ヒトラーの毒味役を続けたマルゴット・ヴェルクさん。
「料理はどれも美味でした。アスパラガス、エキゾチックな果物、本物のバターやコーヒー、新鮮な野菜も豊富に使われた料理で、一般庶民が口にすることの出来ない食材を口にする。その味を満喫することはできませんでした。一口飲み込むごとに、これが最後になるかもしれないと震えていました。」
豪華な料理の食前に、毒味をするのがマルゴットさんはじめ合計15人、20代の女性。
1941年冬、ベルリン・シュマルゲンドルフに両親と一緒に生活して、実家が爆弾で破壊されて、マルゴットさんはオストプロイセンにあった夫の両親の家へ避難した。
そこにナチス親衛隊・Schutzstaffelが現れた。
「一緒に来い!」と拉致されて、彼女が到着したのは、ナチス大本営近くにあるバラック小屋だった。その小屋にヒトラーの食する料理を調理するキッチンがあった。当時は連合軍がヒトラーを毒殺する噂があり毒味役が必要だった。
「肉を使った料理はありませんでした。ヒトラーはベジタリアンでした」
「料理は美味しかった、というか、本当に絶品でした。でも、それを満喫することはできなかった・・・」
料理を口にするたびに死ぬかもしれないと恐怖に慄いていた。
1944年、ドイツ陸軍の国内予備軍参謀長シュタウフェンベルクは、ヒトラー暗殺計画を目論み、総統大本営ヴォルフスシャンツェに時限爆弾を落とした。
「ヒトラーが死んだ!」と誰かが叫んだが、ヒトラーは軽症を負っただけだった。
この暗殺計画から大本営周辺の警備が一段と強化される。毒味役だった女性たちも自宅から通うことは禁止され、大本営近くの旧学校校舎で生活をする。
「あの時、本当にどうしたらいいかわからなかった。命を絶とうと思った」という。
●ヒトラーは「ヤク中」だった? ナチス・ドイツの驚くべき薬物事情を暴く『ヒトラーとドラッグ』 | 本がすき。
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コーヒーからカフェインを抜いた「デカフェ」は100年以上前にドイツで発明され、ナチス・ドイツに飲用が奨励された。
ドイツのコーヒー焙煎業者見習いだったルートヴィヒ・ロゼリウスが1905年にデカフェは発明したり
荒れた海を渡ってきた船で運ばれたコーヒー豆をロゼリウスが受け取ったのが、発明のきっかけだった。コーヒー豆は塩水をたっぷりと吸い込んでしまって、ロゼリウスはどうにか塩味を抜いて使えないか模索して、偶然海水と同時にカフェインも取り除いたコーヒーが生まれたらしい。
1930年代に自然回帰から健康ブームが起った。砂糖やアルコール、タバコ、肉、カフェインを食事から積極的に減らそうという運動につながり、Kaffee HAGのデカフェの人気は高まって、ドイツのみならずアメリカにも輸出されて、カフェイン抜きのコーヒーが世界中に広まる。
脱カフェインの動きは、「アーリア人を保護する」というナチス・ドイツの優生学的国家政策の1つとなる。
20世紀初頭、作家のジェフリー・コックス氏は「当時のナチス・ドイツは、個々のドイツ人の健康を守るだけでなく、生物学的、人種的な存在としてのドイツ国民全体の健康を守ることが彼らの義務であり責任であると真剣に信じていました」という。
1941年のヒトラーユーゲントの手帳には、「少なくとも若者にとって、カフェインは『あらゆる形であらゆる強さの毒』である」と書かれていた。
1930年代末までデカフェは、その品質が政府により厳しく規制されて広く入手可能だったものの、値段は非常に高く贅沢品とみられていた。
当時のKaffee HAGのカフェイン除去プロセスには問題があり、微量ではあるものの、ベンゼンがコーヒー中に残ってしまって、実際には健康的どころか、大量に飲むと体に害を及ぼす可能性もあった。
そしてヒトラーは無類の紅茶好きでもあった。カップに最初に牛乳を入れて紅茶を注ぐ慣習があり、紅茶だけだと乳白色に濁ってしまう。ヒトラーは愛飲していたコーヒーであれば、牛乳を入れても入れなくても外見上は変化がない。飲み物に物質をどう入れるかで作戦立案者は考えを巡らせたという。
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「ヒトラーは菜食が個人的な健康問題を解消してくれ、魂の再生をもたらすものだと考えていた。」