2017年10月18日 (水)

種村季弘 編『泉鏡花集成』(ちくま文庫)

種村季弘 編『泉鏡花集成』(ちくま文庫)
種村氏による世界文学を視野に入れた読みごたえある解説も本書の大きな特色である。

発行:筑摩書房 全14巻 初版刊行1995年10月~1997年4月
編者・解説:種村季弘 カバー装画:小村雪岱 カバーデザイン:間村俊一

編者のことば ----種村季弘
 鏡花といえば、「草迷宮」の、「天守物語」の、あるいは「高野聖」の鏡花である。
あるいは、あった。それはそれで一つの鏡花像にはちがいないが、そのために鏡花の他の側面が欠落したきらいがないではない。おかげで鏡花世界には、隠され、忘れられた暗黒大陸が手つかずのままそっくり残された。
 観念小説家鏡花、人情小説の鏡花、怪談小説の鏡花、さらにいわゆる幻想小説家鏡花、と紋切り型の鏡花像はすでに出尽くした。しかし鏡花世界にはそれ以外に、グロテスク・リアリズムの系譜を踏む作品や、神話学や民俗学の精髄を直感して、ようやく今日的認識こそが追いついた先駆的作品がどっさり埋没している。多彩な地下資源は未発掘のまま埋もれ、しかもその多様性はまばゆいばかりだ。編者としては今回の「泉鏡花集成」で、鏡花という多面結晶体を、その多様性、多面性のありのままに編集できればと思う。

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・泉鏡花集成は刊行時全10巻の予定で開始されたが、好評につき4巻が増巻され最終的に全14巻となった。

 1
活人形 金時計 予備兵 義血侠血 夜行巡査 鐘声夜半録 X蟷螂鰒鉄道 黒猫 外科室 冠弥左衛門 [解説]種村季弘「絵のように美しい物語」

 2
貧民倶楽部 化銀杏 海城発電 琵琶伝 黒百合 湯女の魂 政談十二社 わか紫 [解説]種村季弘「悪と温泉」

 3
誓之巻 照葉狂言 化鳥 清心庵 龍潭譚 勝手口 湯島詣 葛飾砂子 註文帳 [解説]種村季弘「女の世界」

 4
薬草取 女客 高野聖 妖僧記 伊勢之巻 悪獣篇 海異記 吉原新話 妖術 露肆 朱日記 [解説]種村季弘「洪水幻想」

 5
春昼 春昼後刻 草迷宮 沼夫人 星女郎 [解説]種村季弘「迷宮の怪」

 6
眉かくしの霊 陽炎座 革鞄の怪 唄立山心中一曲 菎弱本 第二菎弱本 白金之絵図 茸の舞姫 歌行燈 南地心中 [解説]種村季弘「顔のない美女」

 7
海神別荘 天守物語 夜叉ヶ池 山吹 紅玉 湯島の境内 錦染瀧白糸 雪霊記事 雪霊続記 瓜の涙 伯爵の釵 売色鴨南蛮 みさごの鮨 鷭狩 小春の狐 怨霊借用 [解説]種村季弘「水源の女神」

 8
絵本の春 木の子説法 半島一奇抄 卵塔場の天女 ピストルの使い方 河伯令嬢 古狢 貝の穴に河童の居る事 白花の朝顔 夫人利生記 一景話題 おばけずきのいわれ少々と処女作 遠野の奇聞 [解説]種村季弘「女と人形」

 9
燈明之巻 神鷺之巻 開扉一妖帖 三枚続 式部小路 雪柳 縷紅新草 [解説]種村季弘「火の女 水の女」

10
薄紅梅 山海評判記 [解説]種村季弘「三人の女」

11
風流線 続風流線 [解説]種村季弘「芸の討入り」

12
婦系図前編 婦系図後編 日本橋 [解説]種村季弘「ハイカラなピカレスク小説」

13
芍薬の歌 [解説]種村季弘「愛と死の戯れ」

14
由縁の女 [解説]種村季弘「魔の山」

1995.10.24〜1997.4.24 刊


種村季弘 編『泉鏡花集成』(ちくま文庫)解説
「解説1 絵のように美しい物語」種村季弘
「ただ意味もなく美しいだけの表紙絵、母の声が「絵解き」をする草双紙には、ことばのお節介がないから道徳的禁忌がない。だから善悪の別がない。ここはひたすら美しいだけの「善悪の彼岸」の世界である。悪玉が美しければ悪党贔屓になってしまったりもする。しかし学校教育は美しさ、おもしろさ本位ではないから、四角四面の教科書はいずれ意味を、とりわけ道徳的意味を押しつけてくる。そんな表側の世界の気配を察して、いち早く裏の美しい絵とやさしい声だけに取り巻かれた隠れ横丁に逃げ込む――というのが、たとえば『絵本の春』の鏡花少年の心の屈折なのだろう。
 大人になればその隠れ横丁も、徐々に外堀、内堀と埋められてくる。応じて、馬琴、京伝の上に辞書やナショナル読本を重ねて目を盗む。読書ばかりではない。表現もそうだ。一応、通俗道徳の要請を受け入れるふりをする。しかしその裏から通俗道徳のコードをどう裏切り、逆転するか。いやそんな反道徳主義という道徳主義につきまとわれるまでもなく、意味を消し、音を消して、すべてを一挙に「美しい絵」に還元してしまうこと。(中略)意味と無意味を奇術師がトランプをシャッフルするように、上下表裏まんまとすり替えてしまうこと。初期の鏡花が貸本屋的教養形成の延長上でわりあいに目にあざとくやってのけたことは、そんな戦略的曲芸だったといえそうだ。
 小難しい活字本を一枚の美しい絵に差し戻してしまうこと。」

「鏡花の小説では、医者、検事、巡査、兵士のような、現実に動いている国家機構のなかの人間がしばしば唐突に死んでしまう。善悪はともかく、絵のように鮮明な輪郭を人物が獲得するためには、動いてやまない時間につれて展開する物語が、死という究極的な無時間によって中断、もしくは宙吊りにされなければならないからだ。」

「鏡花の人物のなかでも例外的に、職人(芸術家)、僧侶、芸人のような、腕一本に頼って生きている人間だけは、自力で失われた時を回復するチャンスがあるのでむやみに死に急ぐことはなくて、多少の猶予期間は与えられている。芸によって無時間性を回復または架構することができないでもなさそうだからだ。」

「解説2 悪と温泉」種村季弘

「鏡花の『わか紫』の熱海にも昔ながらの「湯治場」の面影がうかがえる。」
「この小説の構造は、陰画と陽画がいわば強盗返しのように表裏していて、秩序の側にいる警部長が地下の湯殿にひそんでいる間だけ表側の世界に白昼悪が跳梁し、病が軽快して警部長が公の場に出てくると、泥棒が病にかかってにわかに盲目の闇に落ちてしまうことである。」

「鏡花に反戦や厭戦というイデオロギーがあったかどうかは疑わしい。(中略)「お国のため」の国家的大事の前に、「あの女(ひと)のため」の愛の大事というそれに劣らぬ価値の思想があった。(中略)近代国家形成という理念から個人の行動規範が規定されるのではなくて、こっちのやりたいようにやらせてもらってなおかつ全体がうまく行けば、(中略)それに越したことはなかろうではないかという、いたって気軽な思想である。」

「『わか紫』までくると、さすがに『黒百合』の悪党一味が日本脱出に公然と成功するというふうにはいかなくなる。万事が窮屈になる。悪徳の栄を謳歌するわけには行かなくなる。美しくて悪い少年がやりたい放題に暴れまくるという、快感原則本位の『黒百合』の世界が、(中略)もう成り立ちにくくなっていたのだ。ことほどさように形勢不利と見るや、『わか紫』の大盗賊はみずから盲目となり按摩となって、その場に居ながらにして退場してしまうというトリックを使わざるを得ない。(中略)しかし(中略)もしかすると現役の泥棒が座敷の上でどろんと印を切って按摩になりすます、高度の韜晦術(ミスティフィケーション)を使っているだけのことかもしれないのだ。
 それはともかく、『黒百合』でも『わか紫』でも、往年の戦士が刀折れ矢尽きて盲人となり、湯治場でひっそりと古傷を癒しているという趣向が意味深長である。(中略)労働というものには一切無縁の、拾い、かっぱらい、物乞い、詐欺、恐喝で渡世している「貧民」には、贅沢のレベルはともかく、またお湯があろうがなかろうが、この世は本質的に楽をして生きる温泉場なのである。」

「忘れないうちにいっておこう。泉鏡花はおそらく明治以後の作家のなかでもっとも多く、またもっとも好んで温泉が舞台の小説を書いた作家である。」

「湯がなければないで、悪のかぎりを尽くして快感原則を全うし、湯があればあるで、道徳意志としての悪の醍醐味のことなどそ知らぬ顔をして湯につかる。紅顔の美少年から巷の隠居にいたるまでさまざまに姿を変えながら、泉鏡花という作家も、その主人公たちも、どうしてなかなか食えない人物だったのではあるまいか。」

「解説3 女の世界」種村季弘

「泉と鏡。だれしもそこから思い浮べるイメージはナルキッソス(ナルシス)のそれだろう。泉の水面を鏡としてわれとわが美貌を愛し、果ては水中の分身を追って溺死する美少年。
 『龍潭譚』の少年主人公は神社の御手洗の水に顔を映す。しかしそれは、斑猫の毒が回って二目と見られぬ変身を遂げた顔である。通常の、あるいは通俗の意味での美貌ではない。(中略)しかしこの変身がなければ、あやしい女の棲息する異界に水をくぐって渡ってはいけない。一夜にもせよそこで、姉上をはじめ世間一般に拒絶された異貌にもかかわらず、というよりはそれあればこそ、女の手厚い庇護を受ける幸運には恵まれなかっただろう。
 美醜、善悪、虚実、貴賤の価値が向う側では逆転する。世間的な通念があらかじめ、醜い、悪い、賤しい、としているものが、向う側では、美しい、善い、貴い、となる。」
「『龍潭譚』の少年の体験は、『高野聖』なら動物に変身させられた旅人たちや足萎えの少年が体験したものに近い。『高野聖』の語り手が接触を避けたために免れた毒、いや、毒という名の快楽を年少者や蒙昧な旅人たちは一気に飲んでしまった。高野聖はしかし毒を飲まずに素通りしたことを悔いて、滝と里との間でためらう。いっそ何にでも変身してあそこに留まるべきではなかったか。
 一方、のっけに斑猫の毒にやられた『龍潭譚』の少年は、もといた世界に帰ってからもかえってそちら側の諸価値を拒絶する。ここは自分のいるべき世界ではない。あっちへ返してくれ。家郷の位相が逆転し、こちら側ではなくあちら側が家郷とばかりに言い募り、周囲に歯をむき、暴れ、脱走をはかる。こちら側はよそよそしく、離人症者を取り巻く空間のようにすべてが空しい。」
「諏訪三郎縁起では、地下の国々を遍歴して故郷に帰った三郎は大蛇に変身していた。離郷して故郷に戻ると動物に変身している旅人の運命は、古来しばしば語られてきた。『薬草取』や『龍潭譚』の神隠れの少年も、規模こそささやかながら、いわば人外の身として帰郷するのである。
 鏡花の人外の身という表象はしかし、語の通念とはちがい、体験内容においてはたとえようもなく甘美である。」

「解説4 洪水幻想」種村季弘

「創世記の洪水伝説では、ノアとその妻および子らのほかに「諸の潔き獣牝牡七宛(ずつ)汝の許に取り潔らぬ獣を牝牡二亦天空の鳥を雌雄七宛(ずつ)取て種を全地の面に生のこらしむべし」とある。(中略)動物変身の法をおこなう魔女に重点を置くなら、夜中一軒家の周囲にひしめく動物たちは煩悩ゆえに輪廻転生のカルマに落ちた男たちのあさましい末路である。一方、足萎えの少年=ノアに重点を移すなら、山中の動物たちは神とノアに選ばれて方舟に乗り合わせた、これから「全地の面に生のこ」るべき幸運な希望の種子であろう。
 魔術的・麻酔的な水の誘惑に溺れるか、それとも大洪水の後に水から出て新天地をひらくか。前者であれば、鏡花の主人公は魔界に立ち迷ったまま帰ってこない。初期の鏡花の主人公たちは概してはげしいノスタルジーに駆られて、亡母の思い出に惹かれるがままに入水してしまう。鏡花九歳のときに死亡した母鈴が甘美な死の水に誘い込むのである。
 しかし死に誘い込む水は、生に送り出しもする。といってもふたたび帰ってきた生は尋常の生ではない。芸によってたえず超出される生、といえばよかろうか。水をくぐって隠れ里に行き着いた鏡花の主人公はふたたび現世に還帰してから、芸人、学者、僧のような、ここが行き止まりという境地を知らない、自分自身をたえず超えなければならない脱俗の人となる。」
「たえず自分自身を超えるという生き方は、足を止めて安住すべき場所がないということだ。したがって鏡花の主人公たちはおおむね旅人である。いたずらに逸って死母=水と合体するのではなく、しかも汚れた俗世の地に接触することなく、たえず地面から足を離し出立する漂泊の旅人の境涯が、母=水を恋い慕いながらしかも直接にそれと接触せず、水と離れていて死母と共にいるという鏡花の人物特有の生き方になるのである。」

「解説5 迷宮の怪」種村季弘

「生活は「雨は屋に漏」るあばら屋の借家住まい。療養のためとはいえ「粥と、じやが薯を食するのみ」。現実はこれ以下はないというほどに乏しく貧しい。だからこそかえってその乏しく貧しい現実に、「夢てふものはたのみそめてき」と夜な夜な夢に見る恋しい人が通ってくる。」
「鏡花の男女のランデヴーの場は(中略)象徴的に設定された、風吹きすさぶ野外なのである。(中略)金殿も玉楼も正体は借景にほかならなくて、かりにイリュージョンとして出現してもあえなく一夜にして消滅してしまう。一夜を越えて永続するのは、むしろ乏しく貧しい、もはや時代にそぐわなくなって久しい、どうかすると汚れた場所である。
 ことほどさように鏡花の世界は没落の上に成り立っている。かつての栄華がとうに終わってしまった化け物屋敷(『草迷宮』)、商売を畳んだ茶屋の跡(『星女郎』)、時流に遅れた破れ寺(『春昼』)といった(中略)廃屋、陋屋が鏡花世界の場所(トポス)なのだ。でなければ家屋ですらない、あらかじめ汚された場所。たとえば『沼夫人』なら、出水で動物か何かの死骸を捨てたごみためが水で見えなくなった場所が俄かランデヴーの場になる。『草迷宮』でなら、猫の死骸が浮いている川をさかのぼって行くと、幼なじみの女がいる。汚穢の上に夢の花が咲く、というよりも汚穢の上にしか夢の花は咲かないのである。」

「逗子転居に先立って、(中略)鏡花は祖母のきてをうしなった。母と父に次ぐ、保護者としての最後の肉親の他界である。(中略)自分を包み込み庇護してくれる人間はもうこの世に最終的にいない。
 『春昼後刻』では、二人いる角兵衛獅子の一人が玉脇夫人に抱かれて溺死する結末とすれ違いに、もう一人の年上の角兵衛獅子はどこかへ流浪の旅に出る。祖母は死に、とともに祖母と起居をともにした自分の幼い時代もその入れ子のように葬られた。中年以後を肉親の死や自分の病身の現在とともに生きる、鏡花のそうした諦念に裏打ちされた生の決意のようなものが、二人の角兵衛獅子の運命の分岐点に陽炎のように揺らいでいると見えないでもない。」
「人は病気にならなければ見えてこないものがあるらしい。逗子療養時代の鏡花がそれを見た。それはたとえば、いかにもパセティックな激情場面から遠く、野畑でのどかに鍬を遣う爺さんの「ほかほかと春の日がさして、とろりと酔ったような顔色」に行きあうところからはじまる『春昼』の散策の、しかしうらうらと歩を進めるにつれて見えてくる、生の深淵のような場面である。」

「解説6 顔のない美女」種村季弘

「鏡花といえば美男美女のイメージがついて回る。(中略)ところが鏡花その人は、かならずしもいわゆる美貌の描写に念を入れてはいないのである。(中略)むしろ(中略)あからさまな焦点の像が結ばれるにいたるまでの、暗示的な「それ以前」のイメージがしきりに枚挙される。(中略)ほとんどがアトモスフェアの描写といっていい。逆にいえば迷路を手探りで歩くような、もやもやしたアトモスフェア描写を重ねているうちに、ふいに中心的なイメージがあざやかに出現してくるのだ。
 これはどこか修験者や祈祷師が霊魂を降ろすプロセスを思わせないでもない。成仏し切れない霊魂がそこらをさまよっている。それを捕らえようとする側もとりとめないものを追跡しているのだから、もやもやとはっきりしない譫妄状態が長引いて、やがて突然、がらりと打って変わって特定の故人の声色に確定した(と思われる)ことばになる。」
「美男美女といういわば白痴美には、そもそもが物質に近い無意味の気配があり、正体はのっぺらぼうではないかと思わせる不気味さがある。(中略)ちやほやされるのも一時だろう。そのうちに飽きられる。飽きられれば裏町のごみ箱に捨てられる。ふつうならこれで一巻の終わりである。
 ところが鏡花の美男美女はここからが出番になる。裏町のごみ箱に捨てられたところから立ち上がってくる美男美女の妖しい輝き。それが冒頭に引いた『陽炎座』の、謎めいたやりとりの意味につながってくる。
 「差支えなかったら聞かして下さい。一体ここはどこなんです。」
 「六道の辻の小屋がけ芝居じゃ。」
 きれいごとの美男美女ではなく、六道の辻で埃まみれ、汚物まみれになった美男美女の出番というのはその意味である。こうなればいっそ憑坐(よりまし)になる媒体も、なまじ人間の俳優であるよりは、純粋に物質的な木偶の坊のほうがいい。(中略)そう、ほとんど宗教的恍惚を凌駕する物質的恍惚。」

「解説7 水源の女神」種村季弘

「いずれにせよ、とりわけ鏡花の戯曲では、この上下転倒のモティーフがいわば組織的に実現される。幕が開くと、あらかじめ空間構造はあべこべに設定されている。『海神別荘』では海底に星が望まれ、それを目がけて陸上から降下してゆく人がさながら天上をさして上昇してゆくように思われる。『天守物語』では当り前なら地底にうごめいているはずの妖怪が、城の天辺の「第五重」の天守閣に巣くっている。
 総じて、上のものが下にあり、下のものが上にあるという、カーニヴァル的転倒もしくは錬金術的上下対応の原理がはたらいているのである。応じて、二つの世界の間の倫理的価値の逆転が自明のもののようにおこなわれる。地上の親子愛は海底では父親の手前勝手な欲望の仮面にしか見えず、姫路城中の主従関係は封建の世のかりそめのイリュージョンにほかならなくて、いずれも利害関係を離れた、無垢の、それだけに地上の世俗的観点から見れば残酷な、愛の形の深みに到達することはない。高所にある禁断の聖域に立ち入れば、人間は生きては帰れない。魔界に転生し人間ならざるものに変身して、地上生活を放棄しなければならない。」
「高所の聖域には人間、とりわけ男子は、立ち入り厳禁なのである。
 では、なぜ女性の神格の宰領する高所の聖域は男子立ち入り禁止なのか。そこが水源だからである。(中略)そこに女神が鎮座ましまして水を統御しているのである。女神による水のコントロールが一歩まかり間違えば、(中略)人間界は鉄砲水や土石流のどんらんな餌食となって壊滅する。」
「こうした山上聖域の消息を如実に描いているのが『夜叉ケ池』であろう。夜叉ケ池の主、白雪姫は、湯尾峠の万年姥その他、主として水棲動物の眷属をしたがえながら水源を管理している。一方、下界の渇水のためとはいえ、水源の管理権を近代化する男性原理の側から簒奪せんとする代議士穴隈鉱蔵以下の村長、小学教師の一味は、竜神封じの鐘の破壊をもくろみ、白雪姫の地上の化身たる鐘楼守の娘百合を、かつての白雪姫と同じように「裸体を牛に縛めて、夜叉ケ池に追上」せしめんとした。とたんに結界はとけて、山は裂け、竜神の水は堰を切って雪崩落ちる。世界没落の光景がせり上がってくる。」
「水源の主たる女神のコントロールをはなれた水=自然は、手綱を外された牛のようにあれにあれて、人間界の一切をなぎ倒し、破壊し尽くすのである。」
「民俗学者は、女人禁制の山がかつては男子禁制の山だった消息を伝えている。水源の山はかつて女神や山姥の管理下にあって男子の立ち入りは無用であった。修験や山伏との長い主導権闘争の後に、山姥はかりそめに支配権を男に譲渡してみずからは隠れる。(中略)そこに女人親政が捲土重来すれば、現存の男性中心社会は致命的な打撃を被らざるをえない。女神の統御する『夜叉ケ池』が決壊して下界=里を呑み込むカタストロフは、それを語る寓意劇の一場なのだ。」
「むろん鏡花は、いかにも明治人らしい立身出世の夢想に沿った小説戯曲を書きもしたが、その一方、下降の快楽ともいうべきモティーフもこなしている。異様な戯曲、『山吹』がそれである。カタストロフの惨につながる女人親政の鬼神力は世間的には苦痛と恐怖をもたらすとしても、世間という通念を捨てた、あらためて立身もしようのない下層に棲息する浮浪人には痛くもかゆくもない。かえって母や姉と一体化するたとえようもない快楽の口実となる。」

「解説8 女と人形」種村季弘

「鏡花の書く女にはどこか人形ぶりの風情がある。あたり前の人間の自然な身体動作ではなく、反自然的――どうかすると反人間的に様式化されたしぐさが彼女たちの手足にはきざしていて、肉でできた身体がやおら生命のない自動人形のようにカタカタと動きはじめる瞬間が現れるのだ。」
「芸者、芸人、女優のような、いわゆる鏡花好みの女は、そもそもが芸事や踊りで鍛えた立ち居振舞で様式化された動作をするのだからそれにふしぎはないとしよう。(中略)自動人形の機械的に角張った所作、人間よりは人間離れのした女神のような存在のそれを思わせる無表情、対話を拒否した無慈悲な女の暗いまなざし。残酷な女王、懲罰好きの女教師、裏社会の鉄火な姐御、暴走しはじめるとコントロールのきかない思春期の娘。芸者、女優のようにあらかじめ反人間的に様式化された女たちとは一見別に、しかしもしかすると地続きに、これまた反人間的にアナーキーな、物質のように非情な一連の女性像が鏡花世界の一角には棲息している。
 もしかすると芸者芸人と地続きに、といったが、ヒステリー女たちが急性発作的に、もしくは慢性的に、病気に強いられて無意識からのメッセージの媒体となったのにひきかえ、いわゆる玄人女は長年の修練によっていつでも好きなときに無意識のメッセージの媒体、とはつまり巫女的傀儡人形的媒体になりすませるということである。
 一口にいえば人形=としての女。人間の女として生きてはいるけれども、同時に非生命的な物質から構成された、死の世界にもあらかじめ内通している、死の回し者めいた、それだけに恐怖と恐怖特有の美に輝きながら、人間的余りにも人間的な女をはるかに立ち越えて魅惑的な女たち。それが総体としての鏡花の女なのである。」
「木彫りの猿、粗末な人形、目鼻のついた、あるいはないしゃもじ、古ぼけた肖像写真、要するに木と紙だけでできた子供っぽい空間。逆にいえば、鏡花の世界を還元するとバラバラの木片と紙切れになってしまうのである。(中略)鏡花の人物の持物も永遠化に耐えるものは何もなくて、紙や木のような薄っぺらなものをいかにも美衣や宝玉のように見せかける魔術的演技、すなわち「芸」があって、実体は何一つない。手ぶらで生きて、なんなら木と紙の集合に戻り、ついでに煙と消えてしまっても一向に差支えない。これは没落や死に強い人種である。」

「解説9 火の女 水の女」種村季弘

「鏡花のいう「天然」を一語でいうのは難かしい。(中略)いっそ当の土地が着ている衣装のようなものとしての「景色」、ではどうだろうか。
 それを描く。それはいいとして、ふつうの小説でならば人間関係のごたごたの背景として描き込むのが、鏡花はその先まで行く。天然描写が独立して、かえってそちらのほうが主眼になる。小説が、どうかすると人間や人間関係を書く形式ではなくなってしまう。まず天然(景色)があって、人間はその添景として二次的に、いわば虫のように涌いてくるのである。」
「それでは「人間を書く」のが本領の小説が小説にならないではないか、という異議の声が上がりそうである。たしかに若くして病死した歌舞伎役者の後追い自殺をしようと大川に身投げする『葛飾砂子』の女主人公には、堅固な陸の上に生きる人間としての骨格が希薄だし、彼女を水から引き上げる船頭にしても、ずいぶん人間ばなれがした世捨て人である。人間社会では暮らしにくかろう。いっそ川に棲みたがる、あるいは川に帰りたがる、水の精かとさえ見える。」
「鏡花はもともと「人間」を書くつもりはなかったのではないか。天然を書いて、人間を書かないでも、あるいは人間を書くのは二の次でも、よかったのではないか。」

「冥界からの使者にも似た蜻蛉が飛び、死んだ女たちの影がさし招く。こうして鏡花晩年の景色はかぎりなく優雅にも静穏である。」

「解説10 三人の女」種村季弘

「この小説(「山海評判記」)に登場するほとんどすべての女という女が、そのつど姿を変えて現れる、いわばn個の「白山の使者」といえるかもしれないのだ。
 何人に化けても、n個に増殖しても、それはたった一人の――それ自体は顔も姿も見えないがゆえに、そこらの女に化身してかりそめに現れては消えるしかない――白山姫神のご神体の、千様万態の化身のそのときどきのお姿にほかなるまい。」

「鏡花の作品のなかでも『山海評判記』ほど、幼い女の子が、応じて幼児の玩具趣味が、積極的な役割を果たす小説はけだしまれである。人形(あねさま)遊び、箱庭作り、ミニアチュールの人形紙芝居、てるてる坊主、杓子神、べろべろ神さんのような、かつてのポータブルな姫神のご神体も、いまは子供部屋に払い下げられて他愛のない玩具になり果てている。
 むかしは、それらを持ち歩いて白山信仰をひろめるお札くばり、下っては芸人がいた。(中略)それが後には卑俗に職業化し、「下って猿廻しも、万歳も、もとは厩なり、台所なり、お札を配って歩いたのだそうだがね」。
 そんなふうに曼荼羅絵解き師もさながらに説く、矢野誓のような「小説家」にしたって、こうして「下った」芸人の一種にほかならぬ、といった含みがないでもない。これを鏡花の芸能論、小説論として見るなら、含みどころか、それこそがぜひともいいたかった眼目にちがいない。小説家が知識人めいてエラそぶることはない。たかだか姫神の霊徳をひろめて街道筋、門前町をにぎわせる口舌の徒にすぎない。重要なのは、交通が頻繁になり、流通が盛んになり、応じて街道、門前の往来に芸人、口舌の徒が便乗することなのだ。」

創造する力と数百円

天声人語
文芸春秋の社長が先日、全国図書館大会に出席して、「できれば図書館で文庫の貸し出しをやめてほしい」と呼びかけた。出版不況が続くなか、せめて文庫本は自分で買ってもらえないか。そんな思いなのだろう

▼一方の図書館でも、持ち運びやすい文庫は利用者に人気だという。簡単に手を引くことはなさそうだ。出版社のビジネスにしても、図書館のサービスにしても、小さな本が大きな存在感を持っている

▼もともと古典や文芸作品を廉価で読めるのが文庫だった。1970年代に角川書店が映画と組み合わせて売るようになり、娯楽小説が充実してきたと記憶する。もちろん埋もれた良書を再び世に出す役割も健在である。「こんな本があったのか」と驚かされる瞬間は楽しい

▼作家の川上未映子さんが岩波文庫を例にあげ、変わった本の選び方を勧めている。書店の棚の前に立ち、目をつぶる。手を伸ばして指先に触れた最初の本を買い、必ず読み切る。難しそうでも、書名の意味すらわからなくても

▼それが「自分の知らない何かに出合うこと」「自分の意識からの束の間の自由を味わってみること」の実践なのだと書いている(『読書のとびら』)。世の評価を得た作品の多い文庫本ならではの試みだろう

▼そこまでの勇気はないものの、千円でおつりがくる文庫なら、なじみのない分野にもついつい手が伸びる。気づけば積ん読が増えている。それでも新たな出合いを求め、書店に入れば文庫の棚へと一直線なのである。

【朝日新聞】2017年10月16日(月)

2017年10月16日 (月)

『悪徳の栄え』無罪判決の日。

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1962(昭和37)年10月16日、わいせつ罪に問われたフランスの作家サドの「悪徳の栄え」翻訳書に東京地裁が無罪判決。 記者会見する(左から)文芸評論家中村光夫氏、被告の翻訳者渋沢龍彦氏と出版社社長石井恭二氏。

二審では有罪となり、最高裁で有罪が確定したが、時代も変わった95年に無削除で再出版された。

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2017年10月15日 (日)

小冊子『熱風』「 "絵に描かれるもののために"描く。」

小冊子『熱風』2017年10月号の特集は「奈良美智 ロング・インタビュー "絵に描かれるもののために"描く。」です。

特集/奈良美智 ロング・インタビュー「絵に描かれるもののために」描く。

「アートシーンだけで生きていない自分を広げる。それが大切な気がする」

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新連載  ワトスン・ノート~語られざる事件簿~(いしいひさいち)
第6回   海を渡った日本のアニメ
 私のアニメ40年奮闘記(コルピ・フェデリコ) ――イタリアの漫画家志望だった少年は日本語学科へ
第13回  グァバよ!(しまおまほ)
――朝のツバメたち
第2回  シネマの風(江口由美)
――[今月の映画]『ポリーナ、私を踊る』
第20回  日本人と戦後70年(青木 理) ――[ゲスト]平野啓一郎さん

執筆者紹介
ジブリだより / おしらせ / 編集後記 
http://www.ghibli.jp/shuppan/np/

2017年10月14日 (土)

●『ピンク・フロイド全記録』 グレン・ポヴィ

この『ピンクフロイド全記録』ドキュメントで、興味深かったのは映画音楽の制作である。大成功して躍進中の大監督と、無名の新人監督とのサウンド・トラック作業が対照的な結果を導き出した。

彼等は二週間くらいのスタジオワークで、映像に対してどこまでアプローチするのか、困難と坐礁の中で産まれたり中絶させられたりする現実に挟まれた。収録スタジオのスタッフからのピンク・フロイドに対するコメントがいい。
そうやって映画サントラ音楽『モア』『砂丘』『雲の影』などは、音楽的に未完成な作業と現実工程の中で創作されたものだが、譲れない環境の中で創作された素材は、後ほど大作への骨格や一部に組み込まれていくのだった。

『Echoes』や『The Dark Side of the Moon』といった複雑な構成要素を組み込んで、アルバムとして完成されたのは、ピンク・フロイドにおけるサントラ制作から総合プロデュース経験値が活かされていると推測される。残された音源と記録ドキュメントが語る。

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●『ピンク・フロイド全記録』
著 者:グレン・ポヴィ
翻 訳:池田聡子
監 訳:ストレンジ・デイズ
発 売:2017 年8 月31 日
体 裁:A4 /並製/ 448 頁
価 格:本体5500 円+税【完全限定2000部】
発 行:スペースシャワーネットワーク
http://www.sonymusic.co.jp/artist/PinkFloyd/info/485729

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<主要コンテンツ(概略)>

[63〜 67年]
黎明期そして『夜明けの口笛吹き』
シドバレットの登場

[68 〜 71年]
サイケデリックからプログレッシブロックへ
『原子心母』の時代

[72 〜 76年]
『狂気』『炎』
飛翔伝説〜ゆるぎなきスターダムへ

[77 〜 85年]
『アニマルズ』『ザ・ウォール』
〜ロジャー・ウォーターズの時代

[85 〜 04年]
『ファイナルカット』『鬱』『対』
〜デイヴ・ギルモアの時代

[05 〜 15年]
『光』『エンドレスリバー』
〜再会そして終焉

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・メンバー・ソロ・キャリア全掲載・解説
・ディスコグラフィー全作品・詳細解説

グレン・ポヴィ<著者プロフィール>
ピンク・フロイドのファンジン「ブレイン・ダメージ」の創設者で1985 〜 93 年までの本誌の編集長を務める。著 書には『Pink Floyd in Flesh:The Complete Performannce History』(St.Martin Griffin 刊) 『Echoes』(Chicago Review Press 刊)があり、ピンクフロイド史研究家として世界的な権威。現在もMojo、Record Collector、Classic Rock などの主要音楽誌へ寄稿。またアーティスト・マネジメントやツアー・プロダクションなども手掛け、音楽産業でも活躍中。現在・英ハートフォード州在住。
http://amass.jp/91508/

ピンクフロイド デビュー50周年

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2001年、東芝EMIよりリリースされたピンク・フロイドの紙ジャケ12タイトルはトータル15万枚超の爆発的なセールスを記録して完売となり、以来長年にわたって再紙ジャケ化が望まれてきたが、マネージメントからの許諾が降りず、これまで実現には至らなかった。

今回は2016年に全カタログがソニーに移籍したことを機に、度重なる交渉を経て日本のみ紙ジャケット仕様でのリリースが決定。『夜明けの口笛吹き』から『ファイナル・カット』までの12タイトルは約16年ぶり、『鬱』『対(TSUI)』は10年ぶり、『永遠(TOWA)』は初の紙ジャケ化となる。

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今年、“デビュー50周年”を迎えた英プログレッシヴ・ロック界を代表するグループ、ピンク・フロイド。
デビュー作『夜明けの口笛吹き』(1967年)からピンク・フロイド名義の最終作『永遠(TOWA)』(2014年)に至るまでの全軌跡を詳細に振り返る。

今年6月に25年ぶりとなる最新ソロ・アルバムをリリースしたロジャー・ウォーターズの最新ロング・インタヴューをはじめ、伊藤政則氏/クリス・ウェルチ氏による特別寄稿、ロンドンで開催中の「ピンク・フロイド大回顧展」レポート、メンバー&プロデューサーの貴重な再録インタヴュー記事、ディスコグラフィー、フロイド好きミュージシャンのインタヴュー、“アナログ復刻プロジェクト”分析、関連人物名鑑など、ピンク・フロイドのすべてがこの一冊に掲載されている。
シド・バレット、ロジャー・ウォーターズ、デイヴ・ギルモア、リック・ライト、ニック・メイスンら5人の歴代メンバーのソロ・ワークも掲載。

【CONTENTS】
プロローグ 伊藤政則

ロジャー・ウォーターズ最新ロング・インタヴュー
“我々”も“彼ら”もないし、みんな一緒さ

デヴィッド・ギルモア『ライヴ・アット・ポンペイ』

ピンク・フロイド大回顧展

特別寄稿 クリス・ウェルチ
ピンク・フロイド 神秘の器

ディスコグラフィー
オリジナル・アルバム
ライヴ・アルバム&映像作品
ピンク・フロイド日本盤シングル
ピンク・フロイド関連書籍

ノーマン・スミス 再録インタヴュー 2007

ピンク・フロイドの光と影

リチャード・ライトの功績

ニック・メイソンがもたらした躍動と色彩

美術史の中のヒプノシス

ピンク・フロイド現担当ディレクターに訊く!

アーティスト・インタヴュー
#1 木暮“shake”武彦[原始神母]
#2 関根史織[Base Ball Bear]
#3 ミト[クラムボン]

『THE EARLY YEARS 1965-1972』全巻レヴュー

“アナログ復刻プロジェクト”を聴く

エンジニアから見たテクノロジーとの距離感

<俺のピンク・フロイド>論

人物名鑑 ピンク・フロイドを支えた関係者たち

再録インタヴュー
#1 デヴィッド・ギルモア インタヴュー 1982年
#2 再結成ピンク・フロイド 共同記者会見 1988年

書き下ろし漫画「HOUSEHOLD OBJECTS」シマあつこ

ピンク・フロイドのソロ・ワークスを紐解く
ロジャー・ウォーターズ
デイヴィッド・ギルモア
シド・バレット
リック・ライト
ニック・メイソン

ピンク・フロイド 全公演データ

2017年10月 9日 (月)

Green Tea by Joseph Sheridan Le Fanu シェリダン・レ・ファニュ 「緑茶」

医師マーティン・ヘッセリウスのシリーズ"In a Glass Darkly"の第一編である。『吸血鬼カーミラ』もこのドイツ人医師のもとに届いた書簡の形態で語られている。

「医学は、わたしは内科と外科をこくめいに修めたけれど、自分で開業した経験はない。」

怪我をして医学を断念して、あちこち流転していているうちに、医師マルチン・ヘッセリウスと出会い秘書となる。亡くなった博士の手稿を語り手が翻訳した。その手稿はライデン大学の教授ファン・ルー氏にあてた 手紙となっている。

「ジェニング牧師は、背の高い痩せた男の中年で、いかにも規律のきびしい高派教会人らしい、 キチンとした古風な、こざっぱりした身なりの男だ」

或るパーティで出会った好人物のジェニングズ牧師は、何か言いたげに近づき、博士も彼の抱える秘密を察する。牧師の奇妙な癖、何もないところをちらちらと見つめる曰くある仕草が気掛かりだった。

そして彼の住居へ所用があって訪問すると、書斎にはスエーデンボルグの本があって、メタフィジカル・メディシンなる作用について言及される。

「スエーデンボルグ独特の用語で、いわゆる「表象」「感応」に関する章を読んでゆくうちに、 自分はある文句に行き会った。――邪霊が地獄の目とはべつの目で見るときは、「感応」によって、 おのずから独特の欲情と生命を表した、獰猛な獣の姿になって現れる、という趣旨がそこに書いてあった」

どうやら3年前からジェニング牧師は奇妙な幻覚に悩まされていて、博士に秘密を打ち明けるのだった。

「とにかく、まっ黒けな小猿で、ただ一つ目だっているのは、たいへん性分がねじけております ことです。はじめの年は、へんに沈んで、病気でもありそうなようすでございましたが、 ところが、その無愛想な、デレリとしたうわべの底には、たいへんな悪意と警戒心がひそんでおるのですな」

この幻覚は飲用していた「緑茶」の成分から、牧師の霊感体質を刺激して呼び寄せているのではないかと、ヘッセリウスは推測した。

「猿のやつがしきりとわたしに竪抗の中へ飛びこめ、飛びこめといってせっつくのです。 先生、まあ考えてもみて下さい! わたしがこの恐ろしい死からのがれましたのは、 そんな光景を姪が目前に見ましたら、とてもそのショックに堪えられないだろうと思ったから なのでした 」

物理現象を超えた存在。人間やこの世にある全てのものの存在する意味や理由など、自然を遥かに超えたもの。科学が発達していなかった頃の人々は、メタフィジカルなエナジーを無意識のうち衣食住などの生活に利用して、病やネガティブな目に見えない物から身を守っていたらしい。しかし黒い猿の幻覚は、病んでいる牧師本人にとっては、邪悪な霊存在として膨らんで、ついには自殺まで追い込んでしまうのだった。

――邪霊が地獄の目とはべつの目で見るときは、「感応」によって、 おのずから独特の欲情と生命を表した、獰猛な獣の姿になって現れる――

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このヘッセリウス博士は怪奇探偵の走りとされる存在で、これに影響を受けたアルジャノン・ブラックウッドやウィリアム・ホープ・ホジスンは怪奇探偵小説を描いたといわれる。レ・ファニュの静かに心理深く描かれる怪奇の世界。

「ヘッセリウス博士、ジェニングズ師と邂逅の顛末を語ること」
人間は、本質的に、霊であります。霊は、有機化された存在であります。ただ、その具体性の点では、われわれのふつうに物質と呼んでいるものと、あたかも、光または電気が、物質とことなる如く、ことなつています。形のある具体的な肉体、それは、まさに文字通りの意味において、一種の衣裳であります。したがつて、死は、決して、生命ある人間の存在の中断ではなく、自然的肉体からの離脱にすぎません――これは、われわれの死と名づけるその瞬間にはじまる過程(プロセス)であります。遅くとも数日後の、この過程の完結こそは、『未生以前の世界』への復活なのです。
シェリダン・レ・ファニュ=著 砧一郎=訳『緑茶』早川書房編集部=編『幻想と怪奇1 英米怪談集』早川書房 ハヤカワ・ミステリ

J・S・レ・ファニュ
1814年アイルランド、ダブリン生まれ。ダブリン大学トリニティカレッジに進学し、38年、月刊雑誌「ダブリン・ユニバーシティ・マガジン」に“The Ghost and the Bone-Setter”を発表。その後も精力的に創作活動に励み、80に及ぶ短篇と15の長篇を残し、現在でもヴィクトリア朝を代表する怪奇幻想作家として愛読される。代表作に、『墓地に建つ館』『アンクル・サイラス』『ワイルダーの手』の長篇のほか、ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』に先駆けて発表された「吸血鬼カーミラ」などがある。73年没。

 

2017年10月 1日 (日)

『真夜中の死線』アンドリュー・クラヴァン (創元推理文庫)芹澤恵・訳

2000年「このミステリーがすごい!」海外編第16位デッド・リミット・ストーリー。原題の『TRUE CRIME(トゥルー・クライム)』のタイトルでクリント・イーストウッド製作・監督・主演で映画化された。

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ニューヨークの一流記者だったスティーブ・エベレットは、酒癖と女癖の悪さが災いして地方記者に成り下がっていた。禁酒はしても浮気はやめられず、今晩も同僚のミシェルを口説いていた。

23歳のミシェルは6年前に起こった「フランク・ビーチャム事件」を熱心に取材していた。これは妊娠6か月のエイミーが仕事先のコンビニで射殺された事件で、目撃者の証言から黒人のフランク・ビーチャムが逮捕される。無罪を主張していたが裁判で敗訴して、エイミーとお腹の子供2名を殺した罪で死刑を言い渡される。死刑執行は明後日の午前0時1分に迫っていた。

ミシェルはバーでエベレットと別れた後、「死のカーブ」で自損事故を起こした。彼女の瀕死の事故により、死刑執行当日のビーチャムの取材をエベレットが引き継ぐことになる。エベレットは事件の資料に目を通すうち、目撃者である会計士の証言に疑問を感じる。しかし執行までの残り時間は12時間を切っている。

現場近くで車が故障して、電話を借りるためにコンビニへ入った会計士は、そこでレジの向こう側に立っていた血まみれのビーチャムを目撃する。ビーチャムが銃を持っていたと証言していたが、そこからビーチャムの手元は見えていないはずだった。

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舞台となるアメリカ中部のミズーリ州セントルイス。死刑執行まであと24時間、物語の開始から17時間と40分に、地方新聞記者エヴェレットが死刑囚の冤罪を晴らして、執行を阻止しようと孤軍奮闘する。そもそもアンドリュー・クラヴァンの原文が素晴らしいのか、芹澤恵さんの格調高く融通無碍な訳文も他の訳も読むるほどに惚れ惚れする。

芹澤 恵(せりざわ めぐみ)
日本の英米文学翻訳家。日本推理作家協会会員。翻訳学校フェロー・アカデミー講師。

東京都出身。成蹊大学文学部を卒業する。中学・高校の教員を経て、フェロー・アカデミーで田口俊樹に翻訳を学び、1990年より翻訳業に。
1992年、BABEL国際翻訳大賞新人賞受賞。主に英米文学のエンターテインメント小説を手がけている。R・D・ウィングフィールドの『フロスト警部』シリーズなどの翻訳で知られている。趣味は読書と映画。子どもの頃に『若草物語』や『赤毛のアン』を読み、ぼんやりと翻訳の仕事に憧れを抱く。中学生のときには、洋画に夢中になる。いったんは教職に就くが、翻訳に興味があったことを思い出し、フェロー・アカデミーの門を叩く。

出版翻訳家、芹澤恵氏のインタビュー
https://www.fellow-academy.com/fellow/pages/tramaga/backnumber/bk_46.jsp

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2017年9月26日 (火)

怪奇幻想の文学 Tales of Horror and the Supernatural 新人物往来社

第一巻
真紅の法悦 The Vampire
初版発行1969年11月10日
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吸血鬼小説考 種村季弘   

吸血鬼 ジョン・ポリドリ 訳・平井呈一
The Vampire John Polidori   
吸血鬼カーミラ S. レ・ファニュ 訳・平井呈一
Carmilla Sheridan Le Fanu   
塔のなかの部屋 E. F. ベンソン  訳・平井呈一
The Room in the Tower E. F. Benson   
サラの墓 F. G. ローリング 訳・平井呈一
The Tomb of Sarah F. G. Loring   
血こそ命なれば マリオン・クロフォード 訳・平井呈一
For the Blood is the Life F. M. Crawford   
黒の告白 カール・ジャコビ 訳・仁賀克雄
Revelations in Black Carl Jacobi   
月のさやけき夜 M. W. ウェルマン 訳・紀田順一郎
When is was Moonlight M. W. Wellman   
血の末裔 リチャード・マチスン 訳・仁賀克雄
Blood Son R. Matheson   
月を描く人 D. H. ケラー 訳・荒俣宏
The Moon Artist D. H. Keller   
死者の饗宴 ジャン・メトカーフ 訳・島内三秀
The Feasting Dead John Metcalfe   
解題 荒俣 宏

 

第二巻
暗黒の祭祀 The Black Magic
編集委員・平井呈一・中島河太郎・紀田順一郎 解説者・澁澤龍彦
初版発行1969年12月10日
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黒魔術考 澁澤龍彦   

サラー・ベネットの憑きもの W. F. ハーヴェイ 訳・平井呈一
Sarah Bennet's Posession W. F. Harvey   
変身 アーサー・マッケン 訳・阿部主計
Change Arthur Machen   
ライデンの一室 リチャード・バーハム 訳・平井呈一
A Room in Leyden Richard Barham   
呪いをかける M. R. ジェイムズ 訳・紀田順一郎
Casting the Lunes M. R. James   
暗黒の蘇生 マーガレット・アーウィン 訳・吉田誠一
The Earlier Service Margaret Irwin   
シルビアはだれ? シンシア.アスキス 訳・曾根忠穂
Who is Silvia Cynthia Asquith   
オットフォードの郵便夫 ロード・ダンセイニ 訳・荒俣宏
Postman of Ottford Lord Dunsany   
半パイント入りのビン デュボス・ヘイワード 訳・荒俣宏
The Half Pint Flask Dubose Heyward   
魔術師の復活 C. A. スミス 訳・米波平記
Return of Sorcery C. A. Smith   
暗黒の秘儀 H. P. ラヴクラフト 訳・仁賀克雄
Festival H. P. lovecraft   
求める者 オーガスト・ダレット 訳・島内三秀
Those who Seeks August Derleth   
呪いの蝋人形 ロバート・ブロック 訳・仁賀克雄
A Soucerer Runs for Sheriff Robert Block   
鳩は地獄からくる R. E. ハワード 訳・町田美奈子
Pigeons from Hell R. E. Howard   
邪悪なる祈り アルジャーノン・ブラックウッド 訳・紀田順一郎
Secret Worship Algernon Blackwood   
解題 荒俣宏   


第三巻
戦慄の創造 The Gothic Flame
編集委員・平井呈一・中島河太郎・紀田順一郎 解説者・紀田順一郎
初版発行1970年3月10日
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ゴシックの炎 紀田順一郎   
オトラント城綺譚 ホレス・ウォルポール 訳・平井呈一
The Castle of Otranto Horace Walpole   
判事の家 ブラム・ストーカー 訳・島内三秀
Judge's House Bram Stoker   
十三号室 M. R. ジェイムズ 訳・紀田順一郎
Number 13 M. R. James   
チャールズ・ウォードの奇怪な事件 H. P. ラヴクラフト 訳・宇野利泰
The Case of Charles Dexter Ward H. P. lovecraft   
解題 荒俣宏

   

第四巻
恐怖の探求 Haunting
編集委員・平井呈一・中島河太郎・紀田順一郎 解説者・紀田順一郎
初版発行1970年4月10日
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怖美考 種村季弘   

“若者よ、笛吹けばわれ行かん” M. R. ジェイムズ 訳・平井呈一
“ Oh, Whistle, and I'll come to you, My Lad” M. R. James   
のど斬り農場 J. D. ベリスフォード 訳・平井呈一
Cut-throat Farm J. D. Beresford   
無言の裁き W. W. ジェイコブズ 訳・仁賀克雄
His Brother's Keeper W. W. Jacobs   
不幸な魂 A. E. コッパード 訳・荒俣宏
Homeless One A. E. Coppard   
なぞ W. デ・ラ・メア 訳・紀田順一郎
The Riddle W. De la Mare   
死闘 アンブローズ・ビアス 訳・米波平記
Tough Tussle Ambrose Bierce   
死骨の咲顔 F. M. クロフォード 訳・平井呈一
The Dead Smile F. M. Crawford   
わな H. S. ホワイトヘッド 訳・荒俣宏
The Trap H. S. Whitehead   
音のする家 M. P. シール 訳・阿部主計
The House of Sound M. P. Shiel   
鎮魂曲 シンシア・アスキス 訳・平井呈一
“God Grante That She Lye Stille” Cynthia Asquith   
木に愛された男 アルジャーノン・ブラックウッド 訳・青田勝
The Man Whom the Trees Loved Algernon Blackwood   
解題 荒俣宏   
世界怪奇幻想文学関係年表 編・荒俣宏

怪奇幻想の文学 Tales of Horror and the Supernatural 新人物往来社

「午後の紅茶と共によみたい、絶品のアンソロジー」

2017年9月20日 (水)

ジャン・レー 『新 カンタベリー物語』 篠田知和基 訳 〔創元推理文庫〕

たったの十ペンスで、おいしい肉料理を食べさせる怪しい料理屋の話、オウムと結婚したオールドミスの話、牡猫ムルが語る、けちな四人姉妹に殺された猫の話、フォルスタッフが居合わせた恐ろしい宴会の話等々……チョーサーの旅篭〈陣羽織〉ならぬ、薄暗い料理屋〈陣羽織〉で亡霊たちがかわるがわる聞かせる奇怪な物語の数々。鬼才J・レー傑作。

《収録作品》
 アイリッシュ・シチュー
 ボンヴォワザン嬢の婚礼
 タイバーン
 ガラハー氏、家へ帰る
 あたくし、ヘル・ハーゼンフラッツを探しています
 タイバーン続話
 マイユー親爺
 バラ色の恐怖
 ユユー
 世界一美しい女の子
 サロメの踊り
 セプチマス・カミンの被昇天
 フリンダーズ河
 フォルスタッフ、昔を思い出す
 殺された猫

幻想文学の巨星ネルヴァルの翻訳している篠田知和基さんが、創元推理文庫でも活躍しているので、とても気になり古書を探した。 まず『最期のカンタベリー物語』 という、時を超える戯作題材が今現在にも脚色したら面白いと思った。
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作者ジャン・レーは、下記のウィキペデアを読むと経歴が作品に勝る波瀾のドラマのようだった。

ジャン・レー(Jean Ray、1887年7月8日 - 1964年9月17日)
ベルギーの小説家である。本名はジャン・レーモン・ド・クルメール(Jean Raymon de Kremer)。別名にジョン・フランダース(John Flanders)などがある。主として戦間期に幻想小説、SF小説、探偵小説を書いた。フランドル人であるが執筆は基本的にフランス語で行なった。代表的な作品としては、幻想小説の『マルペルチュイ』(Malpertuis)、科学探偵ものの「ハリー・ディクソン」シリーズ(Harry Dickson)、チョーサーに題材を求めた短編集『新カンタベリー物語』(Les derniers contes de Cantabury)などが挙げられる。
彼の死後、優れた幻想小説に対して授与される「ジャン・レイ賞」が創設されている。

1887年にベルギーのヘントで生まれた。父親は船員で、ジャン・レーも15歳で船員となった。大学で勉強するため2年間ほどヘントに戻ったが、それ以外の時期は海で過ごし、複数の船に乗り組んだ。その中には密輸船も含まれる(フルマール号という船で、東南アジアを中心に猛獣などを密輸した)。第一次大戦後は、北アメリカ沿岸部・カリブ海を運航する船に乗り組んだがこれも密輸船だったという(禁酒法下のアメリカ合衆国に酒の密輸をした)。

陸に上がり、サーカスの猛獣使いなど職を転々とした後、ジャーナリストとなる。1925年に、異次元を扱ったラヴクラフト風の短編幻想SF『パウケンシュラーガー博士の奇怪な研究』("Les étranges études du Docteur Paukenschlager")を発表。これが認められ小説家としての活動を本格的に開始した。
1964年、「ジン中毒で」死亡した。


《作風と作品》
ジャン・レーが好んだ題材は隠秘学、異教神話、古代文明、SF的要素、ミステリーの要素であった。彼の本領は(他にも海洋冒険小説などを書いているものの)これらを盛り込んだ幻想小説にあった。レーは、関心のある同業者として1929年にフランスのジャック・ノディエ、モーリス・ルナール(Maurice Renard)、ベルギーのJ・H・ロニー、イギリスのハーバート・ジョージ・ウェルズ、アーサー・コナン・ドイル、M・P・シール(M. P. Shiel)を挙げている。また仏文学者榊原晃三によるとレーの作風は、チャールズ・ディケンズ、ジョゼフ・コンラッドの影響を強く受けているという。

1943年の『マルペルチュイ』は、古代文明テーマの作品で、隠秘学者の呪法によって近代のベルギーで延命し続けていた古代ギリシアの神々を描いた。

戦前に始まった長大な(100編を超えるシリーズ「ハリー・ディクソン」ものは、副題「アメリカのシャーロック・ホームズ」に示されるようにホームズ譚へのオマージュであり探偵小説であるが、マッド・サイエンティスト、古代文明の遺物、異教の呪術などの題材を扱い、多分にSF的でもあった。実は、本来ドイツ語で書かれていたシリーズなのだが、仏訳を請け負ったレーが独自の改変を行なったところ好評を得たためオリジナルを創作するようになったものである。

『新カンタベリー物語』(1944年)は、『カンタベリー物語』の宿を訪れた人物がチョーサーや牡猫ムルに出会い、居合わせた人々の奇妙で多彩な話を聞くという短編集である。
〔ウィキペデア〕より引用

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羽衣ストーブ館

  • 静岡新聞 2001年5月22日記事
    フランスを中心としてヨーロッパで製造されたアンティークストーブ100点以上はひとりの日本人個人によって南仏を中心に長期コレクションされたものであります。 ◆南仏より海を渡ってやってきたアンティークストーブ100台たちは清水港へ上陸して、東海大学社会教育センターに移築した江戸時代に作られた曲り屋の屋敷のなかに展示された。 ◆鋳物ストーブ100台たちは、その後も数奇な運命をたどることになる。
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22カードの意味

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    タロットアルカナの22枚には、世界の変化を表すことが記されています。カードの意味を知るには、図案のもつ表のイメージから解放されることが大切です。

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ペンギンタロットの原画

  • 0の愚者から21の宇宙(世界)まででひとつの話が結ばれる
    兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。 タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。 まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。