く無意識に、自分の手を洗ってしまったのです。それが、長い間の習慣だったのですから。
いけない、と思ったときは、もうおそすぎました。あおい色は、たちまち落ちてしまったのです。洗い落とされたその指で、いくらひし形の窓をこしらえても、その中には、小屋の天じょうが見えるだけでした。
ぼくはその晩、もらったなめこを食べるのも忘れて、がっくりとうなだれていました。
次の日、ぼくは、もう一度きつねの家に行って、指を染め直してもらうことにしました。そこで、お礼にあげるサンドイッチをどっさり作って、すぎ林の中へ入っていきました。
けれど、すぎ林は、行けども行けどもすぐ林。ききょうの花畑など、どこにもありはしないのでした。
それからというもの、ぼくは、いく日も山の中をさまよいました。きつねの鳴き声が、ちょっとでも聞こえるようものなら、そして林の中を、かさりと動く白いかげでもあろうものなら、ぼくは、耳をそばだてて、じっとその方向をさぐりました。が、あれっきり、一度もぼくは、きつねに会うことはありませんでした。
それでも、ときどき、ぼくは、指で窓を作ってみるのです。ひょうっとして、何か見えやしないかと思って。きみは変なくせがあるんだなと、よく人に笑われます。

【終わり】

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安房 直子(あわ なおこ)1943年1月5日 - 1993年2月25日)
東京都生まれ、児童文学者。
1971年『さんしょっ子』で日本児童文学者協会新人賞受賞。1973年『風と木の歌』で小学館文学賞、1982年『遠い野いばらの村』で野間児童文芸賞、1985年『風のローラースケート』で新美南吉児童文学賞、1991年『花豆の煮えるまで』でひろすけ童話賞受賞。
西東京市に暮らし執筆活動を続けていたが、1993年肺炎により逝去。享年50。

 

2017年5月19日 (金)

《狐あそび》柳田國男

信州小県ちいさがた郡の民謡集に、鬼遊びの童詞わらべことばが七章まで載っている。

鬼の来るまで 洗濯でもしやしょ
鬼の来るまで 豆でも炒いりやしょ
がら/\がら/\ 石臼いしうすがら/\
豆はたきとん/\

鬼を激昂げっこうさせる手段として、東京でも洗濯だけはいうが、こうなると、もう一つの演劇であって、しかも作者は土地の子どものほかにありえない。あるいは文句を他所よそから聞き覚えて、呪文じゅもんのようにそれを守り、または若干の作意を加えたものが鬼きめの言葉には多い。羽後うごの大館おおだて附近に行なわれていたのは、

隠れぼっちにかたなの者は
しんざのこちゃのれんげの花

これを新沢という村の麹屋こうじやのことのように思っていたそうだが、実は非常に古くからある小ちいさ子法師こぼうし、すなわち一寸法師の物語であった。江戸でも早くから意味が分らなくなって、チーチャコモチャ桂かつらの葉などとうたっていた。備前の岡山では、

つーちゃこもちゃかずらの葉
ねんねがもったらちょと引け

すなわち東北は遠いだけに、まちがいが幾分か大きかったのである。
鬼きめというのは、小さな握にぎり拳こぶしを並べさせて、歌の文句に合せてその上を突いて行くのだが、その言葉にも遊戯の趣意を説こうとする、序曲のような役目があったのかも知れぬ。ことに隠れ鬼や目くら鬼では、遊びのなかばでは声を立てることができない故に、初めに歌っておく文句が多かった。

だあまれ/\雉きじの子
鉄砲かたげがとおッぞ
うんともいうな屁へもひんな

これは肥後ひごの球磨くま地方の、モウゾウ隠れ(隠れんぼ)の歌であった。是これよりも一段と劇的なのは今も田舎いなかに残っている狐遊きつねあそび、大阪でもと「大和やまとの源九郎はん」などといった鬼ごとである。百年以前の『嬉遊笑覧きゆうしょうらん』にも、
鬼ごとの一種に、鬼になりたるを山のおこんと名づけて、引きつれて下に屈かがみ、とも/\つばな抜ぬこ/\と言ひつつ、茅花つばな抜くまねびをしてはてに鬼に向ひ、人さし指と大指とにて輪をつくり、その内より覗のぞき見て、是なにと問へばほうしの玉といふと、皆逃げ去るを鬼追ひかけて捕ふる也なり
と見えている。今日の「御山の御山のおこんさん」遊びの筋書すじがきは、もうまただいぶ長くなっていて、これに子どもでなくては言えぬようなおかしい問答が数多く繰り返される。


「こども風土記・母の手毬歌」岩波文庫、岩波書店1976(昭和51)年12月16日第1刷発行
「定本柳田國男集 第二十一巻」筑摩書房1962(昭和37)年12月25日刊
初出:「朝日新聞」1941(昭和16)年4月1日~5月16日鹿遊びの分布「民間伝承六巻九号」1941(昭和16)年6月号
http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/53809_49722.htmlImg_9742_2


2017年5月18日 (木)

「狐の窓」「狐の穴」「狐格子」

「きつねの窓」は安房直子の代表作で、桔梗の花の汁で指を染め、指で窓を作ってそこから覗くと、懐かしい風景や人が見える児童文学で教科書にも掲載されていた。
このエピソードは柳田国男「こども風土記」の「狐あそび」に次の記述がある。

“~今も田舎に残ってゐる狐遊び、大阪でもと「大和の源九郎はん」などといつた鬼ごとである。百年以前の嬉遊笑覧にも鬼ごとの一種に、鬼になりたるを山のおこんと名づけて、引きつれて下に屈み、もともとつばな抜こゝと言ひつつ、
芽花(つばな)抜くまねびをしてはてに鬼に向かひ、人さし指と大指とにて輪をつくり、その内より覗き見て、是なにと問へばほうしの玉といふと、皆逃げ去るを鬼追ひかけて捕ふる也と見えてゐる。”

「狐の窓」についての伝承は常光徹著「しぐさの民俗学」(2006年 ミネルヴァ書房)、野村純一編「昔話伝説研究の展開」(1995年三弥井書店)のなかで、狐の窓の作り方が図解されている。

《天気雨のときに指を決まった形に組んでそこから覗くと狐の嫁入りが見えるという伝承が、かつては広く知られていたようです。また、狐火を見たとき、狐に化かされたときにも特定の形で指を組み、そこから覗くことで難を避けることができるという伝承もあったようです。
このときの指の形を「狐の窓」「狐の穴」「狐格子」などと呼びあらわすようです。》

「南方熊楠全集 4」(1972年 平凡社)では、狐の嫁入りを見るしぐさについて若干の記述もあるらしい。

【狐の穴】狐窓、狐格子とも呼ばれる特殊な手の組み方。天気雨(狐の嫁入り)時にこの組み方をした指の隙間から狐の嫁入り行列が見えると言われている。 http://twitter.com/kiri_zumaImg_9743

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2017年5月 4日 (木)

海底アニメの場面

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2017年4月26日 (水)

BABYMETAL騒動

ベビメタは「まがい物」バラカン氏発言にファン激怒

海外でも人気の3人組メタルダンスユニットBABYMETALについて
「まがい物」と酷評したラジオDJのピーター・バラカン氏(64)の発言に、ファンから怒りの声が殺到している。

BABYMETALは最新アルバム「METAL RESISTANCE」が米ビルボードのアルバム総合ランキングで39位となり、 日本人アーティストの上位40位入りとしては、1963年の坂本九さん以来となる快挙を成し遂げた。

25日放送のTOKYO MX「モーニングCROSS」では、海外で人気となっている同グループについて取り上げたが、コメンテーターとして出演したバラカン氏はコメントを求められると苦笑い。「世も末だと思っています」と語った。

ジャンルを問わず様々な音楽に造詣の深いバラカン氏。番組での発言についてツイッターでも問われ、「番組の前からメディアを通じて少しは耳にしていましたが、ぼくは全く評価できません。先入観ではありません。
あんなまがい物によって日本が評価されるなら本当に世も末だと思います」とあらためて説明した。

このツイートには「個人の意見は尊重しますが、ただまがい物というのは乱暴すぎるでしょう」
「彼女ら(バンドや企画も含めて)はあくまでONLY ONEですから『まがい物』というのは、何かと比較した表現であり不適切な感がして残念です」

「少し耳にしただけでは評価できませんね。それで意見するのは『先入観』。
命を懸けてやっているTeam BABYMETALに『まがい物』『世も末』は撤回して下さい」といった批判が多数寄せられている。

日刊スポーツ 2016年4月26日12時9分
http://www.nikkanspo...nt/news/1637755.html

<ピーター・バラカン氏のツイート>
Peter Barakanさんのツイート @sukiyaki_03
https://twitter.com/...s/724405739209392128
Peter Barakan @pbarakan
@sukiyaki_03

番組の前からメディアを通じて少しは耳にしていましたが、ぼくは全く評価できません。
先入観ではありません。あんなまがい物によって日本が評価されるなら本当に世も末だと思います。
18:12 - 2016年4月24日

2017年4月17日 (月)

「朝の躑躅 (つつじ)」三島由紀夫

「朝の躑躅 (つつじ)」三島由紀夫

昭和二年四月二十一日午前二時すぎより朝にいたる。草門子爵邸内にて。
草門子爵夫人・綾子は最後の貴婦人、単にその出自だけの問題で片付けられる性質ものではなく、精神が貴族であるかが問われる。
美しくもグロテスクなパーティが草門邸内で催された。客人は小寺勝造以外は貴族である。小寺は元郡司家の門番で、今ではアジア・ゴムおよび小寺汽船の社長。郡司男爵夫人・繁子に誘われて来た彼は、成り上がりであるのを恥じている。繁子と鹿子木(綾子の実弟)以外は、小寺を人種の違う者として差別の眼差しを送る。繁子と鹿子木は貴族趣味に反感を持っている。

女主人・綾子は酔った草門子爵をベッドに介抱しに行って、パーティに戻ってきたところ。話題は草門子爵に移る。
綾子、子爵について「子供のような人でございます。私以上に世間しらずで、私以上にかよわく、何も世間並みのお仕事はできません。毎日の贅沢、気散じ、気ままな買物、それだけが主人の生甲斐。それも生まれつきお金というものを自分の手に持ったことのない人で、物の値段もわかりません。」
世間を知らないことが貴族の条件である。飢え死にしそうな民衆の暴動を聞いて、パンがなければお菓子を食べればよいではありませんかという、マリー・アントワネットのごとき嫌らしさである。勝本子爵に電話が入る。十五銀行倒産の知らせであった。一同驚きと悲しみに襲われる。皆帰り支度を始める。

小寺はパーティを抜けだし、草門家の家令山口の事務室に赴き、草門家の財産管理の具合を尋ねる。財産のほとんどは十五銀行にあった。草門家を助けようと考えているところへ、綾子が現れる。永いこと憧れていた「高貴なけだかい美しい婦人の、匂いやかな白い肌、夏の日ぐれの夕顔のようなその肌、……そうしてあなたの冷たい美しいお顔、あなたのそっけなさ、絹のような冷たさと絹のようななよやかな、……」
体を抱きたいと申し出ると綾子は、提案に驚愕するが、説得されて受け入れることに。あくまでも草門家立て直しのためで、愛がないことを伝える。

庭の外れの離れで合うことに。そこは白い躑躅が花盛りであった。元の洋間に残っていた鹿子木と繁子はピストルの音を聞く。十五銀行の倒産に草門子爵は悲嘆して自殺。二人は綾子を探す。鹿子木と繁子、見つけ出した綾子の姿に呆れる。子爵の遺書を読み終えた綾子。
「子爵は亡くなりました。あなたが子爵をお助け下さるお金と引き代えに、私が操をけがしたのは無駄事になりました。おわかりですね。」
これまでと打って変わって、小寺に悪態を吐き小切手を返す。草門家という大義があったから売女の辱めを受け入れたが、水泡に帰してしまった。小寺への悪態は大義が無くなってしまった、取引のため姦通をした自分への情けなさへの怒りだった。小切手を受け取らなければ、愛情で身を委せたといわれかねないが、子爵亡きあとでは、自分のために金を受け取ってしまったと同じ堕落である。小寺の理窟は民衆の理屈であり、到底民衆に貴族の感情は理解できない。小寺は綾子に結婚を申し込むが拒否される。

綾子 「私この朝を一生忘れないだろうと存じますの。子爵の亡くなった朝、そうして小寺さん、あなたに抱かれた朝、……私は今まで死の側におりましたのに。(中略) 白い躑躅がつかのまでも旭を浴びて、薄くれないに染まったこの朝、人間の一生にこんな朝はめったにございませんわ」
躑躅は死の側 ― 草門子爵との生活 ― から一瞬、それも子爵の死んだ朝に、生の側 ― 小寺との情事 ― の喜びにいた象徴。綾子は情事を封印して、再び死の側の人間として生きることを決意する。小寺に言わせれば「綺麗事」だが、「綺麗事」こそ貴族の本質である。
鹿子木と小寺は草門家を出る。繁子は一睡のため別の部屋に移動。一人になった綾子へ、家令・山口が朝食の時間を聞きに来る。事件を知らない山口に、「いいのよ。…… そうね、御朝食はいつもの時間でいいでしょう。殿様も、(トほのかに泣く)……殿様も、そのあとでおやすみになるでしょう」 山口に対する演技は、どのような事態になっても貴族として生きて行く決意の表れだった。

劇団新派+莟会8月特別合同公演
1957年(昭和32)8月3日~27日 東京・新橋演舞場
演出:長岡輝子
出演:中村歌右衛門、霧立のぼる、伊志井寛、花柳武始、伊井友三郎ほか

2017年4月16日 (日)

『鹿鳴館』と『舞踏会』

『舞踏会』は芥川龍之介の短編小説。ピエール・ロティ著『秋の日本』の中の一章「江戸の舞踏会」に着想を得た作品である。明治19年の天長節の晩、鹿鳴館で催された大夜会に招かれた娘が、あるフランス人海軍将校に踊りを申し込まれ、2人で美しく儚い花火を眺める淡い恋の物語。

「ピエエル・ロチの『江戸の舞踏会』は芥川龍之介の『舞踏会』の下敷になった。芥川の『舞踏会』は、短編小説の傑作であり、芥川の長所ばかりの出たもので、私などは、後期の衰弱した作品より、よほど好きである。
こんどの『鹿鳴館』の芝居ではロチと芥川の描いたまさにその当日の舞踏会が、舞台上に再現されるのだが、もちろん当時そのままの再現ではなく我々のイメージにゆがめられた、おそらく現実よりはずっと美しい、いま見てもおかしくはない舞踏会でなければならない。」(三島由紀夫『鹿鳴館』について)

「或る現実の時代を変改し、そのイメージを現実とちがったものに作り変えて、それを固定してしまう作業こそ、作家の仕事であって、それをわれわれは、ピエール・ロチ(日本の秋)と芥川龍之介(舞踏会)に負うている。そこに更にこの『鹿鳴館』一篇を加えることを、作者の法外な思い上りと蔑せらるるや否や。」(美しき鹿鳴館時代――再演『鹿鳴館』について)

江藤淳『芥川龍之介』より。
【「舞踏会」は 明治十九年十一月三日の夜であった。 「舞踏会」という作品は,短編というよりむしろ掌篇といったほうがいい小品である。しかし,私は,おそらく百に余る芥川龍之介の作品の中で,この作品に最も愛着を覚える。ここには,初期の「鼻」や「芋粥」の軽妙な諧謔はない。晩年の「玄鶴山房」や「蜃気楼」の鬼気もない。いわんや遺稿として自殺の後に発表された「或阿呆の一生」や「歯車」の裡にひそむ追いつめられた作者の痛切な悲鳴もきこえない。なぜ私はこの作品が好きなのだろうか?
多分私は,鹿鳴館の夜空にきらめいて消える花火が好きなのである。 「仏蘭西 フランス の海軍将校」が,「教えるような調子」でいう, 「私は花火の事をかんがえてゐたのです。我々の生 ヴィ のやうな花火の事を」】

青空文庫『舞踏会』芥川龍之介
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『舞踏会』芥川龍之介

舞踏会

芥川龍之介

       一

 明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家けの令嬢明子は、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館の階段を上つて行つた。明るい瓦斯ガスの光に照らされた、幅の広い階段の両側には、殆ほとんど人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬まがきを造つてゐた。菊は一番奥のがうす紅べに、中程のが濃い黄色、一番前のがまつ白な花びらを流蘇ふさの如く乱してゐるのであつた。さうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来るのであつた。
 明子は夙つとにフランス語と舞踏との教育を受けてゐた。が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであつた。だから彼女は馬車の中でも、折々話しかける父親に、上うはの空の返事ばかり与へてゐた。それ程彼女の胸の中には、愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もちが根を張つてゐたのであつた。彼女は馬車が鹿鳴館の前に止るまで、何度いら立たしい眼を挙げて、窓の外に流れて行く東京の町の乏しい燈火を、見つめた事だか知れなかつた。
 が、鹿鳴館の中へはひると、間もなく彼女はその不安を忘れるやうな事件に遭遇した。と云ふのは階段の丁度中程まで来かかつた時、二人は一足先に上つて行く支那の大官に追ひついた。すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆あきれたやうな視線を明子へ投げた。初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂つてゐるたつた一輪の薔薇の花――実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪を垂れた支那の大官の眼を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具へてゐたのであつた。と思ふと又階段を急ぎ足に下りて来た、若い燕尾服の日本人も、途中で二人にすれ違ひながら、反射的にちよいと振り返つて、やはり呆れたやうな一瞥を明子の後姿に浴せかけた。それから何故か思ひついたやうに、白い襟飾ネクタイへ手をやつて見て、又菊の中を忙しく玄関の方へ下りて行つた。

 二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬鬚を蓄へた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易ルイ十五世式の装ひを凝こらした年上の伯爵夫人と一しよに、大様に客を迎へてゐた。明子はこの伯爵でさへ、彼女の姿を見た時には、その老獪あいらしい顔の何処かに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかつた。人の好い明子の父親は、嬉しさうな微笑を浮べながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。彼女は羞恥と得意とを交はる交はる味つた。が、その暇にも権高な伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があつた。

 舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲き乱れてゐた。さうして又至る所に、相手を待つてゐる婦人たちのレエスや花や象牙の扇が、爽かな香水の匂の中に、音のない波の如く動いてゐた。明子はすぐに父親と分れて、その綺羅びやかな婦人たちの或一団と一しよになつた。それは皆同じやうな水色や薔薇色の舞踏服を着た、同年輩らしい少女であつた。彼等は彼女を迎へると、小鳥のやうにさざめき立つて、口口に今夜の彼女の姿が美しい事を褒め立てたりした。
 が、彼女がその仲間へはひるや否や、見知らないフランスの海軍将校が、何処からか静に歩み寄つた。さうして両腕を垂れた儘、叮嚀に日本風の会釈ゑしやくをした。明子はかすかながら血の色が、頬に上つて来るのを意識した。しかしその会釈が何を意味するかは、問ふまでもなく明かだつた。だから彼女は手にしてゐた扇を預つて貰ふべく、隣に立つてゐる水色の舞踏服の令嬢をふり返つた。と同時に意外にも、そのフランスの海軍将校は、ちらりと頬に微笑の影を浮べながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はつきりと彼女にかう云つた。
「一しよに踊つては下さいませんか。」

 間もなく明子は、そのフランスの海軍将校と、「美しく青きドナウ」のヴアルスを踊つてゐた。相手の将校は、頬の日に焼けた、眼鼻立ちの鮮あざやかな、濃い口髭のある男であつた。彼女はその相手の軍服の左の肩に、長い手袋を嵌はめた手を預くべく、余りに背が低かつた。が、場馴れてゐる海軍将校は、巧に彼女をあしらつて、軽々と群集の中を舞ひ歩いた。さうして時々彼女の耳に、愛想の好いフランス語の御世辞さへも囁さやいた。
 彼女はその優しい言葉に、恥しさうな微笑を酬いながら、時々彼等が踊つてゐる舞踏室の周囲へ眼を投げた。皇室の御紋章を染め抜いた紫縮緬の幔幕や、爪を張つた蒼竜が身をうねらせてゐる支那の国旗の下には、花瓶々々の菊の花が、或は軽快な銀色を、或は陰欝な金色を、人波の間にちらつかせてゐた。しかもその人波は、シヤンパアニユのやうに湧き立つて来る、花々しいドイツ管絃楽の旋律の風に煽られて、暫くも目まぐるしい動揺を止めなかつた。明子はやはり踊つてゐる友達の一人と眼を合はすと、互に愉快さうな頷うなづきを忙しい中に送り合つた。が、その瞬間には、もう違つた踊り手が、まるで大きな蛾がが狂ふやうに、何処からか其処へ現れてゐた。
 しかし明子はその間にも、相手のフランスの海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意してゐるのを知つてゐた。それは全くこの日本に慣れない外国人が、如何に彼女の快活な舞踏ぶりに、興味があつたかを語るものであつた。こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如く住んでゐるのであらうか。さうして細い金属の箸で、青い花の描いてある手のひら程の茶碗から、米粒を挾んで食べてゐるのであらうか。――彼の眼の中にはかう云ふ疑問が、何度も人懐しい微笑と共に往来するやうであつた。明子にはそれが可笑しくもあれば、同時に又誇らしくもあつた。だから彼女の華奢な薔薇色の踊り靴は、物珍しさうな相手の視線が折々足もとへ落ちる度に、一層身軽く滑らかな床の上を辷つて行くのであつた。
 が、やがて相手の将校は、この児猫のやうな令嬢の疲れたらしいのに気がついたと見えて、劬いたはるやうに顔を覗きこみながら、
「もつと続けて踊りませうか。」
「ノン・メルシイ。」
 明子は息をはずませながら、今度ははつきりとかう答へた。
 するとそのフランスの海軍将校は、まだヴアルスの歩みを続けながら、前後左右に動いてゐるレエスや花の波を縫つて、壁側かべぎはの花瓶の菊の方へ、悠々と彼女を連れて行つた。さうして最後の一廻転の後、其処にあつた椅子の上へ、鮮あざやかに彼女を掛けさせると、自分は一旦軍服の胸を張つて、それから又前のやうに恭うやうやしく日本風の会釈をした。

 その後又ポルカやマズユルカを踊つてから、明子はこのフランスの海軍将校と腕を組んで、白と黄とうす紅と三重の菊の籬まがきの間を、階下の広い部屋へ下りて行つた。
 此処には燕尾服や白い肩がしつきりなく去来する中に、銀や硝子ガラスの食器類に蔽われた幾つかの食卓が、或は肉と松露しようろとの山を盛り上げたり、或はサンドウイツチとアイスクリイムとの塔を聳だてたり、或は又柘榴と無花果との三角塔を築いたりしてゐた。殊に菊の花が埋め残した、部屋の一方の壁上には、巧な人工の葡萄蔓が青々とからみついてゐる、美しい金色の格子があつた。さうしてその葡萄の葉の間には、蜂の巣のやうな葡萄の房が、累々と紫に下つてゐた。明子はその金色の格子の前に、頭の禿げた彼女の父親が、同年輩の紳士と並んで、葉巻を啣くはへてゐるのに遇つた。父親は明子の姿を見ると、満足さうにちよいと頷いたが、それぎり連れの方を向いて、又葉巻を燻くゆらせ始めた。
 フランスの海軍将校は、明子と食卓の一つへ行つて、一しよにアイスクリイムの匙を取つた。彼女はその間も相手の眼が、折々彼女の手や髪や水色のリボンを掛けた頸へ注がれてゐるのに気がついた。それは勿論彼女にとつて、不快な事でも何でもなかつた。が、或刹那には女らしい疑ひも閃めかずにはゐられなかつた。そこで黒い天鵞絨の胸に赤い椿の花をつけた、独逸人らしい若い女が二人の傍を通つた時、彼女はこの疑ひを仄めかせる為に、かう云ふ感歎の言葉を発明した。
「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと。」
 海軍将校はこの言葉を聞くと、思ひの外真面目に首を振つた。
「日本の女の方も美しいです。殊にあなたなぞは――」
「そんな事はこざいませんわ。」
「いえ、御世辞ではありません。その儘すぐにパリの舞踏会へも出られます。さうしたら皆が驚くでせう。ワツトオの画の中の御姫様のやうですから。」
 明子はワツトオを知らなかつた。だから海軍将校の言葉が呼び起した、美しい過去の幻も――仄暗い森の噴水と凋すがれて行く薔薇との幻も、一瞬の後には名残りなく消え失せてしまはなければならなかつた。が、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリイムの匙を動かしながら、僅にもう一つ残つてゐる話題に縋すがる事を忘れなかつた。
「私もパリの舞踏会へ参つて見たうございますわ。」
「いえ、パリの舞踏会も全くこれと同じ事です。」
 海軍将校はかう云ひながら、二人の食卓を繞めぐつてゐる人波と菊の花とを見廻したが、忽ち皮肉な微笑の波が瞳の底に動いたと思ふと、アイスクリイムの匙を止めて、
「パリばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です。」と半ば独り語のやうにつけ加へた。

 一時間の後、明子とフランスの海軍将校とは、やはり腕を組んだ儘、大勢の日本人や外国人と一しよに、舞踏室の外にある星月夜の露台に佇んでゐた。
 欄干一つ隔へだてた露台の向うには、広い庭園を埋めた針葉樹が、ひつそりと枝を交し合つて、その梢に点々と鬼灯提燈の火を透すかしてゐた。しかも冷かな空気の底には、下の庭園から上つて来る苔の匂や落葉の匂が、かすかに寂しい秋の呼吸を漂せてゐるやうであつた。が、すぐ後の舞踏室では、やはりレエスや花の波が、十六菊を染め抜いた紫縮緬の幕の下に、休みない動揺を続けてゐた。さうして又調子の高い管絃楽のつむじ風が、相不変あひかはらずその人間の海の上へ、用捨もなく鞭を加へてゐた。
 勿論この露台の上からも、絶えず賑な話し声や笑ひ声が夜気を揺つてゐた。まして暗い針葉樹の空に美しい花火が揚る時には、殆んど人どよめきにも近い音が、一同の口から洩れた事もあつた。その中に交つて立つてゐた明子も、其処にゐた懇意の令嬢たちとは、さつきから気軽な雑談を交換してゐた。が、やがて気がついて見ると、あのフランスの海軍将校は、明子に腕を借した儘、庭園の上の星月夜へ黙然と眼を注いでゐた。彼女にはそれが何となく、郷愁でも感じてゐるやうに見えた。そこで明子は彼の顔をそつと下から覗きこんで、
「御国の事を思つていらつしやるのでせう。」と半ば甘えるやうに尋ねて見た。
 すると海軍将校は相不変微笑を含んだ眼で、静かに明子の方へ振り返つた。さうして「ノン」と答へる代りに、子供のやうに首を振つて見せた。
「でも何か考へていらつしやるやうでございますわ。」
「何だか当てて御覧なさい。」
 その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手くもでに闇を弾きながら、将に消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。
「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生ヴイのやうな花火の事を。」
 暫くしてフランスの海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。

       二

 大正七年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴おもむく途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。青年はこの人自身の口からかう云ふ思出を聞く事に、多大の興味を感ぜずにはゐられなかつた。
 その話が終つた時、青年はH老夫人に何気なくかう云ふ質問をした。
「奥様はそのフランスの海軍将校の名を御存知ではございませんか。」
 するとH老夫人は思ひがけない返事をした。
「存じて居りますとも。Julien Viaud とおつしやる方でございました。」
「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」
 青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟やくばかりであつた。
「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」

(大正八年十二月)


『舞踏会』は芥川龍之介の短編小説。ピエール・ロティ著『秋の日本』の中の一章「江戸の舞踏会」に着想を得た作品である。明治19年の天長節の晩、鹿鳴館で催された大夜会に招かれた娘が、あるフランス人海軍将校に踊りを申し込まれ、2人で美しく儚い花火を眺める淡い恋の物語。 Img_8851_3


2017年4月15日 (土)

四幕戯曲「夜の向日葵」三島由紀夫

女ふたりの友情物語。純真でほがらかで人を疑うことを知らない女と、毒舌で苦労した女。園井花子は「幸福って、何も感じないことなのよ。幸福って、もっと鈍感なものなのよ」という。対して柏木君子は人を憎むのを知らない。敵を作らないし、憎むことの苦しさを知らない幸福な女。花子からすれば向日葵みたいな女。「夜の向日葵」は君子を取り巻く人々の憎しみ合いと、少しも動じない君子との対比で、結局は向日葵に幸福が転がり込んでしまう。
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第一幕は柏木君子の誕生会。
夫は五年前に亡くなって、大学生の息子が一人いる金持ちの未亡人。息子(和男)には恋人の伊原慶子がいる。
女学生時代の友人(園井花子も)が招待され、誕生会は滞りなく進む。
花子は君子の友人の中でも親友で、彼女が和男と慶子に交わした言葉に、戯曲主題が暗示されている。
「むかしから君子さんとわたくしとは、向日と影みたいなものだったの。あの人はどこまで行ってもいつも日向にいた、まるで向日葵みたいに。わたくしは蝸牛みたいにいつも向日葵のかげにいたの」
「子供のころから、あなたのお母様は、何でもほしいと思ったもので買っていただけないものはなかったんですってね。何でも思うとおりにならないことはなかったというじゃないの」
君子は和男が置き忘れたカバンの中から《右肺浸潤、療養を要す》の身体検査表を見つける。

第二幕。高原のサナトリウム(花子の夫が経営)に和男は入院した。慶子は見舞いに来るが、君子はもう来ないように告げる。和男との恋仲が、病人によい影響を与えない。慶子は興奮して君子と園井(院長)が出来ているのを、つい話してしまう。君子は激昂して来るなと告げる。(若いころ、君子と園井は恋仲だったが、花子が嫉妬して園井を奪った) 君子は花子に、慶子が和男に近づかないよう、見張り番を頼む。花子は請け合うが、反対に合わせようと努力する。
園井と君子の逢い引き。園井は花子から離婚訴訟を起こされているという。「でも、それが何なの、お互い三人の間に気持ちが通じていれば、それが何なの」原因は園井と君子の関係である。「そうしてみると花子の訴訟は、身を退いてあなたと僕を結ばせようという、新派の腹芸みたいなものになるわけですな。そんなら金なんか欲しがらなきゃいいのに」 君子「そこが花子さんの近代的なところよ」 花子の問題が片づいて、和男の病気が治ったら結婚する話は決まった。こっそり聞いていた河村照子(看護婦)は花子に一部始終を告げる。以前、河村は園井の愛人であったので、花子と敵対する関係であったが、今は二人の共通の敵である君子に復讐するため同盟を結ぶ。二人は和男と慶子を逢わせる画策をする。それによって和男の病気は治らなくなる。二人とも可哀そうに思いながらも、園井と君子が結婚できないことに喜びを見出す。和男と慶子にとっても功徳を施して満足する。見事な論理のすり替えだ。

第三幕。東京、花子のアパートにて。
花子は園井と離婚してアパートに移った。そこへ女学校時代の友人CとDが見舞いがてら偵察にやって来る。二人は空々しい慰めするが、花子相手にしない。(花子は悲しんではいない。君子によって「思う通り」になった) CとDが帰ったあと、河村照子が杉田誠を伴って来る。杉田は園井のサナトリウムの患者で君子を慕っていた。杉田は青年らしい文学的話をして去る。河村は和男と慶子の経過報告をする。二人は度々逢っているが、そのせいで和男の病状はよくならない。君子は悲しんでいるが、園井に会うとケロリとしている。そこに君子から電話がかかってきた。和男が今朝、亡くなった知らせである。河村は「君子さん、好い気味ですわねえ」と花子が思った通りになったのを皮肉ぽっくいう。その瞬間、花子は河村の頬を平手打ちにした。二人はお互いが自責の念にかられて、罪のなすり合いをする。

第四幕。十日たった君子の家。慶子は自責の念にかられ、サナトリウムで和男に逢っていたことを告げる。君子は花子が手引していたのを知るが、許してしまう。もし和男が慶子と逢わずに亡くなったらと思うと、反対に後悔したと考えたからである。慶子が去ったあと、君子、花子、園井の修羅場が始まる。
花子も自責の念に駆られ真実を告げにきたが、慶子に云ったと同じこと云う。花子は呆気にとられる。花子は園井の企みを暴露する。園井も和男が回復しない方がよかったのである。園井には君子の他に二人の女を囲っていた。二人の女に結婚を条件に金を出せていたのである。君子と園井が結婚すれば、二人の女は黙っていないから、花子の計画を知らぬふりをしていたほうが得策だったのである。しかし君子はすべてを許してしまう。君子は園井と結婚する決意を固める。

息子の死の原因を作った女に、息子に良くしてくれてありがとうと、皮肉ではなく、本心から感謝している。復讐劇を打ち砕く花子に、残ったのは和男を死に到らしめた自責の念たった。園井の加担は悪事を暴露されて、卑劣な男の印象を君子に与える。

「ほんとうに人間って若いうちに死ぬのが花ね。どうでしょう、この汚れを知らない、きれいなお顔。」 君子は不運でさえ味方につけ、肥やしにしてしまう。最大限に許す、憎まないと拡張した場合、損をするのは君子と係った者となる。
「もしあたくしが豚だつたら、真珠に嫉妬なんか感じはしないでせう。 でも、人造真珠が自分を硝子にすぎないとしぢゆう思つてゐることは、豚が時たま 自分のことを豚だと思つたりするのとは比べものにはならないの。」

昭和28年4月「群像」発表。


《この劇の科白は各幕フルスピードを以て演ぜらるべし》
自作解題によると、欧米の旅行中パリで小切手を盗難に遭って、散々となり憂鬱を忘れるために書いた四幕戯曲が「夜の向日葵」であったという。
早く読めば喜劇となり、感情を込めてスローに演じると悲劇の様相が濃くなる。
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2017年4月10日 (月)

『凸坊新畫帖 名案の失敗』(でこぼうしんがちょう めいあんのしっぱい)

1917年(大正6年)2月初旬公開の下川凹天による日本国産最初期のアニメ映画である。本作を日本最古のアニメ映画とする説もある[1]。2013年現在、現存が確認されたフィルムはない[1]。

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概要

最古の日本アニメとしては今まで、下川凹天による同年1月に公開したとされる『芋川椋三玄関番の巻』とされてきたが、独バイエルン州立図書館の研究員が、当時の映画誌『キネマ・レコード』などを精査した結果、『芋川椋三玄関番の巻』公開は1917年4月であり、それに先んじる同年2月初旬に、本作が公開されていたことを示す記載が発見されたという[1][2]。

このことから日本最古のアニメ映画を本作とする可能性も出てきている。ただし作者自身は雑誌「映画評論」1934年7月号に掲載された下川凹天の回想記事「日本最初の漫畫映畫製作の思ひ出」において、最初に制作した作品が『芋川椋三玄関番の巻』であると述べている[3]。

また、映画誌『活動写真雑誌』1917年3月号には、下川凹天作『凸坊新畫帖 芋助猪狩の巻』が、同年2月1日に東京・浅草キネマ倶楽部で公開された旨の記述が存在しており、当時は劇場によって題名を改変する事があったことを踏まえ、『猪狩の巻』は『名案の失敗』と同じ作品であるする見方もある[1]。

ちなみにタイトルにある凸坊は、幸内の師匠に当たる北澤楽天が当時『時事新報』の日曜版に連載していたマンガ『茶目と凸坊』に便乗してつけられたものと思われる。この『茶目と凸坊』は非常な人気で、当時のアニメ映画は(たとえ外国産のものであっても)タイトルに「茶目」や「凸坊」などの名前が勝手につけられていたのである[要出典]。

作品内容

推測の域を出ないが、イノシシを生け捕りにしようと落とし穴を掘って、主人公が落ちてしまう内容と考える見方がある[1]。

スタッフ
演出・作画 ‐ 下川凹天
企画・製作・配給 ‐ 天然色活動写真
興行 ‐ キネマ倶楽部

脚注

1.^ a b c d e 鶴谷真 (2013年7月8日). “日本アニメ史:新説、「最古」は下川凹天の別作品”. 毎日新聞・東京夕刊 2013年11月6日閲覧。
2.^ だが本作は「第二次線畫トリツク(= 2つ目のアニメ作品)」とする記事が当時の雑誌に残っているなど当時の記事などで事実誤認があったとみられるが真偽は不明。
3.^ 当時のアニメ映画作品の記録は、映画雑誌などに不完全な形でしか残っていないため非常に曖昧なものとなっている。『芋川椋三玄関番の巻』は当時の雑誌に掲載されている1917年1月の劇場上映作品リストに本作品の名前は存在しないこと、作品そのものについての資料が残っていないこと初公開は1917年4月と記述された記録も存在することなどもあり詳細は定かでない。

外部リンク
F.S. Litten: Some remarks on the first Japanese animation films in 1917

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%B8%E5%9D%8A%E6%96%B0%E7%95%AB%E5%B8%96_%E5%90%8D%E6%A1%88%E3%81%AE%E5%A4%B1%E6%95%97

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
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