2023年6月 1日 (木)

「描くことは再び愛すること」ヘンリー・ミラー

「ぼくは自分の書いていることが実際に以前の自分の言動であったものなのか、それとも創り上げたものなのか、もはや自分でもわからなくなることがある。とにかく、ぼくは嘘ではない夢をみる。時おりほんのちょっと嘘をつくことがあっても、それは主として真理のためなのである。ぼくが言わんとしているのは、ばらばらに砕けてしまったぼくが統合しようとしていることなのだ。」ヘンリー・ミラー

2023年5月31日 (水)

「ぼくがものを書くのは」ヘンリー・ミラー

「ぼくがものを書くのは、より大いなる現実をうち立てたいためである。ぼくは現実主義者でもなく自然主義者でもない。ぼくは生命の味方をするものであり、生命は文学においては夢と象徴を駆使することによって得られる。ぼくは心底では形而上的な作家なのだ。」ヘンリー・ミラー


「思えば、ひたすら自らのおもむくままに事をなし、果実を手に入れてきた。

私にとって現実は常に彼方にあり、理想がその手前にある理想を追い続けていれば、それが現実になって、事を成すことができるのだ。」 ヘンリー・ミラー

2023年5月30日 (火)

『燈台鬼』南條範夫

遣唐使の父子の悲劇を描いた短編時代小説。1956年『オール讀物』5月号連載 

35回直木賞を受賞作。


『燈台鬼』あらすじ

時は唐の代宗の御世である大暦143月、長安の蓬莱宮に事件が起きていた。日本の遣唐使小野石根が「この宴席において日本の席次が新羅より下に置かれるとは承服しがたい」と脇目もふらず叫んでいた。その言葉に新羅の使者は大反発した。面倒と見た唐側は日本の使節の謁見を早めて、すぐに都から去るようにしてしまう。


出発を間近にひかえた石根は、高階遠成とともに長安の場外を馬で散策して、2人の後を先ほどから付けて来た謎の男達に襲われる。石根は遠成を逃して、一人でその集団に立ち向かった。彼らの言葉から新羅の人間だと分かったが、石根は馬から突き落とされて、連れ去られそうになる。だが遠成が助けを連れて戻ってきたと感づいた暴漢達に傍らの溝に投げ捨てられて、男達もそのまま逃亡してしまった。そして石根は気を失う。


遣唐使の帰国後に、石根は帰路で海難事故のため死亡したと伝えられる。3年後、嘆き悲しむ妻の衣子のもとに帰国した遠成が訪れる。「実は石根は長安で行方不明となっており、彼の名誉のために水死した事になっていた」と告げる。横で聞いていた9歳の息子の道麻呂は「ならば自分が大きくなったら遣唐使となって父を唐へ探しに行く」と幼いながらも母に毅然と申し出るのだった。


そして二十数年後の延暦237月、藤原葛野麿を大使として出発する、遣唐使船第二船の中に道麻呂と遠成の姿があった。長安に着いた2人はあらゆる手を使って石根の行方を捜したが、その手がかりは全くつかめず、やがて帰国の頃となった。

遠成は「揚州から帰る副使の一行に加わって、そこで探してみてはどうか」と提案する。だが揚州においても、少しの手がかりも得られなかった。


ついに帰国の時となり、揚州節度使陳大勉は遣唐使一行に別れの宴を催した。節度使は芸人一団を会場に呼び寄せて、一行にも何か余興を求める。若い道麻呂がその最初となり、彼は母が旅立ちの際に送ってくれた歌を切々とうたった。その時に道麻呂は、部屋の隅に置かれた大きな3つの燭台のうち、1つがわずかに動いたことに気づいた。


その後奇妙なことに、一人の役人がその燭台を鞭で打擲し始めたので呆気に取られていると、横にいた節度使の書記が「あれは燈台鬼という人間の燭台で、体を動かした為に鞭で打たれているのです」と教えられる。鞭の罰を与えられていた燈台鬼は60歳ほどの老いた男だった。その男は自分に近づいた道麻呂の顔を眺めると突如奇声を発した。自らの唇を食い破ると、したたり落ちる血を足の指でなぞり「石根」の2文字を書いた。


この燈台鬼が石根だと知った2人は、適当な口実を作りその身を譲り受けて、持衰扱いにして帰国船に乗り込ませる。


あの日、新羅人たちに襲われ倒れていた石根は、偶然通りかかった雑戯師に拾われた。そして声と十指を奪われ、燈台鬼へと体を変えられ売り払われた。人には屈しえぬ性格の石根であったが、何もかもが無駄だと悟った。感情を無くすことに努めるが、夜毎に故郷の妻子が心に浮かび上がるのだった。


ある夜、主人のもとの宴でその懐かしき祖国の歌が聞こえてきた。「この客は日本の遣唐使なのだ。助かる機会は今夜の他はない」と思わず体を動かした。だが「鬼となったこの醜い姿をどうして故郷の人に見せられよう?」と残った最後の自尊心が彼を押さえつけた。しかし彼の前に立った人物に妻の面影をはっきりと感じて、自分の息子だと確信した石根は、全身に残っているあらゆる力を注いで足元の床に自分の名前を記した。


船内で筆を使えるようになった父から、全ての物語を聞いた道麻呂は張り裂けんばかりに泣いたが、反対に少しずつ穏やかさを取り戻していった石根は笑みを浮かべ「よくぞ母に似たる」と何度も書き記るす。


8日目の明け方、道麻呂はただならぬ気配で目を覚ました。騒然とする甲板に出て船員に話を聞くと、持衰が今しがた海中へ身を投じたという。半狂乱となった道麻呂に、船の下方から戻ってきた遠成は、石根が書いたであろう詩が記された一枚の紙を示した。


経年流涙蓬蒿宿、遂日馳思蘭菊親。

形破他州成燈鬼、争帰旧里寄斯身。


「石根様のお心にしてみれば仕方の無かった事かもしれません」とつぶやいた遠成に、道麻呂は泣きながら小さくうなずいた。「持衰が死んだので海が荒れるぞ」と船員たちの騒ぐ声がまるで耳に入らぬかのように、2人は波が高くうねり始めた海面をひたすらに眺めていた。 

【南條範夫】

19081114 – 20041030日。
東京銀座に生まれる。東京帝国大学法学部卒業。
1953
年、『子守の殿』で第1回オール讀物新人杯受賞。
1956
年、『燈台鬼』で直木賞受賞。
1975
年、紫綬褒章受章
1982
年、『細香日記』で吉川英治文学賞受賞。


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『月影兵庫・血染めの旅籠』南條範夫(創元推理文庫)零画報

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長編剣豪小説『月影兵庫』シリーズ・南條範夫(創元推理文庫)零画報

http://zerogahou.cocolog-nifty.com/blog/2023/05/post-33e115.html

2023年5月27日 (土)

『鹿鳴館』三島由紀夫

明治19年の天長節に鹿鳴館で催された大夜会。恋と政治の渦中に、交錯する愛憎、暗殺の企み、裏切り。

乱舞する四人の男女が巻き込まれていく運命は――。〈はじめて書いた俳優芸術のための作品〉と三島が言った戯曲。


『鹿鳴館』について

この作品はとにかく「お芝居」を書こうとしたものだ。史実や時代考証には無頓著で、杜撰を極めている。明治十九年十一月三日の鹿鳴館における天長節夜会には、ここに見られるような事件は絶対に起らなかった。但し、歴史の欠点は、起ったことは書いてあるが、起らなかったことは書いてないことである。そこにもろもろの小説家、劇作家、詩人など、インチキな手合のつけ込むスキがあるのだ。(文学座プログラム・昭和三十一年十一月 三島由紀夫)



「美しき鹿鳴館時代―再演『鹿鳴館』について

もちろん時代の隔たりがすべてを美化したことが原因だが、それだけではない。こんな風に、或る現実の時代を変改し、そのイメージを現実とちがつたものに作り変へて、それを固定してしまふ作業こそ、作家の仕事であつて、それをわれわれは、ピエール・ロチ(日本の秋)と芥川龍之介(舞踏会)に負うてゐる。そこに更にこの『鹿鳴館』一篇を加へることを、作者の法外な思ひ上りと蔑せらるるや否や。 — 三島由紀夫



【舞台四幕劇】

時は1886年(明治19年)113日の天長節。


1 - 午前10時。影山伯爵邸・庭内にある茶室潺湲亭。

天長を祝う観兵式が行われている日比谷の練兵場を見渡せる影山伯爵邸・庭内の茶室潺湲亭に集まった華族夫人たちの前に、元・新橋の芸者だった影山伯爵夫人・朝子が現われた。朝子は輝くような美しさと人当りのよさで華族夫人たちの中心となっていた。公卿の出、大徳寺侯爵夫人・季子も朝子を崇拝するひとりで、娘・顕子の恋人の問題で助言を求めてきた。恋人の名は自由民権運動家・清原永之輔の息子・清原久雄だという。その名を聞いた時、朝子は心臓が止まる程ショックを受ける。話を聞くと、久雄は何か危険な行動へ出ようとしているらしい。そして今、その久雄を呼んできているという。

朝子は久雄の危険な計画を止めさせようと、自分が久雄の実の母であること、芸者時代の自分と永之輔との愛とを打ち明ける。だが久雄は、自分が今夜暗殺しようとしている相手は影山伯爵ではなく、父・清原永之輔であると意外なことを言った。


2 - 午後1時。同所。

朝子は、かつての恋人で今も愛している清原永之輔を邸に呼びつけた。清原が今夜の鹿鳴館の舞踏会に、自由民権運動の一党を引き連れ乱入して来ることを止めさせようとするためだった。しかし清原は朝子の説得を容易に聞き入れない。そこで朝子は、これまで鹿鳴館の夜会には出ないことにしていた主義を翻し、今夜は自分が主宰者として出ると宣言する。朝子は、私の夜会をぶち壊しにしないで下さい、あなたの命をお救いしたい一心の贈物ですと清原を説得し、承諾させる。

影山伯爵が側近の飛田天骨と観兵式から帰ってきて茶室にやって来た。外務卿の影山伯爵は、内閣切っての実力者と自他共に認める存在だった。清原を急いで帰らせた朝子と女中・草乃は木蔭に隠れ、影山伯爵と飛田が話している内容を聞いてしまう。清原永之輔の暗殺計画の首謀者は実は、夫・影山伯爵だったのである。身を現わした朝子は、今夜は壮士の乱入はありません、と夫にきっぱり宣言する。


3 - 午後4時。鹿鳴館の2階。

実の母・朝子に舞踏会に出るように命じられ、正装した久雄が恋人・顕子と鹿鳴館の2階にいる。やがて2人は朝子と季子に伴われ広間へ移動し、代わりにそこへ影山伯爵と草乃がやって来る。影山伯爵は草乃を強引に籠絡し一切を聞き出す。清原率いる壮志乱入がないことが確実だと知った影山伯爵は、偽の斬り込み隊を乱入させ、草乃を使い清原に知らせて、彼をおびき寄せる計画をする。そして朝子の計らいで今夜、父は乱入しないと思っている久雄に対し、そんなものを信じているのかとそそのかし、彼にピストルを渡す。


4 - 午後9時すぎ。鹿鳴館の2階。舞踏場。

華やかな舞踏会が始まった。やがて給仕が朝子へ壮志の乱入を知らせた。朝子は階段の上で凛として立ちはだかり、これを阻止する。本物の壮志乱入と思い込んだ久雄は自分の母を裏切った父に激昂し、戸外へ出ていく。銃声が2発轟いた。朝子は、とうとう久雄はやってしまったと思ったが、露台に現われたのは清原永之輔であった。自分との約束を破り、久雄まで殺した清原を朝子はなじるが、実は久雄はわざと弾をはずし、自分が父に撃たれ死ぬことを選んでいたのであった。そして清原は、自分が朝子との約束を破ったのではないこと、偽の壮志を仕向けたのは影山伯爵であると告げて去っていく。

朝子と影山伯爵は激しく言い合う。そして今夜かぎりで別れ、清原の元へ行こうと決心した朝子と影山伯爵はいつわりのワルツを踊る。そこへ戸外で銃声が一発轟く音がする。

Wikipedia》より


三島由紀夫(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威(きみたけ)。1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。19701125日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。

2023年5月25日 (木)

第一生命「2022年サラっと一句!わたしの川柳コンクール」ベスト10

▼1位「また値上げ 節約生活 もう音上げ」(健康奉仕・50代)


▼2位「ヤクルト1000 探し疲れて よく寝れる」(三代目ヒゲだるま・40代)


▼3位「店員が 手とり足とり セルフレジ」(三階から目薬・40代)


▼4位「下腹に 脂肪が集合 『密ですよ』」(薫・40代)


▼5位「サイフより スマホ忘れが 致命傷」(芋は焼酎派です。・30代)


▼6位「『キレイです』 褒めてくれたの レントゲン」(怪傑もぐり33世・50代)


▼7位「パスワード つぶやきながら 入れる父」(はなまる・30代)


▼8位「送料を 無料にするため ムダ使い」(ネットショッパー・40代)


▼9位「オミクロン 家族全員 株主に!!」(まだまだ隔離期間中・40代)


▼10位「熱が出て はじめて個室 もらう父」(とぱーず・50代)


2023年5月24日 (水)

『村上RADIO ~アカペラで行こう~』

村上春樹コメント 

村上RADIO、アカペラで歌われる音楽一堂に集めてみました。アカペラ、伴奏を伴わないコーラスだけの音楽のことです。中世教会音楽が起源ですが、これが形を変えながら現代に受け継がれ、1950年代にはドゥワップ・ミュージックのひとつのスタイルとなりました。そして21世紀にはまた新しい個性を身につけたアカペラ音楽が生まれています。人間の声だけで作り出される温かくヒューマンな、またあるときにはあっと驚く響き。様々なスタイルのアカペラ音楽を楽しんでください。 村上春樹

■ 『村上RADIO ~アカペラで行こう~』
放送日時:2023528日(日)19:0019:55(放送時間が異なる局があります)
放送局:TOKYO FM/JFN全国38局フルネット
パーソナリティ:村上春樹
提供:DNP大日本印刷 Yakult

2023年5月22日 (月)

「シャーロック・ホームズの真実 名探偵のモデルは2人いた!?」

「あなたの好きな名探偵」ベスト10

1位 シャーロック・ホームズ

2位 金田一耕助

3位 エルキュール・ポワロ

4位 コロンボ

5位 浅見光彦

6位 明智小五郎

7位 ミス・マープル

8  三毛猫ホームズ

9  エンデヴァー・モース 

10位  ブラウン神父


 公式ページはこちら

https://www.mystery.co.jp/axnmystery20th_meitantei


「シャーロック・ホームズの真実 名探偵のモデルは2人いた!?」


作者の医学部時代の恩師で外科医であるジョセフ・ベルとされている。原作者のコナン・ドイルと親交の深かった人物がモデルになった。

ベル博士の口癖「ただ見る(see)だけではなく観察(observe)せよ」

シャーロック・ホームズシリーズ「ボヘミアの醜聞」でホームズがワトスンに言った言葉でもある。


「ベル教授は列車内の他のすべての乗客がどこから来て、今どこに行こうとしているのか、彼らがどういう職業で、どういう癖のある人間たちであるのか、当ててみせる」


ベル博士には相棒の警察医ヘンリー・リトルジョン卿という人物がいた。二人がスコットランドで発生した難事件に向き合って解決に導いた、1878年に起きた殺人事件「シャントレル事件」があった。


「シャーロック・ホームズ」のモデル」の解説

アーサー・コナン・ドイルは1877年にベルに出会い、エジンバラ王立病院 (Royal Infirmary of Edinburgh) でベルの下で働いた。ドイルは後に、架空の人物シャーロック・ホームズを主人公として人気の高い一連の物語を書くようになったが、ドイルによれば、ホームズの人物像は、ベルとその観察手法を緩やかになぞったものだという。

ベルは、自分がモデルとされていたことに気づいており、それを誇りに思っていた。

アーヴィング・ウォーレスは、著書『The Fabulous Originals』で初出し、後に加筆されて『The Sunday Gentleman』に収録されたエッセイで、ベルがおもにスコットランドで警察の捜査に何回も関与しており、1893年のアードラモント殺人事件 (Ardlamont murder) などにもたずさわり、多くの場合は法医学を専門としたヘンリー・リトルジョン (Henry Littlejohn) 教授とともに働いていたと述べている。


【「ジョセフ・ベル」解説】より

2023年5月20日 (土)

「霊験あらたか」について

「霊験あらたか」は「神や仏からのご利益が著しく現れること」という意味らしい。

神仏による効験が明らかに表れるさま。 神仏が著しく感応するさま。 「霊験灼然」(れいげんいやちこ)などとも言う。

人は「困った時の神頼み」で、神社や仏閣などにお参りするが、それはあくまで精神的に拠り所とする為という人が多くなる。

ところが中にはお願いや祈祷をしたところ、そのご利益がてきめんに表れて思い通りの結果になることもある。その様な時に「霊験あらたか」という言葉を使う。

「霊験あらたか」は実際にご利益があった時だけではなく、ご利益があると評判のものに期待して使われる。


しかし川の神様が人の願掛けで、雁字搦めになっているジブリのアニメーションはリアルな現実だと思う。神社で願い事をするなら、された方の立場をよく考えたほうがいい。

一度に何百もの願望を叶えてやる、神様だってヘトヘトになってしまうだろう。

相手のことを想像できなくなったら、不協和音が始まる。

霊長類として「霊験」は正しく意識するべきだと思う。神聖な相手に利益は浅ましいと問われるのも神社。願望より感謝が大切。

「ありがとうございます」

これで神社には充分なことだとは思いませんか。感謝がなによりも大切な想いでしょう。

「有難う御座います」

この言葉の意味は人間が考える想像でも、とても能動力がある深い行為です。

そして力強い根源を生み出す言葉なんです。

「ありがとうございます」

言霊も入っているありがとうなんです。

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三島由紀夫が語った「お茶漬けナショナリズム」をバカにできない理由

『お茶漬ナショナリズム』は三島由紀夫の評論・随筆。 日本の文化や伝統を軽蔑しながらも、海外旅行先でお茶漬の味を恋しがったり、西洋と比べて日本の価値を判断したりするような主観的・日本的な感覚に寄りかかっている中途半端なインテリ「新帰朝者」たちの有り様を批判したもの。


「外国へ行くと愛国者になるというが、一概にさうしたものでもあるまい。日本にいて、日本のよさがわからないやうな人が、もっと遠くへ行ってわかるやうになるといふ理屈はないのである。それは大方、やっぱり刺身が恋しいとか、おみおつけが恋しいとかといふ、他愛のない愛国心であろう」

(三島由紀夫「お茶漬けナショナリズム」)


三島由紀夫は海外へ逗留した日本人がその国の食事に飽きたり口に合わなくて日本食が恋しくなり「お茶漬けばかりは思想を斟酌しないとみえて、外国へ一歩出たら、進歩的文化人も反動政治家も、仲良くお茶漬けノスタルジーのとりこになってしまう」と、日本文化や伝統を軽視しながら、イデオロギーや理念などとは異なり、お茶漬けという食文化に自身の血肉と切っても切れない切実なノスタルジーと、それにつられてナショナリズムを実感するような事を批判している。


「日本、日本人、日本文化、といふものは、そんなにわかりにくいものだらうか? 日本の国内にゐては、そんなにその有難味を知りにくいものだらうか? どうしても一歩国外へ出てみなくては、つかめないものなのだらうか? あるひは日本人は、そんなにも贅沢になつてしまつて、自分の持つてゐるものの値打を、遠くからでなくては気づかなくなつてしまつたのであらうか?

これは多分、文明開化の病状の一つといふか、明治の文明開化の後遺症みたいなものだと思はれる。」

(三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」)


権威依存と他者から頂戴した箔付けを自身の価値の拠り所として、ナショナリズムの脆弱な土台にしてしまう。文化的な帰属を軽視し消費するエニウェアーズでありながら、その文化が評価されることをにわかに誇るサムウェアーズである欺瞞を指摘した。


「その上、大正インテリが社会の上層部を占めてゐて、自分たちが知らないものだから、日本の伝統文化のなかの豊麗なもの、清純なもの、デカダンなもの、雄々しいもの、美しいものに対する客観的評価を不可能にしてしまつた。」

(三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」)


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三島由紀夫が語った「お茶漬けナショナリズム」をバカにできない理由【適菜収】

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三島由紀夫(1925-1970)東京生れ。本名、平岡公威。

1947(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。1949年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。

主な著書に、1954年『潮騒』(新潮社文学賞)、1956年『金閣寺』(読売文学賞)、1965年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。19701125日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。

2023年5月 5日 (金)

子供の日

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近年は子供たちが少なくなって、老人ばかりが増え続けている。

子供の人口減少は過去最高らしい。

「としよりの日」から「老人の日」から「敬老の日」へなったが、もはや「老人の日」ばかりになってしまった。

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