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燐寸図案

  • 実用燐寸
    実用燐寸レッテルには様々な図案があります。 ここにはコレクション300種類以上の中から、抜粋して100種類ほど公開する予定。 主に明治、大正、昭和初期時代の燐寸レッテルの図案。

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。
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2026年6月 6日 (土)

「飛鳥・藤原の宮都」(明日香村)、ユネスコ「国際記念物遺跡会議」は登録適当と勧告

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産として日本が推薦した「飛鳥・藤原の宮都」(奈良県橿原市、桜井市、明日香村)について、ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス、本部・パリ)は登録が適当と勧告した。文化庁が6日、発表した。

 7月19~29日に韓国・釜山で開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式に決まる見通し。登録されれば、国内では22件目の世界文化遺産となる。世界自然遺産も含めると計27件となる。


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 「飛鳥・藤原の宮都」は、6世紀末から8世紀初頭までの宮殿跡や古墳など計19の遺跡で構成。中国や朝鮮半島との交流の中で、日本初の中央集権国家がどのように成立してきたかを二つの宮都の変遷から示す、貴重な考古学的遺産とされる。

 主な遺跡は、飛鳥宮跡(明日香村)と藤原宮跡(橿原市)の二つの宮殿跡。飛鳥宮は、中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を倒した乙巳(いっし)の変(645年)の舞台となり、天皇中心の国家を目指す政治改革である大化の改新が進められた。694年に持統天皇が藤原京に遷都。中心に作られた藤原宮は、約1キロ四方に天皇の居住区や役所などを集約し、701年の大宝律令によって本格的な中央集権体制が確立したとされる。

 構成資産には、蘇我馬子の墓と伝わる石舞台古墳(明日香村)▽朱雀などの四神(しじん)像や東アジア最古の天文図が描かれたキトラ古墳(同)▽極彩色の壁画「飛鳥美人」で知られる高松塚古墳(同)――などが含まれている。高松塚古墳とキトラ古墳の壁画は、修復や保存のために古墳から取り出されており、イコモスは追加的勧告で「保存及び原位置復帰に関する科学的研究」の継続を求めた。

 2007年に将来の登録候補として暫定リストに記載されたが、一部資産の保護措置が不十分だったなどとして政府の推薦が見送られ、構成資産の一部を除外して25年に推薦された。【竹内麻子】

2026年6月 5日 (金)

鎌田 東二 宗教哲学者。

鎌田 東二(かまた とうじ、1951年3月20日 - 2025年5月30日)は、日本の宗教哲学者。専門分野は宗教哲学、比較文明学、民俗学、日本思想史、人体科学など多岐にわたる。徳島県出身[1]。学位は、博士(文学)(筑波大学・論文博士・2001年)。京都大学名誉教授[1]。
神職の資格を保有し、被災地や医療機関で心のケアにあたる宗教者らの全国組織、『日本臨床宗教師会』会長などを務める傍ら[1]、「神道ソングライター」と称して各地でライブを行った。[1]。また、水神 祥(みなかみ あきら)の筆名で小説の執筆活動にも取り組んだ。
略歴
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2020年1月)
1951年 徳島県阿南市桑野町出身
1975年 國學院大學文学部哲学科卒業(85期)
1977年 國學院大學大学院文学研究科神道学専攻修士課程修了
1980年 國學院大學大学院文学研究科博士課程神道学専攻博士課程単位取得満期退学
2001年 博士(文学)(筑波大学)(学位論文「言霊思想の比較宗教学的研究」)
2003年4月 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科社会環境生命科学専攻博士課程入学
2009年3月 同 退学
2025年5月30日 盲腸癌のため京都市の自宅にて死去[2]。
職歴
1980年 錦城高等学校 (私立)講師(国語)
1987年 國學院大學幼児教育専門学校教員(倫理学・神道)
1989年 国際日本文化研究センター共同研究員
1991年 武蔵丘短期大学健康生活科助教授
1992-95年 国際日本文化研究センター客員助教授
1995年 ダブリン大学(アイルランド)ケルティック・スタディーズ客員研究員
2003年 京都造形芸術大学芸術学部教授
2008年 京都大学こころの未来研究センター教授
2016年 上智大学グリーフケア研究所特任教授、京都大学名誉教授
2020年 上智大学大学院実践宗教学研究科死生学専攻特任教授
このほか、早稲田大学・國學院大學・ 上智大学の非常勤講師、東京自由大学運営委員長、猿田彦大神フォーラム世話人代表、有限会社ムーンサルトプロジェクト取締役等も務めた。
所属学会
神道宗教学会理事
日本宗教学会評議員
人体科学会理事
比較文明学会幹事
日本トランスパーソナル学会顧問
日本生命倫理学会
受賞歴
1983年 神道宗教学会研究奨励賞
1985年 あらまき賞新人賞受賞
1990年 日本保育学会研究奨励賞(共同研究)
著作
単著
『神界のフィールドワーク 霊学と民俗学の生成』(創林社) 1985、青弓社 1987、ちくま学芸文庫 1999
「翁童論」四部作(新曜社)
『翁童論 子どもと老人の精神誌』 1988
『老いと死のフォークロア 翁童論2』 1990
『エッジの思想 イニシエーションなき時代を生きぬくために 翁童論3』 2000
『翁童のコスモロジー 翁童論4』 2000
『記号と言霊』(青弓社) 1990
『場所の記憶 日本という身体』(岩波書店) 1990
改訂版『聖なる場所の記憶 日本という身体』(講談社学術文庫) 1996
『聖トポロジー 地霊の変容 意識と場所1』(河出書房新社) 1990
『異界のフォノロジー 純粋国学理性批判序説 意識と場所2』(河出書房新社) 1990
『人体科学事始め 気を科学する』(読売新聞社) 1993
『身体の宇宙誌』(講談社学術文庫) 1994
『宗教と霊性』(角川選書) 1995
『聖地への旅 精神地理学事始』(青弓社) 1999
『神と仏の精神史 神神習合論序説』(春秋社) 2000
『ウズメとサルタヒコの神話学』(大和書房) 2000
『神道とは何か 自然の霊性を感じて生きる』(PHP新書) 2000
『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(岩波現代文庫) 2001
『平山省斎と明治の神道』(春秋社) 2002
『平田篤胤の神界フィールドワーク』(作品社) 2002
『神道のスピリチュアリティ』(作品社) 2003
『呪殺・魔境論』(集英社) 2004
改訂版『「呪い」を解く』(文春文庫) 2013
『神様たちと暮らす本』(PHP研究所) 2005
『霊性の文学誌』(作品社) 2005
増補版『霊性の文学 言霊の力』(角川ソフィア文庫) 2010
増補版『霊性の文学 霊的人間』(角川ソフィア文庫) 2010
『霊的人間 魂のアルケオロジー』(作品社) 2006
『聖地感覚』(角川学芸出版) 2008、角川ソフィア文庫 2013
『神様に出会える 聖地めぐりガイド ものがたり「古事記」併録』(朝日新聞出版) 2009
『神と仏の出逢う国』(角川選書) 2009
『超訳 古事記』(ミシマ社) 2009
『現代神道論 霊性と生態智の探究』(春秋社) 2011
『古事記ワンダーランド』(角川選書) 2012 
『歌と宗教 歌うこと。そして祈ること』(ポプラ新書) 2014
『世直しの思想』(春秋社) 2016
『世阿弥 身心変容技法の思想』(青土社) 2016
『日本人は死んだらどこへ行くのか』(PHP新書) 2017
『言霊の思想』(青土社) 2017
『南方熊楠と宮沢賢治 日本的スピリチュアリティの系譜』(平凡社新書) 2020
『「負の感情」とのつき合い方 ケアの時代』(淡交社)2021
『教科書で教えない世界神話の中の『古事記』『日本書紀』入門』(ビジネス社)2022
『悲嘆とケアの神話論 須佐之男と大国主』(春秋社)2023
『予言と言霊 出口王仁三郎と田中智学』(平凡社)2024
詩集ほか創作
『水神伝説』(水神祥名義、泰流社) 1984
『元始音霊 縄文の響き』(春秋社) 2001:CDブック
『常世の時軸』 思潮社 2018。第1詩集
『夢通分娩 詩集』 土曜美術社出版販売 2019
『狂天慟地 詩集』 土曜美術社出版販売 2019
『絶体絶命 詩集』 土曜美術社出版販売 2022
『開 詩集』 土曜美術社出版販売 2023
『いのちの帰趨 詩集』 港の人 2023
主な共編著
『魂のネットワーキング 日本精神史の深域』(松澤正博対談、泰流社) 1986
『オカルト・ジャパン』(山折哲雄対談、平凡社) 1987
『神秘学カタログ』(荒俣宏共編、河出書房新社、『文藝』別冊) 1987
『他者の言葉・折口信夫』(村井紀、五月社) 1990
『憑霊の人間学 根源的な宗教体験としてのシャーマニズム』(佐々木宏幹、青弓社) 1991
『言霊の天地』(中上健次、主婦の友社) 1993
『翁童信仰』(雄山閣出版) 1993
『天河曼陀羅 超宗教への水路』(津村喬共編、春秋社) 1994
『謎のサルタヒコ』(創元社) 1997
『旅のトポロジー』(夏石番矢, 復本一郎共編、雄山閣出版) 1998
『隠された神サルタヒコ』(大和書房) 1999
『霊性のネットワーク』(喜納昌吉共著、青弓社、寺子屋ブックス) 1999
『神道用語の基礎知識』(角川選書) 1999
『美輪明宏という生き方』(嶽本野ばら, 松本郁子, 有為エンジェル, 三橋順子共著、青弓社) 2000
『ケルトと日本』(鶴岡真弓共編、角川選書) 2000
『サルタヒコの旅』(創元社) 2001
『霊性の時代 これからの精神のかたち』(加藤清、春秋社) 2001
『心の中の「星」を探す旅 わたしって本当は何だろう』(鏡リュウジ共著、PHP研究所) 2002
『日本の精神性と宗教』(河合隼雄, 橋本武人, 山折哲雄共著、創元社) 2006
『霊の発見』(五木寛之共著、平凡社) 2006、のち角川文庫 2010、のち学研M文庫 2013、のち徳間文庫カレッジ 2016
『思想の身体 霊の巻』(春秋社) 2007
『神楽感覚 環太平洋モンゴロイドユニットの音楽世界』(細野晴臣共著、作品社) 2008
『京都「癒しの道」案内』(河合俊雄共著、朝日新書) 2008
『モノ学の冒険』(創元社) 2009
『火・水(KAMI) - 新しい死生学への挑戦』(近藤高弘共著、晃洋書房) 2010
『満月交感 ムーンサルトレター』上・下(一条真也共著、水曜社) 2011、のち再刊 2015
『日本の聖地文化 寒川神社と相模国の古社』(創元社) 2012
『原子力と宗教 日本人への問い』(玄侑宗久共著、角川学芸出版(新書判)) 2012
『究極 日本の聖地』(角川書店) 2014
「講座スピリチュアル学」全7巻(企画・編、ビイングネットプレス、地球人選書) 2014 - 2016
『スピリチュアルケア』
『スピリチュアリティと医療・健康』
『スピリチュアリティと平和』
『スピリチュアリティと環境』
『スピリチュアリティと教育』
『スピリチュアリティと芸術・芸能』
『スピリチュアリティと宗教』
『死と生 恐山至高対談』(南直哉共著、東京堂出版) 2017
『身心変容のワザ - 技法と伝承 身体と心の状態を変容させる技法と伝承の諸相』 (編、サンガ、身心変容技法シリーズ) 2018
『天河大辨財天社の宇宙 神道の未来へ』(柿坂神酒之祐共著、春秋社) 2018
『グリーフケアの時代 「喪失の悲しみ」に寄り添う』(島薗進、佐久間庸和共著、弘文堂) 2019
『ヒューマンスケールを超えて わたし・聖地・地球』(ハナムラチカヒロ共著、ぷねうま舎)2020
『満月交心(ムーンサルトレター)』(一条真也共著、現代書林)2020
『祈りは人の半分』(水谷周共著、国書刊行会)2021
『古事記と冠婚葬祭 神道と日本人』(一条真也対談、現代書林)2023
『言霊の短歌史』(笹公人共著、KADOKAWA)2026 ISBN 978-4-04-740218-8
監修
『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』(しんめいP著、サンクチュアリ出版)2024
脚注
[脚注の使い方]
 読売新聞 2025年6月1日 34面。
 “宗教哲学者の鎌田東二さん死去、74歳…大人中心の現代社会に一石を投じる”. 読売新聞オンライン (2025年6月1日). 2025年6月1日閲覧。
関連人物
一条真也(作家・(株)サンレー代表)

2026年6月 2日 (火)

田中 貢太郎(1880年3月2日 - 1941年2月1日)作家。号は桃葉、虹蛇楼[1]。著作は伝記物、紀行、随想集、情話物、怪談・奇談など多岐に渡る。

田中 貢太郎(たなか こうたろう、1880年(明治13年)3月2日 - 1941年(昭和16年)2月1日)は、日本の作家。号は桃葉、虹蛇楼[1]。著作は伝記物、紀行、随想集、情話物、怪談・奇談など多岐に渡る。

略歴
高知県長岡郡三里村(現:高知市仁井田)に生まれる。生家はかつて土佐藩御用達の船問屋だった。漢学塾に学び、代用教員、高知実業新聞社の記者を経て上京し、郷里の先輩大町桂月に1903年(明治36年)から終生師事した。他に田山花袋や田岡嶺雲に師事、その著述活動を補佐した。同郷の幸徳秋水とも交流があった。

1909年(明治42年)に、嶺雲最晩年の作品『明治叛臣伝』の大半を代筆、秋水が大逆事件で刑死した後に「秋水先生の印象」を記した。後に回想で「一歩間違えると自分も巻き込まれていただろう (大意)」と述べている。処女出版は『四季と人生』で1911年(明治44年)刊。

滝田樗陰に認められ、大正期から『中央公論』の「説苑(ぜいえん)」欄に情話物、怪談話などを掲載した。共に連載していた村松梢風とは終生の友人だった。1914年「田岡嶺雲・幸徳秋水・奥宮健之追懐録」を発表して注目を浴びる[1]。

晩年の1934年(昭和9年)の8月より、同人誌『博浪沙 月刊随筆』を主宰、多くの作家たちを育てた。弟子や友人に井伏鱒二・尾崎士郎・田岡典夫・富田常雄・榊山潤らがいる(後期は田岡典夫が編集担当で1943年10月まで45号が発行された。なお1981年に4分冊で復刻された)。

多数の郷土史や、幕末・明治維新期の資料編纂にも当たった。浜口雄幸(土佐出身)や、西園寺公望の伝記も執筆している。また土佐出身の言論人らしく「いごっそう気質」があり、「老臣田中光顕翁」(『中央公論』、1932年11月号に発表)で、田中光顕 『維新風雲回顧録』(土佐脱藩志士で元宮内大臣、口述筆記で1928年に公刊)を、「己を大きく見せるため粉飾した (大意)」と酷評。時には維新の顕官であっても直言・批判している。

1939年(昭和14年)に『林有造伝』を、取材執筆のため土佐に戻ったが、翌40年2月に宿泊先の安芸市の旅館で倒れ病が発覚、一時は持ち直し伝記は完成させたが、秋頃から再び病状が悪化、翌41年初頭に郷里(現在の高知市種崎で生家の近所)にて没した。生家跡に「田中貢太郎先生誕生地」の記念碑、近所の桂浜には「桃葉先生之碑」が建つ。高知県立図書館には、貢太郎の遺品・資料等が多数保存されている。

死去後の1941年、第3回菊池寛賞を受賞[1]。

著名作に、回顧記・紀行などの文集『貢太郎見聞録』、1929年から総計530回にわたり新聞連載された大作『旋風時代』、翻案物である『日本怪談全集』、『支那怪談全集』がある。ほかに論語、大学・中庸などの経書に関する作品も著すなど、生前に五十数冊を刊行した。

とりわけ怪談物は蒐集と再著作に努め、総数は約五百編に及んでおり、今日まで度々再刊されている。中国古典小説では 、各時代の〈伝奇小説集〉や『紅楼夢』、『聊斎志異』、『剪灯新話』などを愛読し、特に短編集である後者2作品は一部自由訳を行っている。

また俳句も桂月に学び、句集に「田中貢太郎俳句集」がある[1]。

著書
※昭和後期以後の刊行でまとまった著作のみ
『日本怪談全集』 桃源社(Ⅰ・Ⅱ), 1970年、カバー版・全4冊, 1974-75年
『支那怪談全集』 桃源社, 1970年、カバー版・全2冊, 1975年
『日本怪談実話』 桃源社, 1971年、カバー版, 1974年
『情鬼・朱唇』 桃源社, 1971年
『日本逸話全集』 桃源社, 1972年、カバー版, 1978年
『田中貢太郎・正木不如丘 大衆文学大系10』 講談社, 1972年。「旋風時代」収録
『林有造伝』 土佐史談会, 1979年。復刻版
『貢太郎見聞録』 中公文庫, 1982年。解説尾崎秀樹、回想記・紀行・随想を収録
『日本の怪談 Ⅰ・Ⅱ』 河出文庫, 1985-86年
『中国の怪談 Ⅰ・Ⅱ』 河出文庫, 1987年
『日本怪談大全 田中貢太郎』 国書刊行会(全5巻), 1995年 
「女怪の館」、「幽霊の館」、「禽獣の館」、「犯罪の館」、「奇談の館」
『田中貢太郎 旋風時代 高知県昭和期小説名作集 第1・2・3巻』 高知新聞社, 1995年
『蒲松齢 聊斎志異』 明徳出版社, 1997年。35篇を編訳、巻末に原文+公田連太郎の注
『大衆「奇」文学館 1 村の怪談』 勉誠出版, 1998年。解説志村有弘
『怪奇・伝奇時代小説選集 3 新怪談集』 春陽堂書店〈春陽文庫〉, 1999年。怪奇譚27篇を所収
『伝奇ノ匣 6 田中貢太郎 日本怪談事典』 学研M文庫, 2003年。東雅夫編、全100篇
『日本怪談実話(全)』 河出書房新社, 2017年/河出文庫, 2023年。全234篇
『戦前の怪談』 河出書房新社, 2018年。全24話
『霊能者列伝』 河出書房新社, 2018年
編著(1篇~4篇所収)
『叙情日本大震災史』 高山辰三と共編著、有明書房, 1993年。復刻版(初版は大正13年)
『怪奇・怪談傑作集』 縄田一男編、新人物往来社, 1997年
『怪奇・怪談時代小説傑作選』 徳間文庫, 2004年
『妖髪鬼談』 東雅夫編、桜桃書房, 1998年
『怪奇・伝奇時代小説選集 13~15』 志村有弘編、春陽堂書店〈春陽文庫〉, 2000年
『稲生モノノケ大全 陰之巻』 東雅夫編、毎日新聞社, 2003年
『日本怪奇小説傑作集』 紀田順一郎・東雅夫編、創元推理文庫, 2005年
『魑魅魍魎列島』 東雅夫編、小学館文庫, 2005年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『幻術』田中貢太郎

幻術

田中貢太郎




 寛文十年と云えば切支丹で世間が騒いでいる時である。その年の夏、ある城下へ二人の怪しい男が来て、不思議な術を行って見せたので、藩では早速それを捕え、死刑にすることにして刑場へ引出したが、切支丹ではどんな魔法があって逃げだすかも判らないと云うので、警護のさむらいが厳しく前後を取り囲んでいた。また刑場の四方には竹矢来を結って、すこしの隙もないようにしてあった。見物人はその周囲に人山を築いていた。
 刑場の真中には磔の柱が二本鬼魅悪く立っていた。二人の罪人はその下に引き据えられた。と、罪人の一人が云った。
「こんなに厳しくせられては、とても私達は逃げることはできません、もう覚悟をきめておりますが、ただ一つしのこしている術がありますから、すこし縄をゆるめてください、それを人に見せたうえで、心残りのないようにして死にとうございます」
 臨場の役人はこれを聞いて相談した。その結果こんなに厳重に警固しているうえは、いくら切支丹でも逃げることは思いもよらないから、願いを聞いてやっても好いと云うことになって二人の縄を少しゆるめてやった。
 と、見るまに一人は鼠となって、磔の柱に飛びつくが早いか、つるつると上に登って往った。警固のさむらいは驚いて一方の男を捕えようとすると、その男の体は鳶になってばたばたと縄を解いて空にあがり、ひろ、ひろ、ひろと鳴きながらその上を舞っていたが、機を見て降りて来て彼の鼠を掴んで何処いずこともなく逃げて往った。警固の士は呆気にとられてそれを見送った。





底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
   1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
   1970(昭和45)年初版発行
  • 田中貢太郎

長岡郡三里村仁井田生まれ。作家。山内容堂、後藤象二郎、中江兆民らを描いた『旋風時代』の成功で大衆小説家として一時代を画した。文壇の大御所菊池寛に抗し、「博浪沙」を結成、井伏鱒二・尾崎士郎・田岡典夫・浜本浩など多くの後進を育てた。

1880(明治13)
長岡郡三里村仁井田(現・高知市仁井田)に出生。
1899(明治32)
母校・三里尋常小学校の代用教員となる。
1902(明治35)
9月、高知実業新聞社に入社。桃葉と号し執筆するも、翌年退職、上京。
1907(明治40)
再上京、大町桂月宅に寄宿。田岡嶺雲を知る。翌年、奥宮健之を知り、幸徳秋水を訪ねる。
1909(明治42)
『明治叛臣伝』を田岡嶺雲と共著で刊行。
1914(大正3)
「田岡嶺雲・幸徳秋水・奥宮健之追懐録」を発表。翌年『桂月先生従遊記』刊。
1929(昭和4)
「旋風時代」を東京日日新聞・大阪毎日新聞に連載開始。
1935(昭和10)
博浪沙の井伏鱒二・尾崎士郎らを土佐に案内。
1941(昭和16)
前年、帰郷中に安芸の小松屋旅館で吐血、療養していたが、2月1日、郷里で死去。62歳(数え)。没後、第3回菊池寛賞受賞。

<おもな著作>
『旋風時代』
『怪奇物語』
随筆『貢太郎見聞録』
  『酒・散策・俳句』
翻訳『聊斎志異』
実録『明治叛臣伝』(田岡嶺雲と共著)
俳句集『貢太郎俳句集』

[水魔] 田中貢太郎


※(ローマ数字1、1-13-21)


 暖かな宵の口であった。微赤うすあかい月の光が浅緑あさみどりをつけたばかりの公孫樹いちょう木立こだちの間かられていた。浅草観音堂の裏手の林の中は人通ひとどおりがすくなかったが、池の傍の群集の雑沓ざっとうは、活動写真の楽器の音をまじえて騒然たるひびきを伝えていた。
 被官稲荷ひかんいなりの傍の待合まちあいを出た一人の女は、浅草神社の背後うしろを通って、観音堂の横手に往こうとして、右側のみちぶちに立った大きな公孫樹の処まで往くと、その幹の陰に隠れていたらしい中折帽なかおれぼうわかい男が、ひらひらと蝙蝠こうもりのように出て来てその女とれ違った。と、その拍子に女はコートの右のそでに男の手がさわったように思った。で、鬼魅きみ悪そうに体を左にらしながら足早に歩いて往った。
 壮い男の往った方には女の出た待合のがわになった蕎麦屋そばやの塀のかどがあった。月の光はその塀に打った「公園第五区」と書いたふだのまわりを明るく照らしていた。
「山西じゃないか」と、横合よこあいから声をかけた者があった。わかい男は耳なれた声を聞いて足を止めた。鳥打帽とりうちぼうた小柄な男が立っていた。
「岩本か、どこへ往く」
「どこと云うこともない、このへんを歩いていたところだ、君は」
「俺か、俺はやつう約束があって、やって来たが、すこし具合の悪いことが出来て、よして他へ往くところだ」
「そうじゃなかろう、投げ込みができなかったろう」
「どうして、子守もりっこを追っかけてる人なんかにゃ、想像はできないよ」
「よせよ、よく山の上のベンチの傍へ来る、老婆ばあさんだろう」
「野釣りなんかじゃないよ」
「じゃ、造花屋か」
「そんな下等な者じゃないと云うに、まあ好い、これから倶楽部くらぶへ往ってビールでも飲みながら話そう」
 二人は笑いながられだって仁王門におうもんから出て、区役所のほうへ折れて往き、その傍にある小さなバーへ入った。六箇ばかりえた食卓テーブルに十人ばかりの客がとびとびに向っていた。二人は左手のすみ食卓テーブルについてビールを注文すると、顔馴染かおなじみふとった給仕女が二つの洋盃コップを持って来た。
「話してもらおうかね、今の、おっそろしい広告の物品しなものは何だね」と岩本は冷笑ひやかすように云った。
咽喉のどしめしておいてから……」と、山西は一口飲んで、隣の食卓テーブル正宗まさむねびんを二三本並べているひげの黒い男を気にしながら、「もとは柳橋やなぎばしにいた奴だよ、今は、駒形堂こまがたどうの傍に、船板塀ふないたべい見越みこしまつと云う寸法だ、しかも、それがすこぶるの美と来てるからね」と小声で云って笑顔わらいがおをした。
「好いかい、また、そんな者を追っかけてて、留置場の御厄介になろうと云うのじゃないか、昨夜ゆうべ千束町せんぞくちょうの方で、あの出っ歯の刑事にあったら、山西は近比ちかごろどうだって、君のことを聞いてたぜ」と、岩本も小声で云った。
「先方からおでなすったら、しかたがないじゃないか」
「春になっても留置場は寒いよ」
「どういたしまして、燃えるような緋縮緬ひぢりめん夜着よぎがありますよ」二人の洋盃コップにビールが無くなっているので、山西はかわりを注文して、それに口をけながら、「もう十日待てよ、うらやましいところを見せてやるから」
「そんなことを云うが、ほんとうかい」山西の話が平生いつもの話と違っているので、岩本はおひゃらかしをやめて来た。
「ほんとうとも」
「じゃ映画フィルムの説明をしてもらいたいな」
 二人はビールに咽喉をうるおしながら夢中になって女のことを話した。この二人は浅草公園を徘徊はいかいする不良ので、岩本は千束町に住んで活動写真の広告のビラをるのが商売、山西は馬道うまみち床屋とこやせがれであった。
 次第に客がたて込んで二人の食卓テーブルにも洋服を着た客が来た。岩本はそれに気がいて、体をねじ向けて帳場ちょうばの上の柱にかかった八角時計に眼をやった。
「や、もう十時半になった、出かける処がある」
「網を張ってるのは、どの方角だい」
「今晩は商用だよ」と云って、にやりと面疽あばたのある口元で笑って、帽子をなおしながら、「ありがとう」
 岩本が出て往くと、山西は給仕女を呼んでビール代を払って、そこを出ようとしたが、入口に垂れた青いかあてんをかかげながら、観音堂の裏手で投げ込んだ手紙のことを浮かべて、あの女はもう見たろうかと思った。

※(ローマ数字2、1-13-22)


 戸外そとはきれいな月の光にいろどられていた。もう活動や芝居がはねかけているので、人通りが多くなっていた。山西は伝法院でんぽういんの塀に添うて並んだ夜店の前を通って、池の方へ往った。
 彼は歩きながら、明日あすの晩あたりすぐ来るかも判らないぞ、……八時から九時の間……岩本などが来ていると、うらやましてやるがなあ、などと、女の来るのを想像していた。彼はじぶんの店に来る客から、区会議員をしている質屋の主人にかこわれている女が、芸人と関係して媾曳あいびきしていると云うことを聞いたので、それを脅迫して手に入れるつもりでその場所を突きとめ、その帰りを待っていて脅迫状を投げ込んだところであった。
 ……明日あすから十日以内に、夜の八時から九時の間に浅草区役所の傍の×××バーへ来てください、目標めじるしには赤いリボンを羽織はおりひもにつけております、もし来ない時には、貴方あなたの旦那に密告するとともに、「浅草公報」に書かします。と書いた脅迫状の文句を浮めてみて、これには困ってきっと来るだろうと思った。
 風のない静かなであった。池の周囲まわりの柳のは枝をまっすぐに垂れていた。闇のには燃えるように見える池のむこうの活動写真のイルミネーションは、月の光にぼやけて見えた。
 歩くともなしに土橋どばしの上まで歩いて往った山西は、ふと橋のむこうから※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれい小女こむすめの来るのを見た。それは友禅ゆうぜん模様の鮮麗あざやかな羽織を着た十六七の色の白い女であった。
 山西の眼は小女こむすめに引きつけられた。小女こむすめは散歩でもしているように、ゆっくりした足どりで歩いて来て、山西とれちがったが、擦れちがう拍子に、眉と眼の間の晴ばれとした黒いうるおいのある眼で山西の顔をうっとりと見た。……れはと、小女こむすめうしろを注意したが、三四人の酔った労働者が来るばかりで、その伴れらしい者は見当らなかった。
 不良な山西の心が首をもたげて来た。彼は労働者の群をやり過しておいて、引返して小女こむすめあとをつけて往った。労働者の群は小女こむすめを追い越しながら、り返って何か云い云い往ってしまった。
 小女こむすめは左へ曲って林の中へ入った。微暗うすくら木立こだちの間にはそこここに瓦斯燈ガスとうともって、ぽつぽつ人が通っていた。白粉おしろいをつけた怪しい女も通って往った。そのあたりにとびとびにえたベンチには、腰をかけている人の細ぼそと話す声もしていた。中には蛍火ほたるびのような煙草の火で鼻のさきを赤く見せている者もあった。小女こむすめはその間を通って静かに茶店ちゃみせの方へ往った。山西は一けんばかりの距離を置いてゆっくりと、そしてあたりに注意して歩いた。それは小女こむすめを驚かさないためと、一つは公園を徘徊はいかいしている刑事ににらまれないためであった。
 小女こむすめ羽織はおり友禅ゆうぜん模様は、蒼白あおじろい光の燃えついているように、暗い中にはっきりと見えていた。眼をすえて好く見ると、その模様は従来見なれた花鳥かちょうの模様ではなかった。それは細かな線で海ののような、また見ようによっては水の渦巻のような物をえがいたものであった。
 茶店の前を過ぎて水族館の裏手の藤棚ふじだなの処まで往くと、傍を通っている人もないので、山西は距離をちぢめて往って声をかけた。
「もし、もし」
 小女こむすめは歩きながら白い隻頬かたほを見せた。
「どこへ往くの」
 山西は努めて優しい声で云った。小女こむすめの白い隻頬がまた見えて、それがっと笑っているように思われた。山西はもう小女こむすめをぐっとつかんだように思った。
「いっしょに歩かない」
 小女こむすめはまたしても隻頬を見せながら歩いた。山西はもう刑事のことも忘れてすぐ背後うしろうて歩いた。
 小女こむすめは観音堂を右にして裏手の方へ足を向けた。山西は暗い方へじぶんから往くぞ、もうめたぞ、と思った。
「君の家はどこ」
 山西はますますなれなれしく口をいた。小女こむすめは男の口から一歩進んだいざないを待っているかのように、体をしんなりとさして歩いた。
「君の家を云っても好いじゃないの」
 小女こむすめはちょっと足を止めるようにしたが、すぐ歩き出した。山西はその右の手にじぶんの手をかけようとした。と、二三人の歌妓げいしゃらしい女伴おんなづれがむこうの方から来たので、出そうとした手をひっ込めた。
 二人はもう噴水の前に来ていた。水の噴出をやめた毘沙門びしゃもんの像が月の光にさらされてきいろく立っていた。山西は見るともなしにその毘沙門に眼をやりながら、右側に並んだようになった小女こむすめの手を握ろうとすると、そこには手がなかった。……おや、と思いながら眼をやると、小女こむすめの姿はもうなかった。山西は驚いた。ぐるぐる体をまわして四辺あたりを見たが、小女こむすめの姿はどこにも見えなかった。
「おかしいぞ」
 山西は堂の裏手の方へ走ったが、そこにも小女こむすめの姿は見えなかった。彼はまた噴水の処へ戻って来てその周囲まわりを走るように探して歩いた。
「どこへ往ったんだ、彼奴あいつ
 山西はその附近の林の中をぐるぐると探して歩いたが、どうしても見つからなかった。それでも彼はあきらめられないので、仁王門におうもんの方へも往き、池の周囲まわりにも往って探したが、とうとう見つからなかった。

※(ローマ数字3、1-13-23)


 山西は区役所の傍の×××バーで脅迫した女の尋ねて来るのを待っていた。帳場ちょうばの上にかかった八角時計の針の遅遅ちちとして動いて往くのに注意したり、入口の青いかあてんを開けて入って来る客に注意したりした。時計の長針は十時の処を指していた。
 ……もうあと十分だぞ、やって来るかなあ、と、彼は考えながら無意識に胸元むねもとに眼をやった。絹大島きぬおおしま羽織はおりけた茶の平紐ひらひもの右の附け根に結びつけた赤いリボンが花のように見えた。彼はその眼をまた入口の方へやった。セルのはかま穿いた背の高い学生が出て往くところであった。……ついすると、待合まちあいへ往っていて、じょちゅうでも呼びによこすかも判らないぞ、と、彼はまた思った。
 昨夜ゆうべ噴水のそばで見失った小女こむすめのことがまたしても浮んで来た。彼の心は往くともなしにそのほうへ往った。青いかあてんにするような友禅ゆうぜん模様の羽織と、くっきりと白い顔が見えるように思われた。……それにしても、どうしていなくなったのだろう、まさか消えて無くなったではあるまいが、と、彼は不意に消えたようにいなくなった小女こむすめの奇怪な挙動を考えてみた。
 彼は椅子の手擦てすりもたせた隻手かたての甲の上に、口元に黄金きんを光らしたほおななめに凭せるようにしていた。と、時計が九時を打った。……もう九時になったか、と、時計の方へやった眼をまた入口の方へやった。青いかあてんだるそうに垂れて、土室どまの中に漂うた酒と煙草のにおいを吸うていた。
「山西さんどうしたの、今晩はいやにすましてるじゃないの」と唇の厚い給仕女が前の方から云った。
 彼は給仕女を見たなりで何も云わなかった。彼は女の来ないのがまちどおしかった。彼はももじりになって入口の方を見ていた。二人づれの客があったが女の姿は見えなかった。
 時計は五分と過ぎ十分と過ぎた。……まだすぐは来ないかも判らないぞ、と、彼は思って来た。……もう一晩二晩待って来ないようなら、も一度投げ込みをやる必要があるぞ……。
 小女こむすめのことがまた浮んだ。……今晩もいるかも判らない、そう思いだすと、小女こむすめいたくなって来た。彼は急いで勘定かんじょうをすまして戸外そとへ出た。戸外そとには昨夜ゆうべのような月があった。
 彼は月の下をぞろぞろと歩いている人の中を注意して、池の傍へ往った。伝法院でんぽういんの塀をはなれて池のふちへ出たところで、左の方から来る人群ひとむれの中に、友禅ゆうぜん模様の羽織はおりを着た小女こむすめ見出みいだした。彼はしずかにその方へ寄って往って、その顔をじっと見ながら微笑を送った。
 小女こむすめもその顔を見返すようにしてうっとりとした眼をした。……今晩こそ見失わないぞ。
昨夜ゆうべ何時いつの間に逃げたの」と云って、山西はその顔をのぞき込むようにした。
 小女こむすめにっと笑った顔を向けただけで何も云わなかった。
「名は何と云うの」と、山西はまた云った。
「みなわと云うのよ」と、小女こむすめは小さな声で云った。
「みなわ、みなわさんだね」山西は小女こむすめが可愛くてたまらなかった。
「君はどこだね」
 小女こむすめは笑顔を向けるだけであった。
「いっしょに歩こうじゃないの」
 傍をれちがうものがじぶんの顔をのぞいて往くのに気がいた。彼はちょっと黙って歩いた。
 小女こむすめ土橋どばしを渡って山へあがって往った。山西は上のベンチで話ができると思ったのでよろこんでいて往った。
「ここで休もうじゃないの」
 小女こむすめは黙って山を右におりて、小さな池の中にけた橋の方へ往った。月の光は木立こだちさえぎられて四辺あたりは暗かった。
 橋の上に往くと山西はするすると寄って往って、その手を握ろうとした。と、何時いつの間にか小女こむすめの姿はなかった。
 山西はあわててその周囲まわりを探した。橋を渡って来た男と女の二人づれが、橋の上できょろきょろしている山西の顔を見い見い通って往った。

※(ローマ数字4、1-13-24)


 山西は池の周囲まわりを歩いていた。彼はその晩も×××バーで脅迫してある女を待っていたが、十時近くになってもその姿を見せないので、また小女こむすめを探しに出たのであった。
 そのうちに公園内の興行物こうぎょうものが皆はねてしまった。池の周囲まわりの人影はすくなくなって来たが、小女こむすめは姿を見せなかった。彼は山の上のベンチや林の中のベンチに腰をかけて、疲れた足を休めなどした。
 ……今晩はだめだぞ、彼は江川えがわ玉乗たまのりの前を歩きながらつぶやいた。彼はもう池の傍をまわるのをあきらめて帰りかけたが、すぐ我家うちへ帰って寝る気になれないので、郵便局の傍の肉屋にいる女のことを考えながら歩いた。
 そのは空に薄雲うすぐもがあって月の光が朦朧もうろうとしていた。人通りはますますすくなくなって、物売る店ではがたがたと戸を締める音をさしていた。仲店なかみせ街路とおり大半おおかた店を閉じて微暗うすぐらかった。山西は石畳いしだたみになった仲店の前を下駄げた引摺ひきずるようにして、電車通りの方へ歩いていた。
 ちょうど仲店の街路とおり中央なかほどになったところで、右側の横町から折れて来て眼の前に来た女の子があった。それはかの小女こむすめであった。青光あおびかりのするような友禅ゆうぜん模様の羽織はおりの模様がはっきり見えた。
「よ」と、山西は声をかけた。
 小女こむすめは立ちどまるようにして白い顔を見せた。
「みなわさん、昨夜ゆうべもまたまいたね」
 小女こむすめにっと笑った。
「これからどこへ往くの」
 小女こむすめは電車通りの方へ顔をやってみせた。
「いっしょに往っても好いの」
 小女こむすめうなずくようにしながら歩いた。山西もいて歩いた。歩きながら、彼は……今晩こそ逃さないぞ、と、女に眼をはなさなかった。
 小女こむすめは仲店の前を出はずれると、吾妻橋あづまばしの方へ向いて車道のへりを歩いた。もうおしまいになりかけた電車には、ぼつぼつ人が乗り降りしていた。山西はふと小女こむすめじぶんの知っている花川戸はなかわど安宿やすやどれ込もうと思いだした。
「私の知った処へ寄らない、饗応ごちそうするよ」
 小女こむすめにっと笑って見返ったが、
「あっちへ往きましょう」
「往く処があるの」
 小女こむすめうなずいてずんずん歩いた。山西は、……この女はどうした者だろう、まさか野釣のづりでもあるまいが、と思った。不審であったが、いて云っては、女を恐れさすと思ったので、女の云うなりになって往った。
 二人は吾妻橋のたもとの交番の前を通って往った。入口に立っていた一人の巡査は、小女こむすめわかい男の姿をじろじろと見ていた。山西はそれがうす鬼魅きみ悪かった。
「足が痛くないの」と、山西は巡査に怪しい者でないと云うことを見せるために、いて親しそうな口をいた。
 二人は橋の左側を通って往った。下駄げたの音がからころと響いて聞えた。橋の下にはねずみ色の絨氈じゅうたんを敷いたような隅田川の水が、夢の世界を流れている河のように流れていた。
 橋の行詰ゆきづめにも交番があって、巡査は入口にもたれて眠るようにしていた。山西は安心した。小女こむすめはそのたもとを左に折れて河岸かしぶちを歩いた。右側にビール会社の煉瓦れんがの建物がからびた血のような色をしてそびえていた。そこはもう人通りが無くなっていた。山西はふと小女こむすめはべつに往く処はないが、人のいる処が恥かしいので、それで人通りのない方へあてもなく歩くのではあるまいかと思った。
「まだ遠いの」と云うと、小女こむすめは、「もうぐよ」と云うような顔をして男の顔を見返った。
「君の家」
 小女こむすめは頭をった。二人は枕橋まくらばしたもとへ曲ろうとするかどの処へ来ていた。そこには河岸かしぶちに寄って便所があった。その前へ往くと小女こむすめは不意に河岸ぶちの石垣の処まで走って往った。山西はまた逃げられてはならないとおもったので、あとからいて往った。石垣の下にはもう満ちきった河水かわみずが満満とたたえていた。小女こむすめ友禅ゆうぜん模様の羽織はおりそでをひらひらとさせながら、いきなり水の中へ飛び込んだが、少しも水の音はしなかった。山西は石垣の上に立ちすくんで、女の体の水の中に消えて往くのを見せられるばかりで、どうすることもできなかった。飛ぶ時に乱れ髪になっていた女の頭髪かみも見えなくなった。女の体をんでしまった大川おおかわの水は、何のこだわりもないようにぼかされた月の光の下を溶溶ようようとして流れた。
 山西は石垣の上を右に左にけ歩いて、今に女の姿が見えるか見えるかと、水のおもてのぞきながら両手を腰にやって兵子帯へこおびを解き解きしていた。
 女の姿は二度と見えなかった。と、山西は小女こむすめに水の中へ飛び込まれてあわてているじぶんに気がいた。彼は人に見つかったら大変だ、と思いだした。彼はおのれの責任を忘れて、きょろきょろと四辺あたりを見廻したのちに、解きかけていた帯をそこそこに締直しめなおして、枕橋の方へ曲って往った。

※(ローマ数字5、1-13-25)


 山西は恐ろしいので翌日から外出をやめて、家の中に小さくなりながら、店へっている二三種の新聞に眼をとおしたり、我家うちへ来る客の話に耳を傾けたりして、じぶんの追い込んだような結果になった水死の小女こむすめの噂に注意していたが、四五日してもそんな噂はなかった。彼はやや安心して、それは死骸が海の方へ流れて往ったので、それで判らなくなったのだろう、そうなれば別に心配することもないと思いだした。それに身の周囲まわりに気をつけて見ると、夜も昼も出歩いて女をあさっていた者が、急に家に引籠ひきこもっているのが、人の嫌疑を増すようにも思われて来たので、六日目のになってこわごわ外へ出た。
 そして、歩いているうちに千束町せんぞくちょうの造花屋のことを思いだしたので、仁王門におうもんから入って公園の中を横切り、猿之助横丁えんのすけよこちょうと云われている路次ろじの中へ往った。路次の中へ路次が通じて迷図めいずのように紛糾した処には、一二年前まで私娼のいた竹格子たけごうしの附いた小家こいえが雑然とのきを並べていたが、今は皆禁止せられて、わずかに残った家は、造花屋と云う怪しい看板をかけて店の小棚こだな種種いろいろの造花を並べていた。
 山西の往こうとする処は、路次から路次に曲って二三軒往った処であった。そのかどには赤い提燈ちょうちんを釣るしたおでん屋があった。一時間ばかり宵闇よいやみをこしらえて出た赤い月の光がその簷にあった。山西はここで一つ景気をつけたいと思ったので、その暖簾のれんに首を突っ込んだ。学生風の男が一人おでんをっていた。
「一本つけて貰おうか」と、山西は顔馴染かおなじみの老人の顔を見て云った。
 老人は右の棚から壜入びんいりの酒をとってその口を開け、それを背後うしろの方へやって、「ほい、おかんだ」と云った。
 そこには銅壺どうこえた長火鉢ながひばちがあって、これまでついぞ見たことのない小女こむすめが坐っていた。
「あいよ」小女こむすめは手早く老人の出した壜をって銅壺の中へけた。
「おさかなは何にしましょう」と、老人は長い箸を持ちながら云った。
烏賊いかがあるなら、烏賊をもらおうか」
「烏賊はおあいにくさま、がんもどきならありますが」
「じゃ、がんもどきと、はんぺんにしてもらおう」
 老人が鍋の中からがんもどきとはんぺんを挟んで山西の前へ出し、それからさかずきも出したところで、もうお燗が出来た。山西は台の上に俯向うつむいて、肴をい酒を飲んだが酒はすぐ無くなった。
「お爺さん、酒のかわりだ」
 老人は新香しんこうをちょきちょき切っていた。彼はちょっと手が放せないので、背後うしろり返るようにして云った。
「……みなわ、お酒のおかわりだ、乃公おれはちょっと手が放せない、お前がってくれ」
 みなわ、と云ったことばに、山西はびっくりして蒸気ゆげ濛濛もうもうと立っている鍋越しに小女こむすめの方を見た。小女こむすめって棚の方へ往こうとして、ちらりと客の方を見て笑った。それは眼と眉の間の晴ばれとした、そして、眼にしっとりとしたうるおいのある水の中へ飛びこんだ小女こむすめであった。その羽織はおり鮮麗あざやか青光あおびかりのする友禅ゆうぜん模様の羽織はおりであった。彼は箸をり落した。
「お爺さん、もう好い、いくらだ」と、彼はふるえながら云った。
「じゃ、お酒はよしますか」
「好い、好い、いくらだ」
「二十銭いただきます」
 山西は手をふるわして蟇口がまぐちから十銭さつを二枚出すと、投げるように置いてあたふたと逃げだした。そして、造花屋のことなどは忘れて、人通りの多いにぎやかな方へ賑やかな方へと往ったが、気が顛倒てんとうしているので方角が判らない。同じ路次ろじへ入ったり出たりしたのちに、やっと人通りの多い賑やかな街路とおりへ出て、やや心を落つけることができた。……それにしても、水の中へ飛びこんだ女がじぶんの前に姿を見せるのは、たしかに己に恨みがあるからだ、と思った。彼はたまらなく恐ろしかった。
 と、電燈の明るいバーが眼にいた。彼は急いでその中へ入った。二条ふたすじ三条みすじかに寒水石かんすいせき食卓テーブルえた店には、数多たくさんの客が立て込んでいた。彼はその右側へ往って腰をかけた。
何人たれか来てください、お客さんですよ」
 左側の一人の客の前へ立って会計をしていた給仕女が、帳場ちょうばの方を見ながら云った。と、一人の給仕女がどこからともなく来て山西の前へ立った。
「何を持ってまいりましょう」
「ビールを持って来てもらおう」山西はそう云い云い女の顔を見た。それは眼と眉の間の晴ばれとした今の小女こむすめの顔であった。山西の頭には血が登った。彼はいきなりちあがって戸外そとへ逃げだした。
「おい、どうした、何をそんなにきょときょとしているのだ」と背後うしろから来て肩に手をかけた者があった。
 山西はびっくりして立ちどまった。手をかけた者は岩本であった。
「ばかにびくびくしてるが、また、何かやったのかい」と、岩本は笑った。
 山西は黙ってきょときょとした眼を岩本の顔へやった。
「どうした、奥山おくやまきつねにでもつままれたのか」と、岩本はまた笑った。
 山西はやっと気がいて来た。
「なに、すこし、心配筋しんぱいすじがあってね」と、冗談を云ったが、その声は咽喉のどにひっかかって聞えた。
「まァ好いや、×××バーに往こう」
 岩本が云うと山西は×××バーなら大丈夫だろう、と思った。二人はれだって区役所の傍へ往ったが、山西はまだ安心のできないところがあるので、さきへ立ってバーの入口が入れなかった。彼は岩本のうしろからこわごわ入って、四五人いる給仕女の顔を一わたり見廻したが、平生いつものとおりの知己しりあいの女ばかりで、べつに怪しい顔は見えなかった。
「なにをそんなに、きょろきょろ見ているのだ」
 岩本に注意せられて山西ははじめて腰をかけた。
「ビールにしようか」と、岩本が云った。
「俺はウイスキーにする」山西はうんと酔って心を大きく持ちたかった。
 やがて岩本の前にビールが来、山西の前にウイスキーが来た。
「四五日見えなかったが、どうしていたのだ」
「店がいそがしいものだから出なかった」
「いやに殊勝しゅしょうなことを云うぜ、また、刑事から注意でもせられたのだろう、駒形堂こまがたどうの傍の船板塀ふないたべいとかんとか、変なことを云ってたから……」
「いや、ほんとうに店がいそがしかったよ」
「いやに弁解するところを見ると、お目出たくないことがきっとあったね」
 山西はこんなことから罪悪が発覚してはならないと思ったので、極力弁解した。
「ますます弁解が苦しいが、朋友ともだち交誼よしみに、店がいそがしかったと云うことにしておいてやろう」と、岩本は始終しょっちゅう笑っていた。
「山西さん、お客さんですよ」と、給仕女の呼ぶ声がした。
 山西はびっくりして顔をあげた。入口の処に小間使こまづかい風のわかい女が用ありそうに立っていた。山西はまた怪しい小女こむすめではないかと思って好く見たが、それは十八九に見える円顔まるがおの女であった。
「山西さん、貴郎あなたよ」と、給仕女が延びあがるようにして山西を見た。
 ……あのめかけからではあるまいか、と山西はおもった。彼は急いで椅子を離れて入口の方へ往って、女の顔を見て立った。
「貴郎は、山西時次ときじさんでございましょうか」と、女が笑顔をした。
「そうです、私が山西時次ですが」と、山西は云った。
 女はそれを聞くとしずかふところから青い封筒の手紙をだして、それを差しだした。
「これを御覧になって、すぐ御返事をいただきとうございます」
 山西は封を切って読んだ。……いろいろお話いたしたいことがございますから、使つかいの者とごいっしょに、眼だたないようにそっとおでを願います……などと書いてあった。それは駒形こまがたの女から来たものであった。
「じゃ、ちょっと待っていてください、あすこをすまして来ますから」と、山西はじぶんの席へ帰って往って、眼をまるくして見ていた岩本の耳元でささやいた。「ちょっと出かけるから、あとでいっしょに払っといてくれ」と、彼は蟇口がまぐちから五十銭札を二枚出した。
「いよいよ駒形か」と、岩本はうらやましそうに聞いた。
「まあ、そこらあたりさ」山西はさっさと往って女といっしょに出て往った。
 岩本は羨ましいうえに好奇ものずきも手伝って、どこへ往くか見たくなったので、己も急いで山西の置いて往った金に幾等いくらかの金を足して、食卓テーブルの上へ投げだして、
「おい、ここに一円二十銭ある、足りなかったら翌日あすの晩だ」と、云って急いで戸外そとへ出た。
 戸外そとにはもやが出て月の光がぼやけていた。岩本は駒形と云うので、ずバーの前を右の方へ往って見ると、十けんばかりさきを女と山西が並んで何か話しながら歩いていた。女は小柄な青い友禅ゆうぜん模様の羽織はおりを着ていた。……小間使にしては※(「女+朱」、第3水準1-15-80)きれいな女だぞ、と彼は思った。
 二人は広小路ひろこうじへ出ると、電車通を横切って、むこう側の歩道を駒形の方へ曲って往った。岩本も十間ばかりの距離を置いてそのあとからいて往った。灰白色かいはくしょくもやが女の姿を折おり包んで見えた。
 駒形堂の前まで往くと、二人は電車の線路を足早に横切って堂の手前からおりて往った。岩本は知られないようにつけながら、……いよいよあの女らしいが、彼奴あいつどうしてものにしたろう、と、うらやましくてたまらなかった。
 二人は裏通うらどおりに出て左の方へ五六けん戻ったが、黒い裏門らしい扉をあけて山西の姿がさきにかくれた。女は半身はんしんを入れて門の扉を締めながら、白い小さな顔を岩本の方へ見せて隠れた。……畜生ちくしょう、いよいよ入りやがったな、と舌打したうちしながらその方へ歩いて往った。船板塀ふないたべいをした二階家があって、耳門くぐりにした本門ほんもん簷口のきぐちに小さな軒燈けんとうともり、その脇の方に「山口はな」と云う女名前の表札がかかっていた。……俺もただは見逃さないぞ、と、岩本は表札の文字もんじを二度も三度も読みかえした。

※(ローマ数字6、1-13-26)


 それから五六日して、山西の母親は千束町せんぞくちょうの岩本の家へ来てせがれがいなくなったと云った。家を出た日を聞いてみると、それは駒形の女の家へ往った晩であった。岩本はしかたなくそのの事情を話して二人で駒形の山口はなと云う家へ往った。
 婆やらしい年とった女が取次に出て、そのあとから二十五六に見える円髷まるまげ女主人おんなあるじが出て来た。
「伜がこちら様へあがっておりはしますまいか」と、母親は云った。
「伜って、どなたですか」と、女主人おんなあるじは不審そうに云った。
「山西時次でございます」
「……山西時次……、そんなかたは知りませんでございます」
「そうでございましょうか、四五日前からせがれがいなくなりましたから、ここにいらっしゃる伜のお朋友ともだちの、岩本さんに聞きますと、伜のいなくなった晩に、×××バーにいた伜の処へ、こちらのおじょちゅうさんが見えて、伜をれて往かれましたのを、この岩本さんが、好奇ものずきにつけて来て、裏門からたしかに入るのを見たと申しますから」
 女主人おんなあるじあきれたようにして聞いていたが、
「それは何かのまちがいじゃありますまいか、裏門から人をお伴れするにしても、私の家の裏門は、河に向っておりますので、船からでなくちゃ入れませんし、そして、我家うちの婢と云うのは、どんな女でしたでしょう」と、岩本の方を向いて云った。
「十六七の色の白い、友禅ゆうぜん模様のような羽織はおりを着ておりました」と岩本が云った。
「……そう、それじゃ、いよいよ私の家じゃありません、私の家には、今お取次した、婆やより他に、婢を置いたことがありません」と、女主人おんなあるじは云いきった。
 二人はつぎほがないのですごすごとそこを出たが、二人の裏門を入る姿をまざまざと見ている岩本は、どうもに落ちないので、門の左側になった裏門らしい処へ往ってみた。コールタで塗った門の扉がたしかにあるので、そっと手をかけてみると扉のくるまはすぐ落ちた。そこはその傍の問屋といや荷揚場にあげばらしい処で、左側に山口家の船板塀ふないたべいがあり、右側に隣の家の煉瓦塀れんがべいがあった。二人はその中へ入って往った。
 行詰ゆきづめに石垣に寄せて縁側えんがわのようにした一幅ひとはば桟橋さんばしがかかっていて、その下には大川の水が物の秘密を包んでいるように満満まんまんたたえていた。二人は河のおもてを見入ったのちに黙って顔を見合して衝立つったった。

 それから間もなく奇怪な水魔すいまの噂がつたわるようになった。
 山西の行方ゆくえは今に判らないと云うことであるが、恐らく永久に判らないだろう。





底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
   1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
   1934(昭和9)年

2026年6月 1日 (月)

プルースト『失われた時を求めて』

プルースト『失われた時を求めて』

最後まで読んでたら達成感ある長編小説なのであるけども、細部まで絵画ように詳しく描写されて、なかなかドラマチックな展開はされない。

冒頭の蝋燭の灯りで眠る場面は、延々と30ページも続いている。これは明らかに眠くなるまでの状況と心理を、詳しく小説にしたいと意識して書かれている。

しかし一般読者は、小説に非日常を求めているから、『失われた時を求めて』は最後まで読んだ人は少ない。

鈴木道彦さんは明確なプロット構成を示して、分かりすい細部までの描写をプルーストがしたかをガイドする。

大長編小説の抄訳をされて、実際に起こった事象を並べてみると、中編小説のプロットくらいしかドラマはない。

しかし飲食したり嗅いだり、人を性別を超えて好きになってしまったり、いろんな異文化に出会い、さまざまな想いを丹念に考察されたことが一人称で記録されている。

それがとんでもない長い。推敲が何度もされている。今までにはなかったタイプの小説であったのだ。

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2026年5月31日 (日)

古代エジプトの人々の死生観について

古代エジプトでは、「死者は永遠の命をもつ」とされて、「ミイラ」が作られた。世界で初めて、死後の世界を体系化したのもエジプト人であると言われている。

『死者の書』とよばれる文書によれば、死者はまず、冥界の王であるオシリスが裁判長を務める42の神々が臨席する裁判にかけられます。死者は神々の質問に答え、生前、罪がないことを宣言し、審理を受けます。死者の心臓と、真実を表す羽根を秤にかけ、釣り合えば大丈夫、釣り合わなければその心臓は怪物アメミトに食べられてしまい、死者は永遠の命を得ることができません。無事にこの裁判を通過すると「オシリス」の名前が与えられ、その後幾多の試練を乗り越えて、最後に楽園に辿り着き、現世と同じような生活が送れるとされていました。そのため、肉体のミイラとともに、復活に欠かせない内蔵もカプノス壺という壺に納められ(肝臓・肺・胃・腸だったかな)、最も大切な臓器である心臓も、丁寧に防腐処理を行なわれてミイラの胸に戻されました。ちなみに脳はあまり重要視されておらず、ミイラを作る際、鼻から脳髄を掻き出されてしまっていました。尚、ツタンカーメンのミイラからは復活に最も必要である臓器の「心臓」が見つかっておらず、ツタンカーメンが何者かによる陰謀に巻き込まれたのではないかとされています。有力とされている説はツタンカーメンの後にファラオになった神官のアイの計略です。アイはツタンカーメンの母であるネフェルティティの父であるという説が有力で、ツタンカーメンが20歳になるかどうかの頃に突然亡くなってしまったことで、急遽「ネフェルティティのために作った墓にツタンカーメンを埋葬した」という説があり、そのことが神官アイの怒りを買ったと言われています。まぁ娘のために用意されていた墓を急に孫に取られたら、お爺さんとしては怒るものなのかもしれませんね。ちなみにアイは、ツタンカーメンの死後、アンケセナーメンと結婚をしています。古代エジプトはとんでもない近親相姦だ。

「オシリス神話」

太陽神ラーが老いて、大地の神ゲブと天空の女神ヌトとの間に、オシリス・イシスなど4柱の神が生まれて世代交代するのですが、エジプトを善政で治めていたオシリスを弟のセトが殺してしまい、オシリスの妻であるイシスがオシリスの遺体を見つけだしてホルスを産みます。オシリスの弟であるセトが今度はその遺体をバラバラにして捨ててしまい、イシスが再びバラバラになったオシリスの遺体を集めます。オシリスはいったん死んでしまったため、王としての地位を失ってしまい、冥界の王になります。オシリスが冥界の王になった後、王位継承をめぐってはセトとホルスが対立し、最終的にホルスが王座につきます。

エミルnote「古代エジプト文明に触れてみて「文明」について考えた話」
古代エジプトの王であるファラオは、このホルスの化身であるとされていました。みずからを太陽神ラーの化身であるとしたファラオもいたし、アクエンアテン(ツタンカーメンの父)は、これまでの多神教から太陽神アテン以外の神を信ずることを禁止する一神教の改革を行ない、捧げ物は神官にではなく国民に与えました。通常、ファラオは死後、冥界の神オシリスとして復活するとされていたので、生前も死後も、神として君臨し続けました。

ちなみにアクエンアテンがこれまでの多神教から一神教への改革を行なったのは、神官たちが権力を持ちすぎてみずからの立場を危ういと思ったからです。もともとアクエンアテンの名前はアメンホテプ(アモン神は喜ぶ、の意)という名前ですが、これをアクエンアテン(アテン神に有用な者、の意)に変えました。そして首都テーベ(現在のルクソール)より、「アテンの地平線」の意味を持つアケトアテン(現在のテル=エル=アマルナ)へと遷都を行ないました。「一神教を用いる」というのは人類史上初の試みでした。他の神々を追放し、神官たちを追放したアクエンアテンでしたが、ちょうど改革の最中に皆既日食がおこり、人々は「神を奪われた」「太陽神に見捨てられた」として戸惑い、怒り、アクエンアテンの治世は揺らいでいきます。彼の死後、その遺体はあまりきちんとした防腐処理が行なわれずに白骨化した遺体として見つかっており、棺も金箔をかなり剥がされた状態で見つかっています。

アクエンアテンが死亡した頃、彼の息子であるツタンカーメンは若干6歳でした。アクエンアテンの妻であったネフェルティティがツタンカーメンの代わりとしてエジプトを統治し(宰相と伝えられていますが)、幼いツタンカーメンとともに一神教を元の多神教に戻し、都を一時メンフィスに移し、その後ツタンカーメンはテーベに戻って治世を行なっています。

ツタンカーメンと結婚したアンケセナーメンを、ツタンカーメンはとても愛していて、通常、王妃がファラオよりも小さく描かれることが多かったエジプト文明において、ツタンカーメンとアンケセナーメンはほぼ同じ大きさで描かれています。有名なツタンカーメンの玉座なども、ツタンカーメンもアンケセナーメンは同じ大きさで描かれています。ちなみにこの玉座はアマルナ様式というアクエンアテンの頃の美術様式で作られており、ツタンカーメン・アンケセナーメンの頭上に描かれているのは、ツタンカーメンの父であるアクエンアテンが信仰した「唯一神アテン」です。

このように、古代エジプトのファラオは神と切っても切れない関係にあり、ミイラが作られたのも、死後にまた神として復活するからです。復活に欠かせない「肉体」を保存しておく必要がありました。ツタンカーメンの王墓からは、死後、復活してからの生活に困らないよう、パンなどの食料や、生活必需品(パンツなど)や、シャブディと呼ばれる、ツタンカーメンに仕える家臣たちの人形などが大量に出土しています。ちなみに、ツタンカーメンの墓が荒らされない状態で見つかったのは、宗教改革を行なった父のアクエンアテンの影響でツタンカーメンも異端視されており、歴代のファラオの名を記した王名表からその名前が消されており、長い間その名を忘れ去られ、墓の盗掘からも免れたのだと言われています。

考古学者ハワード・カーターによって1922年にツタンカーメンの墓が発見され、「人類史上最大の発見」とまで言われた「黄金のマスク」によって、ツタンカーメンは、大ピラミッドと並ぶエジプト文明のアイコンとして、その名を世界に知られるようになりました。

ちなみに上に載せた「オシリス神話」ですが、ホルスを産んだ後にまたセトに殺され、バラバラにされたオシリスの遺体をイシスが集めた時、切断された男根だけがどうしても見つからず、この「男根切断」というエピソードが、「子孫を絶やす↔︎新しい神の出現」という相反するテーマとして論じられることがあるそうです。

鈴木 道彦(すずき みちひこ、1929年4月26日 - 2024年11月11日)フランス文学者

鈴木 道彦(すずき みちひこ、1929年4月26日 - 2024年11月11日)は、日本のフランス文学者。獨協大学名誉教授。金嬉老「特別弁護団」のひとり。鈴木信太郎 (フランス文学者)の子。

経歴
出生から修学期
1929年、フランス文学者の鈴木信太郎の子として東京で生まれた。東京大学文学部仏文科で学び、1953年に卒業[2]。同大学大学院へ進学。

フランス文学研究者として
卒業後は、一橋大学助教授となり、後に教授昇格。その後獨協大学教授[1]。プルースト『失われた時を求めて』の完訳に取り組み、1992年に抄訳を刊行したところ評判を呼んだ。後に完訳版は1996年から2001年にかけて集英社より刊行した。完訳としては、井上究一郎に続く2人目の個人完訳であった。

2024年11月11日、慢性心不全のため死去。95歳没。

受賞・栄典
2002年:読売文学賞を受賞。『失われた時を求めて』(集英社)完訳に対して、日本翻訳文化賞受賞。
2022年:日本翻訳出版文化賞を共同受賞。海老坂武ほかとのジャン=ポール・サルトル著『家の馬鹿息子 ギュスターヴ・フローベール論』(全5巻)翻訳に対して。 
研究内容・業績
専門はフランス文学。若い頃はサルトルに傾倒し、市民の政治参加に関する評論を多く書いていた。プルースト『失われた時を求めて』ほか多数の作品の翻訳を手掛けた。

金嬉老事件について
1968年、金嬉老事件が起こると、銀座東急ホテルで「金さんへ」という呼びかけで始まる文書をとりまとめて、後日文化人・弁護士5人がその文書を吹き込んだテープを持って、金嬉老を訪ね会見した。

→詳細は「金嬉老事件 § 備考」を参照
家族・親族
父:鈴木信太郎もフランス文学者。東京大学教授を務めた。息子による父・信太郎の評伝『フランス文学者の誕生:マラルメへの旅』(2014)がある。
兄:鈴木成文は建築計画学の研究者。
著作
著書
『サルトルの文学』紀伊国屋新書 1963
復刻 1994年
『アンガージュマンの思想』晶文社 1969
『政治暴力と想像力』現代評論社 1970
『プルースト論考』筑摩書房 1985
『異郷の季節』みすず書房 1986
新装版 2007年
『プルーストを読む』集英社新書 2002
『越境の時:1960年代と在日』集英社新書 2007
『マルセル・プルーストの誕生:新編プルースト論考』藤原書店、2013.10
『フランス文学者の誕生:マラルメへの旅』筑摩書房 2014[5]
『余白の声:文学・サルトル・在日(鈴木道彦講演集)』閨月社 2018
『私の1968年』閏月社 2018.10
共著・編著
『サルトルの全体像:日本におけるサルトル論の展開』竹内芳郎共編、ぺりかん社, 1966
『脱走兵の思想:国家と軍隊への反逆』小田実・鶴見俊輔共編著、太平出版社 1969
『サルトルとその時代』海老坂武・浦野衣子共編著、人文書院 1971
『新初等フランス語文法』恒川邦夫共著、朝日出版社 1982
訳書
ジャン・ミュレール『太陽の影:アルジェリア出征兵士の手記』二宮敬・小林善彦共訳、青木書店, 1958
ジュール・ロワ『アルジェリア戦争:私は証言する』岩波新書, 1961
『プルースト』(世界の文学 32) 中央公論社 1966
『プルースト』(世界文学全集28) 集英社 1973、新編1980
フランツ・ファノン『地に呪われたる者』「ファノン著作集」浦野衣子共訳、みすず書房 1969
選書化 みすず書房(みすずライブラリー) 1996
新装版 みすず書房 2015
サルトル『シチュアシオン』分担訳「全集 9-11,22,30-32,36-38」人文書院 1962-
『反逆は正しい:自由についての討論』サルトル,フィリップ・ガヴィ,ピエール・ヴィクトール/海老坂武共訳、人文書院, 1975
『プルースト文芸評論』筑摩叢書, 1977
ジャン=ポール・サルトル『家の馬鹿息子(フランス語版):ギュスターヴ・フローベール論』(全5巻) 、人文書院 1982-2021
1~3巻 平井啓之・鈴木道彦・海老坂武・蓮実重彦共訳
4、5巻 鈴木道彦・海老坂武監訳、澤田直・黒川学・坂井由加里共訳
『ジャン・サントゥイユ(英語版) プルースト全集 11・12』 保苅瑞穂と共訳、筑摩書房 1985
プルースト『抄訳版 失われた時を求めて』集英社 全2巻 1992
改訂・集英社文庫 全3巻 2002
『失われた時を求めて』全13巻、集英社 1996-2001
集英社文庫 2006-2007、再版 2017
マルト・スガン=フォント編・画『プルーストの花園』集英社 1998
サルトル『植民地の問題』人文書院 2000
サルトル『哲学・言語論集』人文書院 2001
サルトル『嘔吐』人文書院 2010

『失われた時を求めて』(À la recherche du temps perdu)マルセル・プルースト。

プルーストが1922年の没時まで執筆、校正した大作で、1913年から1927年までかけ全7篇が刊行された(第5篇以降は作者没後に刊行)。長さはフランス語の原文にして3,000ページ以上、日本語訳では400字詰め原稿用紙10,000枚にも及び、「最も長い小説」としてギネス世界記録で認定されている。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』などと共に20世紀を代表する世界的な傑作とされ、後世の作家に多くの影響を与えている。

眠りと覚醒の間の曖昧な夢想状態の感覚、紅茶に浸った一片のプチット・マドレーヌの味覚から不意に蘇った幼少時代のあざやかな記憶、2つの散歩道の先の2家族との思い出から繰り広げられる挿話と社交界の人間模様、祖母の死、複雑な恋愛心理、芸術をめぐる思索など、難解で重層的なテーマが一人称で語られ、語り手自身の生きた19世紀末からベル・エポック時代のフランス社会の諸相も同時に活写されている作品である。

社交に明け暮れ、無駄事のように見えた何の変哲もない自分の生涯の時間を、自身の中の「無意志的記憶」に導かれるまま、その埋もれていた感覚や観念を文体に定着して芸術作品を創造し、小説の素材とすればよいことを、最後に語り手が自覚する作家的な方法論の発見で終るため、この『失われた時を求めて』自体がどのようにして可能になったかの創作動機を小説の形で語っている作品でもあり、文学の根拠を探求する旅といった様相が末尾で明らかになる構造となっている。

こうした、小説自体についての小説といった意味も兼ねた『失われた時を求めて』の画期的な作品構造は、それまで固定的であった小説というものの考え方を変えるきっかけとなり、また、物語として時代の諸相や風俗を様々な局面で映し出しているという点ではそれまでの19世紀の作家と通じるものがあるものの、登場人物の心理や客観的状況を描写する視点が従来のように俯瞰的でなく、人物の内部(主観)に入り込んでいるという型破りな手法が使われ、20世紀文学に新しい地平を切り開いた先駆け的な作品として位置づけられている。

成立過程
概説
『失われた時を求めて』は長さが長大なだけでなく、1つの文章も非常に息が長く、隠喩(メタファー)の多い文体となっている[9][19]。また、数百人にも及ぶ厖大な数の登場人物のうちの主要人物も数多く、その関係も複雑で、物語に様々な伏線が張られているなど、作品全体の構造が捉えにくい面もある。

プルースト自身が、本作を生涯かけ創作する直接的なきっかけとしては、37歳になる1908年頃から文芸評論家・サント=ブーヴの論に異を唱える「サント=ブーヴに反論する」という評論を書き出したことで、そこから徐々に構想が広がり、『失われた時を求めて』の題を持つ小説に発展していった。プルーストは外部の騒音を遮るため、コルク張りにした部屋に閉じこもって書き続け、42歳となった1913年11月に第1篇『スワン家のほうへ』を自費出版した。この時点では当初3篇(全3巻)の予定であったが第一次世界大戦により出版が中断し、さらに新たな要素を加えるなどの改稿を続けて長大化していく。

紆余曲折を経て、プルーストは47歳となる1918年頃に発話障害と顔面麻痺に時々襲われながらも全20冊のノートに清書原稿を書き上げた。その後も大幅な修正・加筆作業を続けて、1919年6月に出版した第2篇『花咲く乙女たちのかげに』はゴンクール賞を受賞した。そして手直し作業が第4篇まで完成し、第5篇の印刷ゲラに手入れしている途中、プルーストは1922年12月18日に51歳で死去した。

ゆえに第5篇の途中以降は未定稿の状態であったが、弟ロベール(フランス語版)や批評家ジャック・リヴィエールらが遺稿を整理して刊行を引継ぎ、最後の第7篇を1927年に刊行して出版完結となった。物語としては一応終っているが、プルースト自身が自作を大聖堂に喩えているように、中世の教会建築さながらに加筆改稿されて膨大化した作品であるため、死後刊行の3篇に関しては真の意味では未完作といえる[13]。さらに言えば、もしプルーストがまだ数年生き長らえて書き続けていたとしても、人生の全てを書きこむのは不可能であっただろうため、予め未完を運命づけられていた作品だとも言われている。

物語は、ある日語り手が一さじ掬った紅茶に混ざった一片のプチット・マドレーヌを口にしたのをきっかけに、その味覚から幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごした田舎町コンブレーの全体の記憶が鮮やかに蘇ってくる、という「無意志的記憶」の感覚を契機に展開していく[15][3]。そして幼い語り手の一家が滞在したコンブレーの叔母の家の敷地に面していた「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」というY字路の2つの散歩道のたどり着く場所に住んでいる2つの家族たち(スワン家とゲルマント家)との関わりの思い出の中から始まって、自らの生きてきた歴史を記憶の中で織り上げていくように多くの様々な挿話と共に進んでいく。

作中の年代は、およそ1880年代から1920年代頃と推定され(第1篇第2部「スワンの恋」は除き)、第一次世界大戦前後の都市が繁栄した19世紀末からベル・エポックにかけての世相風俗や、社交界の人々のスノビズムも仔細に描かれている。また主人公は同性愛者の設定ではないが、同性愛も重要なテーマの1つになっており、これはプルースト自身が同性愛者であったことと、秘書(元雇いの自動車運転手)を務めた青年(恋人)が失踪の後に飛行機事故死したことが、主人公の恋人アルベルチーヌの死に置き換えられていると言われている。

このように、物語全体はフィクションであるが、芸術家である作者の自伝的な作品という要素も色濃い。名前のない主人公の〈私〉は、プルースト自身を思わせる人物で、少年期の回想や社交界の描写、恋愛心理などにプルーストの体験が生かされている。結末では語り手が自身の生涯を素材として「時」をテーマにした小説を書く決意をするという作家としての自覚の場面があり、作品はこの作品自体がどのようにして可能になったかの根拠を示していった小説と考えられ、作品導入部と結末部が円環的な関係にあり、あたかも論文における序文と結論が、予め第1篇に置かれていたことが解かる構造となっている。


以前の自伝的断片
プルーストが1895年から1899年頃にかけて書いていた自伝的な小説断片(未完)をまとめた『ジャン・サントゥイユ』が、プルーストの死後の1952年に出版されたが、この自伝小説の中には『失われた時を求めて』の各所の挿話と類似する点も見受けられる。

『ジャン・サントゥイユ』には、当時のプルーストの願望や夢、実生活や経験が比較的そのまま反映されており、その点では『失われた時を求めて』の趣とは異なっているが、『失われた時を求めて』の成立をめぐる研究資料としても貴重なものにもなっている。また自身のスノビズムを自覚していたことも散見され、〈スノブである小説家は、スノブを描く小説家になるだろう〉という予言を書いている。

第1巻刊行と大幅な構成変更
『失われた時を求めて』というタイトルがプルーストの書簡に表れるのは1913年5月半ばのことであり、当初プルーストは2巻ないし3巻で刊行が完結すると考えていた[31]。1912年にほぼ原稿が出来ていた3篇構成の『失われた時を求めて』では、1913年11月に第1巻が『スワン家のほうへ』としてグラッセ社から刊行された時点では、翌年以降に第2巻『ゲルマントのほう』、第3巻『見出された時』の刊行が予告印刷されており、このとき第2巻はすでに活字を組む作業が開始され、3巻目の草稿も大まかな形で出来上がっていた。

しかし、この段階では「マリア」という名前が付けられていた語り手の恋人とのエピソードなどがその後に大幅に改稿加筆されたことにより(名前もアルベルチーヌに変更される)、それからプルーストの最晩年にいたる8年間の間に作品が2倍以上の分量に膨れ上がることになった[33][1]。この大幅な変化は、1913年から1914年にかけて起こった青年アルフレッド・アゴスチネリ(フランス語版)との間の事件が影響を与えていると考えられている。


作中での恋人アルベルチーヌとのエピソードは、この現実の事件と平行関係を持っており、作中では、アゴスチネリとの間に交わした書簡をそのまま語り手とアルベルチーヌとの間のやりとりとして引用することさえしている。


プチット・マドレーヌ。主人公が食べたのは貝殻型のもの。
〈長いあいだ、私は夜早く床に就くのだった。〉 この長い小説はこのような書き出しから始まり、本を読みつつ30分ほど眠って、ふと目覚めた時の夢見心地の意識の内的感覚が綴られる。そして詳しい状況や語り手についての情報を読者に一切与えないままに[注釈 6]、語り手は夜眠れずに半睡状態でベッドの上で過ごしながら、自分がかつて過ごした7つほどの様々な部屋を回想していく。

それから回想は、語り手が幼年時代にバカンスで滞在していた田舎町コンブレー(フランス語版)(架空の町でイリエがモデルの地)での出来事に移り[注釈 7]、そこで母親に寝る前のおやすみのキスをせがんで煩わせた甘えん坊だった自身の切ない思い出を語る。一家と親しい近所のスワンが訪問すると、夜遅くまでいるスワンの応対で母親は2階の部屋になかなか来ないため、幼い語り手には耐え難い苦痛であった。

ついで、それからずっと後年のある寒い冬の日に、熱い紅茶を一さじ掬った時に混じった一片のプチット・マドレーヌを食べた時の快感で、それとまったく同じ味覚をかつてコンブレーでレオニ叔母が入れた紅茶かハーブティーで味わったことを思い出し[注釈 8]、それをきっかけにコンブレー全体の光景が日本の水中花のようにティーカップの中から広がったという美しい体験を綴り、語り手はそうして鮮やかに甦ったコンブレーの自然情景、そこにいた人々、見聞きした物事を語り始める。

コンブレーでは、幼い語り手の家族はレオニ叔母の家の別棟に滞在し、そこからよく散歩に出かけていた。散歩のコースの一方は「スワン家のほう」で、散歩の途中でスワンの娘ジルベルトを見かけたことがあった。もう一方は「ゲルマントのほう」で、この由緒ある大貴族ゲルマント家の領地の城に住むゲルマント公爵夫人(半ばおとぎ話となっている中世伝説の薄幸のヒロインの末裔)に語り手は憧れを抱いている。この第1部は語り手が完全に目を覚ましたところで終了する。

第2部「スワンの恋」
第2部では15年ほど時を遡り、語り手の誕生以前の物語が三人称で綴られていく(語り手が誰かから聞いたことを書きとめたという設定)。語り手はスワンの心理に入り込んでいるが、ところどころに語り手が顔を出している特殊な形式となっている[38]。

ここで書かれるのは語り手の一家の友人であるユダヤ人の仲買人スワン(フェルメール研究している美術品蒐集家)が、高級娼婦オデットに恋をするようになった経緯や、さまざまな駆け引きのあとで彼女への恋が冷めるまでのエピソードが描かれ、ヴェルデュラン邸(称号のないブルジョア)のサロンを舞台として首都パリの社交界の様子もここで初めて記述される。

スワンがオデットに誘われて、初めてヴェルデュラン夫人のサロンに行った際、そこでピアノ演奏されたソナタに感動するが、それは前年にある夜会で聴いて惹かれていたヴァイオリン演奏のソナタと同じ曲であった。スワンはその曲の作曲者が、ヴァントゥイユという名前の人物だとそこで知る。

このヴァントゥイユ作曲のソナタ(Sonate de Vinteuil)は、スワンとオデットの恋を記念する「恋の国歌」となるが、オデットとの恋が破綻しそうになった後も、小楽節はそれらを越える表現を持ってスワンの魂を捉えた。スワンは、ヴァントゥイユがいかなる苦悩の奥底から美しく神々しい音楽を創造したのか考えるが、自分自身は好事家のまま、次の女との出会いを求めていく。

第3部「土地の名、名」
第3部は第2篇第2部「土地の名、土地」と対応している。ヴェネツィア、フィレンツェ、パルマ、ノルマンディーのバルベック(フランス語版)(架空の町で、カブールがモデルの地)など、まだ行ったことのない土地の名前についての語り手の想念に始まり、期待を膨らませる。

また、高熱を出したために旅行を禁じられた幼い語り手が、代わりにシャンゼリゼ公園に出かけてジルベルトに出会い、そこから子供らしい2人の淡い恋が始まる様子が描かれる。第1篇第2部でスワンはオデットと別れたかと思われたが、ここでは彼らは既に結婚し、スワン夫妻の間には娘ジルベルトがいる。

第2篇『花咲く乙女たちのかげに』(À l'ombre des jeunes filles en fleurs、1919年6月刊)
第1部「スワン夫人をめぐって」
前述の「土地の名、名」の最後の部分を受け、まずジルベルトとの間の恋が描かれる。語り手はスワン家に出入りするようになり有頂天になるが、ジルベルトとは気持ちのすれ違いが多くなり恋の情熱は失われていく。一方スワン夫人(オデット)のサロンには出入りを続け、そこでピアノ教師ヴァントゥイユが作曲したソナタを聞き、やがて語り手は少年の頃から愛読し憧れていた作家のベルゴットにも出会い、自身の天分に目覚めていく。

第2部「土地の名、土地」

バルベック(フランス語版)のモデル地となった避暑地カブールの砂浜。
前篇の「土地の名、名」と対をなす部分。前章から2年たち、ジルベルトとの間の恋の痛手も癒えた語り手は、祖母とその女中フランソワーズと共にノルマンディーの避暑地バルベックにバカンスに出かける。美術に造詣が深いスワンの説明から美しく思い描いていたノルマンディー風ゴシック建築の教会は、実際に目にすると期待外れで想像より劣っていた。

語り手はここで、祖母の旧友でありゲルマントの一族の出であるヴィルパリジ侯爵夫人(ゲルマント公爵の叔母)と出会い、ゲルマント公爵夫妻の甥である貴公子ロベール・ド・サン=ルー侯爵、ゲルマント公爵の弟シャルリュス男爵とも知り合いになる。

また堤防の上でバラのように華やいだブルジョワの娘たちの一団(「花咲く乙女たち」)を見かけ、後に画家エルスチールの紹介で彼女たちとも親しくなり、この中の1人であるアルベルチーヌ・シモネに恋するようになる。ある晩、アルベルチーヌにキスしようとするが、語り手は彼女に拒否されてしまう。

第3篇『ゲルマントのほう』(Le Côté de Guermantes、1920年10月-1921年5月刊)
第1部「ゲルマントのほう I」
第3篇は、語り手の一家がヴィルパリジ侯爵夫人の勧めで、パリのゲルマント邸の館の一角(アパルトマン)に引っ越すところから始まり、語り手が次第にゲルマント家の世界に入り込んでいく様が描かれている。日常のゲルマント公爵の様子を目にすると、今までの高貴なイメージが萎えることもあったが、語り手はオペラ座のボックス席のゲルマント公爵夫人の艶やかさを眺め、自分に手を振って合図してくれた公爵夫人に夢中になり、彼女に挨拶するために毎日待ち伏せをするようになる。

そして、彼女に紹介されることを願いつつ、その甥である隣人のサン=ルーとの交友を深めていき、その後には彼とその愛人ラシェルとの関係にも立ち会うことになる。実在のドレフュス事件の話題もここで初めて登場し、ヴィルパリジ侯爵夫人邸でのマチネ(昼の集い)のシーンのあと、語り手の祖母がシャンゼリゼで軽い発作を起こすところでこの部は終わる。

第2部「ゲルマントのほう II」
第2部はさらに2章に分けられている。第1章では、祖母の病気と死が語られる。これよりずっと長い第2章の始めでは、語り手とアルベルチーヌとの間の関係が再燃し、初めて彼女とキスをする。

そして、語り手は念願かなってゲルマント公爵夫人邸の晩餐会に招待され、シャルリュス男爵に会う。その後、語り手はシャルリュス男爵を訪れ、そこで男爵の尊大で奇妙な振る舞いに困惑したりするが、その頃にはすでにゲルマント公爵夫人に対する熱は冷めていた。その2か月後、語り手は、公爵夫人の従姉であるゲルマント大公夫人のサロンへの招待状を受け取る。

第4篇『ソドムとゴモラ』(Sodome et Gomorrhe I et II、1921年5月-1922年5月刊)
第1部「ソドムとゴモラ I」
第4篇は、悪徳と退廃の町として旧約聖書に登場する「ソドムとゴモラ」から名を取られている。第4篇以降、本作の同性愛のモチーフが全面的に展開されていく。第2部よりずっと短い第1部で語り手は、ゲルマント家の館の中庭に面した場所に店を持つ仕立屋ジュピヤンとシャルリュス男爵が中庭で偶然出会い、同類同士の勘で蘭の花とマルハナバチのような求愛の仕草を取り合っている光景を目撃してしまい、そこから女としての特徴を持つ男についての想念を展開していく。

第2部「ソドムとゴモラ II」
第2部は4章に分けられている。最初は語り手が招待されたゲルマント大公夫人の夜会の場面に始まり、その夜会の後でアルベルチーヌが語り手のもとを訪ねてくる。その後、語り手は2回目のバルベック滞在に向かうが、そこのホテルの部屋で靴を脱ごうと身をかがめた瞬間、不意に祖母の思い出が「心の間歇」として甦り、その死を実感させられる。

また、語り手にアルベルチーヌに対する同性愛(レズビアン)の疑いが初めて兆して、彼女に対する愛情と嫉妬が語られる。その一方、バルベックで再会したシャルリュス男爵と、ヴァイオリニストのモレルとの間の同性愛関係も語られていく。語り手は、アルベルチーヌに疎ましさを感じるようになり、一時考えていた彼女との結婚を断念しようと考える。しかし、アルベルチーヌから、同性愛者であるヴァイントゥイユ嬢の女友達との親しい関係を告げられると嫉妬に駆られ、急遽彼女をパリに連れて行き自宅に住まわせることにする。

第5篇『囚われの女』(La Prisonnière、1923年刊)
この巻以降は未定稿であり、いずれも内容に区切りが付けられていない。また第5篇はタイプ原稿では「ソドムとゴモラ IIIの第1部」という副題が付けられており、前篇に続いて同性愛を主題とした内容が続いている[1]。

語り手はアルベルチーヌと暮らし始めたものの、病弱で家からなかなか出られず、監視役としてつけたアンドレと一緒に出かけていくアルベルチーヌに疑惑と嫉妬を募らせていく。その後、語り手はヴェルデュラン家の夜会に赴く。そこではシャルリュス男爵の後ろ盾でモレルを称える音楽会が催されるが、しかし客に無視されて気分を害したヴェルデュラン夫人のためにシャルリュス男爵とモレルは仲違いしてしまう。

その音楽会で、語り手は「七重奏曲」に聴き入り、それがヴァントゥイユの遺作だと気づく。そして音楽の与える喜びに匹敵するような作品をいつか自分が創造できるのか自問する。

一方、語り手はアルベルチーヌに対して募っていく疑念と嫉妬に苦しみ、彼女との間の諍いが起こるようになっていく。そして彼女と別れることを考えるようになるが、そのことをほのめかした矢先に、アルベルチーヌは不意に語り手の家から立ち去ってしまう。

第6篇『消え去ったアルベルチーヌ』(または『逃げ去る女』)(Albertine disparue、1925年刊)
第6篇は、一時「ソドムとゴモラ IIIの第2部」という副題が付けられており、前巻と対をなすものになっている[7]。1954年のプレイヤッド版以後は『逃げ去る女』という題名のものも刊行されているが[5]、1989年のプレイヤッド版では『消え去ったアルベルチーヌ』の巻名が採用されており、本文および巻名について一致した見解は成立していない[39][40]。

語り手は、アルベルチーヌが身をよせたトゥーレーヌのボンタン夫人(アルベルチーヌの伯母)の元へサン=ルーを密使として送り、また夫人の気を引くために、手練手管を用いた内容の手紙を送って、彼女を自分の元に戻らせようとする。しかし、そのうちにボンタン夫人から、アルベルチーヌが乗馬中の事故で死亡したという知らせが届く。「自分をもう一度受け入れて欲しい」「戻りたい」という内容のアルベルチーヌからの手紙が届いたのは、その知らせの後だった。

語り手は、彼女を失った悲しみに加えて、その死後もなお彼女の同性愛趣味に対する嫉妬に激しく苦しめられる。しかし、その苦しみを他人に語り時間が経つにつれて、少しずつ和らいでいく。そして、母オデットの再婚によってフォルシュヴィル嬢となっていた初恋のジルベルトと語り手は再会もした。その後、念願だったヴェネツィアに語り手は旅行するが、そのときにはもうアルベルチーヌへの想いはほとんど消え去っている。パリへの帰途で、語り手は、ジルベルトとサン=ルーの結婚を知る。

第7篇『見出された時』(Le Temps retrouvé、1927年刊)
語り手は、コンブレーのジルベルト邸に滞在し、ここでジルベルトから、それまではまったく別の方向だと思っていた「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」の2つの道が、ある点で合流して意外な近道で繋がっていたことを知らされる。それから、ゴンクール日記(引用はプルーストによる模作で、原文には存在しない)を読んで、文学の価値に懐疑を抱くとともに自身の才能に対して疑念を持つ。

その後、語り手は病を治療するために数年の療養所生活を送る。それから、語り手は一時、第一次世界大戦下のパリに戻り、そこで人と社会のさまざまな変化を目にする。コンブレーはドイツ軍に占領されており、敵国のドイツ贔屓になっていたシャルリュス男爵は社交界での輝かしい地位を失っていた。語り手は、空襲に晒されたパリの灯火管制下の町のホテル(ジュピヤンが管理人の男娼窟)で、自分を若い男に鞭打たせて快楽に浸っている血だらけのシャルリュスを見かけ、またサン=ルーもこの宿に出入りしていたらしいことを知る。その後、まもなくサン=ルーは戦線で死を遂げ、語り手は再び療養所生活に戻る。

さらに数年経ち、語り手は再びパリに戻ってくる。語り手は、ゲルマント大公夫人(これは寡となった大公と再婚した元ヴェルデュラン夫人である)のマチネに出席し、ゲルマント家の中庭の不ぞろいな敷石で躓いた瞬間、ヴェネツィアでまったく同じ体験をしたことを思い出す。これをきっかけにして、かつてマドレーヌによって引き起こされたのと同じような「無意志的記憶」が次々と引き起こされ、語り手に過去の鮮やかな記憶が次々と甦ってくる。

この体験によって、語り手は、自分の文学的な天分を発見し、時勢や特定の観念におもねらずに、このように生々しく甦ってきた生の軌跡を描いていくべきだと確信する。そして、語り手は、ゲルマント公妃の開いたパーティの場で、すっかり老いてまるで仮面を被っているかのように様変わりした人々の姿を見て、「時の破壊作用」を目の当たりにする。そしてまた、「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」の2つの道の合流を象徴するジルベルトの娘サン=ルー嬢に出会い、時がもたらす至福をも実感する。

こうして小説の題材をすっかり捉えた語り手は、自分の死を背後に感じながら、時と記憶を主題とする長大な小説を予告し、物語を終える。

おもな登場人物
私〈語り手〉(Narrateur)
物語の主人公。姓・名とも物語中では不明。パリの裕福なブルジョアの家庭に生まれた男性。父親は高級役人。母親と祖母(母方)の愛情を一心に受けて育った。身体が弱く繊細。読書好き。兄弟はいない。祖父は株式仲買人であった。

語り手の母親。幼い語り手がベッドで眠る前に、おやすみのキスをする習慣がある。幼い語り手にはそれがないと耐え難い。ある晩は遅くまで眠らずに、両親が来客のもてなしを終えて2階に上がって来るまで待ち続け、足音がすると階段まで飛び出していってキスをねだったこともある。その時母は一晩中、語り手のベッドに寄り添い、ジョルジュ・サンドの『フランソワ・ル・シャンピ(フランス語版)』(孤児フランソワ)を読み聞かせる(義母と息子の恋愛部分は飛ばして)。語り手が成長したある冬の寒い日に、外から帰ってきた息子に紅茶とプチット・マドレーヌを出す。
レオニ叔母
コンブレ―にいた親戚。語り手の大叔母の娘。灰色の古い家に住む。裏手に庭に面したところに語り手一家が滞在するための別棟がある。幼い語り手は、レオニ叔母の家で、紅茶やシナノキの花のハーブティーに浸されたマドレーヌを食べた思い出がある。
祖母(バチルド)(Bathilde Amédée)
語り手の母方の祖母。孫の語り手に深い愛情を注ぐ。少年の語り手を連れてノルマンディーの避暑地バルベックにバカンスに行ったことがある。語り手が成長後には、体調がすぐれない中、語り手と一緒に出掛けたシャンゼリゼ公園で発作を起して重篤になり、死去する。

ゲルマント公爵夫人の才気な性格のモデルとなったストロース夫人(フランス語版)(ジョルジュ・ビゼーの未亡人。プルーストの同級生ジャック・ビゼーの母親)
ゲルマント公爵(バザン)
由緒ある大貴族の生まれ。夫人は従妹。「フォーブール・サンジェルマン(フランス語版)」の最高の地位にある家柄。結婚の翌日から浮気をし、次々と愛人を作ったが、美しい妻が社交界で発揮する才気(エスプリ)が自慢で、その引き立て役を喜んで演じている。知り合いの侯爵の訃報を聞いても知らなかったことにして、晩餐会や仮装舞踏会を優先する。
ゲルマント公爵夫人(オリヤーヌ)(Oriane de Guermantes)
貴族社交界のスター的な存在。夫のゲルマント公爵は従兄。美しく才気があり、辛辣な警句や大胆な言葉を他者に言ったりする。痛烈な観察眼でその場にいない人を毒舌的に嗤い者にする振舞いが社交界の人々に受けて喝采を浴びている。語り手は夫人に憧れて親しくなったが、その後は、夫人の社交場の批評だけの生活が不毛なものに見え、社交生活と本当の社会活動や仕事との関係を「批評と創作の関係」になぞらえる。夫人の主要モデルは、グレフュール伯爵夫人(フランス語版)だが[41]、プルーストの同級生だったジャック・ビゼーの母親のストロース夫人(フランス語版)(作曲家ビゼーの妻で、夫の死後に銀行家ストロースと再婚)が才気な会話のモデルとなっている[32]。ストロース夫人はユダヤ人家系のアレヴィ家出身[32]。
シャルリュス男爵(パラメード)(Baron de Charlus)
ゲルマント公爵の弟。母親はバイエルン公爵夫人。深い教養を持っているが尊大で無礼な態度を見せる。実は同性愛者。フランスへの愛国心がなく、第一次世界大戦の最中でも壮絶で倒錯的な性の快楽を求めている。大戦後は、脳卒中となるが回復し老いさばらえた姿となる。見下げていた二流貴族の婦人からも憐れまれるが、昔の愛人ジュピヤンに支えられながらパリの街を若い男を求めて歩く。モデルはロベール・ド・モンテスキュー伯爵[41]。
ゲルマント大公(ジルベール)
ゲルマント公爵夫妻の従兄。大戦後に夫人を亡くし、同じく未亡人となっていたヴェルデュラン夫人と再婚してシャンゼリゼ近くに豪邸を構える。
ゲルマント大公夫人(マリー)
バイエルンの高貴な家の出身。
ヴィルパリジ侯爵夫人(Madame de Villeparisis)
ゲルマント公爵夫妻の叔母。語り手の祖母とは、サクレ・クール(聖心女学院)時代の友人。
ロベール・ド・サン=ルー(サン=ルー=パン=ブレー侯爵)(Robert de Saint-Loup)
ゲルマント公爵夫妻の甥。若い軍人。スワンの娘ジルベルトと結婚するが、大戦中に死去する。
ヴェルデュラン夫人(Madame Verdurin)
称号を持たない裕福なブルジョワの夫人。夫は元美術評論家。ブルジョワ社交界の女主人としてサロンを頻繁に開いている。貴族を「やりきれない連中」と言いながらも、内心では羨望している。第一次世界大戦中に夫を亡くし、戦後にゲルマント大公と再婚する。モデルはプルーストと親しく庇護者でもあったマドレーヌ・ルメール夫人[41]。ルメール夫人は独裁的で嫉妬深くもあった[41]。

主要登場人物の相関図。青は男性、赤は女性。ピンク線は恋愛感情、青線は友人関係を表わす。
スワン(シャルル)(Charles Swann)
裕福なユダヤ人。美術や文学に造詣が深く、フェルメール研究している美術品蒐集家。貴族の上流社交界にも出入りしている。父親は株式仲買人で、語り手の祖父と親しかった。のちに不治の病を宣告される。
オデット・ド・クレシー(Odette)
スワンの恋人(のちに妻となる)。ヴェルデュラン夫人邸で主催されるサロンの常連だった。元は粋筋の女(高級娼婦)。会話に片言の英語を交えるくせがある。モデルはプルーストが熱愛したレイナルド・アーン[41]。
ジルベルト・スワン(Gilberte Swann)
スワンとオデットの娘。幼い語り手の初恋相手。金髪で黒い目。サンザシのような少女。のちにロベール・ド・サン=ルー侯爵と結婚する。モデルはプルーストの初恋であったポーランド貴族の娘マリー・ド・ベナルダキ(フランス語版)[42][5]。
ベルゴット(Bergotte)
高名な作家。スワンと親交がある。語り手は尊敬する作家。まだ若くぎくしゃくした小柄で逞しい近眼の男。カタツムリのような赤鼻で黒い顎鬚の第一印象。語り手はベルゴットに会う前は、白髪の優しい老作家をイメージしていた。フェルメールの展覧会場で『デルフトの眺望』を見ながら倒れて死んでいく。
ラ・ベルマ
ベルゴットが賞讃している大女優。語り手はラ・ベルマへの期待を膨らませていたが、オペラ座での実際の舞台を観て特に感動もなく終わる。
エルスチール(Elstir)
高名な画家。避暑地バルベックの近くにアトリエを構えている。印象派的な不思議な港の絵に、語り手は惹かれる。
ヴァントゥイユ
老ピアノ教師。語り手の祖母姉妹にピアノを教えていたことがあり、コンブレ―近くのモンジューヴァンに住んでいた。妻と死別し、地味で風采の上がらない謙虚な人物だが作曲もしていた。ヴァントゥイユの作ったソナタ(Sonate de Vinteuil)は、スワンや語り手を魅了する。ヴァントゥイユは娘の非行に悩まされて悲嘆のうちに死んでゆく。
ヴァントゥイユ嬢
ヴァントゥイユの娘。レズビアン。父親に反抗的だが顔は父と瓜二つ。少年の語り手はモンジューヴァンで、ヴァントゥイユ嬢の同性愛の場面を目撃する。ヴァントゥイユ嬢はそれを父親の遺影の前で行い、遺影に唾を吐きかけていた。彼女の同性愛の相手がその後、贖罪の念からヴァントゥイユの遺作「七重奏曲」を解読して仕上げる。
ジュピヤン(Jupien)
チョッキの仕立て職人。同性愛者のシャルリュス男爵と出会い恋仲となる。その後、第一次世界大戦中には、シャルリュス男爵が執事に命じて購入した宿(男娼窟)で管理人をする。
モレル(Charles Morel)
若い美貌のヴァイオリニスト。ヴェルデュラン夫人がノルマンディーに所有する別荘のラ・ラスプリエール荘で催すサロンの常連。シャルリュス男爵に愛される。演奏家としては優れているが、倫理観が乏しく人を騙して利用する厚顔無恥な性格。
コタール(Docteur Cottard)
権威ある医学部教授で名医。ヴェルデュラン夫人のサロンの常連。おどおどした滑稽な小人物であるが、語り手の病気を的確に診断する。

アルベルチーヌの主要モデルとなった青年アルフレッド・アゴスチネリ(右側)。父親と弟と(1905年)
アルベルチーヌ・シモネ(Albertine Simonet)
語り手の恋人。「花咲く乙女たち」の1人。両親を亡くし親類の世話になっている。バラかゼラニウムのように赤く官能的な花を思わせる女性。主要モデルはプルーストが恋した青年アルフレッド・アゴスチネリ(フランス語版)で、その他、外交官のベルドラン・ド・フェヌロン(フランス語版)もいる[43]。
アンドレ
「花咲く乙女たち」の1人。アルベルチーヌの友人。
ボンタン夫人
アルベルチーヌの叔母。戦時下では、ヴェルデュラン夫人と共に社交の場で女王のように君臨している。
ブロック(Albert Bloch)
語り手の年長の悪友。語り手に悪所(売春宿)通いを教える。下層出身のユダヤ人。語り手にベルゴットの小説を読むように勧めた友人。高踏派詩人のシャルル=マリ=ルネ・ルコント・ド・リールに心酔している。育ちが悪く小生意気で人の気持を逆撫でするようなことを言う。のちに社交界に出入りし、戦後は作家として成功してジャック・デュ・ロジエと名乗るようになると、控え目な性格に変貌する。
ラシェル
元娼婦。ユダヤ人。語り手がブロックと行った売春宿で働いていた。サン=ルー侯爵の恋人となり、前衛的な女優となる。
フランソワーズ(Françoise)
語り手の家の女中。コンブレ―のレオニ叔母の近隣の農家の出。語り手の祖母の世話をする。病身のレオニ叔母の世話をしていたこともある。料理が得意。語り手の家に夕食に招かれたノルポワ侯爵はフランソワーズがつくった「牛肉のゼリー寄せ」を絶賛する。
デュ・ブールボン医師
有名な脳神経科の医師。語り手の母親の友人。ベルゴットの熱狂的愛読者。体調を崩していた祖母の病気を、この「名医」が誤診し外出を勧めたため、ホームドクターから安静にしているべきと診断されていた祖母がシャンゼリゼ公園に出掛けることになった。語り手はわざわざ母に頼んで、自分がブールボン医師を呼んだことに自責の念を覚える。
ノルポワ侯爵(Marquis de Norpois)
外交官。語り手の父親と親しくしている。ベルゴットの人間性を酷評し、その文学も低評価する。
ルグランダン
週末だけコンブレ―に来るパリのエリート技師。立派な風采と洗練された物腰。スノビスムを罵倒しながらも、自身もスノブである。同性愛者傾向があり、秘かに少年愛を持つ。少年の語り手を夕食に招こうとする。バルザックを愛読している。
サン=ルー嬢
ジルベルトとサン=ルーの娘。
特徴
文体
『失われた時を求めて』の文体は、複雑な構文と多くの隠喩を持った非常に息の長い文章に特徴づけられている[19][9]。このようなプルーストの長い文章は、ある観念やイメージが喚起する一切のものを記述しようとする作家の姿勢に基づくものである[19]。例えば、文章の中で1つの対象が登場すると、その語に対して何行にも渡って修飾が加えられ、その後ふたたび元の語が引用されてまた修飾が始まり、その後でようやく述語動詞が登場して1つの文が完結する、というような形のものがしばしば表れる[19]。

このような展開法は、パラグラフのレベルにも見られ、1つのパラグラフの冒頭に置かれた主の観念が、次のパラグラフの冒頭にも繰り返されて、脱線したものが再び立ち戻りながら拡がって物語っていくという叙述方法となっている[19]。これらは、草稿やゲラを何度も読み返しながら、そのたびに新たに喚起された記述が加えられていった結果でもあると考えられている[19]。

また、このような長い文章は、文章が結論部分に至るのをいつまでも引き延ばしておくことで、読者の期待を宙吊りにしておく冒険小説の技法をも思わせる[44]。ただし、こうした長い文章は、実際には作品全体の三分の一程度を占めるに過ぎず、作品全体を通じて常に用いられているわけではない[19]。また、長文が用いられる場面も語り手の分析的な独白を記述する場面に限られており、状況に合わせて適宜短い文も使われている。実際、文章の平均的な単語数は標準的なフランス語文の二倍程度である。また、使用されている語彙も極端に多いわけではなく、ある統計によればジロドゥのそれよりも少ないという[44]。

プルーストは、その文章表現において、特に隠喩(メタファー)を重視していた[26]。『失われた時を求めて』の最終巻などにも、隠喩と印象を巡る一節が一種の文学論の形で記されている箇所がある。そこでは、隠喩によって〈二つの感覚に共通の性質を思い、その二つの感覚をお互いに結び付けることによって、二つの感覚のエッセンスを引き出し、時間のもつ偶然性から感覚を解放するようにして、一つのメタファーの中に二つの対象を含ませる〉と述べている[19]。

また、このメタファーの多用が持つ「比較されるもの(comparé)」が「比較するもの(comparant)」を喚起する関係は、『失われた時を求めて』のモチーフである「無意志的記憶」の構造、すなわちある現実の体感(五感など)が、過去の類似した記憶やそれにまつわる全てを引き起こすという機能と同じ構造を持っている[19][26]。そのため、こうしたメタファーは、「無意志的記憶」のモチーフのいわば文体レベルでの実行と見なすこともできる[19]。

構成
『失われた時を求めて』の物語は、直線的な進み方をしておらず、現実の事柄を述べる傍らでしばしばその印象や記憶を巡って脱線する。また、語り手が時に応じて、一般的な法則を明らかにして、それを比喩とともに例証したり抽象化したりすることで、話の流れがしばしば中断されてしまう[45]。このため、作品の全体像は容易には把握しがたい。しかし、プルーストは、この小説を非常に緻密に構成している。

まず作品全体を支える構成として、語り手が不意に経験する記憶の奔流(無意志的記憶)が、論文における序文と結論のように、予め作品の始めから配されており、冒頭に置かれている無意志的記憶が作品の原動力となっていく[19]。そして、その記憶の現象が物語の最終巻になって再び現れ、その幸福な感覚の秘密を悟ることで、書くべき表現方法(無意志的記憶のモチーフ)を得た語り手(芸術家)の文学的自覚が語られる結論部へと円環的に繋がっていたことが明らかとなる構造になっている[19][15]。

各篇内の章においても、厳密な構成が施されており、例えば第1篇中では、不眠の夜のことが序曲的に書かれた後にコンブレ―のことが語られ、再び不眠の夜からマドレーヌの挿話となり、コンブレ―のことが長く描かれて、最後に不眠の夜から夜明けになるというように、楽曲やオペラのようなシンメトリックな構成配置となっている[46]。プルースト自身、全体を大聖堂や交響曲に喩えているように、幾何学的な構成となっている[19]。

物語自体は、場所を機軸にして展開していく。第1篇では、語り手が生涯の中で過ごしたことのある様々な部屋が回想されていく。ここでは、その後展開する物語の主要な場所がすべて示されている[19][15]。また、幼い語り手の散歩道として「スワン家のほう」と「ゲルマント家の方」という2つの方角が提示されているが、全編の主要人物のうちの多くは、この2家のうちのどちらかに関連して登場する[15][24]。前者の道はブルジョワ社会を、後者は伝統的な貴族社会を象徴する方角となっていき、最後の巻では2つの道が実は繋がっていたことを知らされ、この両家の間に生まれたサン=ルー嬢が登場することによって2つの方向が象徴的に統合される[24][47][15]。

この他にも、第4篇以降で展開される同性愛の主題をそれとなく、第1篇の大叔母の会話の中などに暗示的に盛り込み予告するなどの様々な伏線もあり、章同士の照応関係、要所要所におかれた無意志的記憶の現象、土地と土地との類似関係など、長大な作品に堅牢な構造を与えるための様々な工夫がなされている[48][19][47]。

語り手
『失われた時を求めて』の語り手である〈私〉は、多くの点で作者プルーストとの共通点を持っているが、重要な相違点もある。例えば、プルーストの母はユダヤ人であり、プルーストは幼少の頃から母方の親戚と親しく交流していたのだが、作品では語り手からユダヤ人であることをうかがわせる要素は注意深く排除されており[36]、代わりにスワン、ブロックといった人物がユダヤ人として登場している[49][50]。また、プルーストは同性愛者であったが、この要素も語り手からは排除されており、同性愛のモチーフは語り手の恋人であるアルベルチーヌや、サロンで知り合うシャルリュス男爵などへ転嫁されている[26][51]。

なお、この長い小説の中で語り手である〈私〉の名前は、一度も出てこない。何度か語り手の名前を出さざるを得なくなるような状況は出てくるものの、プルーストはそのつど名前を告げなくてもいいように注意深く配慮している[52]。

ちなみに第5篇『囚われの女』では、アルベルチーヌが語り手のことを「マルセル」と呼ぶシーンがあるためにしばしば語り手の名前は「マルセル」であると誤解されたが、よく読めばわかるように、このシーンは〈もし語り手がこの本の著者と同じ名前であったら〉という仮定の上で書かれている場面であり、むしろ語り手の名が「マルセル」ではないことを逆証明するものである[3][53]。ただしこれは、あえて虚構の設定を課すことで、作者の真実を語るという小説というものの、作品と作者の関係性のからくりを表わしているものでもある[3]。

また、プルーストがこのような一人称の書き方をしているのは、この作品全体が〈私〉の成立史であり、物語の冒頭では誰ともわからずに登場する〈私〉が、物語が進むにつれて様々な人や事物に触れて認識を深めていくことで、読者のうちに1人の作中人物としての〈私〉の実態が現れていくことを意図しているためでもある[54]。さらに、特定の名前を持たない〈私〉とすることで、その私が容易に読者自身にすり替わることができるよう配慮したものだと考えることもでき、そこに無名性の意味があると見られている[55][18]。

主要なテーマ
記憶と時間
『失われた時を求めて』は記憶をめぐる物語であり、その全体は語り手が回想しつつ書くというふうに記憶に基づく形式で書かれている[56]。プルーストは、意志や知性を働かせて引き出される想起(「意志的記憶」)に対して、ふとした瞬間にわれしらず甦る鮮明な記憶を「無意志的記憶」と呼んで区別した[3][15]。

作品の冒頭で、語り手は紅茶に浸った一片のマドレーヌの味覚をきっかけに、コンブレーに滞在していた頃にまったく同じ体験をしたことを不意に思い出し、そこから強烈な幸福感とともに鮮明な記憶と印象が次々に甦ってくる。「無意志的記憶」の要素は、それ以降物語の中にしばしば類似の例がちりばめられている[3]。

例えば、『ソドムとゴモラ』の巻で「心の間歇」と題された断章で、語り手は、バルベックのホテルに着いて疲労を感じながらショートブーツを脱ごうとした瞬間、不意に亡くなったばかりの祖母の顔を思い出して、それまで実感できないままだったその死をまざまざと感じさせられるという経験をする[57]。

このような「無意志的記憶」の現象は、最終巻『見出された時』において、ゲルマント大公邸の中庭で敷石に躓いた時に、ヴェネツィアの寺院の洗礼堂でタイルに躓いた記憶が蘇り、第1巻のマドレーヌのときと同じような歓喜の感覚を再びすることによって、その幸福感の秘密が解明される[16][58]。それは、同じ感覚を〈現在の瞬間に感じるとともに、遠い過去においても感じていた結果〉、〈過去を現在に食い込ませることになり、自分のいるのが過去なのか現在なのか判然としなくなった〉ためで、この瞬間〈私〉は〈超時間的存在〉となる[16]。

私は理解した、文学作品のすべての素材は、私の過ぎ去った生涯であるということを。私は理解した、それらの素材は、浮わついた快楽や、怠惰な生活や、愛情や、苦痛などを通して私のところにやってきたものであり、私はそれをためこみながら、いずれ植物を養うことになるすべての栄養をたくわえた種子のように、これらの素材の使い方も、またそれが無事に生きのびるかどうかさえも、見通してはいなかったのだ。
— マルセル・プルースト「失われた時を求めて――見出された時」
語り手は、〈文学作品のすべての素材は私の過ぎ去った生涯である〉という認識とともに、自分の人生において経験した瞬間瞬間の印象を文学作品のうえに再構成し、音楽に匹敵する文学を書く決意を固めていく[16]。このような「無意志的記憶」を文学作品において登場させたのは、プルーストが最初というわけではないが[56]、こうした現象はしばしば「プルースト現象」あるいは「プルースト効果」という言い方で知られるようになっている[59]。

私は人間を、その肉体の長さではなく、かならず歳月の長さを持った者として描くだろう。(中略)私たちが「時」のなかに絶えず増大してゆく場所を占めているということは、みなが感じているのであり、この普遍性は私を喜ばせずにはいなかった。
— マルセル・プルースト「失われた時を求めて――見出された時」
芸術と芸術家
→「マルセル・プルースト § 芸術」も参照

フェルメール作『デルフトの眺望』。プルーストはオランダ旅行時の1902年にもデン・ハーグのハーグ美術館でこの絵画を見ており、知人に宛てた書簡で「ハーグで『デルフト眺望』を見てからというもの、この世で最も美しい絵画を見た、と思ってきました」と書いている[60]。
上記のように『失われた時を求めて』は、芸術を求める〈私〉が様々な経験や考察を経た後で、文学の意味を発見し、文学的使命に目覚めるまでを描いた物語であり、一種のビルドゥングスロマン(修行小説)、語り手による、文学の根拠を探求する小説として読むこともでき[17][18]、作品中にはルノアール、モロー、ワグナーらをはじめ様々な芸術家、作家の名が引用されているだけでなく、物語に重要な役割を果たす架空の芸術家が幾人か登場する[17]。

例えば、コンブレーのピアノ教師ヴァントゥイユは、平凡で地味な生活を送っているが、その外的生活と芸術家としてのヴァントゥイユの内的な深層の自我とは別の物だというプルーストの『サント=ブーヴに反論する』で主張しているテーマが表現される[17][61]。ヴァントゥイユの作曲したソナタ (Sonate de Vinteuil)は、作品の第1巻第1部「スワンの恋」でスワンとオデットが近づくきっかけになり、またヴァントゥイユのソナタと同じモチーフを持つ未完の遺作の「七重奏曲」は、のちにその娘ヴァントゥイユ嬢の同性愛の相手によって完成させられ、サロンでそれを聞いた語り手の魂に深い感銘を与えることになる[17][16][62]。

避暑地バルベックで親しくなる画家のエルスチールの絵画『ミス・サクリパンの肖像』には男装の麗人が描かれ(モデルはオデットだったとされる)、『カルクチュイ港』にも対象の本当の印象や、芸術家の内的なビジョンの真実を表現する意図がエルスチールにはあった[17][16]。語り手は、エルスチールの絵に「現実を前にしたとき、自分の知性が与えるいっさいの概念を捨てて」、画家の印象を正確に描こうとする態度を見出し、そこに文学の隠喩表現と類似する現実の変容を見出す[16][26]。またエルスチールは以前に社交界のサロンでビッシュといいう名で出入りし、太鼓持ちや道化役をしていたという挿話にも、『サント=ブーヴに反論する』の主張が生きている[17]。

また語り手がかつて愛読した作家だったベルゴットは、展覧会でフェルメールの『デルフトの眺望』を見て強い印象を受け、「このように書かなくちゃいけなかったんだ」、「この小さな黄色い壁のように絵具をいくつも積み上げて、文章そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」とつぶやきその場で死んでいく[63][17]。

聞き書きの形で語られるこのベルゴットの死の情景場面は、以前に書いた断片挿話の焼き直しで、その創作断片では、オランダでのレンブラントの展覧会で、〈私〉が〈死人のような〉ジョン・ラスキンに出会うという設定となっている[17]。また、プルースト自身が死の前年1921年4月に実際にジュ・ド・ポーム美術館のオランダ絵画展で『デルフトの眺望』を見た時(2度目)の経験をもとに書かれたとも考えられている[60][23]。

また作中には、読書をする語り手の意識も細かく語っているが、そこには芸術の受容というものにこだわるプルーストの読書論が展開されており、これは音楽や絵画、舞台などの受け手の心理の分析にも同根のものが見られる[24][18][62][18][64]。

一人ひとりの読者は本を読んでいるときに、自分自身の読者なのだ。作品は、この書物がなければ見えなかった読者自身の内部のものをはっきり識別させるために、作家が読者に提供する一種の光学器械にすぎない。
— マルセル・プルースト「失われた時を求めて――見出された時」
社交界とスノビズム

ゲルマント公爵夫人の主要モデルとされているグレフュール伯爵夫人(フランス語版)の肖像
→「マルセル・プルースト § 社交」も参照
パリの社交界は『失われた時を求めて』の主要な舞台の1つであり、作品中ではサロンの描写に非常に多くのページが割かれている。作中ではパリの社交界の中心にあるのはゲルマント公爵夫人のサロンであり、その周りにそれよりも威光があるが閉鎖的で退屈なゲルマント大公夫人のサロン、同じ一族であるが低位にあるヴィルパリジ侯爵夫人のサロン、そしてスワンとオデットとの恋の舞台でもあるヴェルデュラン夫人のサロンなどが配されている[32][30]。

ゲルマント一族による貴族のサロンではブルジョワの振る舞いが軽蔑され、一方ブルジョワのヴェルデュラン夫人は貴族を軽蔑する様子を見せるが深層では羨望しており、未亡人となった彼女は最終的に、夫人と死別した老ゲルマント大公と再婚して大公夫人の座に居座り、貴族のサロンの頂点に君臨することになる[30]。

ゲルマント公爵夫人のサロンは、当初は語り手の憧れの対象となるが、社交界に入り込むにつれてその皮相さ、浅薄さに気付いていくとともに、社交界を取り巻くスノビズムを徹底した怜悧な目で描き出し、また同時にその滑稽なものの中にある美しい普遍性や人間性を見出す[17][32][30]。

仕草や、言葉や、無意識にもらした感情などによって、この上もなく愚かな人間だと分かる人たちも、自分では気づかずにさまざまな法則を示しており、その法則を芸術家は彼らのうちにとらえる。この種の観察のために、一般大衆は作家を意地の悪い人間だと思うが、それは間違っている。なぜなら芸術家は、滑稽なもののなかに美しい普遍性を見ているからだ。彼がそのために観察の対象になった人を非難などしていないのは、ありふれた血液循環障害にかかっているからといって外科医が患者を見くびりはしないのと同様である。
— マルセル・プルースト「失われた時を求めて――見出された時」
作者のプルースト自身、若い頃から著名なサロンに出入りしており、この経験がサロンの描写に生かされているだけでなく、現実の社交界で出合った様々な人物が作中のモデルとして使われている[41][30]。また、プルーストの愛読書であったルイ・ド・ルヴロワ・ド・サン=シモン公爵(フランス語版)(1675-1755年)の『回想録』の影響もかなりある[32][注釈 9]。徹底したスノビズムの描写は、おろかなもの、凡庸なものの中にも普遍性を見出すことができるというプルーストの考えの反映であり、またそのいくらかはスノブであるプルースト自身の姿でもあることを自覚していた[7][1][30]。

肉親の死・心の間歇
シャンゼリゼ公園に祖母と出掛けた語り手は、そこで発作を起こした祖母の重い病の看病しながら、死にゆく自分の肉体の中に巣くっている病を見つめているであろう祖母の内面を推察していく描写があるが、そこでは死の到来を恋人(命)の裏切りに喩えており、病によって明瞭となる自分の「身体の他者性」を考察している[6]。

そして祖母の死から1年以上経った頃、かつて祖母とバカンスを過ごした避暑地バルベックに再び到着し、ホテルの部屋で疲れてショートブーツを脱ごうと身をかがめた瞬間、それと同じ動作を数年前にした時に祖母がブーツを脱がせてくれ、悲嘆と孤独に打ちひしがれていた自分を助けてくれたことが不意にありありと蘇り(無意志的記憶)、涙を流しながら祖母の死を実感するという挿話がある。語り手はこれを「心の間歇」と名付け、長いこと眠り込んでいた感情があるきっかけで、呼び覚まされる現象を描いている[6][57]。

語り手は、自身が祖母の心労や悲しみの原因となったと考え、自責の念を持ち、誤診をした医師を呼んで来たのも自分だったことなども気にかかっていた。作中の祖母の存在には、プルースト自身の母親ジャンヌ(フランス語版)への感情が重ねられていることが看取される[57][40]。

恋愛と同性愛

シャルリュス男爵のモデルとなったモンテスキュー伯の肖像。同性愛者でありながら社交界や文芸界にも大きな勢力をもっていた[41]。
→「マルセル・プルースト § 恋愛」も参照
この作品では3つの大きな恋愛が描かれている。すなわち、オデットに対するスワンの恋、ジルベルトに対する語り手の恋、アルベルチーヌに対する語り手の恋で、最初の1つは結婚によって、2つ目は別離によって、3つ目は相手の死によって終わっているが、いずれも最後には情熱が冷まされ無関心に至るという点は共通している[65]。

作品の始めのほうにおかれたスワンの恋は、後に語り手が経験する恋愛の一種の予告編であり、細部に渡って語り手の恋愛との共通点を持つ[66][38]。『失われた時を求めて』で描かれる恋愛は重苦しく、独占的であり[65]、しばしば嫉妬が重要なテーマとなっている[17]。このような恋愛の裏でもう1つの大きなテーマとして同性愛が展開する[17][51]。

『失われた時を求めて』には多数の同性愛者、あるいはその可能性を持つものが登場しており、女性ではヴァントゥイユ嬢、オデット、アルベルチーヌ、アンドレ、エステル、レアなど、男性ではシャルリュス男爵、その恋愛相手のジュピヤン、モレルのほか、サン=ルー侯爵、ゲルマント大公、ヴォグベール侯爵などがいる[17]。女性の同性愛は語り手の恋愛における嫉妬の原因として機能し、また語り手にとって女性を謎めいた存在にしておく口実を引き受ける役割を担うが、それ以上深く追究されていくことはない[17]。

一方、シャルリュス男爵を中心とする男性の同性愛の動向は語り手を引き付け、観察・考察の対象となる。この作品の中でプルーストは彼らの同性愛を巡る事件をおぞましく、グロテスクなものとして描いているが、その中に潜むある種の感動や真摯さを見出している[17]。なお、シャルリュス男爵は、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵がモデルとなっている[41]。

また、迫害の歴史を持つマイノリティーとしてユダヤ人と同性愛者とを比較し、その共通点を探ってもいる[67][51]。同性愛者とユダヤ人との共通点として、彼らが同類への憐憫と嫌悪の混在したアンビバレントな感情を持ち合わせていることをプルーストは強調し、それはプルースト自身の存在に対する矛盾した感情や、同族だという理由だけで徒党を組むことへの批判意識でもあった[51][50]。

また、語り手の恋人アルベルチーヌには、プルーストが惹かれていた青年アルフレッド・アゴスチネリ(フランス語版)が主要なモデルであるが、1902年頃に交友していた青年貴族で外交官のベルドラン・ド・フェヌロン(フランス語版)も、アルベルチーヌの前身であるマリア(大幅改稿前の名前)のモデルとなっている[43]。プルーストは、このフェヌロンやアントワーヌ・ビベスコ(フランス語版)(母エレーヌはアンナ・ド・ノアイユの従姉妹に当たる)と一緒に1902年にベルギー、オランダ旅行をしている[43]。

ユダヤ人とドレフュス事件

スワンのモデルとなったシャルル・アース(フランス語版)。スワンと同様、株式仲買人の息子で中流のユダヤ人でありながら上流社会に出入りし貴族や皇族とも親しかった[49]。
→「マルセル・プルースト § ユダヤ人」も参照
この作品ではまた数人のユダヤ人が重要な役割を果たす。特に重要なのは第1巻第1部でその恋が語られるユダヤ人シャルル・スワンである。彼はブルジョワ階級の出で、それもフランス社会で不利な立場に置かれていたユダヤ人でありながら、パリの最上流の貴族社会に出入りして華やかな社交生活を送っている[49][38]。

他方、語り手の年長の悪友である下層ユダヤ人の作家志望ブロックは、出世主義的でうぬぼれが強いユダヤ人の戯画としてスワンとは対照的に描かれている[49][50]。スワンはおそらくプルーストがそうありたいと思うようなユダヤ人像であり、反対にプルーストはブロックの反ユダヤ的な言動を批判的に見ている[68]。

しかし物語が進むと、スワンは高級娼婦オデットと結婚してから社交界での立場が悪くなり、さらに妻の社会的地位の向上を気にかける俗物的な面を見せるようになり、反対にブロックは社交界での地位を登りつめ、作家としても認められ貴族社会に入り込むことに成功して、育ちの悪さも無くなってくる[49][50]。このほかにサン=ルー侯爵の愛人で元娼婦のユダヤ人ラシェルがいるが、物語ではいずれのユダヤ人も社会的な地位の浮沈とセットで描かれていることになる[49]。

また作中のサロンの場面では、実在のフランスのユダヤ人大尉アルフレド・ドレフュスの冤罪をめぐる「ドレフュス事件」が主要な話題の1つとして登場する。この事件をめぐって当時フランス社会が真二つに分かれた状況を反映し、作品の人物もドレフュス派と反ドレフュス派に分かれて様々な態度を取っている[49]。

例えばゲルマント公爵夫妻は反ドレフュス派であり、親ドレフュスの態度を取るサン=ルー侯爵に非難を浴びせる。ゲルマント大公夫妻は当初は激しい反ユダヤ主義者であったが、裁判が進むにつれドレフュスの無罪を確信せざるを得なくなる。ユダヤ人のスワンは熱心にドレフュスの擁護をするが、しかし一方でフランス軍隊に対する愛着を示し、反軍的なキャンペーンには関わりたくないと考えて、ピカール中佐(ドレフュスの無罪を立証しようとして逆に収監された人物)の嘆願署名を拒否する。

スワンはまたこの事件に対する貴族の反応から、貴族たちと長年付き合ってきたことを後悔するようになる。ドレフュスの無罪を主張していたサン=ルーについては、その後、前述のユダヤ人ラシェルを愛人にしていたことがその原因だったとわかり、彼はラシェルと別れた後は自分のかつての言動を否認するようになる[69]。

ユダヤ人であったプルーストはドレフュス事件に早くから関心を持ち、親ドレフュス派として署名運動に関わったり、これに関するエミール・ゾラの名誉毀損裁判を熱心に傍聴したりしていた。しかし『失われた時を求めて』では、プルーストはむしろ社交界における様々な反応を描くことに専念している[70][49]。

出版と反響
1912年に『失われた時を求めて』の第1篇の原稿を完成させたプルーストは、出版先を探し始めた。プルーストは、自身が無名の作家であること、また作品内に同性愛の記述があることから出版に困難が伴うことを覚悟し、自費出版を申し出ていた[21]。しかし、それでも交渉は難航し、ファスケル社、オランドルフ社に断られた後、新進作家の牙城であった『新フランス評論』(NRF)を出版するガリマール社に原稿を持っていった[21][22]。

ところがここでも断られ、最終的に友人の伝手のあったグラッセ社からの出版が決まった[21]。値段は3フラン50サンチームと非常に安価で、これは当初10フランを提案したグラッセ社に対して、作品をより広く流布させたいというプルーストの意向により付けられた値段であった[71]。

1913年11月14日に第1篇『スワン家のほうへ』が刊行されると、プルーストの知り合いの編集者に働きかけたこともあって、新聞各紙に書評が掲載された[21][22]。内容は賛否さまざまであったが、中にはこの作品を「マネ風の新鮮で自由闊達なタッチに満ちた巨大な細密画」と表現したジャン・コクトー(『エクセルシオール』紙)や、その文体を「見えざる複雑さのおかげで単純になった」と評した『フィガロ』紙のリュシアン・ドーデ(フランス語版)(アルフォンス・ドーデの次男)などの評が含まれる[72]。

しかし、最も反響があったのは、先に『失われた時を求めて』の出版拒否を行なっていた『新フランス評論』の内部であった[22]。そこでは、この作品の先進性が見抜けなかったことに対して、メンバー内で深刻な内部批判が起こり、その結果、メンバーの一人であったアンドレ・ジッドからプルーストに対して丁寧な謝罪の手紙が書かれた上に、第1巻の版権をグラッセ社から買い取ること、第2篇以降を自社から出版する方針を固めた[22]。グラッセ社への義理立てもあって、プルーストは、この件に当初難色を示したものの、最終的には提案通り、以降の『失われた時を求めて』はガリマール社から出版されることが決まった[22]。

大戦終結後の1918年に第2篇『花咲く乙女たちのかげに』がガリマール社で刊行されると、プルーストは、ゴンクール賞の選考委員であるレオン・ドーデ(フランス語版)(リュシアン・ドーデの兄)の支持が得られることが分かったため、同賞に立候補した[23]。そして、新進作家ロラン・ドルジュレスの『木の十字架』を破り、翌19年にゴンクール賞を受賞した[23]。

この受賞に対しては、若いドルジュレスに上げるべきだったという意見や、プルーストが選考委員と関係があるという非難がジャーナリズムに持ち上がった。しかし、『ル・タン』紙のポール・スーデーやレオン・ドーデ、『新フランス評論』のジャック・リヴィエールらは、プルースト擁護の筆を取っている[73]。

1921年5月に『ゲルマントのほう II』『ソドムとゴモラ』が出版され、その同性愛の主題がはっきりしてくると、ジッドは、そこで同性愛があまりに陰惨に書かれていることに対して、難色を示した[74][17]。また、ドーデ兄弟の義弟であったアンドレ・ジェルマンは、怒りを爆発させて『エクリ・ヌーヴォー』誌上でプルーストを「従僕の情婦に成り下がったオールドミス」呼ばわりし、あやうく決闘にまで発展するところであった[74][23]。

また一方で、『ソドムとゴモラ II』(1922年5月)、没後刊の『囚われの女』(1923年11月)は賛辞で迎えられ、プルーストはその評価を確固たるものとしていった。しかし、『消え去ったアルベルチーヌ』(1925年)、『見出された時』(1927年)では、草稿段階であったことも含めて、再び批判が現れてくる。しかし、『見出された時』に関しエドモン・ジャルー(『ヌーヴェル・リテレール』紙)は、作品の円環的な構造を指摘し、「その内在的な美が完全に啓示されるまではまだ多くの年月がかかるだろう」と記している[74]。

生誕150周年の2021年に、初稿「75枚の草稿」とその関連原稿が、研究者ベルナール・ド・ファロワの遺品中から発見され、出版された(ナタリー・モーリヤック編、ガリマール刊)[75]。

日本語訳
『失ひし時を索めて 第1巻・スワン家のほう』武蔵野書院、1931年。作品社(3冊刊)、1931-1934年
淀野隆三・佐藤正彰・井上究一郎[76]・久米文夫訳
五来達訳『失はれし時を索めて』三笠書房 (第3篇途中まで)、1934-1935年
訳者は、フランス文学者ではなく化学者。1954年に『見出された時』(三笠書房)を刊行。
『失われた時を求めて』(全13巻)新潮社、1953-1955年、新潮文庫(改訂版)、1958-1959年/新潮社(全7巻組)、1974年
淀野隆三・井上究一郎・伊吹武彦・生島遼一・市原豊太・中村真一郎訳
井上究一郎訳『失われた時を求めて』筑摩書房〈筑摩世界文学大系 全5巻〉、1973-1988年
改訂版『プルースト全集 1-10』筑摩書房、1984-1989年/ちくま文庫(全10巻)、1992-1993年。グーテンベルク21(電子書籍、2021-2022年)で再刊
鈴木道彦訳『失われた時を求めて』(全13巻)、集英社、1996-2001年/集英社文庫(改訂版、各・巻末エッセイ)、2006-2007年
抄訳版が先行出版。単行版(上・下)、1992年。文庫版(全3巻)、2002年
吉川一義訳『失われた時を求めて』(全14巻)、岩波文庫、2010年11月 - 2019年11月(最終巻に総索引収録)
吉川一義編訳『「失われた時を求めて」名文選』岩波書店、2024年9月
高遠弘美訳『失われた時を求めて』(全14巻予定)、光文社古典新訳文庫、2010年9月-刊行中(2025年時点で第6巻まで刊行、電子書籍も出版)
高遠弘美訳『消え去ったアルベルチーヌ』光文社古典新訳文庫、2008年5月
1980年代に発見された新たな原稿を基にしたもの。
角田光代、芳川泰久訳『失われた時を求めて 全一冊』新潮社〈新潮モダン・クラシックス〉、2015年5月
プレイヤッド版(1987-1989年)を底本に、約十分の一の長さで縮訳した書。あとがきで訳者の芳川は、短くしてはいるが原文にないものは付け加えておらず、いわゆる超訳ではない、と述べている。電子書籍も出版。
長編作品として「20世紀文学の最高峰」と評される作品だけに、複数のフランス文学者がライフワークで完訳に取り組んだ[77]。
【Wikipedia】

2026年5月29日 (金)

『ちくま文学の森』全16巻(筑摩書房)書籍データ

『ちくま文学の森 1 美しい恋の物語』目次
初恋(島崎藤村)
燃ゆる頬(堀辰雄)
初恋(尾崎翠)
柳の木の下で(アンデルセン)
ラテン語学校生(ヘッセ)
隣の嫁(伊藤左千夫)
未亡人(モーパッサン)
エミリーの薔薇(フォークナー)
ポルトガル文(リルケ訳)
肖像画(A.ハックスリー)
藤十郎の恋(菊池寛)
ほれぐすり(スタンダール)
ことづけ(バルザック)
なよたけ(加藤道夫)

『ちくま文学の森 2 心洗われる話』目次
少年の日(佐藤春夫)
蜜柑(芥川龍之介)
碁石を呑だ八っちゃん(有島武郎)
ファーブルとデュルイ(ルグロ)
最後の一葉(O・ヘンリー)
芝浜(桂三?リ助)
貧の意地(太宰治)
聖水授与者(モーパッサン)
聖母の曲芸師(A.フランス)
盲目のジェロニモとその兄(シュニッツラー)

『ちくま文学の森 3 変身ものがたり』目次
死なない蛸(萩原朔太郎)
風博士(坂口安吾)
オノレ・シュブラックの失踪(アポリネール
川口篤・訳)
壁抜け男(エーメ
中村真一郎・訳)
鼻(ゴーゴリ
平井肇・訳)
のっぺらぼう(子母澤寛)
夢応の鯉魚(上田秋成
石川淳・訳)
魚服記(太宰治)
こうのとりになったカリフ(ハウフ
高橋健二・訳)
妖精族のむすめ(ダンセイニ
荒俣宏・訳)
山月記(中島敦)
高野聖(泉鏡花)
死霊の恋(ゴーチエ
田辺貞之助・訳)
マルセイユのまぼろし(コクトー
清水徹・訳)
秘密(谷崎潤一郎)
人間椅子(江戸川乱歩)
化粧(川端康成)
お化けの世界(坪田譲治)
猫町(萩原朔太郎)
夢十夜(夏目漱石)
東京日記抄(内田百閒)

『ちくま文学の森 4 おかしい話』目次
おかし男の歌(長谷川四郎)
太陽の中の女(ボンテンペルリ)
死んでいる時間(エーメ)
粉屋の話(チョーサー)
結婚申込み(チェーホフ)
勉強記(坂口安吾)
ニコ狆先生(織田作之助)
いなか、の、じけん抄(夢野久作)
あたま山(八代目・林家正蔵)
大力物語(菊池寛)
怪盗と名探偵 抄(カミ)
ゾッとしたくて旅に出た若者の話(グリム)
運命(ヘルタイ)
海草と郭公時計(T・F・ポイス)
奇跡をおこせる男(H・G・ウェルズ)
幸福の塩化物(ピチグリッリ)
美食倶楽部(谷崎潤一郎)
ラガド大学参観記(牧野信一)
本当の話 抄(ルキアノス)

『ちくま文学の森 5 思いがけない話』目次
夜までは(室生犀星)
改心(O.ヘンリー)
くびかざり(モーパッサン)
嫉妬(F.ブウテ)
外套(ゴーゴリ)
煙草の害について(チェーホフ)
バケツと綱(T.F.ポイス)
エスコリエ夫人の異常な冒険(P.ルイス)
蛇含草(桂三木助)
あけたままの窓(サキ)
魔術(芥川龍之介)
押絵と旅する男(江戸川乱歩)
アムステルダムの水夫(アポリネール)
人間と蛇(ビアス)
親切な恋人(A・アレー)
頭蓋骨に描かれた絵(ボンテンペルリ)
仇討三態(菊池寛)
湖畔(久生十蘭)
砂男(ホフマン)
雪たたき(幸田露伴)

『ちくま文学の森 6 恐ろしい話』目次
「出エジプト記」より―文語訳「旧約聖書」
詩人のナプキン(アポリネール)
バッソンピエール元帥の回想記から(ホフマンスタール)
蝿(ピランデルロ)
爪(アイリッシュ)
信号手(ディケンズ)
「お前が犯人だ」―(ポー)
盗賊の花むこ(グリム)
ロカルノの女乞食(クライスト)
緑の物怪―(ネルヴァル)
竃の中の顔(田中貢太郎)
剣を鍛える話(魯迅)
断頭台の秘密(ヴィリエ・ド・リラダン)
剃刀(志賀直哉)
三浦右衛門の最後(菊池寛)
利根の渡(岡本綺堂)
死後の恋(夢野久作)
網膜脈視症(木々高太郎)
罪のあがない(サキ)
ひも(モーパッサン)
マウントドレイゴ卿の死(モーム)
ごくつぶし(ミルボー)
貧家の子女がその両親ならびに祖国にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案(スウィフト)
ひかりごけ(武田泰淳)
なぜ怖がりたがるのか?(池内紀)


『ちくま文学の森 7 悪いやつの物語』目次
囈語(山村暮鳥)
昼日中老賊譚(森銑三)
鼠小僧次郎吉(芥川龍之介)
女賊お君(長谷川伸)
金庫破りと放火犯の話(チャペック)
盗まれた白象(マーク・トウェイン)
夏の愉しみ(A.アレー)
コーラス・ガール(チェーホフ)
異本「アメリカの悲劇」(J.コリア)
二壜のソース(ダンセイニ)
酒樽(モーパッサン)
殺し屋(ヘミングウェイ)
中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋(三島由紀夫)
光る道(檀一雄)
桜の森の満開の下(坂口安吾)
女強盗(菊池寛)
ナイチンゲールとばら(ワイルド)
カチカチ山(太宰治)
手紙(モーム)
或る調書の一節(谷崎潤一郎)
停車場で(小泉八雲)

 

『ちくま文学の森 8 怠けものの話』目次
蝉(堀口大學)
警官と讃美歌(O.ヘンリー)
正直な泥棒(ドストエフスキー)
孔乙己(魯迅)
ジュール叔父(モーパッサン)
チョーカイさん(モルナール)
ビドウェル氏の私生活(サーバー)
リップ・ヴァン・ウィンクル(W.アーヴィング)
スカブラの話(上野英信)
懶惰の賦(ケッセル)
ものぐさ病(P.モーラン)
不精の代参(桂米朝)演
貧乏(幸田露伴)
変装狂(金子光晴)
幇間(谷崎潤一郎)
井月(石川淳)
よじょう(山本周五郎)
懶惰の歌留多(太宰治)
ぐうたら戦記(坂口安吾)
大凶の籤(武田麟太郎)
坐っている(富士正晴)
屋根裏の法学士(宇野浩二)
老妓抄(岡本かの子)

『ちくま文学の森 9 賭けと人生』目次
全生涯(リンゲルナッツ)
賭博者(モルナール)
ナイフ(カターエフ)
その名も高きキャラヴェラス郡の跳び蛙(マーク・トウェイン)
富久(桂文楽・演
安藤鶴夫・聞書)
紋三郎の秀(子母澤寛)
かけ(チェーホフ)
混成賭博クラブでのめぐり会い(アポリネール)
アフリカでの私(ボンテンペルリ)
黒い手帳(久生十蘭)
スペードの女王(プーシキン)
木馬を駆る少年(D・H.ロレンス)
五万ドル(ヘミングウェイ)
塩百姓(獅子文六)
闘鶏(今東光)
死人に口なし(シュニッツラー)
もう一度(ゴールズワージー)
哲人パーカー・アダスン(ビアス)
最後の一句(森鴎外)
喪神(五味康祐)
入れ札(菊池寛)

『ちくま文学の森 10 とっておきの話』目次
ミラボー橋(アポリネール)
立札(豊島与志雄)
名人伝(中島敦)
幻談(幸田露伴)
Kの昇天(梶井基次郎)
月の距離(カルヴィーノ)
山彦(マーク・トウェイン)
アラビア人占星術師のはなし(W.アーヴィング)
山ン本五郎左衛門只今退散仕る(稲垣足穂)
榎物語(永井荷風)


ちくま文庫

刊行日
2011/05/10

判型
文庫判

ページ数
544


解説

購入する
内容紹介
目次
著作者プロフィール
感想をおくる
内容紹介
名人伝(中島敦) Kの昇天(梶井基次郎) 月の距離(カルヴィーノ) 榎物語(永井荷風) わたし舟(斎藤緑雨) イグアノドンの唄(中谷宇吉郎)など21篇

目次
ミラボー橋(アポリネール)
立札(豊島与志雄)
名人伝(中島敦)
幻談(幸田露伴)
Kの昇天(梶井基次郎)
月の距離(カルヴィーノ)
山彦(マーク・トウェイン)
アラビア人占星術師のはなし(W.アーヴィング)
山ン本五郎左衛門只今退散仕る(稲垣足穂)
榎物語(永井荷風)


目次をすべて読む
著作者プロフィール
安野光雅
( あんの・みつまさ )
安野 光雅(あんの・みつまさ):1926年島根県津和野生まれ。画家・絵本作家と

 

目次(収録作品)

頑是ない歌(中原中也)
多摩川探検隊(辻まこと)
幼年時代の思い出(ファーブル)
風の又三郎(宮沢賢治)
うけとり(木山捷平)
出生から13歳まで(勝小吉)
幼少の時(福沢諭吉)
最初の思出(大杉栄)
お月さまいくつ(山川菊栄)
父(金子ふみ子)
少女(マンスフィールド)
風琴と魚の町(林芙美子)
鮨(岡本かの子)
龍潭譚(泉鏡花)
少年〈こども〉の悲哀〈かなしみ〉(国木田独歩)
クリスマスの思い出(カポーティ)
クジャクヤママユ(ヘッセ)
にんじん(抄)(ルナール)
インディアン・キャンプ(ヘミングウェイ)
梨花(吉野せい)
注射(森茉莉)
小さき者へ(有島武郎)
故郷(魯迅)


『ちくま文学の森11 機械のある世界』文庫なし
四六判
1988年11月25日
496頁

引力の事(福沢諭吉)
私の懐中時計(マーク・トウェイン)
時計のネジ(椎名麟三)
メカに弱い男(サーバー)
自転車日記(夏目漱石)
瞑想の機械(ボンテンペルリ)
怪夢抄(夢野久作)
シグナルとシグナレス(宮沢賢治)
ナイチンゲール(アンデルセン)
両棲動力(A・アレー)
栄光製造機(ヴィリエ・ド・リラダン)
流刑地にて(カフカ)
To the unhappy few(渡辺一夫)
メルツェルの将棋差し(ポー)
金剛石のレンズ(F・オブライエン)
フェッセンデンの宇宙(E・ハミルトン)
実験室の記憶(中谷宇吉郎)
操縦士と自然の力(サン・テグジュペリ)
軽気球(ラーゲルレーヴ)
蓄音機(寺田寅彦)
天体嗜好症(稲垣足穂)
夢みる少年の昼と夜(福永武彦)

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『ちくま文学の森12 動物たちの物語』文庫なし
四六判
1989年1月24日
464頁

猫(三好達治)
銀のやんま(北原白秋)
春(吉野せい)
蝶(正岡子規)
こおろぎ(鏑木清方)
蝗の大旅行(佐藤春夫)
虫のいろいろ(尾崎一雄)
冬の蝿(梶井基次郎)
悲しい山椒ノ魚(野尻抱影)
プラテーロとぼく(抄)(ヒメネス)
リス(コレット)
文鳥(夏目漱石)
黒猫(島木健作)
大きな二つの心臓の川(ヘミングウェイ)
蝉―変態「羽化」(ファーブル)
蚊(小泉八雲)
スカンク(ハドソン)
マンモスは生きている(吉田健一)
ナマズ考(花田清輝)
猫が物いう話(森銑三)
猫の踊(森銑三)
蛇精(岡本綺堂)
髪切虫(夢野久作)
豹(内田百閒)
鯉(内田百閒)
雑種(カフカ)
スキー場で(辻まこと)
猿(J・クラルテェ)
雁の話(中勘助)
ウシ(エーメ)
名優ギャヴィン・オリアリ(J・コリア)
猫の親方あるいは長靴をはいた猫(ペロー)
毛虫の舞踏会(M・ブデル)
やまなし(宮沢賢治)

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『ちくま文学の森13 旅ゆけば物語』文庫なし
四六判
1989年2月22日
464頁

鉄道唱歌(大和田建樹)
一時間の航海(福永武彦)
斑鳩物語(高浜虚子)
或る田舎町の魅力(吉田健一)
山陰(木山捷平)
東海道五十三次(岡本かの子)
三十石道中(広沢虎造演)
乞食旅(勝小吉)
突貫紀行(幸田露伴)
清光館哀史(柳田国男)
高千穂に冬雨ふれり(坂口安吾)
御者付き旅行(アンデルセン)
ファルケンブルクの斬首された騎士(ユゴー)
蛇つかい(永井荷風)
牢屋の歌(大杉栄)
はだかの外国女(山下清)
やさしい国・オランダ(山下清)
お茶の葉(H・S・ホワイトヘッド)
北欧の夜(P・モーラン)
世界一周(ボンテンペルリ)
クバニ王国考(花田清輝)
ミクロメガス(ヴォルテール)

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『ちくま文学の森14 ことばの探偵』文庫なし
四六判
1989年12月16日
496頁

狂詩巡査行(サッカレ)
がまの油口上(永井兵助)
家族混線曲(中田ダイマル、中田ラケット)
一ト目上り(春風亭柳橋)
千早振る(三遊亭小円朝)
エステル(フィッシュ兄弟)
うわさ/ブダペスト風説便覧(モルナール)
南北戦争式電話番号記憶法(サーバー)
三人の黙示録の騎士(チェスタトン)
七(花田清輝)
二銭銅貨(江戸川乱歩)
文字禍(中島敦)
予の自伝(堺利彦)
山下の話はまんざいみたいだ(山下清)
ベースボール(正岡子規)
佐々木味津三の「旗本退屈男」(三田村鳶魚)
比較言語学における統計的研究法の可能性について(寺田寅彦)
シとチ/ン(幸田露伴)
カタカナ随筆抄(伊丹万作)
便宜と実例(中野重治)
日本語と酒と(臼井吉見)
指揮者カリナの話(チャペック)
三文作家(アイリッシュ)
薮の中(芥川龍之介)
刎頚の交はり(バルザック)
東は東(岩田豊雄)

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『ちくま文学の森15 とっておきの話』
四六判
1988年9月21日
496頁

※文庫版は、第10巻。
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『ちくま文学の森 別巻 もうひとつの話』(第16巻)文庫なし
四六判
1989年4月24日
496頁

女(ハイネ)
島の果て(島尾敏雄)
かもじの美術家(レスコフ)
平手造酒(中山義秀)
極楽急行(海音寺潮五郎)
空飛ぶ大納言(渋沢龍彦)
鷹(石川淳)
赤い花(ガルシン)
生涯の垣根(室生犀星)
ボロ家の春秋(梅崎春生)
シシフシュ(ボルヒェルト)
モンタヴァル一家の血の呪いについて(寺山修司)
ガラスの少女像(T・ウィリアムズ)
鳩の夫婦(マンスフィールド)

チロルの秋(岸田国士)

  彩り豊かな玉座におられる女神アフロディーテー
  策略を綯(な)うゼウスの娘御、あなたに祈ります
  悲しみと苦しみで私の心を
  つぶさないでください、女神様

   どうぞ私のもとに来てください
  以前にも他の時に、私の願いを遠くで聞いて
  黄金造りの父の館を去り
  来てくださったことがあるならば

   あなたが車に乗られると美しい鳥たちが
  黒い大地へと車を曳いてきた
  翼を強くはばたかせ
  大空から天と地の間を通り

   たちまちここに着かれて、尊い女神よ
  不死の御顔に微笑みを浮かべ
  あなたは問いかけられた
  今度は何が起こったのか、何故呼ぶのかと

  憑かれた心の私が何をして欲しいとそんなに望むのか
  「今度は誰なのサッフォー
  お前を恋するようにさせるのは
  誰がお前を傷つけるの

  もしその娘が逃げているのなら、まもなく追うようになるでしょう
  もし贈物を拒むなら、自分から贈るようになるでしょう
  もし恋していないなら、まもなく恋するようになるでしょう
  たとえそれを望まなくても」

  今すぐ私のもとへ来てください。辛い憂いから
  私を救ってください。私の心がかなえたいと
  憧れる願いをかなえてください
  どうか私に加勢してください
             (古澤ゆう子訳)
生涯と背景
サッフォーは紀元前7世紀末から紀元前6世紀初頭にかけて活躍した古代ギリシャの詩人で、レスボス島のエレソスまたはミティレネで生まれたとされます。裕福な家庭に生まれたため、自由な生活と詩作活動が可能でした。家族は政治的抗争に巻き込まれ、一時的にシケリア島に亡命したこともありましたが、最終的にはレスボス島に戻ったと伝えられています。
Wikipedia

詩の特徴とテーマ
サッフォーの詩は、個人的な感情や恋愛、友情を率直に表現する抒情詩で知られています。特に女性同士の友情や愛情を描いた作品が多く、愛の女神アフロディーテへの賛歌などが代表作です。詩の形式はアイオリス方言を用いた長短各種の詩型で、直截で洗練された表現が特徴です。彼女の詩は、愛や別離、祭祀、婚礼の祝歌など、若い女性の体験を基にした内容が多く、後世のフェミニズム文学やLGBTQ文学にも影響を与えました。
ヨーロッパ史入門

文化的影響
サッフォーは古典古代から「第十のムーサ」と称され、ローマの詩人カトゥルスやホラティウスにも影響を与えました。原作の多くは散逸しましたが、エジプトのパピルス文書から断片が発見され、彼女の言語、詩法、表現の特色が明らかになっています。さらに、彼女の出身地レスボス島に由来して「レズビアン」という言葉が生まれるなど、現代文化にも影響を残しています。
世界史・現代史まとめ

まとめ
サッフォーは、古代ギリシャにおける女性抒情詩の代表者であり、愛や友情を深く表現した詩作で知られています。彼女の詩は断片としてしか残っていませんが、その美しさと感情の深さは、古代から現代に至るまで文学や文化に大きな影響を与え続けています。
Wikipedia
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『ちくまtetugakuの森』(筑摩書房)書籍データ

1,生きる技術
道ができている場所では タゴール(山室静)/空気草履 古今亭志ん生/大寅道具ばなし 斎藤隆介/対談 浪花千栄子・徳川夢声/いろはだとえ モラエス(花野富蔵)/新橋の狸先生 森 銑三/貨殖列伝 司馬遷(小川環樹)/長者の聟の宝舟 辻まこと/高利貸に就いて 内田百間/ハリー W・サローヤン(関汀子)/饒舌について プルタルコス(柳沼重剛)/嘘つきの技術の退廃について マーク・トウェイン(三浦朱門)/結婚生活十則 サーバー(鳴海四郎)/僕の孤独癖について 萩原朔太郎/ある〈共生〉の経験から 石原吉郎/権利のための闘争(抄) イェーリング(村上淳一)/レッスルする世界 ロラン・バルト(篠沢秀夫)/ニコマコス倫理学 第二巻第九章 アリストテレス(高田三郎)/みずから考えること ショーペンハウアー(石井正)/邪教問答 林 達夫/脳病院からの出発 チェスタトン(安西徹雄)/随想録より モンテーニュ(関根秀雄)/いかに老いるべきか ラッセル(中村秀吉)/ケニヤ山のふもと ケニヤッタ(野間寛二郎)/サーメの暮し ユーハン・トゥリ(三木宮彦)/結婚について・子どもについて ジブラーン(神谷美恵子)/老子(抄) 老子(小川環樹)/日本の理想 唐木順三
*解説 道化について……森 毅

刊行日 2011/09/09 JANコード 9784480428615 定価:本体1200円+税

2 世界を見る
地球儀 リンゲルナッツ(板倉鞆音)/長男と長女のこと マーク・トウェイン(勝浦吉雄)/朝鮮での私の生活 金子ふみ子/俘虜記(抄) 大岡昇平/歴史の効用と楽しみ E・H・ノーマン(大窪愿二)/狂信と殉教 中野好夫/近代とは何か 竹内 好/古沼抄 花田清輝/研究者と実践者 桑原武夫/無思想人宣言 大宅壮一/ジャーナリズム雑感 寺田寅彦/恐怖なき生活について 岸田国士/密集の事実 オルテガ・イ・ガセー(桑名一博)/最も必要なものだけの国家 田中美知太郎/ピタゴラス ラッセル(市井三郎)/『パンセ』の一句を主題とする変奏曲 ヴァレリー(安井源治)/哲学革命 ハイネ(伊東勉)/形而上学入門 ベルグソン(矢内原伊作)/哲学の正しい方法 ヴィトゲンシュタイン(坂井秀寿)/ダランベールの夢 ディドロ(杉捷夫)/胡桃の中の世界 澁澤龍彦
*解説 支配人物語……井上ひさし

刊行日 2011/10/06 JANコード 9784480428622 定価:本体1200円+税

3 悪の哲学
銘文 ダンテ・アリギェリ(日夏耿之介)/毒もみのすきな署長さん 宮澤賢治/湯の町エレジー 坂口安吾/マザー・グース・メロディー 花田清輝/悪人礼賛 中野好夫/仲間と犯した窃盗のこと アウグスティヌス(山田晶)/困ったときの友 モーム(龍口直太郎)/善良な田舎者 F・オコナー(須山静夫)/尋問調書・補遺 P・キュルテン(池内紀)/蒼白の犯罪者 ニーチェ(氷上英廣)/韓非(抄) 貝塚茂樹/酷吏列伝 司馬遷(福島吉彦)/陰謀について マキアヴェリ(永井三明)/エスパニョーラ島について ラス・カサス 染田秀藤/民族解放戦争における北アフリカ人の犯罪衝動性 F・ファノン(鈴木道彦・浦野衣子)/市民社会における貨幣の権力 マルクス(三浦和男)/無感覚なボタン 武田泰淳/善人ハム 色川武大/おかしな男の夢 ドストエフスキー(小沼文彦)/ベルガモの黒死病 ヤコブセン(山室静)/山に埋もれたる人生ある事 柳田國男/歎異抄(抄) 親鸞(増谷文雄)
*解説 三つの悪……鶴見俊輔

刊行日 2011/11/11 JANコード 9784480428639 定価:本体1200円+税

4 いのちの書
おばあちゃん 金子光晴/私は百姓女・老いて 吉野せい/暁を見る ヘレン・ケラー(岩橋武夫)/最初のハードル 戸井田道三/萩の花 宮本常一/病床断想 吉田 満/或る遺書について 塩尻公明/死生 幸徳秋水/臨終の田中正造 木下尚江/安吾のいる風景 石川 淳/「ガリヴァー」の作者の死 中野好夫/狂気について 渡辺一夫/絞首刑 G・オーウェル(小野寺健)/拷問 ジャン・アメリー(池内紀)/夏の花 原 民喜/穴ノアル肉体ノコト 澁澤龍/墓 正岡子規/チョウチンアンコウについて 梅崎春生/牧歌 モーパッサン(青柳瑞穂)/魂について 小泉八雲(田部隆次)/生きがいを求めて 神谷美恵子
*解説 「いのち」と枯葉……安野光雅

刊行日 2011/12/12 JANコード 9784480428646 定価:本体1200円+税

5 詩と真実
箴言 ジレージウス(大山定一)/芸術に関する一〇一章より アラン(斎藤正二)/昨日、動く砂は ジャコメッティ(矢内原伊作)/下手もの漫談 小出楢重/詩人失格 遠山 啓/自画像 寺田寅彦/モンテーニュ 落合太郎/断食芸人 カフカ(池内紀)/酔中一家言 尾崎士郎/桜間弓川さんのこと 野上弥生子/間 武智鉄二/艶、深、偉 円地文子/芝居絵 花田清輝/FARCEに就て 坂口安吾/模倣と独立 夏目漱石/素樸ということ 中野重治/中国文学と日本文学 竹内 好/桜の樹の下には 梶井基次郎/美について 田中美知太郎/美の法門 柳 宗悦/茶室 岡倉天心(桜庭信之)/歌よみに与うる書 正岡子規/蕪村俳句のポエジイに就いて 萩原朔太郎/曖昧な諺 滝口修造/オーベルジンの偶像 西脇順三郎/悦しき知識 深瀬基寛
*解説 画家と悪魔……池内 紀

刊行日 2012/01/12 JANコード 9784480428653 定価:本体1300円+税

6 驚くこころ
報告 宮澤賢治/シャボン玉 J・コクトー(堀口大學)/「わが生いたち」より 佐藤春夫/まんじゅうの皮とあん 国分一太郎/伊香保へ行って温泉に入ろう 山下 清/父と息子との対話 林 達夫/考えるだけでラジオを直す少年 ファインマン(大貫昌子)/日常身辺の物理的諸問題 寺田寅彦/立春の卵 中谷宇吉郎/クシャミと太陽 緒方富男/科学的な暗殺者 ファーブル(奥本大三郎)/足跡 吉田健一/〈世界の果て〉へ T・クローバー(中野好夫・中村妙子)/改暦弁 福沢諭吉/一八七七年の日本 モース(石川欣一)/神々の国の首都 小泉八雲(平井呈一)/歯固め 戸井田道三/地面の底がぬけたんです 藤本とし/水源に向かって歩く 遠山 啓/倉田百三氏の体験を中心に 森田正馬/精神分析について フロイト(懸田克躬)/火と尊崇 プロメテウス・コンプレックス バシュラール(前田耕作)/方法序説 デカルト(落合太郎)/数学上の発見 ポアンカレ(吉田洋一)/ラムネ氏のこと 坂口安吾/知魚楽 湯川秀樹
*解説 不思議について……森 毅

刊行日 2012/2/10 JANコード 9784480428660 定価:本体1300円+税

7 恋の歌
紅りんご サッフォー(呉茂一)/恋愛天文学 子夜(佐藤春夫)/媚薬 J・ベディエ(佐藤輝夫)/シラノ週報の場 ロスタン(辰野隆・鈴木信太郎)/コハル モラエス(花野富蔵)/前の妻・今の妻 吉野秀雄/日記 宅嶋徳光/宝石の声なる人に 岡倉天心・プリヤンバダ(大岡信)/エロイーズよりアベラールへの願い エロイーズ(畠中尚志)/わが沈黙の共謀者よ! キルケゴール(桝田啓三郎)/セックス対愛らしさ D・H・ロレンス(伊藤整)/恋愛 P・レオトー(堀口大學)/予審調書 阿部 定/恋 正岡子規/プラクリチ 幸田露伴/鯉魚 岡本かの子/じいさんばあさん 森 鴎外/好色 芥川龍之介/三色の娘 レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ(小澤晃)/恋愛について スティブンソン(酒井善孝)/「いき」の内包的構造 九鬼周造/『葉隠』と『わだつみ』 橋川文三/ドン・ジュアン/女房学校 アラン(古賀照一)/ソークラテースの話 プラトン(森進一)
*解説 面会時間……井上ひさし

刊行日 2012/3/09 JANコード 9784480428677 定価:本体1300円+税

8 自然と人生
ルバイヤートより U・カイヤム(小川亮作)/レーウェンフック P・ド・クライフ(秋元寿恵夫)/単細胞植物 ファーブル(日高敏隆・林瑞枝)/百万匹の油虫 エクスタイン(内田清之助)/鳥の王 F・オコナー(上杉明)/小園の記 正岡子規/星は周る 野尻抱影/親不知、子不知 深田久弥/幼き日の山やま 臼井吉見/ある遭難の記録 槇 有恒/北越雪譜(抄) 鈴木牧之/梶田富五郎翁 宮本常一/バンダ・オリエンタル ダーウィン(島地威雄)/デルスウ・ウザーラ(抄) アルセーニエフ(長谷川四郎)/エルドラード(黄金郷)の発見 S・ツヴァイク(片山敏彦)/大自然と人間 渡辺一夫/ピュトクレス宛の手紙 エピクロス(出隆・岩崎允胤)/各種の渦巻について 藤原咲平/神話と地球物理学 寺田寅彦/精霊物語(抄) ハイネ(小沢俊夫)/魔女 序の章 ミシュレ(篠田浩一郎)/山の声 辻まこと/荘子(抄) 荘子(森三樹三郎)/大腐爛頌 金子光晴
*解説 君見ずや 黄河の水 天上より来たり奔流して海に到り 復回らざるを……安野光雅

刊行日 2012/4/12 JANコード 9784480428684 定価:本体1300円+税
( )内は訳者


『ちくま文学の森』全16巻(筑摩書房)書籍データ

 

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