2025年2月 2日 (日)

「湘南ゴミ拾いオフ会」という抗議が懐かしい

フジテレビへの抗議といえば、2002年の「湘南ゴミ拾いオフ会」というのがあった。

サッカーの「日韓ワールドカップ」などが行われた時期で、フジテレビはニュースや中継で不自然なほど韓国を推しまくり、一部視聴者から顰蹙をかっていた。

27時間テレビ」のゴミ拾い企画が行われる前に、海岸のゴミをすべて拾ってしまおうという嫌がらせ……ではなく、抗議活動を行ったのです。ゴミがなければゴミ拾い企画は成り立ちません。


フジテレビへの抗議のために遠方からも人が続々と駆けつけて、夜を徹して海岸から一切のゴミを排除した。

誰が言ったか「悪意ある善行」。

たとえ正当な批判や抗議であっても、あまりにも攻撃的なものを見ると個人的にはしんどくなってしまう。

そんな湘南ゴミ拾いオフ会のように、聞いた人がクスリとできるのがいい。


フジテレビはこのまま沈没してしまうのかな。中居正広くん問題が、こんなに拡張するテレビ局はおかしい。

2025年1月27日 (月)

アクティブ・リコールという勉強法

「白い紙に何も見ないで、今日学んだことを思い出して書いてみる」と御上先生は生徒たちに勧めた。

これはアクティブ・リコールという勉強法で、多くの東大生が実践しているという。


自力で思い出そうとする勉強法で、復習する際に実践すると効果がある。

何か教材を用意するのではなく、ただ頭だけで思い出す勉強法の本質だろうか。

2010年代に認知脳科学や心理学などの研究成果から、「思い出すこと」に焦点を当てた勉強法が効果的だと探求された。


問題を解く勉強法も覚えたものを思い出すので共通してるが、問題文や選択肢が目に入るので、思い出す作業の邪魔になってしまう。


「何もヒントのない状態で、1カ月前に会った初対面の人の名前を思い出す」のが、アクティブ・リコール式で、「いろいろとヒントを得た状態で、その人の名前を思い出す」のが問題演習式となる。

どちらのほうが「思い出す」良い練習になるかといえば、アクティブ・リコールのほうである。


昔よりも良い参考書があり、昔より良質な授業を受けられる。その分、その学びを自分で咀嚼して、思い出す「アクティブ・リコール」の時間が取れなくなっている。

予備校の授業を誰よりも多く取れば、成績が上がるわけではない。

朝から晩まで塾で先生の話を聞き、それに追われるがあまり、復習をして、自分の頭を整理する時間が取れなかったら、学力は伸びない。もっと自分で「思い出す」練習をさせる教育が必要かもしれない。


【参考】

日曜劇場『御上先生』第2話より


シナリオやコンテなどの創作をする時、記録された設定より思い出すことが、作品想像性が高いことに比例してる。

2025年1月23日 (木)

燐寸ラベル主義🏷優良マッチ編

7c0689b962104fd792d2887994e5a4601afe9a9f08ff41bc8f2d9f7d1bd3baf07e26b82477dd496aaa1aa0cf994c82435ea66d567f4247dda3c68220bee7f65b55c7c1930a0049c3ac9f68692550754a3efdd6740b9b4538a1f01c1dd0695d5890212b4a044049368bf2bc0e60e920a3Ac587d149a3c424ab7fbdf331a4f0853

燐寸ラベル主義🏷動物編

D7af85f9fdc94d2580a2cb400c293332Db62df6c134c4fc8ada58e74f4c7398618c7ae48b7f74b7c83c1d566f5b11000596e1c0bfbfc4105af9bcca08c2c8346449c232fe4bb4af0b0a04f4eb13f6bc0D4719f3e794144a7a08706260d38ae2eDd511dca0b954bc8b79f42c36a1a9785Cb8cb5a0a4824c028d65e649ff295d1b

燐寸ラベル主義🏷

916eacb8cb944ae8b0c442feb655ccb414ffc3b5ac524620aa86bca461466eceF90242e8ba8e485abe1bea27ef43b2816ef87311bb69412d8ac22b2c61a2d95b4f607ad8063c46e49d26457cc52073a6F597ac6ad6ff49de90e21d1de431c3af

2025年1月21日 (火)

韓国で再上映中の中山美穂さん主演『Love Letter』、若者から絶大な支持のワケ「20代観客が40代の2倍以上」

韓国では「30周年エディション」公開された『Love Letter』の観客は、20代が多くの割合を占めて40代以上の観客を2倍以上にになっている。

MZ世代は観覧した後で「女性主人公が雪原でお元気ですか?と叫ぶ場面は知っていたが、『Love Letter』の一場面だったとは知らなかった。こんなに切ない初恋のストーリーが積まれていると知っていいれば、とっくに観ていたはずだ。久しぶりに映画館で観ることができた、かすかな初恋の感情が完全に伝わる映画だった」という。


1995年公開された『Love Letter』は、1999年韓国に初公開された。

岩井俊二監督の繊細な演出、ヒロインの中山美穂さんの感性的な演技が、初恋の純粋さを表現して韓国でも絶大な人気がある。

REMEDIOSの『A Winter Story』『Forgive Me』『Small Happiness』などの楽曲も、叙情的なピアノの旋律として観る者の思い出の郷愁をあたえる。


韓国で配給を担当する配給会社ウォーターホールカンパニーのチュ・ヒョン代表は「30代後半から50代まで“Love Letter1世代ファンの比重も高いが、20代が映画館に足を運び、今回の上映を観覧したことも、8万人という興行力の大きな土台となった」という。


リバイバル単独上映で、観客動員数8万人を記録するのは異例である。

それだけ韓国の人々にとって、昔の思い出の郷愁だけでなく、MZ世代にも古典映画ではなく時代を越えた名作として、世代を超えて愛されている。

2025年1月20日 (月)

映画と妖怪の調布は謎多い歴史街

京王線の笹塚~調布間には、1時間に21本も電車が走っている。ラッシュアワーではなく、昼間の電車である。

複々線でもなく上下それぞれ1本ずつ、計2本の線路に電車が走ってるる

京王線は他ではなかなか見ることない、とてつもない通勤路線である。

京王線でも最大の要衝は調布駅である。八王子・高尾方面に向かう京王線と、多摩センター・橋本方面に向かう相模原線が分かれるターミナル。1日の脚は115507人に及ぶ(2023年度の乗降人員)。

京王電鉄全線では、新宿・渋谷・吉祥寺に次ぐ、第四の駅となる。


上位3駅が他路線と接続するターミナルで、中間の京王単独駅では調布がいちばん。

調布駅は地下にホームがある駅、もともとは地上にあって、2012年に地下に潜った。

連続立体交差事業で、ホームは上層・下層に分かれる。かなり規模の大きな駅。

地下のホームから階段を登って登って改札を潜り、さらに登って地上に出る。もちろん地上はかつて線路が通っていて駅があった場所。それがまるごと地下になったのだから、地上は実に広々としている。

中央部に大きな広場があって、東と西には「トリエ京王調布」という京王系列の駅ビルが建っている。


駅ビルはA館・B館・C館とあって、A館にはレストランやスーパー、B館はビックカメラ、C館には映画館が入っている、至れり尽くせりの駅ビル。

南北それぞれにあるバス乗り場の向こう側にも商業ビルがあり、北側のバス乗り場の向こうのパルコの奥にも西友とドン・キホーテがある。南側もグリーンホールという文化施設があって、その裏には調布市役所がある。

目抜き通り沿いには金融機関から東急ストアまでが勢ぞろい。それらの合間合間にはチェーン店も軒を連ねる。南北どちらにもドトールがある。

活気に満ちた調布の駅の周りは賑やかだから、どこが中心なのかわかりにくくなっている。調布の中心地は駅北側のパルコの先、旧甲州街道なのだろうか。

旧甲州街道沿いは、昔ながらの商店街。それほど幅広の道でもないのに車の通りが絶えないのは、調布のメインストリート。

駅方面と旧甲州街道を結ぶ路地も小さな商店街で、歓楽の要素が強い路地まであった。

どの都市も古くからの中心地は旧街道沿いにある。

旧甲州街道から北に抜けると、現在の甲州街道がある。旧道からは天神通りという商店街がまた甲州街道へと続く。

天神通りから甲州街道を渡った向こうには、布多天神社という社が、参詣客を待ち構えている。その布多天神社の隣には電気通信大学がある。調布の町はただのベッドタウンなどではなく、天神さまの門前町、そして電通大の学生街でもある。


調布は甲州街道とともに発展してきた。江戸時代は甲州街道における一帯の宿場は、国領・下布田・上布田・下石原・上石原の5宿をまとめて「布田五宿」といわれた。

現在の京王線国領駅付近から飛田給駅付近にかけて、宿場町が形成されていた。

調布駅近くの旧甲州街道は、上布田宿・下石原宿あたりに該当する。

布田五宿は江戸からそれほど離れていなかったので、規模はそれほどでもなかった。

街道筋から少し離れれば、武蔵野台地は水を容易に得られず稲作には不向きだった。

まだ京王線が通っていなかった明治初期、いまの調布一帯には桑畑が広がっていた。

明治半ばには現在の中央線が開通する。中央線は新宿から一直線に西を目指して、甲州街道沿いからは離れて通った。そのため調布の町も一時は廃れてしまった。

ようやく都市としての形が整うようになるのは、大正時代に入って甲州街道沿いに現在の京王線が通ってからだった。

戦後になると人口の急増もあり、急速に郊外の住宅地として発展してゆく。戦争を挟んだ10年間で人口は倍増。1955年には深大寺門前町の神代町と合併して調布市が誕生する。1975年には人口が10万人を突破、2000年には20万人を上回り、すっかり東京を代表する住宅都市となる。


甲州街道という町の原型があり、京王線が通り、調布駅が開業した。調布駅は調布の町の発展の核となった。

開業した当初の調布駅はいまより少しだけ西にあった。ビックカメラが入っている駅ビルのB館、その北側に細い路地商店街「調布銀座」がある。

駅前の一等地とは言い難いが、かつては調布銀座の正面に駅の出入口があった。古き調布の名残の商店街である。

歩けば「映画のまち」文字を見かける。調布駅の駅名板も、映画フィルムをイメージしたデザインになってる。

現在の京王電鉄、かつての京王電軌は、1913年に調布駅を開業した。それから3年後、調布駅から多摩川の河川敷近くまでの支線を開業させている。現在の京王相模原線の原点である。

大正時代に開業した当時は、通勤路線というよりは多摩川の砂利を運ぶ産業路線、そして多摩川のほとりに築いたレジャー施設への輸送を担う行楽路線だった。

支線終点の多摩川原駅前に大浴場や大食堂、遊園地などを集めたレジャー施設「京王閣」をオープンさせる。ちょうど関西では阪急の宝塚が私鉄沿線のレジャーランドとして名を馳せつつあった。京王閣は東の宝塚だった。


昭和の初めに京王が土地を提供して誘致した日本映画の撮影所がオープンする。

自然が豊かでロケーション場所で、フィルムの現像に必要な水に恵まれていたので、撮影所の建設地になった。日本映画はほどなく倒産し、撮影所は日活が承継する。近くの京王閣では、日活の所属俳優によるショーも行われていた。

戦後は大映の撮影所になるが、日活は日活で新たに調布市内の多摩川沿いに撮影所を建設する。日本映画の黄金時代の昭和30年代には、独立系の撮影所も生まれて、東洋のハリウッドとなるほどの映画町に発展する。

いまでも大映の撮影所は角川大映スタジオとして、日活は日活調布撮影所として続いている。

もうひとつ多摩川沿いを彩った京王閣は、戦時中に軍部に接収されて戦後は連合軍。その後競輪場となっていまも続く。映画と京王閣が、調布にただの住宅都市とは違った一面を与えてきた。

地下に潜った調布駅とその前後の線路の跡は、京王線も相模原線も遊歩道になっている。京王多摩川方面から相模原線の地上線跡を歩く途中にはガメラの像がある。

大映が1965年に日本映画を代表する怪獣。

日比谷のゴジラほど大きくない。


調布の駅前から布多天神社に向かう天神通りの商店街には、『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターが並んでいる。ゲゲゲの妖怪たちは布多天神社の裏の林で暮らしている設定らしい。作者の水木しげるも調布に暮らして、水木プロダクションがあった。


自然豊かな郊外から、住宅都市へと変貌した調布は、歴史を抱えて映画のまちであり、鬼太郎の暮らす町であり、商業施設が集まる駅前風景が形作られた。調布駅の電車ホームでは、いきものがかり『ありがとう』とゲゲゲのメロディが流れている。

「水木しげる記念館」

1993年に水木しげるロードは境港駅から水木しげる記念館まで約800m続く妖怪の道が設立した。

道の両側では178体の妖怪ブロンズ像が来る人を見守っています。

「何かようかい?」
昭和レトロな面影を残す町並みに佇む、ブロンズ像たちが創り出す懐かしい不思議な世界へ魅力に惹きこまれる。


9d1be8c66c2e42bb8a3e36a38d619347D7419a32dfa541aa9cedae81c5928a24

「ようこそ妖怪の世界へ。境港市出身の漫画家水木しげる氏の創出した、独創的な作品を中心に幻想的な妖怪の世界へと案内いたします。」


「水木しげる記念館」

https://search.app/n4uJhFi2QDydBTbb9


F6863e916bdc4520a086723da05bef12

2025年1月19日 (日)

植物さんたちの会話

Aaeb3585f61c4d17a1a5d04ba47f0f4b22de2f3f8bad4ac7acf24a08761a5bda

「ひそひそ」

「ひそひそ」

2025年1月18日 (土)

「三島由紀夫・生誕百年の集い」

三島由紀夫の生誕から100年目を迎えた114日に、作品や人生を振り返る「三島由紀夫・生誕百年の集い」が東京・永田町で開かれた。

「金閣寺」など三島作品の舞台を手がけた演出家の宮本亜門さんや、生前の三島の姿を知る俳優たちの話に、約400人が集まった。


作品や思想などを研究する有識者らの団体「三島由紀夫研究会」などが主催した。文学や思想など4つのテーマを取り上げた。

演劇については「鹿鳴館」など三島演劇の多くの作品でヒロインを演じた村松英子さんと「金閣寺」などを舞台化した宮本さんが対談した。

「『ぼくの戯曲で育てたい』といわれて、大役を多くもらったが、肩で息をしている感じだった」と振り返った。

三島の代表作の一つ「サド侯爵夫人」に出演する際には、事前に「きみにぴったりの役を作るよ」と声をかけられた逸話も語った。

「途方もない情熱と人への思いやりを持った人で人生の手本になった。近くにいられたことを誇りに、ありがたく思っている」と恩人である三島を振り返る。

生前に「一番いい出来のいい作品」と語っていたサド侯爵夫人の舞台演出を手がける予定で「作品を読むたびに心が震える」と話す。

三島由紀夫は大正14年生まれ。昭和4511月に東京・市谷の自衛隊駐屯地で自決した。 


【関連記事】

"三島由紀夫に思い 下田の横山さんが東京都内でライブ開催" - 東京新聞 https://l.smartnews.com/m-icHA9Hz/007vd9


協力企画展 三島由紀夫生誕100年祭 20241130日(土)―28日(土) 

https://search.app/?link=https%3A%2F%2Fwww%2Ebungakukan%2Eor%2Ejp%2Fcat%2Dexhibition%2F15031%2F&utm_campaign=57165%2Dor%2Digacx%2Dweb%2Dshrbtn%2Diga%2Dsharing&utm_source=igadl%2Cigatpdl%2Csh%2Fx%2Fgs%2Fm2%2F5

より以前の記事一覧

2025年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
無料ブログはココログ

燐寸図案

  • 実用燐寸
    実用燐寸レッテルには様々な図案があります。 ここにはコレクション300種類以上の中から、抜粋して100種類ほど公開する予定。 主に明治、大正、昭和初期時代の燐寸レッテルの図案。

ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。

最近のトラックバック

フォト